研究部会報告1999年第1回

東日本研究部会

東日本部会は99年3月27日(土)、上智大学で開催され、16名の出席者をえて活発な議論が繰り広げられた。パラグアイと対象とする稲盛報告は、副大統領暗殺事件直後という時宜をえた発表で、ポスト・ストロエスネル期の政治的混迷の原因を、根源にさかのぼって分析した。質疑では、政治風土についての質問があった。他方、渡辺報告はメキシコにおける体制変容を選挙制度の変遷を通じて検討し、その要因を明らかにした。ヘゲモニー政党制という点で、メキシコの事例を台湾の場合と比較できるのではないか、との指摘も示された。ともに現代政治を制度面から論じた報告であり、その意義は民主化の段階論(移行と定着)を、政党や軍などのアクターと権威主義体制の実態に即して検討した点に求められよう。
(新木秀和 上野学園大学)

ストロエスネル体制と「民主化」 -パラグアイにおける長期独裁と「民主化」の諸問題-
稲盛広朋(上智大学大学院)

ストロエスネルによる独裁は、チャコ戦争後の混乱をかかえるパラグアイに政治的安定をもたらした反面、民主化の障害ともなってきた。「停滞の神話」と呼ばれるその統治は、コロラド党と軍部から支えられる。コロラド党は全国に二百数十余りの下部組織を設置しつつ国民を監視し、軍部は政敵を排除する役割を担った。89年のロドリゲス将軍のクーデターでストロエスネル体制は崩壊し、民主化の機運も一気に高まるが、続くワスモシ政権期には、再び政治経済的困難が表面化した。民主的移行に不可欠な条件は、コロラド党内の派閥問題を解決し、軍部の政治介入を阻止することだが、同時に選挙制度の見直しや有権者の意識改革も重要な課題である。
ポスト・ストロエスネル期に入って10年目の今年も、副大統領暗殺事件を始め、大統領の辞職と亡命、オビエド元将軍の亡命と、政情の不安定が続いている。一時は「停滞の神話」から脱却できたかに見えたが、その効力が完全に失われたわけではない。

メキシコPRI体制の変容
渡辺 暁(東京大学大学院)

メキシコでは1930年膳後から70年近くにわたり、圧倒的な力を持つヘゲモニー政党、PRI(制度的革命党)による支配が続いてきた。しかし近年のPRIの血からは衰えを見せ、96年の国会議員選挙の結果、下院では野党が多数を占めるまでになった。発表では、こうした状況にいたる、クーデターのような断絶を経ない極めて漸進的な政治的自由化が、どのような形で進行してきたかを検討した。
PRIはもともと革命の理想追求を掲げつつ、経済成長を達成することで支配を正統化してきた。しかし政権が長期化するに従い、革命の継承者という錦の御旗は徐々に色あせ、経済危機などの要因も加わったため、国民の間にPRI支配体制への不満が高まった。政治活動の自由化や反対政党の認可、選挙制度の改革という政治面での譲歩によって、政府は不満を解消しようと試みてきた。このように譲歩が蓄積された結果、現在にいたる政治体制の変容が生まれたのである。

中部日本研究部会

4月24日(土)午後2時から5時、南山大学にて開催。
会報の発行が遅れたため、全員に十分周知できなかったのではないかと心配したが、幸い13名の参加を得て充実したものとなった。飛永報告は、内戦、民主化、和平に至るグアテマラの政治過程における軍の役割を跡づけ、和平後の軍の影響力排除がいかに困難かを指摘した。報告は、二年間にわたる現地での知見と資料収集に基づき詳細にわたったが、理論的枠組との関連づけが期待される。富田報告は、ペルーのテロ問題を「テロの恐怖」の誕生という軸から説き起こし、フジモリ政権のテロ対策の成功を「テロの恐怖」からの解放に成功したためとの仮説を提示し、議論を呼んだが、タームに混乱が見られるなど、より精緻なまとめが期待される。
(遅野井茂雄 南山大学)

グアテマラにおける軍と政治の関係の変遷
飛永絵里(名古屋大学大学院)

50年代半ば以降軍事政権による抑圧的体制の下にあったグアテマラでは、民政移管及び内戦終結のプロセスを経て軍部の政治介入のあり方に転換が図られてきた。70年代末、当時の軍事政権は、経済情勢の悪化、ゲリラ・社会運動の激化、人権侵害による国際的孤立等の危機的状況に直面した。軍内制度派は従来の強権的対応の維持は「制度としての軍部」にとり望ましくないと判断し、政治の表舞台から撤退することで軍部批判の沈静化をめざし、86年に民政移管を実施した。その後96年には内戦が終結し、軍改革関連の和平協定には規模縮小や「内戦後の軍の役割」規定等が盛り込まれ、協定履行は遅滞を伴いながらも進展しつつある。しかしながら、協定内容が踏み込んだものとなっておらず、協定履行自体は実質的な軍の政治的・社会的影響力の払拭には不十分とする見方も少なくない。

「恐怖」の誕生 -フジモリ政権のテロ対策はなぜ成功したか-
富田 与(四日市大学)

センデロ・ルミノソの武装闘争開始で始まった「テロの時代」の恐怖は、反政府側、政府側、そしてそれらの間に挟まれた住民側の3つの領域でそれぞれ暴力の主体が多元化した結果、実際に発生した物理的な暴力による身体的・物理的なものから「テロの時代」という状況そのものに起因する心理的・構造的なものへと変質してきた。
フジモリ政権のテロ対策は情報機関―軍を軸としたテロ対策の確立と特赦法による離反者内部密告の促進という特長を持っている。これは、反政府組織のメンバーにまで波及していた心理的・構造的恐怖を逆手に取り、反政府組織の最前線に対し軍による身体的・物理的恐怖を強化させる一方、特赦法を通じて身体的・物理的恐怖と心理的・構造的恐怖からの解放を反政府組織のメンバーに提示していた。その結果、反政府組織からの投降者や内部分裂による情報のリークが増加し、フジモリ政権のテロ対策を成功に導いた。

西日本研究部会

西日本部会は99年4月24日(土)に神戸大学で開催された。研究会の案内が遅れたこともあり、出席者は8名であった。報告は、文学、経済学、人類学と多岐にわたったが、時間的にも十分な議論がなされ、多くのことを学ぶことができた研究会であったといえる。平田氏はブラジルの著名な作家マリオ・デ・アンドラーデの作品『マクナイマ』を取り上げ、ブラジル文化の混血性を肯定的に取り上げた作品であるという一般的解釈ではなく、むしろブラジル人に対する楽観と悲観の両側面を映し出している作品との解釈を示した。宮本氏はパナマで実際に携わった住民参加型プロジェクトの経験に基づき、住民参加型のプロジェクトが成功するには、実施段階からではなく意思決定の段階から住民参加と、住民によるモニタリングが必要であると主張した。柴田氏は最新の現地調査に基づき、ジャマイカのラスタファリ運動についてその多様化と今後の展開について詳細な報告をおこなった。運動の今後の展望に関し、とくに女性・ジェンダー、統合化、国際連帯、音楽的側面との関連の重要性が指摘された。なお、今後は西日本地区会員の積極的な参加が望まれる。
(西島章次 神戸大学)

『マクナイマ』にみるブラジル人像 -楽観と悲観のあいだで-
平田恵津子 (大阪外国語大学)

ブラジル近代主義運動の旗手マリオ・デ・アンドラーデの『マクナイマ、特性のないヒーロー』(1928)は、アマゾンで生まれ育ったヒーロー、マクナイマの奇想天外な冒険物語である。インディオの神話や北東部に伝わる口承文芸を下敷きに作り上げられたこの作品を、作者は小説と呼ばずラプソディーと名づけた。その名がしめすとおり叙事的、民族的な色彩をもち、即興的魅力にあふれたファンタジー『マクナイマ』は、同時にユーモア、パロディ、皮肉に満ちた多義的な作品でもある。出版以来様々な解釈がなされてきたが、ブラジル文化の混血性を肯定的に表現したものという読みが主流である。しかし、バフチン的哄笑に満ちたマクナイマの運命は、実は挫折と敗北の連続である。これは、ブラジルを愛し、ブラジルにこだわった作者の、楽観と悲観のあいだでゆれる心の動きを映し出していると言えよう。マクナイマは、ブラジルの悲しきヒーローなのである。

パナマにおける参加型村落開発の事例研究
宮本雅美(神戸大学大学院)

参加型開発は1990年代に入って、世銀や国際機関、JICAなどの社会開発の分野で重要課題とされている。本報告ではプロジェクトに「住民参加」を促すプロセスを提示した。報告者は1995年より3年弱、青年海外協力隊員として中米パナマに滞在し、その時に出会った4つの活動事例を世銀やJICAの文書より引用した指標で検討した。その結果、「住民参加」を促すには「参加の前提条件」、「意思決定」からの住民参加、住民による「モニタリング」が必要であることが分かった。この住民参加アプローチの限界には、行政の「中央集権化」、初期段階からの住民参加が困難なこと、住民および住民組織の能力形成が不十分であることが挙げられる。そしてさらに住民の能力を「政治的」「経済的」「社会的」参加につなげるには、「最低限の経済インフラ」「組合組織」「政策とプロジェクトの目標の一致」が必要であることが分かった。次の課題は分析の一般化である。

ジャマイカのラスタファリ運動の近況
柴田佳子(神戸大学)

本報告は、ジャマイカのラスタファリ運動の近況について、昨年の訪問で得た資料などから、以下の点を指摘した。多義的性格をもつ社会宗教運動だが、「教義」や主義主張の変遷は時代性と運動のありかたの変化を反映する。(たとえば、ハイレ・セラシエ皇帝の神性、信者は不死だとする解釈、「アフリカ」観、「帰還」、ジャマイカの位置づけなど。)また、当初より統合化され組織だった運動ではなかったが、個人と組織のありかたでいえば、個人の生きざま優先という方向と、組織や同胞の他者への全面的コミットメントという両極に、ベクトルが働くような力学がみられる。ラスタに対するステレオタイプは、アウトカースト的な否定的部分を残しつつも、個人的には個性の一部としてラスタを認める傾向も強くなっており、執拗な排斥や差別は減っている。’90年代に特に顕著になった統合化の動きは活発化し、またフェミニズムやジェンダー論議の影響を強く受けた、教育のある女性ラスタ達からは、従来の弾性中心的・家父長的なラスタ教義や聖書解釈への批判なども多く出され、男女の役割のみならず運動のありかた全体をめぐって、運動内で議論が続けられている。