研究部会報告2003年第1回

東日本研究部会

日時:3月29日 (土) 午後2時―5時
場所:上智大学10号館3階322室

「『モダン・アート』 / 『ポピュラー・アート』 の恣意的区分を越えた相互通交の可能性に向けて」 網野航介 (上智大学大学院地域研究専攻)

本報告の目的は、メキシコ・ミチョアカン州内の先住民一村落に居住する 「ポピュラー・アーティスト」 と 「匿名の工芸家たち」を事例に取り上げ、とりわけ後者の工芸家たちが制作するチャンゴ (悪魔) と呼ばれる造形作品に日常の生活や感情などの表現の<あとかた>を見ることで、そこに押し付けられた意味や範疇をその目論見とは別な多様なものにつくりかえていっている工芸家たちの実践・可能性の所在を指摘することにあった。「ポピュラー・アーティスト/アート」 はその定義上、「モダン・アーティスト/アート」 との恣意的区分の上に成り立つものである。そしてメキシコでは1980年以降、「ポピュラー・アーティスト/アート」 という範疇が含みもつ意味内容には、その範疇を誰がいかなる目的のもとに生産し、どのような消費者を標的に、どの市場に流通させているのかによって違いが見られるようになる。しかし近年、州政府主導による観光市場の拡大が見られるミチョアカン州では、その範疇が観光客の異国趣味を満たすポピュラーなるもの=チャンゴを広く伝達するための媒体として商業的に流用・活用され、先住民のいる地域社会、先住民村落に押し付けられているという状況がある。これに対して、先住民村落に住む工芸家たちの中には、観光客により「ポピュラー・アート」 と呼ばれるに似つかわしいチャンゴの制作に従事しえている「ポピュラー・アーティスト」 がいる一方で、「ポピュラー・アート」とは呼ばれながらも自らがチャンゴと呼ぶものの制作に従事している無名の工芸家たちがいる。後者は観光市場の文脈からは外れる日常生活のなかで造形作品の制作機会を見出している。そして、その機会を活用しながら、多様に意味化されたチャンゴをつくり上げているのである。例えば、チャンゴの姿形や表情や色彩への工夫や、チャンゴの背後に何気ない情景描写を添えるなどの視覚的差異を用いながら自らの生活や感情を表わしている。そうすることで、工芸家たちは観光客を前にしてチャンゴを自己表現の所産として差し出し、さらにはチャンゴのもつ多様な意味に突き動かされた両者間のコミュニケーション=相互通交の触発を促がす発動因を築き上げていっているのである。報告者はこのような大まかな過程を、先行研究の検討と自身のフィールド・データの分析から明らかにしていった。

「チリ生鮮果物輸出産業の発展過程における中小農の位置づけ」 村瀬幸代 (上智大学大学院地域研究専攻)

本報告は、近年その成長が著しく輸出主導型モデルの成果を象徴的に表す存在となったチリの生鮮果物輸出産業について、その発展過程において中小規模の農家が置かれてきた状況という点からの分析を提示するものである。本報告で指摘したのは以下の3点である。第1に、産業の発展過程全体を通して見れば、企業家層や大規模農家に比べて中小農は相対的に競争力のない状態に置かれていたが、その位置づけは時期ごとに変化している。中小農の発展過程からの排除が進んだのは、1970年代と1990年代の2つの時期においてである。1980年代には、輸出ブームと契約生産の拡大によって、一時的にではあるが、中小農は輸出向けの果物生産に参入することができた。第2に、1970年代と1990年代において、中小農の排除が進んだ要因はそれぞれ次のようなものであった。1970年代では、中小農排除の要因となったのは、公的部門の縮小による資本アクセスの悪化と、競争的な農地市場における農地価格の上昇であった。限られた資本アクセスの下では、懐妊期間の長い多額の初期投資を要する果樹栽培に中小農が着手することは難しく、経済的に困窮した多くの中小農は農地の売却に向かった。一方、果物輸出市場の成熟と利益率の低下によって特徴づけられる1990年代には、契約条件の厳格化、農家の輸出企業に対する債務負担、輸出企業による担保農地の吸い上げというプロセスが観察されるようになり、中小農が再び排除されていった。最後に、こうした状況に対し、生産農家間の水平的な連帯と輸出企業に対する交渉力の向上によって、契約生産システムの変容から生じる排除圧力を緩和しようとする試みが出てきている。こうした動きは1990年代のような排除の要因を克服する可能性を持っている。しかし、1970年代における中小農の排除は、土地や資本といった資源分配のあり方とそれを規定する制度的枠組みに起因しているため、その克服には民政移管後も踏襲されてきた新自由主義的枠組みを超えた努力が必要である。

「農村の「シングルマザー」 ――メキシコ・ワステカの事例から山本昭代 (東京農業大学非常勤講師)

メキシコでは夫のない女性が子どもをもうけること、また夫のない女性が世帯主として家族を養うことは、全国的に見ても珍しいことではない。調査を行ったメキシコ・ワステカ地方のナワ先住民村サンタクルスにおいても、子どものいる女性に夫がいないケースは10人に1人とけっして無視できない割合である。しかしメキシコでは女性とその子どもを中心とした「女性世帯主世帯」は、これまでおもに都市下層民の「貧困の文化」との関連で論じられてきた。また拡大家族の中に取り込まれることに多い農村のシングルマザーは 「女性世帯主」 とはみなされず、そのため農村のシングルマザーは調査の対象とされてこなかった。サンタクルスではかつてはトウモロコシ栽培を中心とした農業が生産の中心だったが、1980年代以降国内都市への移民が増加し、今日では若い男女の大部分が都市に出ている。サンタクルスでは、女性が都市に働きに出るようになってからシングルマザーになる女性が増えたといわれるが、実際に調査してみると、80年代以前でも、婚外子の出生や乳幼児のいる夫婦の離別は珍しいものではなかった。しかし、かつては女性が夫なしで子どもを抱えた場合、子どもを自分の親などのもとに残して別の男性のもとに嫁いでいた。しかし祖父母に引き取られた子どもは、必ずしも祖父母の実子と同じ扱いがされるとはかぎらず、相続や教育、保護の面で不利益をこうむることが少なくなかった。夫なしで子どもを抱えることになった若い女性が、自分で子どもを養うケースが現れてきたのは、サンタクルスでは80年代以降のことである。その背景には、女性に賃金労働に就く機会が現われたことと同時に、学校教育が普及したために子どもの養育に費用がかかり、また子どもを労働力としては期待できなくなったという変化がある。サンタクルスで調査した23人のシングルマザーのうち、子どもを親元に残して都市で働くシングルマザー10人は全員、定期的に送金を行っている。夫婦で子どもを残して出稼ぎに行く場合、子どもの預け先に送金しないこともしばしばであるのに比べて、シングルマザーは送金に強い義務感をもっているようである。シングルマザーは親としての義務のうち、経済的責任を果たすことを優先しているようだが、シングルマザーはそのスティグマゆえに、村の親族らから受け入れられるためには、親としても娘としても、倫理的に正しく振る舞うことがより厳しく求められているのではないだろうか。サンタクルスでは、社会経済的な状況の変化に伴って、女性が 「夫のない母」 になった場合にはどのように振る舞うべきか、かつてとは違った規範が示されるようになった。女性がひとりで親になるという、かつてはありえないと考えられていた家族の構築のされ方が、条件付きながらも社会的に認められるようになってきたのは確かだろう。

中部日本研究部会

中部日本部会は3月29日(土) 14時から17時30分にかけて名古屋大学言語文化部会議室で開催された。出席者は12名。今回の報告は若手研究者によるもので、メキシコの美術、「悲嘆行為」、及びブラジル音楽についてであった。特筆すべきは最初の2つの報告においてパワー・ポイントが用いられ、図像の表示や解析においてパソコンやデジタル・プロジェクターがその効果をいかんなく発揮したことである。大野報告はリベラのヨーロッパ留学時代に焦点を当て、キュビストとしてのリベラがどのようにして壁画運動に目覚めたか分析した。ヨーロッパでは前衛芸術を学んだリベラだが、メキシコ帰国後は一般大衆のための芸術を創り出そうとして、必然的にそれから乖離せざるを得なかった経緯をわかりやすく説明した。今後、芸術思想面からのより深い分析を期待する。佐原報告はExvoto (奉納画) に読みとることができる一般大衆の心理を分析することにより、メキシコ女性のグリーフ・ワークを解明しようとした意欲的な発表であった。フロアからはExvotoの起源やマリアニスモとの関係について等、数多くの質問が出たが、Exvoto自体が今日で言う 「癒し」 の行為であり、女性のグリーフ・ワークであるという結論には説得力があった。瀧藤報告はブラジルのアマゾナス州パリンチンス市で、毎年6月末の3日間に開催される祭りのテーマ曲を取りあげたものである。発表では実際にいくつかの曲をテープで流し、実証的に歌詞を分析した。そしてそのテーマは時々の時代を反映し、そこには観客の興味を惹く意図が隠されていることを明らかにした。欲を言えば、環境サミットといったブラジルの社会・政治的な事象にも言及してほしかった。以下は報告者による発表の要旨である。(文責 田中敬一)

「壁画家ディエゴ・リベラの誕生 -キュビズムから壁画へ-大野友実 (愛知県立大学)

ディエゴ・リベラはメキシコ革命後に、Arte de la Revolución 「革命の芸術」 を創造するために始まった運動である 「メキシコ壁画運動」の三巨匠の一人として知られている。しかしながら、リベラはメキシコ革命動乱期をヨーロッパで過ごし、キュビズムの画家として活躍した後、独自に壁画家へと転身している。そして1921年、リベラはメキシコに帰国すると、ヨーロッパの前衛美術の手法を使わず、古典的な写実主義でもって壁画を描き始めたのである。本発表では、キュビスタであったディエゴ・リベラが、ヨーロッパ留学時代 (1907年~1920年) 何を描き、何を学んだかを紹介し、代表的な作品をいくつか分析した。そしてキュビスタ、ディエゴ・リベラが、どのような過程を経て壁画家ディエゴ・リベラへと生まれ変わっていったのかを明らかにした。

「グリーフ・ワークとジェンダー-Exvotoから見る女性の生活世界と死生観 (19世紀~20世紀のメキシコにおいて)-佐原みどり (名古屋大学大学院)

本研究の主旨は、EXVOTOに描き出されるメキシコ社会の変遷を追うことであった。EXVOTOとは、絵馬のような形態の奉納物で教会や寺院に信者の手によって奉納されるものである。奉納者本人の身や親近者に起こった 「奇蹟」 が絵画と文章でしめされ、それらの奇蹟を起こした神 (各地に奇蹟とともに出現したキリストやマリア、また諸聖人) への感謝の表明である。奇蹟は主に苦しむ庶民のもとへもたらされた。EXVOTOから得られる学術的資料は、歴史的(描かれ記述される病気・痛み・不幸・祈りの変遷)、地理的 (地形が設定する人々の日常生活の様子が描き出される)、社会的 (祈りの内容からみる当時の人々の生活世界、政治的背景、家族関係等の考察)と大変幅広い。今回の発表では、そうした多彩なEXVOTOのテーマの中から女性の祈りに焦点を当て、時代の変遷 (19世紀末から20世紀)と女性のグリーフ・ワーク (悲嘆行為) について考察した。

「Boi-Bumbの歌詞に見るアマゾンの描き方」瀧藤千恵美 (名古屋大学大学院)

本発表では、ブラジルアマゾンで毎年行われる祭り 「Festa de Boi-Bumb」 で用いられるテーマ曲 (Toada) に焦点を当て、どのような内容が謳われているかを分析した。具体的にはカボクロを謳ったもの、インディオを謳ったもの、アマゾンの歴史を謳ったもの、そしてアマゾンの環境を謳ったものの4種類の歌詞について考察した。各要素は一貫してポジティブなイメージを植え付け、ネガティブなイメージの脱却を図っている。また近年の環境問題への関心の高まりにつれて、歌詞の中でも環境への意識を謳い、アマゾンの大切さを問うものが多くなってきている。そしてそれらは少なからず観光客を呼び寄せるための呼び水として貢献している。こうしたアマゾンの民のメッセージは祭りの担い手達にルーツを肯定的に受け止めさせると同時に、他者に対してはアマゾンに惹きつけさせるという戦略的効果も有していると考えられる。

西日本研究部会

2003年4月5日午後2時から5時にわたって、神戸大学において西日本部会が開催され、以下の2つの報告が行われた。
当日の出席者は約10名で、第一報告に関してはチリでは貧困をどう定義しているのか、また、貧困人口の減少と並行して社会格差が増大しているのは何故かなどをめぐって、活発な質疑応答が繰り広げられた。第二報告に関しても、金本位制を共に採用していたチリとアルゼンチンで19世紀末物価動向が異なったのは何故かをはじめとして、様々な問題が提起された。(文責、松下 洋:ただし、要約はそれぞれの報告者による)。

「チリにおける社会政策と貧困削減―90年代の民主政権下の経験を中心―」 葛城艶子 (神戸大学国際協力研究科博士後期課程)

本報告では1990年代におけるチリの社会政策の有効性について分析した。保健・医療部門では低所得層の健康状態の改善という効果が確認され、教育部門では初等教育に関して低所得層での就学率改善が見られた。しかし中等教育や高等教育では各階層間で依然として格差があり、特に高等教育に関しては10年間で低所得層と富裕層の格差が拡大した。また、保健・医療部門と教育部門において、例外的な項目を除いてその支出配分はきわめて累進的であった。これは、民営化やバウチャー制度の導入によって利用者の二分化 (つまり低所得層は公的制度を利用)が促進されたという制度的な要因が作用したと考えられる。ターゲティングの運営・費用に関しては、チリの民主政権は軍事政権下で修正を経た資力調査(Ficha CAS-2) を用い、高い制度能力によって比較的低い費用で効果的にターゲティングを実施し、貧困層へ資源を集中的に配分している。

「中進国における経済自由化の進め方をめぐって 19世紀末のチリの事例」高橋直志 (同志社大学経済学研究科博士後期課程)

本報告は19世紀末のチリ経済の動向を分析対象としている。1873年大不況による経済的な打撃を回復すべく、隣国との戦争を断行して勝利を収めたチリは、硝石をステープルとして未曾有の経済成長を遂げたものの、過度に関税に依存した歳入構造や外資による基幹産業の経営権の掌握、資本輸入や対外債務の増大などが災いしてインフレや労働争議が激化した。こうした経済的成長と社会的混乱が併存した原因は、貿易の構造と国内の金融制度が1870年代を通じて激変したにもかかわらず、財政・国内政治のしくみと国際金融の動向が20世紀初頭まで本質的に不変であり、その結果として問題点がエスカレートしたからに他ならない。加えて本報告では、経済自由化のあるべき姿を検討しながら、国際市場における拙速な資本移動自由化の危険性と先進国本位の国際分業体制の弊害を指摘し、その対応策を担う国家と国際機関の重要性を強調した。なお、詳しくは報告と同じタイトルの拙稿(『経済学論叢』 同志社大学、第54巻4号、2003年3月)を参照されたい。