研究部会報告2003年第2回
東日本研究部会
ラテンアメリカ学会東日本部会は 2003 年 11 月 15 日 (土)、慶應義塾大学三田キャンパスにおいて開催された。部会の共通テーマを「中米研究」 とし、社会学・歴史学・医療人類学・開発経済学 (農業) の立場から中米を研究する四名の若手研究者の方々に発表していただいた。
1. 上智大学大学院 藤井嘉祥氏 「雇用戦略の変化にみるマキラドーラの現状-グアテマラの事例より」
藤井氏はグアテマラにおいて 1990 年以降、都市部から農村部へと拡大しつつあるマキラドーラの動向とその極めて現代的な経済システムが先住民村落社会にもたらす社会経済的影響に関心を抱いている。現地調査で得られたデータをもとに農村部のマキラドーラの特徴を考察し、1) 農村部のマキラ労働者が 「スペイン語」 に精通した若年層である傾向が高い点、2) マキラ側が労働者の村落内でのネットワークを巧みに利用しながら労働力を確保する一方、労働者側もマキラでの 「労働経験」 を重視し、それを売り込みことでより条件のよい雇用環境を得ている点を明らかにした。
2. 京都外国語大学大学院 村田真喜子氏
「グアテマラ産の藍の重要性に関する一考察-世界市場におけるインディゴブーム (1750-1810) を中心に-」
村田氏は植民地時代に中米の主要な輸出産品であった藍 (インディゴ) の商業的役割に着目し、西・英・仏・蘭 4 国の藍をめぐる競合とその歴史的背景に触れながら、グアテマラでの藍生産の開始とその拡大、またそれが当時の世界経済にどのような影響を与えたのかを、歴史家の記述や Archivo General de Centroamrica の古文書資料をもとに検証し、藍産業の発達と商業化の経緯、その商業ルートの実態を明らかにした。
3. お茶の水女子大学大学院 茅根美保氏
「病気治療における 『呪術性』 の認識-コスタリカ先住民ブリブリと Buenos Aires 地区に移住する 『白人』 を事例として-」
茅根氏は、民俗的身体観にもとづき、患者の 「症状」 に合わせた薬用植物を配合し 「病い」 を治す先住民ブリブリの治療体系と、国家が推進するヘルスケアシステム-クリニックでおこなわれる近代的な医療体系との違いを比較し先住民ブリブリとヨーロッパ移民の子孫 (白人) とのあいだに生じる軋轢とその原因を 『治療にみられる呪術性』 という視座から考察した。その結果、双方ともに 「自分たちが理解できない、積極的に理解しようとはしない治療方法」 を総じて 『呪術的』 なものと認識していること、またそうした思考体系こそが双方の対立を生む原因となっている点を指摘した。
4.立教大学非常勤講師 木下雅夫氏 「グローバル化とホンジュラスの小農民」
木下氏はグローバル化がローカルな社会にもたらす様々な影響を 「農民」 というミクロな視点から捉えるためのケーススタディとして、遺伝子組み換え(GMO) とうもろこしの生産がホンジュラスの小農民に与える影響について分析した。その可能性とは、1) GMO 作物生産を背景とした多国籍アグリビジネスの台頭を受け小農民がGMO 作物生産へと移行することで、企業による大規模な農業生産との経済格差がさらに増大すること、あるいは、2) GMO 作物の進出とは対照的に、従来の伝統種作物と小農民の 「有機農業」 が再評価され、小農民たちの農業生産における経済的脆弱性が緩和されることの 2 点である。GMO作物が今後のラ米農業や経済に与える影響は多大であることが予想され、他のラ米諸国との比較研究が早急な課題となる。
(文責:本谷裕子)
中部日本研究部会
12月 13日 (土) 14時から 17時 30分にかけて南山大学L棟会議室にて開催された。出席者は 24名。今回は報告2本であったため時間を十分にとり、各報告者にそれぞれ発表1時間と質疑応答 30分をお願いした。
第一報告は、「家族を通してみる在日ペルー人の生活」 である。報告者は姓名が示すとおり日系ペルー人であり、発表はスペイン語で行った。デカセギ体験を含む長い滞日生活を通じ、様々なペルー人家庭と交流のある報告者自身、ある意味で同時に当事者でもある。単に研究者としてフィールドワークを行ったのでは分からないペルー人コミュニティ内部の微妙な問題を明らかにしようとした。
第二報告は、インディヘニスモ文学の特質を歴史的に回顧するとともに、その代表的作品において見出しうる現代的意義について再評価を試みたものである。1957年に発表された作品を構成する支配・従属・他者など古典的あるいは図式的概念は、それらを直接 21世紀初頭の現実に適用する妥当性に難があるとしても、作品の記述自体は今日的問題を提起し続ける。このことはまた、ラテンアメリカ社会の諸問題の根本が未だ解消していないことを意味しているともいえる。なお、報告者は同小説の翻訳を 2002年秋に刊行している。
今回は報告の一つがスペイン語でなされたこともあり、メキシコやパナマなどスペイン語圏からの出席者も数名あった。中部部会単位において複数言語による開催が可能であることを実証できたことは一つの成果であった。 また、このたび研究会活動について広報に力を入れた結果、多数の会員外の出席者があり、中部地域におけるラテンアメリカ研究に対する関心の高さと研究者の層の厚さをあらためて認識することができた。
さらに質疑応答も、時には新人への愛の鞭ともいえる厳しい指摘がなされるなど、いずれも司会者が直前になって通常よりかなり長い担当時間を報告者にお願いしたにもかかわらず、緊張感すら伴う活発なものであり、多数の出席者とともに極めて充実した部会であった。
(文責:水戸博之)
Los Peruanos y sus Familias en Japón
Rolando Requena Minami (Universidad de Nagoya)
Desde 1986, año en que llegaron los primeros inmigrantes peruanos a Japón, se han presentado cambios al interior de la familia migrante peruana como parte del proceso de adaptación a la sociedad y cultura japonesa. El siguiente es una breve sinopsis de los resultados de una investigación que se realizó de 1999 a 2001, entre 78 peruanos residentes en Japón, con el objetivo de conocer y verificar los cambios que se han dado al interior de sus familias así como en su vida diaria.
Entre los principales cambios observados se puede mencionar la "flexibilización" de las relaciones íntimas. Por ejemplo, se ha notado una tendencia a aceptar las relaciones prematrimoniales y la convivencia como algo natural y necesario para poder conformar una familia.
Otro tema que merece atención es el del aborto que es completamente rechazado por los migrantes, a pesar de que en Japón sea legalmente aceptado. Las relaciones extramatrimoniales, aunque son vistas como algo negativo, son aceptadas como una consecuencia directa de la separación física de la familia debida a la migración.
Por otro lado, en relación a este tema, se ha comprobado la persistencia de un doble estándar para los hombres y mujeres. Las relaciones prematrimoniales o extramatrimoniales de los varones no son juzgadas tan fuerte o negativamente como aquellas realizadas por las mujeres.
También dentro de la comunidad migrante hay un fortalecimiento de la llamada "familia nuclear", pero al mismo tiempo se mantienen las relaciones con otros parientes en Perú u otros países a través del envío de remesas periódicas. Finalmente, el número de hijos que los migrantes tienen es relativamente bajo, esto se debe principalmente al arduo proceso de adaptación a un medio tan diferente como es la sociedad japonesa.
「『バルン・カナン』 再読-ポストコロニアルの視点から-」
田中敬一 (愛知県立大学)
ラテンアメリカの文学作品をポストコロニアルの視点から読み直す作業は、植民地時代を通して形成された負の遺産を浮き彫りにし、被征服者の声なき声をすくい取る作業でもある。本報告ではメキシコの小説 『バルン・カナン』 を取りあげ、作品に植民地的体験がどのように反映されているか考察した。
『バルン・カナン』 の物語世界において、ラディーノとインディオの支配・従属の関係は根強く残っており、それはインディオを 「他者」 として排除し、搾取の対象としてきた植民地時代の身分制社会に起因していた。また記述面でよく見られるインディオ起源の語彙は、支配者の言語に対する土着の文化の干渉である。そしてラディーノ社会に取り入れられた先住民の伝説や生活習慣は、もはや両者の文化的境界は曖昧であることを示している。そしてこの文化的異種混交性(hetero-geneidad)、あるいは交雑性(hibridez)こそが、複雑なチアパス社会を特徴付けるものとなっている。
西日本研究部会
2003 年 12 月 6 日 (土)、午後 2 時―5 時 (於) 神戸大学
最初に、リオデジャネイロ連邦大学の Jorge Chami Batista 教授 (専門は貿易論、2000 年 10 月―12 月に神戸大学経済経営研究所で客員研究員として滞日)による 「最近のブラジル経済とルラ政権の政策」 に関する報告があった。同教授は、1980年代のブラジル経済の平均成長率が、チリを下回ったものの、アルゼンチン、メキシコを凌駕していたこと、90年代には4カ国で最低ではあったが、1980-2000年を通した経済パーフォーマンスは決して悪くなかったと総括した。また、90年代のインフレ収束にはレアルプランの成功とともに貿易自由化に伴う、供給の増大と輸入価格の下落が貢献していたとした。2003年1月に大統領に就任したルラの経済政策は、選挙キャンペーン時における新自由主義批判をトーンダウンさせ、むしろ前政権と大差ない新自由主義路線を歩んでいるが、これには与党労働党の経済学者が経済政策決定過程から事実上排除されていることが大きいという。今後のブラジル経済の見通しに関しては、楽観的だった。レアル・プランとカバロ・プランとの異同に関する解釈をはじめとして、多くの問題をめぐって活発な質疑応答が交わされた。
続いて、武田由紀子会員 (神戸市外大院生:文化人類学) による 「相続と老い―メキシコ・ベラクルス州南部における事例から―」 と題する報告があった。要旨 (同会員による) は以下の通り。
今日のメキシコ農村の経済構造の変動は、農村からの出稼ぎ人口を促し、家族の拡散傾向を引き起こしている。一方、農村においても高齢化が進展しており、社会的保障を事実上当てにできない農村の年長世代にとっては老後の経済的保障の確保がより深刻な問題となりつつある。本研究では家産の相続を、子供や孫による経済的援助やケア・サポートを確保するための世代間交渉の媒体ととらえ、ベラクルス州ウスパナパ地区での調査をもとに、相続をめぐっての世代間の衝突・合意確立の事例を示した。相続決定 (誰に、いつ、何を譲るか)、またそうした選択が年少世代にどのように示唆されるかという相続のプロセスには、年長世代にとっての老後の生活保障という動機のほかにも様々な要因が介入する。末子相続の規範、個別の家族の事情、マチスモの伝統、家父長的な父・息子関係といった文化的プロトタイプ、さらにローカル社会への参加欲求を指摘することもできる。
報告後、婚姻という要素も 「相続と老い」 の問題と関連して重要ではないかといった質問をはじめとして、質問が相次いだ。なお、武田会員には、急遽スペイン語での報告をお願いし、見事にこなしてくれたことに謝意を表したい。
(文責:松下 洋)