研究部会報告2017年第2回

東日本研究部会中部日本研究部会西日本研究部会

〈東日本部会〉

2018年1月6日(土)13:30~18:30、専修大学神田キャンパスにて東日本研究部会が開催された。今回は、本学会を振り返る座談会と併せての開催で、最初の約2時間は座談会、その後、約2時間半が通常の会員による報告会となった。
座談会は受田宏之運営委員の司会で、今井圭子、遅野井茂雄、清水透、高橋均、野谷文昭各会員にご登壇いただき、オブザーバーとして落合一泰理事長、宮地隆廣理事が参加した(詳細は「5.寄稿」欄参照)。
会員による報告は、申込期日までに4名の会員から申し込みがあり、それぞれの研究成果をご報告いただいた。各報告の要旨は以下の通りである。研究報告会には計18名が参加し、活発な議論が交わされた。次回以降も会員の積極的な発表・参加による盛会を期待したい。
井上幸孝(専修大学)

(1)「メソアメリカ東南辺境の後古典期─ニカラグア太平洋岸での発掘調査成果を中心に─」

長谷川悦夫(埼玉大学非常勤講師)

報告者は、2013年以来ニカラグア太平洋岸の遺跡を調査しており、マナグア湖畔
の2つの遺跡(チラマティーヨ、ラ・パス)で発掘調査を行った。この調査結果と、ニカラグア湖畔の諸遺跡、およびコスタリカ北西部の遺跡の調査結果を総合すると、現状では以下の結論に達する。1.サポア期(後800–1350年)とオメテペ期(後1350–1550年)という2つの時期は絶対年代の測定に問題があり、実は大部分並行している。2.サポア期からオメテペ期、メキシコからの移住者によって当該地域がメソアメリカ化したとされているが、実際には広範に観察されるメソアメリカ的文化要素は、彩色土器に描かれる「羽毛のヘビ」等のメソアメリカの神格がある程度で、その他にはラ・パス遺跡の方形石造基壇が目に付くが、散発的・短期的な出現にとどまる。3.その他の遺物の出土状況から、メキシコからの移住は間接的で、移住者は先住民と共存して、移住先の環境下で速やかに文化的適応を遂げたとみられる。

(2)「シエラゴルダの農民反乱(1847-1849)」

山崎眞次(早稲田大学)

18世紀後半以降、メキシコにおいて先住民農民の反乱が続発した原因として、報告者は土地の争奪戦やエスニックな人種間闘争という経済的・社会的な反乱要因の他に、公的アクターである政府の行政機能の低下を独自の反乱要因としてあげた。山岳民と農民を率いた脱走兵エレウテリオ・キロスは、険峻な山岳地帯でゲリラ戦法を駆使し、政府軍を苦しめたが、戦場を平地まで拡大したことによって最終的に敗北した。反乱が2年間も継続したのは、3州間の軍事的連携の欠如、キロスが提案した和平協定の拒否、地域の日和見主義的カウディージョの介入に起因するが、いずれも行政機能の低下によるものである。シエラゴルダの農民反乱における特徴は、本来遊動民であった山岳民には定住生活が定着しておらず、先住民共同体の存在が希薄であったために、反乱軍はアシエンダの廃止を要求せず、農業労働者の労働条件改善要
求にとどめた点であった。

(3)「ボリビアの教育改革と日本のODA─94年教育改革と2010年新教育法の中での援助─」

上崎雅也(東京外国語大学大学院

総合国際学研究科)ボリビアで保守政権が実施した「94年教育改革」と先住民政権が2010年に制定した「新教育法」を比較し、更に「94年教育改革」で教育の質改善に向けて導入された日本の技術援助PROMECAの成果について分析を試みた。政治的理念が対立する政権が導入した教育改革ながら何れも「多文化・多言語社会」実現を目指す教育改革であった。本研究では、二年間にわたる現地教員、教育省関係者、多言語教育関係者などへのインタビューを通じて、政権の政治理念は異なれども、両改革の基層部では、教育技術とそれを担う人材や教材、更に問題点等が共有、継承されたこと、次にPROMECAの「子どもが主役」を掲げる教育技術が教員の養成課程と現職教員の能力再開発教育に内在的に活用された可能性が強く示唆される結果を得られた。現先住民政権は、脱植民地主義を掲げ、「94年教育改革」を否定しているが、政治的理念以前に教育の質、教員の質改善を重視した教育政策が望まれる。

(4)「ハイチ・ドミニカ共和国間の外交摩擦と二つの地域主義」

浦部浩之(獨協大学)

2015年6月、ドミニカ共和国が新帰化法(2013年9月の憲法裁判所判決を契機として2014年5月に制定)に基づき、滞在要件を満たさない6万6,000人にのぼるハイチ系住民を本国に帰還させたことは、ハイチのみならず周辺カリブ諸国からの強い反発を招いた。この問題を引き金にドミニカ共和国のカリブ共同体(CARICOM)加盟構想は頓挫し、環カリブ地域を包摂する地域協力の気運は後退しつつある。米・加を除く米州地域では、2011年にラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)が結成され、地域協調の拡大には一定の成果も見られた。しかし周辺のカリブ諸国を巻き込んで争点化したこの外交摩擦は、CARICOM系カリブ諸国の地域主義とラテンアメリカ諸国の地域主義の間にある歴史経験や共同体意識の相違に深く根差しており、環カリブ地域、さらにはラテンアメリカ・カリブ地域全体において共通の価値観に基づく共同体を構築することの困難さを露呈したといえる。

〈中部日本部会〉

中部日本部会は2017年12月2日(土)午後13:30~18:00、名古屋大学「国際棟」
(国際教育交流センター・国際言語センター)にて開催された。参加者は報告者、討論者、担当理事、運営委員を含めて計10名。報告が3本で、充実した内容となった。また、本年(2018年)4月開催予定の次回部会について、打ち合わせた。
田中高(中部大学)

(1)「囚われの主イエスキリスト」をめぐる文化資源化のダイナミズム─ペルー北部ピウラ県アヤバカの観光開発の歴史と現状から─」

河邉真次(愛知県立大学非常勤講師)
討論者:谷口智子(愛知県立大学)

ペルー北部ピウラ県アヤバカの教区教会の主祭壇には現在、両手を縛られた「囚われの主イエスキリスト(elSeñorCautivodeAyabaca、以下、「囚われの主」)」像が祀られており、当地に顕現したこの奇跡の聖像に拝謁するため、祝祭日に当たる10月13日には毎年数万人の巡礼者がこの地を訪れる。また、2013年10月、「囚われの主」とその祝祭が国の無形文化遺産に指定されたことを受けて、ユネスコ世界遺産に登録されたインカ期の遺跡のひとつアイパテ(Aypate、登録名「カパック・ニャンアンデスの道」、2014年6月)と並び、地域内最大級の文化資源のひとつとして地域内の観光業従事者からの注目を集めている。その一方で、当地へのアクセスの困難さや社会基盤整備の不足などの地政学上の問題に加え、カトリック教会、行政、住民間の文化資源をめぐる地域社会の意識と連携の不足によって、文化資源としての「囚われの主」の運用はいまだ十分な成果を上げられていない現状がある。本報告では、アヤバカの観光開発をめぐる地域社会内部のさまざまな交渉の中で、「囚われの主」が新たな文化資源としての地位を獲得してきた歴史的動態と現状を分析するとともに、地域社会における「囚われの主」をめぐる資源化の主体の諸活動と問題系を整理する。

(2)“‘Soft law’ en el ‘hard law’ : la responsabilidad social corporativa y los códigos de conducta en los acuerdos de libre comercio en Latinoamérica”

Alejandra María González Díaz (Universidad de Nagoya)
討論者:岡田勇(名古屋大学)

El Soft Law es una nueva perspectiva en el derecho comercial internacional. Al contrario del“hard law,”el“soft law”es un tipo de ley blanda obligatoria en forma voluntaria para aquellas partes que se adhieran ella. Un tipo de estos instrumentos legales son los códigos de conducta. Éstos representan un instrumento importante para las empresas multinacionales. Ello se debe a que estas multinacionales desean garantizar su responsabilidad social corporativa (RSC)ante su clientela en un ámbito global. No obstante su carácter“blando”y voluntario, instrumentos vinculantes obligatorios hacen mención del soft law. Este trabajo analiza la existencia del soft law en los acuerdos de libre comercio(ALC)en Latinoamérica. Describe la importancia y la responsabilidad de las multinacionales y del Estado. Asimismo analiza el único caso laboral en contexto de un ALC, caso entre Guatemala y Estados Unidos, en el que se alegó la condición laboral de los trabajadores en las zonas de libre comercio del país centroamericano. El análisis conlleva a definir las tendencias futuras e importancia de los códigos de conducta en el comercio exterior y el desarrollo en un mundo globalizado.

(3)「在日ブラジル人第二世代の大学生たちの現状─言語生活とアイデンティティとの関係からみえてくるもの─」

【研究動向報告】
重松由美(三重大学など非常勤講師)
討論者:光安アパレシダ光江

(浜松学院大学)在日ブラジル人第二世代の大学への進学者が増えてきている。本報告では、2017年に行った大学に通う第二世代へのインタビューとアンケートの結果を、2012・13年に報告者が調査した同テーマの結果と比較しつつ、彼らの現状を報告する。具体的には、第二世代の言語生活とその複言語環境の中で構成されてきたアイデンティティとの関係から、「彼らは『日本のブラジル人』として、日本で日本語を話し生活していくことを選択する」傾向が強くなっていることが認められた。

〈西日本部会〉

2017年12月16日(土)13:00~18:30、同志社大学烏丸キャンパスにおいて、2017年度第3回西日本部会をラテン・アメリカ政経学会西日本部会および同志社大学人文研第11部門研究会と共催した。
始めの2時間は、「学会を振り返る」と題した座談会が受田宏之運営委員の司会のもと、登壇者として小林致広、住田育法、二村久則、松久玲子各会員(五十音順)をお招きし、落合一泰理事長と宮地隆廣理事をオブザーバーとして繰り広げられた。学会創設前後の時代の研究活動事情の追憶に話の花が咲き、傍聴していた会員23名は興味深く聞き入っていた。
その後、3名の会員による研究発表と、メキシコのメトロポリタン自治大学の社会学者マルタ・トレス氏による講演が行われた。地域研究の学会らしさに富む学際的な研究部会であった。その要旨は以下の通りである。
北條ゆかり(摂南大学)

(1)「21世紀のラテンアメリカ小説のなかの「日本像」─マリオ・ベジャティンとアドリーアナ・リズボアを中心に─」

マヌエル・アスアへアラモ(Manuel Azuaje-Alamo) (ハーバード大学博士課程)

本発表は、21世紀のラテンアメリカ文学における「日本像」について、現代ラテンアメリカの若手文学者の作品に見られる最近の傾向を考察する試みであった。発表の前半ではホルヘ・ルイス・ボルヘスやオクタビオ・パスなどといった、20世紀に日本文学を紹介・翻訳したラテンアメリカ作者家たちを比較対象にするために彼らの特徴を紹介した。
発表の後半では、21世紀に入ってこのかたラテンアメリカで書かれてきた日本関連作品の特徴を特定するために、「偽りの翻訳」と「文化的な傍観」という二つの創作的モードを仮定してみた。それぞれの二つのモードの代表作として、メキシコ人のマリオ・ベジャティン(MarioBellatin)の『村上夫人の荘園El jardín de la señora Murakami』(2000) と ブラジル人のアドリーアナ・リズボア(Adriana Lisboa)の『落柿舎Rakushisha』(2007)という小説を取り上げ、分析した。近年、ラテンアメリカではポストモダン文学に近い形式で日本文学からのモチーフを取り入れる小説が多く見られる中、上記の分類を利用することによって、現在のラテンアメリカ大陸における「日本像」の変遷をより体系的に分析できると思われる。

(2)「グローバルとローカルの間で─ボリビアにおける日本からの中古車輸入と合法化についての考察─」

岡田勇(名古屋大学)

2000年代後半に、ボリビアは世界でも有数の日本製中古車輸入国となったが、その後政府は輸入に制限をかけた。ところが2011年にボリビア政府は密輸中古車を合法的に登録させる法律を制定し、約7万台が登録された。本報告では、この政策をパズルとしてとらえ、これに答えるために1990年代からのボリビアにおける日本産中古車の輸入動向と中古車輸入規制政策を整理した。ボリビア政府は1998年と2008年までに主に日本産の中古車が大量に輸入されたことに対して、輸入規制を導入したが、利益団体や消費者などの圧力によって書類不備自動車を合法化することを許可してきたことが明らかとなった。本報告では、これをグローバルとローカルの調整ととらえた。討論者の宮地会員からは、輸入規制を外貨流出規制に帰するのは無理があること、モラレス政権の国家能力向上の真剣度を加味すること、グローバルとローカルの間で流されているとの解釈も可能であることなどが指摘された。

(3)「社会運動としてのサパティスタをめぐる研究動向」

柴田修子(同志社大学嘱託講師)

この発表では、社会運動論の立場からサパティスタ運動がどのように理解されてきたかを、研究動向を整理しながら紹介した。社会運動の要因や発展には大きく分けて、新しい社会運動論、資源動員論、フレーミング論、政治的機会構造論という4つのアプローチがある。それぞれの立場からサパティスタ運動がどうとらえられているかを確認した後、特にオルセンのフレーミング論に着目して運動の持続性をどのように理解できるかを示した。彼によれば、サパティスタはグローバル化のもとマスターフレームとなった不正義フレームと民主主義フレームに自らの問題を結びつけたことで、グローバルな共感を得るに至った。本発表では、フレーミング論はサパティスタ運動の持続性を理解するために有用であるとした上で、先行研究にはローカルな場で運動に参加する人々へのフレーミングに対する考察が欠けていることを指摘した。これに対し討論者から、政治的機会構造論にも発展の余地があるのではないかというコメントをいただいた。またフロアから、歴史的背景も議論に取り込むほうがいいのではないか、「フレームの魅力」を客観的に示すことは困難で、政治的機会、資源などを取り込んで相対化する必要があるなど、建設的なコメントをいただいた。

(4)“La tercera ola: 25 años del movimiento feminista mexicano. Acciones y perspectivas”

Dra. Marta W. Torres Falcón (Universidad Autónoma Metropolitana)

La tercera ola del movimiento feminista mexicano se ubica en los años 90 del siglo XX, cuando se da un proceso de institucionalización de los grupos, se abren canales de interlocución con el gobierno y se establecen vínculos con otros movimientos sociales.
Algunos antecedentes importantes son la lucha sufragista, que en México concluye en
1953, y la llamada segunda ola, que se da a partir de los años 70. Un acontecimiento importante fue la I Conferencia de Naciones Unidas para la Mujer, celebrada en la Ciudad de México en 1975. Los primeros grupos de mujeres definieron tres ejes de acción: la lucha contra la violencia, el aborto libre y gratuito, la libre opción sexual. En la década de los 80, el movimiento urbano popular hace un trabajo consistente a favor de los derechos de las mujeres y se suma a la denuncia de la violencia de género.
En la tercera ola del movimiento feminista, se continúa con los tres ejes identificados y se logran avances sustanciales. La experiencia más notable se da en la lucha contra la violencia. Se inicia con la denuncia y el acompañamiento a víctimas de violencia sexual y posteriormente se amplía el espectro para incluir a maltrato doméstico y hostigamiento sexual. A partir de 1993, la sociedad mexicana enfrenta una forma extrema de violencia de género: los feminicidios. El término fue acuñado para dar cuenta de un fenómeno nuevo que inició en la frontera de México con Estados Unidos y se ha extendido al resto del país. Las mujeres eran secuestradas a cualquier hora del día, privadas de su libertad, violadas de manera reiterada, mutiladas y asesinadas. El dolor y la indignación ante esos crueles asesinatos dio paso a la formación de nuevas organizaciones, tanto locales como nacionales. Ya en el siglo XXI, se han dado acciones contra la trata de personas, ya que México es lugar de captación, de traslado y de acogida de mujeres jóvenes y adolescentes víctimas de explotación sexual.
Con respecto a la libre opción sexual, el matrimonio entre personas del mismo sexo ya está reconocido legalmente, aunque persisten grupos conservadores, a veces ligados con la iglesia católica. Algo similar ha ocurrido con el aborto, que es legal únicamente en la capital del país. La iglesia católica ha promovido un discurso de condena total y algunos congresos estatales han modificado las leyes para condenar a las mujeres que abortan, incluso cuando el embarazo es resultado de una violación o la vida de la mujer está en riesgo.
Algunas problemáticas emergentes en la tercera ola son las siguientes: feminismo urbano popular, ciudadanía y participación política, masculinidades, capacitación de género.
Junto con los avances sustanciales logrados en varios frentes, persiste el desafío de enfrentar a los grupos conservadores y de derecha. La violencia extrema es también una reacción feroz a los avances del feminismo. Hay que mantener abiertos los canales de interlocución con las instituciones gubernamentales para influir en el diseño y puesta en marcha de políticas públicas contra la discriminación.