研究部会報告2006年第2回

東日本研究部会

12月16日(土)午後1時半から6時まで、上智大学11号館405教室にて開催。参加者は約60名。「ラテンアメリカ政治のいま」を共通テーマとして、6月の大会シンポジウムで扱われなかった国を中心に、直前に実施された選挙結果などの分析も含めて、5つの発表が行われた。参加者からは、「左傾化」「左派」というくくりについて慎重になるべき、もしくは適切な表現を用いるべきであるとの指摘、チリのコンセルタシオンやベネズエラのチャベス政権を民主主義定着の視点からどのように評価するのかとの問いかけ、都市社会運動との関連をもつボリビア・モラーレス政権を先佳民政権と規定することに対する疑問など、さまざまな意見が出た。報告者が詳細な資料を準備し、会場から活発に質疑があったにもかかわらず、議論の時間が十分とれなかったのは残念であった。だが、各国の対立軸、政治経済課題などを理解し、その共通作と個別性を考える上で、有益な機会となった。以下、報告者本人による要旨である。(畑恵子:早稲田大学)

「左傾化するラテンアメリカのなかでのチリ政治―コンセルタシオン政権の左派性と持続性―」
浦部浩之(濁協大学)

チリでは軍事政権が議会での与野党の議席比をほぼ1対1で固定化させる特殊な選挙制度を残したため、民政移管以来、中道左派連合コンセルタシオンと右派連合とが対時する二極構図が続いている。そしてこれまで中道左派が一貫して与党の座を維持し続けてきた。コンセルタシオンは元来、反軍政をもっぱらの結集軸としており、連合内諸派の政策志向の隔たりは大きいと見られていた。しかし左派は軍政期にイデオロギー転換を遂げ市場経済を容認する姿勢に変容していたため、内部対立は回避された。他方、軍事政権の残した制約のため民主主義改革や人権侵害の責任追及は極めて緩慢にしか進まなかったが、このことは与党連合の存在目的をむしろ持続させることにもなった。バチェレ新政権は初めて議会での安定多数を得ており、選挙制度改正がいよいよ実現する可能性がある。その場合、逆説的ながら与党連合の存在理由の要が溶解し、政界再編につながるかもしれない。

「ポストカストロ体制をどのように考えるか」
後藤政子(神奈川大学)

2006年7月末のカストロ議長の権限委譲により政権の中枢は「革命後世代」の手に移りつつある。今後の体制については、引き続き「公正な社会の実現」を基本原則に、いかなる形で市場原理を導人するかが模索されていくことになる。2003年以来、外貨勘定の中央銀行集中など政府の経済介入は強まっているが、これは経済情勢の悪化や経済的不正行為の拡大に対する一時的措置である。現在、最大の急務は国民生活の向上である。そのためにはアメリカの制裁強化による経済発展資金の逼迫、生産や生産性の低迷、物資不足という「経済封鎖の悪循環」を断ち切らなければならない。一方、配給制度は廃止の方向にあり、配給物資の種類や量は減少しているが、自由市場の価格は高く、賃金だけでは生活できない。そのために労働意欲はいっそう低下している。政府は賃上げで対応しているが、不十分である。この点で、アメリカの一極支配構造のもとで大きな効果をもってきた経済制裁に風穴を明けるものとして、ベネズエラ、中国との経済関係緊密化への期待は大きい。

「ベネズエラ情勢:チャベス政権と石油生産を中心に」
坂口安紀(アジア経済研究所)

ベネズエラでは2006年12月に大統領選が行われ、現職チャベス大統領が再選された。これによりチャベス政権は10年を超える長期政権化することになり、アルゼンチンのペロン同様、同国の政治史において一つの重要なエポックを形成することとなった。本報告では、第一にチャベス政権誕生の背景として過去20年余の政治社会的変化と、チャベスの思想的背景について概説した。第二に、「ボリバル革命」について、政治・経済面からその特徴を指摘した。第三に、新たなエポックを作ったチャベス政権だが、一方で、①カウディージョ的な政治体質(パトロン・クライアント的関係、ネポティズムなど)、②Petro‐State論(Karl 1997)が指摘する、財政肥大、大統領への強い権力集中、アドホックな政策運営、弱い官僚組織などの従来からの特微、③1940年代に醸成された伝統的な資源ナショナリズムヘの強い回帰など、デジャブ的要素が多く見られることを指摘した。

「大統領選挙から見たエクアドル情勢」
新木秀和(神奈川大学)

2006年10月および11月(決選投票)に実施された大統領選挙を中心に、エクアドルにおける政治変動の過程を分析した。当初の予想をくつがえし左派のコレア候補が当選し、ラテンアメリカにおける左派政権の登場につづく状況となった。しかし、選挙過程を見る限り右派のノボア氏が勝つ可能性も排除できず、左派政権の登場を必然と見なすのは正しくない。とはいえ、新自由主義政策に対する人々の不満が底流にあり、コレア登場を後押しししたのは確かであろう。過去10年間に大統領失脚がくり返され(1997年、2000年、および2005年)、立法と司法の機能不全が続く状況で、新勢力がそうした不満を吸収したことも考えられる。07年1月に発足するコレア新政権は、域内の左派諸政権との連携もあり、どのような政策を打ち出すかが注目される。ただ同時に、与党勢力の脆弱さもあり、制憲議会など内政の運営には困難が予想される。

「先住民政権の1年―『ボリビアの再興』はどこまで進んだか」
遅野井茂雄(筑波人学)

モラレス政権誕生後、約1年のボリビア情勢を踏まえ、先住民を主体とする政権の目指す「ボリビア再興」、「異文化共生に基づく民主的な社会共同体国家」の構築という目標が、現実政治との間で厳しい状況に直面している現状を報告した。マクロ経済は、反新自由主義の一面を実践しつつも、プラグマティズムのもとで慎重に運営されており、外交的にも反米主義は一貫性を欠くものとなっている。だが議会(上下両院)、初の公選知事となった県政府、憲法制定議会、地方自治をめぐる県・地域において生成した微妙な権力の均衡関係を背景にしながらも、合意を求めようとしない統治運営は、主権回復という対外的次元での「天然ガスの国有化」こそ、大多数の支持をうけたものの、「ボリビア再興」の制度構築の場と位置づけられた憲法制定議会、東部の大土地所有をターゲットとした農地改革法をめぐり、国を二分する対立を惹き起こした。とくに憲法制定議会は、社会的に排除された諸勢力が参加し、新たな制度を構築する諸勢力間の社会協約の締結の場として期待された役割を失いつつある。分権化での大枠の合意とともに、政府の目指す共同体主義と既存の自由主義的支配原理との調整がしだいの課越であるが、与党政府は、2000年以降の社会運動の動員によって政治スペースを切り開いてきたのと同じ手法で、改革を推し進めようとしている。

中部日本研究部会

12月16日(土)、午後1時から5時にかけて名古屋大学大学院国際開発研究科第1会議室で中部日本部会研究会が閉催された。15名の参加者で、報告者は2名であった。4時間も時間があったので、報告者には十分に報告していただき、会場からも活発に質疑応答の出た有意義な会となった。報告者および題目と要旨は以下のとおりである。(浅香幸枝:南山大学)

「在日南米人のメディア利用による情報収集―愛知県内在住のペルー人を中心に―」
寺澤宏美(名占屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程)

1990年の入管法改正から15年以上が経過し、デカセギとして来日した日系ペルー人の多くは滞日を長期化させている。定住し、家族形態が変化するにつれて、彼らが必要とする情報の質・量とその収集手段は多様化していると考えられる。また、近年スペイン語による、いわゆるエスニック・メディアが増加しており、媒体そのものがエスニック・ビジネス化する傾向も見ら一れるようになってきた。
本報告では、日本国内で接触可能なスペイン語のマスメディア(新聞・テレビ・ラジオ・雑誌の4媒体)を紹介し、報告者が愛知県内に居住するペルー人を対象に行った情報に関する調査の結果に基づいて、上記4媒体を利用した彼らの情報収集の現状を説明した。さらに、1990年代前半には存在しなかったインターネットと携帯電話の利用状況についてその一端を報告し、ペルーに関する情報収集や、ペルーおよび日本国内在住の家族・友人など個人間の連絡に及ぼす影響について述べた。

「輸出促進政策の比較:メキシコとブラジル」
安原毅(南山大学)

財輸出、製造業部門輸出の対GDP比をメキシコとブラジルについて比較すれば、プラジルではメルコスル発効後ほぼ一貫してこれらの比率は上昇傾向にある一方、メキシコては2000年から2001年にかけて3ポイント前後低下し以後も停滞している。そこで両国の輸出促進政策として、メキシコの「再輸出のための一時輸入促進プログラム」とブラジルの工業技術・外国貿易政策(PITCE)を比較すれば、後者では技術開発支援や中小企業支援などの産業政策も盛込まれているのに対し、メキシコでは資本財中間財部門で国内生産よりも輸入への切り替えを促す方針が採られてきたといえる。この違いは製造業産出増に占める輸山の寄与度と、製造業部門の全要素生産性(TFP)の推移にも現れ、ブラジルでは同TFPは若干ながら上昇したのに対しメキシコでは共に低下傾向が見られる。特にこうしたメキシコの産業政策の問題点について、今後研究を深めたい。

西日本研究部会

2006年12月9日(土)午後2時から6時半、京都外国語大学京都ラテンアメリカ研究所で開催された。今回の部会はSECILA(イベリア・ラテンアメリカ文化研究会)との共催で25名が参加し、活発な議論が展開された。第1真鍋報告では、ポトシ銀山への水銀の最大の供給地であるワンカベリカ水銀鉱山における水銀中毒の地域的な広がりを実証的に裏付けようとした野心的な報告であった。第2米田報告は、チチメカの神話と歴史の解読の手がかりとして第ニクアウティンチャン絵図についての報告者のメキシコでの研究の一端を紹介してもらった。第3小林報告は、16世紀前半の先住民に対する異端審問記録のなかから偶像崇拝に対する摘発をめぐるいくつかの事件を紹介し、先住民の伝統的な宗教儀礼が、とくに農耕儀礼のなかに根強く残っている点を明らかにした。策4桜井報告は、先住民女性についての研究動向を紹介するなかで、90年代ポストコロニアル論にもとづくジェンダー論やサバルタン論の台頭とともに先住民女性自らが「自画像」を描き始めたとの現状認識を示した。以下は各報告の要旨である。(辻豊治:京都外国語大学)

「植民地時代ペルーにおけるワンカベリカ水銀鉱山と水銀汚染問題」
真鍋周三(兵庫県立大学)

スペイン植民地支配体制の下において鉱業が人々、とりわけ原住民に及ぼした影響はきわめて大きかった。病気、落盤事故、汚染等が数多く報告されているこなかでも中央アンデスのワンカベリカ水銀鉱山でのそれは特に有害であった。そこで労働者が被ったのは、珪肺症をはじめとする呼吸器官の疾病や身体の損傷、手足の破損1といった点にとどまらない。最も致命的となったのは水銀中毒であった。本報告では、植民地時代前半期にワンカベリカ水銀鉱山の労働昔が被った労働災害を、鉱山に特有のの一般的労働災害のほか、とりわけ水銀中毒症の問題、つまり労働環境の汚染が労働者に及ぼした災害である「職業病」(無機水銀中毒)のレベルを中心に検討した。既に16、17泄紀において水銀がいかに労働者を汚染し、人々の生存環境をいかに狭めたかについてである。最後に、環境汚染による健康障害である有機水銀中毒が発生していた可能性について述べた。

「『第ニクアウティンチャン絵図』(メキシコ、プエブラ州、16世紀)に記された神話と歴史』」
米田恵子(Centro de Investigaciones y Estudios Superiores en Antropología Social, México)

México, Puebla 州で作成された絵文書のうち主だったものは全部で五枚で、その中に今研究対象にしている「第二クアウティンチャン絵図」があるのですが、すべて植民地時代初期に作られ、内容は大体十二世紀から十五世紀に起こったことが記載されています。その記録様式の主だった特徴として言えることは、どの絵図も時間と地理空間をふたつの軸にして、一定の領地についての所有権の正当性を主張するあるいは弁護する為に必要な出来事を書きつけることを目的として作成されたと言える点だと思います。「第二クアウティンチャン絵図」は五枚の中では一番複雑な絵文書で、神話と呼べる出来事と歴史的事実の両方が描かれていますが、本研究会では絵文書に記載されている内容全体の概要を説明しました。

「偶像摘発キャンペーンとメキシコ中央部の先住民社会―1530年代末異端審問記録の分析から―」
小林致広(神戸市外国語大学)

1530年代末、メキシコ中央部の先仕民社会は、スマラガ司教による偶像崇拝摘発キャンペーンの狂騒に曝されていた。先住民のネパントリ(どちらつかず)の状況は、すでに1530年代においても、共同体や個人のレベルで出現していた。その状況を解明するため、メキシコ市周辺の先住民領主を巻き込んだメキシコ大神殿の主神の摘発事件、そしてスマラガ司教のエンコミエンダのオクィトゥコでの偶像捏造事件を取り上げた。大神殿の五体の偶像は、先スペイン期の先住民領主や神官、速隔地交易商人や工芸人などのネットワークによって隠匿されていた。一方、オクィトゥコにおいては、助任司祭ディアスは、雨の神の像二体をわざわざ捏造してまで、インディオ領主を拘束していた。農耕など日常生活と密接に結びついた「異教的儀礼」は、キリスト教関係者の厳しい監視体制下でも、メキシコ市の周辺地域においては必要不可欠なものとして継続的に執行されていたと推測できる。

「'90年代以降、ラ米先住民女性に関する人類学的研究の動向」
桜井三枝子(大阪経済大学)

メソアメリカの先化民女性に関する研究は、グローバリゼーションや国連の定める先住民年、チアパスの武裟蜂起など90年代以降の政治的・経済的背景をもとに、『オリエンタリズム』や『文化を書く』などに代表されるポストコロニアリズムやポストモダンの影響を受けて多様な視点からなされている。Beharはメキシコの市場で働く女性の人生史の調査から「他者の人生」を読み解くヨーロッバ女性の白分にとって、この研究の意味することは何かを説き自己批判へと移行させ、研究者の任務とは声なき人々に声を与えることであると「多声法」を用いた。また、ノーベル平和賞受賞マヤ人リゴベルタ・メンチュウをめぐる論争がD.Stollによりされた。欧米人女性による研究調査の他に、今世紀初頭から政治的発言力を増し大学で法学や医学・薬学、文化人類学を学ぶ先住民女性が徐々に増加し専門職に就き始め、Irma Otzoyのように自ら「声」をあげマヤの民族衣装とアイデンティテイに関する論文を発表したり、米国で人類学の博士号取得者が現れている現象に注目させられる。