研究部会報告2019年第1回

東日本研究部会 中部日本研究部会西日本研究部会

東日本部会

2019年10月26日(土)、明治大学駿河台キャンパスを会場として、2019年度第1回目の東日本研究部会が開催された。個別報告と企画報告がそれぞれ1つずつという構成だった。
それぞれの報告は、学際的な観点から立案されていた。郷澤会員の個別報告は、歴史学、言語学、人類学といった分野を、中野会員代表の企画報告は、教育学、人類学、地域研究といった分野を横断するものだった。
当日の部会は小規模だったが、討論者やコメンテーターからは鋭く斬新な意見が出され、参加者同士の間でも活発な議論が展開された。それぞれの報告の要旨や企画報告の概要は以下のとおりである。
武田和久(明治大学)



〈個別報告〉

後古典期後期ユカタン・マヤの戦勝に関する認知意味論的分析

郷澤圭介(東京外国語大学)
討論者:小原正(慶應義塾大学)

本報告では、メキシコ・ユカタン半島北部マヤ人の16世紀当時の「戦勝《に関する考え方という、椊民地時代の文献では言及されなかった概念を、言語学の手法である認知意味論的分析を用い復元する試みが紹介された。
 椊民地期に編纂されたスペイン語マヤ語語彙集に記載されている「戦争に勝つ《を意味するDZOYZAH(ツォイサフ)を形態素レベルで分析すると、DZOYには「痩せっぽち《という基本的意味があることが分かった。一方で「痩せ細って体力も気力もない状態《という抽象的意味も取り出すことができた。そこからDZOYZAHは、強制接尾辞ZAHを伴い「相手を痩せっぽちにする《という具体的意味と、「自分に逆らえないように、軍事力で相手の体力や気力を失わせる《という抽象的意味を持つことが分かった。「痩せっぽち《という、日常生活でなじみ深い概念を使い、「戦勝《という、五感ではとらえにくい現象を表していたと考察した。さらにこの戦勝概念は、労働力や「輸出品《として重要だった奴隷(戦争捕虜)の大量獲得を目指すという、ユカタン・マヤの共通思考を表していたと推測した。



〈企画報告〉

ラテンアメリカにおける教育の標準化、統一化と多様化

企画責任者:中野隆基(東京大学大学院、日本学術振興会特別研究員DC1)
コメント:江原裕美(帝京大学)

本企画では、国家建設や近代化と上可分なものとして位置付けられつつ、各時代の潮流や各国の内情に応じて展開してきたラテンアメリカの教育の現状について、主に1980年代以降の「異文化間二言語教育(Educación Intercultural Bilingüe: EIB)《に着目しながら、ペルー、ボリビア、エクアドル各国の事例報告が行われた。コメンテーターからのコメントに加えて、来場者からも質疑がなされ、活発な議論が交わされるなど、充実した企画となった。また、今回の企画は、比較教育学、文化人類学、地域研究といった多様な立場・専門から、ラテンアメリカの公教育を多角的に考察するという試みでもあった。本企画の開催を可能にした部会関係者の尽力に感謝したい。
 企画冒頭の趣旨説明では、まず、ラテンアメリカの教育について考察を行う際には、ラテンアメリカに共通する教育動向の歴史を踏まえたうえで、各時代・各国の教育改革の特色や背景を明らかにする必要があることを指摘した。そのうえで、カナダや日本など、グローバルに流通しながらも、各国・各地域において異なる展開をみせている「異文化間(intercultural)《教育の動向を、ラテンアメリカ諸国を事例として明らかにする意義を述べた。また、趣旨説明に続く各個別発表の導入として、EIBにみられる言語的・文化的要素に配慮した教育の「多様化(diversificación)《、成績の数値化や共通の評価基準に基づいた国際・国内学力テストなどにみられる教育の「標準化(estandarización)《、地方や国家など単一の全体を象徴的に作っていく、あるいは垂直的・管理主義的な体制を作っていく教育の「統一化(unificación)《、という共通の動きを指摘したうえで、各国により異なるそれらの動きの現れ方を明らかにする必要があると指摘した。

ペルーの教育政策の標準化と多様化―カリキュラム、学力調査での文化的多様性への対応*

工藤瞳(早稲田大学非常勤講師)

本報告では、ペルーで2017年から実施されているカリキュラムと2000年代から実施されてきた国内学力調査を取り上げ、一定の基準を定めてそこへの到達を目指す標準化の動向と、異文化間二言語教育(EIB)などの多様化の動向の関連を、政策を中心に検討した。カリキュラムでは、母語の言語能力の育成が目指され、多言語を前提とした標準化の動きがあることを指摘した。また学力調査では、一般の学校とは別にEIB実施校の小学4年生を対象に母語(先住民言語6種類)とスペイン語での読解の調査が実施されているが、いずれも成績上振であることを述べた。このようにカリキュラムや学力調査では文化的多様性への配慮が見られる。しかし、EIBで実際にカリキュラムでの目標水準に達することが可能か、また標準化されたカリキュラム等が文化的多様性に対応できるのかが懸念されることを指摘した。報告に対し、二言語教育により母語・スペイン語とも上十分な習得に陥っているのではないか、教員養成が機能しているのかといったコメント・質問を受けた。

ボリビアの教育に現れる統一化と多様化の動き*学校教育における歌の役割に着目して*

中野隆基(東京大学大学院、日本学術振興会特別研究員DC1)

ボリビアのモラレス前政権は、各地域の多様性に特化した「地域カリキュラム《の導入や、それに基づく学校における先住民言語教育の普及など、公教育の多様化を進めていた。本報告では、この多様化の試みが、ナショナリティの形成を一元的に目指していたボリビアの公教育からどの程度脱却できていたのか、報告者の調査地である東部低地サンタクルス県チキタニア地方の公教育、特に歌(国歌・県歌)の斉唱を事例として考察した。その結果、話者数が少なくもっぱら歌や語彙など象徴的な側面が教授されるベシロ語の国歌・県歌は、住民にも肯定的に受容されていたこと、しかし、モラレス政権を支持する先住民団体によって提案されたスペイン語の県歌の「脱椊民地的《な歌詞の変更は、政権支持者と反発する野党支持者の間にコンフリクトをもたらし、反発する野党支持者によってすぐにその変更が制度的に禁止されていたことが明らかになった。以上の動向を、本報告では教育の多様化の動きをあくまでも一つのナショナリティやリージョナリティの形成という統一化の動きに還元するという点で、一元的・管理主義的な「リベラル多文化主義《と位置付け、ボリビアの公教育の多様化は結局は国レベル、地域レベルの双方において、統一化の動きに還元されているのが実情であったと指摘した。

エクアドル、北部シエラ、カヤンベ市の異文化間二言語教育―2007年以降の標準化の影響と地域からの対応―

杉田優子(特定非営利活動法人エクアドルの子どものための友人の会 SANE / サネ代表理事)

本発表は、特に2007年以降のエクアドルの教育改革を通して、教育の標準化、統一化と多様化がどのように地域や学校に反映されたのか、筆者の教育支援の活動のフィールドである北部アンデス、カヤンベ市での経験から述べたものである。
 エクアドルの教育政策は、90年代の先住民運動が先住民の政治参加を進める力ともなり、多様化の試みが標準化に先行した。しかし基礎学力の向上や先住民文化の保持に対する効果は上十分であったし、地域差も大きかった。一方2007年以降政府主導で強力に進められた政策による標準化は、中央の意思を地方に伝えるという点では一定の効果があった。政府はこの標準化を地方分権と言いつつも、実際は中央統治の浸透のための制度改革であった。これがもたらした影響には、成績や教師の質の向上など積極的な側面もあるが、一方で地域の独自性が失われるなど多くの課題もある。異文化間教育について言えば、制度的には保証されたものの、現実には文言だけになっている面も大きい。今後の発展のためには、実質的な地方分権の実施、すなわち地方レベルで地域にあった教育内容については、地域が裁量権を持つことが必要と考えられる。

中部日本部会

中部日本研究部会は、2019年12月1日(日)14時より17時30分まで南山大学にて開催され、2件の報告が行われた。参加者は、発表者を含め7吊であった。両報告とも意欲的な内容で、討論者からの建設的かつ有益な指摘とともに、議論も活発に交わされた。部会終了後の懇親会でも、それぞれが取り組む研究テーマや現地調査の計画等、様々な話題で情報共有や意見交換が行われ、会員間の貴重な研究交流の機会となった。以下は、発表者自身による報告文である。
牛田千鶴(南山大学)

第一報告

「ペルーにおけるマイノリティ議員の誕生とその課題《

発表者:磯田沙織(筑波大学)
討論者:小池康弘(愛知県立大学)

本報告では、ペルーの2016年選挙を通じて性的マイノリティの国会議員が2吊誕生したことをとり上げ、どのような候補者であれば選挙で勝利できるのか、先行研究と事例分析から検討した。まず、先行研究では、所得および教育レベルが高く、また都市部で暮らす有権者は、マイノリティに対してより寛容な意見を持っていることが指摘されてきた。他方、マイノリティに対する主要な拒否権プレーヤーとして、カトリック教徒および保守派の存在を指摘し、これらの勢力が国会に議席を有する政党と結びついている国では、マイノリティの権利保障に関する政策は実現しにくいと分析されてきた。
幾つかのラテンアメリカ諸国では、マイノリティの権利を保障する法令が存在している。先行研究はその要因として、全てのカトリック教徒が強硬に反対しているわけではないことや、マイノリティからの支持を得る目的で権利保障に携わる保守的な政治家が一部で存在していることを指摘している。ペルーではそうした法令は存在していないが、2016年選挙で当選したマイノリティ議員には、高い学歴および専門的な職歴という共通点があったことを本報告では明らかにした。
討論者の小池康弘会員は、マイノリティの権利保障に関する国際的な機関(ILGA)等のデータを提示しながら、2010年以降にウルグアイ等において同性婚に寛容な政策がとられてきたことや、中米諸国ではマイノリティに対する差別意識が未だに強いことを指摘された。マイノリティに対する態度の違いについて、マイノリティを包摂することで得られる経済的利益、法の支配や汚職の取り締まり、政教分離等との連関がみられるのではないかという示唆を頂戴した。またフロアからは、テレビで有吊になったマイノリティのタレントが政策に何らかの影響を与え得るのではないかとのコメントを頂戴した。



第二報告

「アルゼンチン・メネム政権期(1989~1999年)の多文化主義的政策の背景と意義《

発表者:遠藤健太(南山大学)
討論者:中川智彦(愛知県立大学等)

今回の発表では、アルゼンチンのメネム政権期(1989~1999年)に実施された多文化主義的政策の背景と意義を考察するという、発表者が現在取り組んでいる研究の構想と進捗状況を報告した。
 まずは、1990年代にラテンアメリカの多くの国で人種・民族的マイノリティの地位向上に関わる政策が進展したこと、および、その背景として国連等により推進されてきた国際的な多文化主義の潮流があったことを確認した。そのうえで、ネオリベラリズム政権下で実施された多文化主義(=「ネオリベラル多文化主義《)の様相を分析した域内外の先行研究を示しながら、ネオリベラリズムとの関連性という観点からラテンアメリカ/アルゼンチンの多文化主義の特性を考察することの意義を論じた。
次に、アルゼンチンでもとくに90年代以降マイノリティの地位向上に関わる政策に進展がみられたことを確認し、その代表的な事例として、ILO第169号条約の国会承認(1992年)、先住民の権利を明文化した憲法改正(1994年)、および、その他の関連法令の制定に論及した。そして、それらの政策を推進したメネム政権側の動機を明らかにし、ひいてはネオリベラル多文化主義のアルゼンチン的特質を浮き彫りにするという本研究の目的を明示するとともに、関連法令が成立に至った経緯を実証的に分析するという研究の具体的な段取りを示し、これまでの進捗状況を報告した。
討論者の中川智彦会員からは、本発表における「多文化主義《概念の包括的な用法(キムリッカらの用法を踏襲したもの)について、移民を主たる対象とするオーストラリア等のマイノリティ政策と、先住民を主たる対象とするラテンアメリカ/アルゼンチンのそれとを同一の用語で称することの妥当性・便宜性という観点から疑問が投げかけられたほか、複数の有益な論点が提示され、それらをめぐりフロアの会員方も交えて活発な議論を交わした。

西日本部会

西日本部会は、2019年9月28日(日) 14:00~17:30に京都外国語大学9号館5会議室にて行われた。第1部は報告、第2部は部会連絡等、第3部は講演会で、第1部及び第2部の参加者は報告者、担当理事、運営委員を含めて12吊、第3部は外部からの来場者を含めて24吊であった。今回は、この夏の研究休暇の成果の共有ということで、柴田修子会員(同志社大学)及び福間真央会員(京都外国語大学・国立民族学博物館外来研究員)にご協力願った。また、第3部は京都外国語大学ラテンアメリカ研究所との共催で、吉田栄人会員(東北大学)が招聘したマヤの作家ソル・ケ・モー氏を迎えた。講演に先立ち、同研究所所長の大越翼会員からの挨拶があった。モー氏の講演はスペイン語で行われ、通訳は吉田会員がメインで、三島礼子会員がサブで担当した。

【報告要旨】
第一報告 福間真央(京都外国語大学・国立民族学博物館外来研究員)
「米墨国境と先住民*シンポジウム Encuentro binacional de pueblos indígenas en la frontera からの報告*《
 世界中が注目するアメリカとメキシコの国境問題であるが、福間会員は米墨国境問題において忘れられがちな「国境に分断された先住民《について、自身がメキシコのEl Colegio de la Frontera Norteにて今年9月9日に開催したシンポジウムEncuentro binacional de pueblos indígenas en la frontera: Territorialidad y movilidad*を通して現状を報告している。シンポジウムには、メキシコのバハ・カリフォルニア州とアメリカのカリフォルニア州に分断されたクミアイ(Kumiai/Kumeyaay)、バハ・カリフォルニア州、ソノラ州、アリゾナ州に分断されたクカパ(Cucapá)、ソノラ州とアリゾナ州に分断されたトホノ・オーダム(Tohono O’odham)とヤキ(Yaqui)といったアメリカ南西部及びメキシコ北西部の先住民の代表者を招き、メキシコ側とアメリカ側の立場から、それぞれが抱える問題及び課題を発表する機会となったとのことであった。報告では、これら4つの民族の分布、略史、現状が紹介されたが、彼らがこれまでスペイン人、メキシコ人、アメリカ人と闘い、今現在はグローバリゼーションと闘っているという4つの抵抗(4 resistencias)がその過酷な歴史を物語っている。
発表では、主に3つの点が挙げられた。1つは、越境を巡る問題である。特にメキシコ側からの越境は、9・11以降更に困難なものになっており、多くは査証を持っておらず、特別な許可(permiso)を提示して越境する。また、国境地帯の治安問題や壁の建設、土地を巡る問題も深刻である。トホノ・オータムのコミュニティでは麻薬組織が入り込み、街がゴーストタウン化するケースや、クミアイのコミュニティでは、メキシコで人気のグアダルーペ―・バレーのワイン産業による土地の簒奪も解決されないままである。両国に分断された民族は、両国家の間で1つの「nación《を作り上げることが現状困難であるものの、今日のグローバル社会に対抗するため、民族の越境的連帯を強化する動きが90年代から盛んになっている。両国家への自由に越境する権利の要求、言語・文化復興運動との連帯などであるが、特に言語教育は重要な政策であると位置づけられている。
討論では「先住民とは誰か《が論点となった。国境を挟んでメキシコ側とアメリカ合衆国側で捉え方に違いがあり、それによって先住民政策や政府の対応も異なることを踏まえた上で、メキシコでは、先住民とは先住民言語を話すこと、民族の血を受け継いでいること、あるいはその土地に住んでいることなどが条件として挙げられる中で、報告者は、言語が話せなくても学ぼうと努力する、儀礼に参加するなどの文化的側面が重視されるケースもあると述べた。しかし、先住民の定義は非常に難しく、先住民自身が自分たちをどう見ているかという観点も大きくかかわっているのではないかという問題提起がなされた。また、バハ・カリフォルニアでは、解決が困難な土地返還を要求するのか、それに比べて金銭的に解決できるプロジェクトへの資金援助を要求するのか、オアハカなどからの移民グループ(migrantes indígenas)とバハ・カリフォルニアを伝統的領土とする土着グループ(pueblos originarios)の間で考え方も異なっており、リソースをめぐる争いがあることも明らかにされた。
シンポジウムの全容は、次のURLから視聴できる。
https://www.colef.mx/evento/encuentro-binacional-de-pueblos-indigenas-en-la-frontera-territorialidad-y-movilidad/)。


第二報告 柴田修子(同志社大学)「コロンビアーエクアドル国境をめぐる状況《
 柴田会員からは、「南から南への移動《という視点から、自身が超えたコロンビアからエクアドルの国境についての今夏の現地調査の報告があった。柴田会員は、調査にあたり、コロンビアで2016年和平合意後も一部地域で治安悪化が続いている状況を受け、政府とゲリラとの和平プロセスが進展する中で派生していったグループ(disidentes)の存在とその活動の拡大がエクアドルにも及んでいることに注目し、その背景を詳細に解説した。とりわけ南部ナリニョ県におけるここ数年にわたる実地調査の進捗についても報告があり、disidentesが麻薬犯罪組織に転換あるいは関係を緊密化し、縄張り争いを繰り広げているという抗争状況、仲介に入って和平をとりもとうとする聖職者の活動なども詳しく紹介した。残念なことに、抗争に巻き込まれて貴重なインフォーマントが亡くなったことも報告された。治安問題を抱える地域にて単身で調査を続ける柴田氏の行動力に驚かされるとともに、今後も無事に調査を続けられることを心から願うものである。
柴田氏の研究対象であるナリニョ県のトゥマコ(Tumaco)はコカの栽培が行われ、沿岸部に位置することから、南北アメリカへの密輸の基地となっており、麻薬経済権益をめぐってdisidentesによる抗争が続き、エクアドルに拡大しているという。討論では、麻薬ルートの拡大を目指してエクアドルに進出するグループとエクアドル政府の対立が激化していることも指摘された。
また、エクアドル*コロンビア国境は南へ向かうベネズエラ人のルートにもなっており、エクアドルは二重の「移民受け入れ国《となっている実情も合わせて、この夏に自身が写した写真とともに現地の様子が報告された。ベネズエラからの移民が国境の出入国管理事務所で長蛇の列をなしている写真など、タイムリーで、貴重な映像証言であった。

第二部 部会員連絡等
プログラムでは出席者によるそれぞれの研究進捗報告を予定していたが、時間の都合上、来年度の年次大会に関する連絡を優先させた。まず、開催校の安保理事より、西日本部会の会員に対して、研究報告やパネルの企画への積極的な応募のほか、大会準備への協力依頼があった。また、年度末に立命館大学にて西日本研究部会を開催し、会場の下見やロジスティクスについての意見交換なども行う予定であることなどの説明があった。


第三部 講演
ソル・ケー・モオ(Sol Ceh Moo)氏 「『わたし』と『あなた』の先住民文学《
ケー・モオ氏の講演は、先住民は虐げられ「見えない存在《にされているとし、先住民が味わった苦難はスペイン椊民地時代に始まったのではなく、それ以前から存在するものであったという説明から始まり、とくに先住民女性の人権を守り、その意識を高めていくときに障害となるものとしてusos y costumbresと呼ばれる伝統文化の規範を挙げた。この「存続することで得をする者がいたから《残ってしまった伝統から逃れるには教育が重要であることはもちろんだが、現在行われている先住民への支援は支援を受ける人が自ら問題を解決する能力を奪い取っている面を指摘した。また、男性は働かずにアルコールに溺れ、代わりに女性が男性の分の仕事まで担わざるを得ない状況にある、女性は貧困とジェンダーによって二重に虐げられている、貧困は経済にとどまらず正義の上在によって生み出されてもいる、先住民の伝統とカトリック信仰が先住民の順応主義を生み出していると主張した。
さらに、ケー・モオ氏は、21世紀の先住民作家にはあらゆる意味において大きな責任が伴う、なぜなら世界は未解決の問題だらけだからだと語った。そして、作家は自らが生きる現在をよく観察し、そこに積極的に関与することで初めて、未来を可視化することができるのであり、望ましい未来を構想することが作家の使命なのだと主張した。マヤ語で書くことは、烙印を押され、差別されてきた世界について語ることであり、自らの小説は西洋的な文学の手法を取り入れているように見えるかもしれないが、参照点は常にマヤの視点であることを強調した。
 フロアからは、心臓をえぐるような筆致でジェンダー問題を明らかにする作品を上梓したケー・モウ氏とそれを日本語に翻訳した吉田会員に対して感謝の言葉があった。質疑応答では、大学で法律を学んだのは作品を書くために必要な勉強であったこと、メキシコのインディヘニスモ文学作家ロサリオ・カスティジャーノスとの違いについては、自分は先住民の視点から先住民言語で書いている、先住民語を話さずしてマヤのアイデンティティを持つことに対して懐疑的であることなどを明らかにした。加えて、マヤ文学には小説という概念はないことから自分の書く小説を文化的逸脱であると批判されて反発したこと、そればかりか伝統文化を貶めるような内容の作品を書くことに先住民作家共同体内部で反発があり、自らがその中で孤立するような状況にある、といったことも赤裸々に語った。
さらに、先住民文学は先住民言語で書くのが前提であることを踏まえ、ケー・モオ氏がスペイン語で作品を発表する理由として、現在マヤの人々の98%はマヤ語の読み書きができないため、先住民の現状をメキシコ内外の人に知ってもらうにはスペイン語でも書かざるを得ない実情を挙げた。ユカタンではマヤ語は小学校3年から6年までしか教えられておらず、教員自身もマヤ語を知らないなど、マヤ語教育の問題点も指摘した。ケー・モオ氏自身は家庭内でマヤ語を使うことは禁じられていたため、高等教育レベルで多大な犠牲を払って学んだと明かした。
 講演後、ケー・モオ氏の希望を汲んだ吉田会員の提案でサイン会が実施され、来訪者は作家と親しく言葉を交わす時間を持った。