研究部会報告2001年第2回

東日本研究部会

2001年12月8日 (土) 上智大学で開催。事前通知の不足もあり出席者は9名にとどまったが、内容は多彩で質疑応答も活発化した。杉守報告は、革命思想の源流を探る意欲的な思想史研究で、実証主義受容以降の政治社会思想の動態に焦点が合わされた。フロアーからは、実証主義と反実証主義の定義、後の革命思想やナショナリズムとの関連性などについて質問が続いた。博士論文の一部をなす谷口報告では、歴史民族研究が主流の分野に宗教学から斬新な読みが試みられた。質疑は図像の解釈から、偶像崇拝、悪魔、異端撲滅などの用語説明にまでわたった。音楽の文化研究といえる西村報告は、ブエナ・ビスタ現象という独自の視点から、キューバ音楽におけるその位置づけやグローバル化の過程、イメージと実態のズレなどを明らかにした。 音楽ジャンルの個別内容や、商業化にみる欧米や日本の状況、キューバの音楽家や政府の反応などをめぐり、 質疑も盛り上がりをみせた。これら三つの報告に共通するのは、歴史を踏まえた文化思想研究という特徴であろうか。
いずれも分析視角を絞るなどの工夫をすれば、より豊かな成果を生み出しうる可能性を秘めており、今後の取組みが期待される。
新木秀和 (神奈川大学)

「メキシコにおける革命思想の形成と展開-19世紀後半から20世紀初頭の政治社会思想」
杉守慶太 (成蹊大学大学院)

本報告の目的は、 1910年に勃発したメキシコ革命の思想的背景を19世紀後半に受容した実証主義および19世紀末に起こった反実証主義としての政治社会思想の流れの中から見出すことであった。まず、19世紀後半に理性と科学を重視した実証主義思想は、自由主義派と保守派の抗争終結から間もない当時の混沌とした社会に秩序と進歩をもたらす理論として自由主義派の指導者によってヨーロッパから導入され、「科学主義者」 (シエンティフィコス) によるエリート支配を正当化したことを指摘した。 次に、政治的腐敗が蔓延し経済格差が増大した19世紀末の社会において展開された反実証主義思想として、フローレス・マゴン兄弟を中心として労働者の条件改善要求運動を展開したメキシコ自由党(PLM)のアナーキズムと意志や直感を重視した文化刷新運動を展開した青年文芸協会の新理想主義に焦点を当て、それらが革命および革命後に与えた影響について考察した。

「『偶像崇拝』 -植民地期アンデスの民衆宗教」
谷口智子 (筑波大学)

ピサロのインカ帝国征服後、スペイン王室や各修道会を中心としてアンデス先住民の支配およびキリスト教化が押し進められる過程で先住民宗教=「偶像崇拝」説が生まれ、 その撲滅運動が行われた。それは1608年にフランシスコ・アビラによって始められ、 17世紀中葉の第六代リマ大司教ペドロ・デ・ビリャゴメスによって最盛期を迎えた。本発表ではリマ司教古文書館における 「偶像崇拝・魔術」 史料を用いたが、それは一方でキリスト教布教者側から 「偶像崇拝」 と呼ばれ、他方で植民地時代のアンデスの先住民が神話や儀礼を通して自然・宇宙 (太陽、 天空、 星、 大地、 石、 水など) や祖先 (神) と密接に関わる、いわば、 聖に対する態度であった。 具体的に先住民が信仰対象としたワリ、マルキ、 石、 泉や水路などいくつかのテーマに沿って史料を整理したところ、それらを統括する視点は主に■神話と儀礼、 ■自然と超自然、の二点であることがわかった。 本発表では 「偶像崇拝」と呼ばれたそれら植民地時代のアンデスの先住民宗教を、以上の二点に基づき宗教学の立場からその意義を理解し再構成した。

「キューバ音楽の国際化とブエナ・ビスタ現象-歴史的経緯を踏まえて」
西村秀人 (上智大学)

1998年製作の映画 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」はギタリスト、ライ・クーダーがキューバ音楽の古老たちを探し出し、録音にこぎつけ、最後にはカーネギーホールでのコンサートを成功させる過程を描いたロードムービーである。この映画は欧米や日本で大ヒットし、 CDもかなりの売り上げを示し、関連アーティストの海外公演も現在に至るまで続けられている。キューバ音楽の海外での流行は1930年のルンバ・ブーム以降、米国の多国籍企業が取り上げる形で起こってきたが、 1961年の米国=キューバ間の国交断絶でその流れは途絶えた。今回のムーヴメントはイギリスのワールド・ミュージック専門の小さなレコード会社が主体であり、スタイルの欧米化を前提とせず、強い現地指向を持つ点が従来の流れと異なっている。キューバ・サイドの反応も含め、この現象の広がりはそれまでの海外におけるキューバ音楽の展開とは大きく異なっている。

中部日本研究部会

12月1日 (土) 14時から18時に愛知県立大学外国語学部棟スペイン学科共同研究室において開催、出席者は16名であった。 以下の3件の報告が行われた。
(水戸博之 名古屋大学)

「テオティワカン出土の黒曜石製品における政治的・経済的意義―Proyecto Pirámide de la Luna 出土の黒曜石を基に―」
嘉幡 茂 (愛知県立大学大学院)

新大陸の古代文明は石器時代の段階に属している。そのため、 石器は日常生活において重要な役割を果たしていた。特にメキシコ・テオティワカンでは、 黒曜石の生産や流通が盛んであり、都市の発展と黒曜石との結びつきが密接であったと考えられている。本発表では、 先行研究ならびに埋葬墓からの儀式用の黒曜石製品、そして「月のピラミッド発掘調査」から出土する包含層の黒曜石剥片の分析データを基に、黒曜石の政治的・経済的な変化について報告した。 特に、都市の発展とともに黒曜石の生産や流通が拡大したことなどについて指摘した。

「グアテマラにおける二言語・多文化相互教育-エスニック・リバイバルと開発援助の関係-」
福田しのぶ (名古屋大学大学院)

日本では先進国の事例に偏りがちのエスニシティ研究だが、グアテマラにおけるエスニシティとしてのマヤを取り上げ、中でも文化や言語の多様性を認識し、他文化を相互に尊重するとの理念を持つ 「二言語・多文化相互教育」 (Educación Bilingue Intercultural) をめぐる動きを分析した。EBIはラディーノに対する民族としてのアイデンティティと権利要求を行う「マヤ運動」 のなかに位置づけられるが、ラディーノをも包含する教育として確立するには96年の和平協定、教育改革構想での国際機関の協力が大きかった。国際機関と先住民族との距離は様々な面で縮まりつつある一方、国内保守層は依然として同化主義的であり、援助が行われるほど政府はそれを 「外圧」 とし、 自らの関与を減じてしまう「悪循環」 が存在する。また、エスニック・リバイバルの中で一見同質的に捉えられるマヤについても、具体的な事例からはその多様性が伺える。

「ラティーノEL児童の学力向上に対する“双方向イマージョン式バイリンガル教育”の有効性」
牛田千鶴 (鈴鹿国際大学)

カリフォルニア州の公立小・中学校では、英語学習を要するEL児童・生徒が全体の4分の1を占め、その83%がスペイン語を母語とする。同州は98年こうしたラティーノの子供たちを主な対象としてきたバイリンガル教育を、住民投票により廃止した。 しかし近年、「双方向イマ―ジョン式バイリンガル教育」 実施校数は増え続け、同教育がラティーノEL児童のみならずマジョリティ児童の学力向上にも有効であることが示されつつある。

今回の研究部会報告3件は、地域的には北米を含む赤道以北の研究であり、分野は考古と教育であるが、いずれも現地調査に基づいたものである。第1報告のテオティワカン黒曜石製品についての解釈は、かつて日本考古学を少し学んだことのある筆者にとって、 同材質の製品に、いかなる地域的意味付けの差違が生ずるかという点で、興味深いものであった。 第2報告と第3報告は、中米と北米における広義の言語文化を巡る問題であるが、これら2報告を通じ、世界におけるスペイン語の社会的位置づけという問題を再認識した出席者も多かったのではなかろうか。すなわち、グアテマラにおいてはマヤ語対スペイン語、北米においてはスペイン語対英語という、それぞれ後者が前者に対して強者であるという否定し難い現実である。3報告すべてに活発な質疑応答が行われ、報告後の懇親会にも多数の会員が出席した。(文責・水戸博之)

西日本研究部会

2001年12月8日 (土) 13時30分から17時まで同志社大学今出川キャンパスにて開催した。出席者は11人で活発な議論がなされた (松下マルタ)。報告内容は以下のとおり。

「ソル・フアナと17世紀メキシコの政治文化」
林 美智代 (関西外国語大学)

文学者の名声を確立したフアナ修道女は享年47歳であった。エリート社会に通暁したはずの才女の意外な結末であった。彼女は病死したが、当時の政治文化に社会的殺害を受けたと換言できよう。副王領の都に凝縮された宗教=政治文化が彼女に栄誉を与え転落させた。彼女がはまった罠は宗教の顔をした政治であった。

「マルティのインディオ観―メキシコ・グアテマラ滞在期の意義」
山田泰子 (神戸大学大学院)

イスパノアメリカ団結とその第2の独立を説いたホセ・マルティの論理において、インディオの問題はそれらと分かち難く結びついていた。この問題意識から、本発表では彼のインディオ像の検討を試みた。彼は、土着で独創的な古代アメリカ文明と、それを築き上げたインディオ達に賞賛を与えながら、彼らの地位向上さらに彼らに支えられたイスパノアメリカの解放などを主張したと言えよう。彼のインディオ観形成にあたって、メキシコ・グアテマラ滞在期のインパクトは大きい。独立後も依然として奴隷的状態にある彼らの姿を目の当たりにする一方、優れたインディオ達を知り、古代アメリカ文明の遺跡に接した。この経験を通じ、 彼らの解放の重要性を強く認識したこと、その解放策として主に教育と労働を考えたことを指摘した。 フロア-からは、マルティのインディオ観自体当時として目新しいものではなく、それを敢えて取り上げる意義は何か、それでは彼がどこからその思想的影響を受けていたのかなど、貴重なコメントを受けた。