研究部会報告2010年第2回

東日本研究部会

2011年1月8日14時から17時30分まで、東京大学駒場キャンパスで開催。4名の報告者を含む17名が参加した。報告者はいずれも大学院生であり、今回の発表を学位論文・投稿論文へと発展させるための課題を意識した議論が活発に展開された。以下は研究部会委員による評である。(コーディネーター 石橋 純)

「大衆動員と政治体制の変化―1964年から2000年のチリ」
星野加代(東京大学大学院)

1990年以降、チリの市民社会における社会運動が「不活発」になったと、多くの先行研究は指摘している。社会不平等がまだ多いチリにおいて社会運動「不活発説」は興味深い。果たして本当なのだろうか。星野会員は「不活発説」は社会運動の数に注目しているものの、行動様式パターンの変化には着目していないと指摘し、実際は「見えにくくなった」と指摘している。これを実証するために、2次資料のデータを集め、チリの集合行為を体系的に分析した。この問題に着目した星野会員の研究関心を高く評価したい。ただ、会場でも指摘されたように、二次資料のデータ分析では不十分であり、一次資料も扱う必要がある。しかもシンプルな量的分析ではなく、「見えにくくなった」と実証する為には質的分析が不可欠である。加えて、会場から指摘された以下の点も念頭において欲しい。ターミノロジーが曖昧であること、データから伝えたいこと、因果関係、政党、制度などの関連性を指摘していないことなどである。このような問題を踏まえて、星野会員が今後の研究を進めることを期待する。(ロメロ・イサミ)

「ブラジルにおける宗教的不寛容の現在―ネオペンテコステ派によるカンドンブレ批判の捉え方」
高橋慶介(一橋大学大学院)

ブラジルのネオペンテコステ派が他宗教に対して行う批判は1980年代後半以降、痛烈を極めてきた。その最大の対象となったのが、ヨルバ系起源を持つカンドンブレだった。本発表において高橋会員は、ペンテコステ派によるカンドンブレ批判とそれに対するカンドンブレの側の反応を紹介しながら、争点となるポイント、両者の主張の類似点を指摘した。中心的に取り上げたのは、福音派からの分派であるネオペンテコステの中でも主要な教会IURDの創設者Edir Macedoの著書に見られる論点、とりわけカンドンブレの憑依実践を悪魔のそれとして批判するそのしかただが、実は憑依の実践に似た儀礼はネオペンテコステ派にも存在するし、何よりも「繁栄」の概念を重要視する点に関しては類似しているというのが、高橋会員の分析であった。こうした高橋会員の発表に対して、ローマ・カトリックとの関係についての考察が足りないのではないかとのコメントが寄せられた。また、発表後半においては、カンドンブレの儀礼場間の相互批判や、カンドンブレに対する研究があまりにも盛んであるという現状(学問による消費)について言及することによって、論点が曖昧になった観があった。しかしそれも、今後の研究への展開の前触れなのだと指摘したい。(柳原孝敦)

「現代メキシコにおける性愛倫理と家族観―メキシコ市の同性婚認可とその運用状況から」
上村淳志(一橋大学大学院)

メキシコでは、自身レズビアンを公言するPatria Jiménezが下院議員に当選した1997年以来、憲法改正などによって性的マイノリティに対する配慮がなされるようになり、2006年にはメキシコ市で同居社会法が成立、2007年コアウイラ州で民事連帯契約認可、2009年メキシコ市で同性婚認可と相次ぎ、結果、メキシコ市およびコアウイラ州での同性婚が可能になった。上村会員は、こうした法整備の過程を主要政党間の政治的駆け引き、同性婚反対の立場に立つカトリック教会とのやりとり、メディアにおける報道などを紹介しながら明らかにし、とりわけ争点となったのが、同性婚カップルに異性間の夫婦と同じ保護を与えるべきか(「家族」の概念)、養子の扱いをどうするか、の2点であったと分析した。そしてまた、自身ヌエボレオン州モンテレイのメトロポリタン・コミュニティー・チャーチでの調査を行った上村会員は、性的マイノリティに寛容なその教会の利用者の中に、メキシコ市で結婚しモンテレイに戻って夫婦として暮らすカップルが存在すること、最高裁判決によってメキシコ市での結婚が他地域での戸籍上も有効とされることが示され、このことによって州法が実質的に国法化していること、の2点を指摘した。以上の発表は、上村会員自身が認めるように、経過報告的な様相が強く、タイトルに掲げた「性愛倫理」の考察と呼ぶには物足りないように思われるが、市民運動やメディア報道などの分析をさらに加えて展開すれば興味深い結果が得られるのではないかとの期待を抱かせるものであった。(柳原孝敦)

「メキシコ独立運動再考―1811年~1813年テハスを事例に」
二瓶マリ子(東京大学大学院)

二瓶会員はテハスに注目し、独立運動期、テハスは米墨国境地帯として地政学上重要な役割を担っていたことを細かく説明した。なかでも革命派グティエレス・デ・ララに注目した。独立運動期の歴史で忘れられた人物であるが、発表を聞いてその重要性が明らかになり、とても興味深かった。その意味で、二瓶会員を高く評価したい。しかし、発表の主旨がわかりにくかった。テハスの独立、または独立期の通史なのか。それともグティエレス・デ・ララの人物像の説明なのか。博士論文全体構想における当該事例の位置づけ、研究の意図・意義などについて明確に説明すべきであった。今の段階では通史に近い。ただ、改めて指摘するが、グティエレス・デ・ララという人物は興味深い。私自身は、テハスの独立ではなく、グティエレス・デ・ララを軸に論文を書き、学術雑誌に投稿するのを薦めたい。(ロメロ・イサミ)

中部日本研究部会

2010年12月14日(火)15時15分から16時15分まで、南山大学名古屋キャンパスにて開催された。今回の研究部会では例外的に、同大ラテンアメリカ研究センターとの共催による公開講演会を企画し、慶應義塾大学名誉教授で現在日本オーラル・ヒストリー学会会長を務めておられる清水透先生を講師としてお招きした。「激変するメキシコ先住民の村チャムーラ」と題し、1979年以来足掛けおよそ30年にわたるチャムーラ村でのフィールドワークでの知見をもとに、過去15年間にみられる激変の様相についてお話しいただいた。特に先住民の都市への大量流入、そして1990年代から現在にいたる米国への出稼ぎ労働の実相に焦点をあて、こうした激変がマクロ社会にいかなる変容を迫りつつあるのかを分析し、またそれが、「発見」以降の500年以上に及ぶアメリカ大陸の歴史の中で、いかなる意味を持っているのかについて考える、というのが本講演の趣旨であった。

平日の午後に開催したこともあり、出席できた会員は7名に留まったが、南山大学の学部生・大学院生、また関東・関西地区からかけつけてくれた大学院生を含め、参加者は総勢200名近くに及んだ。周知のように、清水先生は本学会の会員でもあられ、永年にわたり学会活動にもご貢献されてきた方である。ご講演内容はもとより、清水先生の研究者としての姿勢に感銘を受けた参加者も多く、この講演に参加したことがきっかけで将来、ラテンアメリカ研究者をめざすことになる学生も現れるのではないか、と教え子のひとりとしては密かに期待しているところである。

講演会後の懇親会でも、中部日本部会所属会員、南山大学や他大学の大学院生たちを交え、清水先生を囲んで大いに盛り上がった。その多才ぶりと幅広い活動ぶりから、最近では「アグレッシブ・シニア」の異名をとる先生であるが、今後のますますのご健康とご活躍をお祈りして、部会担当理事からの報告とさせていただきたい。(牛田千鶴:南山大学)

西日本研究部会

2010年12月4日(土)、同志社大学今出川キャンパスにおいて開催された。出席者は9名と小規模ながら、いずれの報告においても報告者と参加者の間で活発な議論・質疑応答が交わされ、極めて有意義な研究会となった。今回の研究会では、磯田会員がペルー政治において、フジモリ元大統領に代表される、アウトサイダーが台頭する要因についての報告、塚本会員がドミニカ共和国出身の米国人作家、フリア・アルバレスのヒスパニック文学に見られるメタフィクション性に関する報告、そして田沼会員が他国へと移民していったキューバ人の心境を、「語り口」に焦点を当てつつ紹介したドキュメンタリー報告が行われた。これらの3つの報告は、それぞれ政治学、文学、人類学と専門分野は異なる一方で、「アウトサイダー」としての主体に焦点を当てる点で共通していた。この「アウトサイダー」への関心を軸として3つの報告が有機的につながり、分野横断的かつ建設的な議論をする機会に恵まれた研究会であった。具体的に、以下のような議論が行われた。

最初の磯田報告は、1990年代以降のペルーに焦点を当て、新しい政治アクターとしてのアウトサイダーが大統領として選ばれるための条件を考察した。具体的に、ペルーの1990年、2001年、2006年の大統領選挙を分析した結果、①伝統的な政治エリートとの区別を明確にし、新しいリーダーとして有権者に認識され、②選挙キャンペーンで、中位投票者の選好に近づくことができたアウトサイダー候補が、選挙に勝利したことを示した。アウトサイダーの台頭はポピュリズムとどのように関係するのか、アウトサイダーのイデオロギーが、中位投票者に近い場合よりも候補者間の中位にある場合に大統領選挙に勝利するのではないか、ペルー市民は、実際にアウトサイダー現象をどのように認識・表現しているのか等について、掘り下げた議論が展開された。

次の塚本報告は、トルヒージョ政権下で反体制活動を行ったために抹殺されたミラバル姉妹が、アルバレスによってフィクション化された効果について考察した。アルバレスは、彼女自身の分身と思われるインタビューアーを登場させることによって、偶像化されたミラバル姉妹「像」を打ち砕き、人間としての姿を浮かび上がらせるとともに、弾圧を免れて生き残った者が抱える心の葛藤を描きたかった、との解釈が提示された。米国のヒスパニック文学において、生き残った者の苦しみというテーマを扱うことは頻繁に見られるのか、スペイン語にも訳されているアルバレスの作品が、ドミニカ共和国での歴史認識やアイデンティティ構築に影響を与えているのか、ポスト・コロニアルというよりポスト・モダン的な文学作品といえるのではないか、等の論点が提示された。活発な質疑応答を通して、政治的背景を前提としながらも政治的批判を意図的に避け、登場人物の人間描写にこだわるアルバレス作品を、特定のジャンルに分類することの難しさが浮き彫りになった。

最後の田沼報告で紹介された ドキュメンタリー映像は、国外へ移住した7人のキューバ人が、移住という選択や祖国についてどのような思いを抱いているのかについて記録した作品であった。報告者がハバナで知り合った後、5人はイギリス、スペイン、チリ、アメリカへ渡り、アルゼンチン系カナダ人はキューバに残った。彼らが国内外への移動を決意した背景は、単に社会主義への是非という政治的語り口ではとらえきれないことが、移住先のインタビューを通じて示された。映像は、能力に見当った将来・待遇が約束されない祖国キューバに対する不満など、マス・メディアで伝えられる機会の少ない移住者の「本音」を見せる一方で、その「語り口」は移住先によっても異なるのでは、との意見が交わされた。その他、キューバにおけるフィデル・カストロ評価、格差問題、移住者からの送金の役割、教育水準など、キューバの現状についての幅広い関心が喚起された。

以下は、各発表者から提出された要旨である。(高橋百合子:神戸大学)

「ペルー政治におけるアウトサイダー―1990・2001・2006年大統領選挙を通して―」
磯田沙織(筑波大学大学院博士後期課程)

本報告では、1990年以降のペルーにおいて、アウトサイダー(新しい政治アクター)が出現しやすい状況であったことを指摘した上で、大統領選挙に勝利したアウトサイダーの事例と敗北した事例の違いを分析する。

「米国におけるヒスパニック文学の考察―Julia Alvarezのフィクション性」
塚本美穂(福岡女子大学大学院博士後期課程)

本発表では、ドミニカ系アメリカ人作家フリア・アルバレスの『蝶の時代』(1994)のフィクション性について考察した。「蝶」の象徴となり、暗殺された実在のミラバル三姉妹のフィクション化と、本作品が書かれた意味について検討した。

「Cuba Sentimental」(キューバからの移民に関するドキュメンタリー映画)
田沼幸子(大阪大学特任研究員)

本作は、博士論文『ポスト・ユートピアのキューバ―非常な日常の民族誌』であつかった2~30代の青年たちが、その後移住先でどのように生活し、なにを考えているかを迫ったドキュメンタリーである。