研究部会報告2006年第1回

東日本研究部会

2006年3月6日早稲田大学西早稲田キャンパス14号館1060会議室で、下記の報告が行われた。山本、丸岡両会員はそれぞれ東京外国語大学、上智大学に提出した博士論文について、井垣、高橋、岩永、黒川、丹波各会員は修士論文について報告を行った。出席者は23名。1時半から6時半まで長時間にわたり、活発に議論がなされた。だが、報告者が多く、十分な報告時間を確保できなかったため、消化不良の感を否めない。春部会のあり方は今後、検討すべきであろう。以下、報告者による要旨と質疑のまとめである。なお、報告者の所属先は報告時のものである。(早稲田大学 畑恵子)

山本昭代(慶応義塾大学)
「ジェンダーと社会変化の人類学―メキシコ・ワステカ農村の事例から―」

メキシコ・ワステカ先住民農村では近年、農業生産が低迷する一方で、都市への移民をはじめ、外部社会とのつながりがますます強まってきた。そのなかで、男性だけでなく女性も賃金労働に就き、また女性を対象とした貧困対策事業が施行されるなど、ジェンダー関係に変化が見られるようになった。だが女性たちは一面では選択肢を増したが、別の面では矛盾した負担と重圧を負うようにもなっており、社会変化の結果、女性の「開放」や「地位の向上」があったとは単純に結論づけられない。本論文では、親と子をはじめとする親族としての関係性に焦点を当て、そこでの関係のあり方がどのように変わってきたかを論じた。質疑においては、当該農村でのマチスモや男性の立場の変化について等の質問があった。農業の低迷と男性の不安定な雇用は、男性の権威と父中心的な家族の求心力を弱めていることは確かだが、そのことは男女の平等化よりむしろ婚姻の不安定さに結びついている可能性が高いと考える。

丸岡泰(石巻専修大学)
「コスタリカの保健医療政策形成―公共部門における人的資源管理の市場主義的改革」

コスタリカの保健医療指標は高いため、その政策形成要因の明確化は意義深い。本研究では、政策普遍化期と市場主義的改革期の2期について要因の整理を行った。前者では政治家と専門家の主導の重要性を指摘した。後者では、まず、公共部門における活発な労働運動と、時間当たり診察数制限など医療部門の効率性を損ねる規制の存在を指摘した。次に、1980年代以降、保健医療部門の課題である患者あたりのコスト上昇、患者の長い待機期間を克服するための改革が進められ、90年代には世界銀行が「経営契約」という市場主義的改革を導入したが、それらの改革は、労働組合・職員との対立を避けながら進められたとした。また、経営契約について、管理職的立場の職員は期待しているが、管理される職員からは否定的な受け止め方が強いことをアンケート調査で示した。参加者から統計指標の解釈、2期のテーマの間の関連等について質問がなされた。

井垣昌(上智大学大学院)
「アルゼンチンにおけるコカ葉の慣習―サルタ州に見る嗜好品と地域アイデンティティ」

アルゼンチンの北西部に位置するサルタ州では、19世紀後半にコカ葉が対ボリビア輸入高の約半分を占め、20世紀前半まで重要な税収入源でもあったが、それを摂取することは、先住民族や下層階級の「醜い」習慣とされていた。しかし、ブエノス・アイレス連邦政府がコカ葉を禁じた20世紀後半、同州では、密輸によるコカ葉の高騰、連邦政府への抵抗、インカ王侯貴族を起源とする言説により、コカ葉の消費が「卑しい身分の悪癖」から「白人エリート階級の嗜好」に移行し、民族や階級を超えた地域アイデンティティの象徴とされた。一方、全国で解禁を経た今日、同州以南ではコカ葉の摂取が犯罪視される傾向にある。同州におけるコカ葉に基づく地域アイデンティティの形成は、アンデス地方の文化的特性によるパンパ地方への異化と、同国で蔑視されているボリビア人への異化とで成り立っている。質疑応答では、コカ葉と地域アイデンティティとの関連付けが、先住民でなく白人エリートに有効に機能したこと、コカ葉禁令に対してはデモ行進のような民衆運動でなく、言論の場を通した学術的な意義申し立てが展開されたことが明らかにされた。していることについて述べた。

高橋みゆき(筑波大学大学院)
「メキシコ民衆演劇のポリティクス―演劇的実践にみる『民衆』をめぐる文化的ヘゲモニー」

メキシコでは、20世紀後半、様々な国家機関による演劇政策が盛んに行われた。それは、識字教育、衛生教育、農地改革や農業問題に関する農民教育など「啓発・啓蒙」を目的としたものであったが、そのように演劇を一つのインストゥルメントとして活用していくという方法論の中に、植民地時代からの連続性を見ることが出来る。フランシスコ会修道士はミッションの道具として、そして革命後の近代国民国家建設のプロセスにおける国民創造の道具として、演劇は戦略的に支配層によって利用されてきた。と同時に、そうした支配的な権力構造に完全に吸収されることに抵抗する、芸術家や学生、労働者によるオルタナティブな社会性の観念を示すもう一方の民衆演劇が、どのように民衆的なるものの表象を奪取し再意味化してきたのか。その芸術的実践の戦術についての考察が展開されている。カトリックの宗教劇的要素、先スペイン期の祭祀的要素、現代の中・下層階級の社会劇的要素など広範な要素を含む演劇を、「民衆的な」ものとしてどうカテゴライズしていくのかなどの質問があった。

岩永健吾(宇都宮大学大学院)
「『越境』するドミニカ共和国のポピュラー音楽、バチャータ」

ドミニカ共和国のポピュラー音楽であるバチャータとは、ドミニカ共和国の都市下層において、1960年前半に誕生し、1970年代に呼称がつけられた音楽の総称である。バチャータの音楽の特徴は都市下層のハビトゥスを反映した音楽であるということである。バチャータの音楽「場」においては都市下層民が所有する美的性向の体系が「場」の参加者により共有されていた。これは主流社会のもつ美的性向と背反したため、バチャータは主流の音楽産業から「低俗」な音楽として疎外された存在となった。ところが、対抗文化運動に影響を受けた社会運動家による音楽活動や、エリートミュージシャンによるグラミー賞受賞アルバムのヒットなどにより、バチャータ「場」に大きな変化がおき、バチャータの名が主流社会にも広まった。すなわち地理的、階層的境界を超えて音楽ジャンルの受容が広がっていく、いわば「越境」現象がおきたといえるのである。会場からは、社会階層と音楽の関係をどう論じるかなどの質問が寄せられた。

黒川太郎(筑波大学大学院)
「『公共性』を創出する社会運動―サパティスタ運動とメキシコの民主化」

1994年にメキシコのチアパス州で武装蜂起を起こしたサパティスタ解放軍(EZLN)はメキシコ政治に大きな影響を与えたアクターとして考えられる。EZLNは既存の政治システム(特に政党政治)にとらわれない新しい可能性を国民に提示した。そして、EZLNは国内の民主化団体、民営化に反対する労働団体、国外のNGO等の協調関係(対話)をもとに数々のイベントを催し、市民社会内で新しい「公共性」を生み出した。しかし、既存のシステムから乖離した新しい方策は、運動自体のとなり、EZLNの運動自体の停滞を招いたとも考えられる。その一端を、市民組織(FZLN)の解体や議会内でEZLNの要求が退けられたことに見ることができる。それはEZLNが創りあげた「公共性」が既存の体制に否定的な市民を中心とした「限られた公共性」であったからであろう。内容に関し「民主化」、「市民社会」等の語句に曖昧性が残るとご指摘を受けた。扱いの難しい語句だが、その点の甘さは否定できないと感じた。

丹波博紀(筑波大学大学院)
「今を生きるクレオール―蜘蛛人間の智恵と教訓」

修士論文の要旨説明と今後のクレオール論についての問題提起を行った。その要旨とは、1980年代後半以来のクレオール論を批判的に吟味して、その上でジャマイカの動物民話、アナンシ物語を分析し、そこからクレオールという一般的な文化社会現象を考察するというものだった。つまり、元来、仏海外県マルチニックなどで生まれたクレオール論とは、カリブ海島における文化、社会的状況への熟慮から抽出されたものだったが、その後の現代思想の土俵での議論を見る限り、思想概念としてのクレオールの考察ばかり進められ、カリブ海島の歴史過程や現実に即した文化社会現象としてのクレオールという側面は余り顧みられてこなかった。本論文では、動物民話に着目することで後者の考察を行った。さて、研究部会における主な質疑としては、実際に口頭で語られる機会が著しく減少した今日、アナンシ物語がいかに語り継がれているか、または大陸部におけるクリオーリョ性との比較考察の可能性に関わるものだった。双方に関する今後の継続的な研究が必要とされるだろう。

中部日本研究部会

12月10日(土)午後1時から5時、南山大学名古屋キャンパスJ-51教室にて開催。参加者12名。関東、関西からの参加もあった。部会での報告内容は、以下のとおり。

河邉真次(南山大学 博士課程)
「ペルー共和国における社会変化のメカニズム解明に関する―考察―プロテスタント諸派及びNGO等の外的影響を手がかりとして―」

カトリックが宗教勢力の大多数派を占めるラテンアメリカでは、19世紀後半以降プロテスタント諸派による福音伝道活動の「波」が押し寄せてきた結果、とりわけ多くの伝統杜会に見られる人々の宗教生活の景観が大きく変貌してきている。また、近年、アメリカ合衆国やヨーロッパに経済的基盤をもつ多くのNGOの支援活動が各地で展開されており、中でもプロテスタント諸派をはじめとする宗教団体を母体としたNGO団体は、伝統社会の「近代化」後に続く民衆の改宗を企図している。このように、ラテンアメリカの伝統杜会は現在、新たな外的影響にさらされているにもかかわらず、伝統杜会の内部変化の実態や、その変化のメカニズムを住民の側から明らかにする文化人類学的研究は極めて少ないのが現状である。本発表では、ペルー共和国を例にとり、プロテスタント諸派及びミッション系NGOの福音伝道活動とその戦略を整理・分析するとともに、部分的ではあるが、その影響の受け手である伝統社会側の変化の様相を考察した。

牛田千鶴(南山大学)
「米社会におけるラティーノの勢カ拡張と“イングリッシュ・プラス”政策―フロリダ州とニューメキシコ州の事例―」

米社会最大のマイノリティ集団となったラティーノは、高い出生率による自然増に移民の流入が拍車をかけ、米国のエスニック集団の中でも人口増加率が最も高い。「数の力」は政治・経済両面におけるラティーノの勢力拡張につながり、彼らの存在をめぐる「脅威論」や「共生論」が「文化」という視点から議論され行政に反映されてきている。その顕著な例が「言語政策」である。報告では、「英語単一主義運動」が拡がりを見せる全米の潮流に反し、言語的多様性を是とする「イングリッシュ・プラス政策」を掲げる二州―フロリダ州とニューメキシコ州―を採り上げ、その歴史的・社会的特質について明らかにするとともに、多民族・多文化杜会に求められる今後の課題について展望した。グローバル化時代における経済的関心から二言語運用能力の育成を是とするフロリダ州と、より文化的な関心からエスニック・アイデンティティを尊重し二言語・多文化政策を推し進めるニューメキシコ州におけるイングリッシュ・プラス政策が、今後全米の模範となるよう期待したいものである。

河邉氏には、予備調査と資料調べから本調査で注目すべき諸相と見通しを話していただいた。また、牛田氏からは、調査を終え、その結果を分析していくうえで出てくる諸問題について纏めてもらった。臨場感あふれる二人の発表に大いに刺激を与えられた。参加者から様々な意見が出され、予定されていた4時間があっという間に過ぎてしまった。(加藤隆浩)

西日本研究部会

2005年12月3日(土)午後2時から京都外国語大学ラテンアメリカ研究所にて、西日本研究部会が開催された。
小林報告は、1年前のこの研究会での報告「豊饒のサン・マルコス」を発展させてその儀礼の現在的意味を問うものであった。伝統的と考えられる宗教儀礼も社会の動向に対して可変的であるとの問題意織から主宰者による祈祷を分析して、その内容が農耕に関わること以外に土地紛争や政治問題、米国への移住など、かれらを取り巻く現実の状況が祝詞のなかに織り込まれていることを丹念に裏付けた発表で、大変興味深かった。
松久報告は、革命真只中の1916年に開催されたユカタン・フェミニズム会議をとりあげ、その内容と意義に言及した。女性教師の参加が多かったことからも女子教育、公教育に焦点が当てられ、教育における反教権主義と近代社会を担う人材としての女性の役割が強調されたとのことであり、女性参政権の是非、性教育の扱いなどこの会議の意義と限界が提示され、示唆に富む報告であった。
今回、関西の有志による「ラス・アメリカス研究会」との合同研究会となり、学会会員と合わせて16名が参加した。報告はいずれもテーマが絞り込まれており、活発で有意義な質疑が行われた。報告要旨は以下のとおりである。(辻豊治)

小林貴徳(神戸市外国語大学大学院)
「社会変容に伴う聖人の能カの多様化―メキシコ・ゲレロ山岳部トラパネカ社会におけるサン・マルコス崇拝の現在―」

メキシコ・ゲレロ山岳部トラパネカ社会における聖人崇拝と農耕儀礼を題材にした本報告では、地方農村における「伝統性と近代化」の相関性について論じた。分析対象としたのは、カトリックの守護聖人サン・マルコスを「気象神」と同定する聖人崇拝と、この「聖人=神」を祀る農耕儀礼である。この「伝統的」な宗教的実践は、現代の地方農村をとりまく劇的な「近代化」という潮流にあってどのような影響を受け、そのとき聖人は信奉者にとってどのような存在となるのだろうか。これが本報告の問題提起である。方法としては、説話・伝承に登場するサン・マルコスの属性を抽出し、観念的側面の整理をした。続いて、儀礼で朗唱される祈祷を読解し、現実にサン・マルコスがどのような神格として表現されているのか考察した。分析の結果、サン・マルコスは、伝承で語られる「天候を統御し、農作物を豊かにする」という固有の属性を保ちながらも、現代の先住民社会が抱える諾問題(移民や土地紛争など)を解決しうる能力を備えてきていることが明らかとなった。農村における経済基盤の変化や情報・知識の流通化などによって、住民が抱く不安や問題は日々多様化している。トラパネカ杜会のサン・マルコス崇拝は、「近代化」する現代において「伝統性」という過去からの連続性を保持しながら創り出される「伝統」の一形態といえる。

松久玲子(同志社大学)
「メキシコ革命期のユカタンにおける女子教育とフェミニズム会議」

ユカタン州で開催されたフェミニズム会議は、メキシコ初のフェミニズム会議として知られ、女性参政権獲得運動へと続く第1波フェミニズム運動を方向付けたことで知られている。しかし、この会議は、同時に、カトリック教会が支配していた社会規範を壊し、新しい女性像、新しいジェンダー規範を形成する方策として教育のあり方を討議する女子公教育会議という性格を有していた。フェミニズム会議は、メキシコの近代公教育をどのように構築すべきかを議論する全国初等教育会議、さらにベラクルス、タバスコ、ユカタン州などの各州で開催された一連の教育会議に連なるものであり、教育局から参加者に旅費と手当てが支給される公的な性格を持つ会議だった。
女子教育に関してみるならば、70%近い当時の非識字率の状況において、すべての女性が公教育を受けることが確認された。宗教と分離した公教育が支持を得、その方策が合理主義学校という枠細みで具体的に検討され、後に1917年憲法において公教育からのカトリック教会の排除へつながる方向が確定した。優生学的立場から、公教育における性教育への問題提起がガリンドの演説により喚起された。また、女子公教育の概念を形成する上でも重要な議論が展開された。フェミニズム会議は、公教育におけるジェンダー規範を形成する上で果たした役割も大きい。