第30回定期大会(2009) 於:東京外国語大学

期日: 2009年6月6日(土)~7日(日)
会場: 東京外国語大学 府中キャンパス  第30回定期大会プログラム

記念講演

〝How Shizuo Ozawa became Mario the Jap: Militant Ethnics and Ethnic Militancy in Brazil〟 Jeffrey Lesser(Emory University)

The Brazilian left in the post-World War used a language and ideology of class struggle. Thus, in spite of the large numbers of Japanese-Brazilians, Arab-Brazilians or Jewish-Brazilians in extreme leftist political activity, we find no Brazilian versions of the Black Panthers, the Jewish Defense League or the I Wor Kuen. That class permeated the surface discourse of the left should not lead us to diminish the importance of ethnic factors. Indeed normative Brazilian ideas about race and ethnisity, and challenges to those dominant notions, were expressed on a daily basis even at the most extreme ends of the political spectrum. This paper examines the ethnic dimensions of membership in the armed struggle against Brazil`s military dictatorship, focusing on the role of Brazilian Nikkei, and especially Shizuo Ozawa (Mario the Jap) one of the most famous guerillas of the period.

研究発表

分科会1<都市> 司会:牛田千鶴(南山大学)

学会初日のしかも午前中ということで参加者数がやや心配ではあったが、開始後徐々に聴衆も増えていき、質疑応答も活発に行われたのは幸いであった。第一報告は小松仁美会員による「メキシコ合衆国首都DFにおけるストリートチルドレン」であった。赤裸々な生活史調査の内容に驚きを隠せない部分もあったが、近住拡大家族というソーシャルキャピタルの低下・減退がストリートチルドレンを生み出すとの仮説には説得力があった。第二報告は、近田亮平会員による「ブラジルの都市社会運動と参加」であった。サンパウロの住宅運動組織の事例から、近年の社会運動は要求行動だけでなく政府とのパートナーシップ関係を模索するようになってきたとの指摘がなされ、また参加者の社会階層が低所得層最貧困層ではないとの調査結果が示されたのは興味深かった。第三報告は奥田若葉会員による「物乞いと視線」であった。ブラジリアの貧困地区における非公式市場での調査を基に、物乞いやねだりに対する露天商たちの態度について分析がなされた。邪視に対する警戒と所有への不安を関連付け、所有物に誰かの視線が注がれたとき、施す側の彼らに完全な選択権はないとした指摘は印象的であった。分科会は極めて順調に運んだが、唯一生じた予期せぬ事態は、司会を担当する予定であった牛田の声が突然出なくなってしまったことである。幸い名古屋大学の水戸博之会員が、急なお願いにもかかわらず代役をご承諾くださり、事なきを得た。当日実に見事に手際よくとりまとめてくださった水戸会員に、この場をお借りして改めてお礼申し上げる次第である。

「メキシコ合衆国首都DFにおけるストリートチルドレン」
小松仁美(淑徳大学大学院)

2003年から開始した現地調査に基づき、本報告においては生活史調査の手法を用いて「近住拡大家族がストリートチルドレンを生み出さない1つの重要な社会資本である」というファーガスン (2004a, 2004b, 2005)による仮説検証を未成年路上生活者としてのストリート・チルドレンを対称として試みた。彼ら・彼女らはサンプリング上、母集団が明らかでないために量的調査の対象外として扱われ、なおかつ、継続的な接触が難しく、対話が困難であることなどから質的研究領域においても調査対象者としてわずかに扱われるのみである。そのため、十分なデータとはいえないものの、合計2年以上かけて行ってきた調査からストリートチルドレンとその家族3代の生活史について近住拡大家族に着目して報告し、仮説が押される可能性を示唆した。

「ブラジルの都市社会運動と参加―サンパウロの住宅運動組織の事例から」
近田亮平(日本貿易振興機構アジア経済研究所)

ブラジルでは1980年代の軍政終了と民主化により、主に1990年代から地方自治体で社会運動などが参加する政策が実施されるようになった。そして、政府とのパートナーシップ関係を模索するようになった社会運動の変化が、市民社会論、公共圏、民主化などの文脈で議論されてきた。しかしこれらの先行研究では、新たな変化について詳細な分析や主張がなされる一方、過去の社会構造との連続性を指摘する実証的な研究はほとんど見られない。本報告は、サンパウロ市政府が実施してきた低所得者層向け参加型住宅政策「ムチラン」の社会運動組織を事例に、メンバーの「参加」を分析することで、近年のプラジル社会構造変化をより実証的に検証することを目的とする。予想される成果としてが、参加型政策の実施と普及により先行研究が論じるような変化がみられる一方、社会運動と政党の間に相互依存関係などが(かたちを変えながらも)存続している、という指摘が考えられる。

「物乞いと視線―ブラジリア連邦区における物乞いとねだり」
奥田若葉(神田外語大学)

不平等やそれに伴う貧困は、日本をはじめとする世界各国で盛んに論じられている。ブラジルにおいても同様である。ここで、不平等の前提となっている所有観を考えたい。本発表でが、「わたしのもの」の確かさ、そして不確かさを、ブラジル社会でインフォーマルセクター就労者として生きる人々の民族誌から考察した。邪視信仰と物乞いを事例として、所有(富むこと)への不安に焦点を当てた。「わたしのもの」は他者からの視線によって所有権があいまいになりやすい。互いの協力が必要不可欠な路上労働では、「我々Baixa Renda(低所得者)」の枠から出ることはリスクを伴う。我々のカテゴリーから抜け出さないために、彼らはまず、所有物を他者の視線から隠そうとする。そして、視線を受けてしまったときには、「助けあうべし」、「持つ者は貧しき者に分け与えよ」という相互扶助の規範のために、十分な拒否権はもてない。

分科会2<文学> 司会:内田兆史(明治大学)

本分科会ではいずれの報告も20世紀に生まれた作家たちの作品(小説1、試論1、短編1) にかんする考察となった。見田会員の報告は、ウルスラとホセ・アルカディオ・ブエンディア夫婦の視点の対立を例に挙げ、『百年の孤独』の語りが提示する多元的世界を読み解き、そこから読書の快楽の理由を引き出そうとした。洲崎会員の報告は、カステリャノスが『細雪』について書いた小論における登場人物雪子への言及(「本当に幸せかしら?」)を、このメキシコ作家の女性論と結びつけた。石井会員の報告はフエンテスの短編「ウラド」に、吸血鬼文学や映画のパロディと同時にメキシコの神話や文化の反響も読み取り、ここにもフエンテスの言うヨーロッパと新大陸の相互関係が描かれていることを明らかにした。三報告とも、あつかう作品も切り口も違うものではあったが、それぞれがより大きな視野を意識しての報告であった。会場とともに、見田報告では世界文学や批評との関連について、洲崎報告では谷崎とカステリャノスの作品全体、そしてフエンテス自身と報告作品を含む短編集との関係についての質疑応答が行われたこともそれを示している。

「『百年の孤独』作品世界における世界の多元性の表現」
見田悠子(東京大学大学院修士課程)

本発表は、『百年の孤独』の主要登場人物であるウルスラとホセ・アルカディオ・ブエンディアの対立を含むいくつかのエピソードを分析することにより、小説内世界における多元性の表現方法および表出のあり方を考察するものである。登場人物の視点の内側から語るというのはガルシア・マルケスの小説の特徴のひとつであるが、彼は複数の視点を示し、各々の世界観の差異を明確化する一方で、読者に双方の視点を体感させる。すると読者は語りによる視点の転換に翻弄されながらもそれを受け入れるため、小説内では二つの世界観の正誤は決定不可能となる。ここでは対立する二つの世界観が同一基盤上に並存しているからだ。このような小説の内容は、読者の現実世界における体験と重なり、小説のリアリティを高めることになり、読者に強いられる視点の転換は、謎解きに似た緊張と興奮をもたらすだろう。また、作者が複数の視点を巧みに操る小説を、現実の鏡として覗き込むとき、我々読者は、現実とは多元的であることをあらためて実感することができるのである。

「ロサリオ・カステリャノスの『細雪』論」
洲崎圭子(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)

ラテンアメリカの作家・批評家が、日本の作家について論じたものは少ない。メキシコの作家、フェミニズム批評家でもあったロサリオ・カステリャノスは、芥川龍之介と三島由紀夫のほか、谷崎潤一郎についても論評している。今回の発表では、谷崎潤一郎の『細雪』について書かれた論評をとりあげ、カステリャノス自身の小説作品に登場する女性の造型方法との関連に着目しつつ、とりわけ独身女性(solterona)の描かれ方について検討した。芥川・三島論では、作家が自殺した経緯から論が出発していることに対し谷崎論においてカステリャノスは、登場人物である姉妹の生き方に踏み込んで分析した。女性を賛美した大文豪谷崎の描く理想の女性像に、一言だけ疑問を突きつけることですなわち作家は、自らの作品において描き続けたメキシコ女性たちの閉塞的な生き方、因襲や伝統に縛られたあり方に対しても、改めて問いを投げかけようと試みたのではないだろうか。

「メキシコのドラキュラ伯爵―カルロス・フエンテスの『ヴラド』」
石井 登(東京大学大学院博士後期課程)

今回の発表では、メキシコの作家カルロス・フエンテスによって2004年に発表された短編「ヴラド」という作品を、先行する映画や文学作品を参照し、ヨーロッパと新大陸、あるいはメキシコの混交性を見出すことで、彼が90年代より盛んに用いてきた「ヨーロッパと新大陸の相互の関係」へと繋がる作品であることを考察した。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を起点としたヨーロッパでの吸血鬼の一つの起源としての吸血蝙蝠、メキシコの神々に基づく吸血の文化、映画『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』と『ドラキュラ』での吸血鬼の不死と外見的な年齢における矛盾へのパロディ的批評、登場人物の名称から読み取れるメキシコでのヴラドの神性などによって、この「ヴラド」という作品が欧米の吸血鬼の複合的パロディという体裁をとりつつ、そのパロディ性を読むことでメキシコへと接続し、そこに相互の混交性を見出すことができるのである。

分科会3<文化・芸術> 司会:野谷文昭(東京大学)

本分科会では、建築、写真および文化をテーマとする発表が行われた。3氏に共通するのは、いずれも留学時の現地体験から得られたテーマを発展させていることで、研究に核がしっかりと感じ取れるのが特徴である。中島氏は研究者としてはすでにベテランであり、本人の中には今回の発表を包摂するような、より大きな構想があるようだ。他の二人はまだ新人で、テーマの絞り方や構成など工夫すべきことはあるが、目の付け所がユニークであり、さらなる発展を期待することができる。金澤雅子氏の報告は、メキシコのプエブラ市に特徴的に見られるネオ・ムデハル様式に着目し、そのルーツである18世紀スペインのロマン主義から語り起こすというスケールの大きな研究である。この様式が万博のパビリオンを通じて普及することや、それをメキシコに移植した建築家タマーリスの活動などが紹介されたが、今後は建築写真の解読などにおいてさらに精度を上げていくことが求められるだろう。小林氏は、日本ではなじみのない死児写真を取り上げ、それが「下層階級の人々」にとって肖像画の代用として発達したことやそのイコンとしての性格などを指摘した。現地調査を行うなど果敢な取り組みは評価できる。最後に米国の死後写真との違いに触れていたが、その部分は比較文化論として広げられそうだ。中島氏は長らくチリに留学し、現地で大学の活動にも関わったことが、この国の大学が文化創造の場となってきたという歴史を知る上で役立っている。今回は大きな流れを紹介する形だったが、これに具体的な細部が加われば、大学のメカニズムとダイナミズムがより立体的に見えてくるだろう。今日の新自由主義や市場経済に対する大学の姿勢を知りたいところだが、それはクーデター以後を扱うはずの、次のテーマとなるのだろう。

「ネオ・ムデハル建築様式普及に関するタマーリスの貢献」
金澤雅子(中部大学大学院博士後期課程)

19世紀、ヨーロッパにおいて歴史主義が高まりをみせるなかで、スペインはネオ・ムデハル様式を展開し、国際博覧会のパビリオンにおいても採用していく。新大陸でも希少な例として同様式が広がりを見せた場所がメキシコ、プエブラ州プエブラ市である。その要因はメキシコ人建築家エドゥアルド・タマーリス(Eduardo Tamariz y Almendaro)の存在にある。その影響は1884年のニューオーリンズ万博でのメキシコ・パビリオンにまで及ぶ。本発表では、スペインでのネオ・ムデハル建築様式発生の経緯と国際博覧会パビリオンの歴史年表にタマーリスの経歴を照らし合わせ、メキシコ・パビリオンとして同様式が採用されるまでの経緯を考察した。スペインが自国の歴史や民族性を表現するものとしてネオ・ムデハル様式を用いたのに対して、メキシコ・パビリオンにおいては、近代化達成のアピールと国際的インパクトを最優先とされ、メキシコの文化や歴史を示すものではなかった。

「メキシコにおける写真の受容と死の表象―死児写真の事例から―」
小林 杏(早稲田大学教育・総合科学学術院助手)

写真発明直後の19世紀後半から20世紀半ばにかけて、カトリック文化圏を中心に、各地で「死者の写真」(死後写真/Postmortem Photography)が撮影された。メキシコでは、独特の死児観に基づく「小天使」信仰と結びつくことで、小天使としての死児の写真というイメージ群が形成される。そうした写真の撮影者は、農村や炭鉱のコミュニティに住む下層階級の人々が中心であった。1840年にフランス人写真師によりメキシコに伝えられた写真は、当初非常に高価だった。しかし当時既に、宗教的な像や絵画などから、公人の写真による複製というイコンが流通していた。1850年代になると技術の進歩により価格が下落し、写真が一般化し始める。その中で、貧しい労働者たちを中心に、死児の写真が撮影されるようになった。本発表では、1887年にグアナファト州グアナファト市で町の人々を撮影した写真家、ロマルド・ガルシアに焦点を当て、19世紀末から20世紀初頭のメキシコで、死児の写真がいかに撮影され、受容されたかを考察する。

「文化創造・制度化の試み―20世紀後半のチリ 芸術分野を中心に軍事クーデターまで―」
中島さやか(明治学院大学非常勤講師)

国家や地域のアイデンティティの源の一つとなり得る芸術文化は、多くの場合、自然発生したものが歴史を通じて時の権力者や文化産業などに支えられ発展するが、歴史の浅い国や文化産業の基盤が弱い国などでは、政治家や知識人らが意図的に発達させ、場合によっては作らせることもある。チリでは独立後から、知識人や芸術家らが、チリやチリ人の文化を作ることを目指し、文化の保護・育成、制度化の試みを行った。その歴史には世界情勢、チリの文化的・社会的要因、知識人らのナショナリズム的思想などが反映している。1920年代末ごろからは大学の組織を中心に制度化されたことで、一定の安定性を保ちながら芸術文化が発達した。40年代にはハイカルチャーの分野を中心に繁栄の時代を迎え、73年のクーデターに至るまでそのプロセスが発達する。本発表は昨年の発表をふまえ、1950年代および国民文化創造の動きが盛り下がった60年代から73年のクーデターまでの期間について検討する。

分科会4<市民権> 司会:遅野井茂雄(筑波大学)

地方分権化や資源開発政策に対し先住民ないし先住民を中心とする都市住民がいかに対応したのかについての二報告と、軍政ないし民政の下で発生した人権侵害をめぐる真実究明と若いについての二報告から成る分科会であった。それぞれが注目された論題であり、多くの参加者が会場を埋めた。個別には有益なコメントや活発な質疑がなされ、報告者にとって今後の研究上のステップになったと思われるが、時間的制約の中でまとまった議論とはならなかった。実行委員会には余裕をもった分科会編成を、報告者には論点を絞り掘り下げた報告を心がけてもらいたい。次のパネルへの発展を期待する。

「ボリビアにおける「大衆参加法」事業の現状―ラバス県アチャカチ市の事例から―」
福原 亮(東京外語大学大学院博士後期課程)

ボリビアで1994年に施行された大衆参加法は、それまでの中央集権体制を大きく変えた。インフラ(教育、医療等)の維持・管理などの権限は、市政府に移譲された。中央政府からは、全市の人口比に応じて共同参画税が配分され、農村部にも資金がゆきわたることになった。農村共同体等には基礎地域共同体(OTBs)としての法人格が付与され、公共事業への提案や要請等が可能となった。発表者が、アチャカチ市の予算執行システムの分析と、共同参画税により実施される公共事業の実効性と問題点について、自治体関係者および地域住民へのインタビューを中心に調査をおこなった。その結果、住民のニーズに合致しない実効性の低いインフラ事業が実施されてきた一方で、近年、女性を対象とした教育プロジェクトが増加していることが判明した。その他、予算に対して納税額が占める割合が著しく低いことが事業の質に影響を及ぼしているのではと推測している。

「天然資源紛争と先住民運動の親和性―ペルーの事例を中心に―」
岡田 勇(筑波大学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DCI)

ペルーで天然資源開発に起因する政治運動が重要性を増しつつある。2008年8月には、先住民共同体の所有地譲渡条件について規制緩和を行う委任立法例が、セルバ(アマゾン熱帯地域)の先住民の抗議運動によって撤廃された。2009年4月以降は、森林、農業、水資源などの法秩序を修正する委任立法例について、再度先住民の抗議運動が発生し、政治問題となっている。本報告は、第一にILO第169号条約において先住民共同体に影響ある資源採掘活動については「事前協議」を行う義務が政府にあると定められており、ここに「天然資源開発」が「先住民運動」へと至る法的参照点が存在すること、第二に資源開発促進政策が環境紛争を急増させていること、第三に動員力のある先住民組織が存在すること、第四に有効な紛争調停制度が欠如していることが、この一連のアマゾン蜂起(paro amazónico)の高まりを説明しうると指摘した。

「真実和解委員会と先住民―人権ポリッテイクスの射程―」
細谷広美(成蹊大学)

真実委員会は、紛争後の平和構築の過程における現実的選択肢の一つとして組織されてきており、ペルーの真実和解委員会は南アフリカに次ぐ規模となている。紛争は「ペルー共産党―センデロ・ルミノソ」が、農村地域で武装闘争を開始したことにより始まった。しかし、先住民が「農民」と呼ばれているペルーでは、同集団が武装闘争を開始した地域は先住民族地域でもあった。1980~2000年を調査対象とした委員会は、犠牲者数約7万人のうち75%が先住民言語の話者であったと報告した。発表では、委員会の調査対象期間が、実際にはフジモリ政権下の人権侵害と、内戦という異なる種類の暴力を調査対象として含んでいたことを明らかにするとともに、国際社会において人権の尊重及び民主主義が国家に要求されるなかで、多様な要素が交差することにより、人権をめぐる政治的ディスコースが構成されていく様相を、人権ポリティクスという概念を用いて検証した。

「国民和解と教会―軍政下の人権侵害をめぐって―」
乗 浩子(元帝京大学)

“和解”は神学において人と神との関係の回復を意味するが、現代では平和と政治の実現を前提とする。国家安全保障の名のもとに軍政期に起こされた人権侵害が国民の間に生じた亀裂をいかに修復するかが、カトリック教会の課題となった。軍政を批判して人権被害者を支援する教会が数多く現れ、次いで民政移管に向けて文民政治家と軍との対話による仲介役を果たした。人権侵害への軍の罪を不問にすることで民政移管が行われたため、真実究明が和解に不可欠であった。本報告では教会および関連組織が人権侵害報告を作製したブラジル、ウルグアイ、グアテマラ、パラグアイの例をご紹介した。これら報告の殆どがプロテスタント組織の支援を得て出版されたことも宗派を超えた協力として評価できる。

分科会5<人の移動> 司会:山脇千賀子(文教大学)

本分科会は、それぞれの発表者の個別報告であるが、トランスナショナルな人の移動に伴う諸問題を扱っている。小貫・山本発表は、日本とラテンアメリカ間の人の移動に伴って起こっている教育・社会と文化を取り巻く諸活動の実践報告であり、浅倉発表は、メキシコの移民創出コミュニティをめぐる事例調査の報告だった。実践報告については、事実確認の質疑応答がほとんどになり、それらの実践を学術的にどのように評価できるのかという議論にまではいたらないため、学会発表としては異なるカテゴリーを設けるべきではないか、という印象をもった。浅倉発表については、発表題目にもなっている「トランスナショナルな家族」という概念についての質問がフロアからあがったが、事例調査結果の分析をどのような学術的コンテクストにおいて議論するのか、ラテンアメリカ研究との関連での精緻な問題設定が必要なように思われた。なお、部会参加者は、平均して20名弱であった。各発表の要旨は以下のとおり。

「『在日ブラジル人教育者向け教員養成講座』開講について」
小貫大輔(東海大学)

東海大学とマトグロッソ連邦大学の協働事業として実施される「在日ブラジル人教育者向け教員養成講座」について報告した。この講座は、日本のブラジル人教育者を対象に4年間の遠隔教育で教員資格を取得させようというもので、ブラジル政府・ブラジル銀行からの予算をえることで受講料を免除して実施される。2009年5月に入学試験がおこなわれ、417人の受験生の中から選別された学生300人を対象に7月から開講される。マトグロッソ連邦大学は、スペインなどとの協力で遠隔教育を充実させた広大な州土をカバーしてきた実績がある。東海大学は日本側でスクーリング実施の責任を担い、日本学の授業を担当する。事業の目的の一つとして、「同期生」として4年間を共に過ごす300人の現場教育者がグループとしてエンパワーされることが挙げられているが、それをいかにして実現し、ブラジル人の子ども達の「教育への権利」保障に向けた力を生むことができるかが今後の重要な課題である。

「ラティーノス&日本人によるバイリンガル演劇グループ『セロ・ウアチバ』5年の軌跡」
山本昭代(慶應義塾大学非常勤講師)

「セロ・ウアチバ」は、日系ラテンアメリカ人と日本人によるアマチュア演劇グループである。2001年に東京・世田谷で行われた第1回路上演劇祭に参加したメンバーが中心となり、2003年から「セロ・ウアチバ」の名前で、各地で公演を重ねてきた。ブラジルの演劇家アウグスト・ボアールの「民衆演劇」の流れを汲み、社会的な問題をテーマに、参加メンバーがそれぞれの体験に基づいて、相互に意見交換をしながら上演作品を作り上げている。ラティーノスのメンバーは、いずれも「ニッケイ」として80年代末に就労を目的に来日し、失業や労働問題などの困難に直面しながらも、日本での定住を選択している人々である。日本社会において「ニューカマー・マイノリティ」という位置に立つ彼らは、演劇という手段を通じてホスト社会に対して何を表現し、訴えようとしているのか?

「トランスナショナルな家族の変容―メキシコ、サンタ・セシリアの家族を事例に―」
浅倉寛子(メトロポリタン自治大学客員教授)

現在、我々の生活は絶え間ない人、モノ、資本、情報の流れが創り出すグローバリゼーションやトランスナショナリズムという側面を考慮せずには語れなくなってきている。先進諸国における生産構造の変化とそれに付随する新たな国際分業は、南から北への労働者の移動とグローバルシティにおける資金の両極化を促進している。こうした文脈において創出される人の移動は、出身地の人口構成やその政治、経済、社会的組織だけでなく、家族のダイナミズムにも影響を与える。家族を定義する際に用いられてきた、住居を共にするという共生の観念はもはや通用しなくなってきており、「トランスナショナルな家族」の存在がメキシコ、オアハカ州のサンタ・セシリア村の事例をもとに、この村の家族のトランスナショナル化とそのパターン、また、これらの家族におけるジェンダーと世代間の関係の変化について述べた。

分科会6<社会・宗教> 司会:落合一泰(一橋大学)

本分科会では、グアテマラ北西部、メキシコシティ、メキシコ南部チアパス州、ボリビアでのフィールドワークにもとづく次の4本の研究発表を得た。いずれも調査経過報告として貴重であり、多くの質疑が交わされた。いかなる問題意識にもとづき個別の研究テーマを選択したのか、その連関が不明なケースも見られため、具体的データに関する質問のほか、各発表の問題意識、研究テーマの自明性への疑問、方法論の妥当性などを問題化するコメントも発せられ、2時間の枠を超過する活発な分科会となった。

「トランスナショナルな『マヤ』イメージの形成とグアテマラの布」
本谷裕子(慶應義塾大学)

グアテマラのマヤ系先住民族社会では、「織り」という行為が人々の生活と密着し、衣をはじめ、生活のいたる場面で様々な手織り布が使われている。当発表では、グアテマラの先住民村落にて、女性の着古した衣を再利用して作られる、あるいは商品用に織られた布から作られる数々の民芸品が、グアテマラ側の観光地のみならずチアパス州やカンペチェ州・ユカタン半島といったメキシコのマヤ地域でも地元の「民芸品」として売られている現状を踏まえ、民芸品売買を通じ、国境を越えて広がるマヤネットワークを探るための足がかりとして、生産地にあたるグアテマラ側の二つのマヤ系先住民村落―規模の大きな民芸品市で有名なチチカステナンゴとグアテマラの観光市場を彩る民芸品を数多く生産するサンフアン・コマラパの事例から、民芸品の生産状況を明らかにするとともに、商品の流通が当該社会に与える文化的影響を「布」と「装い」という二つの視点から分析した。

「メキシコ市内旧先住民村落に与えられた新たな呼称―
“Los pueblos originarios”とその居住者組織」
禅野美帆(関西学院大学)

メキシコ市には、行政の変化及び都市化にともなって都市内部に取り込まれた旧先住民村落が300近く存在する。このような地区を指して、今世紀に入って“pueblos originarios”という名称が使われるようになってきた。本報告では、市内旧先住民村落の住人が、現在どのような自称を持ち、どのような組織を形成しているのか、16の旧先住民村落での現地調査で得た観察を元に考察した。これらの地区には“nativos”と自称する人々が数多くいる一方で、“originarios”という言葉はほとんど聞かれない。それは“originarios”が市や国に対して自らの存在や権利を主張する際にのみ使われる用語であるからだと考えられる。同時に、複数のメキシコ人人類学者が“originarios”の用語を積極的に使用し、肯定的な意味を付与している。このことが、“nativos”の意識や自称に影響を与えていく可能性も指摘した。

「ペンテコステ派の信仰告白―チアパスの事例から―」
武田由紀子(神戸市外国語大学非常勤講師)

信仰告白はペンテコステ派の儀式に特徴なもので、語り手自身の神聖なるものとの接触経験、あるいはそれについて語ることである。本発表ではまず、20世紀への変り目から今日までの米国や日本における回心研究を概観し、近年の物語論的アプローチを活用しつつ、そこで捉えきれない発話のパフォーマティビティや発話の場に交差する権力に注目するという視点を提起した。続いて、チアパス州サンクリストバル市で活動するペンテコステ派のT協会での調査に基づき、神との対峙とも呼ばれる当教会の入信儀礼ベニエルのフィナーレの場において繰り出される儀礼参加者たちの信仰告白に言及した。撮影したビデオを紹介する予定であったが時間都合でお見せすることができなかった。いずれにせよ、儀礼への参加者たちはどのような主体となっていくのか、ペンテコスタリズムが教会外の宗教社会構造をどのように変容させるかについて、今後さらに研究を進めていきたい。

「市民化と脱農民化との間で―ボリビア・アンデス農村における先住民教育の取り組みと農村教師―」
大橋美晴(大阪大学大学院博士後期課程)

今日のボリビアのアンデス農村地域のコムニダに作られる国の学校は、コムニダ内唯一の国家機関であり、コムニダと外部、特に都市(国家)との社会的文化的関わりを形成する上で重要なはたらきを持つ。本発表では、北ポトシのケチュニア先住民のコムニダ・カチャリで行った調査のデータに基づき、コムニダに作られる学校が、実際にコムニダと外部との関わりを形成する上でどのようにはたらいているのか、農村教師の教育実践を見ることで、その問題の素描を行った。農村教師は、国あるいは市民社会という社会的立場から、コムニダの人々の「市民化」を促そうとするが、コムニダが生み出す文化実践との関係、そして彼ら自身が農村出身の先住民であり、自身が持つ教育経験・認識から、教育実践を行っている。農村教師は先住民の「市民化」と「脱農民化」との間で葛藤を持ちながら、コムニダの文脈に合わせた「先住市民」を生み出そうとしている。

分科会7<植民地時代史> 司会:井上幸孝(専修大学)

分科会7では、4名の会員が植民地時代に関する報告を行った。各報告の内容に関しては、以下の要旨を参照いただきたい。時間の制約にもかかわらずフロアから様々な質問やコメントが出され、有益な質疑応答や問題提起もなされたとの感想を持った。いずれの報告も今後のさらなる深化やテーマの広がりを予想させるものであり、今回は分科会に参加できなかった所会員にも、論文発表やさらなる学会報告という形でその成果が届くことになろう。このように植民地時代史のみで分科会が組まれるということは、研究者の層が厚くなってきたことを示しており、本学会として誇りに思うべきである。しかし、その一方で、今回の4つの報告はいずれも先住民に深く関わる事象を分析対象としており、現代史や文化人類学と関心が重なり合う部分も多い。それゆえ、来年の大会以降は、近接分野の研究者がより活発に意見を交わせるよう、上記分野の分科会との時間帯調整を図るなど運営上の工夫も望まれるだろう。

「中米のナウァ系言語の方言特徴の考察―17世紀ピピル語文書の分析を中心に―」
敦賀公子(慶応義塾大学非常勤講師)

本報告は、中米のナウァ系言語であるピピル語の言語学的特徴を考察したものである。特に1666年エル・サルバドルのサンタ・アナ市において、パヨ・デ・リベラ司教(後のヌエバ・エスパーニャ副王兼メキシコ大司教1673-1680)の名で、ピピル語で記された「サンタ・ベラクルスのコフラディアに対する訓令」を取り上げ、主に名詞と動詞の形態・統語論的特徴を分析した。「訓令」という文書の主旨のため、動詞の人称や時制をはじめ表現が限られており、また資料不足による不明な点も少なくはないが、現時点で分析された、名詞の複数接尾辞、敬称接尾辞、所有接頭辞、さらに動詞の現在完了接尾辞、未来接尾辞などの具体例を示した。さらに、メキシコ中央高原の標準的古典ナウァトル語や現代ピピル語と比較することで言語学的特徴を考察した。長きにわたる内戦時代を経て、ピピル語は今現在消滅の危機にあるが、その歴史的足跡の一端の提示を試みた。

「獣姦とキリスト教モラル―18~19世紀アスンシオン国立古文書館裁判所記録からの検証―」
田島久歳(城西国際大学)

動物と人間の関係をめぐる裁判は中世ヨーロッパ史研究において既に取り上げられており、14~16世紀の裁判の様子から西欧社会における近代的合理主義が支配する世界観への移行期の状況が読み取れる。本報告では中世ヨーロッパの動物裁判を年頭におきながら、アスンシオン古文書館の刑事裁判記録から18~19世紀の獣姦の罪をめぐる問題について考察を行った。今回の発表では、世俗の近代刑法と、モラルや倫理観の問題としての教会法との拮抗状況という背景に照らして分析することにより、独立後のパラグアイ社会、とくにマンタリテをめぐる問題について理解を深めることを意図した。

「植民地期南米における先住民表象に関する一考察―16世紀後半におけるFuegian表象―」
長尾直洋(三重大学非常勤講師・京都外国語大学大学院研究生)

本発表では、16世紀後半のフランシス・ドレイクの世界周航に関する諸報告内の、パタゴニアおよびティエラ・デル・フエゴ先住民(Fuegian)への表象姿勢を分析した。ドレイク自身の公開記録の未公刊、非現存のため、フレッチャー牧師などの同行者による記録、周航情報の初公刊であるハクルートの航海集を用いて、周航直後のFuegian表象、特に巨人表象について分析を行った結果、周航直後におけるFuegianの巨人性については賛否両論であったことが分かった。しかしながら、航海の50年後に公刊された、ドレイクの甥の編集による『The World Encompassed by Sir Francis Drake』は、Fuegianを巨人としたフレッチャー報告を元にしながらも、その巨人性を否定した。対スペイン国威掲揚という公刊の目的、同テクスト内におけるマゼラン報告への参照・否定とカトリックによるアメリカ支配への批判との関連から、マゼラン報告に由来するFuegianの巨人表象への否定はカトリック教会に対するアメリカ支配への疑義を示す表象姿勢であったといえる。

「パラグアイ管区イエズス会布教区における先住民社会組織に関する一考察―軍事組織の変容について―」
武田和久(日本学術振興会特別研究員(PD)、国立民族学博物館外来研究員)

本報告では、リストの類の手稿文書の分析を通じて、スペイン統治時代のパラグアイに建設されたイエズス会布教区内部に存在した先住民軍事組織の変容について考察した。これまでの研究では、ポルトガル領ブラジルとの領土境界線に近接するパラグアイを含むラプラタ地域全域の防衛拠点として、スペイン王兼が布教区を領土防衛の要と位置づけていたこと、また軍事組織に組み込まれた先住民が、ラプラタ地域各地で多種多様な軍務に携わっていたことが指摘されていた。しかし軍事組織そのものがどのような原理に基づいて機能し、またこれが布教区の日常生活の基本原理であるカシカスゴといかなる関係にあるのかについては、不明瞭だった。しかし今回、納税者特定のために作成された布教区住民の名簿や、各布教区の部隊構成を示す徴兵簿を分析したところ、17世紀後半を境に、それまでのカシカスゴを応用した軍事組織に代わり、自律した専門的軍事組織が誕生していたことが確認できた。

分科会8<20世紀史> 司会:青木利夫(広島大学)

4名の報告はそれぞれ興味深いものであったが、テーマや地域が異なり、共通の課題を見出すことは困難であった。佐藤報告では、1930年代メキシコで発行された「公民カレンダー」の意味とそれに関与した芸術家グループの役割が明らかにされた。会場からは、このカレンダーがどの程度普及し住民に影響を与えたのかという質問が出され、今後の課題となった。ロメロ=ホシノ報告では、1958年に起こったメキシコ民間漁船のグアテマラ空軍による襲撃事件の原因やメキシコの外交政策に関する検討がなされた。報告に対して、この問題を取り上げることの意義、グアテマラ側の資料の必要性、資源問題の有無などの指摘がなされた。石井報告では、20世紀初頭からラテンアメリカ各地ではじまる農地改革を異なる地域ごとに分析し、その評価がなされた。質疑応答においては、農地改革の定義、地域区分の問題など多くの議論がかわされた。住田報告では、ブラジルのルラ政権下における政策について、それ以前の政権と比較しつつ「秩序と進歩」対「社会正義」という構図で分析がなされた。それに対し、この両者を対立ではなく表裏一体の関係とみるべきではないかという指摘がなされた。いずれの報告にも30名弱の参加者があり、活発な質疑応答がおこなわれた。

「1930年メキシコ公民カレンダー―ポスト革命期における「国民像」の指示と国民芸術―」
佐藤勘治(独協大学)

本報告では、まず、メキシコ連邦区政府発行「1930年メキシコ公民カレンダー」の紹介を通じて、ポスト革命期メキシコ政治文化の特徴が図像などで具体的に示された。先行研究が指摘している、「近代的」メキシコ国民形成という政治的課題が、この史料においても再確認することができると報告では述べられている。次に、このカレンダーに関与した「画家グループ!30-30!」についての簡単な紹介があり、印刷媒体が普及するポスト革命期の時代、芸術と政治との関係は、普及の点で限界がある壁画以上の広がりを持っていることが指摘された。このグループは当時の政権の考えに近い表現を「カレンダー」で追及しているが、それは単に政権のプロパガンダを請け負ったものではなく、彼らの意図に沿うものだったとも報告された。最後に、「カレンダー」の図像のなかに描かれているインディオ表象の特徴が簡単に言及された。

“La ruptura de las relaciones méxico―guatemaltecas: el caso del conflicto pesquero de 1959”(メキシコ・グアテマラ国交断絶―1959年の漁業問題―)
Isami Romero Hoshino(東京大学教務補佐員)

1958年12月31日、グアテマラとメキシコの沖合で、メキシコの民間漁船がグアテマラ空軍に襲撃される。これによって両国の国交は断絶し、この状況は10ヵ月続く。この事件はメキシコ外交史研究であまり取り上げられていないテーマであり、現在でも多くの不明な点が残っている。そこで今回の発表では、事件の勃発を説明しうるいくつかの原因を指摘すると同時に、メキシコ外務省の外交資料に基づいて当時の意思決定者にどのような選択肢があったのかを明らかにした。

「ラテンアメリカの農地改革―評価と位置づけ―」
石井 章

ラテンアメリカの農地改革は、1910年代から80年代までの間に、いくつもの国で実施された。これらを、キューバ革命を一つの転換点として、四つのグループに分類する。農地改革を実施することは、結果として対象地域の農村社会経済構造の大幅な変革をもたらすものであるが、それと同時に、改革前の各地の農村社会の有り様が、農地改革の様態に影響を及ぼす。20世紀初に農地改革を実施した時点で、前近代的な大農園アシエンダやコムニダ・インディヘナ(先住民共同体)が存在していた地域をA地域、近代的・企業的な農場が存在する地域をB地域とすると、それぞれの地域では農地改革を求める農民運動・闘争の形態が異なる。A・B両地域とも、農地改革によりラティフンディオが解体された後に、なんらかの農業協同組織が導入された場合が多い。これらの農業協同組織が、その後有効に機能したかといえば、否定的な事柄が多い。

「ブラジルの選択―秩序と進歩vs.社会正義」
住田育法(京都外国語大学)

20世紀第4四半期に誕生した労働者党(PT)に注目しつつ、ポピュリスト政権や従来の新自由主義の政策との比較において、ルラ政権下の「秩序と進歩」vs.「社会正義」の構図を考えた。1930年代のヴァルガス革命以降、ブラジルは、工業国として「秩序と進歩」の道を歩んできた。やがて1988年公布の民主憲法の下で、庶民派の大統領カルドゾやルラが登場し、彼らによってブラジルは「社会正義」の道を選択し始めた。それは、農地改革や所得のより公平な分配、国民全員への教育機会の拡大、住居の提供などを目指す政策である。例えば、ブラジルの土地なし労働者運動(MST)は「より良い社会を構築するための戦略」であり、その旗印は「社会正義」である。しかしルラ政権には、理想と現実の乖離も見られる。2006年の再選以降ルラ大統領は、スーツの襟に「秩序と進歩」を謳った国旗のバッチをつけ始めた。政治選択として「社会正義」を考察する意義が高まっている。

パネルA「メキシコ革命を再考する」
コーディネーター:谷 洋之(上智大学)

本パネルは、パネルB「革命と現代のメキシコ」とともに、上智大学イベロアメリカ研究所所員とともに、上智大学イベロアメリカ研究所所員を中心に組織した科学研究費補助金基礎研究(B)によるプロジェクト「メキシコ革命の100年:歴史的総括と現代的意義―国際比較の観点から」(課題番号19401009)の中間的な成果を報告しようとするものである。1980年代以降のメキシコにおいては、かつて「革命の成果」と喧伝されていた事象に関し学術的にも政策的にも見直しがなされている。これは、2000年に制度革命党(PRI)が下野したこととも相俟って、メキシコ革命の通時的な相対化が可能になったということでもある。これと同時に、メキシコ革命が世界の20世紀史の中でどの程度「特殊」な出来事であったのか、共時的な相対化を行っていく必要もあろう。このような観点から本パネルでは、比較政治学、経済政策史、映画批評の立場から、メキシコ革命像を再考してみようという試みを行った。
岸川毅(上智大学)による第一報告「革命後体制の構築」は、これまでのメキシコ革命研究をサーヴェイしつつ、メキシコの革命後体制がどのような経緯で「一党支配型の権威主義体制」になったのかを、体制構築の主体とそれに対する環境・制度要因を分析の俎上に載せることで明らかにしようとしたものである。革命後体制の構築について既存の議論は、焦点がカルデナス期に当てられることが多かったが、オブレゴン暗殺後の対応と国民革命党(PNR)結成におけるカリェスの政治運営能力がこれまで以上に重視されるべきであることが主張され、このような形で安定した体制が築かれたことは、世界的に見てもかなり特異なことであると論じられた。
谷による第二報告「相互インフラ体型の建設」は、1990年代以降の政策改革、特に年金改革を素材として見ることで、それが解体していった革命期の政策ロジックを浮かび上がらせることを目的とするものであった。日本の厚生年金に相当するメキシコの公的年金は、1997年に積立方式への転換、年金の個人化、健康保険会計との完全分離を骨子とする新制度へと移行したが、旧制度が拡充されていった過程を検証してみると、それが国民経済の建設を最終的な目標に、近代的都市労働者を確保するためのインフラとして構想されたことが見て取れる。このように考えるならば、革命体制が旗印としていた農地改革も輸入代替工業化も、年金制度と同様に、互いが互いのインフラと位置づけられることで存在意義を与えられていたと解釈することができると論じた。
マウロ・ネーヴェス(上智大学)による第三報告「メキシコ映画における革命:描写から寓話まで」は、映画資料の紹介も交えつつ、メキシコ映画を6つに時期区分しながら、そこに現れた革命像を検証する形で論を展開した。それによると、無声映画時代のドキュメンタリーとしてスタートしたメキシコ映画の革命描写は、1930年代における革命批判、40年代の国策映画における革命礼賛、60年代以降のメキシコ映画自体の衰退を経て、90年代に商業的な意味で復活を遂げたメキシコ映画においては、ストーリーの中の一コマ、すなわち寓話としてしかなされなくなっていることが指摘される。しかし2000年代に入ると、実際に革命を戦ったサパタ派兵士への丹念なインタヴューが政策されるなど、ドキュメンタリーへの回復の兆しも見られることが同時に指摘された。早朝からの開催にもかかわらず、多くの会員の参加があったが、コーディネーターの不手際から討論のための時間を十分に取ることができず、的確なフィードバックが得られなかったことは残念であった。

パネルB「革命と現代のメキシコ」
コーディネーター:堀坂浩太郎(上智大学)

6日午前中に行われたパネルA の「メキシコ革命を再考する」とセットで企画されたパネルで、現代に焦点を当てメキシコ革命の影響を論じた。第1発表者の箕輪茂会員は「革命運動を支えた思想とその現代における継承」と題して思想的流れを追った。それによると、メキシコ革命では「○○主義」といった、革命の明確な指導原理はなく、革命勢力と彼らの主張の多様性がメキシコ革命の特徴である。箕輪会員は、各勢力の思想的背景として、19世紀からの「自由主義」、強い政府による安定した国家運営を目指す「国家主義」、一般大衆保護を指向する「ポピュリズム」――の3つを抽出する。各思潮の特徴を明らかにした後、それらの革命政権期における受容状況、現代における継承状況を分析した。それによると「自由主義」は現与党の国民行動党(PAN)の主張の中に取り込まれ、「ポピュリズム」は野党の民主革命党(PRD)が継承している。これに対し「国家主義」は70年にわたり同国の政治を握った制度的革命党(PRI)の中でも公式的に拒絶され、みられなくなっているとしている。
2番目の堀坂浩太郎会員による発表は「産油国メキシコに忍び寄る石油危機」と題するもので、残存確認埋蔵量が10年を切る状況の中で繰り広げられた国営石油会社PEMEXの改革論争とその結末について報告した。技術的な側面からみれば、メキシコ湾内の深海油田の探査・開発が急務となっているにも関わらず、多国籍企業の参入を難しくしていることが障害となって進んでいない。カルデナス政権下で実施された石油事業の全面国有化が革命のシンボルな存在となってきたためだが、ブラジルの国営石油会社PETEROBRASなどの成功事例などを考えると、資源ナショナリズム下でも柔軟に対応する余地はあり、むしろゼノフォービア(外国嫌い)的な歴史的トラウマに囚われている結果ではないかと指摘された。
3番目の発表は尾尻希和会員による「キューバ・ナショナリズム:メキシコ革命後のラテンアメリカにおける社会変革の思想と実践の一事例」で、スペイン支配への抵抗運動からキューバ革命に至るキューバの思想的変遷をメキシコと絡めつつ整理した。その結果、メキシコ革命、世界恐慌という時代的背景の中でキューバは、社会改革が必要であるとの意見の一致がみられた。従来余り着目されてこなかったが、キューバ革命の「拠りどころ」としてメキシコ革命を再評価できるのではないか、キューバの1959年革命はラテンアメリカ・ナショナリズムの昇華とも言えるのではないかとの問題提起をして発表を結んだ。
昼食を挟んだふたつのパネルにも関わらず、フロアには続けて参加する熱心な会員も少なくなく、年次総会のプログラム作成に当たって関連性をもったパネルの連続的な配置といった面も工夫の余地があると思われた。またこのパネルは科学研究費補助金によるプロジェクトの中間発表的な意味合いを持たせており、こうした方法による学会発表の活用も増やしてよさそうだ。

パネルC「可視と不可視を行き交う死者:メキシコとペルーの事例から」
コーディネーター:河邉真次(大阪経済大学非常勤講師)

本パネルでは、メキシコおよびペルーにおいて、あの世とこの世を往来する死者に焦点を当て、死者表象の諸相を提示するとともに、その社会・文化的意味を考察することをねらいとした。各報告者の発表を通じて、アンデス世界では日常生活の中に死者が安置され可視化されるのに対し、メキシコでは、たとえば死者の日に代表される非日常的(反構造的) 時空間の中で不可視の死者が現世へと帰環するという違いが鮮明となった。
上原なつき(南山大学大学院)報告では、先スペイン期ペルーにおける死者表象の一形態として、インカ王のミイラの社会的意味を考察した。その中で、亡きインカ王たちが、王室の信仰である太陽信仰と様々に異なる地方の信仰および祖先崇拝を習合するのみならず、割拠する各王の親族集団を王族として統一するなど、さまざまな場面で重要な役割を果たしたことを指摘した。すなわち、王のミイラは、社会および世界の統合と調和を保つための「仲介者」としての重要な役割を担い、またそれゆえに、人々は可視的な死者であるミイラと共生したと結論づけた。
加藤隆浩(南山大学)報告では、現代ペルーの山間地域に見られる、頭蓋骨を家に安置して守護者として祀る慣習に注目し、その特殊な信仰形態である髑髏の聖人ニーニョ・コンパドリート(NC)をとりあげ、その特徴を明らかにした。具体的には、NCに祈願するために使われる信者からの手紙の分類を通じて、その背後に広がるアンデスの不可視の世界を読み解いたのである。ペルーでは、人々は可視的なNCを通じて不可視の世界と接触・交流する一方で、民衆聖人であるNCがカトリックの枠組みに取り込まれてきている点を指摘した。
河邉報告では、メキシコ・ワステカ地方における死者表象の一つとして、「死者の日」に登場する民族舞踊ビエホス(viejos)の踊りと、近年急速に広がりつつあるハロウィーンの影響をとりあげた。同地方では、死者はビエホスの踊りの中に可視化され、伝統的には生者に恩恵を与えつつも社会規範からの逸脱者には厳罰を与えるという両義的な性格をもつ。他方、ハロウィーンに登場する死者(=異界からの訪問者)は、元来人々を迫害するというネガティヴな性格を付与されるものである。そして、当該地方におけるハロウィーンの影響は、その商業主義的性格によるものであるという点を指摘した。
山本匡史(天理大学)報告では、米国カリフォルニア州サンディエゴ郡オーシャンサイド市における「死者の日」フェスティバルに注目した。同フェスティバルでは、メキシコの伝統儀礼的な要素がさまざまな方面からの批判を受けて一定程度は払拭されたものの、「チョーク墓地」といった逆にメキシコには見られない新たな要素が加わり、多文化共生に向けた市民の連帯を高めるイベントとして整備されている。こうした事実を踏まえ、同フェスティバルの概要とその変容の過程を明らかにするとともに、死者が公共空間の中で可視化される反構造的状況のもとで、ツールとして機能する「死者の日」のメタ・フォークロア的な側面について考察した。
小林貴徳(同志社大学非常勤講師)報告では、メキシコ・ゲレロ州トラコアパ村における聖人サン・フダス・タデオ信仰と死者をめぐる宗教実践のダイナミズムを分析した。同村では、サン・フダスは元来「死者の日」に先立って死者の魂を現世へと誘導する「死者の先導者」として認識されてきたが、農地紛争の解決のために、サン・フダスはメキシコシティから新たに「不可能や困難な問題の聖人」として農村に再導入された。これにより、サン・フダスが担ってきた農村部の伝統的な祖霊崇拝に基づく「招魂」儀礼が衰退し、新たに都市部で一般化した聖人崇拝が優勢になったことを指摘した。
なお、本パネルでは各報告および質疑応答の時間を十分確保できず、活発な議論ができなかったのが残念であったが、報告後、フロアから各報告に対していくつかの事実確認の質問と、パネル全体を見通したコメントをいただいた。とりわけ、集団内部成員にとって「われわれ」の死者という見方、これまで「われわれ」の願いを聞き届けてくれる媒介としての死者(あるいは聖人)から汎用的な死者への変化のダイナミズム、そして可触/不可触といった、物質面から見た死者の分析という問題提起は、今後の研究に新たな視座を与えてくれるものとなるだろう。

パネルD「ラテンアメリカと現代小説の幻想」(“Lo fantástico en América Latina y la novela contemporánea”)
コーディネーター:寺尾隆吉(フェリス女学院大学)

20世紀のラテンアメリカ文学には、ガルシア・マルケスやボルヘスを筆頭に、コルタサル、オネッティ、ビオイ・カサーレスなど、「幻想的」あるいは「魔術的」といった言葉で形容される作家が多い。1960年代以降、いわゆる「ブーム」を通してラテンアメリカ小説が世界に受け入れられていく際重要な役割を果たしたのも「幻想」や「魔術」といった要素に他ならなかった。合理主義と科学技術の浸透にもかかわらず現代世界から「幻想的」文学が消える気配はないし、むしろ科学と文学を融合したSFのようなジャンルが定着するなど、19世紀とは明確に異なる「幻想文学」が様々な形で表出している。サルマン・ラシュディ、莫言など、ラテンアメリカ作家に影響を受けた作家も増えつつある現在、20世紀ラテンアメリカ小説における「幻想」を「現代世界小説」という枠組みのなかで再検討するのが本パネルの主旨である。ベネズエラのラテンアメリカ文学研究者グレゴリー・サンブラーノ氏をゲストに迎え、エルネスト・サバト、ガブリエル・ガルシア・マルケス、レイナルド・アレナス、ビルヒリオ・ピニェーラ、フェリスベルト・エルナンデスといった作家を中心に、カフカ、安倍公房、ビラ・マタスなどの作品も視野に入れながら多角的にこの問題を考察した。なお、サンブラーノ氏の発表のみスペイン語で、その他は日本語で行われた。発表の後、30分ほど質疑応答の時間が残っていたが、多くの質問、コメントが寄せられ、終了予定時間を5分以上も超えてしまった。亡霊という概念、人間の条件の探究という現代小説の性格、アレナス文学とホモセクシュアル、フェリスベルトの位置づけ、など様々な論点をめぐって活発な議論が展開した。発表内容のレベルも高く、比較的聴衆は少なかったが、テーマへの関心は高かったようで、現代ラテンアメリカ小説をめぐる重要な論点がいくつも指摘されると思う。

「亡霊たちの現代小説 ―エルネスト・サルバトの小説論から」
寺尾隆吉(フェリス女学院大学)

エルネスト・サバトの評論『作家とその亡霊たち』を取り上げ、その核となる現代小説論を概略しながら、ラテンアメリカという地域にとらわれない文学研究の枠組みを模索した。人間心理の深淵に救う悪魔を導き出すのが現代小説の使命、というサバトの主張を基盤に、「亡霊の文学」という観点から世界文学を系譜立てる可能性を定期した。

“Kobo Abe y Gabriel Garcia Márquez: tradición y transgresión”
Gregory Zambrano(Universidad de Los Andes, Mérida, Venezuela/ Fundación Japón)

安倍公房のガルシア・マルケス論「地球儀に生きるガルシア・マルケス」を出発点に、文学の伝統とともに出来上がる規範的「現実」感からの逸脱という点から、安倍とガルシア・マルケスを比較した。標準から逸脱した言葉と想像力によって生み出される両者の「幻想」的世界に、「幻想文学」、「魔術的リアリズム」といったレッテルを貼る危険性を指摘した。

「教条ドクサと逆説パラドクサ―レイナルド・アレナスとビルヒリオ・ピニェーラにおける身体」
山辺 弦(東京大学大学院総合文化研究科)

キューバの政治体制に苦しめられた二人の作家ビルヒリオ・ピニェーラとレイナルド・アレナスを取り上げ、『襲撃』と『圧力とダイアモンド』を中心に、特に身体に及ぶ危険という観点から両者を比較した。逃走する主体という点に着目し、両者に見られる得意な「幻想」を地域性や政治性にとらわれない視点から論じる方法を模索した。

「不思議としての世界と戯れる―フェリスベルト・エルナンデスにおける記憶と幻想」
浜田和範(東京大学大学院総合文化研究科)

ウルグアイの作家フェリスベルト・エルナンデスの短編集『誰もランプをつけなかった』を取り上げ、ビオイ・カサーレスの『モレルの発明』などと比較しながらその「幻想」の本質を分析した。一回限りの奇跡としての幻想ではなく、記憶という何度も繰り返される現象を基盤にした幻想が、曖昧というよりは「不確か」という性質であることを指摘し、同じウルグアイのネオッティのような作家との共通性を示唆した。

大会シンポジウム「ラテンアメリカにおける民主主義と社会運動」

コーディネーター:鈴木 茂(東京外国語大学)

鈴木の趣旨説明に続き、6人のパネリストの報告が行われた。各パネリストとその論題は以下のとおり。新木秀和(神奈川大学)「先住民運動と民主主義―エクアドルの事例を中心に」、石橋純(東京大学)「『黒人』から『アフロ系子孫』へ―チャベス政権下ベネズエラにおける民族創生と表象戦略―」、後藤雄介(早稲田大学)「ペルーにおける多文化主義の政治文化的位相―劇団ユヤチカーニの活動を中心に―」、柴田修子(大阪経済大学・非常勤)「メキシコ:自立した社会運動の模索」、林みどり(立教大学)「アルゼンチン人権運動におけるジェンダーの機能」、山崎圭一(横浜国立大学)「ブラジルにおける参加型予算を中心に」。狐崎知己(専修大学)、吉田栄人(東北大学)による研究方法や研究者と研究対象との関係などに関するコメントを受けて、改めてコーディネーターと6人のパネリストが補足説明を行った。時間的問題から十分な討論ができたとは言いがたいが、用意した120部のレジメでは足りないほど多くの参加者を得て盛会であった。

特別企画1<ドキュメンタリー上映>

「ユカタン・マヤのトランスナショナリズム~米国でマヤ語を話す~」
吉田栄人(東北大学)

1990年代以降、メキシコ・ユカタン州から米国への出稼ぎ労働者の数は急増している。その数はユカタン州政府の推計では12万人から15万人にも達する。ユカタン州政府マヤ文化開発局(INDEMAYA)がそうした出稼ぎ労働者に対する支援を主要業務の一つにしていることからも分かるように、米国への出稼ぎおよび移民は今日にユカタン社会に非常に大きな影響を与えつつある。そうした影響は出稼ぎ労働者による送金(外貨収入)がもたらす経済的なものだけに限らず、政治的、社会的、さらには文化的な領域にまで及ぼうとしている。
こうした出稼ぎを通したグローバリゼーションの中で、ユカタンではマヤ語を話せなかった若者たちが出稼ぎに出た先の米国でマヤ語を話しているという状況も珍しくない。現在ユカタン州では州政府によるマヤ語の復興活動が精力的に進められていることを勘案すれば、そうした米国でのマヤの人々の個人的な経験が本国の言語的さらには文化的状況に与える影響にも注目しておかねばならない。
こうしたトランスナショナルな環境におけるマヤ文化の復興ないしはマヤ・アイデンティティの再獲得の一つの具体例として、ドキュメンタリー映像“Vivencias de Felipe Tapia”(政策Arux Kat、2009年、メキシコ)を上映した。この映像は、出稼ぎ労働者としてサン・ラファエル(カリフォルニア州)に渡ったペト市出身のフェリペ・タピアがそこでマヤ語のラジオ放送のパーソナリティを務める中で、マヤであることの意味を自ら問い直すことになる経験をフェリペ自身が語ったものである。

特別企画2<演劇グループ「セロ・ウアチパ」上映>

『テオドロ・ウアマン』上映報告
山本昭代(慶應義塾大学非常勤講師)

6月7日(日)12時半~、日系ラテンアメリカ人と日本人による演劇グループ、セロ・ウアチパによる創作劇「テオドロ・ウアマン」が上映された。参加したのは、日系ペルー人4人と日本人2人の計6人。
ストーリー:ゲリラと軍による暴力のため、故郷のアンデスの村を追われたテオドロは首都リマに来るが、不況で失業。偽名で日系人に成りすまし、日本に来て必死に働くが、ここでも不況のために失業の憂き目に。収入が途絶えてビザの更新のための手数料が払えなくなった。テオドロは、偽名ではなく、本命でビザを申請したいと願うが・・・。
劇のストーリーは日系ペルー人メンバーらの身近な体験談に基づき、互いにアイデアを出し合って制作されたものである。劇中の会話は日本語とスペイン語の2言語で行われたが、スペイン語を日本語に、あるいはその逆に翻訳するのではなく、1人がスペイン語を、それに返す相手が日本語で話すというスタイルがとられ、一方の言語しか解しない観客でも、話の筋を追うことができた。上映後、観客との間でディスカッションの時間がもたれ、質疑応答が行われた。