研究部会報告2007年第1回
東日本研究部会
2007年3月17日(土)13時半~17時半、早稲田大学西早稲田キャンパス14号館1060にて開催。参加者は9名と少なかったが、博士論文、修士論文にもとづく発表について活発な議論が行われた。博論の一部を報告した武田会員には、グアラニーへの銃器配備を認めた契機、男性が軍務に従事する間布教区に残されたグアラニー家族の問題、布教区を出て形成した新しい生活様式、慣習などについての質問があった。岡田報告にはヤシャーの研究の意義と位置づけ、先住民運動を一括することや、エスニシティを国境で区分することに疑問が呈された。今井報告では人間の尊厳という表現および実際の運営方法に関する質疑のほか、アンケート結果よりも実際の過程の重要性を指摘するコメントがあった。前野報告は映像なしで理解しづらい部分もあったが、多様な映画の類型化の検証と映画をとおした想像の共同体の検証が必要であるとの報告者の指摘は説得的であった。以下、報告者による要約である。(畑恵子:早稲田大学)
「ラプラタ地域とイエズス会布教区―軍務に伴うグアラニーの離散、自立、地域形成への関与―」
武田和久(上智大学イベロアメリカ研究所)
1609年から1767年にかけてラプラタ地域に存続したイエズス会布教区の住民グアラニーが同地域へのポルトガル人の侵入防止という軍務に加えて多種多様な労働に関わっていた事実を明らかにした。またこの事実と17世紀中頃から18世紀にかけて布教区の内外で発生した諸問題との関連に注目し、1730年代に起きた布教区の人口減少を疫病の流行に帰する従来の定説とは異なる視点から解釈した。1641年から1732年までのおよそ100年間、グアラニーたちは軍務という名目でポルトガル人との戦いとはおよそ関係のない労働に頻繁に駆り出され、布教区では住民同士の対立やイエズス会士の資質の低下といった諸問題が発生していた。この最中の1733年から数年にわたり布教区で蔓延した疫病の流行を機に、イェズス会士との生活を経てヨーロッパ・キリスト教化した少なくない数の「新しいグアラニー」が布教区を出てラプラタ地域各地で自活を始めたこと、またこの自活が18世紀中頃以後の同地域の形成と密に関連していたことを究明した。
「中央アンデス諸国における国家―先住民関係―ヤシャー研究の批判的検討―」
岡田勇(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
1990年代以降高まりを見せた、先住民運動というアイデンティティにもとづいた社会運動の発生の有無について、中央アンデス諸国のエクアドル・ボリビア・ペルーを比較した研究を検討した。先行の比較研究として、ヤシャーの研究(Yashar2005)が最も重要だが、他の研究と相容れない理論的説明を行っている。端的に言えば、民主化と経済のネオリベラル化を制度変化として説明した点が意義深いが、アイデンテイテイが政治化することについて本質主義的な理解を示している点に問題があり、それはペルーの事例を先住民運動が欠如した「例外」とする解釈に表れている。本発表では比較政治学の理論・方法論的視座からの批判的検討にとどまったが、今後は、先住民運動が欠如していると考えられるペルーの事例を切り口として、アイデンテイティ・ポリテイクスに関する比較説明の理論を模索したい。
「ブラジルにおける土地なし農民運動(MST)の研究―シチズンシップの視点から―」
今井由紀子(筑波大学大学院地域研究研究科)
MSTは農地改革を最優先課題として活動を継続しており、農地改革は人間の尊厳のためになされるべきであると主張する。一方,ブラジルにおいてシチズンシップは1988年憲法で規定されているが、定められた権利をてのブラジル人が行使できていないという現状がある。修士論文では、土地なし農民が,MSTに参加する前後でシチズンシップを行使できるようになったのかを検討した。ブラジルパラナ州のMST居住区で行ったアンケート調査では、シチズンシップの論点である公民権・社会権・政治権に関する状況変化(MSTに参加する前後)を質問し、その結果から、土地なし農民はMSTを通じて、土地だけでなくシチズンシップに関する状況の改善という恩恵も受けていると結論づけた。
「メキシコ映画における「近代」の表象―『罪の犠牲者』を中心に―」
前野敦史(上智大学大学院外国語学研究科)
メキシコ映画史の記述における「伝統的」映画と「近代的」映画という対立的分類の解消を試みた。前者は、1940年代~60年代にかけての黄金時代とよばれる時期に製作された映画のことであり、その代表的な監督はエミリオ・フェルナンデスである。後者は、ルイス・ブニュエル監督作品『忘れられた人々』(1950年)をその嗜矢として、それ以降に製作された社会・政治批判的視点を備えた映画である。その「近代性」とは、「伝統的」映画が国家のイデオロギーに随伴したのに対し、人物・都市の表象においてそれへの批判たらんとしている点にかけられている。それら表象が「近代」の表象である。しかし、「伝統的」映画の象徴的存在であるフェルナンデスの作品『罪の犠牲者』(1950年)においても、「近代」の表象を指摘しうる。そのことを提示することで、「伝統」と「近代」の対立構図はメキシコ映画史記述において有効な視点たりえないと結論した。
中部日本研究部会
4月7日(土)午後1:30から5:30まで、愛知県立大学外国語学部棟4階スペイン学科共同研究室で、中部日本部会研究会が開催された。参加者は16名であった。予定時間は3時問であったが、議論が白熱して参加者の希望で1時聞延長した。文化人類学、宗教学と考古学からの報告であった。3報告をつなげると、グローバリゼーションの進展する中で伝統・ローカルの回復と再生と位置づけることができる。古い古層を扱いながらも極めて今日的な語題を提供した。参加者それぞれの研究分野から質疑応答があり、実りの多い会となった。報告の詳細は以下のとおりである。(浅香幸枝:南山大学)
「ボリビア鉱山労働者のティオ信仰が象徴する『近代』と『前近代』」
内木京子(名古屋大学大学院国際開発研究科)
ボリビアで鉱山労働に従事するミネー口と呼ばれる先住民は、近代的な鉱業部門に労働を提供する労働者であると同時に、ティオと呼ばれる山の神の支配する世界観の中に生き、坑道での出来事はティオの思し召しであると考えている。本報告では、「前近代」と「近代」を時間区分としてではなく、土地との結びつきの有無で捉え、土地に根ざした世界観の中で日々の生活を営むミネー口から見た「近代」的なもの、市場という土地から切り離され、無限に延長可能な空間で経済活動を行う者の側から見た「前近代」的なもの、それら両者の接点に像を緒ぶものを「近代」と「前近代」の習合現象として、ミネー口とそのティオ信仰を通して分析した。そのような「向こう側」からの視点を通して、普段気がつかない、「近代」社会の仕組みについて考察した。
「タキ・オンコイ、憑依、民俗芸能」
谷口智子(愛知県立大学)
本発表で、筆者はタキ・オンコイ運動についての近年の研究動向をまとめたが、特に注目したのは、カストロ・クラーレンの研究である。クラーレンによれば、植民地支配直後、ディオスに敗北したのは、太陽神インティとその息子インカなのであって、大地のワカは根本的に敗北していない。むしろ、危機を乗り越えるための道具として、タキ・オンコイにおける憑依として呼び覚まされており、それは・現代の鋏踊りのような民俗芸能にも受け継がれている、という。従来、集団ヒステリーの現れとして否定的に捉えられてきたタキ・オンコイ運動を、先住民古来のシャーマニズムや煽依という現象と結びつけ、それが今日の民俗芸能にまで影響しているとしたクラーレンの研究は、タキ・オンコイ運動の本質を鋭く突いており、この現象に肯定的評価を与えてい乱今後の研究に役に立つ優れた業績として紹介した。
「テオティワカン遺跡における三次元測量地図データの検討」
杉山三郎(愛知県立大学)、福原弘識 愛知県立大学大学院国際文化研究科)、古賀優子(愛知県立大学大学院国際文化研究科)
本報告では、1999年に開始し2007年現在も継続中である、『テオテイワカン「月のピラミッド」調査団』が行っている測量調査について報告した。測量はトータル・ステーションとAutoCADを使い、発掘に伴う遺構や遺物の記録及び、保存修復され公開されている現在の遺跡状況の、精密な記録を主に行っている。また、併せて、得られたデータから遺構の精密な解釈と復元作業も行っている。報告では分析例として、「月のピラミッド」と「ケツァルパパロトルの宮殿」の改築プロセスを提示し、考古学的な解釈におけるAuto CAD三次元測量地図データの有効性を提示しれまた・具体的な解釈の例として、テオテイワカンにおける度量衡の一つである、テオテイワカン・メジャーメント・ユニットについて議論をし、テオティワカンの都市中心部が・メソアメリカにおける重要な数字に基づいて設計されている事を指摘した。
西日本研究部会
2007年3月24日(土)13:00から17:OOまで京都大学地域研究統合情報センター会議室で修士論文を基にした以下の報告がなされた。いずれも、研究内容が十分に整理された発表で、今後、研究を深化させてゆくうえで実りの多い議論がなされた。参加者は10名であった。藤川報告は、ブラジルからの出稼ぎ者による帰国後の起業への支援プロジェクトの有効性を、現地調査で集めたデータの実証分析により示そうとした。主に、調査の内容や分析結果の解釈の適切性をめぐって議論が提起された。中野報告は、所得格差や貧困など社会経済面での構造的問題の克服に教育が果たす役割についてブラジルを対象に実証分析を行っれ仮説や分析結果の先行研究との関係、また、教育による賃金格差縮小と労働生産性の向上や所得格差の縮小、さらには経済成長促進との問の連関性について、質問や議論があった。内山報告は、メキシコのデータを使って、経済自由化の下で賃金格差が縮小することを主張した。分析結果を労働市場全体の文脈において意味づける必要性、サービス部門やインフオーマル部門を除外した分析であることの限界などについて議論がなされた。森口報告は・キューバ社会主義政権の長期にわたる生命力の背景に、マルティに代表される、19世紀に遡るキューバのナショナリズムあるいはナショナルアイデンテイテイと共振している側面があると分析した。カストロのリーダーシップや対外関係などの重要度をめぐって議論が展開した。二宮報告は、ジャマイカのペンテコステ派教会に通う男性を対象に、理想的なキリスト教徒とサバルタン的な黒人との対比など、価値体系を二項対立的に分析する従来のマスキュリニティ研究を批判し、聖と俗双方の領域から特定の要素を便宜的に取捨選択し日常生活を構成している実態を紹介した。ジャマイカの事例の特殊性とカリブ海地域での普遍性、黒人性の定義、行動様式の男女差の有無などに関し議論が進んだ。(村上勇介:京都大学)
「外国人労働者の送金間題と起業行動分析―ブラジル起業者支援プロジェクトから―」
藤川久美(神戸大学大学院)
近年海外送金は、経済開発手段として注目され始めている。ブラジルでは送金を投資に転換することを目的とした、出稼ぎ経験者向け起業支援プロジェクトが開始した。起業行動を促進することで送金は開発ツールとなりうるかを考察する。理論分析は、貯蓄(送金) と起業行動の関係に注目した投資モデルを用い、資本・信用制約に、情報量(社会的ネットワークや起業知識など)を加え考察した。先の制約条件のもと所得最大化問題を解くと、信用制約の無い場合、個人の起業行動は惰報量に依存し、制約下では、情報量の増加により初期資本不足を克服し、起業可能になることが明らかとなった。次に聞き取り調査によるデータを実証分析し、日本で得た初期資本に加え、情報提供や社会ネットワークの拡大が起業意欲を高め、実際に起業する上でも有効であることがわかった。よって、プロジェクトが起業可能性を高め、起業行動の促進に効果があるという政策含意が得られる。
「ブラジルにおける所得と教育の関係について」
中野佐依子(神戸大学大学院)
本報告では、所得不平等や貧困を改善するための様々な政策がある中で、特に教育に注目しその影響を分析した。なぜ教育に注目するかというと、教育が所得に及ぼす影響は大きいからであり、また、教育は貧困層が自らの手で所得や生活水準を向上させる手段となり得ると考えられるからである。近年のデータを用いた教育分布や教育の収益を推計した結果によれば、労働者の中では中等教育修了者の割合が最も多く、過去に比べて改善してはいるものの、高等教育レベル労働者の割合の増加は少ない。また、教育の収益は初等・中等教育レベルで低下する一方、高等教育レベルでは依然として高く、このような所得と教育の関係は地域問や産業間で同様な傾向を示している。したがって、高等教育レベルの労働者を増加し、高等教育の収益を相対的に低下させることが重要である。
「メキシコにおける経済自由化と貨金格差に関する分析」
内山直子(神戸大学大学院)
1980年代以降、ラテンアメリカ各国は新自由主義に基づく経済自由化を行ってきた。同時に、1980年代、90年代を通してラテンアメリカの多くの国で貧困・所得格差が悪化したと言われている。そのため、新自由主義政策が貧困・所得格差を悪化させたのではないかという見方が強まり、近年、両者の関係について様々な研究が行われてきた。その中でもメキシコは80年代以降、積極的な経済自由化を行ってきた一方、未だ高い貧困・所得格差を持つ国として注目されている。メキシコの賃金格差は1990年代半ばまで拡大したが、最近のいくつかの研究では1990年代後半以降、縮小傾向に転じたことが指摘されている。本稿では、1992年から2004年までの家計調査データを用いて、1990年代後半以降、メキシコの賃金格差が継続的に縮小していることを示すとともに、賃金格差の縮小要因および経済自由化との関連について分析する。
「キューバ革命政権のナショナリズム―その歴史的根源を中心に―」
森口舞(神戸大学大学院)
本論文は、歴史的背景に焦点を当て、キューバ革命政権のナショナリズムの再解釈を試みたものである。冷戦崩壊後の現在も存続する長期政権となった革命政権だが、この政権が初期段階において大衆の熱狂だけではなく、一定の安定性をも獲得し得ていたとしたら、長期存続へのひとつの示唆となるだろう。この安定要因が歴史的展開に由来するナショナリズムではないかという仮説を立て、検証を行った。つまり、社会主義宣言以前から平等主義、再分配主義的な性格を持っていた革命政権の性格が、19世紀からキューバの人々に根付いてきたナショナルアイデンテイテイと一貫性を持っていたために、政権がマルクス主義イデオロギーとは別次元で人々に許容されたのではないか、ということだ。ラテンアメリカ中でキューバの特徴を相対化し、キューバ固有の要因を平等主義的な革命政権の説明要因としたことで、革命政権のイデオロギー理解に新たな貢献を目指した。
「ジャマイカのベンテコステ派教会に通う男性たちにみるキリスト教イデオロギーの戦術的解読―マスキュリニティ研究における二分法的価値体系モデルの再検討―」
宮健一(神戸大学大学院)
ジャマイカにおけるマスキュリニティ研究では、この地域の社会の中には白人文化と黒人文化に由来する二つの価値体系が存在するということが言われ、この状況を捉えるため、「二分法的価値体系モデル」が使われてきた。しかし、あまりに単純化されたこのモデルの有用性は問い直されなければならない。私の修士論文は、ジャマイカのペンテコステ派教会に通う男性たちに注目し、教会の取り組みと男性たちの生活の関係を見ることで、この二分法的価値体系モデルの問題点を補うことを目指している。厳格な規律を持つペンテコステ派の教会に属しながら、「教会(church)」と「世俗世界(world)」、「救われた(saved)人々」と「救われていない(unsaved)」人々との間を行き来する彼らは、二つの価値体系を横断する男性性を形成しているといえる。彼らを世俗世界から引き離そうとする教会の「戦略」と、教会の教えに必ずしも従わない男性たちの「戦術」の両者のバランスの中でこそ、彼らの生活はよりよいものになっているということができる。