研究部会報告2004年第2回

東日本研究部会

2004年12月11日、早稲田大学で研究部会を開催した。3時聞半にわたり、報告とそれについての活発なが議論が行われた。参加者は15名。

「アフロ」性をめぐる全体化と断片化:20世紀前半、キューバにおける「民俗」音楽の輸出産品化をどう考えるか
倉田量介(東京工業大学大学院)

メキシコ市大衆地区における近住拡大家族
増山久美(上智大学大学院)

2004年ベネズエラ大統領罷免国民授票:米州機構(0AS)国民投票監視団に参加して
浦部浩之(愛国学園大)

倉田報告は「アフロ性」を謳う音楽が商品化された背景を、供給者と消費者の間に位置する仲介者、メディアに着目して分析した。主に国内の自文化の模索、「展俗」音楽黒人内の差別化との関連で「アフロ」性が捉えられたが、国民文化としてのアフロ性の称揚(全体化)と断片化(差別化)のプロセスについての質問や、米国の音楽産業・市場分析の必要性の指摘などがあった。
増山報告は自身の調査に基づき、統計上あらわれにくい「近住拡大家族」という概念を用いて、低所得層の家族の紐帯の要としての女性の役割を明らかにした。参加者から家族よりも隣人関係の重要性を示唆する事例の紹介や、積極的存在と女性の活動を評価する報告者に対してジェンダー視点の必要性を指摘する意見があった。
浦部報告では、写真を用いながらベネズエラの政治危機の背景と選拳監視活動の具体的内容、問題点が分析された。オプザーバーの人数の少なさと正統性の保証、パソコン導入の経緯、チャベス政権の性格づけなどについて質問があったが、個人的には、タッチスクリーンを利用した電子投票の導入と「あまりにも作業が非効率的」という報告者のコメントの対照性が印象に残った。(畑恵子)

中部日本研究部会

11月20日(土)14時から17時に南山大学名古屋キャンパスD-22教室にて開催。参加者16名。若い研究者が半数以上を占めた。部会での報告内容は以下のとおり。

「ラテンアメリカのジャポニスムーエンリケ・ゴメス・カリーリョに見る日本へのまなざし―」
浅香幸枝(南山大学)

グローバル化の進展する今日の国際社会において、異文化を理解し、多文化共生することは急務である。親日約なラテンアメリカの日本イメージ形成に果した、グアテマラ出身のエンリケ・ゴメス・カリーリョ(1873年-1927年)の役割は大きく示唆に富む。近代主義を模索したゴメスは、ジャポニスム全盛のパリに住み、日本文化に創作活動の源泉を見出す。文学作品だけでなく、スペイン語圏の新聞・雑誌に記事を送る売れっ子である。解釈によっては偏見にもつながりかねないことをゴメスは「共感」しながら異文化理解を試みている。「共感」の作法のあり様は今日においても説得力がある。詳細については、拙著「ラテンアメリカのジャポニスム―エンリケ・ゴメス・カリーリョに見る日本へのまなざし―」『ラテンアメリカの諸相と展望』(南山大学ラテンアメリカ研究センター編、行路社、2004年12月)をご覧いただければ幸いである。

「インカの追い込み猟<チャク>(ビクーニャの捕獲)の復活をめぐる諸間題」
稲村哲也(愛知県立大学)

インカ帝国では皇帝が自ら催す「チャク」と呼ばれる一種の追い込み猟があり、数万人が隊列を組んで動物を追い込んだ。特に毛の質が良いビクーニャは、毛を刈ったあと生きたまま解放し、その毛は皇帝に献上された。チャクは野生動物を合理的に利用し管理・保全する優れたシステムであったが、インカ帝国の滅亡とともに崩壊し、野生動物は乱獲され激減した。しかしフジモリ政権下の1993年に、パンパ・ガレーラス高原でインカ時代を偲ばせるチャクが復活した。本報告では、現代版「チャク」の実態を紹介し、復活の経緯・背景を明らかにするとともに、チャクが原毛から得られる大きな現金収入となり、それが野生動物の価値の再評価と保全につながり、先住民の歴史と伝統の再評価を促し、先住民コミュニティの連携やリーダーシップなどに大きな変化をもたらしていることを明らかにした。

「ポサダの描いたノタ・ロハ―都市労働者のもとめた残虐性とモラル―」
佐原みどり(名古屋大学大学院)

カラベラ(骸骨)シリーズで人気のあるメキシコの版画家ホセ・グアダルーぺ・ポサダは19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの労働者向け新聞の挿絵を手掛けた。本発表で取り上げたのは、とくに読者に好まれたノタ・ロハと呼ばれる災難記事に関するものである。ポサダが描いたノタ・ロハの内容は天災、事故、超自然現象、犯罪、刑罰などに分類され、それぞれの記事から都市労働者たちの日常生活と想像力、罪の捉え方とモラルの意識(犯罪者の典型、英雄の典型、社会・宗教的道徳)、都市から地方へのまなざしや都市の混乱の様子(近代化のひずみ)、マチスモ社会における死の意味合いなどを読み取ることができる。悪徳への報復としての天災や、犯罪者たちの復活のない死を想像力を駆使して描き出したノタ・ロハは、カトリック教理の延長線上にあり、暴力の糾弾という機能を持っていたと同時に、宗教や政治が提示する絶対的な善悪を超越する民衆の娯楽でもあった。

中部地区に限ったことではないが、大学院の数も入学定員も増加し、大学間の垣根もずいぶん低くなった。最先端の研究を発表する場が学会であるのはもちろんだが、学会は同時に若い才能を見守り鍛えていく場でもある。だから、若い研究者(あるいはそのタマゴ)も、ただ参加するだけでなく大いに発言し議論に加わって欲しい。関西や関東での研究会を見ると若い人たちの元気な活動がめざましく眩しいほどである。ラ米研究の将来を担う中部地区の若い有望な研究者たちに心からエールを送りたい。(加藤隆浩)

西日本研究部会

2004年12月4日(土)午後1時から京都外国語大学京都ラテンアメリカ研究所にて、西日本部会が開催された。

(1)中村報告では、アルゼンチンの女流詩人ストルニィを取り上げ、モデルニスモ詩人という評価に対し、さまざまな表象を用いてロマン主義詩人として位置づける。(2)小林報告は、メキシコ・トラパネコ社会において聖人サン・マルコスがいかに豊饒のシンボルになったかを祝祭日の儀礼をつうじて分析した。(3)佐々木報告では、ニカラグアにおける先住民共同体の変遷過程を行政・法・治安の観点から分析し、その存続可能性を超法規的な管理形態に求めている。今回は関西の有志による「ラス・アメリカス研究会」との合同研究会となり、当学会会員と合わせて16名が参加した。司会は運営委員の小澤卓也会員が務め、なごやかななかにも活発で有意義な議論ができた。報告要旨は以下のとおりである。(辻豊治)

(1)「詩人アルフォンシーナ・ストルニィ(1892-1938)のロマン主義に関する一考察―“Han venido...”(Languidez,1920)を中心に―」
中村多文子(京都外国語大学大学院)

本発表では、スイス移民の子で、アルゼンチンで育った詩人アルフォンシーナ・ストルニィの第4作Languidez(1920)所収の“Han venido...”におけるストルニィのロマン主義的な要素を考察した。1916年に文壇にデビューした彼女は、当時の女流詩人と同様に装飾的なモデルニスモの作風を嫌って率直な表現を好んだ。“Han venido...”はロマン主義の重要な要素である<私yo>の称揚(exaltación del yo)を探求する自伝的な物語詩であり、そこには20歳で未婚の母となったことに起因する孤独や虚無感から、夢への自己逃避や過去への郷愁が描かれている。とりわけ、暖かい春を探して飛ぶツバメに<移民>としての自分を重ね、このロマン主義のモチーフに彼女ならではのイメージを描いた。従来のストルニィ研究では、ロマン主義の影響については言及されることは少ないが、本発表では、ロマン主義の手法が彼女白身の経験や心情の表現に適していたことを指摘した。

(2)「豊饒のサン・マルコス―メキシコ、トラバネカ社会における農耕儀礼の一考察―」
小林貴徳(三重大学大学院)

メキシコ、ゲレロ州山岳部トラパネコ社会では、自然現象によって作物の出来が左右される農業を行っており、4月25日のサン・マルコス祝日には大規模な農耕儀礼が行われる。本研究では、サン・マルコスが儀礼で演ずる役割や、カトリック聖人としての属性、超自然的存在との習合に着目したシンボル分析を通じて、当該社会におけるサン・マルコスの意味を検証する。
儀礼が行われる湿地は、生命や水の源泉、動植物の再生産の場として認識されている。水、雷の統御者、穀種を与える英雄としての属性を賦与されているサン・マルコスは、男性原理の表象でもあり、湿地での儀礼では、女性原理を表す「母なる大地」との象徴的結合が表現される。トラパネコ社会における豊穣の原理の一角を成す神格としてサン・マルコスが重要な位置付けにあることは明らかである。

(3)「世紀転換期ニカラグア・『警察的なるもの』と先住民共同体」
佐々木祐(京都大学大学院)

ニカラグア共和国はスペインからの形式的独立後も、諸外国とりわけ米・英による覇権争いのもとでの国家編成を余儀なくされた。その際、社会的経済的統合の対象であると同時にその障碍として眼差されたのが、圧倒的多数の「その他」である先住民諸集団であった。そこに生活するさまざまな集団は、なによりもまず労働力と土地のr資源」として規定され、なかば強制的な賃労働への包摂によって、副次的に「国民」あるいは「先住民」として編成されてきたのである。
もちろんこれは、均質で一枚岩的な「国民国家」の形成として進展したわけではない。地域的・社会的・政治的に断片化されたそれぞれのセクターの、齟齬を含んだ複雑な接合過程がそこにはみられる。とりわけ、「中央」から相対的に自立した「周辺」諸地域においては、現場の行政官、地域ボスとその私兵、警察/軍隊といった様々な、相矛盾する諸エージェントの実践により、行為遂行的に法一秩序が形成されていった。この際、それらの諸力の執行対象とされたのは、やはり先住民―共同体であり、またその所有地である。
本報告においては、世紀転換期(1880~1920年)ニカラグア中部高地におけるコンフリクトの分析を通じ、こうした特異な法―秩序形成の一局面と、そうした諸力との交捗を通じて編成されていった「先住民共同体」のありかたについて考察した。