研究部会報告2005年第1回

東日本研究部会

2005年3月19日(土)午後2時~6時半まで、早稲田大学(西早稲田キャンパス)14号館10階1060会議室において開催された。出席者は14名。5件のうち4つは修士論文、最後の一つは博士論文にもとづく報告である。現地調査の結果を踏まえた水谷、片桐、梅崎報告、メキシコ版とスペイン版の丁寧な比較検討を行った石井報告はいずれもオリジナリテイに富むものであった。また現地での留学・研究・出版の困難さとその克服の努力を織り交ぜた睦月氏の報告は、参加者にとって大きな刺激と励みになった。以下、その要旨である。

「現代パスクア・ヤキの民族誌的研究―『耐える人々』から『選ぶ人々へ』
水谷裕佳(上智大学大学院)

メキシコ北部ソノラ州より、メキシコ・米国国境地帯アリゾナ州へ越境した先住民「パスクア・ヤキ」を民族誌的観点から考察し、文化、社会、アイデンティティの転換を同民族の特異性として緒論づけた。例えば儀礼に関しては、アミニズム的儀礼から宣教師到来によりキリスト教との混淆型へ、そして故地メキシコにおける儀礼の観光化と移住地米国における様式の保持と、という変遷が見られる。アイデンティティの面では、「メキシコ先住民ヤキ」から米国への民族集団越境を経て「政治難民」べ、さらに米国政府からの認定により「米国先住民パスクア・ヤキ」へ、と変化している。国境を越えて集団移住した他民族集団も調査しながら、上記国境地帯における「越境」概念を再考していきたい。

「多文化社会における言語政策―メキシコにおけるアイデンティティの獲得をめぐって―」
片桐瑞季(筑波大学大学院)

多文化社会メキシコにおける先住民は同化、統合を経て、現在先住民性を再び認められ、市民社会の一員になろうとしており、これは憲法に保障された多文化主義政策に見てとれる。言語については、言語の消滅は言語にまつわる記憶、貯蔵していた文化の記憶をなくし文化の消滅を意味するので、多文化社会の重要な一一面である。だが、言語政策だけでは、言語保存も含めた文化の保存を行うことには無理がある。それは言語政策の限界であり、多文化社会を考える際には、言語と言語以外の構成要素である政策や政治などを総合して考えなければならない。またメキシコ社会ではメステイーソと先住民の格差は明らかで、先住民に対する差別も残存しており、両者はアイデンティティも含め同等に扱われていない。従って現在のメキシコの多文化主義は限界があり不完全なものであると考えられる。

「カルロス・フエンテスの『イネスの本能』解読」
石井登(筑波大学大学院)

カルロス・フエンテスの2001年の中編小説である『イネスの本能』は、交互に現れる二つの物語や時制といった作品の構造、社会批判などの扱われているテーマ、そして複数テキストを読むことで明らかになるヴァリアントなどの点で、非常に興味深い作品である。今回はこの作品中の一方の物語で使用される未来形の時制の構造から読み取れる解釈、先行研究であるガルシア=グティエレスによる解釈の批判、そしてアルファグアラ社によるメキシコ版初版とスペイン版初版における、主人公の年齢の表記の違いについて、フエンテスヘのインタビューや、過去のフエンテスのテキスト等を用いて、解釈を行った。この『イネスの本能』に示されるのは先行研究で解き明かされたヨーロッパと新大陸や男性と女性の「対立」ではなく、その先にある「和解」であり、そこにフエンテスによる「時間と空間」の概念が色濃く反映されている。

「アフロ系ボリビア人のアイデンティティ獲得運動―アフロ系リズム“サヤ”認識の変遷を中心に―」
梅崎かほり(慶応義塾大学大学院)

奴隷として上陸して以降母国となったボリビアで、その歴史ゆえに周縁化されアイデンティティを見失っていったアフロ系住民が、いかにして今日アイデンティティ獲得運動を展開しつつあるかに焦点を絞り、その運動がボリビアの社会構造においてどのような意味を持つのかについての考察を試みた。現代ボリビアでは、インディヘニスモに基づくナショナリズム政策が国家の主導のもとに主張されてきた。初期には山岳部のインディオを、後に「多民族・多文化」主義の提唱により低地のインディオをも包摂しつつ国家統合を目指したこの政策は、「白人」でも「インディオ」でもないアフロ系住民を新たなるマイノリティとしてはじき出してしまう。文化的・社会的周縁化を深刻に受け止めたアフロ系住民は、記憶をつむぎ歴史を語る自己表現のための音楽“サヤ”に自らのアイデンティティを見出し、“サヤ”と「国民音楽」との関係のなかで国家における足場を獲得していく。

「フリオ・イラススタ―アルゼンチン・ナショナリズムの30年一」
睦月規子(拓殖大学)

報告者が2001年にアルゼンチン国立ブエノスアイレス大学に提出した博士号論文をもとに、2004年7月に同国で出版された同題著書の報告。アルゼンチンの「右派」ナショナリスト、フリオ・イラススタに焦点を絞り、その約30年間に渡る言動をクロノロジカルに考察することで、大恐慌から第二次大戦を経て戦後のペロン政権期にかけての彼の政治・経済・文化に渡る主張の変遷を辿った。また、イラススタと同世代の「左派」ナショナリスト,スカラブリーニ=オルティスや、彼らの前後に文壇で活躍した「百年祭世代」、「新世代」ナショナリストらとの比較を通して,対立関係が強調されてきた1930年代左右ナショナリストたちの同世代意識や相互影響関係を指摘すると共に、20世紀アルゼンチン・ナショナリズムにおいて、いわゆる「ドイツ型」、「フランス型」に相応する二通りのネイション像が提出されていたことを明らかにした。(畑恵子:早稲田大学)

中部日本研究部会

2005年4月16日(土)14:00から17:30まで、南山大学・名古屋キャンパス・D‐22教室にて開催。参加者は16名。部会での報告内容は以下の通り。

「メキシコにおけるテレノベラ―ナショナリズムとメロドラマの視点から―」
梅本英二(中京大学)

ベネディクト・アンダーソンのひそみに倣うならば、国家とは、その構成員の間にある一定の同意、共通の幻想といったものが共有されている「想像された共同体」であると言える。こうした共同体が常に不均衡な社会関係を内在させつつも、ひとつの共同体として成立しているのは、支配層による強制力のみならず、そこに共有されたナショナル(国家、国民)イメージというものが存在しているからに他ならない。こうした国家のイメージをめぐる言説(ナショナリズム)がどのようにつくられ、維持され、変容されていくかを考察するにあたっては、小説、演劇から映画、テレビ番組にいたる、娯楽として人々に供され、消費されてきた文化的生産物の果たしてきた役割を看過することはできない。
近代国民国家としてのメキシコのナショナリズムを考える場合、このテレビという媒体を介して送られる番組は、その高い普及度ゆえに、また、消費される商品として必然的に受け手の意向を何らかの形で反映せざるを得ないがゆえに、エリート層に属する制作者側の言説のみならず、消費者の大多数を占める「大衆」の持つナショナルなるもののイメージを探る上でも非常に興味深い。
今回の発表では、人々の間で最も関心が高いジャンルであるテレノベラをこのテレビを介してのナショナリズム分析の例として取り上げた。93~94年に放送された“Valentina”では、開始当初のプロットと改変後のプロットの比較から、ネオリベラル路線下において制作者側(エリート層)によって提示された新しいナショナリズムと、メキシコ革命後の政権によってつくられ、維持され、そして大衆(非エリート層)によって支持され続けている、いわば古いナショナリズムとのせめぎ合いを、また、03年の子供向け“Vivan los niños”では、ネオリベラル路線の下、低年齢層にまで蔓延しつつある過剰な消費主義と道徳の欠如を従来のナショナルリズムヘの一部回帰という形で補正しようとする制作者側の意図が読み取れることを、メキシコの映画黄金時代に制作された“Enamorada”におけるメロドラマ的表現形式を参照しつつ示した。

「ペルーにおける政治的パトロン・クライアント関係―リマ市エル・アグスティーノ区の事例を中心に―」
富田与(四日市大学)

エル・アグスティーノ区(リマ)の事例から抽出される政治的パトロン・クライアント関係の構造に修正を加えながら、国政レベルでの政治的パトロン・クライアント関係に関する仮説を提示し、最近の「プロペルー」政策をめぐる言説を通して仮説検証の可能性を検討した。エル・アグスティーノ区の事例では、パトロン・クライアント関係の動因である「欠乏」とその維持に不可欠な「ブローカー」を議会や行政などから特定することで、区長をパトロンとし住民組織をクライアントとする構造を導くことができた。制度的にアクターの性格が異なることをふまえたうえで、その構造をそのまま国政レベルでのパトロン・クライアント関係に応用することを考えた(仮説)。極貧層への直接補助政策として打ち出された「プロペルー」への各方面からの反応(言説)を見ると、少なくとも言説レベルでは、仮説としたパトロン・クライアント関係の構造が「想定されている」ようには思われた。梅本報告は2004年度学会報告の後編、また富田報告は近著の続編を本部会のために提供していただいたものである。会報とEメールを用いた広報活動の成果により、遠方の会員からぜひとも両報告のレジメを送付して欲しいとの要望がありうれしいかぎりであった。また、それぞれのテーマについての関心の高さもうかがわれた。(加藤隆浩:南山大学)

西日本研究部会

今年最初の西日本研究部会が、5月14日(土)京都外国語大学京都ラテンアメリカ研究所で開かれた。24名が参加して4つの報告が行われ、興味深い研究報告と活発な質疑応答が繰り広げられた。第1報告(中王子聖)では、チリの行方不明者家族の置かれている心理的な状況を「死が実感できない」「決定的な情報がない」「終わりのない痛み」といった文脈でその後遺症を分析した。第2報告(大槻清美)は、カポイエラが日本にどのように伝播したか、またどのようなものとして受容されたか、について文献とアンケート調査の両面からアプローチした発表である。第3報告(黒木紗緒里)は、ブラジルの人種差別は存在しないとする人種デモクラシーに対するアンチテーゼとして生まれたバイーアの黒人カーニバルグループが、商業主義と結びついていく過程を現地調査に基づいて明らかにしている。第4報告(小山朋子)は、17世紀中央アンデス・カハタンボの『偶像崇拝巡察記録』を分析することにより、クラカの権威が偶像崇拝を含む宗教的権威に依拠している点をいくつかの事例から明らかにした。
以下は当日提出されたそれぞれの報告要旨である。

「民主主義社会における恐怖と行方不明者家族の会」
中王子聖(京都大学大学院)

文化人類学者ルース・ベネディクトは、初期の論文「未開の自由」の中で、北東シベリアのチュクチ人と北アメリカの先住民ディガー人を例に、民主主義社会を二つに分けた。一方では、自由が保障されず、互いが暴力の恐怖にさらされる民主主義社会であり、もう一方では、自由が保障され、意識せず互いに助け合う民主主義社会であると述べたのだった。本発表において私は、チリにおける民主主義社会とピノチェト軍政期の行方不明について述べる。ここではチリ社会における行方不明とは何なのか? 通常の意味での行方不明との違いは何なのか? 心理的特質を中心に、その共通点と相違点をあげる。さらに、行方不明を取り巻く文化的特質、特に心理的慣習をあげたい。こうしたことを通して、恐怖が人々を支配してしまう民主主義社会もあるということを説明する。なお研究では行方不明者の家族52名が協力した。

「アフロ・ブラジリアン文化伝播に関する社会的実証研究―カポエイラの日本におけるトランスカルチャー的展開を中心として―」
大槻清美(京都外国語大学大学院)

本報告は、ふたつの柱から成る。まず、第一に、カポエイラを行っている日本人が、カポエイラやブラジル文化全般をどのように意識・理解しているかを、異文化理解の視座から発表すること。第二に、カポエイラの日本伝来と、日本社会におけるカポエイラの果たしている役割を探り、トランスカルチャー類型を明示することである。具体的には、文献研究、アンケート調査、フィールドワークの3つから構成され、文献研究からは文化的な側面のカポエイラの性質、アンケート調査では、統計データに基づいて、日本におけるカポエイラの普及とその実態を明らかにする。そして、フィールドワークでは、カポエイラ団体が日本に出現するプロセスを実証的に分析した結果などを中心に報告する。

「カーニヴァルにみるブラジル北東部バイーアの人種概念―ブロコ・アフロ『イレ・アイエ』における人種共同体の構築をめぐって―」
黒木沙緒里(神戸大学大学院)

国民国家建設やナショナル・アイデンテイティの構築が「混血」を通して語られてきたブラジル。しかし、この広大な国において、人種概念の表れは地域ごとに皆一様ではない。本発表では、その人種の概念に関して、バイーアというローカル性に着目し、かつ商業化やグローバル化の進む現代というコンテクストに焦点を当てながら検討する。
黒人系混血が人口の約80%を占め、国内でもとりわけ「人種デモクラシー」の神話が浸透したバイーアは、黒人の政治的結束が特に生まれにくい条件にあった。ところが、1975年、人種的不平等の現状に抗議するべく「イレ・アイエ」というグループがカーニヴァルを舞台に登場する。参加資格を黒人に限定するが故に、当グループの存在はバイーア社会において様々な物議を醸すこととなる。彼らを取り巻く環境が著しく変化する昨今では、人種の言説とマーケットの論理が相互に絡み合い、さらに複雑な状況が一築かれている。

「中央アンデスにおけるクラカの権威に関する一考察―17世紀偶像崇拝根絶巡察の分析を中心に―」
小山朋子(大阪外国語大学大学院)

スペイン王室により、アンデス共同体の首長(クラカ)は王室官吏として植民地政策に取り込まれ、共同体内での徴税と労働力挑発を義務付けられた。二つの世界の間に立たされたクラカの中には、義務を執行できず権威を失墜させる者もいれば、スペイン人と結びつく者、新たな社会経済に対応しつつ、伝統的権威を維持する者もおり、クラカという存在は多様化していった。
クラカが伝統的に有した権威の一つが、宗教的権威である。クラカは、アンデスの神々によって承認された神聖な存在とみなされていた。スペイン王室の植民政策の一つ、レドゥクシオンにより、人々は土地固有のワカから離され、共同体には教区司祭が入り込み、アンデス宗教は異教として根絶の対象となった。ところが、クラカの宗教的権威は失墜するどころか、17世紀の偶像崇拝根絶巡察では、自ら古来の宗教行事や祭儀を取り仕切るクラカの存在が明らかになった。本報告は、巡察文書において「偶像崇拝者」としての一面がクローズアップされて現れるクラカの姿の背後にまわり、変化する社会の中で彼らが保持しようとした権威に関して考察を行うものである。
(辻豊治:京都外国語大学)