第32回定期大会(2011) 於:上智大学

6月4日(土)、5日(日)の両日、上智大学で第32回定期大会が開催された。東京はすでに梅雨入りしていたが、両日とも20度台半ばの快適な天候に恵まれ、8つの分科会、8つのパネル、記念講演、懇親会、シンポジウムに、多数の参加者(会員194名、非会員33名)を得た。

記念講演では講師としてメキシコ国立自治大学(UNAM)のミシェル・オーダイク氏を招聘し、植民地時代メソアメリカの先住民文書における、研究対象と方法論としての文化変容と連続性について語っていただいた。

シンポジウムでは、4人のパネリストが、植民地時代メキシコの先住民社会のあり方と変容を、それぞれの研究の方法論にも言及しつつ報告したのち、コメンテータのオーダイク氏とフロアも交えての活発な議論が交わされた。

本大会では、分科会やパネル報告にも先住民や共同体に関するものが多く、植民地時代から現代まで先住民社会や農村共同体の変容が様々な角度から検証されたのが一つの特徴となった。

今回は東日本大震災の影響で、報告者との連絡や会場の確保など準備段階で時に困難に直面したが、無事盛会のうちに終えることができた。大会実行委員としてご協力いただいた学会員の方々、ならびに献身的に働いてくれたスタッフの方々に心より感謝申し上げる。(岸川毅)

第32回定期大会プログラム 32

記念講演

"Cambio y continuidad cultural como objeto y método de estudio en documentos indígenas novohispanos"
(「植民地時代先住民文書における研究対象と方法論としての文化変容と連続性」)
Michel R. Oudijk (Investigador titular del Seminario de Lenguas Indígenas, Instituto de Investigaciones Filológicas, UNAM)

現代メキシコの文化は、他のあらゆる文化と同様、連続性と変容の産物である。とりわけ研究対象を先住民社会に向けた場合、先スペイン期から植民地時代を通じて現代に至るまで保持されてきたと考えられるその文化的連続性は、史料に見出される、彼らの過去に属する社会の諸相を理解・説明することを可能にしてくれる。だが、その安易な応用は、先住民社会が閲した文化変容を軽視することにつながりかねない。分析にあたっては、入念かつ厳密な方法論を用いる必要があることを忘れるべきではなかろう。時の経過によって生じた変容は、一見それ以前にあったものと同じように見えても、実施には異なる意味が付与されていたり、逆に大きく異なるように見えるものが同じ意味を持っていることがあるからだ。
メソアメリカの先住民村落にみられる「文化的連続性」に基づいた研究は、通常「類推(アナロジー)」と「Thematic unit」という2つの概念を併用することによって行われる。すなわち、特定のよく知られている歴史的背景における文化要素群とその意味関係の集合体(Thematic unit)を、異なる時代の、しかし同じコンテクストにおける類似したThematic unitとを比較分析するのである。この場合、歴史的背景の類似性は重要であり、比較される2つの時代は、時間的にも空間的にも接近している方が、さらにThematic unitには、多くの文化要素が含まれている方が望ましい。より多くの要素に対応する同じ意味的関係があればあるほど、その信頼度は増すからだ。具体的には、現代のミシュテカ族の宗教というコンテクストにおける特定のThematic Unitと、20世紀初頭の同じコンテクストにおけるそれを比較するほうが、16世紀のウィチョールのものと比較するよりは、より説得力のある類推になる可能性が高いのだ。
講演者は、これらの点を、i)植民地時代に描かれた『タバア絵図』に記された首長の系統樹と同村の地図との関連、ii)やはり植民地時代に作成されたイスタパラーパの地図と現代のものとの驚くべき相似、iii)メキシコ・オアハカ州で現在でも行われているトウモロコシの粒を使っての占いと先スペイン期絵文書に描かれている同様の儀式、iv)先スペイン期の暦に使用されていた各月の名前が現在でも使用されていること、v)文書に見るサポテカ語の時代による単語の意味変化について、などのテーマをもとに具体的に言及された。先住民社会における文化的連続性が明確であることは言うを俟たないが、注意深い分析の重要性と研究者による過度の「ロマンチック」な解釈は戒められるべきであるとして講演を締めくくられた。最後に示されたスライドで、架上のキリスト像の上に、本来ならば「INRI」と書いてあるべき板に、「Señor de las lluvias」と書かれていたのは、示唆的であった。(大越 翼)

研究発表

分科会1<歴史> 司会:山崎眞次(早稲田大学)

「分科会1 歴史」では川上英氏が「ユカタン「カスタ戦争」における「人種」」、井関睦美氏が「古代メキシコ・メシーカ王朝の婚姻制度の変容」、武田和久氏が「先住民名簿(パドロン)から読み解くパルシアリダの持続と変容(1657-1801)―スペインと統治期ラプラタ地域のイエズス会布教区の事例」というテーマで研究報告を行った。
最初の川上報告は、カスタ戦争に関する先行研究分析を踏まえて、クルソブは開かれた反乱マヤ社会を構築していたという見解を示した。クルソブは「語る十字架」を信仰基盤とした結束集団であったが、同時にベリーズのイギリス人植民者とマホガニーと武器の交易を介して外部世界と開かれた関係性を維持していた。反乱マヤ社会はヒトとモノが自由に出入りする開放的、多様な社会であり、それは戦利品のリストが戦闘前に事前に準備され、余所者も選択的に受け入れる戦略的開放性が認められる社会であった。報告に関して、救世的「語る十字架」の重要性を指摘する声に対しては本報告では戦略的開放性に集約したという返答があった。また、「反乱マヤ社会」の実在性の有無を問いかける意見については、結論は出なかった。
次の井関報告は、メシーカ王朝の婚姻制度が王国拡大に伴い、外婚制から内婚制に変容した背景を歴史学と図像学を駆使したイコノロジー(図像解釈学)の観点から明らかにした。メシーカは中央高原を制覇すると、王族の血統を内部で継承しメシーカ支配の正統性や神聖性をより高める段階に入り、ウイツィロポチトリを頂点とする部族宗教の「国際化」や国王の神格化の必要性を認識した。報告者はこのような思想的変更を、メシーカの伝説・神話から判読し、発掘されたウイツィロポチトリ像、コアトリクエ像、コヨルシャウキ像を図像学の観点から分析した。バラバラに切断されたコヨルシャウキ像は、内部分裂を画策したグループの女性リーダーへの見せしめの伝説であると同時にコアトリクエから誕生したウイツィロポチトリが姉を殺害したという神話を暗示し、単なる伝説が民族の普遍性を表現する神話に昇華した例として紹介した。会場からのイツコアトル、モテクソマI世、アシャヤカトルの3王の後見人であったトラカエレルの存在を含めた王位継承について総合的に判断すべきではないかという意見に関しては、今回は王位継承者だけに限定した発表を行ったという返答があった。また、コヨルシャウキ像から読み取れる神話とモテクソマI世の伝説にずれがあるのではという指摘には、遺物と文字による記録が一致しない場合はあるという回答であった。
最後の武田報告は、ラプラタ地域に存在した総数30のイエズス会教区内に設けられたパルシアリダという親族集団に関する研究である。従来の研究対象がイエズス会士によって作成されたクロニカに偏りがちであったのに対して同集団解明のためにアルゼンチン国立総文書館に保管されている1657年から1801年までのパドロン(住民名簿)を分析した。先行研究ではパドロンは布教区の総人口、男女比、出生率、死亡率などの通時的変遷への研究史料としか見なされていなかったが、本研究では、パルシアリダごとのカシケの氏名並びに成員数を抽出し、カシケの氏名をパドロン作成年ごとに通時的に並べ、布教区内の内情を明らかにすると同時に、個々の布教区の特徴を解明した。会場からは、500人のパルシアリダが親族集団と呼べるのか、イエズス会追放後の人口減の理由、レドゥクシオンとパルシアリダの連続性について幅広い議論が展開され、最後に今後の研究手法として教区原簿を並行して調査する必要性が指摘された。

分科会2<政治> 司会:子安昭子(上智大学)

ブラジルに関する2発表とハイチに関する1発表が行われた。舛方会員はブラジル・サンパウロ州の気候変動法の形成過程を述べることで、従来の国際関係論の視点では見落とされがちなグローバルアジェンダ(地球規模の政策課題)における地方政府の役割を考察した。会場からはサンパウロ州の自律性について、またなぜサンパウロ「市」ではなく「州」に着目したのか、などの質問があった。続いて浦部会員は2010年1月におきたハイチ地震について、同会員が参加した「被災者支援事業モニタリング・中間評価活動」(2010年11月)をもとに、現状報告とハイチ政治の問題点・展望について考察を行った。会場からはハイチ政治におけるリーダーシップの問題、またハイチ難民と米国の関係などについて質問があった。最後に住田会員が、2010年10月のブラジル大統領選挙について、詳細なデータをもとにその特徴を明らかにした。とりわけリオデジャネイロ州の居住区ごとの投票結果からは所得水準によってディルマ支持、不支持が鮮明になった点が明らかになり、労働者党(PT)政権の候補ディルマが勝利した要因として、前任者ルラの影響力すなわち「カリスマ性」を指摘した。このカリスマ性については「ルリズモ」(ルラ主義)も含め、多くの質問が会場から寄せられた。3発表とも内容が盛り沢山で、また会場からの質問も非常に活発であった。以下、発表者自身による要旨(発表順)である。

「ブラジル・サンパウロ州気候変動法の形成―国境を越える自治体ガバナンス―」
舛方周一郎(上智大学大学院)

本報告は、南米経済の中心ブラジル・サンパウロ州における気候変動法の形成を事例に、国を越えて地球規模の課題に取り組む自治体ガバナンスの動態の解明を試みた。サンパウロ州では2009年、途上国の自治体で初の気候変動法を採用した。先行研究は法形成の要因を、①大量のエネルギー消費とエタノール生産、②災害や都市環境の悪化による危機感、③中央政府から自律性をもつ州知事(セラ)の影響力にあると指摘したが、気候変動防止をめぐるアイディアや資源をサンパウロ州政府が獲得した経緯が明確ではなかった。そこで本報告では、「持続可能な開発のための地方政府ネットワーク」の役割に着目した。そしてこのネットワークを駆使して国際会議(COP10)に参加を果たしたサンパウロ州官僚が、気候変動防止に関する情報・資金・規範を獲得したことで、その後カリフォルニア州、企業、専門家との協働プログラムを実施して、法形成にむけた動きを加速させたと指摘した。

「2010年ハイチ地震と混迷するハイチ政治―被災者支援事業モニタリング・中間評価活動への参加をふまえて―」
浦部浩之(獨協大学)

2010年1月12日の大地震で死者22万人以上という甚大な被害を受けたハイチは、震災から1年以上を経てなお60万を超す人がテント生活を余儀なくされるなど、復興の道筋が見えない。ハイチは負の連鎖関係にある数々の深刻な問題、すなわち相次ぐクーデタやクーデタ未遂による政情不安、麻薬とも絡んだ軍・警察の腐敗と私兵集団化、為政者による暴力への依存、頻発する選挙の延期やそれに伴う国会の機能停止、農村の貧困と土地の細分化、森林破壊と農業生産性の低下、貿易自由化に起因する基礎食糧の歪な輸入依存、過剰都市化などの諸問題を抱えており、これらに総合的に対処しなければ社会の再建は不可能であろう。ハイチを支えようとするNGOなどによる真剣な取り組みは多い。しかし国際社会(とくに大国)による対ハイチ支援はしばしば、不法移民の流入防止や麻薬対策、左傾化防止などの安全保障上の利益を色濃く反映するものであったことを見落としてはならない。

「ブラジル労働者党政権の展開について―政党の動向と政治家のカリスマ性の考察」
住田育法(京都外国語大学)

2010年大統領選挙において、全国レベルでは北東部の貧困地域、大都会では古都リオのように、低所得者層の居住区が労働者党(PT)のディルマ・ルセフを推し、逆に、裕福な南部・南東部や瀟洒な都市環境の住民は、反ルセフの姿勢を鮮明にした。こうした構図においてディルマ・ルセフが選挙に勝利できた理由を「ルラ主義の徹底」に求め、指導者ルラのカリスマ性と地域性にその背景があると報告した。その際、過去のカリスマ的政治家のヴァルガスやジュセリーノ・クビシェッキ、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾが見せた、ブラジル国民への楽観的な期待へのアピールとの関連性にも注目した。ブラジルの政治動向はカルドーゾとルラ以後、新しい展開を迎えているが、労働者党ルセフ政権が今後いかに「ルラ主義」を継承しうるかは、ルセフのカリスマ性の有無にも左右されるであろう。社会的文化的状況への目配りと長い時間軸における視点から観察を続けたい。

分科会3<アイデンティティと表象> 司会:西村秀人(名古屋大学)

この分科会では4つの報告が行われた。対象地域もアプローチの手法もそれぞれ異なっているが、いずれの報告も具体的・実証的な研究によって、従来の認識に対する新しい見方を提示しようとするものであった。各報告の後の質疑応答も活発であった。各報告の要旨は以下の通りである。

「「2つのニカラグア」観の歴史的再検討―カリブ海岸部の事例を手がかりとして―」
佐々木 祐(京都大学)

本報告では、従来ニカラグアの歴史において与件とされてきた太平洋岸部(内地)/カリブ海岸部という地政学的分断を歴史的な文献から再検討した。さまざまな文献の検討から、この2つの分断地域の接触領域における頻繁な往来、「ミスキート」「周辺民族小集団」「クレオール」「ジャマイカ人」など複雑に混淆した民族編成が存在するにもかかわらず、政治的な意図によって、その「狭間」にあるものが不可視化されてきた過程が明らかになった。

「キューバ革命ナショナリズムの新たな考察」
森口 舞(神戸大学大学院生)

本報告ではキューバ革命以前から直後にかけて存在した、ホセ・ミロ・カルドーナのキューバ革命ナショナリズムについて考察がなされた。カルドーナは革命前は弁護士として活躍、革命運動に参加し、革命政権初代首相となりながらも、翌年マイアミへ亡命、反カストロ亡命者を率いてピッグス湾侵攻事件を文民の立場で主導した人物である。カストロとミロはお互いを「革命を裏切った存在」とみているが、ミロの思想と生涯を検討すると、自由主義知識人としての理想主義的考えを持ち、一貫した正義の追求に基づいたものであることがわかる。このカルドーナの思想とカストロの思想を、新たな視点から検討した。

「Cuba Sentimental―国内外のキューバ人の情動に関する人類学的映像と考察―」
田沼幸子(大阪大学グローバルCOE特別研究員)

本報告では報告者自身が制作した映像作品「Cuba Sentimental」に示された、キューバから移動していくことの特異性とそれにまつわる感情を扱った。映像に登場する、近年国外に出た30歳前後の青年らの語りを通して、「キューバ在住は革命支持、出国は反革命」という単純な二元論を排し、当事者から見た新たな移動の意味づけを示した。報告後半では実際に制作された映像の一部が上映された。

「¿Qué pensaran de nosotros en Japón?―La influencia de los medios y el contacto directo en las percepciones de América Latina―」
Besty Forero Montoya(筑波大学大学院生)

本報告はスペイン語で行われた。これまでの文献等の分析とアンケート結果に基づいた、日本におけるラテンアメリカのイメージの検討が行われた。前半ではマスメディアの影響、報道の偏り、テレビ番組における扱われ方などを取りあげ、全体として(1)治安が悪い地域と考えられる一方で天然資源と文化に富み、人々が友好的だというイメージがある、(2)日本人とその国・地域がどの程度のコンタクトを持っているかが、ラテンアメリカやその人々のイメージにあらわれている、ということが明らかにされた。後半では17歳から76歳までの約500人に対して報告者が行ったアンケートの結果が報告された。

分科会4<芸術、文化> 司会:長谷川ニナ(上智大学)

Esta mesa constó sólo de tres panelistas por lo que cada uno tuvo tiempo suficiente para hablar y responder a preguntas. La sala estaba repleta. El tema de Nakajima Sayaka despertó mucho interés por ser todavía poco explorado. Minami Eiko hizo una exposición que excedió su tiempo por lo que se redujo el espacio para preguntas. Nihira Fukumi llevó a cabo un análisis de la obra de Rulfo “El hombre” que, por sugestiva, despertó gran número de preguntas y de comentarios.

「文化創造・制度化の試み―軍政時代のチリ 芸術分野を中心に―」
中島さやか(明治学院大学非常勤講師)

チリでは独立以降、様々な知識人や芸術家など多くの人々が独自の文化を作ることを目指して文化の保護・育成、制度化の試みを行ってきたが、20世紀に入っても自国の芸術文化を育成する条件に恵まれない状態が続いていた。しかしながら、1930年代ごろから大学という組織を中心に制度化を進めることによって、一定の安定性を保ちながら芸術文化を少しずつ発達させることができるようになった。
1960年代に入るとこのプロセスは一般大衆を巻き込んだ大規模な文化運動とも結びついて大きく発展した。この時代、チリでは芸術文化は大学を中心に発展し、大衆文化でも大学内で保護・育成されるという世界的にもあまり類を見ない制度を作り上げることになった。しかし1973年のクーデター以降、このプロセスは中断され、軍政時代には軍政以前の時代とは異なるタイプの文化が奨励され、制度も大きく変化することになる。
2008年度・2009年度ではチリにおける文化の制度化の歴史について、独立後からクーデターの前までの期間に焦点を当てて発表したが、今回は主に軍政時代についてのチリの文化の制度性と制度化のプロセスについて紹介・分析する。

「ハビエル・ビジャウルティア『反射像』と1920年代メキシコの前衛芸術運動」
南 映子(相模女子大学非常勤講師)

本報告では、メキシコの詩人ハビエル・ビジャウルティア(1903-1950)の第一詩集『反射像』(1926)から二篇の詩を取り上げ、同時代のメキシコの前衛芸術運動との関連に注目して考察を加える。彼の代表作は『夜想詩集』(1933)および『死への郷愁』(1938)とされているが、詩作の方向性を模索する途上で書かれた第一詩集は、彼の詩人としての出発点を知る上で重要なものである。
1920年代初頭のメキシコでは、壁画運動とエストリデンティスモという前衛芸術運動がおこった。両者は、メキシコ革命後の国内の政治や社会の状況と、内容についても目的についても、そして表現方法においても密接な結びつきをもっていた。一方、ビジャウルティアもヨーロッパ(特にフランスとスペイン)の芸術・文学の動向に目を配っていたのだが、彼の場合は前述の前衛主義とは別の立場で詩や絵画の刷新を模索していた。
1924年末、革命以来はじめて行われた選挙に基づき大統領の職を務めていたアルバロ・オブレゴンの任期が終わり、続くプルタルコ・エリアス・カジェスの政権がはじまるが、その頃から約半年間にわたり、革命後の社会における作家・詩人(より広くは芸術家)の役割をめぐる議論が雑誌・新聞上で繰り広げられた。『反射像』が出版されたのは、その少し後のことであった。
発表中、詩の考察にあたっては、詩のテクストそのものから読みとることのできる意味をまず確認したうえで、その詩を時代の文脈に置いて読み直すという試みを行う。

「フアン・ルルフォの短編“El hombre”にみる身体の感覚」
仁平ふくみ(東京大学大学院生)

本発表では、メキシコの作家フアン・ルルフォ(Juan Rulfo, 1917-1986)の短編“El hombre”(El llano en llamas所収)を中心に、ルルフォ作品における身体の描き方に注目する。“El hombre”は一読すると、ある男に家族を皆殺しにされたもう一人の男が、復讐のために殺した男を追跡するという文字通りの復讐譚である。
しかしこの短編の時系列は錯綜し、語り方は不可解である。もっとも読者を困惑させるのは、男たちの一人称の語りから状況の全貌を把握することが難しい点だろう。男たちはときに目の前にはいない相手に呼びかけ、ときにひとりごとをつぶやく。二人の男のどちらがどちらなのか、読者には明瞭に判断できない箇所があり、また登場人物たち自身さえ自分の声が自分のものだと感じられない瞬間がある。
本発表では、二人の男の声によって、そして彼らがおかれた立場によって、二人の関係が円環状になり、自己と相手の境界が曖昧になる状況を指摘する。さらに、男たちがどのように身体の感覚と実際の身体との乖離を語っているのかを考察したい。つまり、自己の内側の感覚と自分の身体に起こっている客観的な変化もまた、把握できない状況が描写されているのではないだろうか。Pedro Páramoをはじめとした他の作品にもみられる身体感覚や身体の形象についても言及しながら述べてみたい。

分科会5<現代の先住民社会> 司会:受田宏之(東京外国語大学)

本分科会では、メソアメリカの先住民にかかわる4つの事例の報告がなされた。いずれも報告者が長くかかわってきたフィールドであり、歴史的背景を踏まえつつ、最新の動向が説明された。禪野報告ではメキシコ市の高級住宅街化した地区に祭礼等の組織的行動を実践し続ける「地元民」の存在が、小林報告ではEZLNの蜂起以降盛り上がりをみせた先住民運動の停滞・分散化傾向が、池田報告ではグアテマラのある先住民コミュニティの地元協議会による民主化の試みが、最後に渡辺報告ではユカタン州の先住民人口の多い2自治体における新しいタイプの市長の登場が、論じられた。先住民社会の内部や周辺で、従来の議論では説明しにくい様々な変化の起きていることが確認できた。

「高級住宅地となったメキシコ市内旧先住民村落の社会組織」
禪野美帆(関西学院大学)

メキシコの首都メキシコ市の内部には、かつて先住民村落であった場所が多数あり、一説ではその数は300近くである。
今回の報告では、そのうちのひとる、サン・ヘロニモ・リディセ(San Jerónimo Lídice)地区をとりあげた。この地区はかつて果樹園が多数ある緑豊かな土地であったが、1970年代から急速に都市化が進んだ。幹線道路や大学都市にも近いこの地区は、外部から経済的に豊かな住人が多数流入し、その波は現在も続いている。
一方で、「地元民(nativo)」を自称する人々も同じ地区に居住している。「地元民」たちは、カトリックの祭礼の遂行組織を維持しており、ここには経済的に豊かな外来者はまったく参加していない。また、両者の間に婚姻関係は見られない。一方で、現メキシコ市政府(2006-)が2010年に創設した、町内会にも似た市民組織(Comité Ciudadano)の活動や、死者の日には、外来者との接点がわずかながらある。
本発表では、サン・ヘロニモ・リディセ地区の現在の様子と、「地元民」の組織、および外来者との関係について、おもに参与観察に基づいた研究プロセスを報告した。

「メキシコ先住民運動の再接合の可能性はあるのか」
小林致広(京都大学文学部)

「多民族国家メキシコ」再建を掲げる「全国先住民運動(MIN)」は、昨年の「独立200周年」祝賀に対して、先住民抜きの単一国家モデルに基づくものだとして異議申し立てした。メキシコ先住民運動は、サンアンドレス対話、先住民全国議会設立、「大地の色の行進」などの高揚期を経験してきた。しかし、この10年間、先住民運動の停滞・分散化は顕著なものだった。2005年、政権参加を主張する先住民運動指導者の一部は先住民全国コンベンションを立ち上げるが、同時期にサパティスタ支持派の「別のキャンペーン」が展開した運動の動員力には及ばなかった。2009年末、先住民運動の停滞・分散化を克服するため発足したMINは独自の「メキシコ国家」プログラムを提示した。しかし、挫折した「別のキャンペーン」の国家プログラムと同様、MINのプログラムは、先住民運動の再接合を達成するうえで有効な結集軸となりえないだろう。

「地方分権における先住民コミュニティの自治―グアテマラ西部高地における事例の考察―」
池田光穂(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)

1996年末のグアテマラのゲリラと政府の和平合意は銃と暴力による治安維持から、法と民主主義による自治へという正常化への途を切り拓いたが、98年ヘラルディ神父の暗殺期以降、治安の悪化の一途を辿り、北米への不法移民によるドル送金による経済の活況は米国のサブプライムローンが破綻する2007年6月まで続いた。和平合意後のグアテマラも復興のための国際融資を受けるために構造調整政策を受け入れ、脱中心化=地方分権化の政策が進み、2002年には「都市と村落開発のための協議会法」が制定された。本発表ではグアテマラ共和国の西部高地の先住民コミュニティにおける水源地の土地確保の問題に関する紛争事例を紹介し、「都市と村落開発のための協議会法」とその運用実態について明らかにした。先住民のコミュニティ成員が、それまでの地方自治制度から地方分権化による新制度の導入に際して、どのように法の正義や自治概念を考え、それらを行動の基盤にしているのか、さらには紛争をめぐる行動の中でそれを正当化する論理をどのように構築しているのかについて考えた。

「民主化「10年後」のメキシコ地方政治―先住民村落における選挙と自治―」
渡辺 暁(東京大学非常勤講師)

2000年の政権交代から10年が経過した今、メキシコの地方レベルでの民主主義はどのように機能しているのだろうか。本報告では、メキシコ南東部ユカタン州の先住民人口の比率が比較的高い二つの自治体をとりあげ、2010年地方選挙の様子ならびに、この選挙で誕生した市長の就任後の約半年間の実績について、フィールド調査の結果を発表した。ともに若い二人の市長は、地道な選挙運動や高い教育水準など、所属政党の人気というよりは個人的な資質によって有権者の支持を集め、市長就任後もさまざまな独自の活動を行っている。彼らが正当な形で支持を得て公正な選挙で勝利したことは、民主主義の深化として評価される一方で、支持の理由に様々な形の利益供与がある点などから、民主的な政治家への支持とクライアンテリズムとの境界が不明確であることが指摘された。会場からは、よりよいクライアンテリズムの現状把握のための調査手法の提案に加え、市長たちと所属政党の関係についても考えるべきであるという意見を頂いた。

分科会6<ジェンダー> 司会:藤掛洋子(東京家政学院大学)

分科会6:ジェンダーでは、3名の報告者によるセクシュアリティとジェンダーに関する報告がなされた。
第一報告は、上村淳志会員(一橋大学大学院)による「アルブール(albur)論再考―男性同性愛者の視点から―」である。報告ではメキシコにおけるアルブール(albur)と呼ばれる言葉遊びをめぐる既存の議論を男性同性愛者の視点から再検討した結果、象徴的暴力を伴うアルブールの犠牲者として論じられてきた男性同性愛者であるが、象徴的暴力を帯びないアルブールがあることがメキシコの事例より示された。
第二報告は、高橋慶介会員(一橋大学大学院)による「『浮気された男』とシニカルな自己―ブラジル北東部バイーア州ヘコンカヴォ地域を事例に―」である。報告では、コルノ(corno)=浮気された男の意味とその用語の運用の分析を通し、コルノは強烈なスティグマを男に課すが、浮気されたという受動の経験は、能動的行為の発動の契機として連続的にみなされており、能動/受動は必ずしも相互排他的に対立しないことが示された。また、親族ネットワークにおいて限定的にコルノであることを引き受ける事例も示され、家族論の再構築の可能性を示す報告であった。
第三報告は、二宮健一会員(神戸大学大学院)による「ジャマイカの男性性研究と男性運動―黒人男性の「周縁性」をめぐる議論を中心として―」である。報告では、ジャマイカを中心とする英語圏カリブ海地域での男性研究と男性運動の展開が整理され示された後、黒人男性の周縁化とステレオタイプ的なジャマイカ黒人男性像に抗う4つの運動が示された。運動が可視化するであろう男性性の多様性や変化の動態を捉えるためには、どのような「男性像」が男性に影響を及ぼしうるのかを探る必要があることも示された。
報告毎に会場からの質問を受け、報告者とフロアの活発な議論が展開された。報告者の全てが男性であったことも含め、今後のジェンダーやセクシュアリティ研究の深化とジェンダー研究が今日対峙する課題の克服を予感させる素晴らしいセッションであった。3名の報告者と分科会に参加された皆様方に厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

分科会7<移民> 司会:牛田千鶴(南山大学)

本分科会では、アメリカ合衆国・日本・カナダという異なる国々を対象地域としながらも、ラテンアメリカからの移民を共通のテーマに据えた3つの研究成果が報告された。どの報告においても、インタビューをはじめとする質的調査が主な分析手法とされ、異なる移民コミュニティー(在米ラテンアメリカ系先住民・在日ペルー人・在加チリ亡命者)の特質に関し、興味深い考察がなされていた。学会2日目の午前中には、3つの分科会と2つのパネルが同時開催されたが、本分科会にはのべ30名ほどの出席者があり、各報告に対する質疑応答ならびにその後の議論も大変活発に行われた。3名の報告者による発表要旨は、以下の通りである。

「ラテンアメリカ系移民、ラテンアメリカ先住民系移民、米国先住民の関係性―祭りにおける露天商の事例を中心として―」
水谷裕佳(北海道大学博士研究員)

アメリカ大陸における国境の制定以前、先住民族は交流を通じて様々な文化を発達させた。国民国家の成立後、米国領内において、彼らはラテンアメリカ系(以下ラ米)移民もしくは米国先住民と分類されてきた。近年、ラ米地域からの先住民移民はラ米系移民とは別集団を形成するようになった。この3者(①ラ米系移民、②ラ米先住民系移民、③米国先住民)の関係を示す一例が、米国における、露天商の扱う商品に関する議論である。ラ米先住民系移民の露天商が扱う商品には、米国先住民の用いる図像を反映したものが含まれ、米国先住民の一部はそれを図像の盗用と解釈している。さらに、ラ米系移民の中には、ラ米文化そのものが先住民文化と切り離せないと考える者もいる。アメリカ大陸における先住民と入植者の確執に加え、1990年先住民美術工芸法制定を含めた米国政府による先住民という枠組みの政治的規定は、上記3者の間に対立構造を生み出している。

「移民コミュニティー内の社会的関係と家族機能の強化―在日ペルー人家族の事例より―」
中村・五島パトリシア(名古屋大学大学院生)

世界各国に移住する人々にとって、ホスト社会における同国の人々で形成される社会的ネットワークは、重要なサポートや情報が共有される場である。しかし、子どもの教育に関する情報、指導、援助の必要性を満たす同国の人々のコミュニティーの中での強い関係がない移民の家族は、それらを得るためにどのような方策をとっているのだろうか。本発表では、在日ペルー人コミュニティーの事例を分析し、それらのペルー人の間に、社会的ネットワークはほとんど存在していないことを明らかにした。その主な原因として、ペルー人同士の信頼関係の欠如と彼らの社会的ネットワークにおける参加状況の頻度にあると考えられる。
調査対象のペルー人家族は子どもの教育に関する情報やサポートの不足を補う方法として、家族機能の強化を通してこれらの困難を補っていることが明らかになる。つまり、親たちは、教育制度や進学に関する情報源として子どもを頼りにし、家族の絆の重要性を強調する。これは、日本での限られた社会的関係やソーシャル・キャピタルとい
う、いわばマイナスの環境の中で暮らすペルー人の親たちが選択した方法であることを示している。

「“Young, well educated and adaptable poeple”: Exiliados chilenos en Canadá, 1973-1978.」
Francis Peddie(ヨーク大学大学院生)

El golpe de estado del 11 de septiembre, 1973 en Chile impulsó un movimiento de exiliados políticos hacia muchos países del mundo. En la presentación que di en la conferencia de la Asociación Japonesa de Estudios Latinoamericanos, enfoqué en el caso de Canadá, a donde llegaron más que 10000 chilenos entre 1973 y 1978, cuando un programa especial de inmigración estaba vigente. Sin embargo, el estado canadiense no abrió las puertas del país a cualquier chileno en peligro: hubo un proceso de seleccionar a candidatos que no fueron considerado ‘peligrosos’ para la seguridad nacional en el contexto de la Guerra Fría, y que además contribuiría al crecimiento de la economía de Canadá. Los perfiles demográficos, socioeconómicos y políticos de 21 exiliados chilenos que llegaron entre 1973 y 1978 revelan que la mayoría fueron jóvenes profesionales sin fuertes conexiones partidarias en la izquierda política, es decir, personas que conformaron con la imagen del inmigrante ideal por el estado canadiense. Mi presentación buscaba explicar cómo y por qué esos exiliados chilenos, ‘joven, bien educado y capaz de acomodarse’ según en Ministro de Inmigración canadiense del momento, llegaron a un país lejos y casi desconocido debido a los acontecimientos trágicos en su patria. Quisiera agradecer a todos que asistieron en la plática, así como la doctora Ushida de la Universidad Nanazan por coordinar la sesión, y sobre todo a mis compañeras en la mesa, Yuka Mizutani y Patricia Nakamura Gojima, por sus ponencias tan interesantes e informativas.

分科会8<生産と共同体> 司会:狐崎知己(専修大学)

本分科会は自然科学分野の若手2名と人類学・歴史学分野のベテラン2名が、共同体と持続可能な発展をキーワードに、フィールド調査にもとづく報告を行った。貧困共同体が土地や換金作物などの新たな資産を獲得し、また、フェアトレードや観光開発を通して資源の付加価値を高めることで、所得増加や人間開発の機会が拡大するものの、非持続的な形での資源開発の加速化、共同体内外での格差の拡大と社会紛争の発生など、負のインパクトが生じていることが示された。30名ほどの参加者を得たフロアからは、経済学、人類学、歴史学、教育学、政治学などの分野から学際的な質疑応答が極めて活発になされ、地域研究学会としての開発研究の新たな可能性を感じさせるものであった。

「フェアトレードの社会的インパクト―ベリーズ国トレド州のカカオ生産者の事例から―」
鈴木 紀(国立民族学博物館)

ラテンアメリカ諸国で盛んになりつつあるフェアトレード(公正な貿易)の社会的インパクトを、中米ベリーズ国トレド州のカカオ生産者団体TCGAを事例に考察した。報告では、カカオを①商品、②生産物、③文化資源として扱い、それぞれの社会的インパクトを提示した。カカオを商品としてみると、フェアトレードによる最低価格保証やマーケットの確保によりカカオ生産者が増加し、カカオは地域の基幹産業の1つになっていることが指摘できる。カカオを生産物としてとらえると、カカオの増産にともなう土地問題の顕在化を見逃すことができない。私有地・集落保留地・国有地が複雑に入り組むトレド州の土地制度のもとでは、カカオをどこでつくるかをめぐって論争が絶えない。カカオを文化資源としてとらえると、2007年から開始されたトレド・カカオフェスティバルの影響が重要である。このイベントでは多民族融和とマヤ文化再評価のメッセージが発せられ、カカオをシンボルに新しい地域文化が生成しつつあることが感じられる。

「ブラジルアマゾンの土地なし農民(インバゾン)の農林産物収入と生活形態」
石丸香苗(京都大学アジアアフリカ地域研究研究科特別研究員)

気候と資源に恵まれたブラジルアマゾンにおいて、「土地なし農民運動」は貧困層が自ら生産する環境を手に入れ、生存の礎を築くための有効な手段である。本発表では、土地の占有権への運動進行中のコロニーと、既得したコロニーにおける各世帯の農林産物の生産形態と経済状況の差を比較した。栽培作物は大きく①長期作・高利益②短期作・低利益③単年・翌年収穫で利益が期待しにくいが自給に用いるもの、の三タイプに分けられた。この組み合わせから、占有の初期段階で現金収入を得るための栽培作物種選定および計画性の重要さが浮かび上がった。両コロニーの間では家計の教育費、農業投資、余剰に大きな差が生じており、これらが設備投資を含め将来的に収入増につながると示唆された。土地なし農民運動は、占有した場で生産をあげることにより、働く機会と現金収入を生み出す機会となっており、資源の再分配が効かない社会での貧困の連鎖を断ち切る手段となりうると考えられる。

「民営品原材料の獲得・流通をめぐる社会的動態―アンデスのムユ貝の事例―」
大平秀一(東海大学)

ムユ(スポンディルス)は、温暖な海域に生息する海洋性の二枚貝である。先住民社会は、形成期以前からこの貝に儀礼的意味を付与しており、インカ時代にいたるまで墓や神殿等から貝殻・装身具等の加工品が出土する。先史文化を扱った大半の博物館でこれらの出土品が展示されていることもあり、アンデス各地の民芸品店では、ムユの貝殻や装身具類が販売されている。原材料が比較的高額で売買されるため、主たる生息域のエクアドル海岸部では乱獲が進み、2009年には禁漁対象種に指定された。しかしながら、観光客の多いペルーにおける一定の需要に変化はなく、不法採取も一部には認められる。加えて、生きた貝の採取が困難となった現在では、ペルーの仲介人から「コンチャ・デ・ワカス」(遺跡出土の貝)が求められ、エクアドル海岸部の遺跡で盗掘がなされ、出土した大量のムユが売買されるという現象も生じている。

「森林を資源化する外部者とシピボ社会―ペルー中央アマゾンのドス・デ・マジョ村を事例として―」
大橋麻里子(東京大学大学院生)

1977年に開拓されたドス・デ・マジョ村の人々(シピボ)は、複合的な生業を営み、時には村外の親族や友人が村を訪問し、一緒に生活をしていた。つまり村人にとっての「居住者」とは、「周辺地域の資源状況やそれを利用する知識に詳しく、時には訪問者を積極的に呼び入れて資源を共同で利用する者」という意味も含まれていた。1984年にD村は先住民共同体として登録され、商業伐採や個人伐採者が村内の敷地で伐採活動を行う場合には有償化した。2006年に、国営研究所が行政村を基準として現金収入源の向上を掲げ木材生産プロジェクト導入をしたが、そこには「居住者=資源の占有的利用者」という前提があった。村人は外部者とかかわりを深めるなかで、2009年には親族や隣人に対しても木材資源へのアクセスを有償化するようになった。村人の考える「居住者」の意味が木材資源に限っては、外部者の想定する「居住者」の意味に向かいつつある。

パネルA 「食とペルー文化―学際的研究への試み―」
コーディネーター:佐々木直美(法政大学)
コーディネーター・司会:渡辺 暁(東京大学等非常勤講師)
報告者:佐々木直美(法政大学)
芝田幸一郎(法政大学等非常勤講師)
大貫良史(東京大学大学院生)
鳥塚あゆち(東海大学大学院)
杉下由紀子(法政大学等非常勤講師)

本パネルは、ペルーの食文化・そして食の社会的役割を学際的に考えることを目標として、考古学・歴史学・文化人類学・社会学を専門とするアンデスならびにラテンアメリカの研究者が組織したものである。ペルーにおいて、食の社会的役割は、先スペイン期の域内交易や互酬関係にはじまり、現在の食文化はその後の征服や植民地支配、そして移民や新たな作物の流入などの歴史的過程を経て形づくられてきた。現在のペルーでは、確立された独自の伝統的な食文化に加えて、それをペースとしつつヨーロッパのフュージョン料理の手法を取り入れた“novo andino”と呼ばれる創作料理が、高級料理として世界的にも好評を博している。また、これまでは伝統的な暮らしの中でのみ食用として利用されてきたアルパカが、近年では都市のレストランで提供されるようになるなど新たな動きが見られ、こうしたラクダ科動物の食肉利用についても、様々な角度からの研究の余地が残されている。
本パネルでは、こうしたペルー・アンデスの多様な食文化の歴史と現状とを、「トランス」と「フュージョン」という二つのキーワードを手がかりに分析しようと試みた。前者は人の移動・越境が食文化にどのような影響をおよぼすか、に加えて、学際的な研究を通してペルー食文化のより多面的な像を描き出そう、という意図を、「フュージョン」は越境によって混じり合った様々な食の文化的要素が、どのように新たな文化を産み出していくのか、という視点を表している。
佐々木による趣旨説明に続いて行われた個別の発表の内容は、以下のとおりであった。芝田は形成期の遺跡から発掘された土器や動植物遺存体の分析などを手がかりに、当時の饗宴の様子を考察し、そうした饗宴が神殿の改築などの大規模な土木工事に際して行われていること、そして様々な地域に住む人々の往来に深く関与していることを指摘した。大貫はコスタ地域の製糖業の近代化によって危機に陥ったシエラ地域のアシエンダが、サトウキビ蒸留酒“cañazo”の製造に特化することで生き残ったとする仮説を提示した。鳥塚は南部高地における人類学的調査から、ラクダ科動物の食肉の利用を牧民の日常食と儀礼での食の二つの視点から述べ、さらに現在のクスコのレストランで、観光客向けのメニューとして供されているアルパカ肉の消費の様子について言及し、肉の消費の現状と社会・文化的背景の関係について考察を行った。
最後の二つの発表は、ともに日本におけるペルー食文化をテーマとするものであった。杉下は川崎市のペルー料理店での聞き取り調査に基づき、これらのレストランの開店以来の変遷、特に顧客層の変化や社会的役割の移り変わりについて述べ、佐々木は在日ペルー人の家庭の1ヶ月間の献立から、彼らの食生活について調査した結果を報告した。
質疑応答では事実関係についての質問・コメントから、今回の発表では扱われなかったセルバ地域とペルー全体の食文化の関連、宮廷・饗宴料理が現在のペルー料理に及ぼす影響、そして本パネルの「学際的研究」の意義とは具体的に何か、といった大きい問題まで、多岐に渡るご意見、ご質問を頂戴した。最後の「学際的研究」の意義については、長期的スパンで変化を考える歴史学・考古学と、現在その場で(短期的に)起こっていることを観察できる文化人類学・社会学のあいだの意見交換が、これまで実際に各人の研究を深めており、そして実際のメンバー間のチームワークによって、個人研究ではできなかったような様々な知見が得られつつあるということを、現時点での回答として述べさせていただいた。こうした貴重なご意見・ご質問をくださった皆様に感謝しつつ、今後とも真摯に取り組んでいきたい。
最後に、お名前は挙げないが、ご質問・コメントを下さった皆様、そしてなにより初日の午前中にもかかわらず発表を聞きに来て下さった皆様に、改めてお礼を申し上げたい。予想を越えるご参加を頂き、パネル参加者一同感謝すると同時に、頂いたご意見・ご質問に何らかの形で少しでも応えるべく、今後とも努力していく所存である。

パネルB 「米国西海岸地域における中米系住民のエスノスケープと政治的アイデンティティ」
コーディネーター:中川智彦(中京学院大学)
司会・コメンテーター:田中 高(中部大学)

1990年代頃から米国内のラテン系の存在感が増し、2010年の国勢調査結果でもその傾向は変わっていない。なかでも「中米系」の比重が格段に大きくなり、集住地区のロサンゼルスを含む西海岸地域においてラテン系全体に占めるエルサルバドル系とグアテマラ系の人口比はメキシコ系に次ぐまでになっている。
こうした中米系の急増に伴い、その出身地・階層・民族の多様化に学術研究の焦点が当てられ、その存在は人類学的にも政治学的にも研究対象として重要度を増してきている。政治学では、国境と国民の関係の「揺らぎ」、および本国側からの国民的アイデンティティ維持永続策、それに対する在外コミュニティ側の反応とその効果などが焦点となる。
パネル当日は、田中高会員の司会のもと、中川智彦会員の経緯と趣旨説明、桜井三枝子会員による中米系移民の歴史的背景報告、智彦会員と中川正紀会員によるサルバドル系の政治的アイデンティティに関する現地調査に基づく本国との関わりと米国との関わりという異なる視点からの報告を、田中会員によるコメントと技術的な質問の確認を入れつつ行ったのち、最後に全体の質疑応答に入った。
桜井報告「中米人の米国移動の足跡をたどる」では、エルサルバドル・グアテマラ両国民が近隣諸国に移動した社会的背景を1.独立期から1950年代までを第一波~第三波とし、2.第二次大戦後の近代(1960~1970年、第四波)、そして3.市民戦争(1980年以降、第五波、第六波)と各時期の政治的・経済的プッシュ・プル要因の特徴を報告した。1980年代、エルサルバドルの内戦、グアテマラの対ゲリラ抗争などで国軍の弾圧が激化し米国へと大量移民が増加した。両国の多くの「非合法」移民は南西部を目指し、ロサンゼルスなどのグローバル都市近郊へと流入した。これらの概略をもとに2008年、2010年にロサンゼルスとサンフランシスコ近郊のX郡で行った予備的調査を報告した。米国内のヒスパニック約5,000万人のなかで、メキシコ人に続くのは比較的若い世代の両国人であり、彼らの本国送金額は年毎に国内総生産の高い率を占め、メキシコ人と連携し政治的発言力を増している。今後、彼らの本国における政治的発言力がどのように展開するのか、同時にユカタン半島やグアテマラのマヤ人が命がけで越境し、逞しくサバイバルする風景をどのように理解すべきか。桜井会員自身が従来の視点の変換を迫られている。
智彦報告「在米エルサルバドル系住民に対する予備調査の概要と回答結果にみる本国政治に対する参加意識」では、正紀会員との共同研究の予備調査として2010年8月末から9月初旬に行った在米サルバドル系住民の政治意識に関する現地調査の概要と、その結果得られたデータの中から本国政治に対する関心度に関わる分析結果をスペイン語でまとめた緊急報告書の要点を中心に発表した。現地調査で使用したアンケート内容、時期と主な場所、サンプル数(予算と時間の制約で有効回答者数は103)とその内訳などを紹介したあと、報告書の中で特に現地関係者らの関心が強く寄せられた項目について、その集計結果と含意を示した。先の大統領選挙では、米国でDUI登録した5,000名分の名簿が用意された投票所が首都サンサルバドルに開設され、同国史上初めて海外在留国民のための投票機会が用意されたと宣伝されたが、実際の投票者数は294名に過ぎなかった。アンケート結果は、その理由の一端を明らかにするものであった。
正紀報告「ラティーノ二重国籍者の政治意識・政治行動:エルサルバドル系についての一考察」では、智彦会員との共同調査のデータを用い、サルバドル系二重国籍者の政治意識・行動について、サルバドル系移民と比較して考察した。在米コロンビア系の二重国籍者に関する最近の実証研究(C. Escobar, 2006)では、二重国籍性が逆に本国政治への参加や関心を増加させる方向に作用する事例が報告されている。同様のことについて探るべく、サルバドル系の本国政治・米国政治への参加・関心について永住権保持者と二重国籍者のデータを比較した。サルバドル系では本国政府の在外国民への対応方法など様々な影響を考慮する必要があるが、Escobarのコロンビア系の調査とほぼ同様の結果が得られた。すなわち、帰化を通じて「市民」となりうる予備軍的存在の永住権取得者と二重国籍者である「市民」を比較すると、やや「市民」の方が両国の政治に関心を持つ者の率が高いという結果である。ただ、今回の調査のサンプル数の少なさや質問項目のさらなる工夫の必要など今後の調査に向けた課題は山積していることは否めない。
大会第一日目午前のパネルであったが、延べ25名近い参加者を得て、会場からは、紹介事例の詳細な説明、LAでの中米系とメキシコ系の人的関係性、サルバドル系移民の在米状況(定住型か往来型か)・主な職種・本国政治との関係性のレベル(国レベルか地方レベルか)、サルバドル系に関わるDUIとTPSの法的効力、ラ米出身者の過去の帰化率の変化パターンの国別の違いの理由など、今後の研究の方向性を考えるうえで示唆に富むご質問・ご指摘を頂いた。なかには、報告者が即答できず今後の調査結果に委ねなければならないものもあったが、全体として、非常に有意義な時間を共有することができた。あらためて、会場参加者並びにパネル関係者の皆様にお礼を申し上げたい。

パネルC 「ラテンアメリカの新世紀―21世紀に新しい文化が誕生したか―」
コーディネーター:マウロ・ネーヴェス(上智大学)
司会:尾尻希和(東京女子大学)
報告者:マウロ・ネーヴェス(上智大学)
渡会 環(愛知県立大学)
長谷川ニナ(上智大学)
吉川恵美子(上智大学)
*引き続き、パネルに関連するラテンアメリカ映画の上映会
(コーディネーター:マウロ・ネーヴェス)

21世紀に入り10年を経たラテンアメリカにおいて、グローバル化や域内の情報流通・人の接触が加速し深化するなか、新しい世界観や文化が誕生しているのかを、ポピュラーカルチャーの面から考察することがこのパネルの主な目的である。
ラテンアメリカ諸国の中でグローバル化の影響を最も強く受けた国はブラジルであるといっても過言ではないだろう。特にBRICSの経済成長概念の影響もあり、海外における「ブラジル製」及び「ブラジリダーデ」という概念はこの10年で変化してきた。それにともない、カルチャー面で何が変わったかを探ることを目的に、ネーヴェスはこの10年の間に発表された9本のブラジル映画を取り上げ、制作方法やテーマの多様化について分析した。また渡会は、グローバル化の影響を受けて大きな広がりをみせた「メイド・イン・ブラジル」のファッションとブラジリダーデとの関係について探り、ブラジルの自然との関係性の中でとらえたブラジルブランド、いわゆる「ブラジル・モード」について明確に分析した。
ブラジルと共にグローバル化から直接的な影響を受け、国のイメージの更新を試みてきた国はメキシコである。国民性に根付くカルチャーを保ちながら特に米国からの影響を逃れることができないメキシコに、新しい世界観は誕生しただろうか。この点について長谷川は、メキシコ独立200周年を祝った2010年に、メキシコ人が「メキシコ」という国家をどのように振り返ったかを分析した。主に19世紀及び20世紀に街頭で販売された数種の印刷物を比較しながら、当時の「メキシコ」が、「絶望」と「希望」のどちらの道を選び、また選ぼうとしているのかを分析した。
最後に、2005年のラテンアメリカ学会大会でヨーロッパからラテンアメリカに向けて展開した<マグダレーナ・プロジェクト>について紹介した吉川が、この女性演劇人ネットワークを通じたヨーロッパ―ラテンアメリカ―アジアの交流がその後も積極的に続いていることに着目し、女性が国際的に連帯し精神的に支え合う中で、映像も使用しながらどのような演劇行動が見られるのかを「平和」をキーワードに考察した。
残念なことにオーディエンスはたったの5人であった。しかしそれにもかかわらず質疑は充実し、渡会に「ブラジル・モード」と在日ブラジル人との関係についての質問がいくつかあった。また吉川はコロンビアにおける女性演劇人ネットとイベントがコロンビア社会全体にどのような影響を与えてどのように解釈されているかについての質問があった。最後に長谷川とネーヴェスは、ラテンアメリカ人として新しい文化とアイデンティティーについてコメントを加え、パネルを締め括った。
引き続き4回に分けて行った上映会は、昼食時を利用してのセッションには20人くらい集まったが、それ以外のセッション参加者は10人以下であった。だが映画を鑑賞した会員からはこれからも上映会を開いてほしいとコメントを頂いたことから内容は充実していたと思われる。

パネルD 「グローバル化と国民統合が生む社会的排除―民衆の可視化と抵抗―」
コーディネーター・司会:幡谷則子(上智大学)

グローバル化が進む中、ラテンアメリカ諸国では、政治的安定性の相対的回復も背景に、マクロ経済動向は好調に転じた。また、人権や政治制度に関するグローバルな規範が共有されるにしたがって、これまで政治的にも経済的にも弱者集団であり、国家からはその存在すら認識されてこなかった様々な社会集団が、制度的民主主義の発展と国家開発戦略の浸透によって可視的存在となった。その一方、これらの過程は、これまで国家開発の枠組みから取り残されてきた集団の「領土」における資源や土地を、国家経済戦略上必要とする国家権力が、国民統合という枠組みによって収奪する過程ともなっている。
本パネルでは、4人のパネリストがエクアドル、コロンビア、メキシコ、ペルーの4ヶ国の事例において、グローバルな力とナショナルな力に対抗する民衆の抵抗の様々な営みを報告し、それらの持続可能性について議論した。
まず新木秀和会員(神奈川大学)が、「アマゾンの石油開発をめぐる社会的排除と地域住民の抵抗」と題し、エクアドル東部のアマゾン地域で1970年代から継続されてきた石油開発の中で近年重要な展開を見せているテキサコ=シェブロン裁判(先住民vs.多国籍企業)とヤスニITTイニシアティブをめぐる力学(コレア政権の政策vs.アマゾン地域住民)の事例を紹介しながら、資源開発、社会環境紛争と地域住民の政治参加の相互関係を明らかにした。次に千代勇一会員(上智大学イベロアメリカ研究所)が、「コロンビアにおける違法作物代替開発に対するコカ栽培農民の抵抗と生存戦略」について、国家から「見捨てられてきた」存在であったコロンビア北東部のボリバル県南部の入植者が、1980年代より盛んとなる違法なコカ栽培に従事することでネガティブな存在として可視化された過程を紹介し、入植者の国家への統合プロセスとして機能するコカ対策とそれに対するコカ農民の抵抗と生存戦略を分析した。斉藤亜子会員(上智大学イベロアメリカ研究所)は「メキシコ、オアハカ州の先住民居住地における地方分権化政策への対応:慣習による行政運営と収入」において、地方分権化が、必ずしも住民の意に沿う予算配分を実現しているわけではないことを述べた上で、先住民が居住するオアハカ州の市町村では、独自の行政運営と予算確保が慣習法に基づいて実践されてきたことを論じ、これを先住民共同体に対する民主化―地方分権化による国家制度への統合に対する抵抗の営みであると位置づけた。最後に細谷広美会員(成蹊大学)が「格差社会における紛争後の平和構築―ペルー、移行期正義と先住民―」と題し、紛争後の平和構築のプロセスとネオリベラリズム政策が並行したペルーで、著しい経済成長の一方で、紛争で最も大きな被害を受けた先住民を中心とする人々が、平和構築のプロセスから排除されている様相を分析した。そして、冷戦後国際社会において高まった人権の尊重と民主化の国家へのアカウンタビリティの要求が、人権・民族的不平等や経済的格差を抱える国家においては、マイノリティの文化的資源化につながる可能性があることを論じた。
フロアーからは各パネリストに対し活発な質問とコメントが寄せられた。最後に、コーディネーターの幡谷が、図式化によって、インフォーマルな生業のゆえに不可視の存在であった社会集団が、法制度の整備によって、可視化されてゆく過程はグローバルな市場メカニズムと国家の制度的枠組みへの統合過程であること、それは同時に新たな制度化された収奪と排除を生むリスクにさらされることを論じた。だが、ローカルな営みが国際メディアやネットワークによってグローバルに水平的関係を築いてゆくことで、覇権主義的なグローバル化に対抗する下からのグローバル化プロセスを形成する可能性があることを指摘した。

パネルE 「近代ラテンアメリカにおける文書管理実践の史的展開―ペルー・ボリビアにおける公証人制度の移植と変容のプロセスを中心に―」
コーディネーター:吉江貴文(広島市立大学)

本パネルは、近代ヨーロッパを発信地とする公文書管理システムのラテンアメリカへの普及プロセスと先住民社会へのその影響を、16世紀以降の約4世紀というタイムスパンに沿って究明することを目的として、本パネル構成メンバー5名が2009年より進めている共同研究『近代ラテンアメリカにおける文書管理実践の史的展開―歴史人類学的研究』の中間報告として行われた。今回のパネルでは、研究プロジェクトの構成メンバーがこれまでラテンアメリカ(ペルー、ボリビア)およびヨーロッパ(スペイン、イギリス)のアーカイブズを中心に行ってきた学術調査の成果をもとに、スペイン植民地体制の公文書管理システムの中枢を担ったエスクリバーノescribano と呼ばれる専門家集団の分析を中心に研究報告を行った。
最初にパネル代表・吉江(広島市立大学)が、本プロジェクトの趣旨と内容について包括的な説明を行った。具体的には、プロジェクト全体を統括する三つの研究領域(①エスクリバーノ制度の移植と変容に関する研究領域、②ラテンアメリカ側の国家と地域社会のインターフェースに関する研究領域、③地域レベルでのエスクリバーノ制度の影響に関する研究領域)の設定経緯、ヨーロッパ・ラテンアメリカの研究機関・文書館を中心に、これまで実施してきた調査・資料収集活動の内容と成果、現在進めている資料データベース・コーパス化作業の進捗状況と今後の展望について説明した。
続いて溝田(同志社大学)が、17世紀ペルー・ワマンガ市(現アヤクチョ市)の公証人帳簿の分析をもとに、エスクリバーノ制度が先住民に及ぼした影響とその通時的変化について考察した。とりわけ、1640年代以降の公証人帳簿に現れる、インディオ記録台帳registro de indiosの歴史的変化に注目し、17世紀末までの約70年間にわたるファイリング・システムの変遷を辿ることによって、スペインから移植された公文書管理システムが、植民地の実務レベルにおいてどのように機能していたのかを実証的に究明した。
次にロペス(ボリビアカトリカ大学)が、植民地期ラパス(チャルカス地方)の事例にもとづき、ペルー副王領の周辺地域におけるエスクリバーノ制度の社会的役割と機能について歴史学の立場から明らかにした。具体的には、18世紀ラパスにおいて使用されていたJuan y Colomの文書管理マニュアルの分析をもとに、植民地体制下の公法領域においてエスクリバーノが果たしていた役割の重要性を指摘し、従来のエスクリバーノ研究において同テーマが見逃されてきた点を踏まえたうえで、本プロジェクトにおける今後の研究発展への期待が述べられた。
最後に中村(東京大学)が、旧ペルー副王領について保管されている植民地期の膨大な行政司法文書を分析するための一つの切り口として、近年進展の著しい人文情報学(Digital Humanities)の知見を取り込んだ新たな分析アプローチの可能性について検討した。その中で、1970年代に始まる人文学デジタル化研究への取り組み、2000年以降における人文情報学の潮流の再編という研究史の枠組みが説明されたあと、現在、欧米を中心に進みつつあるデジタル化ルールの共有・標準化に向けたグローバルな動きと、ラテンアメリカの公証人資料のデータベース構築作業をいかにして連動させていくかが、人文情報学的アプローチを有効に活用していく上での鍵となるであろうことが示された。
報告後の質疑応答では、インディアスにおけるエスクリバーノ制度の歴史やスペインにおけるエスクリバーノ研究との連携の可能性などの点を中心に活発な議論が交わされた。

パネルF 「岐路に立つキューバ」
コーディネーター:山岡加奈子(アジア経済研究所)

冷戦後の経済危機の中でキューバ経済を振り返ると、1990年代前半の経済改革、その後の平等主義の強調による改革停止、2000年代からのベネズエラからの経済援助とそれが減少することにより、再び経済改革に向けて動き始めた。キューバ経済の分析は近年、キューバ国内でも従来のマルクス主義経済学の立場からのものだけでなく、近代経済学を用いる分析が現れており、注目される。
さらにカストロ兄弟が高齢化する中で、国内の政治経済社会の変化は今後も継続すると予想される。米国との関係では依然として対立的な関係が続き、その要因を探る研究がなされてきた。
本パネルでは、アジア経済研究所で2009~2010年度に実施されたキューバ総合研究の成果を中心に、今年4月に14年ぶりに開催された第6回共産党大会を踏まえて報告した。基盤となった研究成果については、昨年度の「ラウル政権下キューバの政治と社会」パネルでも取り上げているが、今回のパネルは昨年度のパネルで報告しなった狐崎知己会員(専修大学)と山岡加奈子(アジア経済研究所)に加え、今年5月から3ヶ月の予定でアジア経済研究所客員研究員として滞日中のパーベル・ビダル=アレハンドロ(ハバナ大学キューバ経済研究所助教授)氏を迎えて開催した。なお、報告が予定されていた小池康弘会員(愛知県立大学)は急病のため欠席された。
パーベル・ビダルが今年の共産党大会で策定された経済改革の内容と問題点について報告した後、山岡がキューバ・米国関係が対立を続ける要因の一つとして、社会構築論から説明を試みた。狐崎はビダル報告にコメントを加える形で報告した。出席者は昨年と同じく30名程度で、活発な質問やコメントがフロアから出され、時間を超過するほど活気のある議論が展開された。
まずビダル報告(Reforma cubana: contenidos visibles y principales desafíos)では、キューバ経済の現状を、成長と外貨準備の因果関係、サービス貿易の増加と停滞、輸入依存への移行から説明し、さらに国際収支赤字と対外債務支払いの停止の問題を指摘する。他方財政赤字は近年改善しつつある。自営業の拡大と小規模企業認可へ向けた規制緩和、補助金を削減し、受益者をターゲティングする新自由主義的な社会政策、経済の分権化など、経済改革の狙いがどのような問題をはらんでいるかを議論した。経済的な制約条件だけでなく、政治的にも改革に抵抗する国民が高齢者や国営企業従業員などに相当数見られることも指摘した。
山岡報告(Continuación de las relaciones confrontacionales entre Cuba y EEUU: Conflictos alrederor del sistema “monistico”)は、キューバと米国の関係が冷戦後も敵対的なまま継続している理由として、社会構築主義の立場から、キューバの革命体制をどのようにアイデンティファイするかの対立であると説明する。キューバ側は革命体制を一元的な体制としてとらえ、一元性を脅かす要素である反体制派や米国の介入を排除してきた。他方米国はキューバの体制を一元的なものと認めず、反体制派や二重の価値基準で生活するキューバ国民を、革命政府とは異なる主張を包含するものとして支援しようとする。このアイデンティティのとらえ方の違いが両国関係の対立を生み出しており、そのために冷戦後も関係改善がみられないと説明する。
狐崎報告(Transición del régimen socialista)は主としてビダル報告を念頭に、ビダルが国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(CEPAL)のジャーナルに発表した経済成長モデルを取り上げ、それが共産党大会で承認された「指針」に合致するものであることを示した。ビダルのモデルによれば。対外依存度の高いキューバ経済において、外貨準備が国際収支制約要因として経済成長を決定する。また新古典派経済学の立場をとるドイメアディオスのモデルを紹介し、物的資本形成と人的資本形成の増減が、経済成長を左右していることを示した。これらのキューバにおける(マルクス経済学でなく近代経済学を用いる)新世代の経済学者たちの業績は、共産党大会で承認された「指針」で取り上げられている問題点と一致することを指摘した上で、中国やベトナムの改革とは初期条件が大きく異なるので援用は困難が予想されること、とくに農村若年人口が都市で労働集約産業に従事することで経済発展の糸口をつかんだ両国の例は、少子高齢化が進み、都市化率が高いキューバでは適用できないことが指摘された。
これらの報告を受けて、フロアからの質問やコメントとしては、ビダル(および狐崎)に対しては、キューバ経済の今後の見通しや鍵となる問題点が挙げられた。またキューバ人研究者が報告に加わったことで、現在の体制の継続可能性や改革を担う指導者についても質問が寄せられた。山岡に対しては、理論に拘泥するよりも、歴史的な関係に注目するべきではないか、また近年の一元性の緩みが関係改善につながった場合、キューバ側の体制エリートはどう反応するか、オバマ政権とブッシュ前政権の政策の違いにも注意すべきではないか、などの質問が出された。

パネルG 「ラテンアメリカにおけるトウモロコシ需給の変容」
コーディネーター:清水達也(アジア経済研究所)

2008年の食料危機や2010年後半以降の食料価格の高騰などにより、食料需給に対する関心が高まっている。既存研究は、主に国際機関などが公表しているデータに基づいて、世界における主要穀物全体を対象とした食料需給について分析している。これに対して今回のパネルでは、トウモロコシという特定の穀物に絞り、その生産や消費で国際的にも重要な位置を占めるラテンアメリカのメキシコ、ブラジル、アルゼンチンにおける需給の変容について報告を行った。この報告は、アジア経済研究所で2009~2010年度に実施された「食料危機と途上国におけるトウモロコシの供給体制」研究会の成果の一部である。
メキシコに関しては谷洋之会員(上智大学)が「複雑化するメキシコのトウモロコシ需給:商業生産の拡大と『契約農業』の普及」と題して報告した。メキシコでは、北米自由貿易協定により米国からのトウモロコシ輸入が急増している。これにより国内のトウモロコシ生産が大きな打撃を受けているといわれているが、実際には国内生産も大きく増加している。特に新興の生産地域である北西部では、灌漑地においてハイブリッド種を用いた生産が拡大し、単収の向上によって生産が大きく増加している。国内で生産されるのはトルティージャの原料にも使われる白トウモロコシが多いが、飼料用として需要が急増している黄色トウモロコシへの転換が図られている。なお当日は谷会員が出席できなかったため、コーディネーターの清水が代わりに報告した。
ブラジルに関しては、清水純一氏(農林水産政策研究所)が「ブラジル産トウモロコシの拡大過程と今後の見通し」と題して報告した。ブラジルは2000年代に入ってトウモロコシの輸出を開始し、2000年代半ば以降安定的な輸出国となった。生産拡大の要因となったのが中西部のセラードにおける第2作の収穫の増加である。これは早生の大豆の裏作としてトウモロコシを生産するもので、南部のように大豆と競合するのではなく、これを補完するかたちで生産が増加している。今後も国内需要を上回る生産増加が予想される。為替レートの変動や輸送インフラの整備など不確定要因が残るものの、輸出は拡大するとみられている。
アルゼンチンに関しては、清水が「アルゼンチンにおける穀物生産の拡大とトウモロコシ輸出の制約要因」と題して報告した。アルゼンチンは米国に次ぐ輸出国で、1990年代以降は経済自由化による農業部門への投資拡大、新しい技術の普及、生産組織の革新などで、穀物生産が拡大している。しかし大豆の輸出が急速に増加する一方、トウモロコシの輸出は大豆ほどには増えていない。それは、大豆との競合、輸出規制の強化、国内需要の拡大という輸出を制約する要因が現れているからである。
コメンテーターの小池洋一会員(立命館大学)は、研究全体の目的や方法論について質問したほか、米国や中国などの主要国の動向と、それがラテンアメリカに与える影響についても分析が必要であると指摘した。またフロアからは、各国の土地政策や農地改革との関連、各国の優位な点の他国への適用可能性についての質問があっ
た。

パネルH 「アンデス地域における新しい政治・社会運動の出現と変容」
コーディネーター・司会・コメンテーター:ロメロ・イサミ(早稲田大学)

近年アンデス地域において、伝統的な政党システムが弱体化する一方で、新しい政治アクターが出現・台頭している。また(既存のアクターが市民の要求を反映できていないことから)新しい社会運動が出現すると同時に、昔から存在していた社会運動は変容している。本パネルでは、ボリビア・チリ・ペルーのアンデス三ヶ国を中心にこれらの点について検討した。
第1報告「水道事業体民営化への反対運動―ボリビア多民族国コチャバンバ水戦争を事例に」では、牧田会員が、ボリビア・コチャバンバ市で生じた「水戦争」に焦点を当て、チリ・アルゼンチンなどの事例と比較しながら、恒常的に存在していた水不足という問題がなぜ2000年にボリビア史上最大規模の社会運動として結晶化したのかを明らかにした。特に従来から存在する労働運動が大きく左右したと強調した。
牧田会員の説明は丁寧でわかりやすく、コチャバンバとエルアルト水戦争を比較する研究はないため、その点については今回の報告を高く評価したい。ただ、ボリビアの2つの水戦争における組織や活動家、教会など他のアクターに関する言及が不足していた。また現地調査の報告についても部分的に発表するべきであった。会場からは、社会運動の資金調達について説明する必要があるとの意見があり、チリ・アルゼンチンの水道事業体の民営化について、牧田会員は前者が成功したと定義したものの、「成功」という概念が明確ではないと指摘された。またこれに関連して、軍事体制で民営化されたアルゼンチンとの比較も可能なのかが問われた。したがって、今後は現地調査の丁寧な報告、各事例におけるアクターを示すなどの課題をクリアした上で、他国の事例と比較するなど更なる研究の発展を期待したい。
続く第2報告、星野会員の「チリの社会運動」では、1964年から2000年までのチリの社会運動を取り上げ、行為者の要求内容の推移を分析し、民政移管後、社会運動がどのような影響を受けてきたのかを明らかにした。先行研究では、チリの社会運動が衰退したと言われてきたが、星野会員は民政移管後、社会運動はむしろ増加していると指摘し、社会運動の「量」の減少ではなく「質」の変化が起きたとの考えを示した。なお今回の報告は、星野会員が今年1月に東日本部会で発表した報告に修正を加えたものである。今回も研究書から社会運動を収集し、時代ごとに政治言説との関係から分析したが、社会運動を更に細かく五つのパターンに分類した。星野会員によると、チリでは次第に土地や教育等の公的分配を求める要求から、アイデンティティの表出や市場を介した要求へ変化しているという。この新しい試みについては星野会員を高く評価したい。ただ、依然として1次資料の分析が不足しいるという問題点が残る。会場では、主に方法論に関する質疑がなされ、政治言説をどのように観察するのか、1次資料を用いて研究を進めた場合どのような成果をあげられるのか、報告者が収集した社会運動のデータの信用性等について議論がなされた。また報告者の指摘する要求内容の変化は、脱物質主義の価値観が根付いたために起こるという既存の研究(ロナルド・イングルハート、猪口孝など)と何が異なるのかを明確にすることも今後の課題として挙げられた。したがって、今後は1次資料を用いて、チリの社会運動全体の変容を説明できる研究の発展を期待したい。
最後に第3報告、磯田会員による「ペルーにおけるアウトサイダー―フジモリ・トレド・ウマラの事例を通して」は、1990年代以降、「アウトサイダー」と呼ばれる新しい政治アクターが台頭しているペルーの事例を取り上げ、その背景を考察した。本報告では、大統領選に出馬したフジモリ・トレド・ウマラに焦点を当て、各候補の勝敗を分けた要因を明らかにした。最終的に各選挙時に必要とされていた政治経済システムへの対応の適切さが「アウトサイダー」の出現の要因であると結論づけた。
磯田会員の説明は簡潔かつ丁寧で、米国の政治学者が指摘するラテンアメリカの政党システムの崩壊をペルーの事例を通じて批判し、今まで警戒されてきた「アウトサイダー」の存在を再検討したことは高く評価したい。ただ、磯田会員が指摘する政治経済システムへの対応の適切さがどこまで「アウトサイダー」の生存や成功につながったのかが十分実証されていない。一方、会場からは、アウトサイダーは大統領制の特有な問題なのかが問われた。また韓国など「ヤンバン政党」がある国のように、既存政党に属しない候補が大統領選を勝利する事例も考慮する必要があると指摘された。さらに「アウトサイダー」が有力候補になるための条件、政治資本などを説明する必要があると指摘もあった。続いて「アウトサイダー」という概念を用いることの意義が問われた。ポピュリズム、プラグマティズム、アウトサイダーの違いを明確にした方がよい。最後に代表制の危機の基準(Volatilityや有効政党数など)に関する有益な質問を頂戴することができた。したがって、今後は「アウトサイダー」という概念の意義を説明した上で、他の事例と比較しながら、この問題を説明できる枠組みの発展を期待する。
以上の3報告から近年のアンデス地域では、新しい政治・社会運動が出現し、既存の社会運動にも変化があることが明らかになった。ただ、新しい運動は従来の運動に強く影響されているのも確かである。どこが新しいのか、どこまで既存の運動の延長なのか、今後丁寧に説明する必要があると考える。
なお本パネルでは、各報告者がコメンテーターに予め2万字程度のペーパーを提出した。これは今後、日本ラテンアメリカ学会で義務化される制度のシミュレーションとして意義があったのではと思う。特に若手研究者(大学院生)にとって、自分の所属する大学以外の研究者からコメントを得るために、ペーパー制度は意義があると思う。最後に、発表者が20分以内に発表をまとめたことによって会場とも活発な質疑が実現できた。若手研究者にとっては刺激になったと思う。来訪して下さった皆様に感謝を申し上げたい。

シンポジウム “La sociedad indígena en el México colonial: formas de resistencia y adaptación”(「植民地時代メキシコの先住民社会: 抵抗と順応のかたち」)
コーディネーター:大越 翼(上智大学)

このシンポジウムでは、メキシコの先住民が、16世紀に始まる植民地体制のなかでどのように生きていたのかを、様々な地域、時代を対象として、またそれぞれに異なった方法論をもとに議論した。植民地時代の先住民社会の研究は、16世紀以来460年余の歴史を持ち、膨大な量の成果が蓄積されている。とりわけ1970年代以降、先住民がアルファベット表記された自らの言語で書き残した文書が研究対象として取り上げられるようになり、これによって詳細な個別研究が可能になった。その結果、先住民が主体性を失い従属的に生きていたのでも、均質な社会を営んでいたわけでもなかったことが明らかになってきた。すなわち、地域・時代、あるいは社会階層によって驚くべき多様な現実が存在していたのであり、「植民地時代史」という大きな枠では捉えきれない豊かな歴史が見えてきたのである。同時に、それは当時の先住民社会を分析するための多様な史料群の存在を示唆してもいた。先住民文書、スペイン語で書かれた膨大な文書はまず歴史学的、言語学的、文献学的研究の対象となる。だが今回のシンポジウムでも明らかになったように、歴史人口統計学や図像学など、新しい方法論の応用は史料の解釈の幅を飛躍的に広げるのである。
最初のパネリストとして、井上幸孝会員(専修大学)が「Historiografía indígena colonial en el centro de México: ¿ruptura o continuidad?(植民地時代メキシコ中央部における先住民の歴史記述―断絶か連続か―)」と題し、先住民の血を引く作者によって書かれたクロニカと権原証書を対比させ、前者を西洋的枠組みや概念を多用した植民地時代の産物、すなわち先スペイン期文化との断絶の産物とし、権原証書を先住民の思考の連続性を示すものとする明確な区分の妥当性を論じた。現実には両者の狭間にはそれぞれ複雑な状況が存在し、二項対立的な分け方を云々するよりも、その具体的な状況そのものを明確にしていく努力こそが必要だと論じた。
次に、横山和加子会員(慶応義塾大学)が、「Los tlacuilo y los caracha: ¿Impulsores del cambio o portadores de la tradición? Estudio de un caso: trabajos y clientes de un pintor indígena de fines del siglo XVI(トラクイロとカラチャ:変化の尖兵か伝統の保持者か―ケース・スタディー:16世紀末先住民絵師の仕事と顧客から―)」と題し、先スペイン期の流れをくむナワ世界の絵師トラクイロ、タラスコ世界のカラチャらが、一方で植民地体制のもとでラディーノ的生活をしつつ、他方共同体の一員として首長の権益を擁護するための文書を作成していたと述べた。彼らは、スペイン人修道士から先住民社会の変容を牽引する役目を負わされ、またそのための西欧風の学芸や技芸を教わっていたから、「変化の尖兵」であった。しかし同時に共同体の内部では「伝統の保持者」であり続けるという2つの顔を持ちつつ、少なくとも17世紀初頭まで先スペイン期の図像学的言説を再生産し続けたが、時が経つにつれて先スペイン期の図像の「退化」も進んでいったとした。
小原正会員(昭和女子大学)は「Cultura e identidad: aculturación de los indios caciques del pueblo de Chiapa en el Chiapas colonial(文化とアイデンティティ―チアパス地方チアパ村におけるカシーケの文化変容を中心に―)」と題し、16世紀から17世紀にかけてこの地方のカシーケがかなりの程度文化的なスペイン化を経験していたにもかかわらず、19世紀初頭に植民地時代が終わるまで、「カシーケ」という社会的かつ法的な身分を保ち続けたことを示した。歴史人口統計学のデータは、17世紀末からチアパでは人口減少が進んでいたことを教えてくれるが、カシーケ人口は増加しており、彼らが先スペイン期からの政治・経済的優位とアイデンティティを保持しようとした様が伺えると述べた。
最後のパネリストは安村直己会員(青山学院大学)で、「Tres momentos del proceso de civilización en el Bajío: reconsideraciones sobre la continuidad y la ruptura en el pueblo de indios de Numarán(文明化の過程における三つの局面―バヒオ地方ヌマラン村からみた連続性と断絶―)」と題し、バヒオ地方における先スペイン期との「断絶」は征服と植民地化、とりわけ銀山開発の産物であったとする通説に対し、その「文明化」の過程を3つに分けて分析した。第一期は先スペイン期に相当し、したがって先住民文化の断絶はない。第二期はスペイン人による征服に始まり18世紀半ば頃までで、ヌマラン村の首長らは先スペイン期に起源を持つタラスコ人との関係を維持し、巧みに植民地体制のなかで「文明化された村」として生き残ってゆく。だが、第三期に入り、村の周辺に暮らすスペイン人によって、それまでの方向性が否定され、先住民が「文明化」の主体の座から引きずり下ろさ
れ、スペイン人による「文明化」の客体となった。したがって、この地域における「断絶」は18世紀後半であったと指摘した。
各パネリストの発表の後、フロアも交えての議論が行われたが、議論が集中したのは、やはり文化の連続性と断絶という言葉遣いであった。「断絶」は実態に即すものではなく、「変化」と言った方が、歴史のプロセスをよりよく説明しうるだろうということである。また、通常先スペイン期文化は「連続」したものと捉えうるのだが、これも、たとえば古典期から後古典期への移行期にきわめて大きく深い社会変化が起こったことが知られており、決して平坦な文化発展を遂げていないことも例としてあがった。
同様に、シンポジウムの表題にもある「抵抗」についても、これは意識的な行為を指すのであるから、その使用そのものを疑問視する意見が多かったが、一方で事例研究から「抵抗」と呼べるものはあったとするパネリストもいた。一時間半の議論であったが、ようやくかみ合い始めたところで時間切れになってしまったのは残念であった。今回のシンポジウムのテーマは、ひとつの結論に到達することを目指したのもではなく、逆にいかに植民地時代のメキシコにおける先住民社会が、豊かなバリエーションを持っていたのかを示し、同時にこれからなお様々な地方における事例研究を蓄積し、より精密な先住民社会像を描いてゆくことの重要性を示すものであった。今回は、前日に記念講演をしていただいたオーダイク氏にもコメンテーターとして議論に参加していただくために、発表は全てスペイン語で行うという初めての試みとなった。その意味において一応の成功を収めたのかもしれないが、なお改善の余地はあったはずで、今後の課題としたい。(大越 翼)