第40回定期大会(2019) 於:創価大学

2019年6月1日(土)~2日(日)、創価大学において、第40回定期大会が開催された。非会員(一般参加者)を含め約120名の参加となった。
 記念講演では創価大学副学長のマリア・グアハルド教授が、“Problemas y desafíos para los latinos en los Estados Unidos: lo que nos une, lo que nos divide, el liderazgo requerido”と題して、メキシコ系アメリカ人として生まれ育ち、米国内でラテン系移民への軋轢が強まっていた時代にハーバードで学んだ経験など自身のライフヒストリーにもふれながら米国におけるラテンアメリカ移民の現状と課題、そこで問われるリーダー像について論じた。また人類学、文学、教育、開発など8つの分科会、映画セッションならびに5つのパネルディスカッションなどが行われた。さらに記念シンポジウムでは、「ラテンアメリカ研究ー地域性と学際性を架橋する経験から導かれるもの」と題し、人類学、政治学、歴史学、先住民文学、考古学などの専門家が登壇し、各人のラテンアメリカとの関係性、学際研究の可能性などについて論じ合った。
 約60名が参加した懇親会では、創価大学ラテンアメリカ研究会フォルクローレ・グループの学生がボランティアで楽曲を演奏し、花を添えてくれた。
今回の定期大会から大会担当理事というサポート体制が組まれることとなったが、獨協大学の浦部浩之理事、専修大学の井上幸孝理事にはプログラム作成の過程から様々なご協力を頂いた。また創価大学文学部、経済学部、教育学部の教員ならびに学生が大会運営を手伝ってくれたこともあわせて報告するとともに、大会当日まで準備・運営に関わられたすべての皆様にこの場を借りて心より御礼申し上げたい。

第40回定期大会実行委員長
井上大介(創価大学)

記念講演

“Problemas y desafíos para los latinos en los Estados Unidos: lo que nos une, lo que nos divide, el liderazgo requerido”(「米国におけるラテン系移民の課題と挑戦―我々を結びつけるもの、分断するもの、必要とされる指導性」)

Dra. María Guajardo (Universidad Soka)

本記念講演では、劇的に変化する米国におけるラテン系移民の現状と課題をテーマとし、そこにおける政治、経済、教育による移民の分断やそれに抵抗する移民間の連帯について考察した。メキシコ系移民として米国で育ったグアハルド博士自身の経歴についても言及があり、特にハーバード大学進学時におけるラテン系移民への社会的圧力、それに対するラテン系学生の運動などについても実体験を交えて論じていただいた。また自身が心理学を専攻しようとしたときの家族の反応や、ラテン系移民として米国で高等教育をうけた意義についても言及がなされた。さらには米国における新たな移民排斥の傾向や、移民間の分断、具体的には米国生まれのラテン系移民とそれ以外の対立などの事例についても紹介がなされたとともに、そのような対立や分断が一つの家族の中に生じることの難しさについても語っていただいた。後半は米国で教育をうけたラテン系移民を含む今後の指導者のあり方について言及がなされ、会場の参加者とのディスカッションが展開された。
井上大介(創価大学)

分科会

分科会1 人類学

司会 生月亘(関西外国語大学)

本分科会1、人類学では、3名の会員による研究発表があった。岩村健二郎会員は、「キューバの現代文化に関する文化表現の課題」について、鈴木紀会員は、「ラテンアメリカ諸国の博物館に見られるの『アルテ・ポプラル』の解釈の課題」について、遠藤健太会員は、「ラテンアメリカ諸国の国勢調査の問題」に関しての発表であった。
 国やテーマは、異なるものの、ラテンアメリカが共有するスペイン植民地による歴史の中にあって、文化と政治、民族やエスニシティの定義と文化の表象の在り方などが、現代においてどのように実践及び、解釈されているのか、人類学的に非常に重要なテーマであった。時間制約のため、討論の時間が限られていたが、参加者の関心も非常に高く、今後もっと「現代文化の表象やエスニシティ」の課題などに関して、分野や国を交差させて考察し、是非とも議論を共有していきたい分科会であった。
 各発表者の報告は以下の通りである。

〇「『文化』の理論と実践─キューバの事例研究から考える」
岩村健二郎(早稲田大学)
[討論]工藤多香子(慶應義塾大学)

近年のキューバにおける二つの文化表現について例示し、バトラーらの発話行為論を参照しながら文化実践の自律性について考察した。一つは、キューバのポピュラー音楽におけるヒップホップ・ムーブメントの一事例。日本にも紹介されたドキュメンタリーの主人公の活動が、米国の国際開発庁によって支援されていたスキャンダルを中心に、「反体制」の発話について分析した。もう一つは1871年に植民地政府によって銃殺刑に処された8人の医学生を悼む「国家的」な追悼祭について。近年ある「伝統的」な「アフリカ系」の結社が、医学生を救おうと蜂起し殺害されたとされる無名の構成員を顕彰しようと「自主的」な追悼集会を始めた。それら行為が持つ意味や可能性を、集会を最初に企画したマリオ・カスティージョの論を中心に分析した。が、いずれも「思想の自由市場」のあり方の差異をいかにコンテクスト化するかについて未熟な部分があり、今後の課題としたい。

〇「博物館の中のアルテ・ポプラル」
鈴木 紀(国立民族学博物館)
[討論]井上幸孝(専修大学)

本報告では、アメリカ合衆国、メキシコ、ペルー、パラグアイ、アルゼンチンでアルテ・ポプラルを展示する5つの博物館を比較しながら、アルテ・ポプラルの制作者のエスニシティはなにか、アルテ・ポプラルの起源はどこにあるかの2点を検討した。エスニシティに関しては、アメリカとメキシコの博物館ではアルテ・ポプラルに先住民族の作品も含めているのに対し、ペルー、パラグアイでは含められていない。起源に関しては、アメリカとメキシコの博物館では先スペイン期起源を想定しているのに対し、ペルーとパラグアイでは植民地時代を想定していた。アルゼンチンの博物館は、いずれの問いにも答えを明示していないが、アルテ・ポプラルとしてもっぱらクリオージョ文化を表象する作品を展示しているため、ペルー、パラグアイに近いと推測される。
 この差異は、国によって、先スペイン期の文化遺産を評価する態度や、先住民族の社会的地位が異なっていることを反映していると、ひとまず想定してみたい。しかしより正確には、各国においてアルテ・ポプラル概念がどのように受容され、変化してきたのかを検討する必要がある。

〇「多文化主義時代のラテンアメリカ諸国の国勢調査にみる人種的自画像の比較分析」
遠藤健太(南山大学)
[討論]石田知恵(早稲田大学)

本報告では、2000年代以降のラテンアメリカ諸国の国勢調査において生じている、人種・民族の自己認識に関する質問項目の導入という傾向に着目し、それらの調査の実態と背景を考察した。具体的にはエクアドル、ボリビア、ベネズエラ、アルゼンチンの4か国を事例として取り上げ、質問票や集計結果を比較分析しながら、各国政府の描こうとする国民的自画像や、各国政府と国内の人種・民族集団との関係などが、国勢調査のありようとどのように関わっているかを論じた。また、質問票の文言や選択肢の設け方などによって各国の「人種・民族構成」が恣意的に左右され得ているさまを示し、これらのデータを読み解く場合の留意点などを指摘した。討論者およびフロアからは、アルゼンチンの現状を「多文化主義」の文脈に位置づけることの妥当性や、先住民やアフロ系の社会的地位をめぐる国際的な潮流と各国の国勢調査のありようとの関連などについて、多くの有益な質問・コメントを受けた。

分科会2 文学①

司会 中井博康(津田塾大学)

分科会2では、ラテンアメリカを舞台とした近年の「暴力の小説」をめぐって、2つの報告が行われた。まず、Danilo Santos 報告では、Peter Elmore や Jorge Eduardo Benavides らによるペルーの犯罪小説において、リマがどのように表象されているかが検討された後、ブラジルの Paulo Lins による Ciudad de Dios (1997) およびチリの Daniel Plaza による Desierto (2018) と、日本の桐野夏生『OUT』(1997) および吉田修一『悪人』(2007)との比較を通じて、断片化の進む現代社会では社会階層を表象することがより困難になっていることなどが示された。討論者およびフロアからは、主に社会問題と文学(あるいは文学性)の関係などについて意見が交わされた。続く Ingrid Urgelles 報告では、コロンビアの Evelio Rosero による Los ejércitos (2007) と メキシコのAlejandro Páez Varela による Corazón de Kaláshnikov (2009) という2つの対照的な小説を例に、「暴力の小説」における小説内空間と現実社会の関係や語り手の機能などが考察された。討論者およびフロアとの間では、特にドキュメンタリーとフィクションの境界について質疑応答が展開された。
 分科会への参加者は6名ほどにとどまったが、報告者が1名欠席したこともあり、報告・討論ともに十分な時間を使って行われ、フロアとの間の質疑応答も活発であった。各報告の要旨は以下のとおりである。

○ “Las voces de los personajes en la narrativa chilena actual con tema de violencia urbana, una comparación con textos literarios japoneses de los últimos veinte años (1998-2018)”
Danilo Santos López (Pontificia Universidad Católica de Chile)
[討論]Ingrid Urgelles Latorre (Pontificia Universidad Católica de Chile)

La novela de la violencia encuentra una de sus formas en la explicitación de las voces de los personajes de ficción. En primer lugar se observa la representación de Lima como capital del agravio social y “ciudad de la desesperanza” en novelas de los años noventa y dos mil de los escritores peruanos Peter Elmore y Jorge Eduardo Benavides. Esta primera parte de la ponencia muestra a personajes de clase media y otros de clase precaria asediados por agresiones que en Elmore se vinculan directamente con el Estado que encubre el crimen a través de unos restos descuartizados que aparecen dispersos por zonas de la ciudad. Mientras que en Benavides, la clase media y el gobierno no pueden proteger a las clases populares que subsisten de mal modo en las barriadas de Lima. En segundo lugar, se observa la presencia de la configuración de la violencia en novelas latinoamericanas como Ciudad de Dios de Paulo Lins (Brasil) y Desierto de Daniel Plaza (Chile) pero también en novelas japonesas policiales como Out de Natsuo Kirino y El hombre que quiso matarme de Shuichi Yoshida. Así, a fines de siglo XX e inicios del siglo XXI, la fragmentación capitalista invade el relato marginalizado / criminal y produce una fractura desde el lugar de la representación de clase y estructura social. De este modo, el relato de la violencia japonés y el latinoamericano se muestran como narrativas resquebrajadas porque los inunda la amenaza en la configuración del relato global y complejiza la noción de clase social. La voz de los personajes reconstruye un tenue hilo social en consonancia con la fragmentación de la actualidad y obedece al salvajismo de esa articulación corporal hecha pedazos que se representa en voces y perspectivas multiplicadas.

○ “Espacios de destrucción y descomposición en la narrativa mexicana y colombiana reciente: Los ejércitos (2007) de Evelio Rosero y Corazón de Kaláshnikov (2009) de Alejandro Páez Varela”
Ingrid Urgelles Latorre (Pontificia Universidad Católica de Chile)
[討論]Danilo Santos López (Pontificia Universidad Católica de Chile)

La ponencia estudió la representación del espacio ficcional en dos novelas de la violencia latinoamericana recientes. Se concluyó que presentan estrategias textuales diferentes en el modo de representar el conflicto. En el caso de Páez Varela, la narración omnisciente localiza la acción y personajes en Ciudad Juárez. La ciudad ficcional remite a otra que exige una identificación del lector pues su representación coincide con el texto cultural que han construido diversos discursos sociales: Juárez la fea, lugar de feminicidios, vicios, frontera con el primer mundo y basurero. El caso de Rosero, los procedimientos implican una mayor estetización, como la elección de un narrador homodiegético para representar la acción novelesca. Lo mismo ocurre con el espacio: la localidad de San José no tiene un referente extratextual directo, sino que se trata de un espacio inventado que además es descrito desde la conciencia envejecida y distorsionada del personaje-narrador. Como reflexión final, interesa explicitar distintas posibilidades de leer lo real en los textos y promover una interpretación ideológica. El relato de Páez precipita una lectura casi documental testimonial, homologándose a los productos sociales. El de Rosero, eclipsa el referente, pero aun así no puede evitar el acecho de lo contextual en el relato.

分科会3 政治と社会

司会 岸川毅(上智大学)

本分科会では3人の報告者が、ゲバラ訪日の外交史上の意味、ペルーの国民投票をめぐる政治過程、チリの選挙制度改革と政党政治についての報告を行い、のべ約20人の参加者があった。各報告の概要と、討論者によるコメントおよび質疑応答の内容は以下のとおりである。

〇「La visita de Ernesto Guevara vista desde los archivos diplomáticos」(外交史料から見たエルネスト・ゲバラの訪日)
ロメロ・イサミ(帯広畜産大学)
[討論]小池康弘(愛知県立大学)

本報告では、エルネスト・チェ・ゲバラの訪日(1959年7月)を取り上げ、日本、キューバ、米国などの外交史料分析に基づいて、その実態を再検討した。西洋言語で書かれた伝記では、ゲバラの訪日は、ほとんど取り上げられていない。一方、日本人が書いた伝記では、日本側がキューバ使節団を軽視していたことが指摘されている。しかし、外交史料を分析すると、日本側はキューバの使節団の訪日を重視していたことがわかった。1952年以降、日本政府はバティスタ政権が行なっていた差別待遇を撤廃することを模索していたが、最終的にキューバ側が応じなかった。この状況を変えたのがキューバ革命の勝利である。革命政府は貿易協定の締結に前向きであった。ただし、外交史料から、同じ目的を模索していたものの、日本側の情報不足、ゲバラの外交経験不足、またゲバラの読みにくい性格が最初の接触を大きく左右したことがわかった。

〇「ペルーにおける国民投票に関する一考察」
磯田沙織(筑波大学)
[討論]舛方周一郎(神田外語大学)

本報告では、ペルーにおいて2018年12月9日に実施された国民投票を取り上げ、その事例分析を通じて、大統領、議会、有権者の関係性について考察した。先行研究は国民投票を、有権者のイニシアティブによるものと、統治者のイニシアティブによるものに区別し、後者の場合は統治者による演出的側面が強いことを指摘している。では、本報告で取り上げているように、議会が大統領の意図に反した修正を憲法改正案に施した場合も、演出的な手続きとして分析できるのであろうか。
ペルーの大統領は2018年8月1日に4項目の憲法改正案を議会に発議したが、議会がそのうちの1項目を修正したため、その項目を否決するよう大統領が国民に呼びかけた結果、その項目のみが圧倒的な得票率で否決され、他は賛成多数で承認された。この投票結果を分析し、大統領が自身に対する高い支持率を背景に国民投票を利用したのではないかという結論に達した。

〇「2017年チリ選挙─選挙制度改革はどこまで政党制を変えるのか─」
浦部浩之(獨協大学)
[討論]安井伸(慶應義塾大学)

2017年のチリ選挙では、新興の政党連合である拡大戦線が伸長し、また28年間にわたり維持されてきた中道左派の政党連合が初めて分裂するとの注目すべき現象が生じた。二大勢力の拮抗を常態化させる効果のあった従来の選挙制度が抜本的に改革され、一選挙区の定数が大きく拡大されたことで、少数派による議席獲得の可能性が高まったからである。これにより今後のチリの政党制が大きく変わるとの予想もある。ただ、地方に目を転じると状況はやや異なる。すなわち、地方選挙ではかねてから大多数の選挙区で6人以上が当選する大選挙区制がとられているが、その下で既存の政党連合は内部に複数の疑似政党連合を構築する巧みな選挙戦術を重ねてきており、その態勢は2017年選挙でも全く変わっていない。また個人人気への依存が強い拡大戦線は、組織政党としての基盤はまだ弱い。チリの既存政党が育んできた組織力と各党間の協力関係はいまだに強固であり、選挙制度改革がチリの政党制を変質させるかはまだ明らかでない。

以上の報告それぞれに対して、討論者によるコメントと報告者からの応答があり、会場の参加者を交えた議論が行われた。ロメロ報告(報告はスペイン語、質疑応答は日本語)に対しては、討論者の小池会員より、これまであまり研究されてこなかった日本・キューバ関係の一幕を明らかにしたことの意義とともに、G. アリソンの外交政策モデルを適用することで分析が深まる可能性が指摘され、会場からは、日本の首相たちがどこまでキューバの重要性を意識していたのかを問う意見が出された。磯田報告に対しては、討論者の舛方会員より、国民投票における一院制から二院制への提案の否決は直前の大統領の言動のみが要因ととらえてよいのかという質問や、フジモリ政権とポスト・フジモリ政権の比較・連続したリサーチ・デザインの提案などがなされたほか、会場からは、議員の連続再選禁止の効果について質問があった。浦部報告に対しては、討論者の安井会員より、報告の基本認識に大きな異存はないものの、チリでは古い政治と新しい政治の分離があり(「二つのチリ」という議論)、前者のスタイルにとどまる既成の政党連合の将来についてはもっと悲観的に見ているとのコメントがあり、浦部会員から、民政移管選挙以来これほど重鎮政治家の落選と初当選議員の当選が見られた選挙はなかったとの補足説明があった。3つの報告はそれぞれ異なる分野・テーマを扱う興味深いものであった。各報告に対して討論者から重要な論点を引き出すようなコメントや提案がなされ、会場からの質問も受けながら、短い時間ではあったが建設的な議論が交わされた。

分科会4 教育

司会 浅香幸枝(南山大学)

本分科会「教育」には約22名が参加し、活発な議論が行われた。教育というテーマであったが、メキシコ、グアテマラ、ブラジルにおいての事例を方法論もその射程範囲も実に多様な報告であった。
「メキシコ市におけるストリートエデュケーション実践の構造」、「言語学習によるアイデンティティとライフコースの変容」、「進歩のための同盟下の教育開発援助と政治」の3本の報告とそれに対するコメントがあった。いずれも大変興味深いものであった。どの報告も地域研究として現地調査を基盤とするものであったが、国際社会の中での位置づけが重要なのではないかと率直な感想を持った。なぜならば、ラテンアメリカ地域だけの事象ではなく、他の地域においても比較可能な事例であるからだった。そこから、中範囲の理論化が必要だと感じた。詳細は以下の通りである。

○「メキシコ市におけるストリートエデュケーション実践の構造─ストリートチルドレンへのソーシャルワークの方法論と実践」
小松仁美(淑徳大学大学院社会調査助手)

ストリートチルドレンへのソーシャルワークについて、メキシコでのストリートエデュケーションを先駆的実践(Freire 1989)として取り上げた。
ストリートエデュケーションをストリートチルドレンとエデュケーター双方の水平関係の構築と対話に基づく両者のエンパワメント実践かつ、この実践に基づく双方の抑圧‐被抑圧構造から解放に向けた社会改革の理論(Silva de Paiva 2006、2010、2012)と位置づけ、メキシコ市での民間支援団体の活動を考察した。エデュケーターの配置される専門部署を持つ直接支援から資金提供やアドボカシーを中心とする間接支援まで、各団体の連携のもと多様な実践が展開されていると報告した。
フロアからは、ソーシャルワーカーとエデュケーターの差異や、教育としての地域差と共通点などの質問に加え、SDG’sなどとの関連を検討する必要などの助言をいただき、今後の課題を鮮明化することができた。

○「言語学習によるアイデンティティとライフコースの変容─グアテマラの日本語学習 者を事例として」
新井克之(北陸大学)
[討論] 松久玲子(同志社大学)

グアテマラでは、約270名程度の日本語学習者がいるが、現地には日系企業もなく、日本へ留学する機会もほとんどない。つまりたとえ日本語を学習しても、職場や学校で使用するといった「実益」に直結しにくい。ではなぜ日本語学習を行うのか。本研究では、学習歴3年以上の日本語学習者10名にPAC分析を用いて意識調査をした後、ライフストーリーインタビューを行った。その結果、学習者は日本語を学習することで「幸福感」を得て、彼らの思考・行動様式を変容させていたことが示唆された。
討論者より、まず本研究の調査対象者の選定とその分析に齟齬が生じている点が指摘された。また、結果の分析と理論との結びつきが薄弱である点より例としてドルニェイの理論を援用する方法の提案がなされた。さらに、会場からは例として挙げた学習者が現在日本語教師となっている時点で「実益」が発生しているとの指摘もあり、本研究の改善点が浮かび上がる有意義な議論となった。

○「進歩のための同盟下の教育開発援助と政治─ブラジルの例から」
江原裕美(帝京大学)
[討論] 牛田千鶴(南山大学)

進歩のための同盟はケネディ政権の下で「マーシャル・プランに匹敵する」資金を投入し、ラテンアメリカの近代化を目指した援助枠組である。当時開発が遅れていたブラジル北東部に対し、進歩のための同盟のもと、北東部開発の専門機関SUDENEとUSAIDが地域開発に取り組んだ。各州の内部や州の間での対立、アメリカの認識と政策決定など複雑な政治要因によって決定された初等学校建設計画は、SUDENE とUSAIDの関係が難しく、非常に複雑な形で実行され、その結果は目標には遠く及ばなかった。
1964年のクーデターにより、フルタードら改革派は国外追放へと追い込まれる。USAIDの援助活動は軍事政権樹立後むしろスムーズに進んだ。しかしその中央集権的開発方針は、北東部を特に重視するものではなく、SUDENEの地位は大きく低下し地域開発という理念は後退した。本事例は、教育開発援助プログラムが政治の動きに大きく左右されてきたことを示している。
討論者、フロアより住民側からの評価、SUDENEの組織的変遷、フルタードと米国の関係などについて質問・コメントを頂き、有意義な議論となった。

分科会5 文化と思想

司会 矢澤達宏(上智大学)

本分科会では2本の研究報告が行われ、おおむね20名程度の参加者をえた。石田報告は、アルゼンチンの軍政による人権侵害が生み出した「失踪者」の復権をめざす市民運動をとりあげ、そのなかにおける親族の概念の変容について分析した。Franzer報告は英語によりおこなわれ、ブラジルのクロニカと呼ばれる文学ジャンルをとりあげ、それが持つブラジル文化・社会についての教育的可能性を指摘した。いずれの報告も討論者による質疑・コメントとそれに対する報告者の回答を経て、フロアからも質疑が出され、活発な議論がかわされた。

○「『失踪者』の復権: アルゼンチン『人権』運動における親族の変容」
石田智恵(早稲田大学)
[討論]内田みどり(和歌山大学)

本報告は、アルゼンチンにおける最後の軍政期の人権侵害をめぐる「記憶」の市民運動のなかで、「失踪者」の復権を訴える親族組織の運動に焦点を当てて考察した。親族による運動は、死者として弔うことのできない「失踪者」への代替的服喪の儀礼として理解できる。運動で頻繁に用いられるreivindicaciónという語の意味・用法を検討することで、これら親族組織の運動の独自性として、D・フェイエルステインが「社会実践としてのジェノサイド」として論じた暴力的な社会再編に対する対抗的政治という側面と、不在の被害者の復権・名誉回復を「喪主」として広く社会に呼びかける集合的実践という側面が見出される。以上より、運動で中心的役割を担う「親族(家族)」はしばしば批判されるように「生物学的紐帯」や「血のつながり」といった排他性の表現ではなく、反対に公共性、社会性の新たな表現となっていることが指摘できる。

○"Brazilian urban memory and regional identity: the literary genre of crônica"
Vivian Franzer(University of Texas at Austin)
[討論]トイダ・エレナ(上智大学)

本報告は、ブラジルの文学ジャンルの1つであるクロニカが、ブラジルの文化と社会について教える際、いかに最適な教材であるかを示した。クロニカはもともと、ヨーロッパで生まれた新聞のなかの短いコラムを起源とするが、ブラジルに入ってきた19世紀末、同国は急激な変化のさなかにあり、それを背景にブラジルでは独自の進化を遂げていったと考えられている。そのおもな特徴として、常に現在に視点を置き、その時代性を描き出し、都会の生活を題材とし、口語的なスタイルで、ユーモアや社会風刺を織り交ぜるといった点が挙げられる。クロニカのこうした特徴を確認した上で、後半ではLuís Fernando Verissimoの"Zona Norte, Zona Sul"という代表的作品を実例に、それらの特徴が具体的にどのようなかたちで表れているのかを提示した。とりわけ、俗語やブラジル固有の文脈を持つ語彙の多用という点が、ブラジルの文化や社会について学ぶ重要な契機を提供していることを指摘した。

分科会6 開発

司会 清水達也(アジア経済研究所)

本分科会では、ラテンアメリカにおける政府開発援助(ODA)に関わる3つの開発プロジェクトの事例研究の報告があった。開発プロジェクトには国際機関、中央省庁、実施機関、非政府組織(NGO)、非営利組織(NPO)、民間企業など、さまざまなアクターがかかわる。しかしそれぞれのアクターは自らがもつインセンティブに基づいて行動するため、プロジェクトの目標達成が難しくなることがある。参加するそれぞれのアクターのインセンティブを考慮した上で、プロジェクトを設計することができれば、このような問題を避けることができる。目標達成を可能にする開発プロジェクトの設計には、本分科会の報告のような事例研究によるエビデンスの積み重ねが欠かせない。

○「パラグアイの農業改良普及事業における開発アクターとジェンダー主流化」
小谷博光(人間環境大学)
[討論]河内久実子(横浜国立大学)

いまだ強固なジェンダー規範が残るパラグアイ農村地域で行われる農村普及活動を事例に、国際機関から普及現場に至る各層の開発アクターのインセンティブに着目して、ジェンダー主流化の影響を分析した。
国際機関と省庁の開発アクターは、ジェンダー視点の導入に使命感や達成感などを強く感じ、また農業普及局は省庁の方針を受け入れた。これにより、それまで農業改良普及員ならび生活改善普及員が担ってきた専門分野と受益者の性別に大きな変化と混乱がみられた。これら普及員は連携することで、ジェンダー視点を伴った普及方針を満たしている様に上司に報告しつつも、受益者のニーズを優先したことにより、ジェンダー平等が形骸化した。
討論者から、国際的な合意形成がなされたジェンダー平等に対して、開発援助が実施された地域のディスコースとの相違について質問が寄せられた。また、フロアからも本報告の事例と分析概念の整合性に関する質問を頂いた。

○「なぜJICAプロジェクトを行うのか─持続可能な支援の形を求めてエクアドル、カヤンベ市の学校給食の定着化に取り組む」
杉田優子(エクアドルの子どものための友人の会)
[討論]藤掛洋子(横浜国立大学)

本報告は、小規模NGOであるエクアドルの子どものための友人の会(SANE)が、エクアドルのカヤンベ市で行っている事業と、この事業を担うNGO自体の持続可能性を追求するための模索について述べたものである。山間部の子ども達の栄養不足の解決を目的として、SANEは学校給食を実施するための事業を初めてJICAに提案し、2019年3月より実施している。給食の安定化のためには行政の参加が重要であり、現在保健省と教育省と協力し合いながら事業を進めている。これはJICAの事業でなければ実現しなかったことであった。しかし一方でこの事業は、これまで30年間ボランティアで進めてきたSANEの経営を根本から考え直させるきっかけともなった。事業へのより主体的な関わりが必要になったこと、より高い専門性が求められていることによる。しかし少ない資金の中でどのように人件費や、組織を支えるための経費を捻出するのか等、小規模NGOの持続可能な経営には幾多の困難がある。この答えを出すのは容易ではない。討論者からは自身の経験を元にパラグアイにおける学校給食についての紹介と、似たような状況にあるNGOは多く、このような研究の重要性、今後の研究の方向性についての示唆があった。

○“Efectos de la AOD del Japón en Latinoamérica: Estudio de Caso de la Acuicultura en Chile.”
松田葉月デボラ(神戸大学)
[討論]久松佳彰(東洋大学)

El objetivo de la ponencia ha sido evaluar los efectos de la AOD (Asistencia Oficial para el Desarrollo) del Japón desde una perspectiva de la economía del desarrollo en los programas que involucra el uso de los recursos naturales en la región Latinoamericana. Para el estudio se utilizó el caso del desarrollo de la acuicultura en la región sur de la República de Chile. El gobierno del Japón, por medio de la AOD y su cooperación financiera y técnica, asumió un rol fundamental en la implementación del proyecto de la acuicultura de salmónidos en Chile. A pesar de que el proyecto se llevó a cabo durante dos décadas, los resultados han sido exitosos en cuanto a la sostenibilidad de la producción desde los años 1980 hasta el presente, excepto durante el período en el cual la epidemia viral afectó la producción a nivel nacional. El mismo ha contribuido a desarrollar la industria y la exportación, siendo los principales mercados Japón, Estados Unidos y Brasil. Podemos asumir que la interacción entre los distintos actores tanto público como privados ha sido uno de los factores que han contribuido a desarrollar esta industria. Sin embargo, críticas han surgido sobre los impactos sociales y medioambientales. La ponencia explicó sobre los mencionados resultados y se recibieron comentarios al mismo cuestionando cuál hubiera sido el resultado si no hubiera existido la AOD del Japón y el rol del sector privado en el desarrollo de la industria. Asimismo, las preguntas se basaron sobre los factores que influyeron en las variaciones de las exportaciones, así como el impacto del nuevo emergente mercado como Brasil en la acuicultura chilena. Comentarios adicionales han sido recibidos por parte de la audiencia en relación al estudio del desarrollo de esta industria.

分科会7 先住民

司会 鳥塚あゆち(関西外国語大学)

本分科会では3名の会員からの報告があり、岡本年正会員と山越英嗣会員からは先住民社会の具体的事例について、ルベン・エンリケ・ロドリゲス会員からは先住民保護の法制度からラテンアメリカ諸国を俯瞰するかたちで発表が行われた。
岡本会員は、ペルーのアプリマク県におけるヤワル・フィエスタを事例に、伝統的祝祭の禁止がもたらす意味について、祝祭の実行者の対応の相違に着目して報告を行った。これに対し、村人の間での認識の違いは水平的位相における変化の表れではないかとの重要な指摘があった。山越会員は、米国におけるオアハカ人同郷者会における祝祭の事例から、オアハカ人としての真正性の揺らぎや組織のあり方の変化について報告し、米国における既存のオアハカ人像を捉え直す可能性を示した。討論者とフロアからは、同郷者会の多様性や血統主義の根拠について、さらなる調査・考察の必要性が指摘された。最後の報告者であるロドリゲス会員は、ラテンアメリカ諸国の先住民保護の法制度を比較し、とくに先住民の土地と領土に関する権利を中心に発表を行った。先住民にどのような権利を認めるかは国によって異なることから、それぞれの国における法の実効性に関する質問があり、この点に関しては今後の研究の進展が期待される。各報告者による報告と質疑応答の要旨は以下の通りである。

○「ヤワル・フィエスタの社会的布置─ペルー共和国アプリマク県C村におけるコンドル・ラチを事例として」
岡本年正(慶應義塾大学)
[討論]後藤雄介(早稲田大学)

本報告では、現在開催が事実上禁止されているヤワル・フィエスタに対する人々の言説と現状を分析し、ヤワル・フィエスタの社会的そして政治的な意味を考察した。
 2014年以降、ペルーではコンドル捕獲の禁止が厳格化され、アプリマク県C村では同年の開催を最後に祭りが実施できていない。村では政府に積極的に開催を働きかける元アセンダードの家系の人々(村外在住)と、現状を受け入れ静観する村人(村内在住)が存在し、祭りの禁止を契機に、コンドルと祭りに対する両者の見解の違い、そこに表出しつつある対立・権力関係が明らかになってきた。ヤワル・フィエスタは、象徴的・宗教的意味を有し「村人」をまとめる凝集力を持つ一方、「村人」間の潜在的な対立・権力関係を内包していると結論付けた。
 村内/外在住者という分類のあいまいさや外部としての闘牛士の存在の指摘を受ける一方、世界的な文化保護の流れの中で禁止に動く事例として、今後の分析に期待されるとコメントを頂いた。

○「『オアハカ人』とは誰か?―カリフォルニアのOROのゲラゲッツァ祭における文化的市民権」
山越英嗣(早稲田大学)
[討論]渡邉暁(山梨大学)

本発表では、これまで血統主義を原則としていた米国のオアハカ先住民移民同郷者会が、非血統主義的な組織へと変化しているのではないかという仮説を、ロサンゼルスのORO(Organizacion Regional de Oaxaca,オアハカ地域組織)が主催するゲラゲッツァ祭を事例に考察した。同郷者会は、故郷の文化的アイデンティティを維持・継承するために重要な役割を果たしているが、他方で閉鎖的、文化的分離主義的な組織とされてきた。発表者は現地調査の結果から、OROには韓国人コミュ二ティとの相互交流が歴史的にみられることを指摘し、同組織が他の政治的マイノリティを包摂する可能性を秘めていることを指摘した。討論者からは、韓国人コミュニティとの連帯について、より一層踏み込んだ調査をすべきであるという助言があった。また、フロアからは組織運営者、演者、観客はそれぞれ異なるレベルとして調査を行うべきではないかという指摘があった。

○「ラテンアメリカにおける先住民保護法制の現状」
ルベン・エンリケ・ロドリゲス(北海道大学)
[討論]前田美千代(慶應義塾大学)

原則として、ラテンアメリカ諸国では先住民族の存在とその権利保護は少なくとも法律上で認容されているが、ウルグアイやチリのように歴史的な要因により先住民族の存在を認めない国もある。そのような特殊事例を除けば、ラテンアメリカにおける先住民の権利保護は、憲法を基本法とし、それに加えて様々な個別の法律によって規定されている。民族的アイデンティティをどのように認識するかという点に関しては国からの圧力や差別を受けず、各民族、および個人の自己決定に託されている。また、土地の所有に関して先住民に関する土地問題は共有地(propiedad colectiva)と先住民領土(territorio indígena)に区別できる。前者は土地の所有制度を示し、原則として固定資産税の免除ほか、売買、譲渡、賃貸等は禁止されている。後者は行政区画であり、自治性が高くて、各国の政府から支援を受けることができるが、共有地より創設プロセスは困難である。

分科会8 文学②

司会 安保寛尚(立命館大学)

本分科会では、吉田栄人氏、洲崎圭子氏、山内玲氏の3名の会員からの報告が行われた。
 吉田報告では、ユカタン半島の先住民女性作家が、内面化された家父長制的価値観をどのように乗り越えようとしてきたのかについて、とくにメキシコのソル・ケー・モーを中心に論じられた。吉田氏は、ショウォールターの女性文学理論を援用し、ソル・ケー・モーが「狂気」の表現を通して、女性の主体性を追求していることを指摘した。討論者の小林致広会員からは、他地域の先住民女性作家との違いについての質問があった。これに対して、例えばグアテマラでは、脱植民地主義的な実践の枠組みにとらわれる度合いが高いのに比べ、ソル・ケー・モーは女性の自己実現を追求する姿勢において先進的であり、他に例を見ないということである。また、先住民女性文学の展開を3段階に線引きすることについての疑問が述べられると、それらの段階は実際には重なる部分があると回答があった。
洲崎報告では、家族が近代化を支える装置とされたメキシコ高度成長期の社会において、ロサリオ・カステリャノスが描いたいびつな家族のあり方について論じられた。洲崎氏は、とりわけ『家族のアルバム』の「白髪」の登場人物の分析を通して、カステリャノスが機能不全に陥った家族を描き出していることを明らかにした。討論者の柳原孝敦会員からは、「白髪」と他の作品の独身女性の違いについて質問があった。洲崎会員からは、それまでの作品はチャパスが舞台で、登場するのは農園に残された独身女性だったのに対して、「白髪」は都市が舞台で、登場する独身女性は中産階級に属する点が違うという応答があった。また、カステリャノスとウーマン・リブの関係についての質問に対しては、この潮流がメキシコに届いたのは1969年以降であり、74年に死去したカステリャノスにはあまり影響は見られないという応答があった。
山内報告は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』において反復的に言及される豚のしっぽが、人の道を逸脱するという意味での人間の動物化の表れであることを論じた。そして先住民言語を話すこと、インセスト、独裁、兄弟殺し、食人行為が豚のしっぽになぞらえていることの分析から、動物化がクリオーリョによって歴史的に規定された表現であるという考えが論じられた。討論者の久野量一会員からは、人間の動物化について、『予告された殺人の記録』などのマルケスの他作品との関連や、オラシオ・キローガなどのクリオーリョの人間観との関連についても分析が待たれるというコメントがあった。またフロアからは、『百年の孤独』におけるアフリカ起源の文化にまつわるエピソードや、豚以外の動物の象徴性についての質問があったが、これらは今後の課題としたいという応答があった。
以下は報告者から提出された要旨である。

○「メキシコにおける先住民女性作家による女性表象」
吉田栄人(東北大学)
[討論]小林致広(京都大学名誉教授)

本報告ではユカタン先住民女性作家の文学作品の、フェミニズム的な観点からの読み直しを試みた。ショウォールターの言う女性自身の文学の三つの段階論(女性的な段階、フェミニスト段階、女の段階)に依拠しつつ、先住民の女性作家たちは家父長制的なジェンダー規範の下で抱え込むことになる心の葛藤をいかに表現しているのかについて検討した。いずれの社会においても女性文学は必ず家父長制的な文化を告発する段階を経験すると言う意味で、家父長制(その形態や程度は報告のテーマではない)からの逸脱としての狂気を大きなモチーフとして持つ。そこで本報告では、ケー・モオが描く女性たちを、狂気を封印した女、狂った女、狂気を女性らしく生きる女の三つのグループに分類した。こうした観点からユカタン・マヤの文学を読み直すことで、自分をススメバチに例え、男を「殺す」ことさえ厭わない「山姥」像を描くソル・ケー・モオの女性表象は、伝統的な家父長制的価値観を語るための物語であったシュ・タバイ伝説の反物語として鮮明に浮かび上がった。

○「カステリャノス作品にみる<逸脱>した家族像」
洲崎 圭子(お茶の水女子大学)
[討論]柳原孝敦(東京大学)

メキシコの作家ロサリオ・カステリャノスや、彼女と同時期の男性作家たちの小説に描かれた独身女性が属する家族の多くは、家父長としての父の存在を欠いていた。本報告では、カステリャノスの短編小説「白髪」(『家族のアルバム』(1971)所収)を取り上げ、家族に尽くし自己犠牲を払ってきた理想的なメキシコの母とされる主人公が、夫亡き後もなお成人した子供たちに振り回される日常に着目した。作品では、実家を出ず気ままに独身生活を謳歌する二女、結婚後の日常に忙殺されるという実母の振舞いを再生産する長女、独身を貫く意志の固い一人息子が描かれ、その各々に対し、深く考えずに感情を抑制して毎日をやりすごす良き母の老後が、厳しい現実として前景化されることとなった。高度成長をみたメキシコの近代国家形成時、装置として機能すべく期待されていた家族という枠組みが、家父長を欠いた後は機能不全の状態に陥る実態が明らかになった。

○「豚のしっぽ再考-『百年の孤独』における動物化の主題と修辞」
山内 玲(東北大学)
[討論]久野量一(東京外国語大学)

本発表の目的は、ガルシア=マルケス『百年の孤独』を動物化の主題と修辞という観点から再考することにある。豚の尻尾がインセストを象徴する符合に過ぎないとみなす先行研究の趨勢に対し、作中で周縁化されている尻尾のくだりを含め、ラテンアメリカの歴史的条件に規定される人間性の枠組みから人間が逸脱する動物化の過程を具現しているというのが発表者の主張である。この主張を論証するに当たり、発表時は、周縁化され動物扱いを受ける先住民や『族長の秋』の独裁者とその類似性が指摘されるアウレリャノの人外的特質を象徴するのが周縁化された尻尾のくだりであることに触れた後、食人行為のモチーフに重点を置き議論を展開した。antropófagoとcaníbalという語の使い分けに見られる食人族のステレオタイプに対する作家の批判的意識を指摘した上で、ホセ・アルカディオの食人行為とその死体を食のモチーフから検証した。

パネル A 「ボリビア2019」第1部 エボ・モラレス政権再考

企画代表 梅崎かほり(神奈川大学)
責任者 宮地隆廣(東京大学)
岡田勇(名古屋大学)
〔討論〕大島正裕(日本国際協力システム)
佐藤正樹(慶應義塾大学)
藤田護(慶應義塾大学)

このパネルは、同日午後に実施されたパネルBとともに、現代ボリビアを多角的に考察するための企画「ボリビア2019」の一部として開催された。今年、4選をかけて大統領選挙に出馬予定であるエボ・モラレス現大統領について、2006年に始まる彼の長期政権を振り返り、複眼的に考察することを試みた。午前中のパネルながら30名程度の来聴者があり、討論者からのみならず、フロアからも数多くの質問が寄せられた。質疑応答の中には、モラレス政権に先立つボリビアの政治的、社会的な状況に関心が及ぶものもあり、ボリビアの歴史に対する考察に特化したパネルBへと自然な流れができたことは幸いであった。
 各報告の要旨を発表順に示す。岡田会員の発表「モラレス政権における政治経済とサバイバルの論理」は、モラレスが長期にわたり政権を維持するための条件を、同政権に先立つボリビア政治の流れも踏まえて考察した。具体的には、最も重要な要件として議会の支配(上下院とも過半数あるいは2/3の議席を獲得すること)があり、それを支える3つの要件として資源レントの分配による与党支持の確保、社会運動組織との巧みな交渉、そしてインフォーマル経済の放任があることを指摘した。長期政権を維持できたということは、これらの要件にモラレス政権が対処できたことを意味する。しかし同時に、政権が利用できる資源レントは減少傾向にあり、社会運動組織との交渉はモラレスの個人的な差配に依存し、インフォーマル経済は汚職の温床になることなどを考えるならば、過去と同様の対応が今後も可能である保障はない。
 宮地会員の発表「モラレス政権の「よく生きること」と政治参加」は、モラレス政権が開発目標として掲げた「よく生きること (vivir bien)」に関する考察である。政府与党によれば、これはボリビア社会を構成する先住民の価値観に由来し、資本主義に対するオルタナティブな開発を提案するものであった。しかし、政府与党による概念規定は不明確であり、概念について細かく説明した2006年開発計画においても、「よく生きること」の意味は政府が定めるのか、あるいは多様な文化を持つ各集団が自ら決めるのかに関して矛盾した方向性が示されていた。そして、政権の実際の動きからは、自己決定の保障する政治参加の制度的整備に政権は関心をほとんど向けず、天然資源の開発を軸に財やサービスのアクセス拡充を図るという革新性を欠いた方針を定め、それに基づく開発政策を推進していることが確認された。
 最後に、梅崎会員の発表「モラレス政権による多民族国家構想と非先住民マイノリティ「アフロボリビア人」の復権」は、アフロ系ボリビア人運動がモラレス政権のもと、政治と教育の分野で成果を得たことを示した。前者の例としては、選挙改革を利用して議員を輩出したことや、政権が推進する様々な改革に対し政策要求を発信すべく、組織の整備を実現したことが挙げられる。後者については、各集団が固有の文化・言語教育を推進する目的で「地域別学習指導要領」の導入を同政権が制度化したことを受け、アフロ系ボリビア人もまた自らの指導要領を持ち、それに基づいた初等教育の導入を果たした。ボリビアでは1994年に先住民文化に配慮した教育改革が実現したが、それはアフロ系の人々に対して、彼らの居住域において多数派であるアイマラ先住民の文化や言語の教育が押し付けられる結果を招いた。モラレス政権の改革は、この問題に対する解決の道を開いた。

パネルB 「ボリビア2019」第2部 ボリビアの多民族性の再考─新たな多様性の認識に向けて

責任者 藤田護(慶應義塾大学)
佐藤正樹(慶應義塾大学)
大島正裕(日本国際協力システムJICS)
[討論]梅崎かほり(神奈川大学・企画代表)
岡田勇(名古屋大学)
宮地隆廣(東京大学)

このパネルは、同日午前に実施されたパネルAとともに、現代ボリビアを多角的に考察するための企画「ボリビア2019」の一部として開催された。本パネルでは、歴史学や文学を中心として、より時間の幅を広くとった視点からボリビアの多民族性を考察した。パネルAには、アフロボリビア人の多民族国家形成過程への参画を検討した梅崎報告もあり、両パネルを併せ、エボ・モラレス政権において取り組まれてきた多民族国家形成を、歴史的かつ批判的に位置づけることを可能にした。本パネルには20名弱の来聴者があり、質疑応答も活発に行われた。今回の企画は、社会科学と人文系の研究の協同と相互コメントによりボリビア研究を進めるという試みであり、パネルAの参加者が本パネルのコメンテーターを務めるという形をとったが、これを可能にした大会事務局の調整の尽力に感謝したい。
 各報告の要旨を発表順に示す。佐藤会員の発表「ティアワナコの土地訴訟(1669 年)を出発点とした、植民地期アンデス南部における民族性・領域性に関する一考察」では、チチカカ湖沿岸部のコリャオ地方の先住民共同体(アイユ)について、植民地時代の土地訴訟記録に着目しつつ、共同体内の双分組織(アナンサヤとウリンサヤ)の間での土地紛争が、現代この共同体が所属していると考えられるパカヘスのコレヒドールではなく、オマスーヨのコレヒドールが裁定していることに着目し、双分組織の境界の変更の可能性について仮説を提示するものであった。質問・コメントでは、アイユ所属の変更の実態、この地域の民族構成との関係、本事例の現代の同地域の境界認識との関係などを問うものがあった。
 大島会員の発表「19 世紀末~20 世紀初頭におけるボリビア・アマゾン地域への日本人初期移民」においては、比較的よく知られている20世紀後半のサンタクルス県への移民(サンフアンおよびオキナワ移住地)ではなく、より時期の早い1899年に始まる移民に焦点を当て、仲介会社であった森岡商会の果たした役割を重視しつつ、これらの日本人のベニ県・パンド県およびラパス県北部で隆盛したゴム産業とのかかわりや、日本人がマジョリティを占めたベニ県リベラルタ市での様子などを通じ、初期移民の実態を明らかにしようとするものであった。質問・コメントでは、初期日本人移民や後の世代の日系人のアイデンティティ意識の変遷、リベラルタを中心とした日系人のエボ・モラレス政権との関りやモラレス政権評、初期日本人移民における宗教の役割などを問うものがあった。
 藤田会員の発表「スペディングの小説『鉄の寝台』における1952年革命へのオルタナティブな視線」においては、ボリビアにおける(イギリス出身の)小説家・人類学者による、1952年革命以降の地方の家族の没落の過程を描いた小説をとりあげ、これがアシエンダの中で数奇な運命をたどったアイマラの少年を通じて、先住民の視点から、また対抗的な視線ではなく斜めの視線から、ボリビア現代史の捉えなおしが企図されていることを指摘した。そこでは、革命政党への揶揄、農地改革によってもアシエンダが影響を受けず存続すること、アイマラ先住民がアイマラ先住民を抑圧していることなど、多面的で豊かなボリビア社会の姿を読み取ることができる。質問・コメントでは、現代のエボ・モラレス政権による変革の試みの途中で本小説が発表されたことの意味が問われ、それに対する応答の中で、現在においても1952年革命の残存が強く意識されていることが議論された。

パネルC 劇団ユヤチカニにおける演劇表象とペルー社会

代表者 後藤雄介(早稲田大学)
ミゲル・ルビオ(劇団ユヤチカニ)
[討論] 吉川恵美子(上智大学)
岡本年正(慶應義塾大学)

本パネル(配布されたプログラムには一部当初届け出た題目「ユヤチカニ劇団の演劇世界を探訪する」が記載されているが、のちに報告要旨・欧文表記提出時に更新したこの「劇団ユヤチカニにおける演劇表象とペルー社会」を正式題目とする)では、ペルーの劇団ユヤチカニ(1971年結成。ペルー独立二百周年にあたる2021年には創立五十周年を迎える)の代表にして演出家であるミゲル・ルビオ氏を迎え(ルビオ氏の日本招聘は上智大学によるものである。ここに記して感謝する)、ルビオ氏の報告「クスコ県パウカルタンボにおけるアンデスの演劇表象」(ただし、氏より提出されたペーパー・タイトルは「パウカルタンボ大劇場」["El gran teatro de Paucartambo"]とされていた。これはスペインの劇作家カルデロン・デ・ラ・バルカの「世界大劇場」["El gran teatro del mundo"]のパロディである)を踏まえ、3名の討論者がそれぞれの専門・関心に即してコメントし、ルビオ氏からの応答を受けたのちに、フロアとの質疑応答をおこなった(報告・討論・質疑応答はすべてスペイン語でおこなわれた)。
 ルビオ氏の報告ではまず、ラテンアメリカの演劇の特徴として、ヨーロッパ流舞台のように閉じられた空間で演じられることに限定されず、また、役者と観客のあいだの境界も積極的な意味であいまいであることの重要性が強調された。そうした観点に基づき、氏はひとつの事例としてクスコ県のパウカルタンボでおこなわれる祭りに注目する。
 同祝祭は毎年7月15日から19日にかけておこなわれ、守護聖母像カルメンをめぐって、これを奪取しようとする者と防衛する者との攻防が歌と踊り、そしてさまざまなパフォーマンスを交えて繰り広げられる。ルビオ氏は豊富な写真を示しながら、祝祭の一連のプロセスの反復性、役者と観客の一体化がいかに「演劇的」あるかを解説した。
 ルビオ氏の報告を受けて、ペルーに限らず広くラテンアメリカ全体の現代演劇を俯瞰してきた吉川恵美子は、ラテンアメリカにおける演劇と祝祭の共通性・親和性を認めつつも、それでもなお両者のあいだに違いがあるとすればそれは何かを問うた。文化人類学者でパウカルタンボの祭りを参与観察したこともある岡本年正は、自身が撮影した動画を示しつつ、役者と観客が一体化するというルビオ氏の主張を具体的に補足した。後藤雄介は、ユヤチカニの創作にも大きな影響を与えているペルーの作家ホセ・マリーア・アルゲーダスの思想を研究する立場で討論者に名を連ねたが、本報告については岡本と同様に役者と観客の一体化という点に注目し、ユヤチカニの作品においても当然役者と観客の一体化は実現し、かつある種の社会性が獲得されていることを指摘した。
 フロアからは、1980〜90年代のペルーの暴力の時代を実際に経験した日系ペルー人の方よりその体験が語られ、暴力の記憶を紡ぎつつ、民主主義の回復に貢献したユヤチカニの活動への敬意が表明された。また、アルゲーダス作品の翻訳者である杉山晃会員からもいくつかの貴重なコメントをいただいた。参加者数はけっして多くはなかったが、総じて「役者」(報告者のルビオ氏ならびに討論者)と「観客」(パネルの聴衆)のあいだに豊かな「一体化」(討論空間)を築くことができたのではないだろうか。
 なお、本パネルを実施するにあたって、ユヤチカニの作品を実際に学会員に鑑賞してもらうことが必要であると考え、第38回定期大会(2017年)の「AJEL映画祭」に倣い、本パネルとは別時間に特別セッションとして「ユヤチカニ映像演劇祭」を企画し、ユヤチカニ側の承諾を得た上で、Los músicos ambulantes(1983年)、Persistencia de la memoria : 25 aniversario(1996年、劇団結成二五周年時のドキュメンタリー)、Adiós Ayacucho(1990年)、El bus de la fuga(2002年、街頭パフォーマンス)の計4作品を、大会開催中の両日ビデオ上映することができた。特別セッションを設定するにあたっては、異例の申し出だったこともあり、大会実行委員会には少なからぬご面倒をおかけすることになってしまった。そのことについてこの場であらためてお詫びするとともに、企画を実現していただいたことに対して深く御礼申し上げる。

特別セッション1 ユヤチカニ映像演劇祭(1)

・Persistencia de la memoria: 25 aniversario (1996年、60分)
・Adiós Ayacucho (1990年、40分)
・El bus de fuga (2002年、135分[30分編集版])
・演出家ミゲル・ルビオ氏の挨拶とトークセッション

特別セッション2 ユヤチカニ映像演劇祭(2)

・Persistencia de la memoria: 25 aniversario (1996年、60分)
・Los músicos ambulantes (1983年、90分)

パネルD ラテンアメリカにおける国際移民とジェンダー

代表者 松久玲子(同志社大学)
柴田修子(同志社大学)
深澤晴奈(東京大学)
北條ゆかり(摂南大学)
[討論]宇佐見耕一(同志社大学)
中川正紀(フェリス女学院大学)

ラテンアメリカから先進諸国への域外移動とともにラテンアメリカ域内間の移動が増加しているが,その過程で1980年代以降,ラテンアメリカ地域内・域外ともに女性の国際移動が次第に顕在化してきた.移民女性は家族統合の結果として移民すると考えられ、単独での女性移民は不可視化されていたが、1990年代から国際移民の女性化がとりあげられるようになった。ラテンアメリカにおいても、単独での女性の国際移住の傾向が明らかになり、その移動過程で直面する女性の脆弱性や移民先での不安定雇用への組み入れ、送り出し国における家族やコミュニティへの影響などの問題が顕在化してきた。本パネルでは、以下の4つの報告が行われ、発表を通じて、移民の女性化が進む要因や女性が直面する問題を明らかにした。

報告①「コスタリカにおけるニカラグア女性移民と新自由主義政策」
松久玲子

2016年の世帯調査では、コスタリカの人口の約9%(44万人)が外国人であり、そのうちの77.3%をニカラグア移民が占めている。また、2000年以降、ニカラグア移民は女性移民が男性移民を次第に上まわる女性化と都市部への移民が増加する傾向がある。両国における新自由主義経済政策の導入に着目し、移民労働者の労働配置への影響を考察した。コスタリカおよびニカラグアの貿易自由区での労働力は若年女性が中心で、多国籍企業での雇用は女性の労働市場への進出を促した。その影響は、送り出し国側では女性の国際労働移動を後押しし、受入国側ではそれまで自国民が担っていた伝統的農業労働および家事労働やケア労働の移民による代替が見られた。労働市場はジェンダー化されており、男性と女性では移民経験が異なる。女性移民は賃金が男性移民やコスタリカ人より安価で厳しい労働条件にさらされている。

報告②「南米域内の国際労働移動─コロンビアからチリへ」
柴田修子

本発表では、南米域内の国際労働移動の事例研究としてコロンビアからチリへの移動を取り上げた。コロンビアは伝統的に移民送り出し国であり、米国やスペインへの移民およびベネズエラやエクアドルなど近隣諸国への出稼ぎが行われてきたが、1990年代半ば以降移民の数が急増した。移民の急増の背景として、「開放政策」に基づく新自由主義政策の結果経済状況が悪化したことと、治安状況が悪化し国内避難民が増加したことが挙げられる。また90年代以降の移民の特徴として、移民先の多様化がある。なかでも陸路を使ってチリへ移動する人々の増加は、近年顕著となった現象である。本発表では、太平洋岸南部に位置する都市トゥマコからチリへ出稼ぎに行った人々、もしくはその親族へのインタビューをもとに、人びとを移動に駆り立てた要因を考察した。また移民とジェンダーという観点では、家族統合のケースが多く、主にケア労働に従事していることを紹介した。

報告③「ラテンアメリカからスペインへ:家事労働分野における女性移民労働者」
深澤晴奈

スペインは、生産領域の国際分業化型グローバリゼーションの進展に加えて再生産領域においてもグローバリゼーションが展開する時代に移民受け入れ国となった。本報告では、この時代にラテンアメリカからスペインへ移民した家事労働分野における女性移民労働者について扱った。1980年代の流入初期、定着していく90年代、大規模な流入が起こった2000年代前半を経て、2000年代後半の経済危機を経験する過程で、住み込み家事労働者、通いの家事労働者もしくは時給で働く家事労働者、そして失業を回避するための下方の垂直的な転職先としても同分野に参入してきた。また、単身移民、トランスナショナルな家族の存在、家族再統合、男性パートナーの存在、移民先での結婚といった移民の形態やジェンダーが女性移民労働者の雇用機会や転職の機会に作用してきた。こうした移民労働者は、家事やケアといった社会政策の不足部分を補填する分野に参入していることから、スペイン福祉国家の将来にわたる課題も提示している。

報告④「移民と女性のエンパワーメント:ニューヨーク大都市圏におけるメキシコ人コミュニティの事例」
北條ゆかり

増加しつづける移民女性のなかに、一定の教育を修め、主体的に移住することを決意する人びとが見出されるようになった。そのような質的変化が最も脆弱な立場にある非正規移民女性の間にも生起しつつある事例を取り上げ、どのようにしてエンパワーメントを遂げているかを解明しようとした。ニューヨーク大都市圏において、メキシコ人移民コミュニティのためにNPO法人を立ち上げ尽力するオアハカ州ミステカ地方出身の代表女性のアクティビズムに焦点を当て、草の根活動を行う過程でいかにしてネットワークをつくってきたか、政治的影響をもたらす主体的存在としての能力を備えるに至ったかを、2011年3月から継続している調査に基づいて考察した。その結果、地元大学と連携し地域コミュニティの実情を緻密に調べ、非正規移民にとって必要な支援を継続していること、市・州の行政機関と協働し二国間サミット開催を実現し、今ではそれを次世代が継承していること、墨米の大学間で看護学部生の研修交流を進めると同時に先住民女性の民芸品委託販売を行うこと等から、新しい資質を備えた移民女性が移住地と出身地をトランスナショナルにつなぐ道を拓きつつあることを明らかにした。
 コメンテーターから以上の報告に対し、移民受け入れ国の社会福祉政策において移民労働者はどのように位置づけられているのか、また女性移民のエンパワーメントについての質問があり、パネリストからの応答により議論が深められた。

パネルE 近代ヒスパニック世界と文書ネットワーク

代表者 吉江貴文(広島市立大学)
清水有子(明治大学)
坂本宏(中央大学)
齋藤晃(国立民族学博物館)
溝田のぞみ(同志社大学)
伏見岳志(慶應義塾大学)
[討論]小原正(慶應義塾大学)

本パネル報告は平成25年10月から平成29年3月まで国立民族学博物館で実施された共同研究「近代ヒスパニック世界における文書ネットワーク・システムの成立と展開」の成果発信をかねて企画されたものである。
本パネル報告の目的は、15世紀末以降、スペインが世界規模で拡張した帝国統治のメカニズムについて、行政・司法・財政・宗教・軍事の諸分野を包摂して張り巡らされた文書ネットワークの展開に焦点を当てながら解明を試みることにあった。近代初期、アジアからアメリカに至る広大な領域を支配下に治めたスペイン帝国の統治原理は、文書主義の優越というイデオロギーによって支えられたものであり、帝国の統治機構においては、マドリード王宮の発する命令書簡からインディアス最末端の先住民請願書に至るまで、さまざまな文書が無数に行き交い、二つの大洋を跨いで横断することで、大陸間を接続する壮大な文書ネットワークが展開されていた。本パネルでは、そうしたスペイン帝国の成立基盤を支えた文書ネットワークの実態について、(1)帝国内における文書循環サイクルの成立過程、(2)文書の物質的側面に関わる諸相、(3)帝国の周辺社会における文書ダイナミズム、という3つの側面に焦点を当てたうえで、スペインおよびラテンアメリカ、アジア各地の文書館における実地調査を通して史料分析の研鑽を積み、文化人類学、歴史学、文書管理実践論、史料論などの実践的アプローチに精通した6名のパネリストたち知見を総合することによって再構成を試みた。各パネリストによる具体的な研究報告の内容は、以下のようなものである。

報告①「フェリペ2世統治期フィリピン総督文書の処理過程」
清水有子

本報告は、スペインのインディアス総合文書館(Archivo General de Indias、以下AGI) が所蔵する、フェリペ2世統治期(1556~1598年)に植民地フィリピンで生産された文書が、スペイン本国でいかなる処理が施されていたのかを検討し、その世界規模の帝国統治を支えたと思われる文書制度の一端を解明することを、目的としたものである。
報告ではまず、AGI所蔵フィリピン総督府文書の全体像を紹介し、その一部を構成するフィリピン総督文書の体系的な保管状況から、スペイン帝国が文書主義に貫かれていたことを確認した。次いで同文書のフィリピンでの生成から本国における受理までの流通プロセスを確認し、最後に文書の包紙(la carpeta)上の記載をもとに、本国での処理過程を再現した。
本報告から得られた結論は、文書ネットワークを前提とした統治が実際に機能しており、そのことがスペイン帝国の遠隔地フィリピンの長期間にわたる統治を可能にしたということである。

報告②「スペイン異端審問はいかにして検索可能なアーカイブを構築したのか?」
坂本宏

スペイン異端審問は膨大な文書を管理するためにインデックスを多用したが、その作成には、①個々の本に(特にABC順の)索引をつけてゆく、②文書庫全体の目録を作成する、という二つの方向性があった。17世紀半ばに登場したボカンドルムと呼ばれる索引本は、一見すると、異端容疑者をABC順にリスト化しただけのごく普通のインデックスである。しかしここにはスペイン帝国各地から送られてきた容疑者の情報が記載されているので、帝国全体の状況が把握できる。また容疑者の情報が寄せられるたびごとに記載されるので、情報は常に最新であり、しかも時系列でABC順に記載されるので、後から検索することが容易である。つまり①②の長所を組み合わせた上に、両者の欠点が克服されているのである。ボカンドルムは、異端審問が文書管理のために培ってきたインデックス作成のノウハウを活かした新しいタイプのインデックスだということができよう。

報告③「アマゾンの「文字化された都市」―モホスのイエズス会ミッションの洗礼簿」
齋藤晃

 アンヘル・ラマの『文字化された都市』は、アメリカにおけるスペイン人の都市建設が秩序の理念に立脚した新たな都市工学の先駆けであったことを指摘した。ラマによれば、この都市工学の中核には知性により人間の生を秩序立てることができるという考えがあったが、文書はその道具として重要な役割を果たした。本報告では、イエズス会ペルー管区モホス地方(現ボリビア東部低地)を事例として、洗礼簿がミッションの建設において規範の役割を担わされていたことを示すとともに、実際の運用におけるその限界を明らかにした。具体的には、洗礼簿を複数のセクションに分割し、洗礼記録を民族集団ごと別々のセクションに記載する方針が、町の居住空間を複数の街区に分割し、先住民を民族集団ごと別々の街区に住まわせる方針と連動していたことを、ロレトとコンセプシオンというふたつの町の洗礼簿の詳細な分析により解明した。

報告④「植民地都市ラパスにおける公証人の文書作成術と公証人マニュアルの影響」
吉江貴文

本報告では、スペイン領アメリカの周辺都市ラパスの事例をもとに、植民地社会の公証人がどのような仕組みにもとづいて文書生産を行っていたのかを明らかにし、スペイン本国と植民地を繋ぐ文書ネットワークがいかなる形で機能していたのかを考察する手がかりとした。本報告では特に、インディアス植民地の公証人が文書作成の際に用いていたとされるスペイン本国で出版されたマニュアル本の影響に焦点を当て、18・19世紀ラパスで作成された売買契約証書との書式比較を行うことにより、スペイン本国と植民地都市との史的関係性の実態を分析した。その結果、少なくとも植民地後期にあたる18 世紀以降の段階においては、マニュアル本を介したスペイン本国の上意下達的な影響よりも、植民地社会内部で自律的に生みだされる公証人の文書実践力のほうが、文書ネットワークを支える原動力としてより効果的に働いていた可能性が高い、との見方を提示した。

報告⑤「先住民と公正証書─17世紀ペルー・ワマンガの事例─」
溝田のぞみ

本報告では、スペインから導入された文書システムが、植民地社会の末端に位置する先住民社会でどのように運用されたのか、また、先住民たちは文書メディアをどのように利用したのか、その実態を明らかにするためのケーススタディとして、ペルー中部山岳地帯に位置するワマンガ市(現アヤクチョ市)の公正証書の事例を考察した。対象史料は公証人ブランコ・デ・カサスアが1670年代に作成したアヤクチョ地方文書館所蔵の公正証書のうち、先住民が依頼主となった135件分とし、依頼主や案件、証書作成時の特徴や傾向を分析した。依頼主となったのは先住民のなかでも首長や商人など、ごく一部の人びとに限られたが、案件の傾向としては、首長による共同体の土地売却など先住民特有の事情を反映するケースも多くみられた。さらに、ある遺言書の作成過程を例に先住民の文書システムへの独自の適応方法を考察した。

報告⑥「商業文書と帝国行政のネットワーキング」
伏見岳志

この報告では、行政と民間の文書の関係について、帳簿を題材に論じた。スペインの帝国的拡大が開始する以前から、地中海の商人たちは、取引を記録・管理する術を発達させていた。その洗練された形式が複式簿記である。カトリック両王以降のスペイン国王が、行政機構に商人を登用したこともあり、この複式簿記は、財政運営においても一部採用されるに至った。並行して、帳簿に関心を抱いた国王は、商人の帳簿作成を規定する勅令を出している。つまり、16世紀のスペインでは、行政と商人の会計知の間に相互影響性が認められた。
 ところが、17世紀のメキシコの帳簿を検討すると、帝国行政にも商人の取引記録にも、この複式簿記が採用されていないことが判明した。16世紀スペインでおきた財政と商業の往還は、17世紀の植民地では観察されないのである。このことから、行政と民間の文書作成の関係は、場所と時代によって異なることが示唆された。
 
 また、個別報告後に行われた質疑応答では、オーディエンスの側から、スペイン帝国の内部に文書循環サイクルが成立していく過程において、とりわけ廃棄の局面をどのように扱うのかといった問題や、文書生産量の増大プロセスにおいて複写をめぐる規定や制度がどのような影響を与えたのかといった点についての質問がなされたほか、スペイン帝国を取り巻く周辺社会の影響や対象とする時代についてもさらに幅広く捉える視点が必要なのではないか、といったコメントもなされた。いずれもスペイン帝国の文書ネットワークの成立過程を理解するうえで重要なテーマであり、今後さらに取り組みを深めるべき課題だと認識している。

シンポジウム 「ラテンアメリカ研究─地域性と学際性を架橋する経験から導かれるもの」

コーディネーター 井上大介(創価大学)
池田光穂(大阪大学)
太田好信(九州大学)
大串和雄(東京大学)
フランシス・ペディ(名古屋大学)
吉田栄人(東北大学)
中村誠一(金沢大学)
小泉潤二(人間文化教育機構・大阪大学名誉教授)
落合一泰(明星大学・一橋大学名誉教授)

本シンポジウムでは「ラテンアメリカ研究-地域性と学際性を架橋する経験から導かれるもの」と題し、文化人類学研究、政治学研究、歴史学研究、先住民文学研究、考古学研究などの分野でラテンアメリカ研究に従事されてきた研究者の方々に登壇いただいた。登壇者には、それぞれの研究テーマ、ラテンアメリカ研究との出会い、現地との関係性、それによって自身が受けた影響、また現地に与える影響といった点について、各人の研究や教育、また自身をめぐる身体性や政治性、さらにはめざすべき学問の社会貢献との関係で語っていただいた。より具体的には、70年代において学際研究が強く意識され、80年代以降は学際研究の困難さから、それぞれのディシプリンにおける専門化が優先されていったとされる地域研究に対し、ラテンアメリカを対象に研究活動をおこなってきた研究者が、学際研究の可能性も含め、今後どのように向き合っていくべきかという点についてそれぞれの「経験」から論じる場となった。各発表では「研究における倫理性の重要さ」「現地の人々や研究者間の関係性が与える影響」「先住民の立場によりそった学術活動の模索」「国際機関などとも連携した調査による現地への貢献」といった重要な視点を提供していただいた。さらには、ラテンアメリカ研究とは何か?ディシプリンと地域研究との関係をどのように考えればよいのか?今後のラテンアメリカ研究はどうあるべきか?地域研究、学際研究やその他の地域研究者との連携をどのように推進していくべきか?などのテーマについても「没ディシプリンの模索」や「ラテンアメリカ概念自体の再解釈の必要性」「他地域、多分野の研究者とのより継続的な情報交換」等に関する貴重な意見が交わされたとともに、次世代へのラテンアメリカ研究の継承という課題についても議論がなされた。
井上大介(創価大学)