第33回定期大会(2012) 於:中部大学

6 月2 日(土)、3 日(日)の両日、中部大学春日井キャンパスで第33 回定期大会が開催された。幸い天気にも恵まれ、多数の参加者(会員、非会員合わせて約180)を得ることが出来た。パネルが4 つ、分科会は9 つとなった。今回の特徴は、充実した講演を3 つ開催することが出来たことである。理事会メンバーのご尽力で、韓国ラテンアメリカ学会会長GuidoSONG Chonbuk 国立大学教授、外務省山田彰中南米局長、Luisa Basilia IñiguezRojas ハバナ大学教授のお話を無事聴くことが出来た。なお当初予定していたOmarEverleny Pérez Villanueva ハバナ大学キューバ経済研究所所長は、キューバ側の事情で直前にキャンセルとなったのは残念であった。しかし幸いイニゲス教授が最近のキューバ事情を写真も使って丁寧に説明して下さったので、参加者には貴重な情報になったと思う。

次回定期大会への課題を2 点述べさせていただきたい。一つは、司会と討論者(ディスカッサント)について。今回試行的に討論者を指名するように、という勧奨があったが、やはり開催校にはそれだけの余裕はなく、今企画されているように、理事会のほうである程度責任をもって人選などもしたほうが良いと思った。

もう一つはお詫びもかねてだが、託児の件である。数名の学会員の方から、託児についての希望、問い合わせをいただいた。実は事前に業者に見積りを取ったのだが、託児数5 名で試算して、一日当たり8 万円程度の経費の掛かることが分かった。それでも一応希望者を募ったのだが、報告希望者締め切り時点では申し込み者1 名だったので、打ち切ってしまった。

子育てをしながらの学会参加もこれからは増加するだろうし、学会の社会的責任という意味でも、何らかの対応を迫られているという気がしている。

開催日は実行委員の杓谷教授のゼミ生などが中心となって動いてくれた。この場をかりて労をねぎらいたい。(田中 高)

第33回定期大会プログラム 33

記念講演

“Cuba por dentro: el territorio, la economía,y la sociedad” (「内側から見たキューバ:領域、経済、社会」)
Prof. Luisa Iñiguez Rojas(Centro de Estudios de Salud y BienestarHumano, Universidad de La Habana, Cuba)

社会地理学を専門とするイニゲス教授は、本講演でもキューバ国内にある地域間格差を、歴史的、社会的背景から説き起こす。1959 年の革命後、とくに社会政策を通じて都市・農村の格差や歴史的に所得の低い東部と首都を中心とした豊かな西部との格差を解消することが目指された。しかしソ連崩壊後の経済危機の中で、地域によって、社会開発面での回復は異なる。
たとえば冷戦後、高成長を記録した、外資導入による観光業と鉱業(ニッケル)が立地している地域は、そこに住む人々の経済的な生活水準を上昇させた。自営業は法的な地位が不安定で、インフォーマルに行われてきた。経済危機に対する家計や個人の生存戦略は、(1)違法あるいは、違法ではないが合法でもない(alegal)経済活動に従事すること、(2)海外に住む親族からの外貨送金、(3)国外および国内でも経済活動が盛んな首都ハバナへ移住すること、の3 つであった。これらの要因が重なり、キューバにおける社会空間的、および社会経済的不平等が増加したのである。
2000 年代に入って、さらに変化が現れた。新興経済部門(観光、鉱業など)への投資は増加し、それらが立地する地域に資本が流れ込む状況は継続した。砂糖産業は本格的な再編に入った。遊休農地を個人や組合に無償貸与することで、農業生産向上が図られた。自営業は、政府からライセンス認可される業種が178 種に増加した。(ベネズエラなどへの)医療サービス輸出が急増した。
家計や個人の基礎的ニーズを自力で充足させる戦略は、1990 年代と比べて変化していない。すなわち、違法および合法でないインフォーマルな経済活動に従事すること、海外に住む親族からの送金に頼ること、そして国内では首都へ、国外では米国を中心とした先進国への移住による生存戦略である。
かつてキューバの基幹産業であった砂糖産業は低迷している。1990 年に810 万トンを数えた砂糖生産は、2011 年には110万トンに減少している。砂糖キビ生産農地も、2003 ~ 2006 年に40 万ヘクタール以上減少した。砂糖に限らず、キューバの農地使用率は低く、ほとんどの土地は半分以下の面積しか活用されていない。マラブーと呼ばれる(オジギソウと同属でアフリカ由来の:訳者注)植物は、家畜も食さず非常に強固に根を張るため、幼体のうちに絶えず駆除する必要があるが、遊休農地は管理が行き届かないため、ほとんどの有休地でマラブーが繁茂している。最近になって、このマラブーが木炭に加工できることがわかり、マラブーからできた木炭をフランスなど海外に輸出する活動が始まった。
2000 年以来、国民の生活向上のため、100 を超える社会プログラムが実行されてきた。出生時平均余命は女性80 歳、男性76 歳であり、教育の平均修了年数は9 年である。しかし社会指標にも地域格差がある。乳児死亡率は、州により乳児1000人あたり2.5 人から6 人までの開きがある。社会政策に向けられる予算は2008 年以降減少傾向にあり、とくに保健関連予算の減少が著しい。社会扶助(社会的弱者向け)の受給者は2008 年以降、6 万人から2 万人近くまで急減しているし、社会扶助予算は同じく13 億ペソから7 億ペソまで減っている。住宅、公共交通、食料価格の問題はまだ解決しておらず、国民の日常生活のストレスは依然として強いままである。このような中で少子高齢化は進行しており、総人口減少が始まっている。海外移住、国内移住は継続し、所得格差は拡大し、社会的不平等が出現している。
自営業ライセンスの職種別内訳は、2010年は食品加工が最も多く、請負契約によるもの、タクシーなど公共交通に従事するものが続く。これが2011 年には、公共交通がもっとも多く、次に食品加工、請負契約の順である。
2011 年から始まった経済改革の特色は、「多様性」と「多様化」で要約できよう。生産部門に参入する機会が多様化し、収入の源泉や額が多様化し、種類や質で差別化された消費パターンへのアクセスが多様になり、休暇の過ごし方も多様化し、物的でない活動の多様化も進んでいる。
高齢化が進む中で、高齢者への政府の扶助も多様化しつつある。全日施設でのケアについては、高齢者ホームと医療・心療教育センターのいずれかが担当する。制度的なケアとしては、ソーシャルワーカーによる自宅訪問などのプログラムがある。コミュニティによるケアとして、デイケアセンターと「祖父母の家」でのレクリエーション活動、祖父母センター、および高齢者ケアのための多分野協同チームによる活動の3 つがある。社会扶助予算が削られる中で、政府以外のアクターが高齢者政策を担う形で多様化が進んでいる。
社会政策を正統化の根拠として重視してきた革命政府が、徐々に多様な経済活動を認める代わりに、保健・教育予算を急激に減らし、社会から保護の手を引きつつある現実を鋭く突く内容であった。革命政権が掲げた理想に共鳴し、若いときから革命体制建設のために献身してきた一人であるイニゲス教授は、現状を批判的に検討しつつも、「もう一度1960 年代に戻ることができるとしても、やはり革命は遂行されるべきだったと今でも思う」と言い切られたのは印象的であった。
(山岡加奈子)

講演

「韓国におけるラテンアメリカ研究」
韓国ラテンアメリカ学会(LASAK)Guido Song 理事長

講演に先駆け、狐崎理事長よりLASAKとの関係緊密化に関わる経緯と提案が会員に向けて行われた。昨年12 月、LASAKよりJALAS 理事会に対してソウル市の高麗大学で開催される冬季研究大会への招聘がなされ、高橋百合子理事が理事会を代表して出席し、研究報告を行った(会報107号参照)。今回はこの返礼として、LASAK理事会代表をお招きし、Guido Song・Chonbuk National University 政治外交学部教授が初来日される運びとなった。今後は双方の研究大会の場で両学会の会員がパネルを組んで報告を行うなど、様々な交流が期待される。
Song 理事長はスペインのCompultense大学にてメキシコの対キューバ及び中米政策をテーマに博士号を取得、韓国における中南米政治・外交研究の第一人者であり、駐コロンビア大使の経験もある。講演時間は20 分と限られていたものの、たいへんに温厚で気さくな人柄がにじみ出る話ぶりであった。講演内容の要約は以下の通りである。
韓国ラテンアメリカ学会(LASAK)は1986 年に創設され、250 人ほどの会員を擁する。研究大会は年2 回、6 月と12 月に行われ、うち一回はソウルで開催される。学会誌としては、Asian Journal ofLatin American Studies を年4 回、英語・スペイン語・韓国語を公用語に出版しており、デジタル版(HP から自由にダウンロード可能)とプリント版の双方がある。投稿者の7 割が欧米や中南米等、LASAK 会員以外の研究者である。編集員会は国際委員会方式をとっており、JALAS からも3 名の編集委員をお願いしている。AsianJournal という名称については、先駆者の利益ということでお許し願い、JALAS が国際版を発行される際にはもっと良い名称を考えて頂きたい。
韓国のラテンアメリカ研究はラテンアメリカへの投資と輸出の拡大に伴い拡大傾向にある。外務省の協力を得て、毎年、大学院生の間で優秀研究コンクールを行い、5 人が半年間在外研究の機会を得るなど、すそ野の拡大にも努めている。大学では14 大学に中南米研究の講座があり、うち4 大学にスペイン・中南米学科が設置されている。
ぜひ様々な形で研究交流を緊密化させていきたい。韓国でお待ちしている。(狐崎知己)

日本の対中南米外交
外務省山田彰中南米局長

山田彰局長は1981 年に外務省に入省後、アルゼンチンを最初に米国、イラク、スペインで海外勤務、外務省では中南米第二課長、国際協力局審議官などを歴任し、今年1月中南米局長に就任した。
講演ではまず、ブラジルが世界6 位の経済規模になるなど、中南米は東南アジアとともに成長センターに浮上しているが、距離遠方に加え政治・経済面での事件が減少、メディアへの露出が減り、日本では実際よりも小さく映っていると指摘した。その上で、日本社会に「等身大の中南米を伝えること」が自分の責務と強調、この点では研究者と立場を同じくしているとエールを送られた。
成長の要因として局長は、国によって差はみられるが、中南米諸国が現実的な経済政策や対外開放策を採用し、中間階層が拡大している点を挙げた。
日本との関連では、メキシコとの平等条約から始まり、経済連携協定の締結や地雷除去、民主化支援といった事業で、ラテンアメリカは日本の経済協力や政府開発援助の地平線を切り開く存在であった述べた。日本の安全保障上、死活の場でないために、新しい試みが実験可能なパートナーという。
対中南米外交の柱として、①経済関係の強化、②国際場裏での連携、③(中南米諸国の)安定的発展への支援の3 点を説明し、さらに最近は④日本的価値の発信にも力を入れていると語った。(堀坂浩太郎)

研究発表

パネルA「チョルーラとテオティワカンのモニュメント性と聖なる自然」代表者:杉山三郎(愛知県立大学)

本パネルは日本学術振興会の若手派遣プログラムなどによる調査の成果発表をアメリカ考古学協会、アメリカ人類学学会などで行う3 年計画の一事業として行った。メキシコ中央高原における古代モニュメントの重層な意義について、様々な視点から議論した。特にテオティワカン、チョルーラ、そしてアステカ大神殿のモニュメントは2千年の歴史があり、時代によりそれぞれ異なった扱われ方をしてきた。発掘すると7つ以上の建替え跡が確認でき、単に「老朽化による葺き替え」、「定期的な更新」、「一部増築」とは異質な、根本的な刷新、完全に古いモノを被ってしまう新しいモニュメントの創造の歴史がある。都市の崩壊に伴いそれらのモニュメントは破壊され、その後再利用され、また時には全く無視される時代を迎えている。その後も異なった宗教、政治、社会的コンテクストの中、メキシコ人のシンボルとしてモニュメントは変容しながら“生き”続けた。本セッションでは発展できないが、考古学関係では認知考古学の理論を基盤とし、人工の象徴的建造物であるモニュメントの例外的なスケールの大きさや・垂直性、また歴史性の認知から、コミュニティー・民族・メキシコ国民のアイデンティティーとしてのモニュメント性と価値体系を追求している。本セッションは国内外研究者による多くの研究のうち、日本人による4 本の発表が行われ、最後に、小林致広氏による貴重なコメントを頂いた。
嘉幡茂、千葉裕太による「テオティワカンのモニュメントから出土した黒曜石の政治性」。覇権国家へと成長したテオティワカンの経済面を支えた黒曜石獲得戦略と、黒曜石製品に物質化されたイデオロギーをテーマとした。そのため、テオティワカンの3 大ピラミッド「月のピラミッド」「太陽のピラミッド」「羽毛の蛇神殿」から出土した考古遺物を分析対象にした。まず、形態分類と原産地同定分析を基に、黒曜石獲得と流通において国家による一元管理システムが存在していたことを指摘した。特に、供給源を恒常的に確保する戦略と高度な加工技術の独占化は、宗教イデオロギーの物質化を行う目的と関連し、徹底していたと考えられる。従来、テオティワカンの黒曜石獲得研究から、経済的な利益を目的とする解釈が強調されてきた。しかし、本発表では、黒曜石の獲得を国家が独占する理由は、経済的側面のみならず、為政者たちだけが扱うことのできる意匠「羽毛の蛇」を表現する必要性があったためと結論付けた。
丹羽悦子、杉山三郎による「テオティワカン壁画に象徴される聖なる自然」。古代都市テオティワカンはモニュメント及び都市設計に世界観が組み込まれているのが特徴的である。この世界観は壁画、土偶、土器、石彫にも表されており、図像の構成要素は主に自然界のもの、特に動植物が多く用いられている。本発表では壁画での解釈を試み、動物界では自然界のヘラルキーで最も獰猛で重要な特定の動物、あるいはその要素を含む創造神が頻繁に描かれ権力と結びつけられていることを、また植物界では特定の花で幻覚作用による超自然との関わりを表し、開花の様子や芳香で自然現象に象徴させた聖なる世界観が描き出されている点を指摘した。これらの象徴は図像に反映され、公共建造物のみならず、住居空間にまで浸透していた。実在の動植物に聖なる意味づけをし、多様な自然環境への認識を社会生活にも組み込むことで、世界観を基にしたイデオロギーの共有が都市全体で可能であったのではないかと論じた。
ガブリエラ・ウルニュエラ、パトリシア・プランケット、アンパロ・ロブレス、佐藤吉文による「チョルーラ大ピラミッドにみるモニュメンタリティとシンボリズム」。先スペイン期メキシコ史において、チョルーラは政治・経済・文化上の要地であるが、遺跡のうえに現代の市民生活が築かれているために考古学的知見はこれまでほとんど得られておらず、チョルーラにおける最重要建造物である大ピラミッドについてさえ、その調査成果は十分に資料化されていない。しかしながら、2003 年から発表者たちが進めている大ピラミッド内部でのデジタル建築測量は、定説と異なって8 つの建築段階を経て「大ピラミッド」を形成したこの建造物が、その初期において広場やそれに至るアクセスをテラス上にいくつも備えた「開かれた」設計であったことを示した。この建造物がなぜそこに造られたのかは今後の調査を待たなければならないが、死者の世界と火山の方角を意識した最初の記念碑的建造物の建設が紀元一世紀のポポカテペトル火山噴火後の社会的混乱期と重なることは示差的である。この噴火の難を逃れた人々を受け入れ統合するかたちでその構造物が建てられたのだとすれば、万人に開かれたイメージで描かれるチョルーラの都市性はその起源から連綿と続くものであるといえる。
小林貴徳、谷口智子による「聖都チョルーラの空間構造と祝祭システム」。プエブラ州中西部に位置するチョルーラは「聖都」として知られている。街のシンボルでもある大ピラミッドの頂には、広域から巡礼者を集める「救済の聖母」寺院があり、市街地には教会や礼拝堂など宗教的建造物も多い。地元民が「祭りがない日はない」と誇らしげに語るように、たしかにカトリック聖人を担いだ行列に出会うことも多いし、毎日のように祭事を告げる花火の音を耳にする。そこで本報告では、聖都チョルーラの歴史性と現在の状況を明らかにするために、①聖母信仰の生成プロセス、②現代における都市内部の地区(バリオ)構成と地区間の相互作用を課題とした。考察の結果、異なる広がり方を持つ複数の祝祭システムが絡み合いながら連動している点を明らかにした。祝祭執行がチョルーラの社会的関係の維持と再強化に不可欠である点を指摘し、重層的な祝祭システムという社会的基盤がチョルーラの聖性を維持させているのだと論じた。

パネルB「 テレノベラの諸相」コーディネーター・司会:アルベルト松本(イデアネットワーク)

本パネルでは、三名の発表者が各自の視点でテレノベラについて述べられたが、水戸会員と野内会員は、「クローン」というtelenovela を共通テーマにしながらそれぞれの切り口で発表した。
ラ米の恋愛話には私生児はあまりめずらしくないのだが、近年の統計をみる限りアルゼンチン、ブラジル、ペルー、チリ等の15 歳〜 24 歳の非正既婚(同性婚)は50%を超えており、婚外子の出産も同比率である。カトリック教徒の国々であるにもかかわらずこうした数字は驚きを隠せないが、ここ20 年ぐらいの傾向である。そうした社会変化の中、「クローン」というテレノベラがブラジル版とスペイン語リメーク版が制作されたようだが、私生児の人生とそのそれぞれの家族や社会環境、そしてそうした状況をカトリック教徒神父とイスラム教の宗教指導者が一つの家族に対して親身に相談にのっているシーンは非常にインパクトの大きいものである。
この作品は南米でなくてはできないかも知れないが、こうした進歩的な切り口はこれまでの社会構造への反発、問題提起でもあるというふうにも受け取られる。
野内会員の発表には、麻薬問題も絡んでいるのだが、これは治安当局や政府の意識キャンペンだけでは到底不十分であり、テレノベラでも強調されている家族の強い絆、そして様々な人種、宗派、世代間の協力なしには対応できない問題であり、「クローン」では同じ社会に存在する異教徒同士の協力や連携等も必要になってくることを示唆している。南米では、キリスト教の各種宗派が勢力を伸ばしており、ブラジルやアルゼンチンでは15 〜 20%にも及んでいるという推計もあり、伝統的なカトリック教徒の神父の権威や指導的な役割にも限界があるようだ。
あのようなシーンが実際にあるのか定かではないが、でもミクロの世界ではそれに類似した状況はあるのかも知れない。だから魅了し、商業的にも成り立つのであろう。水戸会員が指摘いるように、日本ではあまりまだ反響はなく視聴率も低い。韓流ブームで外国のテレノベラにも親しんでいる日本人だが、日本やアジア諸国で認知されるにはやはりリメーク版で、パトリシア高山会員が指摘するようにこの地域の俳優やアレンジも必要になるのかも知れない。
いずれにしても、三名の発表は非常に興味深く補完し合ったのではないかと評価する。こうしたテレノベラが異なった文化や宗教の交流を促進し、理解を深めてほしいと願ったパネルである。

パネルC「ポスト新自由主義期ラテンアメリカにおける民主主義の課題―中央アンデスの事例から―」コーディネーター・司会:村上勇介(京都大学)

ラテンアメリカ諸国は、1980 年代から90 年代に、歴史的転換と呼ぶべき変化を経験した。「民主化」と一括される民主主義への移行と新自由主義(ネオリベラリズム)経済路線の導入である。後者は、マクロ経済を安定させたものの、一般的に脆弱だった国家機能、とりわけ国家による再分配を改善しなかった。植民地以来の貧困や、経済・社会・文化・地域などの点での格差、不平等といった構造問題は、むしろ悪化した。
そうしたなか、新自由主義路線の見直しが2000 年前後から始まり、社会経済アジェンダの重要性を右派勢力も共有するポスト新自由主義期を迎えた。「左傾化」、「左旋回」などと呼ばれる現象で、穏健と急進の2 つに大別されることが多い。前者は、新自由主義路線のマクロ的安定を維持しつつ、社会政策や貧困・格差対策の実施を重視する。これに対し、後者は、新自由主義を否定し、国家の役割の拡大路線への復帰を主張する。
ポスト新自由主義期においては、民主主義の質が改めて問われる事態となっている。ことに、急進左派勢力が政権に就いた国々では、民主主義の劣化が指摘され、「民主化」が求められている。カウディジョ的な有力者が、排除されてきた大衆の体現者として、既存政党(幹部)による政治の独占と代表制民主主義の形骸化を痛烈に批判する一方、社会正義の実現を唱えて多数派を形成し、権力を独占する。司法権や選挙管理機関など様々な国家機関へ影響力を浸透させ、反対派の活動を制限し圧力を加える。また新憲法の制定や憲法改正で大統領の連続再選を可能にし、権力の座に座り続ける。本パネルでは、3 人のパネリストが、中央アンデス諸国の現状を報告し、如上の民主主義の課題をフロアとともに議論した。
まず遅野井茂雄会員(筑波大学)が「ボリビア・モラレス政権の事例」を報告した。ポスト新自由主義期の南米には、自由市場経済と代表民主主義に忠実なA 派と、国家介入を強化し、参加民主主義を選好するB 派の2 潮流があり、さらに、前者は、ブラジルと、太平洋同盟を形成するチリ、ペルー、コロンビアの2 極に分かれ、B 派のボリバル同盟を構成するベネズエラ、エクアドル、ボリビアのもう一つの極とともに、計3 極をなしている構図を示した。そして、慎重なマクロ経済政策運営の一方、急進的な言説の下で国内政治における優位性を獲得したモラレス政権の軌跡をたどり、「社会運動の政府」たる同政権が、中央集権化する政府と遠心的な基盤の社会運動など、抱える内部矛盾を二期目に入って深刻化させていることを分析した。その象徴として、先住民居住地域の開発を政府が強行しようとするティプニス問題に言及した。
続いて、新木秀和会員(神奈川大学)が「エクアドル・コレア政権の事例」を分析し、大統領への権力集中や司法への介入、報道機関への締め付け、「市民」と直接的関係の構築を通じた支持の獲得、社会運動の一部取り込みによる分断化、資源ナショナリズムを背景とする国家管理の強化、といった特徴を挙げた。また、新たな鉱山開発も積極的に進めており、その過程で、先住民や環境保護派との衝突も発生していることにも注意を促した。
最後に、村上が「ペルー・ウマラ政権の事例」を取り上げ、急進左派として旗揚げしたウマラが、2010 年の選挙過程で勝利するために中道左派に転換し、政権に就くと、社会政策の原資(税収の増加)を確保する必要性から、今度は、外国投資による鉱山開発を優先させる「現実主義」を選択した経緯を紹介した。そして、カウディジョの相互対立による政治(勢力)の断片化、新自由主義の成果の地域的不均衡などを背景に、合意・連合形成の不能というペルー政治の歴史的、構造的問題が再生産され、社会紛争が頻発する状況となっていることを述べた。
発表を受け、討論者の浦部浩之会員(獨協大学)は、事例国における民主主義の質の点での課題を問うた。続いて、フロアから、民主主義の多義性と政治アクター間での民主主義の意味内容の相違などが提起された。そして、三権分立・均衡、代表民主主義と参加民主主義の関係、経済社会アジェンダを克服するための合意形成の有無・態様、急進左派勢力の長期政権化などをめぐり、民主主義の課題が議論された。

パネルD 「ロベルト・ボラーニョのアクチュアリティ」コーディネーター・司会:野谷文昭(東京大学)

本パネルでは、内田兆史(明治大学)、仁平ふくみ(東京大学大学院生)、マヌエル・アスアヘ=アラモ(東京大学大学院生)、コーディネーター/司会・野谷文昭(東京大学大学院)によって、チリ出身の作家ロベルト・ボラーニョ(1953―2003)の文学の今日性と多面性について分析する試みが行われた。ボラーニョは近年、世界的に評価が高まり、その人気は村上春樹に比肩する。日本でもすでに短篇集『通話 Llamadas telefónicas』(松本健二訳)、長篇『野生の探偵たち Los detectivessalvajes』(柳原孝敦・松本訳)が紹介され、本年9 月には代表的長編『2666』の翻訳刊行が予定されている。
内田氏は「女たちはなぜ殺され続けるのか」と題する報告で、ボラーニョ没後に刊行された長篇『2666』(2004)全5 部――「批評家たちの部」、「アマルフィターノの部」、「フェイトの部」、「犯罪の部」、「アルチンボルディの部」――のうちの第4 部に焦点を当てた。表題からも分かるとおり、第4部以外のいずれもが人間を主人公に据えるいっぽうで、第4 部は女性の連続殺人という事件を中心に展開する。報告ではこの異質性に注目しつつ、第4 部の舞台となる町サンタテレサが、そのほかのすべての部が収斂する場であることを指摘した。そのうえで、マキラドーラや麻薬カルテル、警察機構や監獄といった厳しい規律に縛られた複数の世界が交錯する第四部においては、処刑されたかのような姿で現れ続ける女性の死体が、自由を奪われた現代世界を際立たせる道具にもなっている点を強調した。さらには、見つからない作家、見つからない犯人(たち)、いなくなった妻、死んだ母と同僚、死んだ女たち、被害者にとっては罪なき罰であり犯人(たち)にとっては罰なき罪である殺人など、「不在」をこの小説におけるひとつのテーマととらえ、第4 部がそのきっかけとなることに注目した。
仁平氏は「Amuleto における文学都市」と題する報告で、まず中編小説Amuleto(1999) がLos detectives salvajes(1998)の語り直しであることを指摘し、Auxilioという女性の一人称の語りで語られるこの小説にいかなる意味が付与されているのかを考察した。氏はこの小説に、文学を愛する者が政治的局面に対峙する状況が提示されていることを指摘し、結論として、書くことは隠れることであり、隠れるために現実とは全く別の世界すなわち文学都市を創造する逃避の試みであるとした。さらに、この小説では、守りかつ創造するという点に母性と文学の類似性が示唆されていることを指摘した。
アスアヘ=アラモ氏は「ボラーニョとSF」と題する報告で、ボラーニョの作品群にはSF の影響が認められることを指摘したのち、それがどのような形で現れているかということについて考察を行った。なかでも氏が注目するのは、ボラーニョがエッセイやインタービューに頻繁に言及しているアメリカ人SF 作家、フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)の作品で、ボラーニョの『南北アメリカのナチ文学』と『2666』にはSF 作家やSF 小説の描写が利用されているという。そして、主流からは遠い異端的人物や風変わりな小説に強い興味を抱いていたボラーニョは、ラテンアメリカ文学や古典ばかりでなく、一般に純文学とは認められていないSF などのジャンルも好んで読み、とりわけディックのような実験的SF 作家から多く学んでいると述べた。結論として氏は、ボラーニョがSFに思想実験としての文学の可能性を見出し、ディックから前衛的な精神描写の手法を学んだと述べた。
時間の関係で3 氏の発表後にまとめて行われた質疑応答では、世代を同じくするボラーニョ作品と村上春樹作品の共通点が話題となった。また、閉鎖的状況という視点にパネル報告に通じる要素を見いだそうとするコメントが寄せられた。

分科会1〈民主主義と暴力〉司会:二村久則(名古屋大学名誉教授)

大きなテーマが設定された本分科会であるが、ベテラン・中堅・新進とバラエティに富んだ4 人の研究者によって行われた報告のいずれもが、フィールドワークや実証的データに基づく、地に足の着いた堅実で聴きごたえのある研究発表であった。報告の詳細は後ろに付した各報告者による報告要旨に譲るが、大きく分けると、日本ではほとんど知られていないホンジュラスの犯罪組織マラスに関する臨場感あふれる望月報告、およびコロンビア農村部の土地問題と農民運動について実証的資料を分析して武力紛争の原因を探った幡谷報告の二つは「暴力」をテーマに、他方、世論調査のデータからベネズエラの民主主義に対する態度について考察した鈴田報告、そして、やはりベネズエラにおける参加民主主義と代表制民主主義という二つの理念の対立を、現実の組織である地域住民委員会の分析を通じて考察した坂口報告の二つは「民主主義」をテーマにしたものであった。本分科会は大会初日の午前中に設定されたにもかかわらず、約40 名の出席者を得て、時間を延長して活発な議論が展開された。各報告者による要旨は以下の通りである。

○「 ホンジュラスの凶悪犯罪組織マラス―その起源と組織形態の一考察―」望月博文(名古屋大学大学院生)

近年グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスにおいてマラス(mara/maras)と呼ばれる犯罪組織が大きな社会問題となっている。敵対する者・裏切り者を見せしめの為に残忍に殺害、遺体を人々の目に留まる所に放置する。毎日のようにmatanza、masacre ( 共に「大量殺人」)、linchamiento(リンチ)の文字が新聞に躍る。マラスは、ロサンゼルスのラテンアメリカ・スラムで発生、1990 年代になり祖国へ強制送還された若者を核に、貧困にあえぐストリート・チルドレンを吸収し組織化された。国家はマラスに有効な対策を講ぜず、今や警察も手に余す存在になってしまった。全身に刺青を入れ、独自の言語を使い、支配地域(縄張り)意識が強く、地域内で営業する者に「ショバ(場所)代」を要求、麻薬売買、武器売買、営利誘拐、属託殺人とあらゆる犯罪を計画的に遂行、高度に組織化された犯罪集団である。また南米コカイン地帯から消費地米国への麻薬流通の中継として、重要な役割を担っている。中米における国際協力、商業活動などに、犯罪組織の動向が影響している。筆者は2008 ~ 2010 年、JICA/SV コーディネーターとしてホンジュラスに滞在、2011 年2~ 3 月に南山大学研究助成金を受け再訪し、検察、警察、刑務所、新聞社などを訪問し調査を行った。マラスとは如何なる組織なのか、ホンジュラスで活動するマラスを対象に、その発生と組織を考察する。

○「 民主的正統性の下に眠るクーデター期待―ベネズエラを軸にした世論調査分析―」鈴田征紀(東北大学大学院研究生)

本報告では、世論調査にみる民主主義支持と軍事政権支持が意味するものを、クーデターの脅威にさらされた1990 年代から2000 年代前半のベネズエラを中心に、世界価値観調査 (World Values Survey)とラティノバロメトロを使った多国間比較と、ベネズエラにおける複数の調査を継ぎ合わせた時系列比較を通じて考察する。
近年の顕著な政治的動揺にもかかわらず、ベネズエラ人の民主主義に対する支持は安定して高く、先進民主主義国と比べても遜色ない。異なるのは軍事政権に対する態度で、民主主義と軍事政権をともに肯定的に評価する層が見いだせる。同国では、軍事的解決を容認する少数が左翼に偏り、中道左派より右は民主主義を擁護する、という色分けが1960 年代から持続していた。当時の左翼ゲリラへの賛否が固定したものである。ところが世論調査では、左からの軍事反乱にさらされた90 年代に右からのクーデター期待の一時的出現があり、2002年前後にクーデター期待が盛り上がった野党支持層で民主主義支持がまったく減少「しない」といった変調がみられた。
軍事政権・クーデターの評価は、価値観の反映ではなく、時々の政治情勢に密着して変動するようである。現代のベネズエラで、政治的正統性を備えるのは民主主義だけで、軍事政権は手段として臨時的に選択されると解釈できる。そして眠っている状態のクーデター容認派は民主主義支持者を自認し、質問を工夫しても容易に観測できない。この意味での民主主義支持の限界は、かなりの程度他のラテンアメリカ諸国にも共通しているようである。

○「 ベネズエラにおける参加民主主義―地域住民委員会を中心に―」坂口安紀(アジア経済研究所)

ベネズエラではチャベス政権誕生後厳しい政治対立が続いているが、それは2 つの相異なる民主主義理念の対立であるとも言える。チャベス大統領は、代表制民主主義はエリート支配にすぎないと批判し、それを「参加・市民が主人公の民主主義(democracia participativa y protagónica)」によって代替することを目指す。一方、反チャベス派は参加民主主義の拡大を歓迎する一方、民主主義の根幹は代表制民主主義であり、参加民主主義はその質を高めるためにそれを補完すべきものであると位置づける。
参加民主主義については、インド、南ア、ブラジルなど、多くの途上国でさまざまな取組みがみられる。同様にベネズエラにおいてもチャベス政権誕生以前の1990 年代から、市民社会組織による政治参加の拡大要求が高まり、少しずつその試みが蓄積されていた。
本報告では、チャベス大統領がコミュニティレベルでの参加民主主義の実現として設立を促進する地域住民委員会(ConsejosComunales)を中心に、チャベス政権の参加民主主義とはどのようなものかを、ほかの参加民主主義のケースとの比較において考察をすすめる。

○「 コロンビア紛争地域における土地問題と農民運動―農民保留地(ZRC)の事例―」幡谷則子(上智大学)

本報告は、長期化したコロンビアにおける紛争の原因を、土地問題を軸に捉える試みであった。まずコロンビアにおける土地問題と土地政策の変遷を、政治体制と武力紛争の動向とともに概説した。1960 年代に着手された農地改革が、地主層の反発を受けて本来の目的をはたせず、1970 年代からは政府の土地、農業政策は反農地改革主義に転換したことを指摘した。1994 年の新農地改革法は、市場メカニズム重視の方針にあったが、農民の抵抗運動の結果として、同法の中に農民保留地(ZRC)が制度化された。次に、ZRC が紛争地における農民が集団的土地権利を主張するオルタナティブであることを説明したあと、ZRC を求めた農民運動の代表的事例として「シミタラ渓谷農民協会」(ACVC)を取り上げた。ACVC が獲得したZRC は一時政府によって無効化され、ACVC 幹部も迫害を受けた。ZRC の再有効化には、1)ACVC 幹部およびその支持者の不屈の連帯と抵抗の精神、2)人権侵害の告発と同伴による人権保護活動を実践した国内外の人権擁護団体の連帯と可視化、3)和平構築と紛争地の土地問題に対する政府の政策的取り組みの変化、の3 要因が働いていた。以上から、現行の農地改革法は農民組織によるローカルイニシアティブに一定の法的保護を与えているが、食料安全保障を可能とする農村開発と政府の支援が伴わなければ、農民経済の存続性の保障はなく、紛争の本源的解決には至らないと結論づけた。

分科会2〈文化・社会〉司会:山﨑眞次(早稲田大学)

本分科会には4 件の報告があり、5 名の会員から発表があった。まず、古谷嘉章会員が「Neo-Marajoara:アマゾン先史土器のモダニズム」というテーマでアマゾン河口のマラジョー島で発見された先史時代のマラジョアラ土器の文様が地元から剥ぎ取られ、ヨーロッパのアールデコと合体・融合し、装飾用デザインとしてネオ・マラジョアラ様式が生まれた経緯を報告した。しかし最近では地元の博物館、車体、衣服にアマゾン地方の記号として転移・増殖していることから、文化の断続の重要性を指摘した。参加者からは、文化の主体とは誰なのか、本来のコンテクストは何であるのかという質問があった。
次に「メキシコの子供たちに人生を捧げた作者たち」というテーマで木下雅夫会員とユイ・デ・長谷川、ニナ会員の共同発表が行われた。木下会員は1930 年代から庶民に親しまれたガビロンド=ソレル作の童謡群の総称「クリクリ」についてラジオ番組で放送された歌を実際に再生しながら、「クリクリ」が当時の地方出身者と伝統的中産階級にどのように受容されたかを報告した。一方、長谷川、ニナ会員は、ホセ・マルティと二人の編集者(バネガス・アロヨとミゲル・デ・ケサダ)が童話を介して、ラテンアメリカ社会の庶民・エリート児童教育に果たした役割を再評価すべきだと主張した。
3 番目は、遠藤健太会員が「ペロン政権(1946 ~ 1955)の文化政策を再考する」というテーマでペロン政権の「文化擁護者」論と「文化抑圧者」論について報告した。参加者からはペロンの文化政策の主体は誰であったのか、文化政策における民衆化は存在したのか、外来文化にいかに対応したのかという質疑が寄せられた。
最後は田村徳子会員が「ブラジル土地なし農民コロニーにおける就学状況」というテーマでパラ州のフィールドワークに基づき入植年数の少ないコロニーA と入植から20 年を経たコロニーB の比較研究について発表した。会場からは、パラ州サンタバーバラを調査地に選択した理由、二つのコロニーの入植期間の違いによる教育改善の差、入植期間の長短ではなく別の視点での調査方法の必要性について問い掛けがあった。5 人による4 つの報告であったために制限時間をかなりオーバーしたが、20名以上の参加者の中から寄せられた質疑に対して報告者は適切に応答し、テーマ間の関連性が希薄にしては盛会であった。

分科会3〈農民・企業・暴力〉司会:岸川 毅(上智大学)

本分科会では、農業生産、政治指導者、農業政策、戦時性暴力に関する、それぞれ異なる視点からの報告があった。聞き取り調査、参与観察、議事録、統計資料など様々なデータに基づく、いずれも堅実な研究報告であった。時間の制約から議論の時間が十分にとれなかったのが残念だったが、すべての報告者に対してフロアから踏み込んだ質問やコメントがなされ、分科会終了後も報告者への質問が続いた。以下、報告者による要約である。

○「 アマゾン土地なし農民コロニーにおける農作の特徴」石丸香苗(京都大学アジアアフリカ地域研究研究科研究員)

ブラジルの土地なし農民運動は、生産する土地を持たない貧困層が「生産に使われていない土地で生産活動を行うことによって土地の権利を求め」生活基盤に必要な環境を手に入れようとする運動である。土地なし農民が行う農業生産は、販売作物と自家消費の両方を生産しホームガーデンと農場の役割を兼ねていたが、入植した土地で定住を可能とするには、各世帯が外部賃金労働と農業生産とでどのような就労配分を希望し、それに応じ必要となる販売収入や自給作物の収穫計画に立って種の選定・組み合わせを行うかが重要であることが示唆された。植栽方法や施肥、育苗等の農業に対する技術的な指導は郡の農業普及員やNGO が指導を行っているが、入植初期の植栽計画の段階において現金収入と自給量の予想の仕方、各作物の収穫時期・単位収量・市場価格等の情報提供等の支援が加えて必要であると考えられる。

○「 ブリゾーラは扇動者だったのか―ブラジル「64 クーデタ」再考に向けて―」橘 生子(津田塾大学国際関係研究所研究員)

従来、ブラジル国内でも研究者間でも、政治家ブリゾーラが1960 年代前半に民衆を「扇動」したことがクーデタを招いたとの説が根強く受け入れられてきた。民政移管後も、ブラジル内外を問わずクーデタに至った事実関係や軍政の実態を把握する作業への関心は薄い。
これに対し本報告は、リオグランデドスル州知事時代(1959-62)の施策、ITT 子会社CTN 収用に着目し、政策決定過程を分析することで、ブリゾーラによる「扇動」説を根底から再検討した。史料には、これまで研究者の目に触れていない一級史料、同州通信評議会議事録を用いた。
CTN 収用には単なる電話回線管理権の力学を越えた「農村医療のインフラ改善」という社会政策的意義があったこと、中間層を代弁すると目される評議員たちが収用に積極的な姿勢を見せていたことを示し、ブリゾーラのリーダーシップが広範な社会層に支えられていたことを明らかにして「64 クーデタ」の再考を試みた。

○「 メキシコにおける農業分野のポピュリズム政策―ユカタン州、コルデメックス株式会社を中心に―」吉野達也(神戸大学大学院院生)

本発表は、メキシコにおける農業分野のポピュリズム政策とユカタン州コルデメックス株式会社の事例を中心に考察した。目的は、メキシコの新自由主義導入以前の農業分野においてポピュリズム政策がどのように機能していたかを国家レベルと地方レベルで定義することにあった。1940 年代当時のメキシコにとって農業は国家の最重要産業という位置づけであった。農業で稼いだ外貨を輸入代替工業化に投資して国家経済を発展させる意図があった。その構図の修正に迫られるのは1970 年代以降の話である。当発表ではデータを使ってその経緯を理解した。特に社会支出データを照らし合わせながら、農業分野において国家レベルではどのような政策の傾向があったかを分析し、そして地域レベルの事例(ユカタン州)についても提示した。

○「 戦時性暴力をどう裁くか―グアテマラの事例―」柴田修子(大阪経済大学非常勤講師)

戦時性暴力という言葉が使われるようになったのは、1990 年代以降のことである。そこには、性暴力は戦争につきものの野蛮な逸脱行為ではなく、戦争行為主体である国家による制度的暴力であるという含意があり、人道に対する罪として必罰化するための取組みが国際的に行われつつある。
36 年間におよぶ内戦を経験したグアテマラにおいても、内戦期にこうした暴力が行使されたことは、「歴史的記憶の回復プロジェクト」や真相究明委員会の調査によって少しずつ明らかにされてきた。マチスモの伝統が根強いグアテマラでは、性的な問題を語るのはタブーとされているが、NGO などの働きかけで、体験を語り合う被害者もでてきている。そして自らの経験を内戦というコンテクストの中でとらえ直すことで、被害を恥として隠すのではなく、グアテマラ社会に訴えたいと考えるようになった。「戦時性暴力の被害者から変革の主体へ」というグループを作った彼女たちは、2010 年民衆法廷という形で被害の実態を明らかにした。免責や性暴力に対する社会的認識の低さから刑事訴追による加害者の懲罰は困難であったためである。これはグアテマラの新聞などでも取り上げ、戦時性暴力の存在を社会に訴えるという意味で一定の効果があった。民衆法廷でいったん活動を休止するかと思われたグループは、今度は刑事裁判に向けて活動を広げつつある。この発表では、2012 年3 月の調査を元に、民衆法廷から刑事裁判に向けた動きを報告した。

分科会4〈歴史〉司会:小林致広(京都大学)

分科会4 <歴史>では、3 本の報告があった。対象とする地域(ボリビア、メキシコ、ペルー)や時代(18・19 世紀、19 世紀後半、20 世紀)、扱うテーマ(文書管理、農民運動、国民統合)も異なっているが、各報告者が取り組んできたテーマに関する研究の到達点が具体的な形で提示された。会場には25 ~ 30 名の参加者があり、問題設定の別の視角からの再検討の示唆など、積極的な質疑応答が交わされた。各報告の要旨は以下のとおりである。

○「 近代ラテンアメリカにおける公証人制度の展開と公文書管理―18・19 世紀ラパスの事例を中心に―」吉江貴文(広島市立大学)

本報告では、16 世紀以降、スペインの植民地事業を介してラテンアメリカの行政司法領域に移植された公証人制度の分析を通し、中世ヨーロッパにおいて構築された公文書管理に関する技術・制度が、どのような形でラテンアメリカに導入・普及していったのか、その史的プロセスの一端をラパス市(ボリビア)の事例に基づいて実証的に究明した。具体的には、宗主国スペインで出版された法律実務マニュアル書formularios とラパス市で作成された公証人記録protocolos(18・19 世紀)の参照関係について書式・内容・構成などの面から比較分析を行うことにより、スペインから移植された公文書管理の仕組みが、少なくとも18 世紀末までの段階において、かなり均一的・恒常的・安定的なプロセスを経て、ローカルレベルに浸透しつつあったことを明らかにした。一方で18 世紀末から19 世紀半ばかけては、ラパス域内における独自の文書循環サイクルの発生といった分岐的な動きが見られたことなど、植民地末から独立期にかけて生じた周辺社会における文書管理実践をめぐる動態的プロセスの一側面についても具体的な史料に基づいて検証を行った。

○「アリカの虎、マヌエル・ロサダの再考」山﨑眞次(早稲田大学)

ロサダに関しては盗賊、日和見主義者、売国奴といった負のイメージが長く纏わりつき、彼の評判は芳しくなかったが、1980年以降、ロサダを農地改革者と評価する論文が発表されるようになった。1999 年には「ロサダの光と陰」というシンポジウムがテピックで開催され、2006 年には彼の顕彰碑が地元のサンルイス・デ・ロサダ村に建てられた。このようなロサダの再評価の動きはエル・コレヒオ・デ・ハリスコが中心となりハリスコ州の歴史家、郷土史家を執筆者として、2007 年に「今日までのマヌエル・ロサダ」という浩瀚な著書を刊行したことで確固たるものとなった。主にハリスコ州の研究者たちが史料を再検討し、自由主義派の政治家や新聞記者によって貶められたロサダの汚名を雪ぎ、彼の名誉回復に尽力したものと考える。ロサダがハリスコ州からの干渉を排除し第7 郡(ナヤリ)を支配できた理由は、中央と州の政治的対立を利用し、またテピックの政治家や外国人商人と同盟したからである。「境界制定委員会」を介して積極的に農民に土地を分配し、短期間ではあるが自律的農民共同体を創生した功績を評価すれば、匪賊というより農地改革者という名に値するであろう。

○「 ホセ・マリーア・アルゲーダス研究の現在―生誕百周年を経て」後藤雄介(早稲田大学)

2011 年はペルーの作家・人類学者ホセ・マリーア・アルゲーダス(1911-1969)の生誕百周年であった。アルゲーダスは、インディヘニスモ(先住民主義)というよりも、メスティサヘ(混血)について考察する思想家として知られるようになった。本報告では、生誕百周年後もアルゲーダスの思想的意義を今後も拾い続けてゆくとすれば、どのような形がありうるかについて考察した。
アルゲーダスの遺作である『上の狐と下の狐』(1971)は、ペルーの「統合」を企図した『すべての血』(1964)の「収斂するメスティサヘ」像に対して、開かれたアイデンティティの可能性を示唆する「拡散するメスティサヘ」像を提示してきたとして、1990 年代以降高く評価されてきた。しかし他方で、「拡散するメスティサヘ」像は、被支配者の「団結」のための道徳的根拠を奪ってしまったとも考えられる。
近年『すべての血』に対する再評価がなされてきた。しかしそれは概ね、1960 年代における社会科学的立場からの作品批判に対する見直しを迫るもので、『すべての血』が持つ「団結」のための契機に注目したものではなかった。報告者は暫定的結論として、『上の狐と下の狐』の「拡散するメスティサヘ」像を経由した上で、昨今の社会運動の再活性化とも関連する「団結」の観点から、『すべての血』は再読されるべきであるとの問題提起をおこなった。

分科会5〈移民〉司会 堀坂浩太郎(上智大学)

学会の発表は、報告者の発言だけに留めずに活発な議論を伴う場にしようとの気運が高まっている。昨年の第32 回大会(上智大学)でこの点が確認され、報告ペーパーを学会ホームページに事前にアップロードする試みが今大会で初めて行われた。また総会で狐崎前理事長が「分科会においても極力ディスカッサントを置くようにしよう」との発言をしたのも、この線に沿ったものである。
本分科会では、4 人の報告者が持ち時間20 分を厳守し、各発表直後の質問を事実関係の確認にとどめた結果、最後に15 分程度の質疑の時間をとれた。大会実行委員会が配置した学生のタイムキーパーも時間管理に有効だった。ただディスカッサントを設けることまで考えると、報告者の数ないしは分科会の持ち時間を再考する課題を残した。
報告者4 人のうち3 人の発表は、移民に関するもので、いずれもこれまで取り上げられてこなかった新しい視点からの分析ないしは見逃された現象を扱ったもので、示唆に富んだ発表であった。最後の発表は、ペルーの観光地クスコを舞台に繰り広げられる伝統信仰と観光の関わりを扱った意欲的なものであった。
第一の発表は、山脇千賀子会員(文京大学)による「ペルーを中心としたラティーノ移民現象をめぐる一考察―米国・スペイン・日本の比較からみえてくるもの」であった。移民受入国であったペルーが2006 年に「在外ペルー人の日」を制定した。移民送出国に転じた反映で、このようにして海外に出た移民をホスト社会の視点ではなく、移民の立場から分析した研究で、発表では特にスペインにおける事例に多くの時間を充てた。同国におけるペルー移民は言語上の障害がないにもかかわらず、第二世代において社会上昇・学歴上昇がみられないのは何故かと指摘し、会場の関心を呼んだ。
第二の発表は、伊藤秋仁会員(京都外国語大学)による「ブラジルにおけるスペイン移民の可視性」と題するもので、19 世紀から20 世紀前半にかけてブラジルに流入した移民の中で、スペイン移民はイタリア人、ポルトガル人についで3 番目に多かったが、その痕跡がはっきとした形でサンパウロに残っていないのは何故か、との設問で始まった。移住の時期、言語上の近さ、出身地、教育水準などが影響して「目に映らない」存在となった。ただ、黒人の多い北東部サルヴァドルではガリシア系スペイン人の存在が顕著であるとの指摘もあった。
第三の発表は、Francis Peddie(ヨーク大学)会員のIdentidad y exilio: las organizacionescomunitarias de los chilenosen Canadá, 1973-1990 であった。カナダは、1973 年の軍事クーデターによるアジェンデ社会主義政権崩壊後、知識人を中心に亡命チリ人を多数受け入れたが、その人たちが形成したチリ人コミュニティのその後の変容および世代間の違いを分析した。経済的な理由による移民とは異なるわけだが、ピノチェト政権終幕後もチリに戻ってはいないのは何故か。第二、第三世代になるにしたがってカナダ社会との同化が進み、コミュニティ活動の内容も変わってきた。
最後の発表は「アンデス信仰の現代性―ペルー、クスコにおけるturismo místicoの事例から」で、岡本年正(東京大学院生)によるものであった。2011 年に実施された第3 回祖先伝来文化集会を舞台に演じられたアンデスの伝統信仰に関心をもつ観光客と、それを実践するクスコの住民、そしてその中をとりもつ地元の信仰や呪術を観光商品とする観光業者の三者三様の思いと形で展開する「ミステリー観光」の実態を報告し、複数の異なるコンテキストで現代のアンデス信仰が成り立っていると指摘した。

分科会6〈メキシコの諸相〉司会:畑 惠子(早稲田大学)

「メキシコ・グアテマラの地方政治の諸相」とでもくくるべき、地方自治・民主化に関する3 つの報告が行われた。そこで示されたのは、欧米の理念・概念とは様相を異にする政治状況である。先住民自治の構築、暴力事件、村長候補者の選出経緯などを、各地域の文脈のなかで考察することによって、民主主義をめぐる住民の独自の解釈や含意を見いだせることが各報告で明らかにされた。参加者からはさまざまな質問があったが、「政治学・行政学の自治の定義と報告者のそれとの違いをどのように考えるのか」、「報告された一連の出来事の解釈は多様であるが、それが民主主義とどのように結びついているのか」、という質問に対して、小林会員、池田会員は、地方自治や民主主義のありかたを模索する地域固有の動きに着目する重要性を指摘した。また渡辺会員はユカタン州の自治体について、利益供与などの問題はあるものの、少なくとも投票が選挙結果に反映されているという点で民主主義は前進していると考える、と評した。これらの発表と質疑応答を通して、地方政治における民主主義の解釈と実践の仕方を比較考察する意義と必要性を確認した。

○「 メキシコにおける「事実としての先住民自治」の試み」小林致広(京都大学)

2001 年の反動的な先住民法採択に対し、先住民全国議会に結集する先住民組織は、「権利としての先住民自治」ではなく、「事実としての先住民自治」を実践すると通告した。その実践の一つが、チアパス州東部での「抵抗する基礎共同体―サパティスタ反乱自治行政地区―善き統治評議会(地域)」の3 レベルでの先住民自治構築の試みである。「悪しき政府」との絶縁を原則とするサパティスタ自治実践モデルは、現実的には他地域では適用不能である。各地では、地域レベルでは、地域的な共同体警察の組織化や持続型農業社会の構築に向けた協同組合運動、行政地区レベルでは分断された先住民領域の再編・統合、独自の教育やメディア運営、外部エージェントによる領域からの資源略奪からの防衛、参加型予算執行の取り組みなどが試みられている。それらは、「善き統治」にむけた別の政治の在り方の模索であり、自治の基礎要件を満たす先住民自治体制制度化を目指すものではない。

○「 プリズムとしての地方政治:マヤ系先住民の文化と自治」池田光穂(大阪大学)

昨2011 年の上智大学における研究発表「地方分権における先住民コミュニティの自治:グアテマラ西部高地における事例の考察」(『ラテンアメリカ研究年報』No.32, Pp.1-31.)の続編として、本発表では、2011 年9 月に第1 回目の大統領選挙と同時に行われた町長選挙における紛争事例を取り上げ、首謀者が特定しにくい2 つの暴力的事件(自動車への放火およびリンチ未遂)と、その後の住民による事件の解釈について考察した。地方分権の理念・枠組み・政策手法は、中央政府や地域文化アイデンティティの強化や援助に携わる欧米のNGO などを通して、中央から周辺に齎される。他方、地方分権の現実とは、そのような中央からの「働きかけ」に対する、地方政府や市民の「応答」とのダイナミズムの結果である。中央からの「働きかけ」は法律や政令など均質で一般性をもつが、地方社会自身の「応答」にはさまざまなパターンがある。地方自治体単位の「応答」の多様性について比較考察するためには、本発表で取り上げたように、ある特定の地方自治体の共同体内部のダイナミズムの事例を積み上げてゆく必要性について論じた。

○「 大統領選挙前夜のメキシコ農村部―ユカタン州における選挙運動を中心に―」渡辺 暁(山梨大学)

昨年の「先住民」分科会での発表に引き続き、メキシコ・ユカタン州の二つの自治体における政治の現状について報告した。今回はまず、その後の調査で明らかになったこと、特にそれぞれの村における次期村長選挙の候補者選びの様子ならびに、これまでに実施された公共工事あるいはプロジェクトとそれらが実現した理由について考察し、小さな自治体においては候補者の個人的人気が選挙結果を左右するものの、実際の行政は、州政府並びに連邦政府との関係、特に同一政党かどうかが重要と見られることを指摘した。また、ユカタン州全体の政治状況についても触れ、同州における有力政党PAN とPRI が、両党がマスコミ関係者を広報担当者として引き抜くなど、メディア戦略を重視していることを指摘した。会場からは、先住民の多い地域における投票の実態ならびに世代間の投票行動の差、そして大統領選から村長選までのそれぞれで、単一の政党を支持するのか票をわけるのか、といったご質問を頂いた。

分科会7〈文学〉司会:野谷文昭(東京大学)

本分科会では、棚瀬あずさ(東京大学大学院生)、安保寛尚(大阪大学他非常勤講師)、高木佳奈(東京外国語大学大学院生)、高際裕哉(東京外国語大学大学院生)の参3 氏による発表が行われ、野谷文昭(東京大学大学院)が司会を務めた。
棚瀬氏は『ルベン・ダリオの詩における詩人像』と題する報告で、ルベン・ダリオ(1867-1916)の詩に描かれた詩人像の系譜を辿り、その意義と変容のあり方について考察を行った。氏は、ダリオにとって詩と詩人の本質とは生涯にわたる関心の対象であり、彼の詩人観は天性の霊感と形而上的認識を有するロマン主義的詩人像から影響を受けたものであったことを確認した上で、「ソナチネ」Sonatina(1895) 、「憂鬱」Melancolía(1905)、「レオポルド・ルゴーネス夫人に宛てたエピストラ(書簡)」Epístola a la señora de Leopoldo Lugones(1907)等の詩の分析を行い、ダリオの詩においては詩人による形而上的理想探求の過程が英雄の地理的遍歴というアレゴリーによって言語化されていること、さらに、遍歴の様相は一連の詩において「夢(sueño,ensueño)」に与えられた意義の推移に伴って変化してゆき、晩年の詩においては地理的遍歴がアレゴリー的な意味を失った詩人の徘徊そのものとなることを示した。質疑応答では、詩における英雄像や、ダリオの詩人観と政治的・社会的態度との関連について質問が出たほか、シンボルに対するアレゴリーの復権を論じたベンヤミンやポール・ド・マンらの議論を踏まえ、今後扱うべき新たな論点について指摘があった。
安保氏は「ムラータの神話、「ネグリート」のパフォーマンス―『ソンのモチーフ』におけるニコラス・ギジェンの「チョテオ」の戦略について―」と題する報告で、『ソンのモチーフ』(1930)に始まるニコラス・ギジェンの一連の「黒人詩」は、キューバにおいて政治や経済の混迷が深まる最中に発表され、それらの作品が出版可能になったのは、「笑い」やリズムによって社会的意図が隠されたからであると詩人自身が後に述べていることを指摘した。続いて、その戦略的な「笑い」を「チョテオ」と見なし、ギジェンの真の意図の解明を試みた。「チョテオ」とは、権威的なものに対するからかいであると定義したホルヘ・マニャッチは、それが独立後の時代性の産物であると述べているが、Jill Lane(2005)によれば、「チョテオ」は19 世紀の黒人喜劇において、白人クリオーリョによるキューバ性の模索と、彼らの公共性構築の役割を担っていたという。さらに、ゴンサレス・エチェバリーア(1987)が、『ソンのモチーフ』は黒人喜劇の反復であると指摘した先行研究を踏まえ、氏は、ギジェンが「チョテオ」を利用してその不寛容な人種的公共性に穴を穿ち、「アフリカ」の血が混入された新たな公共性の構築を試みているのではないかという考えを提示した。
高木氏は「『アルゼンチンにおける日系移民文学』越境者が辿り着いたブエノスアイレス―Anna Kazumi Stahl のスペイン語小説に見られる重層的アイデンティティの考察―」と題する報告で、まずStahl の伝記に触れ、彼女が公民権法制定前の、有色人種に対する差別が激しいアメリカ合衆国南部に生まれ、日系人としてのアイデンティティを強く意識するようになる一方で、狭い日系社会に限界を感じていたと述べ、その後、ブエノスアイレスに行ったStahl が、アルゼンチン人の寛容さに惹かれ、米国と比べて日系人への迫害が少ないために人種問題から解放され、は移住を決意し、スペイン語での執筆を始めたことを紹介した。続いて彼女の創作に関し、外国語であるスペイン語で書くことにより、母語で書く時よりも自由に、想像力を発揮することができたこと、限られた語彙の中で表現することで、移民達の言語環境を再現したことを挙げ、非ネイティブならではのacento を持った文体がStahl の特徴であるといえるとした。さらに、氏は、長編小説Flores de un solo día は初版では米国文学というカテゴリーだったのに対し、5 年後に出版されたペーパーバック版ではアルゼンチン文学になっていることや、米国人でありながらブエノスアイレスに移住しスペイン語で書き続けているStahl の作品は、アルゼンチン文学に位置づけられるようになってきていることを挙げた。最後に名前とアイデンティティの関係に触れ、Stahlの作品において、名前は重要な主題の一つとなっている。読み間違えられる移民の名前や言語によって発音が変わる名前、法律によって変わる名前が登場する。Stahl はアイデンティティの拠り所となる名前が他者によって簡単に変えられてしまう可能性を示し、個人のアイデンティティと社会の関係性を描き出している。Stahl の作品から読み取れるのは、絶対的で唯一のアイデンティティではなく、常に変化し、重層的に形成されていくアイデンティティであるといえると述べた。
高際氏は「Ricardo Piglia(1940−),Respiración artificial(1980) におけるメタフィクション性」と題する報告で、まず本報告がRoberto Arlt について研究する過程で派生したテーマであること、Arltの解釈史におけるPiglia によるArlt 読解・引用について検討することが目的であることを紹介した。続いて、リンダ・ハッチオンの理論を援用しながらRespiraciónartificial の構造とポストモダン性に言及し、Arlt は常に「反抗的作家」あるいはアルゼンチン・ナショナル文学の読み直しの段階で召喚される作家であるとした。さらに、ナショナルカノンが読み替えられるときにArlt はどのように参照されているのか、そのありようをRespiración artificial において検討することが必要であると述べ、今後の課題として、文学史、批評、小説(実践)といった文学をめぐる議論において、またアルゼンチン文学という限定的な場のなかでArlt がどのように立ち現れてきたのか、Arlt の解釈史を把握することを挙げた。

分科会8〈日系人社会〉司会:牛田千鶴(南山大学)

本分科会では、在日ラテンアメリカ系移民を主な対象として、日本社会での居住経験を通じた言語や食文化の変容を中心に、極めて興味深い研究成果が報告された。田島会員による「ブラジリアン・ディアスポラ」についての発表は、分科会のテーマからすればやや異色な内容ではあったが、在日ラテンアメリカ系移民の大半の出身国であるブラジルに関し、その高い人口流動性の歴史を振り返る貴重な報告であった。
セッションが進むにつれて参加者も増え、日系人関連研究に対する関心の高さが窺われた。質疑応答も活発に行われ、なかには研究方法・分析対象の適切性をめぐる指摘や、報告者の依拠する言葉の定義・概念をめぐる議論も見られた。限られた時間にもかかわらず、密度の高い大変有意義な分科会となったことを、報告者4 名と参加者の皆様に改めて感謝したい。以下は各報告者による要旨である。

○「 在日ブラジル人高校生と大学生の言語運用と言語意識」重松由美(名古屋大学非常勤講師)

2009 年の世界経済危機以降、在日ブラジル人の子どもの不就学に注目が集まる一方で、日本の高校や大学に入学する子どもの数が増えており、在日ブラジル人の間にも階層分化が進んできている。本発表では、在日ブラジル人の社会的背景が多様化しているなかで、バイリンガルな高校生と大学生の言語運用と言語意識を取り上げた。言語生活については、ポルトガル語と日本語の言語混用がブラジル帰国後も継続されていること、ポルトガル語の干渉を受けた日本語が使用されていること、新語のポルトガル語やブラジルの情報収集源としてデカセギとの交流が活用されていることなどがわかった。言語意識をアイデンティティの観点から考察した結果からは、ブラジル人としてのアイデンティティを「正しいポルトガル語」を話すことにより確認しているが、その一方で「デカセギ語」をアコモデーションの手段としてとらえていること、またステレオタイプ的な「デカセギ」との分化を示すために使用を避ける傾向も認められた。

○ El contexto social y bilingüísmo entrelos inmigrantes latinoamericanosAnalía Vitale(関西学院大学)

Este trabajo expuso la relación entreel grado de bilingüismo alcanzado entrela población de trabajadores manuales,hispanohablantes latinoamericanosresidiendo en Japón y sus condicionesd e v i d a , c o m p a r á n d o l o s c o n l o shispanohablantes latinoamericanos enpareja con nativos japoneses. Basándoseen entrevistas semi-estructuradas, sedemostró que los trabajadores manualesen pareja con otro hispanohablantetienen una escasa integración lingüísticaen la mayoría de los ámbitos sociales decontacto.

○「在日ペルー人の食生活に関する考察」寺澤宏美(名古屋大学非常勤講師)

在日ペルー人は、特に男性の場合、滞日年数が長期化しても職場以外で日本人と触れ合う機会が少なく、日本社会に溶け込んでいるとは言いがたいが、女性は家事・育児を通して必要な情報を収集しつつ順応している。
本報告ではその食生活に着目し、愛知県犬山市の楽田団地に居住するペルー人家族を対象としたアンケート調査(ペルー料理に必要な食材の入手経路、家庭内での日本食の浸透度、子どもの嗜好、来日前・後の日本の料理に対するイメージの違い、ペルーにおける行事食を中心とした日本料理摂取の経験など)の途中経過、同市の国際交流NPO による外国籍住民向けお弁当作り教室の様子、ペルーでの食生活に関する調査について説明した。
今後の課題としては、滞日年数の長期化にともなう食生活の変化や、ペルー人家庭で育つ乳幼児が初めて日本の生活時間帯、生活習慣、食生活の中に組み込まれることになる保育園の給食が家庭の食事に及ぼす影響などについて、保育園への聞き取り調査も含めて考察することが挙げられる。

○「ブラジリアン・ディアスポラ」田島久歳(城西国際大学)

多くのラテンアメリカ諸国同様にブラジル社会・文化形成の基層には移動性が組み込まれている。ブラジル社会・文化形成過程は太古の昔に遡ることができるが、本報告では、史料に基づいて裏付けのできる植民地期以降を扱った。つまり、植民地期の人の移動や社会・文化形成を概観し、独立後の状況に触れ、共和国成立(1889 年)後から現在に至るブラジリアン・ディアスポラについて考察した。特に注目したのが、沿岸部から内陸部への人の移動・社会形成過程、南部「フロンティア」開拓と入移民、中西部やアマゾニア「新フロンティア」開拓と国内移動、隣国間入出移民と国際入出移民状況である。
ディアスポラという分析用語は様々に定義されてきているが、本報告では人の移動、社会・文化形成とその継承の歴史として仮に定義する。その上で、入出移民の双方向をブラジルにおける/ブラジルからのブラジリアン・ディアスポラとして扱うことが、ブラジル社会を理解するための一つの切り口になるものと考える。本報告は、ブラジルに限定したケーススタディとして人口動態・社会文化形成の変遷に焦点をあてたが、同様な分析手法によって他のラテンアメリカ諸国との比較研究に貢献ができるものと考える。

分科会9〈メキシコ史〉司会:水戸博之(名古屋大学)

分科会9「メキシコ史」では次の3 つの研究報告が行われた。3 報告いずれに対しても活発な質疑応答がなされ、有意義な分科会であった。各報告の要旨は以下のとおりである。

○「 1545-48 年にヌエバ・エスパーニャを襲った疫病について」八十田糸音(大阪大学大学院生)

16 世紀のヌエバ・エスパーニャにおいて幾度も繰り返された天然痘や麻疹等、旧大陸からもたらされた感染症の流行は、それまで旧大陸由来の伝染病について未経験であった先住民の人口を激減させたと考えられている。
とりわけ、最大の被害をもたらした疫病禍の一つと考えられているのが、発疹チフスなど様々な旧大陸由来の病気であると先行研究においてほぼ特定されているものの、未だ病名についての結論が出ていない、1545 から48 年にかけてメキシコ市とその周辺を襲った疫病禍である。
本報告では1540 年代の疫病禍についての先行研究や一次史料の内容の再検証を行い、どのような疫病であったのかについての考察を行った。
まず、英語で記述された先行研究の多くが、史料から病名を判断することなく、発疹チフスの専門家であったジンサーを典拠に発疹チフスであると断定していたことを明らかにし、ジンサー(Hans Zinser, Rats, Lice andHistory: a study in biography)の記述内容について検証を行った。その結果、ジンサーは、この疫病を発疹チフスであると確証をもって述べてはいなかったため、発疹チフス説の根拠とすることが不適当であることが明らかとなった。そのため、1540年代の疫病禍についての記述がある6 点の史料を分析し、先行研究について詳細な検証を行った。
史料分析の結果、「鼻血、口や歯茎等粘膜からの出血」という出血症状や、「腐った血を吐く」という状況が浮かぶ「コーヒー残滓状嘔吐」が、黄熱病の症状の大きな特徴であることから、1540 年代の疫病が黄熱病である可能性が高いと考えた。
次に、スペイン語による複数の先行研究では黄熱病の可能性が散見されるが、いずれも明確な根拠は示されていない。そのため、唯一史料を典拠とした先行研究であるフンボルの著書(Alejandro de Humboldt,Ensayo político sobre el reino de la NuevaEspaña)の記述内容を検証した。その結果、1540 年代の疫病と黄熱病が同じ病気である可能性が高いことが明らかとなった。
メキシコ市やその周辺地域は黄熱病の危険地域ではない。しかし、これまでの検証の結果及び、黄熱病の伝播メカニズム、米墨戦争時、ベラクルスからメキシコ市まで進軍中の米軍兵が、道中に黄熱病で大勢亡くなったこと、黄熱病の危険地域からの船が入港した地域に爆発的な流行をしたことなどの事実を考慮すると、1540 年代の疫病が黄熱病であった可能性は高いと考えられる。
つまり、これまで一般的に言われてきたように、旧大陸由来の病原菌のみが原因であったのではなく、入植者や家畜、積荷の移動によってヌエバ・エスパーニャ沿岸部の風土病であった黄熱病が中央部に運ばれ、感染が広がったと考えられる。
報告後の質疑応答において、スペインやヌエバ・エスパーニャの別の地域での黄熱病の流行例の有無等についての確認と、現代の黄熱病研究の結果を反映させてはとの指摘があった。今後の課題としたい。

○「 エルナン・コルテスが見たメキシコ征服直後の状況―1524 年の文書を中心に―」立岩礼子(京都外国語大学)

本報告は、1524 年3 月20 日付けでコルテスがヌエバ・エスパーニャの住民に向け発令したOrdenanzas(条例集)、同年10 月15 日付けにコルテスが皇帝カール5 世に宛てたCartas de relación(書簡集)のうちの第4 書簡、この第4 書簡とともに皇帝カール5 世に宛てられたCartareservada(信書)の3 点を分析した。その結果、コルテスが先住民を擁護し、改宗を奨励したのは、フランシスコ会の千年思想の影響がみられるのではないかとのE. H. エリオット(“The mental worldof Hernán Cortés”,Spain and its world1500-1700”,1976)の指摘に対し、数の上で圧倒的にスペイン人に勝っていた先住民の報復によって、スペイン人がかつて経験したことのない人身供養による犠牲となることを恐れ、都市の警備を強化し、先住民を刺激しないようにと彼らから金(oro)を取り立てないことを厳しく定めた条例を発し、改宗を促進した可能性を示唆した。また、1524 年末のヌエバ・エスパーニャにおいてはすでに金(oro)が枯渇していたことから、皇帝カール5 世に納める5 分の1 税や首都の建設費用に充てるため、条例に違反した場合、役人の1 ヶ月の給料の10%に相当する罰金を金(oro)で徴収するなどの措置をとっていたことも明らかにした。さらに、皇帝から廃止を要請された先住民のレパルティミエントを征服事業の報酬として金(oro)の代わりにスペイン人に与え、先住民労働力を用いて、ぶどうや小麦などの永年作物の生産を奨励し、征服を植民へと転換させ、スペイン人の定住化を促したことを指摘した。分析対象としたOrdenanzas(条例集)及びCarta reservada(信書)に関する研究は、その重要性はすでに指摘されているにかかわらず、先行研究では注目されてきていないため、今回の分析に意義を見出すことはできると思われるが、フロアからはコルテスが自らの立場を有利に導く目的で巧みな文章を作成した面も否めないため、分析に際しては更なる注意が必要であることが指摘された。

○「 『メキシコ紋章』のカトリック的解釈に関する歴史的考証」川田玲子(名古屋短期大学非常勤講師)

「メキシコ紋章」は、メキシコの国章「サボテンにとまり、蛇を喰らう鷲」の原図で、一般にメシーカ神話伝説に由来するとされる。しかし、1652 年に印刷された説教集『聖フェリーペ・デ・ヘススに捧げた説教』の中で、ハシント・デ・ラ・セルナが「メキシコ紋章」のカトリック的解釈を論じている。本報告では、このカトリック的解釈の歴史的背景及びその意義を考察した。
1642 年、「メキシコ紋章は偶像崇拝のシンボルであり、公的な場所で用いるのは不適切である」という理由で、第18 代副王パラフォックスがその使用を禁止したが、数年後に紋章が再生され始めた事実が確認できる。紋章の使用禁止から10 年後に活字化されたセルナの説教集は、紋章再生に関わる重要な史料である。セルナにとって、紋章のカトリック的解釈は、その再利用実現のために必要かつ最適な手段であった。それはフェリーペの誕生地であるメキシコ市のイメージの神聖化であり、同時に、フェリーペのイメージの聖性をより高めるために役立つものであった。彼は、メキシコ市はかつて悪魔の町であったが、カトリック王フェリーペ四世の支配により聖なるカトリックの町へと変容したとし、その町のシンボルをカトリックの要素で説明する。殉教者フェリーペ・デ・ヘススの磔刑姿をサボテンの上の鷲と重ね、サボテンを十字架とし、教会そのものとして解釈する。そして、セルナはこの説教集で、当時高まりつつあったクリオージョ意識及びアイデンティティの探求心を高揚させることを試みる。クリオージョ説教家であるセルナは、同胞フェリーペ・デ・ヘススをクリオージョのシンボルという位置づけで捉え、メタファーという方法で独自の解釈を展開したのである。
また、植民地時代後半の一連のメキシコ紋章の図像を分析すると、独立運動時代に至るまでの間に、たびたびその図柄に星と王冠が付加されていたことが分かる。図像学的見地からすると、星や王冠はカトリック的要素である。実のところ、パラフォックスがメキシコ紋章の使用を禁止する以前にも、王冠を頂いた鷲が描かれた作品が見つかっている。この点に留意すると、「メキシコ紋章」のカトリック的解釈の歴史を紐解くためには更なる考察が必要であり、今後の研究課題としたい。

シンポジウム「キューバ社会主義の展望」コーディネーター・司会:狐崎知己(専修大学)

本シンポジウムは田中高・実行委員長の企画に基づく。司会の狐崎が以下の趣旨説明を行った。近年のキューバ経済は危機的状態が続き、社会保障制度の根幹が揺らぐ事態となっている。ラウル・カストロ議長は「50 年に及ぶ社会主義建設における過ちを修正する最後の機会」という不退転の決意で改革に乗りだし、2011 年4 月に開催されたキューバ共産党第6 回党大会では、「党と革命の経済・社会政策指針」が採択され、諸改革がスタートした。キューバでは相変わらず「改革」や「移行」「市場主義」「民営」といった用語がタブーであり、キューバ政府は社会主義と計画経済の堅持を掲げるが、実質的に市場経済の導入が避けがたく、その際のショックの規模と影響が懸念される。キューバの展望を歴史的文脈及び国際環境に位置づけて分析することが、今回のシンポジウムの狙いである。なお、パネリストの一人であったOmar Everleny Pérez Villanueva ハバナ大学キューバ経済研究所前所長は諸般の事情で来日が不可能となった。報告及び質疑応答はすべてスペイン語で行われた。
最初のパネリストとして山岡加奈子会員がキューバ外交の特徴と展開、ラウル政権の外交政策について報告した。外交上の概念としては、独立後の民族主義と革命後の国際主義が並立し、現在へ至っている。冷戦期においては、国際プロレタリア主義と東側陣営への帰属・忠誠、非同盟運動への積極的関与、西欧諸国との緊密化関係というイデオロギーと実利主義が矛盾する形で混在するという特徴がみられる。冷戦後は、ソ連・東側との関係が消滅し、第三世界との関係も革命運動支援から人道援助のみへと変化する一方、欧州やカナダなどの先進資本主義国との関係が緊密化した。例えば2009 年の輸入相手国はベネズエラ、中国、スペイン、米国の順であり、輸出相手国はベネズエラ、中国、カナダ、オランダであった。ベネズエラとの関係は、経済的には石油と医療サービスとのバーター取引、政治的には米州ボリバル同盟(ALBA)を形成して、反新自由主義・反帝国主義を柱とする米国への対抗陣営をつくった。ただし、ALBA はチャベス政権に依存するという脆弱性を抱えており、チャベス政権に変化があればALBA の崩壊も含めて大きな変化が起こりうる。米国との関係では、オバマ政権及びラウル政権の双方ともに本気で関係を改善する意向がみられない。ラウル政権下ではメディアや反体制派の活動、カトリック教会の役割や社会的マイノリティの政治的発言などの面で政治的自由の許容が増大しているものの、ミャンマーなどの事例とは異なり、米国政府の対キューバ政策を変えるには至っていない。キューバの側には国際環境を整えるための外交カードはなく、小国キューバが選択できる唯一の効果的な選択肢は国内状況を欧米諸国に評価される方向に変えることであろう。
Luisa Basilia Iñiguez Rojas ハバナ大学地理学教授は、報告のはじめに革命以前の社会をしる自分にとって、革命社会の建設に自らが果たした役割に悔いはなく、必要であれば再び同じ任務に取り組む覚悟であると語った。だが、21 世紀のキューバ社会は極めて深刻な危機に直面している。教育と保健が革命の目玉であったが、教育では奨学金の大幅な削減に加え、交通や食糧といった教育を支える補助制度の基盤が崩壊した。保健では医療従事者の国外派遣・流出の大幅拡大の結果、国内で深刻な医者不足が生じ、2009 年以降、キューバが誇ってきたプライマリー・ヘルス・ケア制度が綻びている。危機の克服に向けて国民が参加する形で「党と革命の経済・社会政策指針」を討議し、数多くの修正を経て採択した。危機克服の課題は、政府によれば①エネルギーの輸入代替、②食糧増産、③地域開発であるが、それぞれ極めて困難な課題である。エネルギーの輸入代替には国外からの投資と技術の導入が不可欠であり、ブラジルとの連携が強化されている。食糧増産は誰でも認める課題だが、農業を専攻する学生は1989 年以来、低下を続け、最低数に留まっている。現状では農業に従事する誘因がない。地域開発は、国内数か所を経済特区に指定して成長を率いることが期待されているが、その他の地域の活性化は大きな課題として残されたままである。経済社会の活性化には「分権化」(市場競争を意味:狐崎注)の促進が必要であり、中小企業の活性化、収入源の多様化、消費やライフスタイルの多様化を国民も期待しているが、政府や市場が判断する経済的な合理性と社会的地域的な公平性の間には緊張関係が存在する。教育や保健面でのセーフティネットが崩壊するなかで、この緊張関係を緩和するための経済社会政策が真に必要とされており、地理学者としての自分にとっても最優先の研究課題である。
後藤政子会員がディスカッサントとして、まず、現代のキューバを理解するには1980 年代末からの経済と社会の相互関係、及び国内要因と国際要因を一次資料にもとづいて綿密に分析することが必要であり、ソ連崩壊以前の80 年代末の時点で既に大幅な改革が必要であるという合意があったにもかかわらず、90 年代以降の部分的自由化と揺れ戻しという悪循環が現在の危機を招いたという認識を示した。つぎに、社会主義の展望を語るには、社会主義の概念自体が変化してきている点を把握したうえで、議論することが必要であると指摘した。経済の活性化なしに社会正義を維持できないことは自明であり、そのためにはキューバとしても国際経済への統合・グローバル化が不可避である点を指摘した。また、山岡報告に対して理論基盤にもとづき今後のシナリオや方向性を打ち出すべきであるとのコメントを行った。
フロアには最後まで多くの会員が残られ、米国のキューバ政策が硬直的である要因、新興国の台頭に象徴される近年の国際関係の変化とキューバ外交の関係など活発な質疑応答が行われた。
キューバからの研究者の招聘にはビザの問題をはじめ、極めて錯綜した時間を要する準備作業が求められる。今回は田中高実行委員長の尽力及び日本外務省並びに在キューバ日本大使館のご協力により、Luisa さんの招聘が実現できたことに改めて感謝申し上げたい。(狐崎知己)