研究部会報告2007年第2回

東日本研究部会

2007年12月1日午後1時から17時半まで、上智大学2号館10階1030室で開催。13名が参加し、活発に議論が行われた。主な質疑内容は下記のようである。ベトナム型開発モデルのキューバヘの適用可能性について論じた山岡報告には、国内要因の比較だけでなく地域的国際関係の違いをも視座に入れる必要がある、伝統的農村社会であるベトナムと近代農業のキューバでは違いのほうが大きいが、モデルとしての比較は可能なのか、市場経済化が果たして望ましいのか、などのコメントが寄せられた。桑原報告はラテンアメリカ金融セクター改革の成果を東アジア、先進国と比較し・ブラジルを中心に資本市場の動向を明らかにした。同報告には、リスク分散のための証券化が持つ危険性、外資によるM&Aおよびコーポレートガバナンスの厳格化などが国内市場に及ぼす影響などについての質問があった。睦月報告は『週刊ブエノスアイレス』の分析を通して、戦間期のアルゼンチン日系社会には現地への同化主義、自由主義、国際協調主義の思潮があったことを示した。それがどこまで社主・記者の個人的背景に起因するのか、情報源はどこか、などをめぐって意見交換が行われ、1930年代後半にはアルゼンチン、チリが日本にとって重要な諜報活動の場であづた事実も紹介された。以下、発表者による要旨である。 (畑恵子:早稲田大学)

「キューバにおけるベトナム型改革の可能性」
山岡加奈子(アジア経済研究所)

本報告は、キューバ革命政権が、政治改革なし(あるいは最小限にとどめる)に市場経済システムを導入する、ベトナム型改革が可能かどうか、その条件を分析するものである。その条件は・改革を「導入」するための条件と、改革によって経済発展を遂げる条件の二種類に分かれる。「導入」のための条件は、(1)深刻な経済危機、(2)他国の成功例、(3)社会政策が比較的未整備、(4)力のある保守派指導者のイニシアティブ、の4点が考えられる。経済発展のための条件としては、(1)資本主義経済下で商業あるいは製造業の経験がある層および自立的な農民の存在、(2)相対的に低い労働コスト、(3)教育水準の高さ、(4)若い人口、(5)海外移住組の投資、の5点を提示した。キューバには、導入条件については(4)が不明、発展条件については(1)と(4)が当てはまらず、ベトナム型改革を導入することはできても、発展させるにはさらに工夫が必要かもしれない。

「ラテンアメリカの資本市場の現状と課題」
桑原小百合(国際金融情報センター)

途上国・新興市場国にとって、国内資本市場、なかんずく自国通貨建て債券市場の発展は、経済成長に資するのみならず、通貨・金融危機の予防のためにも重要であるとの認識が、アジア危機以降、国際金融界で共有されるようになっている。ラテンアメリカでは、90年代から広範な金融改革が進められ、金融システムの健全性が高まったにもかかわらず、金融深化は期待されたほどに進んでいない。とりわけ資本市場が未発達である。この2~3年は、資本流入を背景として、資本市場、信用市場とも急拡大しているが、先進国や東アジアの新興市場国には、依然として大きく遅れている。資本市場の発展が遅れている要因として、多くの研究者が指摘しているのは、マクロ経済の不安定性、狭く浅い投資家ベース、政策・規制による制約、未整備な金融インフラ、弱いコーポレートガバナンス等である。報告では、今後の政策課題として、これらの阻害要因の除去に加え、中小企業の資本市場へのアクセス拡大などを挙げた。

「ラテンアメリカの資本市場の現状と課題」
桑原小百合(国際金融情報センター)

途上国・新興市場国にとって、国内資本市場、なかんずく自国通貨建て債券市場の発展は、経済成長に資するのみならず、通貨・金融危機の予防のためにも重要であるとの認識が、アジア危機以降、国際金融界で共有されるようになっている。ラテンアメリカでは、90年代から広範な金融改革が進められ、金融システムの健全性が高まったにもかかわらず、金融深化は期待されたほどに進んでいない。とりわけ資本市場が未発達である。この2~3年は、資本流入を背景として、資本市場、信用市場とも急拡大しているが、先進国や東アジアの新興市場国には、依然として大きく遅れている。資本市場の発展が遅れている要因として、多くの研究者が指摘しているのは、マクロ経済の不安定性、狭く浅い投資家ベース、政策・規制による制約、未整備な金融インフラ、弱いコーポレートガバナンス等である。報告では、今後の政策課題として、これらの阻害要因の除去に加え、中小企業の資本市場へのアクセス拡大などを挙げた。

「日系ジャーナリズムに関する一考察:『週刊ブエノスアイレス』」
睦月規子(拓殖大学ほか)

本報告は、アルゼンチンで1920年代半ばに創刊された二つの邦字新聞のうちの一紙『週刊ブエノスアイレス』を通して、同時代の在亜日本人社会の思潮を考察したものである。まず、20世紀初めの海外実業訓練生到着以来、ペルー、ブラジルからの転住者や第一次大戦時の貿易ブームによる商社、銀行の支店社員によって邦字紙の創刊者、スポンサー、読者、記者が揃うまでの過程を辿り、『週刊』紙上に示された日本人移民に関するさまざまな見解と共に、同社長杉本重三郎の同化主義に焦点を当てた。さらに1930年代日亜両国の軍国主義の台頭を前に、総じて楽観的な『亜爾然丁時報』紙に対し、『週刊』紙は、日本軍の満州進出に対する地元の批判的世論が排日へと発展することを恐れ、5・15事件時には反軍国主義、反「焦土外交」、国際協調主義の姿勢を示す。しかし、こうした『週刊』紙の、同時代の日本の世論の流れにも逆らう平和主義、自由主義の思想的源泉の分析は、報告者の今後の課題とした。

中部日本研究部会

2008年1月12日(土)午後1時半から5時まで、愛知県立大学外国語学部棟4階スペイン学科共同研究室において、中部日本部会研究会が行われた。研究報告は3名で、参加者は合計14名であった。ペルーの宗教をテーマに、植民地時代の宗教上の変化を宗教学と考古学から分析する研究2つと、日本における日系ペルー人が伝播したキリスト教の信仰の調査報告であった。異文化受容という視点から眺めると、3つの報告は異なる文化がぶつかり合うときの興味深いデータを提供している。すなわち、どの文化も決して固定化されたものではなく、状況に応じて、核心だけ残し、あとはうまく適応変化していくことである。3つの報告の詳細は以下の通りである。
(浅香幸枝:南山大学)

「『新世界の悪魔―カトリック・ミッションとアンデス先住民宗教―』
(2007年12月、大学教育出版)の解説」
谷口智子(愛知県立大学)

本研究は、植民地ペルーにおいて、スペイン人と先住民の異なる文化や宗教の接触、及び他者理解の問題を、「悪魔」と呼ばれる現象を中心にく宗教学の方法を用いて探求した。具体的には、ペルーの偶像崇拝・魔術撲滅巡察の歴史、「魔術師」や「偶像崇拝者」とされた先住民の調書から浮かび上がるカトリックとの混淆過程の先住民宗教のさまざまな事例、祖先崇拝や鉱山の悪魔、吸血鬼伝説などの例があげられている。また、両者の葛藤や対立を超えて、どのような新しい宗教現象が生まれたか、についても考察している。異なる宗教間、民族間の争いの中で、他者を「悪魔」化し、争いを繰り返すという状況は、今日も続いている。そのような状況を批判し、人類の宗教史のある新しいあり方、見方を提示する目的が本研究にはある。

「『奇跡のキリスト』(Señor de Los Milagros)―名古屋市・緑ヶ丘教会日系ベルー人の活動事例―」
寺澤宏美(名古屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程)

ペルーの首都リマで毎年10月に開催される宗教行事「奇跡のキリスト」(Señor de Los Milagros)は、在日日系ペルー人が運営の中心となって、1992年頃から日本のいくつかの都市でも行なわれるようになった。本報告では、日本における「奇跡のキリスト」行列(procesión)をリマの行列と比較することで日本ならではの特徴を明らかにした。具体的な活動事例は名古屋市・カトリック緑ヶ丘教会とした。
日本では全体を網羅する単一の運営組織(信徒会)が存在せず、開催各地で300年以上続くリマの伝統を保持しつつも、それぞれの状況に応じて行事の形態を変化させている。ミサ、行列、ペルー料理の販売などは、ペルー人としてのアイデンティティを確認するための重要な要素でもある。
また、自分たちがマイノリティであるため、日本人信徒の協力なくしては開催できないことを自覚しているため、教会内で相互扶助の関係が成立しているといえる。

「考古学データから見た植民地時代アンデスの社会変化―ペルー北部高地の事例―」
渡部森哉(南山大学)

植民地時代アンデスについては、従来、歴史学、美術史の研究が蓄積されてきたが、考古学的研究は遅れてきた。発表者はペルー北部高地カハマルカ地方に位置するタンタリカ遺跡において1999年、2000年に発掘調査を実施し、思いがけず植民地時代の建築、墓を検出した。遺体の多くは胸の前で腕を交差させており、キリスト教を受容したことを示している。出土土器は、釉薬、轆轤の使用など技術的な変化を示しており、また胎土が画一化する一方で器形に多様性が認められる。しかし先スペイン期の墓とは異なり、土器が副葬品として使用されている例はなかった。先スペイン期アンデスにおいては土器の製作、使用は全て儀礼的枠組みの申で行われたが、キリスト教の布教に伴い、変化していったと考えられる。植民地時代まで織物製作の技術やケーロ(木製コップ)の使用が存続する一方で、土器が大きく変化したのはなぜか、今後多角的に検討する必要がある。

西日本研究部会

2007年12月8日(土)午後1時半から5時半にかけて、京都外国語大学京都ラテンアメリカ研究所で開催された。参加者は12名で、こじんまりした雰囲気の中、発表内容が相互に関連した3報告をめぐり掘り下げた議論が展開された。
最初の生月報告は、現地調査の経験を基に、エクアドルの先住民が意識的に主張するintercultural(idad)という言葉の意味が、multicultrual(ismo)が想定する異文化の共存とそのプラス面の強調を内容とするのではなく、メスティソの主流派と先住民の少数派という関係性において後者が前者に働きかけてそれを動かそうとする側面を指す、との見解を披露し、議論の中で、NG0支援による一見紋切り型の文化表象でも、そうした関係性における主張として捉える必要性を指摘した。
続く杉田報告は、自ら関係するNP0による学校菜園プログラム活動を通じて、エクアドルの先住民に対して行われる二言語教育の成否は、親を中心とする地域の住民がアイデンティティ意識を背景に、その地域の将来像の中に学校教育の必要性を位置づけ、政治的な要素を極力排しつつ、学校との間で協調的かつ生産的な関係を構築できるかにかかっていると提起し、カトリック教会が教育で果たす役割や発表者の関係するNPOの活動について質問や議論が展開した。
最後の村上報告では、ペルーでの先住民運動の不活発の背景に、活発化した国と比較して、国家との関係での先住民意識形成契機の不在、また小党分裂化する左翼勢力の影響から先住民をまとめるリーダーシップが生じなかった状況が強調され、特にメキシコとの関連で、国土の規模の点からの全国的運動形成の困難性や先住民復興運動を背景とする政府による施策の有無をめぐって意見が交わされた。
以下は各発表者による要約である。(村上勇介:京都大学)

「エクアドルの先住民運動と異文化間教育―Interculturalidadの理想と現実」
生月亘(関西外国語大学短期大学部)

本発表では、エクアドルの先住民が、先住民運動、および「二言語・異文化間教育」の中で一貫して主張し続けている「Interculturalidad」の槻念について、その意義と役割を文化人類学的視点から考察を試みた。とりわけ、なぜエクアドルの先住民が「多文化主義(Multiculturalism)」の代わりに「Interculturalidad」にこだわり続けるのか、両者の概念の差を先住民運動の歴史的背景から分析し、言葉の定義の差に見られるニュアンスの違いからエクアドルにおける先住民運動の特徴を明らかにすることを試みた。

「エクアドル、シエラノルテのカヤンベコミュニティのバイリンガル教育 ―地域の教育の発展を可能にするもの」
杉田優子(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

カヤンベは、生花産業の拡大やそれに伴う土地使用の変化、地方から都市への人の移動など、激しい社会変化にさらされている。周辺地では学校の過疎化が、中心地では過密化が目立つようになったら本報告では、このような社会背景において、異文化間バイリンガル教育が、カヤンベ周辺地の学校、地域でどのような状況にあるのかを、報告者が関わっているNGOの学校菜園事業のプロセスと、独自の調査を通して分析した。特に、異文化間バイリンガル教育を戦略として位置づけているコミュニティの例を追いながら、地域における教育の可能性について検討する。

「ベルーにおける(全国・広域レベルの)先住民運動の未形成―その政治的背景」
村上勇介(京都大学地域研究統合情報センター)

ラテンアメリカで先住民人口の多いボリビア、グアテマラ、エクアドル、メキシコ、ペルーのうち、前者4ヶ国では1970年代以降に先住民運動が活発化した。ペルーで同様の現象が起きていない原因として、先行研究では政治暴力による政治活動の制約や多民族性、向都移動による先住民意識の喪失などが主張されてきた。本発表は、他の4ヶ国とペルーの状況を比較し、別の政治的要因を強調した。具体的には、まず、ペルーでは権威主義的ながら不安定な政治状況が続き、メキシコのような権威主義体制の構築に至らなかった。また、グアテマラのような先住民(農民)に対する極度の抑圧状況が生じなかったことから、国家との関係で先住民意識形成の契機がなかった・他方・ボリビアとエクアドルでは、1970年代後半の民政移管の過程で左翼勢力が労働組合に主たる関心を向け農村を重視せず先住民運動への道を開き、さらに民政移管後に展開した連合政治がそれの展開を助けたのに対し、ペルーでは農村で左翼諸勢力の影響が強く残り、小党分裂化したため、全国・広域レベルの先住民運動が発現しなかった。ペルーの活発な「先住民運動」として近年注目されている鉱山被害共同体全国連盟についても同様の特徴を指摘した。