第28回定期大会(2007) 於:南山大学

6月2日(土)、3日(日)の両日、南山大学の名古屋キャンパスにおいて第28回定期大会が開催された。本来ならば、2006年度に南山大学で開催されるはずであったが、その年には、数年前から別の学会の大会が同日に組まれていたこと、また、大学恒例の大きなイベント、上南戦(カトリック大学としての南山と上智のスポーツ交流大会)のホスト校となっていたこと等から一年遅れの当番となった。今年は、運悪く同じ日に南山と目と鼻の先にある名古屋大学でも大きな学会があり、それとは別に東京や神戸でも土・日曜日に他の学会が催され、本学会の多数の会員が、忙しく出入りされるのを何度も見かけた。今年は名古屋市とメキシコ・シティとの姉妹都市提携30周年にあたる。いくつかの偶然も重なり、メキシコ大使 Miguel Ruiz-Cabañas Izquierdo 閣下、エル・コレヒオ・デ・メヒコの田中道子先生に記念講演をいただき、シンポジウムも高山智博先生の司会で、新しい世代の研究者によるメキシコ研究の最前線を多面的にとりあげていただいた。参加者総数200名あまり。盛況のうちに終了した。あらためて、本大会にご尽力いただいた講演者・参加者の皆様、他の学会の開催とも重なったにもかかわらず、迷わず日本ラテンアメリカ学会を選んでいただいた会員諸氏、また、学会を「はしご」してまでもご参加くださった熱意ある皆さんにお礼を申し上げる。(大会準備委員長 加藤隆弘:南山大学)

第28回定期大会プログラム 28

記念講演

"Panorama de la relación bilateral México-Japón"
Su Excelencia señor Embajador Miguel Ruiz-Cabañas

要旨

ルイス‐カバーニャス大使の講演では、日本とメキシコの二国間関係について以下の6点が詳述された。講演の参加者は90名強で、フロアから2名の質問があった。

  1. 二国間関係の歴史:メキシコ(当時ヌエバ・エスパーニャ)と日本の公式の関係は1609年ロドリゴ・デ・ビベロの日本到着に始まり、1614年には支倉使節団がアカプルコに到着した。1888年にメキシコ大使館が開設され、1897年に榎本移民団がチアパスに到着した。
  2. 経済関係:日本からメキシコヘの輸出は2004年から急増し、直接投資も今年4月に98億4700万ドルに達した。日墨経済連携協定ではビジネス環境整備のための政府・民間の協力、ジョイントベンチャーの拡大などが盛込まれ、これに伴いアエロメヒコ、セメックス、グルーポ・モデロなどが日本市場に進出した。
  3. 政治・外交関係:両国の政府首脳レベルの交流も既に7~8回に及び、国連やOECDでも国連改革、地球環境聞題や人権、人間の安全保障、民主主義について議論されてきた。
  4. 文化関係:現在日墨政府交換留学制度に基づき相互に75名の奨学生に対して奨学金が支給されている。
  5. 観光開発:日本からメキシコを訪れる観光客は過去1年で10万人を超え、メキシコから日本への観光も2万6000人に達した。
  6. 戦略的関係:改めて両国を比較すれば、島国と大陸国、先進国と新興国、議会制民主制と連邦共和制といった相違がある一方で、米国との関係や国際貿易に占める比重、また民主主義や人権支援においては共に重要な地位を占めるという共通点もある。そして相互にアジア、ラテンアメリカ全体への足がかりとしてパートナーになるという相互補完的な重要性もある。

(安原毅:南山大学)

定期大会・研究発表

分科会1<文化人類学> 司会:杓谷茂樹(中部大学)

「文化人類学」を扱う本分科会は、ペルー南部の山地地帯の牧畜社会における社会変化に関する報告(烏塚)、大都市メキシコ市における青空市「ティアンギス」の調査報告(増山)、同じくメキシコの先住民農村における聖人崇拝に関する調査報告(小林)、そしてクリオヨ音楽を通した在日ペルー人の移民としての意識に関する考察(ロッシ)とバラエテイに富んだものとなった。今回、若手研究者が長期フィールドワークの実施という方法をとることで進めてきた研究の結果(あるいは経過)報告が相次いだことは、非常に評価できるものといえるだろう。また、生前愛知県に住み、一昨年に他界した作曲家ルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスの作品を議論の中心に据えたロッシ報告が、同じ愛知県の南山大学でなされたことは、とても意義のあることであったと思われる。

「土地区分政策とアンデス牧畜の現在―ベルー、クスコ県、ワイリャワイリャ村の事例より―」
烏塚あゆち(東海大学大学院研究生)

ワイリャワイリャ村はクスコ県・チュンビビルカス郡・リビタカ区に属し、標高4200m以上のプナ帯に位置するラクダ科動物を主とした専業牧畜社会である。かつて村の土地は共有されていたが、1997年に土地の使用権を成員に付与する土地区分政策が実施された。本発表では同政策の流れや区分の理由,不平等性、軋礫に関して村人の言説を交えて論じ、軋鞭が村人間の社会関係に根ざすものである事を明らかにした。区分以前は土地を共有、牧草地・家畜等の生産財を共同で使用し、相互扶助的労働交換(アイニ)を行う伝統的共同体として存在した村が、土地区分に基づき生産財を分割する事により、アイニが希薄化し村人が個別化した結果、「伝統的共同体」というかたちでは崩壊へと向かっているように思える。しかし、村の成員権を確認するアニベルサリオという新たな求心カが現れ、ワイリャワイリャは以前とは異なるかたちでの共同体を形成しつつある事を指摘した。

「『ティアンギス』と地域社会―メキシコ市大衆地区の青空市と人々のかかわりについての一考察―」
増山久美(拓殖大学非常勤講師)

メキシコには先スペイン期から続くティアンギスと呼ばれる青空市がある。近年、グローバル化、都市化の波はメキシコ市の大衆地区にまで押し寄せ、町は急速に発展しているが、そのなかでティアンギスは至る所に存在する。青空市をはじめ路上の物売りについては、貧困対策のための必要悪だという見方が強い。しかし・地域社会が発展を続ける今日にあって、彼らの経済生活の沈滞だけがティァンギスの存続と繁栄の理由というのでは説得力に欠ける。報告を通して結論をだすなら大衆地区の人々は、変転する全体社会に柔軟に対応しつつ、ティアンギスと相互に社会化を行うことでその性向は強化され、地域社会の結びつきは堅固になる。都市化とともに地域コミュニティの崩壊が危ぶまれる今日、調査対象地区の住民とテイアンギスの関係は、コミュニティのありかたとして一つの可能性を提示する。

「社会的動態としての聖人崇拝―メキシコ、ゲレロ州先住民農材の事例から―」
小林貴徳(神戸市外国語大学大学院)

発表者は、2006-07年の現地調査の報告として、メキシコの聖人崇拝を取り上げた。本報告では、メキシコにおける聖人崇拝の多様性を、社会的背景を如実に映し出す宗教的実践ではないかという研究枠組みに位置づける。そこで、ゲレロ州山岳高地部トラパネカ人村落における聖人崇拝の諸相を事例として提示した。トラコアパ村では、聖人の属性が変容していく過程(San Marcos崇拝)、新たな崇拝が始まる過程(San Judas Tadeo崇拝) という2つの事象が見出される。これら宗教的実践の背景には、120年以上前から続く農地紛争が2005年になって激化した経緯があり、紛争を解決しようと願う住人の要請に伴って、聖人の能力は変容し、新たな聖人崇拝が始まったのである。聖人崇拝に社会の問題が投影されている。本発表のねらいは、可変的であり柔軟性に富む聖人崇拝は、社会の動向を探るうえでひとつの指針とも、手掛かりともなり得るのではないかと提案することにあった。

Embrujo 『魅惑』:日本でクリオヨ音楽が流れる―音楽を通してペルー移民の実践を考える―」
エリカ・ロッシ(一橋大学大学院)

発表では、ペルー音楽の1つであるクリオヨ音楽[musica criolla]を取り上げた。このクリオヨ音楽を、在日ペルー人による「場所」の創造をもたらす一つの社会的実践と考え、この生成過程を、2006年7月30日に横浜で開催されたペルー独立記念日の記念祭(フィエスタ・パトリア)の事例を通じて考察した。考察の中では、移民の音楽的実践によって創られた場所への分析の提案として、ノスタルジアと反ノスタルジアに焦点を当てている。クリオヨ音楽はフィエスタ・パトリアの全体的流れの中で、ノスタルジアを想起させてペルー人としてのアイデンティティを再確認させる機能を果たしていたが、その言説に抵抗する反ノスタルジアも露わになった。二つの動きは共存しており、この考察を通して浮上したのは、故郷の郷愁に耽っている移民の姿はなく、積極的に日本という現在において自らの存在を主張する移民の姿である。

分科会2<文化>  司会:浅香幸枝(南山大学)

本分科会では4本の報告が予定されていた。第1報告は報告者の入院により急遽紙面での参加となった。第2報告は映像も使用した報告であり、かつ第3・4報告は博士論文を基にした報告であった。各報告者には一人20分報告後20分の質疑応答、合計40分の時間配分とした。ただし、せっかくの内容を伝えるために30分までは延長して報告してもよいということにした。報告テーマに合わせて参加者も入れ替わりがあったが、各20名ほどの参加があった。各報告に対して、専門分野からの質問がなされ有意義な会となった。各報告者の報告要旨は以下のとおりである。

「ビジャ・エルサルバドルのある拡大家族」
原田金一郎(大阪経済法科大学)

当日参加者に「ペルーのビジャ・エルサルバドル:工業団地とミクロエ業化」『経済研究年報』第26号と「ビジャ・エルサルバドルのある拡大家族:貧困の経済学試論」『大阪経済法科大学経済学論集』策30巻1号が配布された。

「20世紀アルゼンチンにおける伝統主義運動とダンス」
長野太郎(清泉女子大学)

本報告では、民俗舞踊実践を主軸とし、20世紀アルゼンチンにおける伝統主義運動の展開を辿った。報告者はアルゼンチン伝統主義運動をパンパ地域を中心とした第1期、地方を巻き込んだ第2期、アマチュアによるダンス実践活発化および民俗舞踊の標準化への動きが見られる第3期に時期区分し、それぞれの時期の社会背景に考察を加えた。第1期にはパンパの社会変動を背景として、「ガウチョ」のシンボルが支配層のヘゲモニー確保手段として固定化された。続く第2期には中央による地方伝統の発見や、伝統主義と教育の接近が進行した。第3期にはパンパを中心とする中産階層の成長を背景に、アマチュアのダンス運動が明確な形をとる。マニュアルや雑誌などを通じて民俗舞踊の標準化が図られた。その後、商業的ブームの到来、軍政下の抑圧、民政移管後の革新運動などを経て、民俗舞踊実践は多様化し、伝統主義に異議を申し立てる流れも包含した形で今日に至る。

「革命キューバの民族誌的研究について:ボスト・ユートピアの希望を謂るために」
田沼幸子(大阪大学)

本発表は、キューバの平和時の非常期間(1990年~)を生きる人々が、自分たちの置かれた状況をどう語っているのか、その語り口を損なうことなく人類学的に語り直す試みである。先行研究では、(ユ)現政権を「全体主義」と非難し、革命の目標は達成しえない、というシニカルな論調か、(2)グローバリゼーションに対抗し続ける英雄的な試みとして讃える論調が大半を占めてきた。両者とも、キューバ人の問にも様々な意見があることを看過する点において、全体論的であり、かつ、革命支持の仕方にも、アイロニカルなものがあることを見過ごしてしまう。発表では革命前後の富と「仕事」に対する価値観の変遷を言語論的に追うことによって、革命家を椰楡する小咄を語る人々が、実は革命的価値観を内面化していることを指摘した。一方で、そうした人々は、身内が資本主義的商売によって得る現金収入に経済的には依存して生活していることを指摘した。

「エンパワーメントの概念から見る母性の変容:トランスナショナルな移動を経験するミステカ出身女性の事例から」
浅倉寛子(お茶の水女子大学)

1980年代以降、米墨間を往来するメキシコ人移動者の数は飛躍的に増大し、移動者たちは出身地との密接な紐帯を保ちながら、複雑なトランスナショナルな移動回路やコミュニティを構築している。それを背景に、トランスナショナルな移動は、両国政府や市民団体によって頻繁に議論されるようになり、社会科学の分野においてもさまざまな視点から研究が行われるようになった。本報告では、ミステカ・オアハケーニャ出身女性の事例をもとに、トランスナショナルな移動を経験する過程で引き起こされる母性に関する実践と表象の変化を、エンパワーメントの概念を用いて考察した。エンパワーメントを、「状況」、「内面」、「社会的地位」の3つの次元に区別し分析することで、この過程が必ずしも一方向的で段階的行程をたどるのではなく、時には逆説的な行為を生み出したり、ディスエンパワーメントにすらつながる可能性も有する螺旋的過程であることを提示した。

分科会3<文化政策>  司会:牛田千鶴(南山大学)

本分科会では、3つの異なる国々の文化政策を事例に報告が行われた。生月亘会員による第一報告では、エクアドルの異文化問・二言語教育に関し、先住民のアイデンテイテイ保持の面での成果は認められるものの、経済的自立には程遠く、出稼ぎを余儀なくされて共同体意識も低下しているといった現状が明らかにされた。また池田光穂会員による第二報告では、文化顕示という概念を用いつつ、殖民国家としてのグアテマラの歴史的特質や先住民の置かれてきた状況に関し、言語使用やバイリンガル教育を中心として刺激的な分析が行われた。さらに片桐瑞希会員による第三報告では、メキシコにおけるインターカルチュラル政策の史的展開に触れるとともに、グローバル化や先住民運動を背景とする新たな政策が進行する中、社会階層間・民族間での関係性の変化が今後の課題であるとの指摘がなされた。3報告とも非常に興味深い内容で、約30名の参加者とも活発な質疑応答・議論が交わされ大変充実した分科会となった。

「植民国家における先住民の文化顕示(1):エクアドル先住民の異文化間・二言語教育について」
生月亘(関西外国語大学短期大学部)

本発表では、エクアドル先住民の「異文化間・二言語教育」に見られる「先住民性」の主張とその変容について文化人類学的視点からその考察を試みた。「異文化間・二言語教育」は、先住民の文化復興とエクアドル社会における多元社会建設を理想に推進されてきた。しかしながら、急速に進む世界経済のグローバル化の中で、「異文化間・二言語教育」の役割も、彼らの「先住民性」の主張も変容せざるを得ないのが現状である。その「先住民性」の主張の変容を考察するために、本発表では「異文化間・二言語教育」の核となる①「interculturalidad」という概念の変容を考察し、②グローバル化が「異文化間・二言語教育」の活動にもたらす影響の分析を行った。現実には「先住民性」を主張しながら十分な経済的自立を図ることは難しい。そのような状況下で「異文化間・二言語教育」がどのように彼らの発展に寄与できるのか、今後の課題として継続的に調査が必要であろう。

「植民国家における先住民の文化顕示(2):グアテマラの先住民言語と社会のダイナミズム」
池田光穂(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)

本発表では、グアテマラ共和国の多数派を占めるマヤ系先住民が文化遺産としての言語をどのように救済し、復興してきたのかについて俯瞰し、先住民、植民国家、言語学者の社会的関与に関してそれぞれの立場の視点から考察を加えた。とくに現代マヤ言語の新しい表記法を提案した先住民知識人の活動が、北米言語学者たちとの協働により〈実証科学としての言語学〉と〈文化復興的な言語忠誠運動〉が両立併存し、やがて希有な社会的運動として結実するという過程を詳しく追った。1996年末の内戦の和平合意後においては、グアテマラが民主国家化するための要件として多民族・多言語・多文化性の承認とともに・バイリンガル教育において提供側と受け手側では微妙にその政治的主張の齟齬が生じていった。最後に文化顕示(heritage work)がグローバル化した世界のローカルな文脈のなかで多様な政治実践になりうる可能性とその限界[=予測不能性]について示唆した。

「メキシコのインターカルチュラル政策―理念と実際―」
片桐瑞季(筑波大学大学院)

本報告では、メキシコにおけるインターカルチュラル政策を言語政策の推移を通して、理念と実際の面から追った。この「インターカルチュラル」とは、文化間の関係性において相互変容が生じ、新しい文化が創出されることである。現在に至る言語政策の変化の結果、インターカルチュラル政策では、法の整備、教育における名称の変更、政策実施機関の創設という政策レベルの新しい変化があった。この政策の評価できる点には、先住民がスペイン語やメスティーソ文化を習得するという域を出なかった二言語教育に、初めてメステイーソが先住民の文化・言語という異なるものを学ぶという意味が付加され、メスティーソと先住民の相互の関係性の構築に目が向けられたことを挙げることができる。しかし、差別構造や力関係が残る中で現実的にはいかなる関係を作りえるのか、相互作用はどのようになるのかという課題を残している。

分科会4<政治> 司会:小池康弘(愛知県立大学)

5名の会員から、いずれも意欲的な発表がなされ、時間が足りなかったことが悔やまれる(敬称略)。
山本悦子(名古屋大学大学院)「2006年大統領選挙から見るメキシコの問題点」は、史上稀に見る僅差で争った2006年メキシコ大統領選挙を取り上げ、各種のデータを根拠に「メキシコ社会を二分し亀裂を深めた選挙」と評されたが、潜在的にあった問題点が顕在化したのであり、亀裂が深まったとは言えないと結論付けた。フロアからは、各党の票の動きの分析や個別の州の投票動向をさらに詳細に分析すべきであるといった指摘もあり、会員の関心の高さをうかがわせた。
渡辺暁(慶応大学非常勤講師)「「民主化」後のメキシコ政治:ユカタンの事例より」は「メキシコ地方政治の現状」と題して、去る5月20日のユカタン州知事選挙についての報告が行われた。PAN優位の予想を覆してPRIが返り咲いた要因を指摘し、同時に、選挙のあり方そのものの変化、一定の共通認識が確立しつつあるとの印象が述べられた。
舟木律子(神戸大学大学院)「地方分権改革が住民の政治参加に及ぼした影響と左派の台頭―ボリビア、エルトルノ市を事例に―」は、ボリビアの地方分権改革が住民の政治参加に与えた影響について、サンタクルス県エルトルノ市の事例をもとに報告した。1994年「大衆参加法」以降の財源・行政権限の移譲、住民参加の制度化によって、住民の政治参加のあり方が変化したことが確認され、左派台頭の背景との関連性が指摘された。
佐藤美由紀(杏林大学)は、「ブラジル憲法における刑事裁判諸原則」と題し、最近注目を集めたブラジルの自国民引渡し禁止や代理処罰制度について報告した。刑事訴訟の大きな枠組みとして憲法上の刑事裁判諸原則に目を向け、適正手続保障原則、被拘禁者の身柄の保障規定、私訴、公判原則など各内容の特徴について検討し、内包する様々な問題点を明らかにした。
ロメロ・ホシノ・イサミ(東京大学大学院)の報告"El lugar Belice dentro dela política exterior de México: una reflexión histórica"は、歴史的視点からメキシコ対外政策の中でのベリーズの位置づけを試みたものである。米墨関係だけに目が奪われがちなメキシコの対外関係であるが、対グアテマラ関係をにらみながらの独自外交の一端が明らかにされた。

分科会5<植民地時代> 司会:田中敬一(愛知県立大学)

分科会5では、植民地時代について4名の会員から報告があった。会場はほぼ満員となり、活発な質疑応答が見られた(出席者、約40名)。長尾会員の報告では、スクリーンに映し出された図像の申、Tierra del Fuegoとヨーロッパの表象を比較対照し、文字資料では読みとれないヨーロッパ人の他者表象態度を明らかにした。小山会員の発表では、資料の出典や、作者の出自について質問が出た。ミタ制導入後カピタンに就任したクラカが、様々な方法で共同体の権威者として留まった経緯はとても興味深い。敦賀会員の報告では、分析の対象となったピピル語文書の筆者や、ナウァトル語との記述上の違いについて質間が出た。また同氏の、メソアメリカにおけるナウァ語(ピピル語)の役割についての考察は説得力があった。乗会員は、イベリア半島を追われたユダヤ人が新大陸(ブラジル)で着実に経済基盤を築いた過程を、図版や統計資料を用いて分かりやすく説明した。歴史の表舞台に登場しないユダヤ人の興味深い一面を知ることができた。

植民地期南米を巡る他者表象に関する一考察―図像資料へのアプローチ―」
長尾直洋(京都外国語大学大学院生)

本報告は、植民地期南米に対してヨーロッパ世界が向けた先住民表象の多元性を示す一環として、16世紀におけるパタゴニア地方及びテイエラ・デル・フエゴの先住民族(Fuegian)に対してなされた他者表象態度を明らかにするものである。報告内では、当時のヨーロッパ世界へと南米諸情報を伝えた有力な情報源である図像資料を用いて、南米先住民表象の典型及びFuegian表象に見られる諸要素を抽出、比較した。その緒果、Fuegian表象には南米先住民表象の典型とされる諸要素(裸・弓矢=野蛮性・自然性)と共に、従来の先住民表象には表れることのなかった諸要素(巨人性・髭=超自然性・文明性)が付与されていることが明らかとなった。当時の南米先住民が自然の領域に属されていたのに対し、これらの要素が付与されたFuegianは、白然の側と共に文明の側にも足を掛ける、半自然的な領域に属する存在として表象されていたといえる。

「ポトシ鉱山労働と先住民社会の変容に関する一考察―先住民指導者クラカ層の動態を中心に―」
小山朋子(大阪外国語大学非常勤講師)

ポトシ鉱山への労働者供出を義務付けられた地域からは、カピタン・デ・ミタが選出され、労働者と各村の代表者を率いて統轄する義務を負った。カピタン就任には、労働者の欠員補填義務が伴うため、カピタンは、本来のヒエラルキーではなく、経済カも考慮して選出された。しかし、共同体の成員から求められたのは、伝統的習慣を守る、“本来の"クラカであった。本発表では、16世紀から17世紀前半、植民地行政府から与えられた地位にかかわらず、クラカには、伝統的要素が求められた例を示した。さらに、農場経営やポトシでの商いなどで経済的に成功し、その資金をもとに共同体を存続させたクラカについては、彼らの権威のあり方を理解するために植民地行政府や教会との関係だけではなく、共同体内部の統治、つまり、一般先住民との関係をも研究することの必要性を提起した。

「多言語社会の中米におけるナウァ系言語の役割―17世紀エル・サルバドルのピピル語文書を中心とする分析から―」
敦賀公子(慶應義塾大学非常勤講師)

多言語社会の中米において、ナウァ系言語は、先スペイン期から植民地時代に至るまで、「リンガ・フランカ(共通語、通用語)」を形成する言語として用いられてきた。本報告では、エル・サルバドル、サンタ・アナ市カテドラル所蔵の、1666年リベラ司教の名において、その地域土着のナウァ系言語であるピピル語で記された「サンタ・ベラクルスのコフラデイアに対する訓令」を取り上げ、植民地統治下で、スペイン語が先住民語にとって変わる移行期のリンガ・フランカの役割について考察した。特に、植氏地統治機構、教会、行政単位などに関するスペイン語からの借用語やスペイン語文法との混成などの具体的な用例を示した。その当時、反乱の絶えないマヤの人々を統治する上にも、このナウァ系言語は伸介言語として機能していたが、一方、ナウァ系言語を母語とする先住民らは、他の先住民から見れば、いち早く「ラディーノ化」した先住民であったとも言える。

「植民地ブラジルのユダヤ教徒―大西洋貿易と異端審問をめぐって―」
乗浩子

ブラジルに離散したユダヤ教徒(新キリスト教徒)はブラジル木と砂糖の開発を任され、16世紀前半のオランダ占領期に短い黄金時代を迎えた。砂糖・奴隷・金を主要商晶とする大西洋貿易において、新キリスト教徒は家族と共同体のネットワークを駆使してかなりの成功を収めた。ポルトガルはブラジルに異端審問所を設置せず、当初は流刑地とし、次いで「かくれユダヤ人」を本国に送還した。弾圧は18世紀の金の時代に強化される。啓蒙思想に傾倒する新キリスト教徒の秘密結社は金の道を辿り、独立に向かう。ヨーロッパとは異なるエスニック環境の申で、ユダヤ教徒は先住民と黒人を使役・売買もする白人エリートだった。しかし圧倒的なカトリック世界における宗教的マイノリティの存在意義を示唆している。

分科会6<社会> 司会:水戸博之(名古屋大学)

司会者は「社会」を分野とする分科会を担当したのであるが、残念ながら、各報告について専門的に論評する能力を有していない。本分科会全体について、司会者に何か言及できることがあるとするならば、常にラテンアメリカ・カリブ圏の社会に内在する一種の相互に異質な不連続性といったものを、改めて認識したということである。すなわち、思想といった抽象的な次元をはじめ、社会的権利獲得運動の根拠を歴史性に求めようとする共同体、さらには、個人の身体性の段階においても、時に意外な様相で突然発現するような、統合も消化もなされない何かが依然として存続しているのである。この不連続性が、克服されるべき過去の負の遺産に過ぎないのか、社会に緊張を生み出すとともに活力の源泉ともなりうるのか、答えを見出すことは容易ではない。
なお、司会者の判断で分科会の時間帯を3等分にし、各報告者の自由な持ち時問とした。いずれの報告も割り当ての40分を有効に活用し、質疑応答、コメント等も活発に行われ、充実した内容の分科会であった。

「ニコラス・ギジェンは黒いオルフェか?―ギジェンの『黒人主義』について、ラングストン・ヒューズの『影響』とエメ・セゼールのネグリチュードとの比較考察―」
安保寛尚(大阪外国語大学非常勤講師)

本発表では、ギジェンの初期の「黒人主義」について、ヒューズによる「影響」の真偽を検討しながらその思想を明らかにし、サルトルが黒いオルフェと例えたネグリチュードの詩人の態度が、果たしてギジェンのそれと重なるものであるのか、セゼールとの比較において論じた。Motivos de son(1930)におけるヒューズの「影響」に関する考察では、そこに表されている黒人やムラートのピカレスクな美学や口語表現が、むしろ民衆音楽家ロセンド・ルイスから直接的影響を受けていることを指摘した。また、ギジェンの「黒人主義」の立場は、白人との断絶ではなく、両人種が結合し新たなアイデンティテイの生成へと向かうクレオール主義的なものであり、セゼールの神話的アフリカヘの回帰を足場とした、白人に対する不寛容の姿勢とは大きな隔たりがある。ギジェンはいわばムラートのオルフェとして、黒人の魂エウリュデイケーとの抱擁を果たすのである。

「lLO第169号条約と逃亡奴隷の先住性をめぐる考察――ガリフナの事例を中心にして―」
金澤直也(東京大学大学院)

本報告では、ホンジュラスの黒人組織が「土着民」を名のり、先住民族の権利を擁護する国際法であるILO第169号条約に依拠して、共同体の土地所有権を政府に請願する運動戦略を分析した。その結果、黒人組織は「土着民」を名のることで、政治経済力のある先住民組織と連帯し、より大きな社会的影響力を行使していた実態が浮き彫りになった。ILO第169号条約は、国家の独立以前から領土にいた人びとを先住民族と定義する。1797年にホンジュラスに上陸した逃亡奴隷ガリフナは、1821年のホンジュラス独立以前から領土に居住していた。そのため、IL0第169号条約によると、逃亡奴隷ガリフナは先住民族として共同体の土地所有権をもつと主張されていた。ILO第169号条約に基づく黒人組織の主張に対し、政府は、共同体の土地所有権を認めた。このように植民地時代から領土に居住する逃亡奴隷の共同体として、共同体の歴史を文書で証明できる黒人共同体だけが、中南米で土地所有権の認定に成功している。

「変容する社会関係、浮上する『身体』―コスタリカ先住民ブリブリの『シナ(sinà)』の事例から―」
茅根美保(お茶の水女子大学)

母系親族により形成されるブリブリ・サリトレテリトリー(以下サリトレ)にみられる「シナ」とその治療法について論じた。シナは、生後1,2週問の乳児が必ず罹ると考えられ母方祖母が薬草を用い治療することが強調される病気である。発表では、シナとその治療は、母系の繋がりが希薄化しているサリトレにおいて母系の繋がりを再確認し強調する実践となっていること、シナの語り方には「ここの人は罹る」という顔の見える関係と「ブリブリ/先住民が罹る」という摘象的なカテゴリーに基づく二つの語り方があることを明らかにした。抽象的なカテゴリーでシナを語る人の間では、母系の繋がりではブリブリと見なされない人がシナに罹ることやブリブリの薬草を使用し治癒することで「ブリブリ」の身体であることを主張する根拠となる。抽象的なカテゴリーで語られるシナとその治療は、サリトレに暮らす多様な人々を「ブリブリ」という身体に埋め込む行為となっている可能性を指摘した。

バネルA「米国におけるヒスパニック/ラティーノの階層分化と意識変化」
コーディネーター: 小池康弘(愛知県立大学)

コーディネーターも報告をするので司会を牛田千鶴(南山大学)にお願いし、以下4名の報告が行われた(敬称略)。桑野真紀(一橋大学大学院)の発表「『白人中心主義』への対抗としての『チカーノ/ナ・スタディーズ』一その設立と論争から大学知識人層のチカーノ/ナ史を探る―」では、ラテイーノ/ヒスパニックのなかでも知識人階層の人びとが作ってきた歴史を追い、「白人中心主義」を乗り超えようとする彼らの試みについて考察した。「チカーノ/ナ」という表現や呼称に関する最近の潮流について、米国と違いメキシコ以南の国々の文脈で多文化主義について議論をする困難さなどについて質疑がなされた。中川正紀(フェリス女学院大学)「南カリフォルニア地域におけるラティーノ住民の階層分化と移民観に関する一考察」は、実地調査予定のロサンゼルス南東地区の歴史と現状について、1920年代から80年代の産業の空洞化と再編、人口移動、労働運動や市民運動との関連性も踏まえて報告した。フロアーからは、出身国による人種的態度の違いを軽視していているのではとの指摘があった。北條ゆかり(摂南大学)「国際労働移動のジェンダー分析―米国へのメキシコ移民を手がかりに―」は、フェミニスト労働分析やグローバリゼーション研究・国際人権レジーム運動等に立脚して1970年代以降活発化してきた移民労働のジェンダー分析を踏まえ、近年の米国へのメキシコ移民急増問題の中でとりわけ「女性化」に着目し、米墨共同研究の成果であるエスノサーヴェイをもとに「女性移民」というカテゴリーを一旦解体し、重層的・立体的に捉えるこことの重要性が指摘された。小池康弘 (愛知県立大学)「キューバ系移民の政治意識の多様化をどう見るか」は、フロリダ国際大学が最近発表したキューバ系移民の意識調査および過去の調査結果を手がかりに、移民時期と政治意識の関係性を説明するとともに、共和党支持の一方で、政治的選好は民主党に近い市民が増えているなど、近年の政治意識の変容を明らかにした。

バネルB 「ウリベ政権下コロンビアの政治・社会変動」
コーディネーター:二村久則(名古屋大学)

昨年来「ラテンアメリカの左傾化」が喧伝されるなか、域内主要国の一つであるコロンビアでは親米右派のウリベ大統領が危なげなく再選され、地域の政治的潮流に反するかのごとき様相をみせている。本学会では初めてまとまった形でコロンビアの現在を取り上げる本パネルは、他の諸国とは一線を画すかに見えるこの国の状況を政治、経済、社会のそれぞれの側面から掘り下げて、現代ラテンアメリカの包括的理解の一助にしようとすることを狙いとした。各報告者による発表要旨は以下のとおりである。千代勇一会員の報告「ウリベ政権下における和平プロセスから見たバラミリタリズム」は、ウリベ政権下における和平プロセスの動向は、交渉による右翼民兵組織パラミリタリー・グループ(「パラ」)の解体と、左翼ゲリラFARC,ELNとの和平プロセス開始の難航、とまとめることがきる。発表ではウリベ政権下における左翼ゲリラおよび「パラ」の和平プロセスをめぐる動向を比較し、コロンビアにおけるパラミリタリズムについて考察した。桑原小百合会員の報告「経済復調の背景と今後の課題」は、90年代後半に停滞したコロンビア経済は、第1次ウリベ政権下で顕著な改善を見せた。その要因は、①国内治安の改善にともなう投資・消費マインドの回復、②国内制度改革・構造改革の進展・③03年以降の世界経済の順調な拡大、国際商品価格の上昇、資金流入など良好な外部環境、である。このうち③は第2次ウリベ政権下でも大きく悪化する可能性は小さいので、中期的にコロンビアの経済発展の鍵となるのは、治安および財政構造改革の進展であることを指摘した。幡谷則子会員の報告「ウリベ政権期の社会問題―10P(国内避難民)問題と民衆主導の和平運動―」は、第2次ウリベ政権への課題の一つとして残されたIDP(Intemally Displaced People)問題について、IDP対策費の3倍増、大統領府直轄のA㏄ión Socialによる国連難民高等弁務官 (UNHCR)など国際機関との連携、大都市行政機関への対応部署整備など、緊急人道支援以後の定住化、経済自立化プログラムなどの支援政策の充実がはかられてきたが、これでは対応しきれないIDPの現状を指摘し、地域に立脚した和平構築の方向性について展望した。

バネルC「中央アンデスにおける死の表象」
コーディネーター:加藤隆浩(南山大学)

本パネルでは、中央アンデス・ペルーの死の表象焦点を合わせ、その歴史的連続性をたどると同時にその諸相を提示した。「先スペイン期アンデスにおける埋葬形態に関する一考察」(渡部森哉:南山大学)は、アンデス的特徴の一つの表象として墓を取り上げ考察した。インカ期アンデス高地に広く認められるチュルパと呼ばれる地上墳墓は、複数のミイラを安置する集合墓である。発表者は2006年にペルー北部高地カハマルカ地方のヘケテペケ川流域に位置するパレドネス遺跡で、カハマルカ中期B(A.D.700-900)の5基のチュルパを発掘し、その結果をもとに、ワリ国家の支配下で人間集団が移動させられ、チュルパがペルー北部高地に広く分布することになったと現在のところ考えられると主張した。「中央アンデスの2つの他界観」(加藤隆浩:南山大学)は、当該地域にはカトリックの枠組みのなかで組み立てられた冥界と、土着文化に根ざすものとの二つの系統があると指摘する一方で、両者が、現世での人間のあり方の結果としてあの世での生活が決定されるという説明原理を共有することを明らかにした。その際、あの世はこの世の逆転形として現れ、他界観はこの世での交換体系の帳尻合わせとしての意味をもつと緒論づけた。「民族誌的画像資料に見る中央アンデスの死生観―幼児埋葬儀礼WawaPampay を手がかりとして」(河邊真次:三重大学非常勤講師)では、ペルー中部アヤクチョ県の農牧民社会に見られた幼児の埋葬儀礼の実践状況を、ペルーの民衆芸術「サルワの板絵」と「友枝啓泰アンデス民族学画像コレクション」中の画像資料を用いて再構成し、20世紀後半における同儀礼の通時的・空間的連続性を指摘した。また、儀礼の背後にある民俗的死生観を諸民族誌記述に基づいて分析し、洗礼の有無が幼児の霊魂を分類し意味づけることを明らかにし、併せて幼児の死の社会的意味を考察し、将来の親の経済的負担の軽減という経済的側面との関連についても言及した。

バネルD「ラテンアメリカの一次産品輸出産業の新展開」
コーディネーター:星野妙子(アジア経済研究所)

近年のラテンアメリカ経済の重要な変化に一次産品輸出の拡大がある。本パネルでは5人の報告者が、専門とする国の新しい特徴を示す一次産品輸出産業を取り上げ、輸出拡大の実態とその背景を報告した。小池洋一(立命館大学)は「ブラジルの大豆産業:アグリビジネスの持続性と条件」と題し、政府の育成策や中国市場拡大などの成長要因、多国籍穀物メジャーを核とする大豆産業コンプレックスの問題点、環境をはじめとする成長の諸制約について論じた。新木秀和(神奈川大学)は「エクアドルのバナナ産業における新しい動向」と題し、自国通貨のドル化やEUの保護主義的なバナナ輸入政策など内外環境の変化の下で、エクアドル・バナナ産業において、新興輸出企業の台頭や新たな輸出市場の開拓など新しい動きが見られることを報告した。清水達也(アジア経済研究所)は「ペルーのアスパラガス:輸出の拡大と担い手の交代」と題し、ペルーのアスパラガス輸出の急成長の要因を、需要の変化に応じた缶詰から生鮮品への輸出晶の転換、それに伴う担い手の小農から垂直統合企業への交代という観点から報告した。北野浩一(同)は「チリの紙・パルプ産業1垂直統合による競争優位の獲得」と題しチリの林産品輸出が急速に伸びた背景を、主要な紙・パルプ企業2社に焦点を当て事業の垂直的統合という観点から論じた。星野妙子 (同)は「貿易自由化時代におけるメキシコ豚肉産業の生き残り戦略」と題し、NAFTA発効後の米国からの輸入急増による中小生産者の淘汰、垂直統合を遂げた大企業の台頭、大企業の高付加価値産晶の輸出を挺子にした競争戦略について論じた。報告後、一次産品輸出の持続可能性、他国の事例との比較などの点について質疑応答がなされた。

パネルE「現代ブラジル主要都市における低所得者層共同体比較研究」
コーディネーター:住田育法(京都外国語大学)

2006年に中道左派の労働者党ルーラが再選され、改めてブラジルの社会改革と発展への期待が高まっている。私たちは、都市の中の低所得者層共同体(ファヴェーラ)に焦点を絞ることによって、その社会の実情をより鮮明に理解できると考えた。この視座から、コーディネーター兼司会の進行により4名が研コメンテーター(小池洋一)の丁寧な質問に対して各発表者が回答し、熱心な意見交換がなされた。山崎圭一「ブラジル諸都市の住宅財政の近年の動向」では、住宅問題への公共部門の対応について、(ユ)都市財政の全国的動向や連邦政府・地方自治体間の行財政関係論と、(2)FGTS(勤務年限保障基金)を原資とする財政投融資を活用した住宅供給制度が考察された。住宅供給実績が不十分に終わった要因と今後の展望が経済学から報告された奥田若莱「社会の暗部か、中心か―ブラジル低所得者層の経済活動と活動地域の変化」は、人類学的視点からの現地調査によって得られた事例を基に、社会の暗部、停滞として表現されることの多い低所得者層の日常の活発性、社会上昇の可能性、そしてブラジル全土を領域とする経済活動、北東部を中心とするインフォーマルな経済活動の変化を論じた。近藤エジソン謙二「警察と麻薬商人の抑圧、政府や非営利団体や宗教団体などの混同する支援の狭間で活躍するリオデジャネイロ・スラム街のヒーロー達」では、共同体の外の住民による偏見や様々な困難に立ち向かいながら、公共的な参加空問の再現などに取り組む「ヒーローたち」の例を基に、共同体内部の視点から、貧困層自らの諸問題への打開策まで、幅広く考察した。萩原八郎「インターネットを通じたファヴェーラ研究の可能性と限界」は、インターネットのウェブサイトなどからの情報収集に焦点を当てて、その可能性と限界について考察した。今後さらに、現地調査とインターネットの調査を活用したファヴェーラ研究が進められるであろう。

バネルF「多文化共生の諸相:ラテンアメリカと日本の日系ラテンアメリカ人社会の事例から」
コーディネーター:浅香幸枝(南山大学)

本パネルでは、愛知県のペルー人社会における定住化に伴う多文化共生の試み、移往者受け入れの先進地域であったアルゼンチンの最近の多文化共生の状況、日本における1990年以降の多文化共生政策と課題を今回の議題としている。3つの報告を受けて、フロアとともに多文化共生の諸相の事例を含めて、議論した。当日は約50名の参加者を得た。このテーマヘの熱い関心ならびに実際に活動に携わっている人々や在日外国人の生の声が披露された。参加して下さった方々にお礼申し上げる。多文化共生に向けて実質的に可能な政策は何なのか具体的に討論できた。パネル報告者の要旨は以下のとおりである。寺澤宏美(名古屋大学大学院)「在日日系ペルー人の情報収集:『外国人相談』の事例から」によればペルー国籍の外国人登録者数は、1988年の864人から2005年末の57,728人へと17年間で約67借となっている。また2005年末には初めて「永住者」が「定住者」を上回った。一定期間働いて帰国するつもりの「デカセギ=短期滞在者」は、家族の呼び寄せ・結婚などにともない滞日を長期化させて「外国籍住民」として各自治体に居住している。出産、育児・教育などライフサイクルの変化にしたがって必要となる情報を、日系ペルー人たちはどのように収集しているのか。一方、彼らを受け入れる各自治体では、外国籍住民の増加に対応するため多言語によるさまざまなサービスを試行錯誤しながら提供している。「外国人相談」はその一例であり、統計資料見られる利用者数や相談内容の変遷から、外国籍住民の求める情報に変化があることがうかがえる。寺沢報告は日系ペルー人が求める情報の変化とその要因を説明し、彼らの日本の生活への適応の過程、それを助ける受け入れ側の自治体の取り組みが、今後どのように多文化共生に結びつくかを考察したものといえよう。アルベルト松本(補奈川大学非常勤講師)の「アルゼンチンの多文化共生:『多人種のるつぼ』に含まれていなかった隣国移民に関する一考察」によると、アルゼンチンは移民の国として、それも「多人種のるつぼ」として南ヨーロッパをはじめ、欧州や他地域の移民を多く導入して国づくりをしてきた国であ乱移民の活力とその子孫の新しいアイデンテイテイづくりによって「アルゼンチン固有の移民による社会」を築いてきたと言える。初期の大量移民構造を見る限りアメリカ合衆国やオーストラリアのケースに類似しているとも言えるが、アルゼンチンの移民政策もその時代の産業構造や経済発展状況、世界や隣国の経済的・政治的情勢に影響されてきた。いずれにしても、19世紀末から今日まで継続して人口の2~3%そして現在外国人の6割以上を占めるのは隣国移民であるにもかかわらず、アルゼンチン社会がこれまで誇ってきた「多人種のるつぼ」にはあまり積極的に含めてこなかったという指摘もある。同じ言語圏からの移民でも文化的・社会的、そして制度的背景が異なると共存・共生は容易ではなく、日本で議論されている「多文化共生」にも少なからず参考にできる要素がある。あまり安易に多文化の違いを強調し過ぎると共存が遠退き、排斥や偏見が逆に助長されてしまうという教訓も見え隠れする。浅香幸枝 (南山大学)「日本の多文化共生政策と課題」が思うに、2007年4月時点で、日本政府の統一した多文化共生政策は存在しない。外国人集住都市で実際の外国人労働者受け入れの過程で・現場から共生政策が作り出されているのが現状である。今年度から総務省は地方自治体の外国人施策にかかった費用を特別交付税の対象にした。「在留外国人急増対策」の項目を追加し、約70市町村が対象となった。2006年度『外交青書』では、第4章「国際社会で活躍する日本人と外交の役割」の第4節「交流の促進と治安対策、在日外国人問題」を1頁で取り上げている。ソフトパワーとしての海外の日系人を2005年度の『外交青書』で取り上げていただけに意外である。「入管法の改正以降、日系ブラジル人を中心とした定住者受け入れに伴って、社会保険への未加入、本人及び家族の日本語教育、青少年犯罪の増加、地域社会との摩擦等の問題が顕在化し、集住都市の負担が増大している」(『外交青書』2006年、244頁)ことを在日外国人問題としている。定住化の進行により、集住都市の産業の成長に欠くことのできない外国人労働者問題を、多文化共生という立場から、国レベル・集住都市レベルで出された政策を比較検討して、今後の課題を示した。

シンボジウム「メキシコに関する最近の研究の動向」 司会:高山智博(上智大学)

基調講演
田中道子(エル・コレヒオ・デ・メヒコ)
「日本とメキシコ:文化交流の多様性と可能性」

田中教授によればメキシコとは、制度的にも社会的にも複雑な国といえる。同氏は1968年学生運動に対する強権的弾圧から、メキシコを同時代的に生きてきた。1985年9月メキシコ市の大地震に際しての、政府の無能さと対照的な市民の組織化が、制度的革命党の一党独裁体制に襖を打ち込んだ。こうした歴史の中で、エル・コレヒオ・
デ・メヒコ大学はリベラルな校風を守ってきた。同校の校風とは、スペイン市民戦争に敗れた共和国側の亡命知識人らが設立した研究所を起源とすることにも由来する。コレヒオの日本研究は1964年に設立された日本東洋学センターの修士課程に始まる。1997年から2003年までに同コースも拡大されて博士課程も開かれた。今回のテーマである文化とは、「一定の地域と時問の枠で成立し、総体的に持続・反復する、人と人、人と環境の関係性とその表象」と定義される。そして文化交流とは研究者や情報手段を媒介として伝えられるので、そこには研究者が受け止める社会的要請が反映される。従って外国研究には、時代の社会的インタレストを反映できる研究者が望まれるので、最初から一定の知識や語学能力を要求していては本当に望まれる日本研究はできなくなる。その上で外国文化の研究においては、ステレオタイプ化されたイメージを再検討し多元的見方を示すことが必要となるので、文化の解釈の選択肢を広げるために歴史や社会の基礎知識と同時に語学教育も必要となる。そして伝達される文化を受け入れる側の制約によっても様々のずれや誤解がありうるが、それらも認められる多元的・多文化的状況が好ましいといえる。同講演の参加者は90名強で、終了後恒川会員から質問があった。(安原毅:南山大学)

司会者による序言(高山智博)

今年はメキシコ市と名古屋市との姉妹都市提携30周年に当たる。本大会が名古屋市で開催されることもあり、これを記念するイベントとして、「メキシコ」をシンポジウムのテーマにとりあげることになった。またこの国を研究の対象とする、あるいは関心をもつ会員がかなり多いこともこのテーマを選んだ理由の一つである。日本でのメキシコヘの関心は1950年代からはじまるといえるが、当初は考古学や文化人類学に関する研究が主なものであった。それは従来わが国では殆ど知られていなかったメソアメリカの古代文明、そしてそれらをつくった人々の末商である先住民文化に集中していた。その他、メキシコ革命以後の壁画運動に魅了される者も少なくなかった。まだ敗戦の傷跡が残る当時の日本では、未知なる物への好奇心が極めて強かったからでもあろう。1960年代以降になると、この国へ進出する日本企業が増加したということもあり、メキシコの経済問題についての調査、さらにその独特の政治システムや文化政策に関する分析が専門的にされるようになる。現在ではより多くの分野において、メキシコに関するレベルの高い研究が行われている。この時機に、日本人によってこれまで行われてきた研究や、様々な分野の動向について総括しておくことは、今後の研究に資する意義ある作業だといってよいだろう。本シンポジウムでは、エスノヒストリー、歴史学、文化人類学、政治学、経済学の5分野に関する研究の回顧と展望についての発表があった。以下は各パネリストの報告要旨である。

「植民地期メキシコ中央部の先住民社会に関するエスノヒストリー研究」
井上幸孝(立命館大学)

本報告では、植民地時代のメキシコ中央部の先住民社会に関する研究動向を紹介した。まず、20世紀半ば以降の研究の流れ、とりわけ、メキシコでの史料出版の歴史と個別研究の蓄積、米国での「新しい文献学」について概観した。その後、1990年代以降の1)史料の出版・分析、2)植民地時代初期の先住民貴族層(特に記録文書解
読)に関する研究、3)権原証書を用いた共同体の記憶に関する研究、という3つの動向を取り上げた。

「テクノロジーと歴史の再構築」
立岩礼子(京都外国語大学)

立岩は歴史学の立場から1990年代以降の研究動向を以下の通り報告した。1)資料のオンライン閲覧によって研究の効率化が図られる一方、資料争奪戦への懸念が生じている。2)大聖堂所蔵資料を駆使したメキシコ音楽史研究プロジェクトMusicatが成果を挙げている。3)イベリア半島と新大陸の歴史を区別しないスペイン帝国史、女性とりわけ修道女の研究、メキシコ市における死や権力の表象を論じた研究が注目されている。

「変わりゆく文化人類学の焦点―メキシコを対象とした研究を例に―」
禪野美帆(関西学院大学)

文化人類学では、1980年代まで主に静態研究が盛んであったが、1990年代以降は動態研究が活発に行われている。一見乖離しているこの静と動ふたつの流れをつなぐものとして、報告者は・すでに理論的に貢献する業績や民族誌の存在する地域の再調査を肯定的に評価した。メキシコを対象とした研究には、レッドフィールドやルイスを始めとする再調査研究の蓄積がある程度あり、それを進めていくことで、メキシコ研究に積極的に特徴を持たせることも可能であろう。

「日本のメキシコ政治研究―回顧と展望―」
岸川毅(上智大学)

本報告では、日本のメキシコ政治研究者の業績を振り返り、80年代における権威主義体制論、コーポラテイズム論、政治経済論の導入、PRI体制解体にともなう構造変動への関心の移行、サパティスタ蜂起後の市民社会論の隆盛などを概観した。また民主化が達成され入手可能な情報が増大した今日、選挙、議会政治、地方政治、社会運動などをより実証的に解明できる状況が生まれており、今後は方法諭上の洗練が望まれると論じた。

「日本におけるメキシコ経済研究の展望」
安原毅(南山大学)

日本でのメキシコ経済研究では、まず小国開放モデルを展開する業績がある。次にメキシコ固有の論点をまとめれば、国際経済への編入に伴う間題と、国家と経済の関係の2点につきる。前者には賃金決定、工業化、NAFTA等の論点があり・後者には国家と労組の関係、企業との関係、土地所有問題がある。同国を国際経済との関連で観る分析が多く、喜ばしいことである。自戒の念をこめて反省点を挙げれば、マクロ分析と企業・産業分析とが両極分化してきた点、雇用の柔軟化の分析が少ない点が気になる。