第27回定期大会(2006) 於:日本貿易振興機構アジア経済研究所

6月3日(土)、4日(日)の両日、千葉市海浜幕張の日本貿易振興機構アジア経済研究所において第27回定期大会が開催された。第1日目には4つの分科会、4つのパネルに分かれて研究発表が行われた後、アジア経済研究所と共催で記念講演が開催された。講演者のメキシコのエル・コレヒオ・デ・メヒコ教授、ジャン・フランソワ・プリュードム博士が7月2日に実施されるメキシコの選挙について、近年のメキシコ政治とからめながら、選挙戦の現状、今後の見通しを語られた。講演会ならびに総会後に開かれた懇親会には予想を上回る多数の参加があった。第2日目には3つの分科会、1つのパネルで研究発表が行われた後、「ラテンアメリカ現代政治を読む:左翼政権?反米?反ネオリベラル?」というタイトルでシンポジウムが開催された。多数の参加があり、所定時間を30分オーバーして熱心な議論が繰り広げられた。2日間の参加者総数は学会員163名、会員外40名の合計203名で、盛況な大会となった。次期定期大会は2007年6月2日~3日南山大学において開催されることが決定された。

記念講演

Dr. Jean Francois Prud’homme “The Mexican Election of July 2, 2006”

メキシコでは来る7月2日に大統領、上下院議員、メキシコ市の市長と市議会議員、ハリスコ州知事の選挙が実施される。このうち特に注目されているのが大統領選挙で、現在、与党PANカルデロン候補と中道左派連合ロペス・オブラドール候補(AMLO)が互角の戦いを繰り広げている。過去の選挙では、旧支配政党PRIの長期凋落傾向、中道保守政党PANの躍進、PRI分裂による中道左派PRDの誕生などがみられた。2000年に誕生したPANフォックス政権は少数与党のために経済改革法案の議会通過を阻まれ、政治指導力の欠如から低迷した支持率で政権末期を迎えている。選挙を1ヶ月後に控え、PAN、PRDが勢力伯仲、PRIが選挙戦から脱落しつつある。3党の網領の内容にめぼしい相違はなく、政策よりも選挙マーケティングの巧拙が選挙戦をリードする鍵となっている。選挙民の40%強が容易に支持者を変える浮動層であることから、6月に予定されているテレビ討論会でいかにアピールできるかで勝敗が決まると考えられる。選挙後の課題としては2点があげられる。一つはどの候補者が大統領になっても少数与党となり議会運営の困難が待ち受けていること。もう一つは北に強いPAN,首都と南に強いPRDという選挙民支持層の南北の分断が生じるであろうこと。政党間の合従連衡がこれまで以上に活発化することが予想される。

質疑応答では、浮動層の多さと南北の支持層の相違をどう統合的に理解するかという点について議論がなされた。時宜を得たテーマのために120人余りの参加を得、盛況であった。 (星野妙子:アジア経済研究所)

研究発表

分科会1<文学・芸術> 司会:斎藤文子(東京大学)

本分科会では、文学に関する報告が3つ、絵画をめぐる報告が1つ行われた。1人20分の報告時間は、各人が問題とする大きなテーマを扱うにはあまりに短く、どの報告者も何に重点をおいて話をするかに苦労したようだった。テーマは多岐にわたったが、それぞれ時間の許す限り活発な質疑応答が行われた。伊香会員は、軍政下の児童文学に注目し、ロッシ会員は、日系ペルー人画家の評価について、単純なアイデンティティ問題に還元しない方法を模索した。加藤会員は、ホセ・マルティの伝記的事実からその文学活動の一側面を明らかにしようと試みた。最後に吉川会員は、メキシコで活躍した演出家佐野碩とコロンビア現代演劇の関係について、熱のこもった報告をした。

「逆立ちするセールスマン:軍政下アルゼンチンの児童文学と検閲」
伊香祝子(慶応義塾大学)

児童文学のひとつである「直線的な語り」=物語的様式は、人間が自己形成を果たす上で大きな役割を果たす。本報告では、1976年から83年の軍政下アルゼンチンで発行禁止となったElsa Bournemann, Un elefante ocupa mucho espacio, Laura Devetach, La torre de cubosから、2編ずつをとりあげた。動物対人間の力関係の逆転を描いた「動物たちのストライキ」(ボルネマン)、逆立ち歩きするセールスマンの登場する「ガスパール事件」(同)、経済の論理に与せず「反抗的であると同時に善である」(ドルフマン)主人公の登場する「バルトーロのノートの木」(デベタシュ)、伝統的な性別役割にもとづく家族観への疑問を呈した「積み木の塔」(同)、これらはいずれも既成の価値観を転倒させる作品である。児童文学に対する検閲は、市民に対して恐怖によって支配的価値観を子ども時代から内面化させるという、当時の軍事政権の方針の一環と位置づけることができよう。

「ベナンシオとティルサー日系二世芸術家の実践と語りに於けるペルーの風景」
エリカ・ロッシ(一橋大学大学院)

本報告では、ペルーで生まれたベナンシオ・シンキ・ワマン(サン・ニコラス1936年~リマ在住)とティルサ・ツチヤ=カスティヨ(スーペ村1929年~リマ1982年)という、2人の日系二世画家の実践と語りを考察した。その目的は次の2点である。すなわち、「日系」という付箋が包含する固定したエスニック・アイデンティティに疑問を投げかけること、さらに、植民者と被植民者という弁証法に再考を促すことである。報告を通じて、そもそも様々な文化や価値観が対立的に共存する社会背景の中で日系を考察するためには、1899年に開始した日本からペルーへの移民史という文脈のみならず、むしろ植民地史の出来事を遡る必要があることを主張した。結果として、2人の芸術家を、文化的複雑性を特徴とするペルー社会との関係性から構成されている存在として捉えることによって、彼らの作品におけるペルーの景色とその風景に潜む社会的歴史的含意を明らかにした。

「<不在>と<存在>― 『黄金時代』創刊の意図」
加藤恵子(清泉女子大学大学院)

『黄金時代』は、キューバ独立の指導者であり、詩人でもあるホセ・マルティが1889年7月から10月までニューヨークで発行した児童雑誌である。その発刊の辞に見られる特色は、女の子への強いまなざしである。このまなざしの先にあるのはマリア・マンティージャであると推定される。マリアはマルティの実の娘であった可能性がある。マルティの最も身近に<存在>したこのマリアを通じてラテンアメリカの子供たちに発信されたのが、『黄金時代』であった。これに対して息子ホセは、妻がキューバに連れ帰ったので、密な関係を持つことができなかった。ホセの<不在>はマルティに贖罪の意識を持たせることになり、詩「イスマエリージョ」が生まれた。このようにマルティには、<不在>と<存在>がキーワードとなるような作品がある。

「コロンビアの演劇刷新と日本人演出家佐野碩」
吉川恵美子(昭和女子大学)

20世紀後半にコロンビアでは独立劇団を中心とした民衆演劇の流れが生まれる。この動きを牽引したグループのひとつが劇団「ラ・カンデラリア」である。同劇団の拠点劇場は「セキ・サノ・ホール」と名づけられている。劇団主催者サンティアゴ・ガルシーアは、コロンビアの新演劇誕生の契機が日本人演出家佐野碩の来訪にあると考え、こう命名した。さほどに佐野碩の登場は重要な意味を持っていたのか。1955年にコロンビア政府の招聘を受けてボゴタに到着した佐野碩は、3ヶ月の滞在の中で、スタニスラフスキー・システムに基づく俳優教育を通じて近代演劇の礎となる演劇理論を教え、さらに演劇が娯楽を超える芸術であることを若い演劇人に伝えた。その種はガルシーアや演出家ファウスト・カブレーラの活動の中で萌芽を見た。彼らは、コロンビア初の独立劇団「エル・ブーオ」を結成し、佐野の教えを継承した。コロンビアの演劇は「エル・ブーオ」誕生を起点に新しい展開をみせる。佐野の来訪がコロンビア演劇刷新に与えた影響は大きかった。

分科会2<歴史> 司会:鈴木茂(東京外国語大学)

歴史研究の分野では、大平秀一、井上幸孝、平田和重各会員の手堅い報告を聞くことが出来た。まず、大平報告は、文字資料によるインカ国家史研究の成果が、発掘資料によって重大な修正を迫られる可能性を提起した。次に、井上報告は、17世紀後半~18世紀に作成された村の領域を示す文書をナワトル語原文で読み込み、植民地時代先住民の社会史・文化史を展望しようとした。最後に、平田報告は、16世紀半ば~18世紀初めの告解の手引書を手がかりに、先住民の文化変容のあり方を解明しようとした。いずれも意欲的な報告であり、論文のかたちでの発表が俟たれる。なお、参加者は35名であった。

「インカ時代~植民地期におけるインカ国家と地方社会の抗争―エクアドル・ソレダー遺跡出土データをめぐって」
大平秀一(東海大学)

本発表では、発表者がトメバンバ南西方向のアンデス西斜面において検出した、3000~5000基の墓について報告した。これらの墓は、先住民間の抗争で犠牲になった、インカ国家の労働者たちを埋葬したものと判断される。インカ国家拡大時における同国家と諸地方社会間の抗争は、文書のなかで頻繁に言及されている。提示したデータにより、こうした抗争の史実性がはじめて裏付けられたことになる。墓は、海岸方向に下るゾーンのみに構築されているため、抗争の相手として、プナあるいはチョノスという民族集団を想定することが可能である。墓から出土した遺物の中には、ガラス製品も含まれていることから、こうした抗争は植民地時代にも継続してなされていたことが明らかである。この状況は、アンデス地域の歴史・編年区分において、最も太く濃い一線が引かれている1533年という年代が、先住民社会の実状に則した歴史区分になり得ていないことを示している。

「ヌエバ・エスパーニャ先住民村落の歴史観と土地観念に関する一考察―メキシコ中央部の土地権利認定書を中心にー」
井上幸孝(立命館大学)

土地権利認定書(Títulos primordiales)は、メソアメリカ各地の先住民によって、スペイン植民地時代後半に作成された文書で、村の土地に対する権利を明示するために作成・編纂された。本報告では、研究対象とする地域を限定し、メキシコ盆地南東部の4つの先住民村落の土地権利認定書のナワトル語原文を用いて考察を進めた。まず、これらの文書に見られる「村の創設」の記述は、植民地時代初期の村の再編に言及しているものの、村の人々が土地を与えられた経緯は、先スペイン期由来の先住民的概念に沿って理解・記述されていることを明示した。その後、村の境界や境界画定の儀礼に関する記述や用語を取り上げ、先住民自身の論理性を考慮に入れながら、史料を読み進める必要があることを指摘した。

「教理文書にみるメキシコ中央部の先住民―告解関連文書を中心にー」
平田和重(大阪外国語大学)

16世紀後半~18世紀にメキシコ中央部で出版された告解関連文書において、聖職者の先住民擁護の姿勢が17世紀以降失われ、悲観、不信感、敵意が生じていくことを指摘した。16世紀中のフランシスコ会士による手引書は、先住民へ共感を示している。1565年、ヌエバ・エスパーニャ初の告解の手引書で、著者モリーナは、読者である先住民をヨーロッパの信徒同様に扱い、直接「汝自身を知れ」と語りかけた。16世紀末、聴罪司祭のための注解書を上梓したバウティスタは、能力に劣る先住民がいることを認めたが、先住民擁護を訴えた。その後の先住民観は悲観へと転じる。1634年の在俗司祭アルバの手引書は、飲酒酩酊の悪癖、信仰心の薄さを感傷的な文体で告発し、徹底して先住民を非難した。1713年の手引書でアウグスチノ会士ペレスは、敵意、不信感を表明し、聴罪司祭には先住民を上回るしたたかさが必要であると訴えた。

分科会3<社会問題> 司会:幡谷則子(上智大学)

塩野会員は戦時中強制収容された日系人の補償問題について近年の動きも含めて丁寧に事実関係を迫った。米政府に対する補償要求運動の今後の展開についてさらなる研究を期待したい。続く3人の報告は、はからずも社会運動をテーマにしたものであった。対象事例や方法論がそれぞれ異なり、今日の社会運動研究の様相を 垣間見たように思う。Vitale会員はアルゼンチンでの人工中絶の合法化要求を巡る運動をとりあげ、グローバル化時代における女性運動の新しい側面を指摘した。原田会員は数年間継続しているペルーの貧困地区における実態調査の中から、民衆運動における女性と教会の役割について考察した。最後に和田会員は、イベント分析という手法を用いて時系列的にメキシコにおける民衆抗議運動を分析した。本手法は、特にフランス社会学の影響が強いラテンアメリカの社会運動研究では適用例が少なく、フロアーからの質問も同報告に集中した。以下は各報告の要旨である。

「日系ペルー人の強制収容問題」
塩野ユカ(中部大学大学院)

第二次大戦中、連合国側に与していた中南米諸国より、西半球の安全保障のために敵性外国人とみなされた日系の人々が国外追放され、米国内の強制収容所に収容された問題を取り扱った。「日系ペルー人の強制収容」は、これらの日系人が北米へ移送・収容された問題の一部であるが、追放された全日系人(約2,300人)中、8割にあたる約1,800人がペルー出身者である。1988年米議会で、日系アメリカ人戦時収容の補償法が成立し、若干の日系ペルー人も同法の適用を受けるが、大部分は補償法適用を却下された。収容当時の国籍状況で峻別されたからであり、同法を不服とした日系ペルー人の収容体験者は再び、96年に米政府を訴え、日系アメリカ人の補償額の1/4の5,000ドルを得た。その後も米議会への立法活動、国際社会、(米州機構、国連)への補償運動の周知を図るが、米政府はこの補償問題はすでに解決済みとみなしている。

’Autonomía reproductiva en Argentina: transformación cultural y movimiento social por el aborto’
Analia Vitale(Universidad Ritsumeikan)

Esta ponencia versa sobre los discursos sociales sobre la práctica del aborto en Argentina con especial acento al reciente movimiento social por el aborto legal, seguro y gratuito. Inicialmente esta demanda surgió de reducidos grupos feministas en los 70s para después expandirse a partir de este siglo a otros grupos sociales. Este movimiento demanda el acceso al aborto legal no sólo como un tema vinculado a la autonomía de la mujer sino que también se relaciona con la idea de los derechos humanos, justicia social y salud pública. Se observa una transformación discursiva donde la mujer se expresa como ciudadana, consciente de sus derechos, que pasan a ser exigidos al Estado, consecuencia de las conferencias mundiales de la ONU y el reconocimiento de los derechos reproductivos como un derecho humano. Este desarrollo político-cultural también se articula con cambios de la opinion pública debido a una creciente secularización social.

「ペルー:ビジャ・エルサルバドルにおける女性組織と教会」
原田金一郎(大阪経済法科大学)

ペルーのビジャ・エルサルバドル市は、1971年スラムとして発足した。1984年市に制定され、「自立したスラム」といわれているが、いまだ「貧困都市」である。したがって、本報告で取り上げた女性組織や教会や、NGOが貧困と戦い、さまざまな活動を繰り広げている。1983年創設されたビジャ・エルサルバドル民衆女性同盟は、12歳以下の子供にたいする粉乳の配給を行うミルク配給委員会、炊事をできない家族のための給食活動である民衆食堂などの活動を通じて、貧困と戦い、女性の解放を目指してきた。女性同盟のシンボルであり、導きの星となっているのは暗殺されたマリアエレナ・モヤノである。一方教会は、教会給食、医療センターなど、多彩な活動を行っている。彼らを鼓舞しているのは、グスタボ・グティエレス神父を創始者とする解放の神学である。ここでは、マリアエレナとグティエレスの思想の一片に触れた。

「メキシコにおける民衆政治形態の『脱日常化』-1964年から2000年に至る民衆抗議行動のイベント分析を通じて-」
和田毅(University of Missouri)

経済のグローバル化と政治の民主化という大きな変化のなかで、一般民衆の抗議行動のあり方にも根本的な変化が生じているのだろうか?1964年から2000年の間にメキシコで起きた3,000以上の民衆抗議行動のイベントに関する新聞記事を収集し、社会ネットワーク分析手法を用いて調べた結果、1982年の累積債務危機以前のメキシコでは、労働者対企業、農民対土地所有者、学生対大学等のように、日常の社会生活パターンに基づく抗議行動が圧倒的多数であった。これに対し、新自由主義経済体制が確立した1994年以降になると、前述の抗議行動が全体に占める割合は急低下し、労働者対政府、農民対地方政府、非政府組織(NGO)対企業といった、日常の生活パターンに拠らない形の抗議行動が主流となる。このような抗議行動の「脱日常化」がメキシコにおける民衆政治の変化をより端的に示しているといえる。

分科会4<教育・言語> 司会:三田千代子(上智大学)

発表者が3人であったことから、比較的時間的に余裕のある分科会となった。3つの報告は「教育」として広く括れるものではあるが、有機的に繋げて議論できない内容であることから、それぞれ発表と質疑応答という形で行なった。出席者は20人を超えていた。まず、中島会員は、60~70年左傾化したチリの大学改革について報告した。歴史学、政治学、社会学に及ぶ広範な視野からの報告であった。NGOのメンバーでもある杉田会員は、エクアドル農村における学校菜園事業を通じて教育発展のメカニズムを報告した。NGO活動の継続には資金が必要であるが、それ以上に広い意味での人的資源の重要性が認識された。最後に重松会員が、在日ブラジル人のポルトガル語の中に借用される日本語の形態的統合について、豊田市のブラジル人学校の生徒を対象とした調査結果を報告したが、これは、広くみれば文化変容の一事例といえるものである。以下が各報告者の要旨である。

「ラテンアメリカの大学論:理論と実践-60年、70年代チリのケースを中心に-」
中島さやか(チリ・サンティアゴ大学大学院)

60~70年代にまたがるラテンアメリカ、特にチリの学生運動・大学改革運動は当時の社会変動と密接な関わりを有し、政治的・社会的・文化的に大きな意味のあるものだった。60年代という時代、世界に起こったさまざまな変化によって多くの知識人や学生は世界の「新秩序の構築」の夢を抱き、そのために大学が積極的に行動するべきであるとの考えを共有するようになる。この時代、ラテンアメリカ全般で大学論が盛んに議論されたが、その背景に文化面も含めた母国や地域の自立的な発展という壮大な夢があった。こうした議論の特徴は当時この分野で広く読まれたダルシーリベイロの著作などによく表れている。チリでは、大学改革のプロセスの中で学生が学内の意思決定に参加する権利を勝ち取り、教育・研究・社会的サービスなど広範囲に及ぶ改革が行われていく。それは大学内部の変革を意味していただけでなく、対外的な影響力があるものであった。

「学校菜園事業のもたらしたものーエクアドル、シエラ・ノルテ、カヤンベでの教育開発NGOの経験を通して」
杉田優子(東京大学大学院)

エクアドル、カヤンベ郡は、伝統的な農業地域である。しかしこの地域では、近年農業の衰退や社会の変化が起きている。またエクアドルの教育は、制度化が進んでいる一方で、地方の教育の、中心地との格差は大きい。本報告では、カヤンベで17年間にわたって学校を中心とした教育支援を行ってきたNGOの、2003年から始まった小学校4校での菜園事業の分析を通して『どのような力が菜園事業の結果に影響したのか』を、学校とコミュニティの関わりに焦点をあてて分析し、学校に大きな影響を与える要因と、教育支援を行うNGOの課題を提示した。結論として指摘されたのは、次の4点である。第1に、コミュニティ組織が学校に大きな影響を与えること、第2に、地元出身の教師の役割が重要であること、第3に、学校を支援するNGOもその活動を通して、住民組織に関わっていくことが不可欠であること、第4にNGOは成功例を他の学校に活かしていく方途を考える必要があること、である。

「在日ブラジル人の使用する日本語借用語における形態的統合」
重松由美(名古屋学院大学)

在日ブラジル人コミュニティでは、ポルトガル語と日本語の接触による彼ら独自の変種を見ることができる。その一つの特徴が日本語からの語彙の借用である。本研究では、豊田市にあるブラジル人学校Escola Alegria de Saberに在籍する5年生から10年生に対して行ったアンケートとインタビューを資料とし、彼らの使用する日本語借用語における形態的統合を分析した。その結果、日本語借用語の形態的統合パターンがポルトガル語における新語の形成規制と多くの点において共通することが明らかとなった。また、彼ら独自の混用複合動詞の構造として、語幹に日本語動詞の「た形」が用いられる傾向が確認された(例 kimetar← kimeta「決めた」+-ar)。この理由として、在日ブラジル人が最もよく耳にして彼ら自身も使用する形が「た形」であるため、この使用頻度の高い形態が語幹に用いられていると考えられる。

分科会5<政治> 司会:浦部浩之(獨協大学)

政治が共通テーマであったが、メキシコ軍民関係の100年間の展開、1945年のアルゼンチン労働運動、現代ブラジルの組織犯罪・治安問題、本年2月のコスタリカ選挙が取り上げられ、時代的にも地域的にも、もちろん研究視角の点でもバラエティに富み充実していた。馬場報告は既存研究の少ない題材でたいへん興味深く、松下報告は自身の長年の研究テーマを新しい分析枠組みで再検討しようとしていてたいへん迫力があった。最新の動向を取り上げた山田、竹村両報告も出席者に貴重な情報と問題意識を提供するものだった。2時間4報告という時間の制約にもかかわらず簡潔な発表をして下さった各報告者、そして司会者判断で30分時間を延長して設けた全体討論に最後までお付き合い下さった30名近い出席者の方に感謝したい。以下は報告者自身のまとめによる要旨である。

「軍の文民権力への服従:メキシコ軍民関係史」
馬場香織(東京大学大学院)

本報告では、軍の文民権力への服従の理由という観点から軍民関係の理論的枠組みを提示し、これをもとに20世紀メキシコの軍民関係史を考察した。その際、特に軍の専門職業主義と文民体制の政治・経済パフォーマンスおよび文民体制の安定性に着目し、その変遷を追うことで、時代ごとに変化してきたメキシコ軍の文民権力への服従の理由を説明しようと試みた。その結果、特に1980年代後半以降において、「イデオロギー的一致・民族・宗教などの理由による、特定価値体現体制への忠誠」にかわって「文民に従うべきという伝統概念や手続き的正統性に基づく文民優越」が軍の服従の主要な理由となってきたことを、特に軍人・文民エリートのメキシコ革命に関する言説の変化を見ることで説明した。同時に、2000年の政権交替以降も維持されている軍の自律性が、メキシコ軍民関係の安定に大きな役割を果たしていることを示した。

「プロスペクト理論から見た1945年10月17日事件:初期ペロニズムにおける労働運動参加問題再訪」
松下洋(神戸大学)

ペロニズムの成立期にペロンを支持した労働者が、主として農村から都市に移動して間もない新労働者であったのか、それとも旧労働者の役割を重視すべきかは、ペロニズムをめぐる重要な争点となっている。前者の説を代表するジェルマーニは、労働者がペロンによって操作され、彼らの支持は病的な現象であったとした。これに対して、後者の説を代表するムルミスとポルタンティエロは、旧労働者が親労働者的な政策をとるペロンを支持したのは合理的な判断だったと主張した。発表者は従来、後者の立場を取っていたが、1945年10月17日事件をプロスペクト理論で分析した結果、旧労働者のペロン支持には非合理的側面もあったことは否定できないと思うに至った。つまり、第一の説が新労働者の非合理性を、第二の説が旧労働者の合理的判断を重視したとすれば、発表者は旧労働者に非合理的判断があったことも無視できないとする第三の説を提唱したい。

「ブラジルにおける組織犯罪の進化と治安政策」
山田睦男(国立民俗学博物館・総合研究大学院大学)

ブラジルは、人口10万人あたりの殺人数でラ米域内ではコロンビアとエル・サルバドルについで高い順位を示しており、その半分近くが組織犯罪関連であると推定される。当初ブラジル全体の組織犯罪の実態と治安政策の評価を意図していたが、大会直前の5月12日より数日間サン・パウロ州全域でPCC-Primeiro Comando da Capitalによる刑務所での一斉暴動(73箇所)と警察などに対する襲撃事件(41人の警官殉職)が起き、合計400人以上の死者を出す大事件が発生したので、PCCの特性と事件の背景解明に焦点を当てた。このため、i) 社会経済的背景、ii) PCCの擬似左翼的規約、処刑が支える規律、iii) ルーラ政権の治安政策の不備、予算削減、iv) 警察・司法公務員などの腐敗と低い能力、v) 刑務所の規律崩壊(携帯電話売買)、vi) 警察側からの報復として行われた恣意的処刑、人権侵害などに触れた。

「コスタリカ2006年2月総選挙の意味するもの」
竹村卓(富山大学)

大統領・国会(=立法議会)議員・地方議会議員を選挙する、コスタリカの文字通り「総選挙」は、2006年2月5日の投票日から1ヶ月余り経った3月7日、ようやく最高選挙裁判所TSEが、アリアス候補の大統領当選を確定するなど、前回02年の選挙にも増して異例の結末を迎えた。原因として、有権者の間に広がる中米自由貿易協定CAFTAへの反発と、現法下での最低投票率と最多の白票・無効票が示す既成政治への不信があげられる。元大統領2名が逮捕・起訴された外国企業の不正献金疑獄が、政治(家)不信を加速化させ、CAFTAが象徴する「グローバル化」への不安が生んだ選挙結果である。一方各種選挙には、史上初のフェミニズム政党を含め過去最多の54政党が参加しており、政界では従来タブーとされてきた金銭スキャンダルが表面化するなど、内外の構造変動とも連動して、コスタリカの民主政治は長い過渡期の真只中にある、と言えよう。

分科会6<社会政策> 司会:畑恵子(早稲田大学)

①コスタリカの保険医療制度改革、ブラジルの②消費者保護法および③エイズ治療薬国産化と無料配布、④メキシコ低所得者の生存と世代間継承に関する4報告が行われた。①では、問題意識(ドレーズとセンの先行研究)と報告者の結論の関係、経営契約による予算配分、経営契約の評価などについて質疑応答がなされた。報告は博士論文全般にわたったが、個人的には経営契約の説明が端折り気味となったのが残念であった。②には独仏法の影響の仕方、法律の罰則規定、社会的背景について、③には治療薬の無料配布の効果、無償配布方針と特許侵害の関係などに関する質問があった。②③は近年のブラジル社会政策の先進性・革新性を示す報告で、興味深かった。④は社会政策というより、現地調査にもとづき「貧困層の生存戦略」を再確認するものであったが、対象地区・家族の社会経済的位置づけ、調査結果の評価について質問が出た。調査の蓄積は重要であろうが、今後、その先に見えてくるものが提示されることを期待したい。

「コスタリカの保健医療政策形成-公共部門における人的資源管理の市場主義的改革-」
丸岡泰(石巻専修大学)

高い健康指標の存在により、コスタリカの保健医療政策の形成要因の検討は意義深い。本研究では1980年代までの保健医療政策普遍化期と、それ以降の市場主義的改革期の政策形成要因を検討した。人的資源管理は保健医療サービスに不可欠で、その量質に影響が大きいため、注目に値する。普遍化期の主な要因は、政策決定者と保健医療専門家の主導である。部門の構造的特徴として、階層的人間関係、鎖状の明確な職務分担、私大増による一般医過剰と専門細分化による専門医不足傾向がある。保健医療部門の市場主義的改革とは、世界銀行の経営契約手法の導入をさす。この時期、労働組合の圧力、職員の意向、市場主義思想が人的資源管理の方法を決定した。経営契約は、労働組合と職員の拒否を避けつつ効率化と説明責任履行の向上を目指す改革だった。

「ブラジル消費者保護法における消費者契約の成立について-南米各国およびEU各国における関係法との比較法研究」
前田美千代(同志社女子大学)

ブラジル消費者保護法(Código de Defesa do Consumidor)は、1990年に成立後、ラテンアメリカ諸国の消費者法のスタンダードとして、隣国の消費者法制定に多大な影響を与えた。本報告では、消費者契約の成立に焦点をあて、日本の消費者法制と比較し、ブラジル法の独創的な点や、日本が法改正に向けて取り組むべき点を指摘した。例えば日本の消費者契約法三条の事業者の情報提供義務が努力義務に過ぎない規定であるのに対し、ブラジル法三一条所定の情報提供義務違反においては、事業者は不法行為に基づく損害賠償義務が課されるのみならず、一定の行政責任および刑事責任を負う。また、日本では、事業者の誇大広告につき、不当景品類および不当表示防止法(景表法)その他により不当表示として禁止され、違反すれば排除命令や警告の対象となるなど、行政的な制裁が課されるのみであるが、ブラジル法三〇条では、経済法的規制にとどまらない民事責任の可能性(消費者による強制履行請求など)があることについて考察した。

「ブラジルのエイズ治療薬国産化政策と開発途上国」
北島啓治(国際通貨研究所)

本研究では、エイズ対策の成功モデル国ブラジルのエイズ治療薬国産化政策に焦点を当てつつ、アフリカにおける最近の国産化の動きも分析し、途上国における国産化の課題抽出および今後の展望を試みた。これまでブラジルは国産化(ジェネリック薬生産)政策において特許なしのエイズ治療薬を生産してきたが、特許付き新薬のコスト増の予想から無償配布の持続に危機感を抱き、将来の国産化政策として、技術能力の向上、PPP方式による生産プロジェクトの実施と強制実施権の発動、ブラジルのリーダーシップ下での南南協力を通じた途上国における国産化推進、を掲げている。アフリカでも近年、政府・民間ベースの技術協力、強制実施権発動・ボランタリーライセンス供与、民間合弁事業といった国産化の方法が採用されている。これらの国産化の方法の妥当性(特に貧困層配慮)や南南協力による国産化プロジェクトへの資金協力の可能性について検討することが望ましい。

「メキシコ市低所得層の生活様態-サブシステンス志向の経済活動に焦点を合わせて-」
増山久美(上智大学イベロアメリカ研究所)

メキシコは1994年に経済協力開発機構に加盟し、さらに同年、北米自由貿易協定の発効でグローバル経済に参入した。しかし、今日、国民の7割を占める低所得層の暮らしは改善されるどころかさらに悪化している。1980年代からの観察では、メキシコ市低所得層の人々は近住拡大家族の形態をとりながら地域においてさまざまな経済活動を創造したり工夫したりしていることが明らかである。そこで調査対象地区の家族のうち一家族を事例にとりあげ、代々受け継がれてきたインフォーマルな経済活動、具体的にはゴミや残余物から現金収入を得る手段と、小商売の実態を、サブシステンス=自立、自存という視点から捉えた。そこでは人と人の顔の見える直接的、人格的関係が経済に対して大きな影響を与えている。子どもたちは親の小商売の手伝いや、隣人同士の相互扶助的経済活動へ参加することで、相互扶助のネットワークが生活の維持と発展に重要であることを習得していく。

分科会7<人類学> 司会:三澤健宏(津田塾大学)

本分科会では、それぞれ個別の発表が行われた。第一報告は、メキシコ・プエブラ州の産婆の実践に焦点を当て、伝統医療が保健開発の担い手として統合されていく際に生じる問題について論じた。第二報告は、メキシコの文化的自画像の生成過程を解明するために、国民意識が再生産される場としての独立記念日に焦点を当て、参与観察を交えての分析を試みた。第三報告は、近代西欧世界のアメリカに対する認識のあり方を再考するために、植民地初期「新世界」の巨人像表象を取り上げ、テクスト分析を通してその意味を考察した。最後の報告は、ホンジュラスのガリフナに対する、先行研究におけるカテゴリー化の過程を再検討し、その出自に関する新たな仮説を提示した。会場からは有益な質問およびコメントが出され、白熱した議論が展開した。

「産婆エルビラの選択-メキシコ農村の保険開発と産婆たちの実践-」
武田由紀子(神戸市外国語大学大学院)

今日メキシコ農村では、プライマリー・ヘルス・ケア政策の一環として伝統医療の地域保健への統合が試みられている。特に産婆は出産のプライマリー・ヘルス・ケアの担い手として注目される。今回筆者葉メキシコ・プエブラ州クエツァランを事例に、伝統医療を資源とする保健開発の実態とそこに取り込まれる地元の産婆たちの対応について発表を行った。1990年、近代医療と伝統医療の融和に向けて、クエツァランの総合病院内に伝統医療用施設が造られ、地元の伝統医療師組織がそこで働くようになった。2000年以降、組織は病院と袂を分かち、独自の観光事業を進めていくようになる。組織トップの決定に対し、メンバーのほとんどが従順な姿勢を保持するなか、産婆の1人エルビラは組織を脱退し、先住民庁の援助を受けて、自分専用の産屋を自宅横に建てた。彼女の実践を通じて、開発プロジェクトの問題性について示唆を行うことが当発表の目的であった。

「演じられる文化的自画像-メキシコ独立記念日の歴史から-」
落合一泰(一橋大学)

現在、世界の人口の大部分は非西洋圏近代諸国家に存する。そこに展開するものは、それぞれの方法で西洋文化を吸収しつつも、地元固有の文化を放棄せずにいる諸社会である。そこでは啓蒙思想が大きな力を及ぼし、そのナショナルな編成や再編成を促し、個々人の行動実践を生み出し、世界との関係を構想させ経験化させてきた。メキシコは日本とともにその例である。発表者は、メキシコの文化的自画像の生成過程を明らかにすべく、分析言語自体の特殊近代性に留意しつつ、メキシコ独立記念日の文化人類学的調査を進めている。独立記念日の前後、様々な国家的自画像・地域的自画像がメキシコ中を埋め尽くす。多くのメキシコ人にとり、神話的集合的記憶に訴える演劇的作法を通じ、これほど強く国民意識・地域意識を喚起させられる世俗的祝祭行事は、ほかにないかもしれない。本発表では、調査成果の一部を速報した。

「植民地ラテンアメリカの巡る他者表象に関する一考察-航海者と巨人像表象」
長尾直洋(京都外国語大学大学院)

本発表では、近代西欧世界によるラテンアメリカ認識史への再検討の一環として、植民地期初期「新世界」先住民表象のプロトタイプを形成したとされるアメリゴ・ヴェスプッチによる諸著作を再検討した。その際には、他者表象の問題において従来非本質的部分と見做されていた、先住民に対する怪物人種表象の一種である巨人族表象に注目しつつ、諸テクスト内における各先住民グループへの表象パターンを検討することで、食人種表象及びその対立項としての無垢な先住民、という単純な二項対立的形態では捉えきることのできない、種々の他者表象の形態が当事において存在していたことを明らかにした。様々な先住民グループが肯定的・否定的属性を付与されつつヨーロッパ側の世界へと取り込まれていく中で、とある先住民グループに対してなされた巨人族表象は、ヨーロッパ世界との没交渉性、すなわち強力な他者性を体現するものであったといえる。

「『逃亡ガリフナ』の民俗誌再読-1950年代ホンジュラスの他民族的状況をふまえて-」
金澤直也(東京大学大学院)

本報告では、近年の中米の黒人史の研究動向をふまえて、「ガリフナ」研究の権威、合衆国の人類学者ゴンサレスによる「ガリフナ」の範疇化の方法を問い直した。調査当時の研究水準や調査地であるカリブ海沿岸地域の社会状況に着目してゴンサレスの文献調査とフィールド調査を検証した結果、ゴンサレスはセントビンセント島に由来する「ガリフナ」の実態を記述したとはいえない、と結論づけた。そして、ゴンサレスが「ガリフナ」として描いた黒人は、1920年代以後に来た黒人移民ではないか、と問題提起をした。また、今日「ガリフナ」と名づけられ、みずから名のり、民族運動をしている人びとは、黒人移民の子孫ではないか。「歴史なき人びと」といわれる黒人移民の子孫が、ゴンサレスが描いた「ガリフナ」の歴史を、みずからの「歴史」として取り込み、民族運動をしているのではないか、との仮説を提示した。

パネルA 「現代ブラジル都市の社会構造の特徴と政府・自治体の役割」
コーディネーター:住田育法(京都外国語大学)

先住民の古代文明を経験しなかったブラジルの都市は、多くがレコンキスタの理念を反映した植民地都市である一方で、国民の多くが土地を持てないという状況があり、二極化したかに見える社会が続いている。これでは社会的に不安定なので、その状況をいかに克服するかが重要である。この視座に立って、司会(小池洋一)の進行により報告者5名と40名余りの参加者を交えて、熱心な意見交換がなされた。
「現代ブラジル都市の特徴と政治の展開」(住田育法)では、ブラジルの州都レベルのムニシピオ誕生・発展の歴史や旧都リオデジャネイロのいわゆるファヴェーラ化現象を取り上げ、貧者への対応に見られるブラジル固有の問題を指摘した。「アフロブラジル文化の古都サルヴァドールの社会構造と文化」(金城清美)では、古都サルヴァドール市の歴史地区保存行政と貧困問題解決の取組みを、アフロ文化の都市の立場から報告した。
「ブラジルの都市自治体予算編成過程への住民参加制度の諸論点」(山崎圭一)は、南米発の新しい草の根民主主義の一形態として、近年世界的に注目されている「参加型予算」について、ポルト・アレグレ市の経験を取り上げて制度を紹介し、「財政の一体性」という原則との整合性など、論点を整理した。
「ブラジルの都市システム-地理学からのアプローチ-」(萩原八郎)は、地域開発の拠点としての都市を見る歴史的視点に、地理学的視点をどれだけ加えることができるか問題提起した。
「ブラジルの土地なし農民運動(MST)の戦略」(近藤エジソン謙二)は、この運動(MST)が過酷な状況下で生き延び、栄えていくために用いる戦略(とくにビジネス・モデル)について語った。農地の不法占拠や土地獲得後の売却行為などに対する批判や、地味の乏しい土地で持続可能な農業ビジネスを早急に発展させる課題など、理想と現実の乖離について、参加者から積極的な質問があった。

パネルB 「米国社会におけるラテンアメリカ系移民」
コーディネーター:小池康弘(愛知県立大学)

今や全米総人口の7人に1人はラティーノあるいはヒスパニックと呼ばれるラテンアメリカ系住民であるが、折しも米国連邦議会で審議が進む反移民法に対する大規模なデモが5月に発生するなど、この問題は日本でも注目され始めている。本パネルでは、4名の会員が、それぞれ異なる視座から報告を行い、時間を超過してフロアとの活発な質疑が行われた。
牛島万会員(城西国際大学)は歴史的視点から、米墨戦争当時のメキシコ人に対する排斥運動についての考察をふまえて、今日のヒスパニック系不法移民排斥の風潮の根底に、当時と共通する社会的背景から生まれる人種的排他主義が存続している点を指摘した。
北條ゆかり会員(滋賀大学)は、「不法移民」の増加が米国の教育および福祉政策をめぐる論争をも引き起こした背景を、米墨双方における80年代以降の社会経済的構造の分析を通じて明らかにする一方、両国間には新たな共存空間が矛盾を抱えつつも出現していく可能性があると指摘し、新自由主義的統合モデルに代わるモデルの可能性を探った。
中川正紀会員(フェリス女学院大学)は、ロサンジェルス郡におけるラティーノの中流化に政治観の変化を、選挙政治・政党政治への志向に限定せず広い意味での「政治意識」や歴史的背景・地域的特質による影響、エスニック社会内の人間関係といった視点から分析した。
小池康弘会員(愛知県立大学)は、マイアミにおけるキューバ系移民の政治意識について、キューバ・コミュニティの成立過程が「強制された連帯」に基づいていること、その政治意識は決して一枚岩ではないこと、しかしその要因は単純に世代論だけでは説明しきれないことを明らかにした。

パネルC 「1990年代以降のメキシコ政治経済:3つの事例研究から」
コーディネーター:久松佳彰(東洋大学)

高橋百合子(神戸大学大学院)は、『新自由主義体制下における社会支出の政治的利用』において、厳密な資力調査に基づいて受益者を選定するターゲッティングにより政治性を排したと言われる、セディージョ政権下で導入された貧困緩和プロジェクト(PROGRESA)を分析した。市町村レベルでの受益者人数と選挙データとの関連を見た統計分析結果に基づき、まだ市町村レベルにおいて政治的な操作が行われた可能性があることを議論した。受田宏之(東京外国語大学講師ほか)は、『先住民への援助活動の功罪:オトミーの事例』において、援助過程にみられる依頼人=代理人関係を手がかりに、メキシコ・シティーにおける複数のオトミー族集団への援助事例について整理した。先住民リーダーは、外部の援助主体と先住民受益者の双方からの依頼を遂行する主体として捉えることができ、援助活動の可能性と困難とが明らかになった。久松佳彰(東洋大学)は、『産業クラスターと産業政策枠組み:グアダラハラ電子工業の事例』において、1990年代後半から拡大し、2000年代初頭の危機も乗り越えた感のある同クラスターの事例において、産業政策が見られるかについて検討した。実施された政策は、NAFTA内での移行政策と解釈するのがもっともであり、根底には連邦主義の問題があると議論した。
柳原透(拓殖大学)は司会およびコメントを行い、各発表につき1990年代以降のメキシコ政治経済についての合意を質問した。高橋は、経済面での新自由主義と政治面での「選挙政治」との対応を議論し、受田は経済面での新自由主義およびその背景となる新古典派経済学にとって目の届かない事例の重要性を議論し、久松は分権化の帰結の一つである連邦主義が産業政策に対して制約となっていることを強調した。50名程度の参加者を得た会場との質疑応答は今後の研究を進める上で有益であった。

パネルD 「権威主義的支配体制とラテンアメリカ小説」
コーディネーター:大西亮(法政大学)

本パネルでは、権威主義的支配体制を意識して書かれた小説にどのような構造的特徴がみられるか、という問題意識のもと、4名の報告者による発表、および、発表内容に関する質疑応答が行われた。報告者による発表要旨は以下のとおりである。
寺尾隆吉:ラテンアメリカにおける独裁者小説の隆盛を語るには、小説という文学ジャンルで独裁者を再構築するという行為自体の持つ意味を問い詰める必要がある。独裁者小説を書いた小説家はいずれも、相対性と歴史性という小説の特質に着目し、大衆の声を語りに取り込むことで神話化した独裁の硬直を打破する構図を作り上げた。
大西亮:政治と幻想、あるいはもっと広く、政治と文学の両立についてコルタサルはどのように考え、どのような方法論を思い描いていたのか。そして、それをどのような形で権威主義批判というテーマに結びつけようとしたのか。本発表では、フィクション化の手法にもとづくコルタサルの実践的な<語り>に着目した。
山辺弦:カストロ政権かで弾圧を受けたレイナルド・アレナスの小説El color del veranoおよびEl asaltoに見る独裁者を、前者ではバフチン的多声性における一人の<俗人>として、後者では結末でその意味体系を転換される<不在の記号>として定義し、両者の超越性が小説形式によりいかに転覆されるかを論じた。
瀬田早季子:本発表では、ホルヘ・ボルピの小説『クリングソルを探して』の歴史記述的メタフィクションと語り手について分析し、この小説が公的権力の語る歴史及び歴史的ナラティヴそのものに対する抵抗言説であると同時に、自らの抵抗言説の有効性を疑問視するメタ言説であり、言説が権力を生む構造自体の批判となっていることを示した。

パネルE 「『マジョリティ』としての先住民とボリビア:現実を理解するための3つの考察」
報告:宮地隆廣(東京大学大学院)

本パネルは「マジョリティ」としての先住民というテーマで現代ボリビアを分析した。ボリビアにおいて先住民は、人口面では多数派でありながら、植民地的社会関係に基づく圧倒的な格差に苦しんできた。3名の発表者は各々の視点から、先住民およびボリビア全体の動向に見られる特色を描き出した。以下に要旨を記す。
(1)宮地隆「カタリスタ運動の政治観-その変遷と淵源」:ボリビア先住民運動の先駆的存在であるカタリスタ 運動は、どのような政治制度や手段を正当とみなし、それは何に由来するのか。1980年代中葉までの言説と行動を見た結果、その時々の政治的連合者のアイディアを摂取する形で正当たる制度・手段像を構築したと結論するのが妥当である。
(2)梅崎かほり「『多民族・多文化』の影で:アフロ系住民の復権運動に見える国家像」:1990年代以後本格化するアフロ系住民の復権運動は、独自の音楽である「サヤ」の正しい認識を求める運動から政治的運動へと発展した。マイノリティたる彼らの存在は「白人」対「先住民」の構図で語られがちな「他民族・多文化」の議論に新しい視点を開くものである。
(3)藤田護「再び国家の時代へ-2000~05年のボリビア政治-」:2000年以後のボリビア政治では、天然資源管理など経済政策における国家の役割に関する再考、及び憲法改正を通じたボリビア国家の礎の据え直しという2点がナショナルアジェンダとして登場してきた。その原動力は、「下からのナショナリズム」を伴う先住民・社会運動の存在にある。
発表後、参加者の質問に発表者が回答し、最後に司会者による総括がなされた。その際言及されたように、最近のラテンアメリカに「典型的」な政治変動を見せたボリビアには、変化の背景として複雑な内実が存在する。当日午後のシンポジウムに先立ち、本パネルがそのことを参加者の前に提示するのに成功したことを期待したい。

シンボジウム「ラテンアメリカ現代政治を読む:左派政権?反米?反ネオリベラル?」

要旨

1990年代に大規模なネオリベラル経済・社会改革を実施したラテンアメリカ諸国では、21世紀に入る頃から、その見直しを主張する政権が出現してきた。また、各国において伝統的に左派とみなされる政党を母体とした政権も成立している。ベネズエラのチャべス、ブラジルのルーラ、アルゼンチンのキルチネル、ウルグアイのバスケス、ボリビアのモラーレス、チリのバチェレ各政権がその中に含まれる。メキシコやペルーの大統領選挙の結果も注目される。
それらの政権は、ネオリベラル政策のもたらしたネガティブな側面に注目し、社会政策の拡充を提起する一方、時としてナショナリズム的言説や反米的言説を用いることがある。外交面ではベネズエラには米国との対決姿勢が鮮明に見られ、ブラジルのルーラ政権やアルゼンチンのキルチネル政権にはIMFからの借入金を全額返済し、マクロ経済政策の自律性を確保しようとする動きが見られるものの、その他諸国には反米姿勢はそれほど明確には見られない。
このように、今世紀に入りラテンアメリカに成立した政権は決して一様ではない。また各国の過去の政治的経路を反映した独自の性格を有していることは言うまでもない。本シンポジウムは、5ヵ国の事例を取り上げた。それぞれの政権がどのような背景や支持により成立し、その経済・社会・外交政策がどのような特色を持つものであるのかを、各国の専門家が語り、それを踏まえて議論することで、ラテアメリカ政治の現状理解を深めることをめざした。以下が各パネリストの報告要旨である。 (宇佐見耕一:アジア経済研究所)

メキシコ 「メキシコ:2006年選挙で左派は何を提示するのか」
岸川毅(上智大学)

メキシコにおける近年の左派の台頭は、同国の政党政治が安定し穏健化するなかで起こっている。本報告では、ロペス・オブラドール率いるPRD(民主革命党)の提示する政策が、ポピュリスティックな言説を用い、富裕層より弱者、マクロ経済の安定より雇用拡大を優先する一方で、非暴力と対話を謳い、米国を敵視せず交渉を目指し、南米の急進的左派政権から一線を画す点で、基本的に穏健なものであると分析した。

ブラジル 「ルーラ政権の経済・外交戦略」
子安昭子(神田外語大学)

本発表では、今日しばしば耳にする“ラテンアメリカ政治における2つの左派”の議論(ここではメキシコの政治学者カスタニェダのフォーリン・アフェアーズ論文を紹介)において、チリとともに「改革主義的で、かつては強硬であったが今日では大きく変化を遂げた左派」といわれるブラジル・ルーラ政権4年間の経済・外交戦略を振り返るとともに、今年10月に実施される大統領選の行方について考察を行った。

アルゼンチン 「キルチネル政権の経済・社会政策」
宇佐見耕一(アジア経済研究所)

2003年4月の大統領決戦投票においてペロン党キルチネル候補は、同じく同党のメネム前大統領の新自由主義政策を批判し、当選した。同政権は外貨に対しては、強硬姿勢を取り、また物価に関しては社会協約、輸出制限、公共料金等では値上げ申請の不許可、また不買を呼びかけて統制しようとする場合があり、非正統的手段を用てコントロールしようとしている。同様に労働政策でも柔軟化法の廃止など労働組合寄りの政策が取られており、90年代に実施された新自由主義経済社会政策からの路線転換がみられる。

ペルー 「2006年ペルー大統領選をめぐって」
遅野井茂雄(筑波大学)

第1回投票で保守系候補が敗れ、ペルーでも左派政権が誕生する。決戦投票は、左派の民族主義者ウマラ候補と中道左派のアプラ党ガルシア候補による新自由主義経済政策の変更が争点である。輸出部門と地域経済との連関の強化、国内の生産能力開発と工業化による付加価値の強化などが改革の方向性として挙げられている。中小生産者への融資拡大など、低収益部門に投資を誘導する開発の推進役としての政府の役割強化もめざされる。必要な原資は、多国籍企業と契約見直しや優遇税撤廃などで確保しようとする点で両者の論戦は一致している。新自由主義から「国家への回帰」、市場とのバランスを回復する試みだが、市場経済を受け容れつつも産業政策や強力な社会政策を主張する社会民主主義と、アンデス南部の貧困を反映し、資源の国家管理を通じて富の再分配と社会の全面転換を目指す革命的左派との対立が明白となった。

チリ 「バチェレ新政権の課題と展望」
安井伸(慶応大学)

中道左派連合コンセルタシオンの第4代政権を担うバチェレ新大統領は、初の女性大統領として、「継続」と「変化」を求める国民の声を反映して選出された。堅実なマクロ経済運営という規定路線を継承しつつ、4年間という短い任期の中で、公約とする社会格差の克服と政治参加の拡大をいかに実現するかが問われている。とりわけ年金制度改革の成否と選挙法改革の行方が今後の政権運営を占う試金石となるだろう。