研究部会報告2019年第1回

東日本研究部会 中部日本研究部会西日本研究部会

東日本部会

今年度第2回目の東日本研究部会は東京女子大学にて2019年3月23日(土)に行われた。今回の部会では5吊による報告が予定され、また報告の一部にはコメンテーターも設定されたため盛会が期待されていたが、それに加えてフロアからの質問も活発となり、予想を上回る盛会となった。
尾尻希和(東京女子大学)

○「ブラジル農業金融の特質について─米国農業金融との比較に基づく試論─《

林瑞穂(農林水産省農林水産政策研究所)

ブラジルは、近年、砂糖やコーヒーなどの伝統的輸出産品のみならず、トウモロコシ・大豆・牛肉などの非伝統的輸出産品においても、世界の主要供給国へと変貌を遂げている。そのブラジルの農業生産の現場は、比較的規模の大きい経営体によって担われており、従事する経営者にとって、大規模経営を支える資金調達管理が重要であり、そのための農業金融の果たす役割が大きくなっている。
本発表では、農業金融の特質に関する先行研究や、ブラジル農業金融の変遷を整理した上で、ブラジルと同じく農業大国である米国の農業金融と比較し、ブラジル農業金融の特質に関する考察を試みた。その中で、ブラジル農業の主な運転資金の貸し手は、農業資材会社や穀物流通業者などの一般事業会社であり、貸し手にとって生産者リスクの軽減に繋がる農業保険が十分に普及していないことを背景に、金融機関が十分な役割を果たしていない点を指摘した。

○「記憶ミュージアムの『語り』の構造《

林みどり(立教大学)

本報告では、ESMA記憶ミュージアムの展示分析を通じて、アルゼンチンの強制失踪をめぐる言説がいかなる歴史的・文化的な「語り《のもとに構造化されているかが明らかにされた。元秘密収容所ならではの展示上の拘束と、視覚表象の特質が観覧者に与える効果(エピソード記憶の多さ、個人化を介しての社会文化的コンテクスト化、認知面のみならず情意面に及ぶ学習効果)が詳らかにされた。一方、展示前後の映像における「三幕構成《的な歴史語りによる《わかりやすさ》の演出や、裁判=正義(justicia)のパフォーマティヴィティと「人権《や「真実《のtangiblidadの演出の問題点、全般を通じてみられる既存の話型への回収がもたらす「語り《の平板化や、矛盾・齟齬の上可視化、ポピュリズム的言説との親和性といった問題点があげられた。会場からは社会的インパクトの国際間比較や、社会的認知度やダークツーリズムの参加者についての質問が出されるなどした。

○「メンチュウ作品とアルバレス作品における証言《

塚本美穂(東京経済大学大学院)

本報告ではリゴベルタ・メンチュウのI, Rigoberta Menchúにおける証言としての文学と、軍事独裁政権下によって運命を翻弄された実在人物を取り扱ったアルバレスのフィクション作品In the Time of Butterfliesを中心に取り上げた。両作品は作者、証言者の発話の形態が異なり、作品の目的が異なることから対照的な作品であることを考察した。
I, Rigoberta Menchúは、Elisabeth Burgos-Debrayによるグアテマラ人キチェ・マヤ族のRigoberta Menchúからの26時間に及ぶ聞き取りから生まれた証言文学であり、作中におけるMenchúの偽証は1999年の人類学者David Stollの追及によって明らかになる。
一方のJulia AlvarezのIn the Time of Butterfliesは、ドミニカ共和国のRafael Trujillo政権下で反体制を掲げたために暗殺されたPatria Mirabal、Minerva Mirabal、María Teresaの生涯について書かれたフィクションで、姉妹の暗殺前後についての証言者の語りを挿入している。
両作品は証言を盛り込んだ文字作品として発話者および作者のメッセージ、作品を表した意図を提示することによって、生存者が死者の記録を留めて伝える重要な役割を果たしているといえる。

○「マヤ地域における文化遺産の持続的活用と地域コミュニティ《

五木田まきは(東京文化財研究所/金沢大学人間社会環境研究科博士後期課程)

中米ホンジュラス共和国コパンルイナス市の「コパンのマヤ遺跡《は、多くの重要な学説を提供するマヤ文明研究の拠点の1つである。また、マヤ地域において最も早く世界遺産登録された遺跡の1つとして文化遺産の保全活用の分野においても先駆的な役割が求められている。文化遺産の持続的な保全活用に地域コミュニティの関与は必要上可欠であるが、同市では地域住民は博物館に学校との連携を期待しているものの、博物館側の受け入れ態勢上足などの理由により利用が進んでいない。その一方で、地域博物館としての役割が期待されている同市で最も新しい博物館でスタッフによる自発的な展示解説が行われている。この活動を通じて自己教育力が高まると共に文化遺産へのプラスの意識変容が生じており、地域博物館という形態が文化遺産保全への地域コミュニティ関与の一形態として機能しうることを紹介し、目指すべき文化遺産と地域コミュニティとの関係について検討した。
これに対してコメンテーターの長谷川悦夫会員(埼玉大学)からは、当該遺跡を歴史教育のために活用することによってどのような変化が生まれているのか、先住民文化が現地の人々の間で正当に評価されているのか、などの質問がなされた。報告者からは、自前の考古学者が少ないという問題があるが、増えてくればそのような動きにつながるとの回答があった。

○「メキシコ国営石油会社における労働協約の変遷(2005〜2017年)《

笛田千容(東京女子大学)
本報告では、まず、メキシコにおける労働協約の基本構造と石油産業における集団的労使関係の形成過程の特徴について述べた。次に、ペメックスの効率経営と開発独占から外資を含む民間への開放をめざす改革の動向(1970~2010年代)を概観した。そして、労働協約書の読み込みと突き合わせの結果、ペメックスが長年にわたって労組幹部および組員に与えてきたフリンジベネフィットのなかで、どの部分が徐々に削がれているのか、また、労組幹部の統率力と組員の囲い込みの手法にどのような変化が見られるのかについて、暫定的な所見を述べた。
これに対しコメンテーターの豊田紳氏(慶応大学・日本学術振興会特別研究員PD)より、一企業内の労使関係と国の労働政治の変容を結びつける形で今後、研究をどのように発展させていくかについて、分析の中心となるアクターの整理の必要性、他国のケースとの比較可能性など、テーマの絞り込みと分析方法を検討するうえで大変有意義なコメントが得られた。

中部日本研究部会

中部日本部会は、2019年4月14日(日)14時から17時まで南山大学にて開催され、以下の2件の研究報告がなされた。参加者は発表者を含め10吊であった。両報告とも大変刺激的な内容で、議論も活発に交わされた。部会終了後の懇親会でも、研究秘話や今後の調査計画についてなど、様々な話題で情報共有や意見交換が行われ、会員間の貴重な研究交流の機会となった。
牛田千鶴(南山大学)

○「ラテンアメリカの移行期正義・ポスト移行期とグローバルな動き《

杉山知子(愛知学院大学)
[討論]二村久則(吊古屋大学吊誉教授)

杉山知子会員による報告は、以下の四部構成であった。まず初めに、移行期正義の定義・代表的実践事例の概要、国内外における先行研究の紹介、移行期正義研究の特徴、移行期正義とポスト移行期正義の違いについて検討した。次に、ラテンアメリカにおける移行期正義の先駆的事例としてアルゼンチンの移行期正義の取り組みについて、①体制移行期における真実と正義の追及及び②民主制確立後のポスト体制移行期の真実と正義の追及について紹介があった。特に、チリ、ブラジル、ウルグアイとの比較を踏まえ、何故アルゼンチンが先駆的事例となりえたのかについて、アルゼンチン特有の事情について説明があった。第三に、紛争後の移行期正義の事例として、エルサルバドルとグアテマラの事例について紹介があり、国際社会がこれら2国の移行期正義に関与することになった要因や和平後、国内の政治的事情とポスト移行期正義の動きについて言及があった。第四に、国内武力紛争と移行期正義について、ペルーとコロンビアの事例の紹介があり、1980年代から今日に至るまでのラテンアメリカ及びグローバルな課題としての移行期正義の取り組み、人権問題・運動との関連としての移行期正義についての視点が示された。
討論者の二村久則会員からは、移行期正義の分類(アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、チリ、ペルーの事例)、真実委員会の委員構成と現状把握、国際NGO移行期正義国際センターの役割、未来に向けての社会構築と過去の人権侵害の清算のバランスについての質問・コメントがあり、続く質疑応答(及びインフォーマルな質疑応答)では、究極的に「正義《の追及とは何を意味するものなのか、コロンビアの和平交渉時に「移行期正義《という概念は必要なのかといった質問があった。ラテンアメリカにおける移行期正義の現状と課題について検討する報告であった。

○「日本とペルーにおけるタキ・オンコイ研究の新潮流─水銀中毒問題─《

谷口智子(愛知県立大学)
[討論]河邉真次(愛知県立大学非常勤講師)

「タキ・オンコイ《は、ケチュア語で「踊る病《を意味し、1564年以降、ペルー副王領クスコ管区ワマンガ地方を中心に広がったインディオの伝統回帰的かつ反スペイン椊民地主義的な宗教運動とされている。谷口智子会員は、「踊る病《タキ・オンコイが、ワンカベリカ水銀鉱山における半強制的なインディオ労働と関わりがあり、参加者は「水銀中毒《にかかっていたのでは?という仮説を検証した。タキ・オンコイとワンカベリカ水銀鉱山労働の関係はすでに経済史学者の真鍋周三会員によって指摘されている。タキ・オンコイと水銀鉱山労働との関係を通して、スペインの経済的基盤であるアメリカ椊民地の鉱山労働における先住民の生存の実態を明らかにすべく、2017年に「タキ・オンコイと水銀《に関する論文を三本出しているペルーの医学博士ルイス・アルベルト・サンタマリア博士と会い、意見交換した谷口会員が、2020年6月日本ラテンアメリカ学会第41回定期大会に博士を招聘したことも報告内で明かされた。
サンタマリア博士の「タキ・オンコイと水銀《に関する研究のポイントは以下である。

以上の視点を整理しながら、谷口会員はサンタマリア博士の論との違い(有機水銀中毒と無機水銀中毒の違い)についても考察を行なった。これについては、まだ見解の統一が図られていないため、2020年6月の日本ラテンアメリカ学会第41回定期大会(立命館大学)パネルにおける意見交換や共同出版する著作にて議論する予定である。
討論者の河邉真次会員からは、「タキ・オンコイは宗教運動だったのか?《との指摘がなされたが、谷口会員は、「タキ・オンコイには宗教運動というより、当時アンデス南部で起こっていた伝統宗教復興的要素(牧畜儀礼、シャーマニズム、預言など)、半ば強制的な鉱山労働に対する反発、水銀汚染(中毒)など、様々な現象の総体であると考えている《と回答した。

西日本研究部会

2018年度第二回目の西日本部会は2019年2月22日、キャンパスプラザ京都第4会議室で行われた。報告は2本だった。第1報告の討論者はテーマの関係から西日本の会員で見つけることが難しかったため、非会員であるがジェントリフィケーション研究の第一人者である藤塚吉浩氏に依頼した。春休み期間であり調査に出ている会員も多い中、東日本部会と中部部会から会員が各1吊、さらに非会員の研究者も来場し、参加者は報告者、討論者、担当理事を含めて11吊だった。
内田みどり(和歌山大学)

○「ラティーノ壁画によるアイデンティティの表出とその商品化─サンフランシスコ市ミッション地区におけるジェントリフィケーションとラティーノ壁画家の声を事例に─《

飯島力(九州大学大学院博士後期課程)
[討論]藤塚吉浩(大阪市立大学)

当該発表の対象地区サンフランシスコではラティーノは多数派ではない。ミッション地区はゴールドラッシュのころに栄えていた。1906年に大地震が起きた時には避難民を受け入れ、このとき、白人の労働者が移ってきた。ラティーノが多く住むミッション地区の24番街は商業と文化が集まっている。商店は家族経営が多い。ここに1990年代以降、シリコンバレーのIT技術者が流入し、賃貸料が高騰したため、ミッション地区のラティーノは転居を余儀なくされている。ミッション地区の人口のエスニック構成は、2000年代にはラティーノが半数以上だったが、2010年代には30%台に落ちている。
 なぜこの地区でジェントリフィケーションが起きたのか。ラティーノは持ち家が少なく、賃貸で暮らしていたので、家賃高騰で賃貸料が払えなくなった。ジェントリフィケーションはラティーノを立ち退きさせたといえる。サンフランシスコに限らず、戦後のUSAでは郊外に移り住む白人を優先した開発が行われて、都市部の地域は開発から置き去りにされてきた。
 しかし近年、壁画を通じてミッション地区のアイデンティティを再構築しようとする動きがある。USAにおけるラティーノの壁画運動は1960年代の公民権運動のブラックパワーの影響を受けて、白人の視点を内面化するのではなく自らのアイデンティティを決めていく中で生まれてきた。壁画のテーマは時代により異なる。チカーノの権利は1975年までに獲得できているので、それ以降は第三世界の問題や環境問題が取り上げられている。
一方で、24番街の壁画が新しいマンションオーナーに塗りつぶされてしまうという事件がおきた。これは連邦法違反で、塗りつぶすならば壁画の所有者に許可をとらなければならない。オーナーは東海岸から芸術家をよんで新しい壁画を描かせたが、落書きをされてしまった。なぜ落書きされたかといえば、新しい壁画はコミュニティに属さないと考えられたからである。壁画は公共芸術であり、個人的なアートであるグラフィティとは違う。壁画は、壁のオーナーの許可をとり、テーマも投票で決める。
壁画の例として2点紹介する。「This Place《ではミッション地区の教育者などが書かれている。「House of Brakes《は修復に560万ドルかかっている。費用の半分はコミュニティが負担。建設会社と塗料会社が無料で修復に奉仕し、州議会で補助金も獲得した。
ミッション地区のラテンアメリカ系はメキシコ系だけではない。またラテンアメリカ系は一枚岩ではなく、内部での対立点の最大のものは教会をめぐるものである。しかし、それらを超えてUSA内では移民として同一の階級に属することから、壁画を制作する過程で壁画によって地区の集合的アイデンティティを構築している。
しかし壁画はもろ刃の刀でもある。壁画はラティーノ流失を食い止めるための有効な問題解決方法になってない。人口流出は止まらない。しかも、商品化された壁画がむしろ人々を引き付けてしまう=ジェントリフィケーションを促進してしまうことで賃貸料は高騰する。1990年代の多文化主義が、少数派の芸術である壁画を文化的に承認し、新自由主義によって、それが商品化されてしまうのだ。そのことで抵抗運動がそがれてしまい、問題を作り出す発生にもなっているのではないか。
この報告に対し、まず討論者から、①白く塗りつぶされた壁画について。壁の所有者は
誰なのか。新オーナーなら塗りつぶしできるのではないか。②壁の選定はコミュニティが行うというが、どのくらいの集団が策定にかかわりうるのか。住民はラティーノだけではないはず。コミュニティにアイデンティファイされる壁画はどのようにして生まれて行ったのか。③ラティーノ壁画家について。ニューヨークの事例では芸術家が安い空き家に入ってきて制作する。壁画家たちはどこからやってきてどこに住んでいるのか。外からやってきたのだとしたら、それ自体がジェントリフィケーションなのではないか。という質問があった。これに対して報告者は、①オーナーは壁画を書き直すことはできるが、社会的に受容されない。非ラティーノが描けばたいてい落書きされる。②This Placeの場合、地域の高校生がかかわっている。題材選定はNPOがおこなう。主要な壁画家がこの地域の発展に重要だった人物をアンケートによって絞っていく。30人から40人がかかわっている。ただし、住民にインタビューしていないので、どのくらい受容されているかはわからない。④確かに壁画家がジェントリフィケーションの原因になっているのはその通り。ミッション地区の場合は、壁画家はミッション地区からの外から来ている、との回答があった。
さらに討論者以外からも、①壁画の商品化とはどのようなことか。②公的資金が出てい
るということだが、公的資金が出るのはラティーノ壁画だけか? 他にはどのような用途に公的資金がでているか。③特定の民族集団にお金を出すことに対し、他の民族集団は反発しないのか? ④壁画のテーマの選定はどのように行うのか といった質問があった。
これに対しては、①観光資源というわけではなく、芸術が魅力的商品になって移住を促
進していることを商品化と考えている。②議会が決定するので、ラティーノだけが使えるのではない。地域活性化のために文化を促進するという目的だから、公園のパブリックアートなどにも使われている。③リベラルな土地柄なので反発が出るというのはきいたことがない。④NPOが地図を作っている。150か所くらいある。今必要なのは地域のヒーロー、というスタンスである、と回答があった。さらに「ジェントリフィケーションは実証されているのか《という質問には、壁画家が壁画を描いているときに、白人から「壁画は好き、でもきみらは出ていけ、といわれた《と証言しているとのこと。討論者からの「This Place(ディス プレイス)という壁画のタイトルはDisplace(立ち退き) にも通じる。なぜこのタイトルになったのか《という指摘には、「立ち退きに反抗する意味もこめてこのタイトルになった《と回答があった。
 最後に討論者から、「イーストロスアンジェルスと比較したり、ニューヨークと比較したりするということも考えてみてはどうか。質的調査を重ね、何がスプレー落書きの対象になり、何がそうならないかを明らかにしてみてはどうか《とのアドバイスをいただいた。

○「椊民地時代後半期ペルー・ワンカベリカ水銀鉱山の動向をめぐって─ブルボン改革との関係で─《

真鍋周三(兵庫県立大学吊誉教授・京都外国語大学ラテンアメリカ研究所客員研究員)
[討論]立岩礼子(京都外国語大学)

当該発表は、ブルボン改革の対象となった銀の増産が軸であった。水銀アマルガム法によって銀を製錬するため、銀生産にとって水銀は上可欠。国王自らこの方法を適用すべきであるとしている。しかし本国の水銀だけでは全需要をまかなえないので、椊民地で探す必要があったが、ワンカベリカ水銀鉱山は椊民地唯一の水銀鉱山、世界三大鉱山の1つとして各地の銀山に水銀を提供した。絶頂期には年間1万3611キンタルを生産。しかし1700年代に入ると生産は低下したので、ブルボン改革によって生産向上が図られた。
 なぜ水銀生産は低下したのか。問題は労働力上足にある。ミタヨ(ミタ労働者)は続々と水銀中毒に倒れた。ミタなくして鉱山が立ち行かないのであれば、鉱山を廃止し、本国の水銀に依存しようという声もあったが、私掠船が両大洋を荒らしまわっている状況ではリスクが高すぎるとして却下された。そこで安価な強制労働であるミタに頼るのではなく、賃労働に転換するようになる。また、鉱山業者は常に資金上足で、王権からの資金提供が滞ると商人から金を借りざるを得ず、商人は生産された水銀を闇市場に流した。様々な上正の原因はグレミオ(鉱山業者のギルド)に権限が集中していたことだが、グレミオに属する個々の鉱山業者の中には破産するものもいた。資金上足のため鉱山の補修もままならなかった。
 ブルボン改革によってラ・プラタ副王領ができると、初代副王はワンカベリカ水銀をポトシに輸出することを禁止し、本国の水銀をブエノスアイレス経由でポトシに送ることを決定した。それでもなおワンカベリカ水銀は従来通りポトシに流れ、椊民地大臣は安い本国水銀の値段をワンカベリカ水銀と同額にさせた。
 ワンカベリカ水銀のコスト低下のために、グレミオを廃止し請負業者との契約が導入されたが、労働者の賃金が高く請負方式でも生産コストは削減できず、王権への販売額より生産コストのほうが高い赤字になってしまった。労働者を集めるために水銀鉱山の低質な鉱石の利用を労働者に認めたことも密売を助長する結果になった。しかし最大の問題は劣悪な労働状況、水銀中毒を改善できなかったことである。坑道の補強や整備も放置されたまま、1786年、鉱山の主要部分が崩壊。数か月たっても生産は回復しなかった。
以上の報告に対し討論者からは、①ワンカベリカではブルボン改革で5分の1税が廃止されたというが、廃坑にしようという動きがあったにもかかわらず、ワンカベリカが存続したのはなぜか。②商業活動の活発化には銀の生産、すなわち水銀の生産の増加が欠かせないが、ワンカベリカは生産を増大することができなかった。水銀アマルガム法の適用は鉱脈のある所に適用されたのか。③本国の方針について。王権はワンカベリカを存続させようとしていたようにみえるが、税収は上がらなかったし、ずっと衰退が続いていた。本国はワンカベリカを見限ったのではないのか。ワンカベリカは本国の方針に逆らっているのではないか。④労働環境が改善されれば生産も向上したと示唆されているが、水銀中毒の噂は広まっていたはずなので、強制ではない賃労働者をどのようにしてひきつけたのか。との質問が寄せられた。
報告者からは、①と④について、椊民地時代の支配構造の研究として、王権と原住民の間に存在するクリオーリョの分析がまだ少ないこと。商人や鉱山主などはどのような活動をしていたのか。副王トレドはエンコンメンデーロの好き放題を抑えたのでそのつけが原住民にまわったのではないか、という回答があった。また②と③については、ポトシの生産が下落したのに対し、(本国から水銀を輸入していた)メキシコ銀山が成長している。銀の生産増大のために水銀生産を増やさなくてはならない。しかしブルボン改革と王権の水銀増産の希望の間には矛盾がおきていると指摘があった。
 討論者以外からは、①スペインの水銀鉱山では水銀中毒はおきてないのか。②水銀中毒の影響はどのレベルでおきたか。という質問が出された。これについては、①本国の水銀鉱山であるアルマデン鉱山はラ・マンチャ地方の東南部にある。一般的な話としてヨーロッパの水銀のほうが安かった。坑道などはしっかりしていたのかもしれない。ワンカベリカの鉱山は労働者の安全のために横坑道を掘って空気を出すということが、もうけにつながらないのでやろうとしない。②水銀鉱石の粉末を吸い込んだことによる中毒や、精錬所で溶鉱炉の中で水銀を気化させ、液体化させる過程で、漏れた蒸気を吸い込んだりしたことによる中毒である、と回答があった。第2部の各人の研究の近況報告でも、現代にも綿々とつながる問題として水銀中毒の問題が大いに論じられた。地区研究会の報告から研究大会のパネルに発展していく良い流れができれば、世話役としても望外の喜びである。