第31回定期大会(2010) 於:京都大学

6月5日(土)、6日(日)の両日、京都大学の京大会館を会場に、第31回定期大会が開催された。本学会の定期大会が京都大学で開催されたのは初めてで、京都大学地域研究統合情報センターとの共催のもとで実施された。日中は汗ばむような気候のなか、両日とも晴天に恵まれ、分科会、パネルの他、講演会、懇親会、シンポジウムに、多数の参加者を得て(会員161名、非会員50名の参加)、充実した議論が展開され、盛況の内に終了した。

記念講演の講師として、ロンドン大学名誉教授で元英国王立国際問題研究所所長のビクター・バルマートーマス氏を招聘し、ラテンアメリカにとって21世紀の最初の10年がどのようなものだったのか、語っていただいた。シンポジウムでは、前日の講演を受け、3名のパネラーにそれぞれの視点からラテンアメリカの21世紀のゼロ年代を振り返っていただいたのち、フロアーとの間で、ゼロ年代の特徴やラテンアメリカの今後に及ぼす影響などについて議論が活発に行われた。

本大会は、開催校に会員が1名という状況で大会準備のほとんどが進められたことから、数多くの方々の御協力と御支援なしには到底実施しえなかった。大会実行委員会の委員をはじめとする学会員の皆様、ならびに準備と実施の過程で裏方を支えてくれたスタッフの方々に対し、この場を借りて心よりお礼申し上げる。(村上勇介)

第31回定期大会プログラム 31

記念講演

"Out of the Shadow? The Maturing of Latin America in the 21st Century"
Victor Bulmer-Thomas (London University)

(要旨)

21世紀初めの10年間、ラテンアメリカは欧米(特に米国)に対する相対的地位を向上させ、世界における存在感を増してきた。 この重要な歴史的変化は、国際関係、経済、政治、社会、環境問題等の観点から捉えることができ、同地域が米国依存を脱し、国際関係を多角化させたことが、この歴史的変化の主な要因だといえよう。域内諸国は、イベロ・アメリカ・サミット、APEC、欧州連合、UNASUR、ALBA等の多様な国際制度を介して米国以外の諸国との関係を緊密化させてきた。同時に、近年の一次産品輸出ブームは、貿易相手国の多角化に寄与した。特に、天然資源の輸出増に起因する好況とインフレの沈静化は、メキシコ以外のラテンアメリカ諸国に未曾有の経済的安定をもたらした。リーマン・ショックの影響が比較的軽かったことも、域内諸国の多くが、対外的に脆弱な経済構造を転換させつつあることを示す一例と言える。また、経済的安定と革新的な社会政策の導入は貧困削減にプラスの効果を発揮し、域内諸国はミレニアム開発目標を満たしつつある。一方、政治的にも民主主義の進展が見られる。近年の左傾化、それに続く中道・中道右派政権への流れの変化は、選挙による政権交代が常態化したことを示し、政治の正常化を意味する。さらに、先住民運動の活発化は、従来、政治的に排除されてきた人々が、民主的プロセスの中で、政治参加の機会を広げつつあることを意味する。しかし、プラスの変化は一様ではなく、一部の地域では治安の悪化、政治腐敗、環境破壊等の問題が深刻化している。これらの問題は、法の支配が行き届いていないことに起因することから、強固な司法制度を確立することが重要である。こうした懸念事項を勘案すると、21世紀のラテンアメリカは「2歩前進、1歩後退」と特徴づけられる。とはいえ、全体的に見て、ラテンアメリカはプラスの方向へ向かっていると判断して差し支えないであろう。

研究発表

分科会1<文学> 司会:山蔭昭子(大阪大学)

本分科会では、「ラテンアメリカ文学に見る歴史・思想・芸術」という共通テーマで三つの報告が行われた。成田会員の報告はカルロス・フエンテスの作品に現れる時間の概念を通して作者の歴史の捉え方を示そうとしたもの。穐原会員の報告は、従来音楽との関わりで取り上げられることの多かったアレホ・カルペンティエルの作品を、絵画や視覚イメージの効果という観点から取り上げたもの。南会員の報告は、メキシコの詩人ハビエル・ビジャウルティアのシュルレアリスム理解の変化が何を契機に生じたかについて解明しようとしたもので、いずれの報告も意欲的で興味深いものであった。25名の参加者があった会場からは、各報告に対して的確で有意義なコメントや質問が続出し、時間いっぱいまで自由な雰囲気の中で活発な議論が展開された。
以下は報告者自身のまとめによる要旨である。

「小説世界にみるカルロス・フエンテスの<歴史>認識」
成田瑞穂(神戸市外国語大学)

カルロス・フエンテスは長篇『われらの大地』で16世紀スペインの裏面史と「発見」当時のメキシコを描き出してい
る。そこで明らかにされるのは、不動の世界の創設を夢見てエル・エスコリアル宮を建築したフェリーぺ二世の存在も、新大陸での青年の冒険譚も、過去に存在したものが変容したバリエーションのひとつでしかない、ということである。それは、過去に起こる可能性がありながら生起しなかった事象が、過去の別の可能性として現在や未来に示されることを意味し、線的な時間では取り戻すことのできない過去を何度でも蘇らせることを可能にする。
フエンテスはこの作品でヨーロッパ主体の線的な歴史概念への批判を織り込みながら、円環性を備えた時間概念に基づく歴史を描き出す。それは歴史上の人物、歴史的事象が、すべての人格やあらゆる実現可能性を包含するために反復と変容を繰り返していく、というフエンテスの歴史認識を示すものである。

「アレホ・カルペンティエルの小説における絵画と寓意」
穐原三佳(神戸市外国語大学)

本発表では、アレホ・カルペンティエルの『光の世紀』における絵画や視覚イメージの効果について検討を行った。とり上げた絵画作品は、モンス・デジデリオの『偶像を破壊するユダ王国のアサ王(聖堂の倒壊)』、ゴヤの『戦争の惨禍』、『1808年5月2日』および『1808年5月3日』である。
まず、『聖堂の倒壊』について、この絵が小説の登場人物の運命を予示しているという点、さらに視点人物の解釈を通して、同じ絵画が小説の舞台である18世紀という時代の寓意としての機能を帯びている点を指摘した。
版画集『戦争の惨禍』に関しては、視点人物エステバンに着目しつつ、ゴヤの版画に付された詞書および版画のイメージと小説中の各場面に描かれた情景との一致が見られることを示した。また、『1808年5月2日』と『1808年5月3日』については、その作品名あるいは画家について言及することなく、小説の結末部の情景描写を通して二つの絵画のイメージを想起させるという手法がとられており、視点人物を介さない描写を通して、よりクローズアップされた絵画イメージが示されている点を指摘した。

「メキシコ詩人ハビエル・ビジャウルティアによるシュルレアリスム理解の転機」
南 映子(東京大学大学院博士課程)

メキシコの詩人グループ「コンテンポラーネオス」の一人、ハビエル・ビジャウルティア(1903-1950)の夢や無意識をテーマにした詩は、シュルレアリスムの関心や精神分析理論と接点を持つ。しかし彼は、夢の詩を書く詩人は常に覚醒しているべきだと述べ、形式としても定型詩を選んだため、シュルレアリスムの提案のうち自動記述には反対したとみなされてきた。本報告では、自動記述を描いたと考えられるビジャウルティアの「詩」(初出1927)を題材
に、詩集への収録時(1941)に書き換えられた唯一の語(「ciego」→「libre」)に注目し、彼の批評と併せて読むことで、彼が1940年頃にシュルレアリスムの源流はドイツ・ロマン派~ジェラール・ド・ネルヴァルにあるという指摘を読み、自動記述は意識の働きの完全否定を意味せず、「夢の現実性」や「狂気の明晰さ」の復権がなされた「自由」な状態をめざすものだという肯定的な理解を得たことを示した。

分科会2<文化――ラテンアメリカにおける文化的表象の諸相> 司会:北森絵里(天理大学)

この分科会では3つの報告がなされた。第1報告は、ヨーロッパ世界から見た先住民表象が、歴史学的方法によって分析された。第2報告では、現代ペルーのポピュラー音楽を通して「越境する社会空間」という概念が考察され
た。第3報告は、俳句が「国境を越えて」、アルゼンチンで受容され、アルゼンチン・ハイクが生成されるプロセスが報告された。いずれの報告も、具体的な資料・事例が詳しく紹介されたため、司会を含め、専門分野の異なる参加者にも理解しやすく、活発な質疑応答がなされた。各報告の要旨は、以下の通りである。

「巨人と小人のフロンティア:ペドロ・サルミエント・デ・ガンボアとマガリャンイス海峡先住民表象」
長尾直洋(松阪看護専門学校非常勤講師)

本発表では、ペドロ・サルミエント・デ・ガンボアによる二度のマガリャンイス海峡航海(1579-1584)報告内の海峡先住民表象を分析した。最初の航海に関するサルミエント自身の報告を分析した結果、登場する八つの先住民グループは、贈物や武力にて懐柔され服従しスペイン側の協力者になる存在、懐柔不可能でスペイン側の敵対者となる存在という二種の表象に大別することができた。前者の一部には他のヨーロッパ勢力との敵対関係が示唆さ
れ、後者には巨人・弓矢・煙という特徴が見られた。また、第二回航海の報告における四つの先住民グループも前述と同様の二種に大別可能であり、さらに前者の一部には小人という属性が付与され、後者に関しては懐柔の不可能性が減じられていることが分かった。以上から、サルミエントは海峡先住民を<協力者/敵対者><小人(友好的)/巨人(弓矢・好戦的・煙)>という二つの対立項にて表象していたといえる。

「音楽とトランスナショナリズム―ペルー人のミュージシャンを中心に」
ロッシ、エリカ(一橋大学社会研究科博士後期課程)

本報告では、移住者等が創造し利用しているトランスナショナル空間を考察するために、ペルー移住者とクンビア・ペルアナというポピュラー音楽ジャンルに焦点を当てた。特に、リマ市、ブエノスアイレス市、神奈川県を基点する移民者等の音楽実践を中心に「越境する」音楽を通じて創造される「トランスナショナルな社会空間」を提示した。
クンビア・ペルアナ音楽は固定的な「移民の文化」ではなく、アクターの自己表現、個人史、市場経済的要因などが交錯するところを顕在化させるプロセスとして立ち現れる。このような音楽実践への力説により幅の広い活動を含む世界中のアクターの越境的実践の反復によりトランスナショナルな社会空間が形成される。この概念の導入により観光客、音楽家、芸術者などといった移動者、そしてまた、音楽への愛好といったテイストに結束される流動的かつ不可視なコミュニティを論じることが可能であると主張した。

「アルゼンチンにおけるスペイン語ハイク生成について」
井尻香代子 (京都産業大学)

日本の俳句は、明治開国後速やかに世界に紹介され、英語圏のイマジズム、フランスのジャポニスム、スペイン語圏のモデルニスモを通じて前世紀初頭の西欧の詩に影響を与え、外国語によるハイク作品が初めて作られた。次に俳句が注目を集め、アメリカのビートの詩人たちを皮切りに外国語での制作が本格的に始まったのは1950年代である。このように俳句の普及は、西欧世界の詩的言語観の変動と関わりを持ちつつ進展してきた。アルゼンチンへの俳句導入は、この短詩形への国際的関心が二度目の高まりをみせた1950年代後半から始まった。日系移民による俳句普及活動と、アルゼンチン人作家によるスペイン語での制作活動という二つの流れが合流した結果、現在は様々な教育・研究機関において活発な研究・制作・普及活動が行われている。この報告では上記二つの流れについて発表者が行った調査に基づき、日本の俳句受容とスペイン語ハイク生成のプロセスを考察した。

分科会3<メキシコ―社会変革に向けての諸課題―> 司会:高橋百合子(神戸大学)

本分科会は、メキシコの社会変革に関連する3つの報告から構成された。メキシコ社会の多様性を反映し、分析対象とする時代およびテーマは異なる一方で、いずれの報告もメキシコに内在する様々な社会・政治・経済的問題に焦点を当てるとともに、そうした問題を打破する動態的な試みを分析した研究成果に基づくものであった。最初の小松報告については、ストリート・チルドレンの時系列的な行動の変化、国家による政策介入、ジェンダーの観点からのNGO支援の有無等についての質疑応答を通じて、追跡調査が難しい同研究の意義と、貴重な研究成果が共有された。続くRosales Sierra報告では、政治的多元化が進む中で進められてきた、国家改革論議に包括的な社会改革アジェンダを盛り込むことの難しさ、および地方レベルでの改革の試みについての活発な議論が展開された。最後の松久報告では、母体管理に関する当時の女性の意識、国家主導の母性主義教育に対する女性の反応、および現在の政策との比較等について、踏み込んだ議論がなされた。以下は、各報告の要旨である。

「ストリート・チルドレン集団の特徴―家父長的社会集団を形成するメキシコ市大都市圏における事例―」
小松仁美(淑徳大学大学院)

ストリート・チルドレンは、その生存戦略上、参入・退出の緩やかな集団を形成し、さらに、複数集団間においてネットワークを形成して、ネットワーク内において他集団への移動を自由に行えるようにしている。(この点については、昨年度の東日本部会において報告させていただいた。)本大会では、このネットワークを構成する個々の集団の構成員とその役割に着目し、集団の特徴について報告する。参与観察に基づきストリート・チルドレンの集団は、主として男性によって構成され、緩やかな家父長的なヒエラルヒーの構造を持つという知見が得られたことを報告し、このような特徴のために惹き起される問題について言及する。

「“La reforma del Estado en México”」
Patricia Rosales Sierra(慶応義塾大学非常勤講師)

本報告は、メキシコにおける国家改革について考察する。国家改革とは、憲法改正にとどまらず、経済、政治、社会的側面を含む包括的な改革を意味する。具体的に、1997年、2000年、および2007年に実施されたプロジェクトに焦点を当て、その参加者、過程、内容、および帰結について比較考察を行う。1997年は選挙改革が中心となり、セディージョ大統領の強い指導力によって一定の成功がもたらされた。ムニョス・レド率いる2000年の国家改革プロジェクトでは、経済・社会改革を含む包括的な提案がなされたが、連邦議会によって承認されるには至らなかった。一方、2007年のプロジェクトは、政党主導で行われたが、主要政党間で合意に至るには及ばず、その成果は限定的なものであった。これらの改革の試みは、メキシコがどのような方向へ進もうとしているのかを理解するために、重要な示唆を与えてくれる。

「1920年代のメキシコにおける優生学と母性主義教育」
松久玲子(同志社大学)

メキシコでは、1920年代に優生学を基盤とした公共衛生政策が実施された。当時のメキシコは、内戦により人口の5%が失われ、幼児死亡率は20%を越えていた。感染症を予防し、幼児死亡率を抑え、人口増加を図るためにさまざまな措置がとられたが、そのひとつとして幼児衛生サービス、小児科・幼児衛生の講座開設、育児学の初等教育、職業教育カリキュラムへの組み入れが行われた。また、衛生政策において、女性の生殖に関する機能に焦点が当てられ、性教育の必要性が議論された。フェミニストの間からは出産調整や中絶が提起されたが、それに対しカトリック教会を中心とする保守派は、「母の日」の行事化などを実施し、性教育・出産調整反対、母性礼賛のキャンペーンを行った。「母の日」は学校行事化され、公教育省は職業技術教育として「家庭学校」を設立し、出産と育児における母親の責任が強調された。

分科会4<ブラジル―「秩序と進歩」の現状> 司会:小池洋一(立命館大学)

本分科会ではブラジルの社会と法に関する4つの報告があった。山田報告に対しては、有効な治安政策・体制に関して質問が、また政府の抑圧的な姿勢が治安を悪化させているのではないかとの意見があった。続く住田報告に対しては、ルーラ政権の高い成果が、優れたブレーンによるものではないか、またカルドーゾ政権の政策と一次産品価格の上昇という幸運に帰せられるのではないかとの意見があった。佐藤報告に対しては、違憲審査制度の変更についてその趣旨、変更に伴う訴訟の効率化についての質問と、拘束力を有する判例要旨の採用によって上位の裁判所の判例が下位の裁判所の司法判断に強く影響してしまうのではないかとの意見があった。後者については、ブラジルでは裁判官が上位の裁判所の判決に左右される度合いが小さいとの返答があった。高橋報告に対しては、土地なし農民が定住した場合の土地の所有形態、定住後に他の農民に土地を売却する理由について質問があり、前者については所有が国にあり土地管理をMSTに委託している、後者については農民が定住の習慣がないからであるとの返答があった。

「リオ・デ・ジャネイロの治安―組織犯罪と警察―」
山田睦男(国立民族学博物館名誉教授)

リオ州とリオ市の殺人率は、国際比較でも高い。その下降は、サン・パウロに比べ、緩慢である。約1千のファヴェラの多くを支配し「沈黙の掟」を押しつけ、買収資金をもつ重武装の麻薬密売組織犯罪の優位と警察の欠陥に起因する「不罰性」が犯罪敢行の閾値を引下げている。殺人の約7割と多くの暴力的財産犯罪に関与するリオの組織犯罪は、コマンド・ヴェルメリョなど3つの組織が寡占状況にあり、非合法商圏をめぐり武力抗争しつつも、近年の収益減少から麻薬取得経路に関して一定の協力を進めている。ブラジルには、連邦警察と州警察があり、後者
は、民警と軍警が並立するが、情報と取締り行動の両面で統合が試みられている。警察の非効率(殺人件数の数%のみの解決)と腐敗(毎年数十-数百名の警官の解任、起訴)と「交戦射殺」、即決処刑、拷問などの不法行為の頻発が警察の信頼性を損ない、捜査の困難から治安悪化という悪循環が生じている。ファヴェラ住民を麻薬組織の支配から解放すべく、軍警数十名を常駐させるUPP「保安警察分署」が2008年から実施されている。州警察の人員・予算の限界と連邦の支援規模を念頭にUPPの進展に注目すべきだ。

「ブラジルにおける労働者党の歴史とルラ政権誕生の経緯」
住田育法(京都外国語大学)

ブラジルのルラ政権誕生は同国の歴史にとって変革の可能性をもたらした。2010年4月のダッタ・フォリャの世論調査の政権支持率は73%であり、2003年以来の政権が概ね成功裡に推移したことを裏付けている。報告では、労働者党(PT)の歴史とルラ政権誕生の展開は民主化の進展とルラ個人のカリスマ性が有効に機能した結果であるとの認識に立って、資料を示しながら論じた。時間軸では1970年代以降の労働者党創設の歴史と新指導者ルラの人脈に注目し、30年余の展開を振り返る。1988年公布の民主憲法の下で庶民派の大統領としてカルドゾに続いてルラが登場し、ブラジルは彼らによって「社会正義」の道を重視し始めた。それは、農地改革や所得のより公平な分配、国民全員への教育機会の拡大、住居の提供などの選択である。しかし、民衆の努力に加えて、国家の果たす役割も大きい。新自由主義政策との比較において、ルラ政権下の「秩序と進歩」対「社会正義」の構図を考えた。

「2007年以降のブラジルの違憲審査制」
佐藤美由紀(杏林大学)

2004年の憲法改正と2006年の法律により、2007年以降のブラジルにおいては付随的審査に3つの重要な制度変化が生じた。①拘束力ある判例要旨の採用で、他の裁判所を法的に拘束しない既存の判例要旨とは別に法的拘束力をもつ判例要旨を設け、②特別上訴に一般的影響を要件とし、主観的利益を超えて経済的・政治的・社会的・法的に重要な争点をもつ特別上訴以外の特別上訴は却下することとし、③国家司法審議会を設置して、諸裁判所の裁判官に弁護士と市民を加えて構成される国家司法審議会による事務と訴訟の迅速化を含めた司法行政と訴訟手続の統制と透明性の確保を目指した。これらの制度では電算機処理が効率化の一つの鍵である。制度採用の効果をみると、2007年から2009年までの3年間に連邦最高裁において特別上訴の数は減少したが、逆に①②の制度に関連する不服申立の数は増加している。下級裁判所での画期的訴訟減少は観察されない。

「ブラジル北東部バイーア州におけるMST(土地なき農村労働者による運動)の展開と『近代』―運動参加者と土地との関係を通じて―」
高橋慶介(一橋大学大学院生)

MSTは農業改革を唱えつつ、ブラジル各地で郊外にある土地の占拠運動を行う。1984年に同国南部で結成し、2009年において27州中23州で運動を展開する。北東部バイーア州には1990年代後半に本格的に進出し、現在も積極的に活動を行う。本発表では、人類学者パルソンの提示した人間と環境の関係を巡る図式を手掛かりに、MSTにおける人間と土地との関わりを検討した。MSTは占拠した土地を「征服された土地」と表現し、また、活動方針として自然環境の保護を打ち出す。一方、運動参加者の語りからは自己の歴史を土地で表象し、土地を自己の歴史を通して言及する、自己と空間の不可分な関係が見て取れる。こうした人間と土地との様々な関係のあり方が同時に共存しうること、「近代」言説がそれらを一面的に捉える傾向があることを指摘した上で、「人間と土地との関係間の関係」に注目しつつ、ブラジル北東部におけるMSTのあり方を考察した。

分科会5<社会政治発展の諸相―各国におけるナショナル・ローカルレベルの試み> 司会:内田みどり

第4報告「コスタリカ2010年2月国政選挙の意味するもの」が竹村卓会員の急病によりキャンセルされたことは残念だが、会場はほぼ満席で質疑応答も活発だった。丸岡会員は全世界の観光地にとって悩みの種である「トイレとゴミ」問題に観光業者自身が取り組んだ事例を紹介した。舟木会員はボリビアの農民層が大衆参加法によって政治参加の経験をつみ、意識・実践能力を向上させたことがMAS躍進の背景にあるとみた。舟木会員には特に多くの質問が寄せられたが、MASを構成する社会組織が主体者意識の向上を示しているのか、それともMASがヘゲモニーを握った後は動員装置に堕してしまったのかは、今後の検討課題とのこと。幡谷会員は鉱物資源×エコロジー×フェアトレードという意外な組み合わせに希望をつむぐ紛争地コミュニティを採掘の写真を交えながら報告した。司会の不手際により十分な討論の時間がとれなかったことをお詫びする。

「コスタリカのマヌエル・アントニオ国立公園における持続可能な観光のための一考察」
丸岡 秦(石巻専修大学)

コスタリカのマヌエル・アントニオ国立公園は同国国立公園中入場料収入が一番だが、観光の自然環境への負荷も大きい。公園に観光客が食料を持ち込み野生生物がゴミを漁るなどの影響がある。野生生物への影響低減のため、国立公園への入口を自然観察者用と砂浜でレジャーを楽しむ観光客用に二分する管理法が有効と考えられ
る。水質に関する現状は、公的な下水処理施設が存在せず、ホテルのトイレ浄化槽が各ホテルの費用負担で建設されている。2009年2月には国立公園内トイレ浄化槽の破損により、大腸菌が流出し、水泳のための水質認証基準「生態学的青旗」が剥奪された。この問題は観光庁ICTがトイレ建設に例外的な支出を行うことで対処されたが、これは同公園の観光の経済効果が大きいためと考えられる。持続可能な観光のためには、公的下水処理施設建設または補助金、および入場料収入からなる信託基金の使途の柔軟化が必要と結論付けた。

「ボリビアにおける大衆参加法と社会主義運動党(MAS)の台頭過程―MASを構成する社会組織の全国的ネットワークはいかにして機能したのか―」
舟木律子(中央大学)

2002年ボリビア大統領選挙において、MASが二位に躍進した。この背景には、MASの社会組織の全国的ネットワークが、実質的に機能し始めたことがある。ではなぜこのときより、MASを構成する社会組織の全国的ネットワークは機能するに至ったのだろうか。
エルトルノ市を中心とした事例研究の結果、大衆参加制度の運用過程において育成された新たな農民リーダーを軸として、MASの農民労組連合の末端組織が、実質的に党支部を結成しMASとして活動し始めたこと、さらにその過程において監視委員会という制度枠組みが、MAS支部によって有効に活用されたこと等が確認された。
MASの社会組織のネットワークが機能する上で、大衆参加法は、農民・先住民層にとっての政治参加の制度的機会を拡大したのみならず、その機会を実際に利用する経験を通して、制度的政治アリーナの参加者としての意識・実践能力の向上を促したという点が重要であった。

「コロンビアにおける生存と和平をめざすローカル・イニシアティブ―鉱物資源ブーム下の金鉱採掘コミュニティの事例から―」
幡谷則子(上智大学)

コロンビアでは、グローバリゼーションによるローカル・コミュニティの破壊が起こっている。半世紀以上続く武装集団による暴力と共存する紛争地コミュニティには、行政サービス供給者としての国家が不在であった。しかし、ウリベ政権(2002年~2010年)は集団的武装放棄を推進し、「紛争後の経済開発」を中心的政策課題に掲げ始めている。治安回復が対外的に認識されるにしたがって、大規模な資源開発プロジェクトが(旧)紛争地域における新しい住民排除の脅威となりつつある。本報告では今日の世界市場における鉱物資源ブーム下のコロンビアの経済ポテンシャルと開発政策を概観し、その文脈でアフロ系住民コミュニティが「グリーン・ゴールド」(Oro Verde)という環境に配慮した生産様式によって伝統的金採掘業の維持をめざす試みを紹介した。最後に極限の状況下での抵抗の社会運動とオルタナティブな開発戦略が継続される可能性を考察した。

分科会6<外交> 司会:浜口伸明(神戸大学)

この分科会では米州の国際関係の史的展開を扱った3つの報告が行われた。冷戦後、価値観が多様化し、安全保障上の問題も変容したとはいえ、ラテンアメリカにとって対米関係の重要性は改めて言うまでもない。この分科会の報告で取り上げられた1950年代以前は国際的な対立が激しさと広がりを増していった時代であり、当時のラテンアメリカにおける米国の存在感は大きいが、高橋報告と戸田山報告はそのような中でもラテンアメリカが政
府、あるいは労働組合レベルで主体的に対米関係を構築しようとしていたことを指摘した。また江原報告は技術援助というソフトパワーに援助の中心があったという、米国の意外なラテンアメリカ観を明らかにした。

「『新国家』体制の外交理念―その予備的考察」
高橋亮太(筑波大学大学院)

カルドーゾ、ルラ両大統領は、低姿勢と呼ばれていたブラジル外交を極めて積極的なものへと転換させた。これに対して、同国の外交理念や目標は一貫して変わっていないとされる。すなわち、昨今の積極外交を実現可能にしているのはブラジルに通底する外交理念なのではないだろうか。本報告では、ブラジルの外交理念の特徴を明らかにするための事例として、「新国家」体制樹立の1937年から第二次大戦参戦の1941年までに展開された対外政策を扱う。また、当該時期の対外政策を説明するために外交史家Moura(1980)が提示した「プラグマティックな等距離」という概念に関する論争を紹介する。この概念は、連合国と枢軸国との両陣営に対して等しい距離を保つことによって国益を追求する二元外交を象徴している。この論争およびBueno(2006)の研究を踏まえ、「新国家」の外交理念を特徴づけるものとしては、列強諸国との関係に「均衡」を保とうとする姿勢が最も重要であったことを指摘する。

「ブラセロ・プログラム延長と『非合法移民問題』をめぐる米墨労働組合の対応―1946~1954年を中心に」
戸田山祐(東京大学大学院)

本報告では、1940年代後半から50年代中期にかけて米国とメキシコの労働組合のあいだで展開された、米国内で就労するメキシコ人移民労働者の組織化をめぐる一連の交渉の分析を通じて、国境を越えた労働力移動への労組の対応のあり方について考察した。第二次大戦中の米国内における労働力不足の解決策として開始されたブラセロ・プログラムによる米墨間の移民の流れの活発化は、同時に非合法移民の増加を促した。このような状況を背景に、1950年代初頭には、二国間協定によって米国内で就労する労働者の権利擁護と、協定の締結過程への代表の参加を目標とする、両国の労組による共通の活動方針が策定された。米墨両国の労組はブラセロ・プログラムによってもたらされた合法および非合法の移民の拡大という状況に対処すべく、非合法移民の抑制や合法的に就労するブラセロの権利保障といった、共通の利害を軸に協力関係の構築を図ったのである。

「1950年代におけるアメリカの対ラテンアメリカ技術援助政策」
江原裕美(帝京大学)

国際開発協力(援助)が多国間の協力体制として形成されるプロセスの主役となったのはいうまでもなくアメリカである。一般に開発援助はトルーマン大統領による1949年のポイント・フォー宣言からとされるが、ラテンアメリカへの技術援助はそれに先駆けてすでに1940年代初期から教育文化交流の一部として行われており、それがポイント・フォーのヒントとなった。1950年代前半のトルーマンおよびアイゼンハワー第一期政権において、対ラテンアメリカ援助はほとんど技術援助に集中し、ごく低額にとどまったが、1950年代後半には経済援助が増加の兆しを示すようになる。50年代前半、技術援助は、ヨーロッパへの経済援助とは異なるカテゴリーとされ、冷戦の脅威の少ない地域を対象とした。それは農業中心で小規模産業育成による資本蓄積を目指し、民間企業による活動を補佐するもので、アメリカ的開発観を反映していた。

分科会7<先住民――アイデンティティ模索の歴史的考察> 司会:北森絵里(天理大学)

この分科会の4つの報告は、いずれも「先住民」および「先住民運動」をめぐる報告であったが、それぞれの分析
は、文化人類学、政治学、歴史学といった様々な分野からなされたため、分科会そのものが学際的研究の様相を呈することになった。さらに、どの報告も、報告者のこれまでの(長年の)研究蓄積の上に成り立っていたため、豊富な資料、先行研究に見られる概念の再考、フィールドワークの中から提起される問題の検討といった諸点もまた非常に充実していた。フロアの参加人数もすべての座席が埋まるほど多く、報告後の質疑応答も活発に行われ、時間が足りないほどであった。各報告の要旨は以下の通りである。

「中米先住民運動と政治的アイデンティティ:メキシコとグアテマラの比較」
池田光穂(大阪大学)

今日、国際社会における先住民の位置づけは、周辺化された人びとの代名詞からある種の政治的主体へと変化している。先住民を政治的アイデンティティとして理解することには「当事者でない民」はおろか「当事者」においてもなお困惑の原因であり続けている。この困惑は、2007年9月13日国連総会における先住民の諸権利の国連宣言の採択において先住民の定義を付すことができなかったという事情に間接的に表現されている。これらの民の政治的アイデンティティの勃興の社会的起源について考察するためには、政治的主体によるアリーナとしての国家が先住民を包摂していく過程を解きほぐさねばならない。本報告では、メキシコとグアテマラという2つの国家における先住民政策とりわけ耕作地への開放という「土地問題」という視[地]点を取り込み、「文化」と「政治」の三角測量から先住民とは何かというこれまで繰り返し問われてきた課題を再度問い直した。

「ペルーとボリビアの先住民政治比較:社会の「強さ」の歴史的経路依存性」
岡田 勇(筑波大学博士特別研究員)

本報告では、ボリビアとペルーを比較し、なぜ前者では強力な先住民運動が政治的台頭を果したのに後者ではそうでないのかという問いに、歴史的観点から回答を試みた。既存の先住民運動研究は、1970年代以後の様々な要因を比較分析の俎上に載せてきたが、ペルーの先住民運動がなぜ隣国ほどの影響力を有していないのかを理解するためには1970年代以前の歴史的文脈が重要である。20世紀初頭からの先住民層の国家への編入と政治参加の歴史(「先住民政治」)を比較検討すると、ペルーでは「弱い社会」、ボリビアでは「強い社会」という構造的文脈が歴史的に存在してきたことがわかる。1952年(ボリビア)と1968年(ペルー)の革命政権は重大局面であ
り、この時期に形成された構造的文脈は、今日まで両国の先住民層の全国レベルの組織化と影響力を規定している。本報告は2010年3月に筑波大学に提出した博士論文の一部を基礎にしたものである。

「ユカタン・マヤの文化復興運動:Sara ZapataとBriceida Cuevasの眼差し」
吉田栄人(東北大学大学院国際文化研究科)

今日、多文化主義の実践が国家の主要な政治的・社会的なアジェンダとなっているメキシコでは、国家や州政府による社会プロジェクトから個々人の執筆活動にいたるまで先住民文化の復興活動が様々なレベルで行われている。しかし、その実施の過程には個々人の様々な思惑が交錯する。一方で、先住民文化の復興運動に関しては社会的弱者に対する政治的・イデオロギー的配慮からその内実に関してはあまり多くは語られない傾向にある。結果として先住民文化の復興運動に関する議論では個々人の視点や試みが捨象されがちである。そこで本報告では、文化財団Mundo Maya Foundationの創設者であるSara Zapataとカンペチェ州出身の詩人Briceida Cuevasの二人のマヤ先住民女性を事例として、彼女らの個人的な活動―本報告ではそれを眼差しと呼んだ―がいかに社会的なレベルの運動へと接合しうるのか、その可能性について検討した。

「18世紀メキシコ・イスミキルパン行政区におけるインディオ村落共同体の分離と広域的協調」
和田杏子(青山学院大学大学院生)

植民地時代メキシコ中央部の先住民政治組織については、従来、主としてその細分化の側面に焦点があてられてきた。それに対し、本報告では、18世紀前半期のイスミキルパン行政区のインディオ村落共同体が境界を越えて協調関係を結んだ事例をとりあげた。裁判記録の分析を通じて解明を試みたのは分離と協調のダイナミズムである。本行政区の主村・属村間には、17世紀末以降展開した分村運動に端を発する軋轢が存在していた。こうした政治状況下、非村役人層のインディオたちによって始められたマペテという集落での教会堂再建事業の出納役をめぐり、非村役人層のインディオ、マペテの独立を警戒する二つの主村の村役人層、スペイン人聖職者が法廷で争う。各関係者の戦術とその転換からは、分村をめぐり相対立していた二つの主村が、スペイン人聖職者の交代を契機として思惑は異としながら政治的に妥協し、非村役人層を含んだ共闘を実現した過程が明らかとなった。

特別パネル 「ハイチ民衆との連帯を求めて」
コーディネーター・司会:石橋純(東京大学)

2010年1月12日に発生したハイチ大地震を契機とし、このパネルは企画された。このカリブの小国に対し、にわかに高まるも瞬く間に退きつつある世界の関心、研究・教育でラテンアメリカを対象としながら、ことハイチに至っては十分に通じているとは言い難い多くの学会員――こうしたハイチをとりまく矛盾や現状が、司会の石橋純会員より企画の趣旨として提示された。植民地からの独立一番手、フランス語の影響、西半球の最貧国、アフリカからの濃密な文化的影響など、この国の放つ異彩はその存在感を際立たせてきた一方で、多くの「ラテンアメリカニスト」にとっては深入りを阻む心理的障壁となってきた面があるのかもしれない。
学会内からは唯一の報告者となった荒井芳廣会員からは、ハイチの持つ、いわば構造的な脆弱性にまつわる議論が紹介され、災害のもたらす被害がことのほか増幅していく仕組みが示された。また、1970年代にハイチを訪れた貴重な経験に基づき、往年の首都ポルトー・プランスの面影が回想されるとともに、文化財の再建・保護というかたちでの復興協力の可能性が検討された。歴史的価値を有する住宅の多くが外国人やブルジョワ層により占められていたことから、それらを単純に復元すべきか否かについては議論の余地がありうることも言及されたが、正であれ負であれ歴史の重みが刻みこまれたかつての街並みを垣間見るにつけ、失われたものの大きさをあらためて痛感させられた。
つづいて学会外から迎えたフォトジャーナリスト佐藤文則氏より、かねてより現地にたびたび足を運び取材活動を継続してきた氏ならではの、現地のナマの状況やハイチの歴史的背景に関する、数々の写真を織り交ぜた報告がなされた。ダウンタウンでひしめきあっていた露天商や運搬人たちの消息を案ずる何気ない一言には、民衆の目線でこの国を見続けてきた氏の一貫した姿勢が凝縮されているように思えてならなかった。そして、今回は多くを語ることはなかったものの、ハイチの豊穣なる文化に対する敬愛の念もまた、スクリーンに映し出されたスライドから伝わってきた。
やはり学会外から最後の報告者として登壇したNGO「ハイチ友の会」代表の小澤幸子氏からは、1990年代半ばからハイチに対する支援に携わってきた経験が披露された。医師としても地震後、日本赤十字社の派遣チームの一員として現地での医療活動に従事した氏は、その際に直面した困難や限界をきわめて率直に語り、援助の様々な問題点についても指摘した。そして、地域医療こそがハイチのような国での医療支援にはもっとも役立つのではないかという氏の提起には、長年の現場における試行錯誤の積み重ねに裏打ちされた説得力が感じられた。
日本にもハイチを真摯に見つめ、伝え、支援してきた人々が確実に存在することに心強い思いがした一方で、そうした一部の人々の奮闘ぶりに寄りかかっているばかりでは状況は何も変わらないものたしかである。ハイチにまつわる「心理的障壁」を意識的に乗り越え、この国と向きあっていこうとすることを、パネルに参加した一人一人が最低限の心構えとして共有したものと信じたい。

パネルA 「文化遺産の観光商品化と新しい伝統の創出」
コーディネーター:小林致広(京都大学)

ユネスコの世界遺産の中には、観光資源として営利活動や地域振興に活用されるものも少なくない。しかし、特定の場所に固有の文化遺産を「人類の遺産」と認証することで、当事者(登録・申請・認定する側、文化遺産の担い手)の間にはいくつもの矛盾が生じる。パネルでは、4報告者が文化遺産登録をめぐる当事者の多様な対応、真正性や伝統に関する議論について紹介した。
杓谷茂樹は、チチェン・イツァ遺跡公園の土地所有権変動と公園内の地元露天商の排除・許容の関係について論じた。PRI政権時代、地元露天商は公園外に閉め出されていたが、PAN政権は不法侵入に実効的な対策をとら
ず、2005年頃から公園内に地元露天商が跋扈しだし、2010年3月末バルバチャーノ家は土地を政府に売却した。民営化に積極的なPAN政権が遺跡公園の国有化を実行した背景に「遺跡は国の宝」という論理があったと指摘した。兒島峰は、ボリビア・オルロのカーニバルの世界遺産登録直前に、「七つの大罪」劇の台本の文字資料化をめぐって起きた「悪魔の踊り」の二グループ(ハキとカラ)間の対立を取り上げ、口承文化が当該文化の継承者にとって何を意味するかについて考察した。口承文化の保護・保全のために記録しようとする国際機関の在り方自体が、生きている口承文化の担い手の能動性を無力化するものであると指摘した。河邉真次は、メキシコのイダルゴ州ワステカ地方の事例を取り上げ、Xantolo(死者の日)の観光資源化の中で見られる行政当局側の「真正性の演出」と住民側の「柔軟な変容」の一端について紹介した。行政当局が観光客誘致を企図して行うイベントではワステカの「伝統」としてXantoloが演出されているが、本来、「死者の日」の祭礼を担うインディヘナ村落においては、娯楽的要素が増大し、実践の内容が大きく変容しているという。小林致広は、ベラクルス州政府が2000年からエル・タヒン遺跡周辺を会場として始めたクンブレ・タヒンの展開のなかで、「パパントラのボラドール」が無形文化遺産として申請・登録される過程について紹介した。ユネスコ向け報告書では、1930年代にすでに見世物化していたボラドーレスを伝統的な宗教的儀礼として育成強化する場として、テーマパーク運営やクンブレ・タヒンの実施が肯定的な意味を持つと強調されている。報告後、50名余の参加者と意見交換を行い、世界遺産認定のメリットとデメリッ
ト、地域社会の亀裂、文化遺産イメージの消費形態に関する分析の必要性などが指摘された。

パネルB 「冷戦とラテンアメリカ」
コーディネーター:ロメロ=ホシノ・イサミ(早稲田大学)

パネルの全体像
日本において中南米諸国の外交政策を一次資料で分析した研究は数少ない。そこで今回のパネルでは、「今まで行われていない一次資料研究を通じて中南米諸国の外交政策の研究に貢献する」ことを目的にした。その際、報告者は中南米がどのように冷戦に係わったのかを再検討し、自分の研究と一次資料を扱ったウェスタッド(Odd Arne Westad)の研究と照らし合わせた。ウェスタッドは、彼の著書である『The Global Cold War』で、対ソの「第三世界」への介入の原因はそれぞれの歴史に由来するイデオロギーにあると指摘し、それを実証するために一次資料を使用している。結局、報告者の4人のうち3人は、ウェスタッドの枠組みが中南米の分析にはあまり使えないことを指摘した。ただし、新冷戦下における米・キューバ関係の分析においては、イデオロギーの要因が重要であったことが明確になった。

各報告の内容
ロメロ会員、金会員、磯田会員は、それぞれメキシコ(1950年代)、ブラジル(1960年代)、ペルー(1970年代)の対外政策に注目し、これらがどのような「対米自主」外交を展開したのかを分析した。一方、上会員は新冷戦期に着目し、米国による反カストロ亡命者の政治的包摂を分析した。メキシコ、ブラジル、ペルーの「対米自主」外交を比較すると、各国の経済力、政治力、地理的・歴史的状況に加えて、国内情勢が「対米自主」路線を左右したことが明確になった。これに加えて、ウェスタッドが指摘するイデオロギーについては、三ヶ国においてイデオロギーが果たした役割をめぐる解釈が異なっていた点が興味深かった。ただし、米・キューバ関係のケースを除いて、各事例においてイデオロギー要因と経済要因が支配的な影響力を持つ条件の違いが明確に説明できなかった部分が反省点である。

会場からの質問
・対ロメロ会員:「対米自主」外交に大きな影響を持っていたカルデナス派が、メキシコ外務省でどれくらいの勢力であったのか。
・対金会員:ブラジルの対米自主外交をめぐる米国の援助政策に関しては、報告で取り上げた経済的要因以外にも、米国による地政学的考慮が働いていたのか
・対磯田会員:ペルーにおける日本の投資に関する質問、また民政移管後、べラスコに追放されたベラウンデが再び政権に返り咲いた背景には対米関係が影響しているのではないか
・対上会員:当時の米国における政党政治の動向や時間の制約上扱えなかった時期や事例に関するなど、多数。

パネルC 「メソアメリカ文化遺産の再考:伝統/変容の再認識と社会還元」
コーディネーター・司会:嘉幡茂(メキシコ国立自治大学非常勤研究員) 杉山三郎(愛知県立大学)

紀元前2500年頃に形成されたメソアメリカ古代文明は、アステカ王国の崩壊によって大きな転換期を迎えた。しかしながら、当時の文化は、全面的に否定された訳ではなかった。古代文化は、様々な形で利用され、さらに遺産と言う形で再生され続けてきた。この側面を考察する際、私たちは、古代文化の遺産が時代ごとに利用され、その意味が変遷していることを把握しないといけない。
つまり実体として捉えにくい古代の文化は、その後の人々によって、各時期の政治経済的コンテクストにより都合よく創りかえられている。そして、これは何もコルテスによってアステカ王国が崩壊した以降の話だけではない。メソアメリカ古代文明の社会の中にでも、見られる現象である。特に、マヤやアステカの時代においては、テオティワカンの文化的遺産は、主に政治利用されている(杉山三郎「変容し続ける古代都市テオティワカン、アステカのイメージ」)。メキシコの独立革命期では、ナショナリズムの高揚や確立のための政治的利用、現在のコンテクストで
は、商品化やツーリズムの促進に傾倒する文化遺産の経済的利用が挙げられる。
重要なことは、文化遺産の利用目的が揺れ続けることから、それを嘆き改善策を模索することではない。むしろ、通時的に見ると、文化遺産が各時代において存在するためには、この「世俗的な利用」が必要であり、それは決して消滅しない要素と認識する。メキシコと異なり、なぜ文化遺産がエル・サルバドルではナショナリズムに利用されなかったのか。それはこの利用目的の欠落による(加藤つむぎ「エル・サルバドルにおける文化財保護と現状」)。
では、私たちは文化遺産のどの要素を重要視すべきであるのか。
それは、各時代の「世俗的な利用」によって消滅してしまい、現在に正確に伝わっていない真正性の再発掘でもある(谷口智子「クエルナバカ大司教座聖堂壁画」)。メソアメリカ地域の世界文化遺産物件の多くは有形であるが、無形遺産においても内容が作り変えられ、当時の文化コンテクストと遊離している(小林貴徳「ゲレロ州先住民村落のPelea de tigresをめぐる文化復興」)。「世俗的な利用」ではない文化遺産の意味づけに対して、現地でフィールド・ワークを行う研究者自らが、当時の世界観を考察し、文化コンテクストや消滅した内容を復元する必要があると考える(嘉幡茂「古代都市ショチカルコ―文化景観からの再発見―」)。

パネルD 「クリオーリョ世界の実像に迫る―17世紀メキシコ市の事例から」
コーディネーター・司会:井上幸孝(専修大学)

本パネルでは17世紀メキシコ市を舞台にした事例を取り上げ、植民地時代中期のクリオーリョの動向を検討した。報告は、中井博康(津田塾大学)、井上幸孝(専修大学)、立岩礼子(京都外国語大学)の3名が順に行い、その後、フロアからの質問を受けながら、報告者とフロア全体で議論する形式を採った。本パネルの目的は、通説的な理解におけるクリオーリョ像の見直しを掲げ、3つの報告が、17世紀メキシコ市の個人や特定集団の実像に迫るという観点を重視することによって、クリオーリョ世界の実態解明の糸口を探ることを目指した。
第1報告「シグエンサ・イ・ゴンゴラにおけるクリオーリョ主義的言辞とクリオーリョ像」では、中井がカルロス・デ・シグエンサ・イ・ゴンゴラの3つの著作(Theatro de virtudes políticas, Parayso occidental, Infortunios de Alonso Ramírez)の分析を提示した。同一著者の異なる著作を比較することで、通説的シグエンサのクリオーリョ主義だけでは説明できない、多面的なクリオーリョ像が見て取られることが指摘された。続く第2報告の井上「クリオーリョという観点から見た先住民記録者アルバ・イシュトリルショチトル」では、先住民クロニスタと見なされてきたアルバ・イシュトリルショチトルとその家系を取り上げ、彼の著作ではなく、本人やその家族の人生や生活環境について、遺言書などをもとに見ていくことで、彼らがクリオーリョ層に近い実生活を送っていたことを指摘した。立岩の第3報告「17世紀メキシコ市参事会議事録から読み取るクリオーリョの動向」は、メキシコ市参事会の議事録を詳細に読み込んだ結果、市参事会の動向からは、明確なアイデンティティを有したクリオーリョ集団の姿は見えてこない点を明示した。
以上の3報告から、17世紀の段階では、個々のレベルでクリオーリョ性を模索する動きは認められるにせよ、そのクリオーリョ像とは画一的なものではないこと、さらに、確固たるアイデンティティを持った際立った集団としてのクリオーリョという実態は観察されないことがわかった。換言すれば、われわれが通説的な理解の上に想定しているクリオーリョ像と17世紀におけるその実態の間に乖離があることが明らかになった。その後の議論では、フロアから、シグエンサが著作の依頼者と自らのクリオーリョ性をどこで折り合いをつけたのか、先住民インディオやペニンスラールへの対峙としてクリオーリョの多義性などについて質問や意見が出され、「クリオーリョとは何か」という本質的な問題を一層深く考えていく必要があること、18世紀以降のクリオーリョ像をア・プリオリに想定して17世紀に当てはめようとすることには危うさが伴うことを浮き彫りにした。

パネルE 「ボリビア社会における多元的な民族性の形成」
コーディネーター・司会:藤田護(東京大学大学院生)

ボリビアでは2009年の新憲法制定に伴い、自国を「多民族国家(Estado Plurinacional)」と定義した。本パネルでは、そのような国家のビジョンを視野に入れながらも、ボリビア社会における多民族性をどのようにして独自の視角から考察できるかという問題に取り組んだ。
第一の藤田報告は、これまで注目されてこなかった20世紀後半からのアイマラ語のラジオ放送の発達に着目し、特にそこで製作されたラジオドラマが、アイマラ先住民が自らの言語で作り出したものとして、民族意識の醸成に大きな役割を果たし、またその製作過程において、製作過程の専門化、アイマラ口承文学の反体制闘争への利
用、アイマラ語における口頭(口承)と書記の世界のせめぎ合いなどが見られることを指摘した。
第二の梅崎報告は、アフロ系住民の復権運動において重要な役割を果たした音文化「サヤ」について、特にそこで表現されるアフロ意識が、都市部では、非アフロ系他者を聞き手として想定した上で、自らの社会的位置づけ、奴隷制の記憶などが主題となるのに対し、農村部では、日常生活や特定の出来事を主題としながら、他者というよりは同じ地域で生活を同じくする者たちの間で歌われることを明らかにした。同様にサヤの衣装についても、都市と農村だけでなく、世代間も含めた認識の差異が存在していることが示された。
第三の久保報告は、東部低地のグアラニの一部を構成するイソセニョに着目し、その代表組織であるイソソ大首長府が東部低地全体の先住民組織と政治的に反目する状況になっている現状を理解するためには、まず歴史的にチャネの基層の上にグアラニが積み重ねられて形成されたイソセニョの複合的なエスニシティへ目を向け、大首長権とその外部世界に対する代表・仲介機能が構築された歴史過程への注目が不可欠であり、それが現在のエ
ボ・モラレス政権下で生まれたサンタクルス県との外部世界の二重化状況の中で困難な選択に直面しているとの見解を示した。
続いて、コメンテーターの宮地氏より、それぞれの発表内容の意義を踏まえた上で、藤田報告に対してはそれまでのアイマラ運動に関する研究に新しい何かを加えることができるか、梅崎報告に対しては農村と都市の意識のズレが特に今後に向けた社会変化の過程でどのような意味をもつか、久保報告に対しては仲介機能についてサンタクルス県との関係におけるジレンマの存在や低地先住民組織内でのイソソの位置づけなどについて、コメントがなされた。
最後に、本パネルには、当初表明人数を超える35名前後の出席を得て、活発な質疑が実現するとともに、用意した40部の資料が全てはけた。来訪された皆様に感謝を申し上げたい。

パネルF 「ラウル政権下キューバの政治と社会」
司会:狐崎知己

革命から51年目を迎えたキューバ革命政権のもと、政治、社会面でいかなる変化が生じつつあるのかを把握し、その変化を的確に分析しうる理論的な考察を行うことが、本パネルの趣旨である。パネルの発案者であり、コーディネーター・報告者を務める予定であった山岡加奈子会員がやむを得ぬ事情により欠席されたため、以下の4人の報告者を迎えて行われた。30名ほどの参加を得たフロアとの間でキューバにおける今後の改革の方向性とペー
ス、米国のキューバ政策の動向、在米キューバ人の動向、社会福祉制度の持続可能性等に関する熱心な質疑応答が展開された。
田中高「キューバとラテンアメリカ左派政権との関係」では、ALBAの目指している地域連帯の動きを、国際統合理論の説く、新機能主義、相互依存論など既存の理論的枠組みの理解を超えるものとして捉えたうえで、ALBAの
「持続可能」性とキューバの革命体制によるALBAへの過度の依存回避の動向について問題提起を行った。小池康弘「キューバ政治の展望」では、近年のキューバ政治にみられる変化の特徴として、2006年夏以降、フィデル・カストロの影響力が残る中で実弟ラウルへの権力委譲が極めて緩慢に進んでいるために、政治体制においては大衆組織の自律性やダイナミズムが低下し、国家による社会に対する管理が強まったこと、統治機構内部においては、組織としての共産党政治局の力が相対的に低下し、革命を戦った歴史的世代と呼ばれるベテランと軍の影響力が増していること、社会においては若年層を中心に「革命」からの退出が進行していることが指摘された。
宇佐見耕一「キューバと福祉国家論」では、社会主義福祉国家レジームの形成を説明する方法として、社会主義社会契約論、社会主義経済システムとの関係を考察する手法、及び経路依存性による説明能力を理論的に比較検討したうえで、キューバにおける福祉レジームの成立要因として、社会主義社会契約論ならびにキューバ社会主義経済の盛衰と並行して考察することが有効であると結論づけられた。山田泰子「キューバ革命以降の米・キューバ移民政策の推移と今後の課題」では、2009年、対話の用意があるとするラウルと両国関係の新しい始まりに関与の用意があるとするオバマ政権の下、米玖関係が若干の変化を見せたことが実証された。その一例が中断していた米キューバ移民協議の再開である。しかし、同年末以降の両国関係の翳りを反映して、移民協議は移民問題を建設的に話し合う場ではなく、キューバは制裁解除やグアンタナモ基地返還、米国は人権問題への懸念等、双方が原則論や利害を表出する場となってしまっていることが指摘された。

シンポジウム 「21世紀のラテンアメリカ、ゼロ年代」
コーディネーター:村上勇介(京都大学)

20世紀後半におけるラテンアメリカの政治や経済などの展開を10年単位で振り返ると、それ以降の地域全体の方向性や主要な特徴の出発点となるできごとが各年代に起きていることが指摘できる。それでは、21世紀最初のゼロ年代には、今後のラテンアメリカの展開に大きく影響を与えるようなできごとがあったのであろうか。あったとすれば、それは、具体的にどのようなことであり、またどう今後の展開を規定する可能性があるのか。それは、中長期的、何世代にもわたって影響を及ぼす可能性があるのか。さらには、ラテンアメリカ全体でほぼ同様に影響が見られるのか、あるいは、地域的に、ないしは国によって、ばらつきがあると考えられるのか。
本シンポジウムは、以上の観点などを検討することをつうじて、21世紀始めの10年間に見られたラテンアメリカの動向を探った。バルマートーマス氏による前日の記念講演、ならびに3名のパネリストによる問題提起を受け、ラテンアメリカのゼロ年代をどう捉えるのか、フロアーの参加もえて活発な議論が交わされた。
最初のパネリストとして、遅野井茂雄会員(筑波大学)が、「21世紀ゼロ年代をどうみるか―ポスト新自由主義における左派アジェンダの分岐―」と題し、包括的な観点からゼロ年代を振り返った。1990年代には、米州コンセンサスともいえる、市場経済化、民主化、市場統合を相互に連関させて強化することを目指した動きが見られたが、21世紀に入ると、米州コンセンサスの亀裂が鮮明となり、新自由主義の見直しや参加民主主義を提起する左派アジェンデが一般化した。資源価格の高騰を背景に貧困と格差の改善基調が現れるなか、社会民主主義的な穏健左派と、ポピュリスト的な急進左派への分岐が生じており、後者については、今後の持続性の面で不安要因を抱えていることを指摘した。
次に、狐崎知己会員(専修大学)が、「二つのトリレンマ」と題し、「二歩前進、一歩後退」とする、前日のバルマートーマス氏による総括を踏まえながら、司法の国際化の例に見られる民主主義の深化、グローバル経済の拡張期に伸張した資源輸出の限界や脆弱性、ラテンアメリカの統一性への困難さという3つの視点から近年の情勢を捉えた。最後の点に関しては、為替安定、資本移動の自由、金融政策の自立性という3つの政策目標、また経済のグローバル化、国家主義、政治的民主主義の3つの要素の、いずれも同時に成り立たせることができないという「二つのトリレンマ」モデルを示し、ラテンアメリカ諸国間で、政策の実施・実現能力の点で差が生じていることを述べ
た。
最後のパネリストは山崎圭一会員(横浜国立大学)で、「ブラジル―進まぬ社会資本の充実―」と題し、ゼロ年代をつうじラテンアメリカで最も情勢が好転したと見られるブラジルを対象に、地方分権化の動向とその課題を追いながら、社会資本の充実が進んでいない状況を報告した。21世紀に入り、ブラジルは、世界経済の変動と資源輸出の拡大、様々な地方分権化の過程などを経て、全体として市場構造が大きく変化するなかで地方政府も活用して所得(フロー)面での再分配が強化された一方、公的ストック(社会資本)の充実は手付かずで、「福祉国家」には手が届かない状態にあることを指摘した。
以上の問題提起を受けたフロアーからは様々な意見や反応があったが、ゼロ年代の特徴づけと今後の展開への影響という観点から、主に3つの点で議論が展開したといえよう。1つは、左派/右派の区別の困難さに関してで、ネオリベラリズムが基調となっているためポスト新自由主義とはいえないのではないか、という疑念に集約される。これについては、ゼロ年代には、度合いには違いがあるものの、ネオリベラリズムの国家の機能・役割を縮小する方向とは逆の流れが主流となったことは指摘できる。第二は、コモディティ輸出の捉え方で、それが火付け役となったというよりも、その追い風を受け、所得分配や企業・産業の再編、ガバナンスの課題といった位相が現れたのであり、そのブームが始まる前に、既に変化の兆しが見られたといえる。そして第三に、コモディティ輸出を基盤とする発展の持続性の問題で、貧困や格差の改善といっても政府からの給付金による部分が大きい、あるいは国によってコモディティ輸出を有利に利用する程度に差があった、といったことが指摘された。
バルマー=トーマス氏が慎重な楽観主義を披露したのに対し、シンポジウムでは、ラテンアメリカ諸国間で格差が生じる可能性を排除できないことが示された。その可能性を少なくするための政治や国家のあり方が課題となることまでは話題となったものの、地方分権を含むその具体像については議論する時間がなかったことは司会の不手際であり、参加者の皆様にお詫び申し上げる。(村上勇介)