研究部会報告2022年

東日本研究部会 中部日本研究部会西日本研究部会

東日本部会

2022年4月16日(土)13:30から15:30まで、オンライン(Zoom)で開催され、2件の研究報告があった。開催告知とリマインダーを学会メールで配信した結果、23名の事前申し込みがあり、当日は登壇者を含め第1報告に18名、第2報告に21名が参加した。討論者と参加者からは多様な視点からのコメントと質問が寄せられ、活発な議論が行われた。オンラインによる研究部会の開催もすでに4回目となる。コロナ禍への対応として始まった方式だが、地域を越えてじっくり議論できることのメリットはたいへん大きいというのが2年間担当して得た感触であった。
岸川毅(上智大学)

〈個別報告1〉
「ブラジル・リオデジャネイロ州の治安政策と「警察の介入による死者数」の変動(2007‒18年)

発表者:安良城桃子(東京大学大学院博士後期課程)
討論者:奥田若菜(神田外語大学)

本報告は、2007年から18年のリオデジャネイロ州における「警察の介入による死者数」(以下、死者数)の変動に着目し、同州の治安政策の変容が影響したと結論づけた。死者数のデータは、公安等を担う職務中もしくは職務を理由とし、正当防衛などの違法性阻却にあたる行為を指すとされるが、その実態には警察から市民に対する過剰な暴力が含まれると批判されている。本報告では、2008年以降導入された政策であるUPP(Unidade de Polícia Pacificadora)が、死者数の変動に一定の影響を与えた可能性を検討し、治安政策の変遷の背景を考察した。
討論者からは、犯罪の傾向と死者数の関係、ブラジルにおけるリオデジャネイロ州の事例の位置付け、警察官と地域住民の間の単なる対立には留まらない関係等についてコメントがあった。参加者からも、サンパウロ州や中南米諸国の事例との関連について等質問が寄せられた。

〈個別報告2〉
「DXによる農村コミュニティ開発の可能性~グアテマラのコーヒー零細農家の事例」

発表者:菊地隆男(ユニコインターナショナル株式会社/東京大学大学院博士課程)
討論者:清水達也(アジア経済研究所)

デジタルトランスフォーメーション(DX)は、生産性向上の機会をもたらすと同時に、デジタル・ディバイドにより貧困格差が広がるダウンサイドリスクを有している。発表者はグアテマラの零細小規模コーヒー農家を取り上げ、背景を含め包括的な視点で、スマートフォンとアプリの普及によるネットワークとデータ駆動型農業の可能性について、途中報告を行った。
討論者からは、問いと構成の明確化など今後の論文執筆のためのアドバイスがあった。また、改善し得る先住民なりの選択肢について質問があり、発表者からは、自給自足で閉じた世界でなく、市場とつながり現地で家族と暮らしつつ、雇用を創出する開かれたものだとの説明があった。加えて、想定し得るリスクに対するDXの貢献、DXの利便性と個人がコミュニティに関与する動機、DXがジェンダーの面でコミュニティに及ぼす変化、技術が有する思想とコミュニティの関係について質問とコメントが寄せられた。

中部日本研究部会

2022年5月7日(土)の14時から17時まで、オンライン形式で開催された(Zoomミーティング)。2件の報告があり、それぞれの報告に対し討論者からコメントがなされた。参加者は計22名であった。以下は各報告の概要である。発表者から1時間ほどの報告がなされた後に、コメント、質疑応答が行われた。また、部会終了後には懇親会が実施され、情報交換が行われた。
渡部森哉(南山大学)

〈第1報告〉
「ジェンダー・人権・社会運動――アルゼンチンの事例を中心に」

発表者:杉山知子(愛知学院大学)
討論者:渡部奈々(獨協大学)

21世紀に入り、アルゼンチンでは女性大統領が誕生し、女性議員数も着実に増加、ジェンダー平等や性の多様性についての政策が進められてきた。なかでも、2021年1月の人工妊娠中絶法の施行は注目に値する。本報告は、それまでの経緯として、アルゼンチンにおける人権をめぐる歴史的背景、2000年代から2010年代におけるフェミニスト運動の拡大、中絶法案可決までの経緯と評価を中心とした。
アルゼンチンの経済危機・混乱後に発足した左派のネストル・キルチネル政権(2003–2007)・クリスティーナ・フェルナンデス政権(2007–2015)では、軍政期の人権侵害を免責とする法律や恩赦の無効化、貧困層への経済・社会的支援、同性婚合法化など広く人権政策を実施していった。同時期、フェミニスト運動が活発となり、2005年には、合法な中絶の権利のための全国キャンペーンの活動が組織化され、女性のための中絶・性・生殖についての権利を訴える運動が本格化した。2015年には、少女暴行・殺害事件が発端となり、女性に対する暴力や差別に反対するNi Una Memos運動となり、他のラテンアメリカ諸国でも同様の運動が見られるなど波及効果があった。
2015年に発足したマクリ政権期には、人権としての女性の権利、ジェンダー政策の重要性が社会的課題となり、議会において中絶法案が審議された。SNSを活用したフェミニスト運動が全国的に展開されたとは言え、2018年の法案は上院で否決された。しかし、2019年発足のアルベルト・フェルナンデス政権では、正義党が議会の多数派であり、2020年末に中絶法案が可決、翌年が施行となった。アルゼンチンでは、フェミニスト運動が広がりを見せ、政策課題に影響を与えたといえる。大統領府・議会において女性の活躍が進んでいるものの、ジェンダー政策の取り組みやその成果については、国レベル・地方レベルでの分析・評価についての検討が必要である。
討論者の渡部奈々会員からは、アルゼンチンのフェミニスト運動と他の運動や諸外国のフェミニスト運動との連携関係、2010年の同性婚法、2012年の性自認法をめぐるカトリック教会と政府との緊張関係、アルゼンチン社会における中絶に対する意識調査についての言及があった。質疑応答では、馬場香織会員からメキシコの例と比較し、ジェンダー政策について国レベルと地方レベルにおける現状、首都における先行的取り組みの有無についてコメントがあった。奥田若菜会員からは、SNSを通じて韓国やポーランドと連携しあうブラジルのフェミニスト運動の事例紹介があった。アルゼンチンの事例を超えラテンアメリカのフェミニスト運動やジェンダー政策の取り組みと課題について議論が発展し、大変有意義であった。

〈第2報告〉
「ブラジル人集住地域に暮らすブラジル人の子どもの健康」

発表者:大谷かがり(中部大学)
討論者:渡会環(愛知県立大学)

 本発表では、2009年から2021年までの、日本のブラジル人集住地域でのブラジル人の子どもの健康相談を事例に取り上げ、そこから浮かび上がったブラジル人集住地域で暮らすブラジル人の就労や生活について述べ、日本で移民がどのように統合されていくのか/移民統合はなされるのかについて考察した。
まず先行研究では、日本に滞在するブラジル人を定住しない、移動を続ける人びと[Linger2001]、地域や行政から「顔の見えない」存在[梶田他2005]と論じていることを確認した。発表者が2003年から2021年まで断続的に行ってきた愛知県豊田市のブラジル人集住地域でのフィールドワーク調査によって、2008年以降に豊田市では大勢のブラジル人が失業し、地域や行政から「顔の見えない」状態が続いていることを報告した。2009年から2021年までの、ブラジル人学校の児童生徒や不就学の子どもを対象とした健康相談から、保護者は仕事を得るために移動を繰り返し、子どもの生活状況は落ち着かず、子どもの健康は家庭の事情に影響を受けること、保護者は疲れているが、サポートを受けることにためらう方もいることを報告した。ブラジル人集住地域のブラジル人の保護者は常に子どもの健康状態を危惧しているが、特にブラジル人学校に通う子どもや、不就学の子どもについては、保健医療サービスが不足しており、保護者の不安定な雇用状況や日本語の習得状況、日本でのCOVID-19の感染拡大が、医療アクセスへの障壁となっていることを指摘した。集住地域に暮らすブラジル人は、受けたいサポートを選択し、サポートする人たちを介して、日本の地域社会のつながりたい部分だけにつながっているのではないかと考察した。2019年4月に出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部が改正され、単純労働分野への外国人労働者の受け入れが拡大され、今後もブラジル人住民は増えると予想される。集住地域のブラジル人はLinger[2001]が指摘したようにトランスナショナルな存在であり続けており、日本で移民として統合がなされていくのかについては、今後の動向に注視しながら考え続けていきたい。
討論者の渡会会員からは、ブラジル人社会の階層性についての指摘をいただき、この視座によってサポートを選択して受けることの新たな意味が浮かび上がった。発表者にとって大変貴重で有意義な議論であった。なお、本発表は科学研究費(20K01199)による研究成果の一部である。


西日本研究部会

2022年4月24日(日)14時より17時までオンライン形式で開催された。発表者は2名で、それぞれに討論者がついた。参加者は22名(参加申込者は23名)。発表はともにペルーの先住民族に関する文化人類学的研究だったため、アンデス地域や文化人類学に関心をもつ会員が多く参加した。討–35–論者のコメントの後、質疑応答もさかんに行われ、充実した研究部会となった。会の終了後も発表者、討論者、一部の参加者の間で議論が続いた。以下は各報告の概要である。
鈴木 紀(国立民族学博物館)

〈第1報告〉
「パンデミック下での先住民シピボ㽍コニボの実践Comando Maticoに関する予備的考察――植物と社会運動に着目して」

発表者:神崎隼人(大阪大学)
     討論者:近藤宏(神奈川大学)

 ペルーが新型コロナウィルス感染症(以下COVID-19)の感染拡大の深刻な地域であることはよく知られている。アマゾニアの熱帯雨林地域(セルバ地域)では特に十分な医療サービスもなく、先住民社会への被害は深刻であった。そうした中、先住民シピボ㽍コニボは草の根的な治療実践Comando Maticoを立ち上げた。本報告はこの実践にかんして情報を整理し共有すると共に、予備的な考察を与えるものである。
Comando Maticoとは、シピボ㽍コニボの若者が中心となって立ち上げたグループである。彼らは、行政による対応の不十分さと自らアクションする必要性を認識し、COVID-19拡大のなかで生物医療サービスにアクセスできていない人々を主とした対象に、自ら「伝統医療」と認識する「マティコ(Piper aduncum)」と呼ばれる植物を使った治療法と、生物医学的な治療法とを組み合わせて用いていた。
本報告の研究方法は、オンライン上の資料の収集と分析であった。現地調査はCOVID-19の影響により難しかったためである。しかし、Comando Matico自体がソーシャルメディアで実践を発信する等、オンライン上で積極的に活動している。つまりこの方法は現地調査の単なる代替案とは言えず、彼らの実践を捉える重要な方法であることが指摘された。分析から、Comando Maticoの目的や動機、メンバーの特徴をまず明らかにした。アーティストや活動家、バイリンガル教師や歯科医と、多様な背景を持っていたメンバーが、まずはリマ郊外のシピボ㽍コニボの集住地域での感染拡大に、ウカヤリ県からマティコを送ることから始まった。しかし、彼らの目的や理念は、伝統的医療と近代的医療との接合や、文化や精神のあり方を含むような包括的な「健やかさ」の追求といった、広い展望も持っていたことが明らかになった。その上でマティコ植物に焦点を移し、この実践の「実験的で探究的な知識の創出」という側面に光が当てられた。メンバーは以前からよくマティコを知っていたのではなく、むしろCOVID-19以後に、様々な方法でマティコ植物に行き着き、それに関して自ら調査し、知識を深めていったのである。そして、COVID-19において立ち上げられたものの、ComandoMaticoは1980年代から持続しているシピボ㽍コニボの植物と先住民運動の深い関わりという文脈に位置づけられると指摘された。彼らの運動は在来の植物との関わりを通じて広い「健やかさ」を探求する持続の中にあったのである。
討論者の近藤宏会員からは、まず制限のある中での予備的な調査の意義が評価された。また、COVID-19下のアマゾニアにおける、他の先住民社会の対応事例などが示され、Comando Maticoを比較の視点から理解する可能性が提案された。フロアからは、ペルーにおけるCOVID-19の状況にかんするさらなる情報共有や、本報告の分析手法についてのさらなる議論があり、幅広いジャンルの活発な議論が実現できた。

〈第2報告〉
「アンデスの存在論~山・人・動物・風の連続性と複合性~」

発表者:上原なつき(名桜大学)
討論者:河邉真次(大阪経済大学)

 本発表では、ペルー・アプリマック県およびアレキーパ県で冥界とされる山、アプ・コロプナに関する神話および人類学的データから、存在論的人類学で用いられる「生成」の概念をもとにアンデスのコスモロジーについて検討した。2010~2019年にアプリマック県およびアレキーパ県で実施したフィールドワークで得たデータと、同じく両県にてアプ・コロプナに関する神話を収集したバルデラマとエスカランテ[1980;1997]のデータを元に考察した。
現地の人々からアプ・コロプナと呼ばれているコロプナ山はアレキーパ県に実在する標高約6,400mの雪山であり、インカ期から信仰されている山である[シエサ・デ・レオン1979]。アプとは人間および動物を庇護する存在であり、一般的には「山の神」と訳されるが[細谷1997:39]、オルギンの『ケチュア語辞典』には「偉大な紳士、最高裁判官、最重要な貴族、唯一のアプ、王」[Holguín1989:31]とある。神話によると、アプ・コロプナとワルカ・ワルカ山の投石合戦をきっかけに、人間が投石合戦の祭りをするようになったという[EscalanteyValderrama1997:33–34]。クスコ県では現在も投石合戦の祭りが行われているが、死者が出ればアプおよびパチャママが受け取ったとして吉兆とされる[ValenciayValencia2003;上原2015]。また、アプ・コロプナに対してもかつては生贄の儀礼が行われていたと現地の人々は語る。しかし、生贄など多大な犠牲を払っているのは人間だけではない。アプリマック県チャルワンカ村では金銀の鉱脈はアプの血管および心臓であるという。つまり、アプも自らの身体を人間に分け与えるという多大な犠牲を払っている。アプの心臓では現在もインカ王らが生きているとコルカ谷では語られる[Escalantey Valderrama1997:156–158]。インカ王にはアプの超越的力が付与され、身体の一部としてアプとインカ王は一体化する。アプと人間の一体化はそれだけでなく、人間は生まれた瞬間、アプに捕まり代父母関係が結ばれ、アプの性格が人間に付与される[Escalantey Valderrama1997:104]。つまり、人間自身もアプの性格を分有することにより、アプと一体化した存在となる。その他にもいくつかの神話を検討した結果、山と人間は連続性を持った複合的存在であり、不可分な存在であると考察した。山と人間は不可分であるものの、儀礼、互酬関係、代父母制、神話を語るという実践によって山を対象化することでその連続性から切り離し、同時に自らも人間としてその存在を生成する。すなわち、山と人間がそれぞれ所与の存在としてあるのではなく、連続性を持った不可分の存在からその都度、両者が生成されると結論づけた。
討論者の河邉会員からは、存在論からの検討など意欲的な研究ではあるものの、構築主義的ではないかとのコメントをいただいた。フロアからは牧畜民の共同体ではこのようなコスモロジーは見受けられないとのコメントもいただいたので、今後さらに検討したい。