第25回定期大会(2004) 於:同志社大学

第25回定期大会が、6月5日(土)、6日(日)の両日にわたり、同志社大学今出川校において開催されました。

特別講演

"La transpacificidad de las relaciones entre México y Asia: una agenda pendiente"
Dr. Carlos Uscanga (Universidad Nacional Autónma de México)

La presentación comenzó refirindose a los aspectos generales y teóricos relativos a la formación y al funcionamiento de los bloques regionales, y la dinámica en la formación de acuerdos intrabloque y aquellos entre los diversos bloques. El conferenciante pasó de esos aspectos generales a los más específicos relativos a las relaciones en el área del Pacífico, analizando la importancia de las mismas desde el punto de vista de México. A los fines de aclarar esa temática, analizó como un concepto de análisis que cobra importancia el de transpacificidad. Conviene destacar al respecto que el Dr. Uscanga se dedica específicamente al tema de la transpacificidad en su tarea docente, en el área de las relaciones internacionales.

Descendiendo a niveles aún más concretos, la última parte de la conferencia estuvo dedicada a hacer algunas precisiones, acompañadas de observaciones críticas, acerca del proceso de negociación del tratado de libre comercio recientemente firmado por Japón y México. Una de las temáticas en las que puso mas énfasis fue aquélla que del lado japonés se vea, en la mesa de negociaciones un acuerdo entre los sectores involucrados en la elaboración del convenio, el oficial, el privado y el académico. Lamentó que ese consenso no se observara en la parte mexicana y lo que es más, que a la hora de elaborar el acuerdo el sector académico terminara por ser ignorado.

分科会1「ラテンアメリカ経済の展開」
司会:安原毅(南山大学)

高橋報告は輸出主導型成長モデルと所得分配・地域格差の関係という各国共通のテーマに取り組むもので、桑原報告はアルゼンチンの債務交渉に関する最新情報まで詳細に示してくれた。両報告は現代ラテンアメリカ経済を語る上で欠かすことのできない論点を扱うもので、加えてそれぞれ内容が多岐にわたったことからも、数多くの質問・コメントが寄せられた。

もっとも、報告内容の多様さに比べてフロアーからの質問は限定された論点に集中した感も否めない。限られた時間内ではある程度仕方が無いが、こうした重要論点に関しては研究上の立場の違いを超えた共通認識の形成が望まれるところである。

「輸出主導型経済成長と所得分配問題―1980年代後半から現在にかけてのチリの事例」
高橋直志(同志社大学)

本報告は1980年代後半から現在にかけてのチリ経済を分析対象としている。当該期のチリ経済をマクロの経済・社会指標から判断すればジニ係数と都市人口比率以外に問題のある数値は見られないが、この20年の間にジニ係数が大きく改善も悪化もしないという現象は世界の中でも非常に珍しい。そこで①チリ経済固有の問題点と②ネオ・リベラリズムそのものの問題点、そして③世界経済全体の中におけるチリ経済のポジションという3つの視角より分析を試みた結果、①チリは人口規模が小さい割に若年人口比率は高く国際労働力移動は少ないため、労働市場に犠牲を強いがちなネオ・リベラリズム型の経済政策と親和性があり、②チリが輸出主導型経済成長に成功した要因は国内要因以上に国際市場の構造変化に負う部分が大きく、③首都圏と地方の非輸出型農業部門を見る限り長期的にチリがモデル・ケースの条件を維持できるか否かは未だに予断を許さないことが判明した。

「新興市場国の国家債務再編を巡る最近の動き」
桑原小百合(国際金融情報センター)

途上国の対外債務問題における国際機関や先進国政府の関心は、重債務低所得国の債務削減に移っている。中所得国支援は民間資金を中核として進めるべきであるとの考え方が大勢となっており、より大きい民間セクター関与が求められるようになった。また、アジア危機以降の国際金融危機からの教訓の一つとして、従来のような事後的かつケースバイケースのアプローチから、事前取決アプローチへのシフトが図られている。具体的にはソブリン債務再編メカニズム(SDRM)、集団行動条項(CACs)、行動規範(Code of conduct)の3方策が検討され、SDRMは事実上の棚上げ、CACsは主要金融市場での慣行として定着、行動規範は検討課題となっている。

中南米経済は「失われた5年」を経て回復軌道に乗りつつあり、対外不均衡は是正され、外的ショックに対する抵抗力は高まった。しかし、厳しい財政制約の下、持続的・安定的な経済成長を実現していくには、中長期資金流入の確保が不可欠で、そのためには金融危機の再発防止が極めて重要である。最たる例がアルゼンチンであろう。周知のように、2001年に危機に陥ったアルゼンチンは、公的債務約1,000億ドルがデフォルトしており、債務再編案に関する海外債権者との溝は深まるばかりである。債務再編合意ができなければ、海外からの投資はもどってこないであろうとの見方が一般的であり、このままでは再び危機に陥る可能性もなしとしない。一方、アルゼンチン政府が日本で発行したサムライ債(円建て外債)の残高は約1,900億円、個人を含めた債券保有者数は3~4万人に達する。このような不確実性を放置すれば、日本から中南米への資金フローが一段と停滞するとともに、本邦資本市場の国際競争力の低下にもつながる恐れがある。債務再編を促し、回収を実効あるものとする方策の実施が求められている。

分科会2 自由論題
司会:林美智代(関西外国語大学)

15名ほどの参加者であったが、2題はアンデス地域の先住民について、1題は近代メキシコの女性像について興味深い報告がおこなわれた。まず大平会員から「エクアドルにおける病因観念『アイレ』の歴史性」と題して、ワシパンバ村の調査報告がおこなわれた。プレインカ期から中央アンデス域において神は両義的観念で理解されているのが一般的であるにも拘らず、同村の「アイレ」という観念には、その負の要素のみが残り現在に至っているという。スペイン語のみを話しカトリック信仰である同村の特徴と村の歴史的形成過程に、アイレの否定的イメージの起源があるのではないかという問題提起がおこなわれた。一方、溝田会員からは「植民地時代アンデスにおける先住民の生存戦略に関する一考察」と題して、ワマンガ地方の先住民が生存戦略の一環として「訴訟」を活用していたことについて報告がおこなわれた。その結果、先住民はスペイン人の要求に対し従順だったのではなく、訴訟を通じて労役に関する不当性を主張し抵抗を試みていたのだという。これらの報告は互いに独立したものであるが、インカ期や植民地期にどのように先住民村が機能し、生活していたのかということの理解なしには、成立しえないものであろう。その把握が史料上の制約から難しいだけに、意義のある研究だと考えられる。マウロ・ネーヴェス会員からはメキシコの「エミリオ・フェルナンデスの作品における女性像」についての報告がおこなわれた。同監督の40年代、50年代の作品を整理すると、「保守的で不幸な劣位の」メキシコ女性像が描かれているという。そのような女性像の発信は当時の映画界の営業戦略ではないかという指摘がされた。加えて、それが当時の女性の現状の反映なのか、意図的な創作部分の有無などについての考察があれば、より説得力をもったと思われる。

「エクアドルにおける病因観念『アイレ』の歴史性―神々の両義性の崩壊」
大平秀一(東海大学)

「アイレ(aire)」とは、周囲に漂う「気」あるいは「憑き物」を意味する。病的症状を引き起こすため、ラテンアメリカ地域においては、共通して否定的な意味合いを伴っている。しかしその一方で、背後にある観念には地域によって多様性が認められる。こうした状況は、スペインにおける同観念と先住民社会・文化との習合によって生じたものと考えられ、二地域間の相互作用を考察していくためには、スペインにおける「アイレ」の観念、ラテンアメリカ諸地域における民族誌的情報、習合のプロセス等の分析が必要となる。本報告では、エクアドル南部における「アイレ」の観念を分析し、その背後に中央アンデス地域の超自然的存在の特徴が認められることを提示した。神観念の継起として、かつて両義性を供えた神々の負の要素のみが継承されるパターンが指摘されている。調査地のケースでは、神という意識すらもたれず、単なる厄介なものに変化している。

「植民地時代アンデスにおける先住民の生存戦略に関する一考察」
溝田のぞみ(大阪外国語大学)

アンデス先住民は植民地支配に対して様々な抵抗を試みながら生き延びていった。この「生存戦略」について、16-17世紀のペルーに関する考察を行った。1570年代、第五代副王フランシスコ・デ・トレドの敢行した大規模な改革のうち、特にレドゥクシオンとミタは人口減少に苦しむ先住民社会に大打撃を与えた。この頃から先住民の抵抗形態は大きく分けて二つの特徴を帯びるようになる。まず、租税やミタなど様々な重圧から逃れるため、フォラステロやヤナコナなど共同体を離れる先住民が増大し、17世紀には伝統的な共同体の崩壊が加速した。もうひとつは、植民地の法制度や保護政策を積極的に利用しつつスペイン人に対し訴訟を起こすようになったことである。その具体例として、ワマンガ地方で17世紀にクラカが起こしたミタの免除を求める訴訟や土地奪還を求める訴訟の事例を挙げた。支配者側の法的枠組みのもとではつねに様々な限界が伴うことも指摘した。

「エミリオ・フェルナンデスの作品における女性像」
Mauro Neves(上智大学)

1940年代にメキシコ的な題材や描写を一挙に完成させ、メキシコ映画界で監督としての頂点を極めるエミリオ・フェルナンデス(1904-1986)が世界に向けていくつかの作品を発信した。

メキシコ映画黄金期(1943-1958)において女性像は定着した。女性は、活気のない存在で我慢強く謙虚な像であった。しかしながら、感情的な表現は女性にのみ許されるものであった。また、女性は決まった男性への性的服従を強いられており、そのイメージにそぐわない女性は悪女を意味した。そのイメージを顕現するメキシコ映画における女性像は二つであった。母親と娼婦である。しかし、全ての娼婦が悪女を意味するものではない。複数の男性と性的関係を持っていても感情的に一人の男性しか愛せない娼婦は「良い女性」とみなされる。同じように、謙虚でない母は「悪女」となる。

フェルナンデスの作品で描写されている女性像をわかり易く分析すると、3つのグループに分けられる。素朴な先住民あるいは純粋なメキシコ人、メロドラマのヒロイン、ムヘール・ファタール(妖婦)である。

分科会3「マイノリティーと教育」
司会:牛田千鶴(南山大学)

「マイノリティと教育」に関わる問題は、時代や立場によって理念や目的、内容等に相違は見られるものの、ラテンアメリカの歴史において常に議論され続けてきたテーマである。

12 年前にリゴベルタ・メンチュウが先住民として初めてノーベル平和賞を受賞し、国際的にもエスニック・マイノリティの教育権の保障や、言語をはじめとする文化の尊重といった課題の重要性が指摘されてきた。

本分科会は、「マイノリティと教育」という古くて新しい問題に取り組むことを通じ、ラテンアメリカ社会の過去と現在の状況を分析し、未来を展望しようと試みるものであった。

分科会とパネルが二種類ずつ組み込まれた時間帯であったにもかかわらず、40名以上の出席者を得ることができた上、各報告に対する質疑応答、ならびに全体討論においては、的確なコメントや興味深い質問が相次ぎ、大変充実した時間を過ごすことができた。

パラグアイやメキシコでの地道な現地調査に基づく貴重な研究成果をご報告いただいた、青木(芳)・青木(利)・斉藤各会員に改めて感謝したい。

「パラグアイにおけるグアラニー語と先住民族」
青木芳夫(奈良大学)

パラグアイは、スペインの植民地支配をこうむったラテンアメリカ諸国の中では珍しく、先住民言語であるグアラニー語がスペイン語に劣らず、日常的に活用されている「混血社会」である、と一般に評価されている。確かに将来のインターカルチュラル社会の構築に向けてその潜在力には豊富なものがあるが、現状では、以下のような問題を抱えている。

第1に、グアラニー語話者イコール「先住民族」であるとは限らず、むしろ、パラグアイで現在「先住民族」とされている人々は、人数的にも非常に少数であり、政治・経済・社会のすべての面で周縁的な地位に置かれている。

第2に、ともにパラグアイの公用語であるとはいえ、スペイン語とグアラニー語との間にも微妙な使い分けがあり、特に都市部においては、自己アイデンティティのルーツとして、グアラニー語やグアラニー文化の影響を否定する傾向が大きいのである。

「学校の普及と先住民の教育要求―20世紀前半のメキシコの事例から」
青木利夫(広島大学)

20世紀前半、メキシコ連邦政府は全国規模での初等教育の普及をめざしたが、とくに農村地域においては、住民の無関心や抵抗が学校普及の障害とされていた。しかし、学校教育に積極的にかかわろうとする住民も存在したのであり、そうした住民の教育要求が学校の普及に大きな影響を与えていた。本報告では、住民の請願書などの史料から、学校教育を求める農村地域の住民の姿を描き出し、学校をめぐる国家と住民の関係を検討した。学校の普及をはかる教育当局にたいして、住民はさまざまな請願書を送るなどして積極的にはたらきかける。さらに、資金・資材・労働力の提供によって、学校の建設、整備や拡大、より優秀な教師の確保をめざす。農村地域の「学校」は、国家よる住民の教育・管理・統制の場としてだけではなく、住民がみずからの強力な主導権のもと、教育をはじめ居住地域のさまざまな利益や権利を追求する場としても機能していた。

「へき地の子どもへの教育機会の確保―メキシコの事例」
斉藤泰雄(国立教育政策研究所)

へき地の子どもを対象とした教育サービスの提供には、その特殊な地理的・環境的条件のゆえに、通常の学校教育の形態や教育行財政組織とは異なる方式によるアプローチが必要とされる。ここでは、メキシコの Cursos Comunitarios と Telesecundariaの事例を取り上げ、その活動と成果について紹介する。前者は、住民数100人未満で通常の学校を設置することができないような小規模集落を対象に就学前教育と小学校教育を提供しようとするシステムであり、一方、後者は、伝統的な形態において中学校教育を提供することが困難な農村や山間へき地において、遠隔教育(テレビによる授業プログラムの提供と生徒の自己学習を組み合わせた方式)を大胆に採用することにより中学校教育の普及を図ろうとするものである。いずれも、へき地での教育の隘路を克服しようとする試みとして、ラテンアメリカ内外でも注目されつつある実践である。

分科会4「民衆と政治」
司会:小池康弘(愛知県立大学)

3人の報告者は、それぞれメキシコ、チリ、ペルーの政治社会をテーマとし、アプローチ方法も三者三様であるが、過去(1970年代ないし80年代)と現在とを結びつけながら、民主化の時代における政治社会の変容(あるいは本質的には変わっていないことも含め)を考察するという点で共通の問題意識を持つものであった。

山口会員の報告は、メキシコの政府、企業、労働の三者関係をめぐって、一見して画期的と思われる最高裁の法的判断にもかかわらず、実態としては古い関係が維持されている点を分析したものである。中王子会員はピノチェト政権時代の拉致被害者家族たちの心的葛藤を分析し、時間的経過、謝罪、賠償だけでは過去を清算できない壁があることを明らかにした。原田会員はペルーのビジャ・エルサルバドルでの現地調査をもとに、スラムから自主管理社会主義の経験を経て、参加型民主主義を重視する新しいタイプの共同体建設を目指そうとしている同地方政府について報告した。

各報告の概要は以下の通り。

「メキシコ 民主的改革と利益集団―政府・企業関係、政府・労働関係」
山口恵美子(東京大学)

これまで政策決定に重要な役割を果たしてきた経済団体、労働団体を巡る民主的(自由化)改革にはどのような特徴があったのか。改革は、経済・労働の頂上団体と政府との関係に変化をもたらしたのか。

1996年に経済団体法が設置され、経済団体への加入は強制ではなくなった。しかし、経済団体の中には、元来強制加入でない団体が存在したこと、これまで企業家は政府と個人的なつながりを築いてきたことから、同法設置後も1980年代以降の経済団体の「勝ち組」と政府との関係に変化は見られない。

また、2001年には最高裁が労働法のクローズド・ショップ制を違憲とする判決を下したが、これは人権保護請求(amparo)に基づく判断であったため、クローズド・ショップ制が以後違法となることも無い上、各頂上団体の政府への姿勢にも変化は見られない。

そのため、経済・労働団体における民主化政策は、両方の頂上団体の会員数を総じて減少させる傾向にも結びつかず、政府との関係に直接的な影響を与えるものとはならなかった。

「拉致被害家族が求める真実と正義―文化(心理)人類学的観点から」
中王子聖(京都大学)

1973年9月11日、南米チリで発生した軍事クーデターは、その後17年におよぶ軍政へとつながった。ピノチェト軍政と呼ばれるこの期間、拉致・行方不明者1197名、処刑者2000名、拷問の被害者40万人を発生させた。

私は政治的考察からは距離を置き、拉致被害者家族が「なぜ今でも捜すのか」、そして家族達が求める「真実と正義とは何なのか」、主に拉致被害者家族たちの心理に焦点を当て、人類学的方法によって考察を重ねている(なお心理的解釈については、行方不明者の家族達自身及び専門家たちの確認を得ている)。当日はこの研究結果を発表した。また発表では、こうした心理面についてのほか、近年ラゴス政権によって進められる減刑計画や、ピノチェト再審の可能性についての現時点での最新情報の提示も行なった。

「ビジャ・エルサルバドル地方政府―自主管理社会主義から参加的民主主義へ」
原田金一郎(大阪経済法科大学)

1971年スラムとして発足したビジャ・エルサルバドルは、1984年市に制定されるまで、自主管理都市共同体が管理する自主管理社会主義のもとにあった。1984年以降地方権力は市役所(現在は地方政府と改名)の手に移った。

現在地方政府は参加的民主主義を標榜している。具体的には、市民が自ら市の予算を編成する参加型予算と、リーダー養成学校がそれである。局長たちに言わせると、参加的民主主義とは、民主主義のラディカル化であり、予算は手段であり、地方政府は助力するだけで市民社会が実行するべきものである。

このように参加的民主主義は、ビジャ・エルサルバドルの社会システムを動かす原理となっているが、その目指すものについてネストル・リオス助役は「コミューンとしての統一性の復活」であると述べている。

分科会5「ジェンダーと社会」
司会:松久玲子(同志社大学)

本分科会では、メキシコの先住民社会におけるジェンダーに関する現地調査を踏まえた3つの報告が行われた。武田会員の報告では、ベラクルス州の農村での土地利用と所有をめぐってジェンダーにより非対象的な配分が行われているという現象を報告し、先住民女性の経済基盤という側面からのアプローチが行われた。浅倉会員は、国際労働移動を背景に、先住民社会における女性のセクシュアリティ、母性の意識変化の調査結果を発表し、先住民女性のジェンダーアイデンティティの変化に迫った。柴田会員の報告は、サパティスタ蜂起を契機として先住民女性の問題を現代メキシコのフェミニズムがどのように捉えているかを整理し、チアパスの先住民蜂起による女性の変化を論じた。1990年代からフェミニズム運動において顕在化してきた先住民女性の問題について、土地利用、アイデンティティ、運動論という3つの側面からのアプローチが行われ、参加した40名近くの会員と活発な質疑応答が行われた。

「メキシコ農村における土地所有とジェンダー」
武田由紀子(神戸市外国語大学)

1971年の農地法改正以来、16歳以上の出生によるメキシコ国民に対し男女同等にエヒードの土地へのアクセス資格を認めてきた。しかしながら、利用権所持者の男女格差は一向に改善されてきていない。本発表では、筆者のベラクルス州南部でのフィールド調査をもとに、農村の女性がいかなる形でエヒードの土地へのアクセスから疎外されているのかを扱った。今日の農村世帯は出稼ぎをはじめ、様々な現金の収入源確保に乗り出している。その一方で、経済的基盤・ローカル社会への参加の契機として、土地のもつ重要性は今なお大きい。問題は、寡婦やシングルマザーなど、経済的基盤を必要とする女性たちもしばしば家父長的なイデオロギーや伝統的な社会構造により、土地へのアクセスから遠ざけられていることである。発表では、父から娘に約束されていた相続が男性家族メンバーによって阻害された事例などを紹介した。

「ミステカ女性の移民経験と自己決定権―セクシュアリティと母性を中心に」
浅倉寛子(お茶の水大学)

本報告の目的は、年々数を増してくるミステカ女性の米墨国境を挟んだトランスナショナルな移民経験を取り上げ、それが主体の自己決定権にどのような影響を与えるかを、セクシュアリティと母性を中心に考察することにある。

メキシコの多くの農村社会では、セクシュアリティの実践は、生殖を目的とした婚姻関係の中に限定されてきた。この文化規範を遵守し母親としての役割を務めることにより初めて、女性は女として社会に認められ、それを逸脱したものは厳しい罰をうけてきた。

そこで、本報告では、移民をある場所から他の場所への移動が引き起こす、古い文化から新しい文化への自動的でかつ単線的な過程と見なすことを疑問視するトランスナショナル理論に示唆を得、移民がセクシュアリティと母性の実践と表象に引き起こす変化だけでなく、停滞や継続といった複雑で時には逆説的な過程にも目を向けることにする。

「メキシコの先住民社会とジェンダー―チアパス州の事例から」
柴田修子(同志社大学)

近年メキシコのフェミニズム研究において、先住民女性にとってのアイデンティティとは何か、女性の権利は先住民社会に現存する「慣わしと慣習」とどのように共存するのかなど、先住民とジェンダーをテーマとした研究が盛んになりつつある。従来、先住民女性をめぐる諸問題は階級アプローチによって分析されることが多かったが、社会との主体的な関わりのあり方としてとらえる必要性が認識されるようになってきた。とはいえジェンダー論として先住民女性を論じようとする場合、これまでの蓄積からとらえようとするあまり、現実社会で起きつつある変化を過大もしくは過小評価する可能性が否めない。本発表では、チアパス州を事例として、ジェンダー論から見るとチアパス問題をめぐってどのような論争があるかを概観し、先住民女性の言説から現実をとらえなおすことで、双方がどのように整合性を保ち得るのかを探った。

分科会6「情報社会とメディア」
司会:浅香幸枝(南山大学)

本分科会は「日系南米人の情報ネットワーク分析」に関する共同研究2報告と「ブラジルの出版検閲法制」の1報告から成る。

「日系南米人の情報ネットワーク分析」は梶田会員の「関西における移動と定住の生活戦略」と山森会員の「エスニック・メディアとインダストリー」による人的・メディアネットワークの両面から研究された興味深いものだった。特に、研究蓄積の少ない関西における日系ブラジル人の実態をネットワーク分析を用いて整理したのは、具体的な政策提言を導き出すのに有効であった。なぜ関西で定住化が進むのかについては、リストラになりにくいとか人数が少ないので日本人と友人になりやすいとの説明がなされた。オールド・カマーとしての在日韓国・朝鮮人がいるから受入れに慣れているのかあるいは、関西の文化的特徴があるのかさらに研究の成果を期待している。フロアには、同様の研究に携わっている者やボランティアが多数集まり、活発な意見交換がなされた。

佐藤会員の報告は、ブラジルにおける出版検閲法制は、すでに先進諸国とも比較可能な段階に達しているというものだった。ブラジル情報社会に対してメディア戦略を練らなければならない時、参考となる基礎的知識を提供した有益な報告だった。

時間も20分余分に討論の時間をもうけたが、詳細な研究報告に対して閉会後も活発な話し合いが続いた。討論を盛り上げてくださった報告者、参加者の皆さんに感謝する。

「日系南米人の情報ネットワーク分析―関西における移動と定住の生活戦略」
梶田純子(関西外国語大学)

関西では、日系南米人が、大阪府や、急速に増大している滋賀県等、各県・府内に少数で広く居住している。彼らは同国・同言語のネットワークを使って仕事を見つけ、移動をしてきた。

関西転入理由は、長期就労が可能、南米人が少数なので、仕事の競争率が低い、南米人の交流がある等である。彼らは多様なネットワーク構築をし、最大限活用しているが、日本語会話力が皆無か、片言の日系南米人とその家族には、入る情報は限られている。また就労・滞在期間が長期になると、各自のネットワークだけでは、解決困難な問題が増え、日本人の援助が必要となり、ネットワークはさらに多様化している。

今後は日本側(行政・地域社会・学校)だけではなく、日系南米人側も日本語会話の習得や積極的に日本人との交流をする等、課題とその取り組みも必要である。そのためには、日本人(語)ボランティアの役目の拡大とそのネットワーク作りをし、行政への働きかけをする必要がある。

「日系南米人の情報ネットワーク分析―エスニック・メディアとインダストリー」
山森靖人(関西外国語大学短期大学部)

日本には日系南米人向けの多様なエスニック・メディアが存在し、彼らが多く居住する地域(集住地)には、南米系のエスニック・インダストリーも見られる。日系南米人は、エスニック・メディアとインダストリーを利用することで、日本の地域社会との接点が少ない、日系南米人コミュニティー密着型の情報ネットワークを高度に発達させてきた。今後、非集住地に居住する日系南米人の増加が予想される。集住地を離れ、彼らの情報ネットワークの周縁に居住する日系南米人にとって、日本の地域社会との交流は、これまで以上に重要な意味を持つことになるだろう。日本の地域社会と日系南米人コミュニティーとの交流の接点として、彼らの情報ネットワークの拠点である日系南米人の「たまり場」、すなわち、エスニック・インダストリーや、バーチャル空間での「たまり場」、すなわち、彼らがよく利用するホームページを活用することが、有効なのではないだろうか。

「ブラジルにおける出版検閲法制」
佐藤美由紀(杏林大学)

ブラジルにおいて検閲法制は、基本的には、思想的検閲の原則禁止、戒厳時の例外的容認、公衆娯楽検閲の許容の形をとる。歴史を追えば、独立による出版解禁と同時の検閲は早期に廃止され、帝政期から第一共和制期にかけては形式上検閲禁止が原則的形態となり、第一共和制末期の政治的動揺とともに実質的検閲の可能性を強め、ヴァルガス時代には、初期には法的には例外形式として実質的には状態的に検閲がなされ、独裁期には検閲が恒常的制度的手段となり、民主制回復によって検閲が再び例外化されたが、実質的検閲の可能性は残った。1968年から1978年までの軍制令第5号時代が検閲の最盛期で、司法権は訴訟を形式的に門前払いしその正統性を裏打ちした。民政移管後の現行憲法では検閲禁止は複数箇所で規定され、現在では司法権による出版差止が検閲に関する問題として登場し、検閲法制について諸国との有益な比較を行いうる段階にあるといえる。

分科会7「多様な宗教世界」
司会:乗 浩子(帝京大学)

ラテンアメリカにおける宗教は世界の他の地域で見られるような紛争に関わることもなく、緊張をはらみながらも社会的安定化要因になっている。本分科会ではアンデス(加藤隆浩会員)、カリブ(荒井芳廣会員)、ブラジル(山田政信会員)と地域的バランス良く報告が行われた。聖所崇拝に象徴される南ペルーの民衆カトリシズムに対するカトリック教会の対応、アフリカ系宗教のヴォドゥを最近ようやく宗教と認めたハイチの政教関係は、それぞれカトリック世界の多様性を物語るものであろう。ペルーにおける聖所は必ずしも社会的危機の際に出現したわけではないこと、ハイチの解放の神学派大統領追放の背景には貧しい人びとヘの無策があったこと、などが質疑で明らかにされた。ブラジル生れのプロテスタンティズムとして活況を呈するユニバーサル教会(ネオペンテコスタリズム)を、グローバルに多様化を推進する運動(グローカリゼーション)とみる視点は新鮮である。

「ペルーの民衆カトリシズムとカトリック教会」
加藤隆浩(南山大学)

本報告では、1950年以降ペルー・クスコ市およびその周辺地域でカトリック信仰の対象として民衆から熱狂的に迎えられた(あるいは今なお篤く信奉されている)いくつかの聖所をめぐって生起した民衆と教会との神学的確執に関する調査資料をもとに、その争いが各聖所あるいは信仰対象の形成プロセスにどのような影響を与え、それがまた教会にどのようにはね返ってきたのか、またその結果が今日いかなる社会・宗教的意味をもつのかを呈示した。従来、民衆カトリシズムは、シンクレティズムという用語のもとにとかく宗教現象の側面のみが注目され、西洋から持ち込まれたカトリックと土着宗教との習合の結果とか、はたまた植民地時代の遺産として論じられることが多かった。しかし本報告は、農民の都市への移住、解放の神学、教区への非カトリック系教団の浸透といった新たな要因に対応する教会の姿勢や思惑と現代民衆カトリシズムの形成が深く関わることを指摘した。

「ハイチ・カトリック教会とヴォドゥの関連の歴史―独立から現在まで」
荒井芳廣(大妻女子大学)

現状ではハイチの宗教といえばヴォドゥについて言及するのが決まりのようになっている。しかし統計が示すようにハイチの多数派の宗教はカトリシズムである。カトリシズムとヴォドゥの重複的信仰についても繰り返し語られている。またプロテスタントの急増やプロテスタント・タイプの新宗教(例えばアルメ・セレスト)についても論じられているが、ハイチ宗教の独自性を形作ってきた重要な要因としてあらためて考察すべきはむしろカトリシズムの歴史である。本報告は、ハイチ・カトリシズムの重要な研究テーマとして、旧カテドラルの象徴的意味、グレゴワール神父とハイチ革命、1860年の政教条約とその影響(経済的影響、「文明」と「野蛮」の二極化と中間的形態の排除)、二つヴォドゥ撲滅キャンペーンと 「デシュカージュ」、TKLの根運動とアリスティード、キリスト教化したヴォドゥの例:デゼルミットを取り上げ、その意義について論じた。

「ブラジルのユニバーサル教会―ネオペンテコスタリズムとグローカリゼーション」
山田政信(天理大学)

近年、ブラジルではプロテスタンティズムの活動が非常に盛んである。これはペンテコスタリズムの成長に他ならず、このうちユニバーサル教会は1977年にリオデジャネイロで活動を開始し、現在ではブラジルのプロテスタンティズムで第4番目の大教団に成長した。同教団は、教義、儀礼、財産の規模、政治参加、他宗教に対する戦闘的な態度、メディアの活発な活用など、その展開のあり方が従来のペンテコスタリズムの教団と異なっており、ネオペンテコスタリズムとして分類され批判される傾向にある。この新しい運動が社会的な不信感を煽りつつも爆発的に伸びる要因は何なのか。このブームは今後も続くのか。また、ブラジル以外の宗教文化に根付くのか。そして、そもそもネオペンテコスタリズムはどのようなダイナミズムによって生み出されるのか。これらの疑問に答えるために、本発表はローランド・ロバートソンが提唱するグローカリゼーションの視点を用いて考察した。

パネルA「文学的表象とラテンアメリカ社会」
コーディネーター:柳原孝敦(東京外国語大学)

当パネルではラテンアメリカ文学史上の重要な地点を取り上げ、自己表象とその手段という観点から論じることによって、全体として文学史の見直しの試みとした。

第一報告:中井博康(津田塾大学)「17世紀後半のメキシコにおける自己表象 ソル・フワナの描く〈アメリカ〉を中心に」はソル・フワナの聖体劇『神聖なるナルシソ』中のロアにみられる寓意を綿密に歴史化することによって、クリオージョ意識の萌芽期とされる時代の不安定な精神を浮き彫りにした。

第二報告:花方寿行(静岡大学)「断絶の伝統 19・20世紀イスパノアメリカにおける「固有の歴史」表象という困難」は先行する時代を否定することで「固有の歴史」記述を行おうとする文学的マニフェストを言説として捉え、それを起源まで遡行し、根本に見出しうるイスパノアメリカ史記述の困難をあぶりだした。

第三報告:寺尾隆吉(学術振興会特別研究員)「小説における国家表象と国民文学の形成 20世紀前半のベネズエラ小説を中心に」はマニフェストの具現化の過程をたどったものと言って良い。ベネズエラ国民文学の確立という命題がロムロ・ガジェーゴスの『ドニャ・バルバラ』のアレゴリーという手法に結実するものとし、以後の小説の自前の出版の促進という物理的条件を確認した。

第四報告:柳原孝敦(東京外国語大学)「論争から主張へ メキシコの1940年代」は出版社フォンド・デ・クルトゥーラ・エコノミカと研究機関コレヒオ・デ・メヒコによる知と文化の促進の中心にあったアルフォンソ・レイェスが、逆にそのことによる学術書分野の制度化の中で文学の位置づけをせざるを得なくなった過程をたどった。

時間の都合で細部の確認から始まった質疑を有意義な論点まで運ぶことはできなかったものの、多数の聴衆の方々に何がしかの視点を提供することはできたのではなかろうか。

パネルB「マヤ・イメージの形成と消費」
コーディネーター:鈴木 紀(千葉大学)

本パネルは、ステレオタイプ化されたマヤ・イメージの再考と、マヤの人々自身が提示するマヤ・イメージの検討という二つの問題意識のもとに企画した。マヤ・イメージの形成と消費という枠組みを用いて、マヤ的なるものの表象の様式を5つの報告を通じて多角的に検討した。各発表者の報告要旨は次の通りである。

1)杓谷茂樹『遺跡観光におけるマヤ・イメージの形成と消費』:カンクンを中心とする観光圏には、「失われた謎の文明」というマヤ・イメージが伝統的に存在してきた。環境への関心が高まった60年代に「手つかずの自然」というイメージがこれに加わる。さらに1988年に「ムンド・マヤ計画」が発足すると、遺跡公園は新たなマヤ・イメージの形成・消費のあり方を示すようになった。

2)初谷譲二『歴史学のアポリアから脱出するいくつかの方向性について』:植民地支配下に置かれたマヤ人は、記録を残す権利=著者性を剥奪されており、ほとんど資料を残していない。歴史学は、他者の残した資料からマヤの歴史像を抽出可能かというアポリアに直面する。本報告は、カネクの反乱を題材にし、こうした袋小路からどのように脱出することができるかという方向性を模索した。

3)桜井三枝子『マヤ・イメージ、「描く他者」と「見せる自己」』:マヤ・イメージは、スペイン植民地時代のクロニスタや19世紀以降の欧米を主体とする人類学者らの「他者」により文化植民地主義的に描かれる一方であった。しかし、1990年代を分水嶺としてマヤ人自身が汎マヤ文化主義運動を展開し、文字やITメディアなどで直接自己イメージを見せ、主体的に自画像を描き始めている。

4)鈴木紀『マヤ語でかくことの挑戦』:メキシコ、ユカタン州では1980年代よりマヤ語文芸運動が起こりつつあるが、これが先住民大衆に普及するためには、農村における教育的活動が重要である。そうした取り組みを事例に、政府や研究者の支援の仕方、観光業との関わり方などの問題点を検討した。

5)吉田栄人『マヤの伝統治療師―病気治療者と民族文化継承者の狭間に』:プライマリヘルスケア政策の登場によって、それまで活動の場を制限されてきた伝統治療師は医療現場の重要なアクターとみなされるようになった。本報告では伝統医療という社会的イメージを通じて、マヤの伝統治療師がどのようにして自らの医療実践のスペースを確保しようとしているのかについて考察した。

パネルC「ラテンアメリカ女性の社会的イメージの源泉」
コーディネーター:加藤隆浩(南山大学)

神話・儀礼・映画・絵画・テレノベラを一つの媒体と考えると、それは民衆にとって親しみやすいものであるがゆえに、そこに盛り込まれた価値観を人々に容易に刷り込む力を持つことになる。だとすれば、そこにはどのような女性のイメージが描かれ、そのメッセージはいったい如何なるものであり、またそれを根底で支える価値は何であるのか等々が問題として浮かび上がる。本パネルの報告は、地域、時代、媒体はそれぞれ異なるがラテンアメリカという枠のなかでイメージの蓄積と喚起力という点で大きな潜在力をもつ上記の媒体に注目することで、女性のイメージの源泉とその社会的拡がりを探ることを目的とするものであった。各報告の要旨は以下の通りである。

1)井上幸孝(立命館大学)「メソアメリカの女神とテペヤクの信仰」:まず、テペヤク(テペヤカク)における女神信仰に言及している史料8編を順に見直し、情報を整理した。いずれの史料も植民地時代のものであり、先住民のコンテクストで作成された文書ではないが、女神信仰の内容を議論するための一定の情報が得られた。次に、バエス=ホルヘおよびテーナが試みたアステカの神々の分類法を取り上げ、以下の問題点を指摘した。まず、神の性別(男神・女神)を絶対的区分とすることが必ずしも適当とはいえないこと。さらには、メシーカ人をはじめとする後古典期メキシコ中央部の諸集団が彼ら固有の神々と既存のメソアメリカの神々をどのように関連付け、体系化しようとしたのかを考える必要があること。以上の作業を経た上で得られたデータをグアダルーペの聖母イメージの形成過程に関わる史料とあらためて比較することで、新たな研究の方向性を模索し得ることを指摘して報告を締めくくった。

2)岡田裕成(福井大学)「皇女と聖母:植民地時代アンデス先住民エリートと女性像」:植民地時代アンデスの先住民社会において、聖母像と皇女・貴婦人像のふたつは、代表的な女性像として対をなしている。ヨーロッパからもたらされた聖母像は、先住民の手になる「コパカバーナの聖母」の登場をきっかけとして、熱狂的な信仰の対象となった。また、インカ時代以来の豪華な衣装に身を包んだ皇女や貴婦人たちの肖像は、植民地のユニークな絵画ジャンルであった。本発表では、土着信仰とのシンクレティスムや民族伝統との関わりから論じられがちなそれらのイメージが、じつは、先住民のなかでエリート層に属する特定の人びとの、多分に政治的な意思に基づいて受容・行使されたことを指摘し、そのうえで、篤い信仰を集めた「ポマータの聖母」にみられる羽根飾りが、スペイン人征服者の力の表象として描かれていたと考えられる点など、具体的な事例をもとにして、植民地時代の先住民社会における女性像のありようを論じた。

3)加藤隆浩(南山大学)「地母神パチャママのイメージ」:パチャママはアンデス世界ではよく知られた地母神である。その地域の農民にとってその女神は、豊かな収穫と家畜の増殖をもたらすだけでなく彼らを庇護し安寧を与える。農民はパチャママに対しさまざまな儀礼を遂行し、その神への信仰を通じてそのイメージを内面化していく。本報告では特にパチャママへの儀礼およびそれについて語られている事柄の分析をもとにして、そこに潜在的に組み込まれている地母神の女性性・母性を明らかにするとともに、従来まことしやかに説かれてきたパチャママと聖母マリアとの同一視という言説について若干の考察を加えた。

4)梅本英二(三重大学)「メキシコにおけるテレノベラとそのヒロイン―テレノベラのエスノグラフィー序章」:テレノベラがまず市場原理に従って生産される商品であるからには、そこには社会的強者である制作者側の論理だけでなく、当然それを消費する側の嗜好も、番組の商品価値を決定する視聴率を通して反映されている筈である。しかし、視聴者の意向はそのまま番組制作に還元されるのではなく、制作者側の論理が許容する範囲内で番組に取り入れられると考えられる、とした。テレノベラの女性主人公たちは、こうした意味において、視聴者の多くを占める庶民が自らの社会的環境を重ね合わせたり、願望を投影して自己同一化することのできる女性像であると同時に、政治的経済的に力を持つ制作者側の様々な思惑によって創出された女性像でもあると言える。視聴率の不振により放送期間中に内容の大幅な変更を余儀なくされたテレノベラの中の、こうしたいわば折衷の産物である女性主人公のキャラクターを分析すると、メキシコ社会における peladita→dama という女性のイメージが浮かび上がってくる。

4)加藤 薫(神奈川大学)「国境の北から見たラテンアメリカの女性」:旧エル・ヌエボ・メヒコ領ではアメリカ合州国併合後もメキシコ系住民が独自の女性イメージを発展させたと同時に、メキシコ女性像のメトニミーが頻繁に行われてきた。「青い聖衣を着た聖女」やペニテンテの中から生まれた「ドニャ・セバスティアナ」はこの地域独自のものである。一方、スペイン製作の「無原罪の聖母」像は社会状況を反映して五回もその属性も変化させ現在に至る。「ガダルーペの聖母」像は18世紀後半に移入され、また「ジョローナ」像も出現した。20世紀になるとリンダ・メヒカーナ、D・デル・リオ、イシュタ、ソルダデラなど多様な女性イメージが引用されるようになった。1960年代以降アストラン史のメタファーとして先住民時代の女神たちや、マリンチェ、ガダルーペの聖母、F・カーロ、自由の女神などが扱われ始め、ホーム・ガールズはJ・G・ポサダ流骸骨の表象で普遍性を獲得した。エプロン姿のサパタ像にはメキシコの男性像にも新たなジェンダーイメージを重ねている。

パネルD「新しいブラジルの誕生!?」
コーディネーター:三田千代子(上智大学)

これまでブラジルで何度「新しいブラジルの誕生」の宣伝がなされたことであろうか。今回のルーラ政権ほど驚きと一抹の不安をもって新政権の誕生を見守ったことはなかったかもしれない。ネオコンの世界的動向の中にあって誕生したブラジルの新政権は、これまでのルーラの経歴からすれば革新的な左翼政権が誕生するはずであった。

そこで、本パネルでは、カルドーゾからルーラ政権に引き継がれたものとルーラ政権を特徴づけることができる新しいものはどのようなものなのであるかを、できる限り市民の視点から探ることにした。最初の2つの報告から、「市民意識」や「人間の尊厳」、「社会正義」がブラジル社会にカルドーゾ以降根付いてきたことが明らかにされた。後半2つの報告は、国外におけるブラジルの評価、あるいは役割である。ブラジル文化の国際化と先進国でも途上国でもないブラジル外交の固有性が紹介された。この10年間のブラジルの変化はいずれの報告からもみてとれた。かつてのいわゆる左翼政権とは異なる路線をルーラは歩んでいるようである。

1)近田亮平(日本貿易振興機構 アジア経済研究所)「サンパウロの都市貧困層のエンパワーメント フリードマンの〔反〕エンパワーメント・モデルによる分析」:本報告は、新たな社会開発のパラダイムの一つとして、近年、注目を集めるようになった「エンパワーメント」について考察を行うものである。「途上国の貧困削減を可能とし得るエンパワーメント」とはどのような概念であり、どのようなプロセスのもとに実現されるのかについて考察を試みる。その際に、貧困層の「組織への参加」と「資源へのアクセス」が重要なポイントになると考え、サンパウロで実施された住民組織を活用した都市貧困層向け参加型住宅政策「自主管理ムチラン」を事例として、フリードマンの「〔反〕エンパワーメント・モデル」を援用する。結論:エンパワーメント=相対的に剥奪されている資源へのアクセスの獲得。プロセス=外部者の支援を受けることにより、特定の資源が相対的に剥奪されている貧困状態にある個人が、社会組織を機軸として様々な資源へのアクセスを「気づき」に誘発されるかたちで相互作用的に増加させていき、エンパワーメントが相乗的に実現される。

2)田村梨花(上智大学)「万人のための教育」から「市民教育」へ ブラジルにおける「もう一つの教育」の試みから」:2004年4月、「教育的なまちのための市民教育」というテーマのもと開催された世界教育フォーラムサンパウロ大会は、公立学校の教員、NGO関係者、研究者、大学生が延べ10万人以上集まる大規模なものとなった。本大会において示された「市民教育」の概念は、市場主義とは離れた立場で、民主的な方法で管理運営され、社会的排除を引き起こさず、複数文化の共存を可能とする教育を意味し、その実践は①公教育の民主的再構築、②教育的なまち(cidade educadora)という多様な教育空間の構築を目指すものである。民衆教育の担い手であるNGOは、「市民教育」の実践において公教育実践の協力者として貢献することができ、教育的なまちにおいては地域社会教育実践の主体のひとつとしての活躍が期待される。しかしながら「市民教育」の実践はいま開始されたばかりであり、概念として目指された教育が実を結びうるかについては各事例の詳細な検討が必要である。

3)マウロ・ネーヴェス(上智大学) 『テレビドラマ工場」ブラジルから世界へ』:ブラジルはサッカー、サンバの国として知られる。しかし、そのサッカーのテレビ放映の視聴率さえ凌いでしまうテレノヴェラ(テレビドラマ)の国でもある。

ブラジルでテレビドラマの輸出が始まったのは、1970年であるが、1980年までは、輸出される作品数も地域も限られていた。ところが、1980年に女奴隷イザウラを主人公にした「Escrava Isaura」が、米国に輸出されたことにより、世界100カ国以上で放映されることになった。以来、国際市場におけるブラジルのテレビドラマは拡大し、特に、キューバと中国では大きな影響を与えた。

ブラジルは、テレビドラマを輸出するにあたり明確な戦略をとっている。輸出国又は地域に応じてドラマを長編にしたり短編にしたりしている。これにより、ブラジルに限定された内容は切り捨てられ、その結果、どんな地域の視聴者にも対応できる普遍性をもった作品となっている。

サンバ、ボッサノヴァ、サッカーと並び、テレノヴェラは世界の「メイド・イン・ブラジル」として不可欠な商品の一つになったのである。

4)子安昭子(神田外語大学) 「バイラテラルからマルチラテラルへ-ブラジル外交の多様化」:2003年1月の大統領就任後1年間にルーラが訪問した国は27カ国、前任者カルドーゾが同じく就任1年目に行った訪問国数(14カ国)をはるかに凌ぐ数となった。今年に入ってからもインド、中国とアジア地域との外交を深めようとしている。ブラジルは伝統的に「低姿勢(ロープロファイル)な外交」といわれてきたが、カルドーゾ前政権以降、極めて活発な外交を展開するようになった。従来からの2国間ベースの外交に加え、1990年代半ば以降、国連外交やWTOなど多国間通商交渉の場におけるプレゼンスが拡大している。

本発表では、ルーラ政権の外交が南米(メルコスール)および発展途上国の連携という特徴をもち、その点においてカルドーゾ前政権との共通性があるものの、戦略的にはいっそう主張的(assertive)になっている点を述べた。その理由として、ルーラが現在の国際関係を非対称的ととらえていること、また既存の国際通商体制(WTOなど)の中で発展途上国がいかに有利に戦略を進めていくのかを模索していることを説明した。最後に展望として、ブラジルは今後も BRICs の一員としていっそう外交の積極性を増すことが考えられるが、その一方で、米国との対立軸が深まるのではないかという点を指摘した。

パネルE「エクアドルの先住民運動」
コーディネーター:新木秀和(神奈川大学)

先住民運動の特徴を政治社会面と文化面から多角的に検討した。全体討議がうまくできなかったが、意義深い報告の場になった。

新木秀和(神奈川大学)の「エクアドル政治における先住民運動の役割」ではCONAIE(エクアドル先住民連盟)とPachakutic(パチャクティック運動)を中心に政治的役割が分析対象になった。先住民運動の活発化は内政と相互作用を持ち、1990年先住民蜂起後の対政府交渉、選挙戦略による先住民政治家の輩出、2000年の事件、グティエレス政権発足などにつながったが、それらは国民や開発のあり方を問い、多元的な参加型民主主義を模索する契機になったという。フロアからは他の社会運動との関係につき質問があった。

エドワード・リンディスファーン(神戸大学)の「The Politics of the word "Indigenous": Ethnicity and Strategy in Ecuadorian Indigenous Movements」は、「先住民性(indigenousness)」を再検討し社会運動組織を分析する理論志向の報告だった。先住民性という用語の政治性につき分析概念としての限界が指摘され、戦略的本質主義や権力関係として意味を持つことが示された。3つの組織(FENOCIN、CONAIE、Pachakutic)が分析され、イデオロギー面での移行段階(階級重視→エスニシティやジェンダーへの着目→再度の階級分析)関する仮説が出された。階級性、NGO など支援組織、およびリーダーシップにつきフロアから質問が寄せられた。

生月亘(関西外国語大学短期大学部)の「エクアドル先住民の異文化間二言語教育からみた先住民運動―人類学的考察」では、「異文化間二言語教育」が運動や多元社会の建設に果たす意義や役割が検討された。「異文化間二言語教育」は、スペイン語とキチュア語によるバイリンガル教育と「異文化間教育」がセットで、伝統的技術と知識の再評価やアイデンティティの回復につながり、共同体の活性化と内発的発展が目指されるという。スライド使用の明解な報告であり、共同体の変容による先住民意識の変化や公的な場でのキチュア語の使用状況につき質議応答が続いた。

パネルF「ボリビア開発の構想」
コーディネーター:柳原透(拓殖大学)

本パネルは、ボリビアが現在直面する課題を確認し開発構想を提示することを目的とした。経済低迷、社会・政治混乱、将来展望の不確かさという現状の下で、ボリビア国民の多くにとって意義を持ちうる課題を認識しまた構想を打ち出すことを試みた。(JICA ボリビア援助研究会での共同研究に一部依拠した)。70名近い参加を得て有意義な討議を持った。

「開発体制の構想-多民族社会における模索-」(遅野井茂雄)では、1980年代からの政治・行政面での制度改革が先住民の政治社会統合をもたらさず、反政府運動の高まりの中の政権交代により開発体制が破綻した現在、実のある国民対話が行われ、地方分権化の一層の推進など多民族の共存を促す統治構造と開発体制が形成さるべきこと、が述べられた。

「経済開発の構想-就業機会拡大をめざして-」(柳原 透)では、ボリビア経済を特徴付ける資源依存とさまざまな分断の下で、就業/所得機会の拡大が進まず、国民の大多数にとって「貧困削減」は達成可能でないこと、現時点そして予見される将来において、最大の課題は、生計基盤が不安定な人々の「生活安全保障」の強化であること、が唱えられた。

「地域ベース開発の構想-人間の安全保障を求めて-」(狐崎知己)では、ボリビアでの貧困の状況を多面にわたり捉え、貧困者の声を反映して脆弱性の緩和(下方リスクの軽減)を重視し、生活安全保障と生産力向上に自治体レベルで取組む「地域システム」の構想と前提条件の提示がなされた。

「社会開発の構想-社会の潜在力をめぐって-」(重冨惠子)では、健康の維持に必要な資源へのアクセス、地域社会と医師などの機能集団や公政策との連携の仕方に焦点を当て、国家保健政策の評価と伝統医学の活用についての考察、そしてエル・アルト市の事例に即して地域シス保健システムDILOSの検討を行い、住民参加のあり方につき提言した。

シンポジウム 「新自由主義政策のオルターナティヴをめぐって」

コーディネーター:松下洋(神戸大学)

新自由主義政策は古くは70年代のチリで展開され、90年代のラテンアメリカでは支配的な政策指針となった感があるが、社会コストを高めるなど、その弊害も顕著になっている。ただし、それに代わる明確なオルターナティヴが存在しないというのも現実であり、新自由主義への批判を唱えて大統領に就任したルーラが、新自由主義的路線を基本的には放棄できないでいることは、実現性のあるオルターナティヴを提起することの難しさを示す一例であろう。こうした状況を踏まえて、今回のシンポジウムでは、政治・経済・教育というごく限られた分野についてではあるが、新自由主義政策の総括と今後の展望を試みた。以下まず、発表者による要約を掲げる。

「政治面から」 浦部浩之(愛国学院大学)

新自由主義がもたらす大きな弊害のひとつに、貧富の格差の拡大にともなう治安の悪化がある。統計的にみても、多くのラテンアメリカ諸国で1990年代以降、強盗や窃盗などの犯罪が増加した。その一方で、ラテンアメリカでは1990年代、民主化にともなって「人権の尊重や適正手続きを基礎とする警察任務の再構築や司法制度の改革」が推奨された。これ自体はたいへん好ましいことである。

ところが、そのひとつの帰結として警察による「抑圧」の力が弱まり、これが犯罪増加につながっていることは否めない(これに関しては財政改革が警察の予算と能力にいかなる影響を及ぼしたかなど検証すべき点もあるが、多くの人々はこうした構図で問題をとらえている)。そのため市民の間には、「民主主義」や「人権」の価値とは矛盾しかねない、警察権力による強力な取り締まりや厳罰主義を望む声が強まっている(民主主義への幻滅が広がった国で、多元主義を迂回した即断型の改革を強力なリーダーシップで断行することを訴えかける権威主義的政治家に大衆の人気が集まる現象に通じる面がある)。

警察機構の改革、治安システムの構築を人権尊重や民主主義の価値と調和させつつ進めていくことは、たんに新自由主義に起因する「市民の安全への脅威」を除去するためのみならず、「民主主義」そのものを擁護していくためにも喫緊の課題であるといえる。チリのように、統計に基づいて特定の自治体を選定し(対象となっている市は現在56)、犯罪の予防という視点から地域社会のイニシアティブによる行動計画をつくり、住民組織の提案する社会開発型のプログラムに審査ベースで資金を配分するといった新しい試みに着手している例もある。今後こうしたさまざま取り組みの効果を検証していく必要がある。

「経済面から」 浜口伸明(神戸大学)

新経済自由主義(ネオリベラリズム)」や「グローバリズム」は、特定の型にはめられた経済改革をあたかも普遍的なものであるかのように強制し、それぞれの国や地域の特殊性を考慮しないという点で、現実的でなく、経済発展にマイナスの影響がある。しかし、これらが依って立つ「グローバル化」された市場経済に参加するための「経済自由化」をも同時に否定することは、経済構造を高度化し国民の平均所得を増進する機会を自ら逸することになる。経済のグローバル化は通信と輸送の技術進歩がもたらした客観的かつ不可逆的な過程であり、経済主体がそこから受けるインセンティブに自由に反応する機会を政府が規制してより公正かつ効率的に資源配分を行えると期待することも、新経済自由主義への対抗軸としては同様に現実的でない。ラテンアメリカには依然として深刻な貧困問題が存在するが、経済成長なくして貧困問題の解決を望むべくもなく、市場経済とグローバル化が提供する機会を十分に活用しない手はない。もちろん我々は、市場メカニズムは完全であると信じるわけにはいかない。市場の失敗や暴走に備えて市場の整備を進める必要がある。市場だけに委ねていては、所得分配の不平等さの緩和が遅々として進まないこともまた確かであろう。近年ワシントン・コンセンサスも自由化だけでなく制度の重要さを取り入れて改良を加えたと言われている。しかし、改良型ワシントン・コンセンサスが導入を唱える制度はいわゆるグローバルスタンダードと呼ばれるステレオタイプなもので、従来のネオリベラリズムの単一モデル指向から抜け出していない。経済成長は生産要素蓄積と総生産性の上昇に分解できるが、固有の事情との整合的に市場と制度を適合させて、公正で活力のある自由な経済を実現するような政策改革をすすめるべきである。多角的・総合的視野に立つ地域研究を志す我々は、それぞれの国や地域の歴史的・文化的・地理的事情に立脚した市場と制度のあり方についての議論に十分貢献できるであろう。しかし、すべての国がこのような政策改革に向けた自己決定権を持っているとは限らない。マクロ経済の安定性が確保されていなければ、国際金融市場あるいはIMFから規律づけされてしまい、政策改革は干渉を受けざるを得ない。また、国内的に社会が安定していなければ政策改革のロードマップについて社会的合意がえられそうもない。このような場合に、外圧を理由にして、ワシントン・コンセンサスが無条件で採用されてしまうことも十分考えられよう。したがって、自立的な政策改革を進める前提条件として、マクロ経済の安定性を確立し、安定的な政治基盤を固めることが重要である。また、ネオリベラリズムやグローバリズムへの対抗として、発展途上国がグループ化して発展戦略の多様性を訴え、先進国側の譲歩を引き出そうとする動きが強化されていることも注目される。

「教育面から」 江原裕美(帝京大学)

1980年代には新たな国家タイプとして新自由主義国家の出現があったとする説が出されている。新自由主義の定義を「福祉社会分野への国の関与を減らし、市場原理を導入する動き」と一応見なし、20年間の教育の動向を分析すると以下のようなことが言える。

すなわち、ラテンアメリカでは、特に構造調整下の国々において公共教育支出が80年代に劇的に低下したが、90年代に次第に回復した。この間を通じての支出の抑制にもかかわらず、いずれの段階においても就学者数は拡大している。

次に地域全体を通じて、共通の政策が多く行われている。本発表では、メキシコ、チリとブラジルの地方分権化を中心に、改革の概要を示した。メキシコでは、国と州との「調整と協力」、チリでは「ラジカルな市場化からの回復と質の向上」、ブラジルは「一層の分権化と学校の自治力強化」といった特徴が見られる。

これらを国と教育との関係、民主主義との関係、教育の質との関係という観点から分析すると以下のようなことが言えると考える。福祉分野への介入を減らすという一般通念にもかかわらず、新自由主義国家は教育への関与を拡大しているほか、地方分権化を行った場合でも共通のカリキュラムや評価テストの導入が見られ、国はこれまでと違った形で教育への関与を深めている。また、地方分権化は民主主義を促すとされているが、この部分の成果はいずれの国でもまだ乏しく、分権化即ち民主主義の強化と言うことは出来ない。最後に教育の質との関係では、市場原理の直接的導入には慎重さが見られるが、労働力としての優秀性の観点から、点数化出来る「学力」に注意が集中する傾向は依然としてあると考えられる。トータルな意味での教育の改革のためには、草の根からの民主主義の強化とともに、新自由主義的理解にとどまらない教育理解を広めることが重要と思われる。

以上の三名の発表をめぐってフロアーから様々な問題が提起された。今後の研究にとって重要と思われるのは、多くの国で(恐らくはチリを顕著な例外として)新自由主義と民主化とが同時並行的に起こったとの事実である。このことは、新自由主義が引き起こしたとされる帰結のなかには、民主化の影響も介在しているかもしれないことを意味している。したがって、新自由政策の功罪を判断する際にも、この二つの動きを峻別することが必要であり、こうした作業を通して、今日における新自由主義の意義がより明確になり、シンポジウムでは十分出せなかったそのオルターナティヴも、より示しやすくなるのかもしれない。