研究部会報告2014年第1回
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東日本研究部会
2014年4月5日(土)13時30分から16時30 分まで、東京大学駒場キャンパスで開催。3名の報告者、2名の討論者を含む14名が参加した。以下は各研究の報告と議論の要旨である。
(大串和雄:東京大学、上谷直克:アジア経済研究所)
○「第二外国語としてのブラジル・ポルトガル語教育について」
ホリウチ・アンドウ・アリッセ・イズミ (常葉大学非常勤講師)
討論者:柳原孝敦(東京大学准教授)
本報告では、大学で第二外国語として教えられているブラジル・ポルトガル語教育の現状と課題が考察された。まず、アンケート調査を中心に、静岡県内でブラジル・ポルトガル語を学ぶ大学生の学習背景の状況を分析した。調査結果では、学生と在住ブラジル人との日常的な接触の機会は少なくないが、ブラジル人が多く住む地域でさえ、「道を案内する」、「あいさつを交わす」程度に過ぎず、交流の程度が浅いことが判明した。次いで、報告者がブラジル・ポルトガル語の授業の一環として実施する在住ブラジル人との異文化交流学外授業の効果について考察された。そこでは、地域のブラジル人との交流を通じて学生らが感じたことや、どのような意識の変化があったかを明確にしつつ、その学習効果や意義が探求された。最後に、地域交流における活動がブラジル・ポルトガル語の学習にどのような影響を及ぼすかという分析結果から、第二外国語としてのブラジル・ポルトガル語教育における課題が論じられた。
本報告に対して、まずコメンテーターから、「異文化交流学外授業」の実施方法についての質問や、その効果に関する報告者の評価について疑問が投げられた。また、質疑応答では、ポルトガル語履修者のブラジルへのイメージやポルトガル語を選択した動機、実際の就職先に関する質問や、報告者が実践する「異文化交流学外授業」のような教育法とその効果に関する(他言語を含めた)先行研究があるのかといった質問がなされた。
○「研究動向報告:ラテンアメリカ発批判思想の今日的展開―近代性/植民性研究グループGrupo Modernidad/Colonialidadの紹介」
中沢知史(早稲田大学大学院博士後期課程)
討論者:柳原孝敦(東京大学准教授)
本報告では、「近代性/植民性研究グループGrupo Modernidad/Colonialidad」(以下GMC)を事例に、ラテンアメリカ発の批判思想の今日における展開が紹介された。GMCの中で有力な論者であるキハーノ、ミニョロ、ドゥセルの略歴が紹介されたうえで、彼らの著作に基づき、GMCが共有する「近代性」、「植民性」認識が整理された。近代性、植民性、そして資本主義はともに1492年の「征服」に由来するというGMCの世界史認識に基づき、西欧近代知もまた植民性、資本主義と切り離せないという彼らの主張の妥当性が、ハート&ネグリ『コモンウェルス』におけるGMCからの剽窃問題などの中に見出されることが示唆された。最後に、GMCが、知の脱植民地化を求めるラテンアメリカ思想の大きな潮流の末端に位置するものであるとまとめられたうえで、ミニョロが提示するラテンアメリカおよび世界の将来像が紹介された。
本研究動向報告に対し、コメンテーターから、報告者の憤りに共感し、戦闘的な面は評価するものの、ミニョロの評価に関しては,報告者がラテンアメリカという特殊な文脈においてのみ理解しており,かえってミニョロの理論が持つ可能性を裏切っているのではないかとのコメントがなされた。また他の参加者からは、ラテンアメリカで変革に従事する人々がGMCから力を得ている事実に鑑みれば、このテーマを取り上げる意義は大きいものの、こうした動向の紹介が今後いかなる研究に結びついていくのかとの疑問が呈された。また、報告者自身がGMCの基本認識についていかなる見解を持つのか、「近代性や植民性などが1492年に由来する」とのGMCの世界認識をどこまで彼らのオリジナルと考えることができるのか、GMCの貢献の核心は何なのか、また、本当にGMCが「先住民と出会えているのか」といった質問や問題提起がなされた。
○「メキシコ、ユカタン州マヤ族のオルタナティブ・ジャスティス:修復的司法の変容」
柏倉 恵(東京外国語大学大学院博士後期課程)
討論者:山﨑眞次(早稲田大学教授)
メキシコの法の近代化は、国家が独占的に法律を制定し適用するものとして発展してきた。そして、近代法の原則である「法の下の平等」は、実際に存在する不平等を覆い隠した。司法専門家による伝統文化に対する無理解や非公用語話者への差別が存在する状況において、先住民は自らの共同体内部で紛争を解決してきた。共同体内部で拠るべき規範として発展してきた慣習法は、共同体内部の価値観を再生産する役割を担っていると指摘される。そうした価値観は時代に応じて変化するのか、それとも硬直的に昔のままの価値観を維持し続けるのであろうか。本報告の対象地域となるユカタン州では、マヤ語を用いて行われる事実上の先住民裁判制度としてJuez de Pazという共同体の裁判制度が存在する。本報告では、Juez de Pazに行ったインタビューと村の裁判での合意に関するデータに依拠して、Juez de Pazという制度の特徴を素描し、共同体の価値観の変化の可能性について検討した。
博士論文作成への準備の一環としてなされた本報告に対して、まずコメンテーターから、Juez de Pazという制度の歴史的経緯についてのさらなる調査やメキシコ内の他事例(オアハカ)との比較の必要性が示唆された。また方法論的観点から、現状では理論的な部分が弱いため、今後は例えば、法律学的観点や、多文化主義の理論から事例を見直してみることが推奨された。質疑応答では、メキシコの既存の司法制度に対する国民の信頼度や、当事者の和解に至らない場合のJuez de Pazの対応について質問されたほか、今後の研究への提案として、メキシコのJuez de Paz制度の全体像を描き出すこと、ペルーなど他国の類似例と比較すること、「共同体の価値観の変化」を実証するべく時系列に沿って裁判の報告書の内容分析を実施することなどが出された。
中部日本研究部会
2014年4月26日(土)13時30分から17時00分まで、中部大学名古屋キャンパスで開催。2名の報告者、杉山知子、中川智彦両運営委員を含む計7名が参加し、活発な研究会となった。以下は各研究の報告と議論の要旨である。
(田中 高:中部大学)
○「日系ペルー人の中のニホン―食生活を中心に」
寺澤宏美(名古屋大学非常勤講師)
これまでに行ってきた在日日系ペルー人への聞き取りにより、ペルーの日系家庭においては日本語の使用、日本文化の維持が全くされていない場合でも日本食は継続して食べられていることがわかっている。日常的には食べていなくても、大みそか、正月誕生日、法事などの機会に「季節食」「行事食」を摂っていることがある。このことは2世、3世といった世代や日本人の血の濃さ(非日系人が血統にいない)とは関連性がないと考えられる。また、家庭内における日本食の存続の条件として、家族あるいは周囲に、日本の伝統・食習慣を維持しようと考える人、あるいは実際に料理の作り方を知る人がいる、などがある。
今後の課題としては、ペルーの日系家庭における中食・外食傾向、在日ペルー人の家庭内食との比較、日本滞在による食事内容の変化、子どもの嗜好の調査などが挙げられる。
○「グレゴリオ・デ・セスペデスと文禄の役」
谷口智子(愛知県立大学)
グレゴリオ・デ・セスペデスは、初めて朝鮮半島を訪れたヨーロッパ人宣教師で、日本で布教していたスペイン人イエズス会士である。1552年、マドリッド生まれのスペイン人。1569年イエズス会に入会、1571年サラマンカからインドに渡り哲学と神学を学んだ。1575年ゴアで司祭となり、1577年渡日、1611年小倉で生涯を終えた。セスペデスは1593年12月27日、文禄の役のとき、朝鮮半島に密かに渡った。朝鮮出兵をしきる一番隊総大将小西行長アグスティンの依頼によってである。朝鮮出兵するキリシタン大名や武将達のためにミサを行い、告解を聞くためである。彼は、レオ・コファン(またはファンカン・リャオ、下総生まれ、日本名不明)という修道士と共に、対馬、釜山経由で朝鮮半島に渡り、小西行長の預かる釜山近郊の熊川倭城(コムンガイ)に主に居住し、近隣の城にあるキリシタン大名や武将達の館を訪れている。
セスペデスは、1593年末−95年初め頃まで、約一年間朝鮮に滞在したとされている。小西行長に乞われて、キリシタン武将達のミサや告解のため、朝鮮に渡ったが、小西の政敵、加藤清正(仏教徒)によって、秀吉に密告されたため、急遽帰国しなければならなくなったからである。彼が朝鮮で行ったことは、(1)戦争に参加した日本人キリシタン武将達との交流、ミサ、告解を聞くこと、(2)イエズス会にあてた書簡を通しての朝鮮における戦争(文禄の役)の報告である。
セスペデスは、朝鮮から連れてきたかなりの数の捕虜に洗礼を施し、キリシタンにした(従来の研究では、セスペデスは朝鮮で戦争中に捕虜や囚人と関わらず、彼らに直接布教していないと考えられていたが、少なくとも接点はあったことが本研究で明らかにされている)。
セスペデスが残したものは、書簡を通じた文禄の役当時の貴重な記録(日本準管区長ペドロ・ゴメス神父宛、この書簡は、ルイス・デ・グスマンやルイス・フロイスの本に反映されている)である。ここでは彼の書簡(七通現存しているうち、四通が朝鮮関係。従来の研究では朝鮮関係の書簡は二通①②しか明らかでなかったが、朴哲氏が③④発見)を通じた文禄の役についての記録をまとめ、紹介した(朴哲著、谷口智子訳『グレゴリオ・デ・セスペデス―スペイン人宣教師が見た朝鮮と文禄・慶長の役』春風社、2013年)。
西日本研究部会
2014年4月12日(土)午後1時半から5時半まで、同志社大学烏丸キャンパスで開催された。研究部会には、14名の参加があり、活発な議論が行われた。穐原報告は、カルペンティエルの初期短編やバレエ作品におけるヨーロッパ前衛主義やアフロキューバ主義が、どのような形で最初の長編『エクエ・ヤンバ・オー』へと結実するに至ったのかについて議論された。また、分析対象の作品における宗教的「奇跡」に対する作者の思想についての質問がなされた。塚本報告では、放映される国の文化的・社会的背景によって、リメイク版が原作と異なるのは当然であるから、どのような枠組みや観点から比較するのかについての考察が必要ではないかという指摘がなされた。その一方で、コロンビア市民から批判されているという米国のリメイク版は、ジェンダーの視点から分析に値する様々な要素が含まれているというコメントがあった。磯田報告は、パラグアイの大統領にアウトサイダーが就任する結果をもたらしたコロラド党(ANR)の内部分裂において、具体的にはどのような対立点があったのかについての質問とともに、企業家出身とはいえ、コロラド党員としての経歴を持つカルテスを「アウトサイダー」と呼べるのかという疑問や、他国における「アウトサイダー」と比較する際の困難についてコメントが出された。小林報告では、サパティスタ運動において、タタ・フアン・チャベス講座がどのように位置づけられており、誰が参加し、どのように開催されたかについての質問がされた他、先住民全国会議は今後どのように展開されていくと予想されるかについて、現状の説明がなされ、議論が行われた。研究会後、交流会が行われ、7名の会員の参加が参加した。
以下は各発表者による要旨である。
(松久玲子:同志社大学)
○「「奇跡」の語り方―カルペンティエルの初期の短編とバレエ」
穐原三佳
キューバの作家アレホ・カルペンティエル(1904-1980)の短編『エレベーターの奇跡』(El milagro del ascensor, 1929)とバレエ台本『アナキリェの奇跡』(El milagro de Anaquillé, 1927)をとり上げ、以下の手順に従って研究報告を行った。
まず、全集未収録作品『エレベーターの奇跡』の成り立ちと概要を述べ、先行研究やカルペンティエルの1920年代の雑誌記事を参照しながらこの短編における都市描写について考察した。その過程で短編に描かれた「未来都市」には1910年代から20年代のニューヨーク、ハバナに加えてパリの断片化された都市風景が混在している点を指摘した。こうした特定不可能でありつつもニューヨークに酷似した都市を描き出すことで、カルペンティエルは20世紀における世界の諸都市の風景の画一化――「物質的典型」たるニューヨークの似姿の増殖――を示唆しようとしたのではないだろうか。また、「物質的典型」都市ニューヨーク、というモチーフは『失われた足跡』(Los pasosperdidos, 1953)や『春の祭典』(La consagración de la primavera, 1978)他、後の作品に引き継がれ、「黙示録的」現代都市描写へと発展してゆくものである。
続いて『アナキリェの奇跡』と『エレベーターの奇跡』の比較を行い、次の点を明らかにした。テーマや筋書きにおいて両作品は共通しているものの、信仰のあり方から「奇跡」の起こり方にいたるあらゆる面において人工物への依存が認められる『エレベーターの奇跡』とは対照的に、『アナキリェの奇跡』においては自然物の優位が強調されている。この相違は、後者がアフロキューバ主義という文脈の下、表現上の葛藤とともに生み出されたのに対し、前者はそうした地域的テーマから距離をおき、当時の前衛的手法の実験を主たる目的とした作品であった、という背景の差異に由来するものである。
○「“Yo soy Betty, la fea”とリメイク版の描写―哥版・墨版・米版の比較」
塚本美穂(京都外国語大学大学院)
本報告では、コロンビアで最高視聴率80パーセントを記録した “Yo soy Betty, la fea”について考察した。1999年に制作されたこのテレノベラは、不美人の女主人公ベアトリスが人生の夢を達成していく姿を描いている。この番組は世界各国で放映され、その人気の高さからリメイク版も数多くあり、米国では“Ugly Betty”、メキシコでは“La FeaMás Bella”が制作された。
しかしながら、墨版や他国のリメイク版ではなかったことだが、制作国のコロンビアでは米版を強く非難している。なぜこのような事態になったのだろうか。本報告では原版の哥版をもとに、リメイク版の墨版、米版の比較においてボードリヤールのシュミラクールの理論を用いた。これによって墨版と米版の相違が明確になるためである。
哥版・墨版・米版の共通点は女主人公を表す眼鏡と歯列矯正用ブリッジである。どちらも身体上の欠陥を補うものであり、ベアトリスは矯正という手段を用いて自分の不足部分を補おうとしていることがわかる。
相違点としては映像表現があげられる。哥版ではコロンビア社会における美しさの条件、経済格差、階級制度が追求されている。墨版は登場人物、地名の相違はあるものの原版に忠実に番組を再生している。米版も美の追及、経済格差を表しているが、同性愛者、性別適合手術、不法移民の要素を挿入している。コロンビア国民が米版を強く非難している背景には、米国における社会的背景を盛り込まれ、コロンビアの社会構造、生活慣習、風習が無視されている点が考察できる。コロンビア国民にとっては、自分たちが保有している番組のイメージ、たくましく生きるコロンビア女性の表象がもろくも崩れ去り、異なるイメージで捉えられているからである。
このようなリメイク版にあるような番組を真似て作り直すという行為は、ある種の擬態、ミミクリを表している。しかし米版は墨版とは異なり、原版から離れて元の版からの関係を断って一人歩き始めた時点から、ボードリヤールが定義するシミュラクールとして提示できる。原版を大きく逸脱して原版の原形をとどめない米版はシュミラクールとして援用した。
○「パラグアイ政治における「アウトサイダー」の出現に関する一考察」
磯田沙織(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
本発表は、政治経験を持たない、新しい政治アクターである「アウトサイダー」の出現と台頭に関して、1989年から2013年までのパラグアイの事例を用いて検討するものである。
1990年代以降の南米諸国において、アウトサイダーが大統領に当選する事例が頻繁に観察されており、先行研究は、こうした事例が起きた要因の一つとして、政党システムが弱体化した国では、新しい政治アクターが台頭する間隙が存在したことを指摘している。では、長期間にわたり政権を維持してきた政党が存在するパラグアイにおいて、2008年にアウトサイダーが大統領に当選したのはなぜか。また、アウトサイダーの当選は、他の政治アクターにどのような影響を与えたのか。本発表では、世論調査や二次資料等を用いて、上述した二点の問いを検討した。
第一に、長期間にわたり政権政党であったコロラド党内の派閥対立が激しかったことに加え、コロラド党政権に対する支持率が政権末期に著しく低下していたことを指摘した。他方、1993年及び2003年に出現した新しい政党が支持を拡大する中で、コロラド党の得票率が低下したことに言及した。つまり、派閥対立により弱体化していったコロラド党は有権者からの支持を失い、アウトサイダーが大統領に当選できたことを明らかにした。第二に、アウトサイダーが当選した後、コロラド党が派閥対立を最小限に抑えて政権を奪還したことを指摘した。他方、他の主要政党や政治勢力は、派閥対立や有力な政治家の欠如によって得票率を低下させたことに言及した。つまり、アウトサイダーの当選は、新しい政治アクターの勢力拡大にはつながらず、政治アクターごとに異なる影響を与えたことを明らかにした。
今後は、本発表で取り上げたパラグアイと他の南米諸国の事例を比較することで、南米諸国におけるアウトサイダーの出現が代表制に及ぼした影響に関して検討していきたい。
○「巨大開発に対するメキシコ先住民の領域防衛の戦い―全国先住民議会タタ・フアン・チャベス講座に参加して」
小林致広(京都大学文学部)
サパティスタ民族解放軍と先住民全国議会(CNI)が共催したタタ・フアン・チャベス講座(チアパス州サンクリストバル市、2013年8月17・18日)には、200名余りの先住民代表団とサパティスタが組織した「小さな学校」プログラム受講者などが参加した。2006年「別のキャンペーン」以降、ほぼ休眠状況にあったCNIの活動の再活性化を目的に、CNIのモラル的リーダーだったフアン・チャベス死去1周年に開催された講座では、各地の多様な闘争への連帯要請と弾圧に対する告発などとともに、自生栽培種の保全、共同体ラジオ、地域通貨、連帯経済の模索など伝統文化維持や代替的開発の模索の事例などが紹介された。
本報告では、プエブラ・パナマ計画に基づき、「持続可能性」や「環境にやさしい」を謳い文句にした環境資本主義、あるいはグリーン・キャピタリズムの装いをまとって事前協議抜きで強行されている巨大開発計画への抵抗の事例を取り上げて報告した。具体的には、テワンテペック地峡部の先住民であるイコート(ウァーベ)やビニサア(サポテコ)の共同体の風力発電回廊計画、サンルイスポトシ州のウィシャリカ(ウィチョール)の聖地ウィリクタでの鉱山開発権認可の撤回闘争、チアパス州北部アグア・アスル滝エコツーリズム事業へのサパティスタ派の先住民共同体による抵抗という3事例をもとに、従来の共同体の土地防衛闘争の枠組みでは捉えきれない天空(風力)、地下(鉱物)、水流(観光)という領域にある資源の防衛闘争の現状と問題点を論じた。