第34回定期大会(2013) 於:獨協大学

6 月1 日(土) 、2 日(日)の両日、獨協大学(埼玉県草加市)を会場として第34 回定期大会が開催された。9 つの分科会、5 つのパネル、記念講演、シンポジウム、そして懇親会が催され、183 名の会員と30 名の非会員参加者(招待者を含む)が活発に研究報告を行い、議論を交わし、そして交流を深めた。

本年度の大会の最大の特徴は、すべての個人報告(分科会報告)ならびにパネルにおける討論者の配置、ペーパー提出の奨励、学会ホームページの欧文化を念頭とした欧文タイトルの届け出といった新しい仕組みが導入されたことである。これらは昨年9月の理事会決定に従って行われたものであり、会員間に制度の趣旨や枠組みがまだ必ずしも十分に周知されていなかったため、その伝達や運用を依頼された我われ実行委員会においても、また少なからぬ数の報告者や討論者の間でも、若干の戸惑いや混乱があったのは否めない。実行委員会の対応や業務遂行が円滑でなく、ご要望に十分にお応えできなかった面もあり、この場をお借りしてお詫びしたい。ただし総じて言えば、大会担当の鈴木茂理事をはじめとする関係理事の献身的なサポートと多くの登壇者の方の前向きな努力に支えられて、何とか無事に分科会やパネルを開催・進行することができたのではないかとも思っている。多くの関係者の方のご理解とご協力に、心から感謝申し上げたい。

実行委員会としては、司会者や討論者を選定する際、わずかの例外を除き、1 人が複数の役目を担うことのないよう配慮した。これにより登壇者(司会者を含む)は、実数で94 人にのぼった。例年を大きく上回り、参加者の約半数が壇上で何らかの役割を果たした計算になる(もちろんこれに加えて会員・非会員によるフロアからの発言も重要である)。多くの方が時間調整の工夫をして依頼に応じて下さったことはたいへん有難かった。今後の大会のさらなる活性化を願うとともに、理事会にあっては、新制度の趣旨の明確化や運用マニュアルの整備にいっそうの力を注いで頂ければたいへん幸いに思う。

なお、本年度から、懸案であった託児希望報告者への対応に関し、半額助成制度が始まったことも付記しておきたい。お二人の報告者の方がこれを利用した。また開催校の獨協大学から20 万円の大会開催補助金が交付されたことについてもこの場を借りてお知らせさせて頂きたい。(浦部浩之)

第34回定期大会プログラム 34

記念講演

“Integración y nuevo regionalismo suramericano: Escenarios y prospectivas”
(「南米における地域統合と新しい地域主義:その実相と展望」)
Fredy RIVERA VÉLEZ(フレディ・リベラ)
FLACSO Sede Ecuador(ラテンアメリカ社会科学大学院エクアドル本部)教授

本年度は記念講演者としてFLACSO エクアドルのリベラ教授をお招きし、同氏が研究を重ねておられるラテンアメリカにおける地域統合・地域安全保障をテーマにご講演をお願いした。ラテンアメリカでは2008 年に南米諸国連合(UNASUR)が発足し、域内諸国による初の安全保障協力枠組みとなる南米防衛評議会(CDS)が設立されるなど、政治・安全保障領域を包摂する新しい地域統合が進んでいる。また3 月に死去したチャベス大統領の主導による米州ボリバル同盟(ALBA)という国家間連携も、米州地域秩序に大きな影響を及ぼしている。そして地域的連帯の動きは今日、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の機構化へと向かっている。こうした最新の動向を理解することは政治・国際関係を専門領域とする者のみならず広く会員全体に資するように思われ、本講演を企画した。
リベラ教授は「地域統合の第三の波」と呼びうるこうした動向の基底には、30 年間にわたって推し進められてきたネオリベラリズムに対する疑義があるとする。ラテンアメリカでは自由化の力学(fuerzas“liberadoras”)が(経済のみならず政治・社会の様々な側面に)強く働くなか、再分配機能を含めた国家の役割の回復や「よき生活」(buen vivir)の実現などが主張されるようになってきた。新しい地域主義は、自律的で主権行使的な行動の再生を目的として生じてきたのであり、そこには米州相互援助条約(TIAR)や米州機構(OAS)を通じた米国による覇権的利益の追求に対する異議申し立てがある。
リベラ教授は、国際関係学でいう構成主義アプローチの枠組みに言及しつつ、こうした新しい地域主義にはチャベス大統領の述べた「大きな祖国」(Patria Grande)との表現に象徴されているとおり、地域アイデンティティの追求に裏打ちされているとの見方を提示する。域内諸国は、従来型のナショナリズムを保持しつつ、地域共通のアイデンティティを基盤としたラテンアメリカ多国間主義に基づく秩序の構築を目指しているのである。2009 年のUNASUR 首脳会議で「南米平和地帯」の創設が宣言されたこと、UNASUR が民主主義体制の擁護といった個別的問題への対応で効果を上げつつあることは注目に値する。
ただし、UNASUR 内にも①異端的な社会政策を追求しようとするベネズエラ、エクアドル、ボリビア、アルゼンチン、ウルグアイ、②対外開放的な経済政策をとるチリ、ペルー、コロンビア、パラグアイ、③注意深く域内でのイニシアティブをとっていこうとするブラジルという色分けがある。リベラ教授は経済政策における共有化された戦略がやや欠けていることを課題として指摘する。また、南米諸国に対する中国からの投資や兵器輸出が急増していることをはじめ、米州外の地域との関係が急速に緊密化していることにも注視すべきであるとする。
リベラ教授にはご講演にあたり、A4 版20 ページにわたるペーパーをご提出頂いた。講演ではふれられなかったが、ペーパーの結論部では、ラテンアメリカにおける新しい地域機構と既存の地域機構(OAS)が①競合関係に入って一方が他方に勝っていくのか、②緊張関係を保ちながらも並存していくのか、③機能と役割を両者で分担していくのかという3 つの仮説的シナリオについて紹介されている。また分析枠組みとしての国際関係理論にも言及されている。講演中に述べられたUNASUR 構築プロセスの詳細については上記の要約では割愛したが、それについてもペーパーで説明されている。詳しくはそちらをご参照頂ければと思う。
リベラ教授は、本学会で多くの会員がラテンアメリカ研究に取り組み大会に参集して活発に研究報告を行っていることに感嘆されるとともに、今後も相互の研究交流が深まっていくことを願うとおっしゃっていた。最後にこのことをご紹介しておきたい。
(浦部浩之)

研究発表

分科会1〈近現代の法・歴史・文化〉司会:岩村健二郎(早稲田大学)

分科会1「近現代の法・歴史・文化」では、前田美千代(慶應義塾大学)による「ラテンアメリカ諸国の独立と民法典の法典化―フランス民法典とスペイン旧法の相克と葛藤の諸相―」、川上英(東京大学等非常勤講師)による「エネケンとチクレ―ユカタン半島史における二大輸出産業の比較―」、矢澤達宏(上智大学)による「20 世紀前半のブラジル黒人新聞にみる人種」、中島さやか(明治学院大学非常勤講師)による「1920 年代におけるチリ大学学生組織の文化活動―機関紙Claridad に見られる社会、大学、文化―」の4 報告がなされ、討論者として順に大久保教宏(慶應義塾大学)、伏見岳志(慶應義塾大学)、鈴木茂(東京外国語大学)、江原裕美(帝京大学)が登壇し討論が行われた。各報告とも会場との質疑応答の回数を制限しなくてはならず、大変盛況な分科会となった。
以下は、各報告者による要旨である。

○「 ラテンアメリカ諸国の独立と民法典の法典化―フランス民法典とスペイン旧法の相克と葛藤の諸相―」
前田美千代(慶應義塾大学)

本報告は、その対象国としてスペイン語圏の18 か国とブラジルそしてハイチの計20 か国と措定し、また、南北アメリカ初の法典化を達成したルイジアナ民法典に続くラテンアメリカ初の法典化となる1826年ハイチ民法典から1916 年ブラジル民法典までの約100 年間のうち、ハイチ民法典から1855 年チリ民法典までの約30 年間を捉え、フランス法典への依存が次第に希薄化し、翻って植民地時代のインディアス=カスティーリャ旧法が見直されていく過程を素描し、その法典化の要因について考察した。

○「 エネケンとチクレ―ユカタン半島史における二大輸出産業の比較―」
川上英(東京大学等非常勤講師)

ともにユカタン半島で19 世紀後半から20 世紀半ばにかけて米国向け輸出産業として栄えたエネケン産業とチクレ産業は、前者がプランテーション栽培化されたのに対して後者は天然の森の中での採集という違いや、それによる労働条件の違い等、重要な相違点もあるものの、エンガンチェ・システムという労働者集めの方法や、アメリカでの需要減少に伴う急激な輸出産業の衰退というパターンなど、共通点も多くみられる。さらに、現地で生産物を取引する請負人レベルでは、両者に関わっている米国人が存在するなど、横のつながりの可能性も見受けられる。

○「 20 世紀前半のブラジル黒人新聞にみる人種」
矢澤達宏(上智大学)

ブラジルの人種間関係や国民的アイデンティティについて、同国の黒人たちは20 世紀前半の時期、どのように認識していたのか。当時発行された数々の黒人新聞の紙面を材料に検討を行った。ブラジルに人種偏見・差別が存在するか否かについて肯定・否定両方の認識が混在していること、ブラジルの国民像を混血として構想していることは、人種民主主義という概念が流通する前ながら、その源流をなす思潮の影響と考えうることを指摘した。

○「 1920年代におけるチリ大学学生組織の文化活動―機関紙Claridad に見られる社会、大学、文化―」
中島さやか(明治学院大学非常勤講師)

チリでは20 世紀を通じて大学が様々な文化の分野で中心的な役割を果たしてきた。国や民間の団体でなく、大学がイニシアティブを取ることになった要因の一つとしてチリ大学の学生組織の活動の影響が指摘されているが、この組織が行ってきた具体的な文化活動については資料の制約上、あまり研究が進んでいなかった。しかし、近年この団体の機関紙であり、1920 年代の主要な文芸誌の一つでもある『Claridad』の収集作業が行われ、一定の情報が比較的容易に手に入るようになった。本研究ではこの情報を元に、1920 年代のチリ大学の学生組織とチリ社会一般との関わりについて文化面を中心に分析し、後のチリの大学に与えた文化的影響に関して考察した。

分科会2〈現代経済社会〉司会:今井圭子(上智大学)

分科会1「現代経済社会」では4 本の報告があった(以下敬称略)。

第1 報告ホリウチ・アンドウ・アリッセ・イズミ「ブラジル・ポルトガル語教育に関する一考察―静岡県内における大学生を対象とした調査を中心に―」〔討論者〕小貫大輔:

大学における第二外国語としてのブラジル・ポルトガル語教育につき、国内最多のブラジル人が在住する静岡県三大学でポルトガル語を履修する172 名に対してアンケート調査を実施し、その結果ポルトガル語履修に際して、ブラジル人の存在が重要な学習動機となり、「日常生活」や「将来の仕事」に役立てたいという明確な目的意識を持つ学生が多い事が明らかになった。今後この結果を教授法に生かし、同時に愛知、群馬などブラジル人の多い諸県との比較研究への発展をめざしているとの報告があった。それに対して、アンケート調査方法、調査対象者によるブラジル人地域社会の認識の仕方、ポルトガル語以外の外国語との比較研究の重要性などに関するコメント、質疑応答がなされた。

第2 報告 Alejandra María GONZALEZ“Maquilas in Central America: The NewLegal and Socio-economical Challenges toOvercome”〔討論者〕久松佳彰:

中米各国は輸出加工区(EPZ、Maquilas)による工業生産性の向上、輸出拡大を目指し、投資拡大、雇用創出、外貨収入の確保、技術・経営スキルの導入を誘発する政策を実施してきた経緯を明らかにする。それを踏まえてグローバル化が進む中で中米の経済成長を促進するには、政府のさらなる挑戦的取組が不可欠で、とりわけヒューマン・キャパシィティ・ビルディング、産業の多様化、輸出加工区と国家および国際レベルでの法的規制の調整の3 点が重要であるとする。同報告に対し、市場原理と法的規制のコンフリクト、政府介入の効果と限界、中米におけるハイテク産業立地に伴う困難性、中米における高付加価値産業育成を実現するための条件、技術移転を可能とする外資誘致の可能性などについてコメント、質疑応答があった。

第3 報告千代勇一「コロンビア・マグダレナ川中流域地方におけるコカ栽培農民の排除と包摂―土地所有の視点から―」〔討論者〕受田宏之:

コロンビアにおけるコカ栽培について、従来のマクロ的研究に対してミクロの視点からマグダレナ川中流域を対象に、土地所有の現状を農地改革、未開墾地、森林保護区設置を中心に整理し、それを踏まえて違法作物であるコカ栽培とそれに代わる開発への取組について分析、その過程における排除と包摂という両面性をもつ農民と国家の関係について考察が加えられた。同報告に対してコカ栽培から代替作物への転換を促がす政策内容、転換を妨げる要因、コカ栽培農民を包摂する国家の意図の有無などについて、コメントと質疑応答がなされた。

第4 報告星川真樹「ペルー首都近郊山岳農村の非伝統的農作物の導入―San Mateo de Otao 村のチリモヤとアボカドを事例に―」〔討論者〕谷洋之:

ペルーにおける小農経営の成功例として、首都近郊山岳農村の非伝統的農作物栽培に関する事例研究が報告された。調査対象とされたSan Mateo de Otao 村は首都近郊、国内最大の生果卸売市場近隣という優位な立地、農民共同体による栽培適地の確保といった好条件を生かし、高付加価値商品作物であるチリモヤ、アボカド栽培を導入、首都圏市場を対象に生産を拡大していった。安定した高収入を確保するに至る過程を、聞き取り調査をもとに農業地理学の観点から考察、成功の要因を自然環境、社会的背景の両面から分析する。コメント、質疑応答では、小農の定義、チリモヤの選択、栽培するに至る詳細な経緯、チリモヤ、アボカドの生産・流通における農民共同組合の役割、チリモヤ栽培の他の小農農家への適用可能性などについて討論された。

分科会3〈子ども〉司会:江原裕美(帝京大学)

いずれも子ども自身や子どもの支援活動のアクターに関するフィールドワークに基づいた調査の報告であった。調査対象に関連性があることに加え、現地に身を置き、研究対象である人々や実践者の声に耳を傾けるという実証的アプローチが共通しており、全体として聞き応えのある分科会となった。各報告に討論者がつきそのテーマに即した質疑がなされたことにより、聴衆にとっては研究に対する多様な見方を同時に知ることが出来て有意義であった。
第一の報告では、メキシコのストリートチルドレンの生業や生活の詳しい観察から、機器を用いないにもかかわらず直感で正確な信号間隔などの状況認知を行っていることが報告された。討論者からはそうした行動を身体技法と呼んでいいか、など、方法論に関する質問やコメントがあった。第二の報告はブラジルにおけるストリートチルドレン支援活動を行うローカルNGO が国レベルの社会福祉制度や規範の採用にどう対応しつつ活動をしているかを聞き取り調査した報告であった。討論者からは原則の普及と組織としての実践との乖離に関する質問、コメントがあった。第三報告は親が出稼ぎ移民としてアメリカ合衆国にわたったのち、残された子ども達がその事態をどう受け止めているかを調査した報告である。討論者からは子どもが調査に回答するときの心理などについての質問やコメントがあった。フロアからもそれぞれ質問が出て論議が深まった。
以下、発表者自身による要旨(発表順)である。

○「 メキシコ市の交差点にいきる身体技法―産業化されえない力強さの視点からみるストリートチルドレン―」
小松仁美(淑徳大学大学院研究生)
討論者:加藤隆浩(南山大学)

ストリートチルドレンという言葉には暴力、搾取、貧困等のラベルが付与されている。報告では、既存研究において削ぎ落とされてきた彼らが路上において、親世代同様に都市下層の生活体系を内面化させ、創意工夫しながらある種の生生しさを含みながらも活き活きとした労働・生活面を観察に基づいて紹介した。

○「 ブラジルにおけるストリートチルドレン支援活動の変容―ローカルアクターの活動原則と実践に関する一考察―」
横田香穂梨(津田塾大学国際関係研究所研究員)
討論者:山田政信(天理大学)

本発表では、再民主化後のブラジルにおけるストリートチルドレン支援活動の変容を取り上げ、ローカルアクターによって、「包括的保護」や「子ども・若者主役主義」「関係アクター間の連携」等の活動原則の使用が一般化している現象に注目した。活動原則の普及は、1)国内外の子どもの権利保障をめぐる普遍化・制度化の必然的な帰結、2)民衆参加を通した現場からの問題意識の反映、3)脆弱な活動基盤で支援を行う各団体の生存戦略である。また、活動原則の実効化こそが、民政移管後に制度化が進められてきたブラジルの社会福祉の課題であると述べた。

○「 残された子供たち―中米移民の事例から―」
浅倉寛子(メキシコ社会人類学高等研究所)
討論者:牛田千鶴(南山大学)

今回の報告では、親と離れて暮らす中米移民の子供たちの事例をもとに、トランスナショナルな家族として生活する子供たちの感情に焦点をあてて考察を行った。その結果、出身地に残る子供たちが親や親の移動に対して抱く感情は一定ではなく、常にネガティブとポジティブな感情の間で葛藤していることが明らかになった。家族や親に関する既存の規範モデルを払拭し、自分たちの新しい家族としてのありようを受け入れて始めて、その葛藤から解放されるのではないだろうか。

分科会4〈文化人類学〉司会:畑惠子(早稲田大学)

本分科会では3 つの発表があり、30 名ほどの参加者も交えて、活発に議論が行われた。上原報告には山本匡史会員が、川本報告には禪野美帆会員が、山内報告には小林貴徳会員がそれぞれ討論者として、有益なコメントを行った。これら3 報告はペルー、メキシコ・ミチョアカンおよびオアハカ州の村落における丁寧なフィールド調査にもとづく事例研究であり、祝祭儀礼と死生観、カルゴ・システム、コンパドラスゴ制度というラテンアメリカ地域の共同体研究で中心となるテーマを扱い、先行研究に新たな知見を加えようとする意欲的な報告であった。討論者および参加者からは、主に比較の方法および分析概念の適切性・妥当性についてコメントがなされた。詳細は以下の要旨に詳しいが、上原報告については、比較の正当性だけでなく、聖週間と死者の日を年次サイクルのなかで位置づける必要性が、川本報告についてはカルゴ・システム論以外の概念を用いて分析する可能性が、山内報告に対しては人々が設定する人づきあいの一部として代父母制を捉える視点などが示された。
時間に制約があり、また事実そのものが魅力的であるがゆえに、そこに焦点を当てた報告になるのはやむを得ないが、どのような問題意識のもとでこのような調査や分析が行われているのか、少し広い文脈における研究の位置づけ、報告者の関心の所在が示されてもよいのではないか、もし報告でそれが無理ならば事前ペーパーのなかで明示されるべきではないか、そしてそこに立ち戻った言及があってもよいのではないか、という印象をもった。以下、報告者による要旨である。

○「 死者と生者の行列―アニメーロ、パクパンキート、ナサレーノ―」
上原なつき(名桜大学)

ペルーのアプリマック県アンタバンバ郡の2 村で諸聖人の日と死者の日に行われる踊り、アニメーロとパクパンキートの特徴と役割を明らかにするために、衣装の類似する2 例、聖週間に行われるスペインのナサレーノならびにメキシコのペニテンテとの比較を行った。衣装、死者にまつわる祝祭という類似点はあるものの、その目的や役割は異なっていることが比較から明らかになった。質疑およびコメントでは、①地域、時代の異なる複数の事例を同列に扱うことの理由づけ、②衣装の類似というだけで異なる祝祭および儀礼を比較することの妥当性、③各地域のコンテキストから切り離して儀礼単独だけを比較する危険性、などが指摘された。これらに対して発表者は、先行研究がないこと、ペルー国内では同様の事例が現在のところ報告されていないことから、今後の研究の足掛かりとして、他国・他地域との比較を手始めに行ったことを説明した。

○「 現代メキシコ西部村落における共同体と教会の関係―ミチョアンカン州T 村の祭礼とその祭礼組織を事例に―」
川本直美(京都大学大学院生)

T 村にあるニーニョ・ディオス像をめぐる村の住民と教会の対立を事例に、現在の共同体と教会の関係について考察した。まずその像の祭礼組織の事例をカルゴ・システム研究に位置づけて検討することで、T村の同システムの現状と、その機能を村の外部にまで拡張させた結果、教会との対立の中にあってもその祭礼組織の維持と実践の継続を可能にしていることを明らかにした。また、人々が教会との対立も厭わない根拠の一つとして、各自が、像が起こす奇跡によってだけでなく日常的な像との関わりから、像と親密な関係を築いていることを挙げた。同時に、その他の聖像の祭りにおいては住民と教会は協力関係にあるという、住民の両義的な態度も明らかにした。討論者、参加者からは、カルゴ・システム研究に本事例を位置づけることへの妥当性について、プロメッサ論・奇跡論からのアプローチや他地域にある類似の事例との比較の必要性についての重要な指摘をいただいた。

○「 メキシコ、オアハカ州のサポテコ系先住民村落における代父母制の変容」
山内熱人(京都大学非常勤講師)

討論者の小林氏は、本発表が取り扱ったメキシコのコンパドラスゴについて1950年代以来多くの研究があり、そのなかで本発表を位置づけるべきとした上で、以下の点を指摘した。一つは、タイトルに変容とあるが、本発表で行われたのは理念と現実の比較であり、過去と現在の比較とはなっていない。それを行いたいのであれば、近年になって現れた世俗的なコンパドラスゴに注目すべきであるとの指摘である。また、彼らの語彙における契機ごとの代父母関係の呼称の確認が行われた。参加者からは、相手の選定において村外者や年上であることが現実においてより重要視されている可能性についての確認や、自身の経験を踏まえながら、コンパドラスゴが争いや敵対関係の仲裁として機能する可能性についての言及があった。各指摘は本発表の今後の可能性と不足を指摘したものであり、それらを踏まえた上での研究の深化に努めたい。

分科会5〈移民〉司会:浅香幸枝(南山大学)

会場一杯の約35 名の会員が集まり、最新の研究成果と活発な議論が交わされた。3 名の報告者と3 名の討論者、そしてフロアからの幅広い年代層や外国人研究者の議論によって、本分科会は、「文化を運ぶ移民と開発」という論点でまとめられたと思う。このテーマはグローバル化の進展により、重要度が日々増しているものである。その意味で報告者のこれからの活躍が期待される。
石田智恵会員は、ブエノスアイレスにおける日系コミュニティでの調査に基づき、日本人移民の子孫たちが、ヨーロッパ系移民の子孫と比較して、いかに「アルゼンチン人」のナショナリティの現実を経験するかを出生地主義に注目して考察した。討論者の睦月規子会員からは、アルゼンチンの教育では、移民の先祖の歴史ではなく、脱スペイン、親アングロサクソンのアルゼンチン人ナショナリティがあると指摘があった。フロアの三田千代子会員からは、移民研究にはアイデンティティ理論の蓄積があるのに、なぜナショナリティ分析なのかと質問が出た。
また、ペディ会員報告は、「日本人移民はアイルランド人移民同様価値がある」という公文書を引用した題で刺激的であった。開発に協力して受入国から価値があると評価されることが、人の移動にとり大変重要な鍵となることを示している。討論者の佐藤勘治会員からは、メキシコ人エリートによる日本人評価に偏っていないかとの見方も示されたが、フロアのメキシコ人研究者から、日本人はメキシコで尊敬されていると発言があった。
渡辺暁会員報告はユカタンとカリフォルニアをつなぐ移民コミュニティについての参与観察である。豊富な映像で、政治経済において米墨間の重要な課題となっている移民を扱った。討論者の中川正紀会員からは、ロサンゼルス在住のエルサルバドル人移民のトランスナショナリズムと比較して、二重国籍との関係についてコメントがあった。

○「 アルゼンチン・ナショナリティの変容の一側面―日本人移民の子孫の経験と『出生地主義』―」
石田智恵(立命館大学専門研究員)

報告前半では、アルゼンチンで1990 年代に生じた「移民」の社会的位置づけの変容をたどり、後半ではそれをふまえて、報告者によるブエノスアイレスの日系コミュニティでの調査に基づいた議論を提示した。「ニッケイ」を自称する若い世代にとって、自らのヨーロッパ的でもラテンアメリカ的でもない身体(「日本人の顔」)の由来を問われるという日常的経験は、メスティーソ系の「隣国移民」に対する差別・排除の言説とは異なる他者化の効果を持つ。ここに、出生地主義と結合した人種主義的な「アルゼンチン人」ナショナリティの表れを読み取ることができる。
フロア(三田千代子会員)から受けた質問には、「日本語のアイデンティティという語には自己意識というニュアンスが強くみられる。ここでは個人の意識に関係なく規定される同一性に注目したかったため、アイデンティティという語を使わなかった」と回答した。

○「 『日本人は中国人や黒人より価値があり、アイルランド人と同じくらい移民として役に立つ』―メキシコにおける日本人移民1888-1941 年―」
フランシス・ペディ(ヨーク大学)

1941 年から1945 年の間、メキシコ政府は第2 次世界大戦により、日本人移民に対して、さまざまな政策を適用した。その中で、最も顕著だったのは、海岸と国境に住む日本人をグアダラハラやメキシコシティのような内陸部に強制移住させたことだった。しかし、メキシコ政府のその当時の反日行動は、日本人移民がその時点までに受けた扱いの典型的なものではなかった。1888年から1941 年の間、日本人移民はメキシコ移民法の下で、しばしば特権的地位を享受していて、例えば、1926 年移民法の人種カテゴリでは、白人と同じであると考慮された。報告では、メキシコにおける日本人の特権的な位置を提示した。日本が近代国家であり、メキシコ人の良い見本になり、メキシコ経済に貢献するとして、日本人移民がその特権的な位置を受けたからだった。

○「 メキシコ・ユカタン州とカリフォルニアを結ぶ市民社会」
渡辺暁(山梨大学)

本報告は、メキシコ・ユカタン州のペト市とカリフォルニア州マリン・カウンティーのサンラファエル市の事例を中心に、ユカタン州とカリフォルニア州を結ぶ移民の市民社会について考察した。最初にサンラファエルが移民の目的地となった背景にふれ、1980 年頃にペトからの移民が始まったきっかけ、そして2000 年代半ばに移民先と故郷の両方で様々な文化・社会的な活動が行われた様子について述べた。その上で2008 年のリーマン危機以後、急激に変化した移民を取り巻く環境の変化に伴う、ユカタン出身移民の状況の変化についても、マクロ指標と手持ちの調査資料からの簡単な分析を試みた。

分科会6〈政治・政策〉司会:杉山知子(愛知学院大学)

分科会6「政治・政策」では2 つの報告があった。まず、馬場香織会員(日本学術振興会特別研究員・慶應義塾大学)が、2000年代以降のラテンアメリカにおける新たな年金制度改革(再改革)の分析枠組みを提示する報告をおこなった。馬場会員は、アルゼンチン、メキシコ、ウルグアイの事例について、①第一世代改革における反対派への妥協の形態、②政権の政策志向、③政策決定過程の特徴という3 つの要素が、ラテンアメリカの年金制度再改革実施の方向と規模の大小に影響を与えると分析する。この報告に対し、討論者の宇佐見耕一会員(アジア経済研究所)が、新制度論などの先行研究に関連した分析枠組みの手法や事例資料の重要性、再改革の規模や進展についての現状評価、経済危機などの外的要因の排除について指摘をした。フロアからは、官僚の役割と政策の継続性、分析枠組みと再改革の因果関係などについての質疑があった。
次に、吉野達也会員(神戸大学大学院生)が、メキシコ政治における野党勢力台頭の先行研究を紹介し、1994 年から1999 年における8 つの州知事選挙での野党勝利に焦点をあて、地方州知事選挙における野党勢力の台頭と民主化促進についての報告をおこなった。この報告に対し、討論者の箕輪茂会員(上智大学イベロアメリカ研究所準所員)は、民主化と野党勢力台頭の因果関係、メキシコ各州での選挙と民主化のレベルについて質疑・コメントをおこなった。フロアからも、メキシコ政治における民主化の定義、メキシコの地方政治と民主化、地方政治レベルでの権威主義体制についての質疑、コメントが寄せられた。
限られた時間ではあったが、2 人の報告者は、自らの分析的視点と事例を提示し、討論者、フロアの会員の質疑・コメントに対し、活発に議論が展開されていく大変有意義な分科会であった。

分科会7〈文学〉司会:中井博康(津田塾大学)

本分科会では、詩に関する研究報告2 つと、版画家ポサダに関する研究動向を紹介する報告1 つがおこなわれた。高野会員は、ラモン・ロペス=ベラルデの祖国像が、地方の女性の宗教的な純潔性を核として形成されており、それがアルタミラーノ以来の詩の伝統を独自に解釈した成果であるとの報告を行なった。討論者の南映子会員からは、女性像の両義性や内戦 後という時代背景について指摘があり、ロペス=ベラルデの祖国像はむしろ異種混淆的で、相反する要素を包容しているのではないかとの見解が示された。中村会員は、アルフォンシーナ・ストルニィの詩における色彩表現が、前期と後期では質的にも量的にも異なり、後 期の難解なメタファーが多様なイメージを産出する要因になっているとの報告を行なった。討論者の駒井睦子会員からは、色彩に関わる語彙を分類する際の問題点や、後期における特 徴的な詩作法のひとつである造語の扱い等について指摘がなされた。また質疑応答では、特 に「夕暮れのパノラマ」の解釈をめぐって意見が交わされた。長谷川会員は、ホセ・グアダルーペ・ポサダ研究の動向を示した上で、従来のポサダ像(artistapopular, antiporfirista y revolucionario)は史実に反しているとするRafael Barajas の研究を紹介し、その実像(artista liberal,proporfirista y antirrevolucionario) を視覚資料とともに 報告した。討論者の斎藤文子会員からは、革命期前後のメキシコの印刷・出版事情とポサダの関係について質問があり、報告者からはバネガネス= アロヨの文化史的位置づけについて補足的な説明が行なわれた。以下、報告者自身による要旨である(発表順)。

○「 ラモン・ロペス・ヴェラルデの祖国像―地方、宗教、女性を通して―」
高野雅司(神戸市外国語大学非常勤講師)

ラモン・ロペス・ヴェラルデは「祖国の新しさ」(1921)において、個人の内面性によって規定される祖国像を提示しているが、この祖国像は、郷里および地方のイメージが 投影されて形成された概念となる。そして、ロペス・ヴェラルデは初期の詩作品から、地方と女性と宗教のあいだに相互性の関係を築いてもいた。こうした地方像は、後の「穏やかな祖国」(1921)に反映され、ロペス・ヴェラルデの祖国像は、地方の女性が帯びる宗教的な純潔性 を核として持つことになる。また、地方と女性と宗教の観点から見ると、ロペス・ヴェラルデの祖国像は、イグナシオ・マヌエル・アルタミラーノを起点とする詩の伝統の自己解釈と、その軌道修正から生成されたものと考えられるのである。

○「 アルフォンシーナ・ストルニィの詩における色彩表現に関する一考察―『デスマスクと クローバー』(1938)」を中心に―」
中村多文子(京都外国語大学他非常勤講師)

本報告では、アルフォンシーナ・ストルニィ(1892-1938)が第七詩集『デスマスクとクローバー』(1938)において、色彩の表現方法ではいかなる詩的実験を試みたかを考察した。彼女の7 冊の各詩集における色の使用頻度を分析し、第七詩集で最も使用頻度の高い「青」(azul)を例に、本詩集に限られた表現方法である色の名詞の複数形の使用に着目した。とりわけ「夕暮れのパノラマ」の解釈を提示し、名詞の複数形(los azules)は空としても海としても読むことがで き、多様なイメージの創出に効果的な要素となっていることを示した。

○「 José Guadalupe Posada a 100 años de su muerte(没後百周年のポサダ)」
長谷川ニナ(上智大学)

José Guadalupe Posada (1852-1913) vive y trabaja en Aguascalientes, León y la ciudad de México a lo largo de su vida. En la ponencia se dio una relación de su vida y trabajo en base a datos históricos verificados en cada una de estas ciudades. Se usaron 4libros claves: José Guadalupe Posada: Prócer de la gráfica popular mexicana de Topete del Valle; José Guadalupe Posada: testigo y crítico de su tiempo 1866-1876de Gómez Serrano; La producción leonesa de José Guadalupe Posada de González Leal; Posada: Mito y mitote de Barajas. Se puso especial énfasis en el hecho de que, si bien se ha publicado mucho sobre Posada, lo cierto es que la mayoría de lo publicado ha desinformado más de lo que ha informado. La ponente clasifica estos libros como los de “mayor credibilidad” y considera que la reciente publicación de Barajas ha ayudado a dar un paso sustantivo.

分科会8〈先スペイン期・植民地期の研究〉司会:安村直己(青山学院大学)

予定されていた3 名の報告者のうち1 名は報告を取り下げ、2 名による報告と、それぞれに対する討論、フロアを交えた自由討論が実施された。
井上幸孝氏は「ウィスキルカンとクアヒマルパのテチアロヤン絵文書―植民地時代メキシコの先住民土地文書の考察」と題して報告した。ウィスキルカンとクアヒマルパの2 つの絵文書に出てくる地名をリストアップし、現代の地名と照合したところ、一致する事例が多いことから、両絵文書は歴史的事実をある程度反映していると結論付けた。
続いて小林致広氏が、「メシーカの征服活動とその記録―石彫モニュメントと絵文書記録における絵文字表記の差異」と題して報告した。15 世紀後半に作成された「旧大司教館の石」と「ティソックの石」のうち、コラム5 とコラム7 の地名絵符をとりあげ、征服後に作成された絵文書記録に出てくる地名絵符と比較することで、両者の不一致を明らかにした。そのうえで、征服後に作成されたがゆえに先スペイン期の伝統から逸脱せざるをえなかった絵文書記録のなかの表音絵符を、「旧大司教館の石」や「ティソックの石」のような先スペイン期の石彫媒体に適用することが、後者の適切な解釈を阻んでいる可能性を指摘した。
両報告に対しては、それぞれ討論者として横山和加子氏、井上幸孝氏がコメントを付し、報告者とのあいだで実質的な質疑応答がおこなわれた。その後、フロアを交えての自由討論の時間をとったが、フロアからは立岩礼子氏が両報告者に対して質問しただけであった。
井上報告、小林報告はいずれも、テクストとしての史料とテクストの外部の関係を探ろうとする意欲的な試みであり、しかも両者の方法は異なっており、活発な討論が期待されただけに、フロアからの参加が少なかったのは残念であった。

分科会9〈文化〉司会:倉田量介(東京大学等非常勤講師)

刺激的な4 つの報告が集まった。
野内遊氏の「教育的コンテンツとしてのテレノベラ―El Clon を中心に―」では、イスラム文化、クローン技術、麻薬問題という社会的テーマを恋愛物語の構造で展開するTV ドラマの事例が紹介された。伝統的テレノベラと教育的テレノベラに共通点もみられる等の指摘により、エンターテイメント・エデュケーション研究の多層な可能性が示された。討論者マウロ・ネーヴェス氏や会場からキューバやベネズエラの実態を問う声などもあがった。
上村淳志氏の「現代メキシコにおける性文化の混淆―男性同性愛行為をめぐる複数の言説の共存―」では、流入時期と流入元(スペイン、仏・伊、米)の相違する諸言説が整理され、それらが公序良俗違反逮捕や同性婚認可といった政治の場でどう選択されたかについて考察がなされた。討論者松久玲子氏からは、言説各々が変容を経ている以上、現状の分析に適用することは妥当かなどの質疑が投じられた。
自身も舞台制作に参与するエリカ・ロッシ氏の「「ラテン音楽シーン」と「デカセギ・ミュージック・シーン」―音楽の場を巡って―」は、移民研究におけるトランスナショナリズムという観点に再検討を求めた。ペルー風クンビアの人気バンドによる来日公演が「デカセギ」・ネットワークを基軸に集客されたことをふまえ、両シーンが相対化された。討論者石橋純氏のコメントに続き、在日ブラジル人社会との対比、大使館広報による後援の有無などが確認された。
Betsy FORERO MONTOYA 氏のスペイン語による発表 “Influencia del mundo pop japonés en la negociación deconstructos de género de la juventud colombiana” は、豊富な視覚資料を交え、「オタク」や「Kawaii」に代表される日本のポップ文化がコロンビアの若者に影響する現象を分析した。漫画やアニメの移植時期による世代差、市場規模などに質問が寄せられた。全般に社会学とりわけカルチュラル・スタディーズ的なテーマ群といえようが、さらなる活発化が期待される範疇ではなかろうか。

パネルA「メキシコとグアテマラにおける先住民・アイデンティティ・自治をめぐる諸問題」責任者:池田光穂(大阪大学)

メキシコとグアテマラをフィールドにし、同地域の「先住民・先住民族(indigenouspeople)」を研究対象にしてきたメンバーによる発表と討議がおこなわれた。その目的は、人々の「政治的意識」「アイデンティティ」「自治」をめぐって、フィールドデータに基づく多様な事例と現場に根ざした分析視点を提示することを通して、学際的な地域研究の意義について聴衆と共に多角的に考えようとすることにあった。
まず(1)池田光穂(大阪大学CSCD)「マヤ系先住民における地方自治をめぐる政治意識について」では、ワシントンコンセンサス以降の政策パッケージに見られる地方分権と自治が、グアテマラ西部のあるマム社会に実際にもたらされた時にみられる、先住民の応答について報告した。とりわけ伝統的な政治的行動と「新しく代替的な」ものとの言説の違いと、それぞれの当事者たちの行動との対照を論じた。次に(2)滝奈々子(大阪大学CSCD)―ただし発表は池田による代読―「メキシコとグアテマラにおける音楽演奏家の政治意識」は、メキシコのサパティスタ運動に深く関わるブラスバンドであるモレロス州トラヤカパン楽団と、グアテマラの「ロック・マヤ(RockMaya)」を事例として、音楽に関わる人たちの政治意識を探り、両国における政治的アイデンティティの諸相を検討した。
(3)小林致広(京都大学大学院文学研究科)「ゲレロ海岸山岳部の共同体権威地域審議会・共同体警察(CRAC-PC)の模索」では、ゲレロ州海岸山岳部の共同体警察(PC)に焦点をあて、1995 年以降の司法面での「事実としての自治」を模索してきた人々の努力と国家の対応について論じた。軽微事案は共同体委員が担当し、経済的賠償、短期拘束、軽微な共同体労働が処罰として課せられ、重大事案は共同体権威地域審議会(CRAC)が担当し、長期共同体作業を中心とする再教育が課せられてきた。CRAC-PCは、共同体内や共同体間の紛争の解決も目指してきたが、それに対する国家の対応は、当惑(1995 〜 1998 年)から迫害(1998 〜2002 年)、そして「緊張した寛容」へと変わってきた。それらを総括して、小林はゲレロ海岸山岳地域における有効な生存戦略の「不在」について指摘した。
(4)太田好信(九州大学大学院比較社会文化研究院)「チマルテナンゴ県のある町に住む一家の遍歴:混沌と内戦の語りについて」では、グアテマラ共和国チマルテナンゴ県下のある町に生活する家族の、1976 年から現在までの遍歴を報告し、内戦で多数の犠牲者を出した町と周辺の集落との確執の歴史、76 年の大地震とその復興をめぐる支援団体の活動、チマルテナンゴ市で展開していた医療支援への関わりなどを背景として、ある家族が70 年代中盤から現在までどのように生きてきたかを報告した。冷戦構造の枠組みでは腑分けできない社会的現実を取り巻く「混沌」をインタビュー対象者の語りを中心に見事に描き出した。グアテマラの先住民共同体を表象してきた様々な固定的なビジョンに抗して、人びとの経験を支配していた「混沌」を伝えることに主眼を置くとの説明があった。
(5)狐崎知己(専修大学経済学部)「先住民族の政治参加と農村開発戦略の変化:グアテマラ、ボリビア、エクアドルの比較研究」では、報告内容が変更されて、グアテマラの報告のみに絞られ、先住民族の集団的権利の認知及び政治参加の拡大によって、農村開発の制度・政策面にいかなる変化が見られたのかについての資料分析を通して報告がなされた。そのなかで、グアテマラ国家のオリガルキー勢力の増大と先住民土地占拠への国家の暴力的排除、あるいは先住民リーダーの暗殺などの関係について生々しい報告があり、国家運営にまで介入する財界が暗々裏に行使する経済的および非合法暴力と先住民および農民勢力の暴力的対峙傾向に歯止めがかかっていない現状が報告された。
コメントテーターとして関雄二(国立民族学博物館)氏が登壇した。関氏の刺激的なコメントは多岐にわたるが、私が理解したものは以下の3 点に纏められる。すなわち、1)先住民の政治的アイデンティティの表象とその認証をめぐる複数の着眼点のあぶり出しに関する諸問題、2)国家がおこなう様々な回路を通しての先住民集団および先住民表象の包摂に関するグアテマラとメキシコ国家の対処政策の違いの指摘、3)先住民を積極的に包摂すること、あるいは逆に排除する政策をとる「政府の思惑」をどのように論証し批判的に検討してゆくのかという課題である。制限時間内に、コメントに関するパネラーのリプライによって活発な討論が展開された。今後の課題として、先住民に配慮した国家運営をおこなっている国々においても、先住民および団体がさまざまな「不満」をもって生きている現代ラテンアメリカの状況に鑑み、このような実地調査/民族誌調査に基づく「下からの視点」の議論が今後ますます盛んになるように、参加者一同は切望するものであり、このことのさらなる必要性を学会員の諸姉諸兄に強く訴えるものである。

パネルB「地域研究は何のためにあるのか」責任者:佐野誠(新潟大学)

ラテンアメリカ研究や地域研究一般は何のためにあるのか?私たちの存在意義に係わるこの根本問題について率直に語り合うことで、学会全体として問題関心を深めていく契機としたい―本パネルでは、このような趣旨から4 つの報告と質疑応答が行われた。
仙石報告「地域研究と地域間比較研究―中東欧とラテンアメリカの比較の経験から」は比較政治学の方法論の視点から、ラテンアメリカと中東欧におけるネオリベラリズムを事例とした「コンテクスト化された比較」の成果を利用しつつ、「ある地域を見る目」は現実を理解したり新たな発見をするためには不可欠であるが、その理解や発見を意味があるものとするためには「複数の地域を比較する目」も必要であり、それを通して「地域の特有性」と「地域を越えてみられる一般性」が確認でき、またそこから検証の可能な仮説や理論を提起したり、あるいは地域研究者が気がつかなかった地域の特性を確認したりすることが可能となるという形で、「地域研究」は「地域間比較研究」と協働することにより、ディシプリンをより豊かにすると同時に現実のより深い理解を可能とする方法論となりえるという議論を提起した。この議論については討論者から、地域間比較の具体的な方法やディシプリンとの連携の可能性などについてコメントが寄せられた。
太田報告「地域研究という課題―歴史観に拠って「時間」と「空間」を捉える」は、人間は異境の地や人びとへの止みがたい関心を持つ場合があるが、それが他者に対する侵犯行為になったり、覗き見趣味に堕したりすることのないようにするためには、何が必要かを問うた。関心をもってしまった地域に存在する問題項は、自分自身が生きている地域にも必ず存するという実感があれば、そこには相互浸透・相互交通、したがって相互主体性が生まれるとし、それを可能にするのは、人類史に共通な歴史の軸を確立することだとした。論者の場合、それは、ヨーロッパ近代が他地域の植民地化によって世界を征服した史実が現在にまで至る人類史を規定しているとの観点に絞り込むことができるとし、それを世界史・世界像認識の基軸に据えることで、立ちはだかる「時間」と「空間」を、観念的にではなく把握する方法が生まれる、と論じた。
佐野報告「ラテンアメリカ経済の研究は何のためにあるのか―日本語で書くことの可能性と意義―」では主に経済学研究の視点から、まず地域研究の使用言語別類型を示し、各々の存在意義に関する従来の暗黙の了解を明示すると共に、相対的に未開拓だった「往還型地域研究」(ある問題関心を軸に外国と日本を行き来する研究)の可能性を示唆した。また報告者自身による「往還」の試行錯誤を概括し、今後に向けてたたき台となる素材を提供した。以上を踏まえ、従来その存在理由が十分には明確にされていなかった日本語による通常の地域研究は、「往還」を基礎づける確かな前提としても新たな意義を与えられるのではないかと主張した。この報告について、パネルの問いに必ずしも答えていない、「往還」は表面的な比較に堕しないか、「往還」の対象標本が少なければ有意な結論を導けない、佐野が対象とする研究領域以外の分野では「往還」は適用しにくい、などの論点に関する質疑応答が行われた。
幡谷報告「地域研究は誰のためにあるのか―ラテンアメリカ地域社会へのコミットメントを問い直す―」は、1980 年代以降発展した主に「地の知」を尊重し、成果を現地で活用可能な形で還元することを主張する「地域還元型の地域研究調査法」をその問題点とともに論じた。所与の価値観ではなく普遍的価値に基づき、様ざまな権力による圧力に束縛されることなく、思想的立ち位置を明確にすることがフィールドワーカーに求められる倫理であると主張した。討論者(小池)の「『社会の失敗』がある場合、地の知に寄り添うという主張はどう向き合うのか」という問いには、現場で相反する主張がある場合、調査者は普遍的価値に基づいて判断する責務があり、社会の失敗に対しても客観的な情報収集と分析能力をもたねばならないと答えた。討論者(出岡)の「客観性、中立性を保つことは実際には極めて困難であるが、それをめざそうとするのが社会科学である。この点も含めて倫理を追求するにはどうすべきか」という問いには、理論への還元も、成果の現地還元、社会の意識化と並行して行なうべき地域研究者の課題であり、責務であると答えた。
会場は盛況で、会員の問題関心の高さが窺えた。多様な問題提起と率直な意見交換が行われた結果、所期の目的は最低限は達成されたと思われる。しかし時間的制約により質疑応答は十分ではなく、議論がすれ違う面もあった。残された課題を報告者、討論者、フロア全員が引き受け、今後に生かすべきであろう。

パネルC「ブラジル・サンパウロの都市ガバナンス-政治・行政・市民-」責任者:舛方周一郎(上智大学大学院・日本学術振興会特別研究員)

本パネルは、ブラジル・サンパウロ(州・市)を事例に、都市ガバナンスを「都市の政策課題や維持管理に、政治や行政の領域だけでなく、広く市民が関与する統治形態」として捉え、市民が(行政機構を含む)政府のあり方や、意思決定、活動にどのような影響を与えるかを解明することを目的とした。サンパウロでは、少子高齢化、治安の悪化、公害などの都市の性格を反映した様々な問題を抱え、その対策が講じられている。こうした問題の対応には、サンパウロ政府が中心的役割を果たしてきたが、政府の機能不全や政治家や官僚への市民の不信が指摘される中で、政府機能を強化・補完する市民の行動に関心が集まっている。そこで3 名の会員は、地方自治体の首長選出、公共政策の運営、公共政策の評価という市民と政府が接触する3 つの局面に注目して、各自報告をおこなった。
舛方会員の報告は、2012 年ブラジル地方選挙のうち最大の選挙区となったサンパウロ市長選挙の動向を事例として取り上げた。具体的には、PT(労働者党)のフェルナンド・アダジは、いかにサンパウロ市長選挙に勝利したのかという問いに回答を試みた。報告では26 州都市長が選出された傾向を3つに大別した後、歴代のサンパウロ市長選挙の特徴(市民の政党選好、市民の地理的区分、市民のイデオロギー指向)と、PT の選挙戦略・戦術(他政党との連合、ジウマ大統領・ルーラ前大統領の支援、ネガティブ・キャンペーン)を提示した。以上の条件を踏まえたうえで、アダジの市長当選は、PSDB(ブラジル社会民主党)のジョゼ・セラ陣営(ジェラルド・アルキミン現州知事、ジルベルト・カサビ現市長(当時)を含む)と敵対することで、サンパウロ州政府・市政府の政権運営に強い不満をもつ低所得者層と中間層の支持を獲得したためだったことを明らかにした。なお討論者の近田亮平会員からは、本研究の今後の発展計画、宗教と政治の関係、アダジ市長当選をめぐる市民の判断、選挙戦におけるルーラ前大統領の影響力に関する質問があった。会場からも宗教とメディアに関するコメントが寄せられた。
小野奈々会員の報告は、サンパウロ大都市圏の中心を流れるチエテ川流域、とりわけ、行政区サンパウロ市の上流域を統括領域にもつチエテ川上流域委員会をとりあげた。具体的には、下位組織にあたる支流域委員会の構成に関わるヒアリングデータをもとに、支流域委員会という討議の場におけるサンパウロ市の位置づけについての考察内容を紹介した。討論者からは、本報告の視点は市民参加ではなく、自治体の行政機構の問題点を考察することにあるのではないかとの指摘があった。また①流域委員会の制度とその言説のみで分析を終えるのではなく、サンパウロ市や審議会(Conselho)などの関連組織とのつながりまでを含めて、制度についてより丁寧な分析をする必要があること、②流域委員会において、予算配分についての討議が中心になってしまうことについて、小野会員は否定的な見解を示していたが、各自治体が集まり討議することは、参加型制度の一つの醍醐味として肯定的に評価できるのではないかとのコメントがあった。
清水麻友美会員の報告は、サンパウロ市を事例に、市民の意思から逸脱した警察の行為(逸脱行為)の発生を説明する理論枠組を構築しようとするものであった。報告では、市民から寄せられる批判が警察の政策方針となり、それを現場警察官が具体的活動として市民に還元するという、警察と市民の相互作用に着目した。この相互作用の過程を通じ、市民の批判が現場警察官に対する三つの相反する要求に姿を変えることを表現したのが「三重のジレンマ」という理論枠組である。相反する要求の間で現場警察官が全ての要求を満たすことに失敗すると、警察は市民の意思から逸脱しているとの誹りを受けるというのが、「三重のジレンマ」が想定する逸脱の説明である。討論者からは、①相互作用および逸脱という概念の「三重のジレンマ」モデルにおける位置付け、②サンパウロ州他市の実践と比較した、サンパウロ市での市民参加の態様について、③リオデジャネイロの実践との比較、④サンパウロ市の警察活動の評価について質問があった。会場からは、⑤警察の暴力装置としての性格を理論枠組で明示してはどうかとの提案と、⑥日本の公安警察にあたるような部署がサンパウロの警察にもあるのかとの質問が寄せられた。
最後に本パネルの開催は、ブラジル・サンパウロを研究対象とする若手ブラジル研究者たちにとって、それぞれの研究を進展させていくうえで非常に有意義な機会となった。パネル関係者と来訪された皆様に感謝申し上げる。

パネルD「多民族地域アンデスの学際的考察-ボリビア・CIDES セミナーの経験から-」責任者:梅崎かほり(神奈川大学)

本パネルは、2012 年8 月にボリビア国立サンアンドレス大学・開発科学大学院(CIDES) にて開催された、日本人若手研究者5 名によるセミナー“Intelectualesjaponeses reflexionan sobre Bolivia”を踏まえて、そこで得られたコメントや知見に基づいた研究成果を報告するものであった。ケチュア語とスペイン語の言語接触、アフロ系ボリビア人の復権運動、天然資源と先住民抗議、先住民運動の組織分裂といった各自の研究テーマについて、現地での議論を紹介しながら発表が行われた後、討論者及びフロアから多くの質問とコメントが寄せられ、活発な議論が行われた。近年、多民族国として注目されるボリビアについて、文化、言語、歴史、政治など多くの分野から関心が寄せられていることが確かめられただけでなく、活発な研究学術交流が進められる刺激的な機会の一つとなった。
蝦名報告は、近年、先住民人口においてスペイン語との接触機会が増えている中で、先住民語の一つであるケチュア語がスペイン語の影響によりどのように変容してきているのか、について述べた。音韻面、形態面、統語面それぞれについて扱い、また、機能範疇の借用が文法構造の他の部分にまで影響を及ぼすことを明らかにした。CIDESでのセミナー時に比べ、不十分ながら社会的背景に関する考察を深めた。また、データソースを明らかにし、現時点でのデータの限界について述べた。討論者およびフロアからは、調査対象者の年代や性別、職業などに注目し、幅広い層からデータを収集すべきことや、変化の過程をどのように明らかにするか、文法のどの部分に変容が現れるか、どのような語彙が借用されやすいかといった借用語の意味的側面、社会的背景と変容との関係について、などのコメントや質問が出された。
梅崎報告では、CIDES セミナーでアフロ系の運動家であり研究者であるコメンテーターから寄せられたコメントを詳細に分析し、アフロ系住民の帰属意識のなかに、文化領域としての「ネーション」と、領域国家としての「ネーション」が意識されていることを示した。さらに、ボリビア革命以降の同化政策的ナショナリズムから多文化主義へと向かう中で、アフロ系住民が「ネーション」を柔軟に解釈し、多義的に捉えながら運動の目標設定を行ってきたこと、今日のボリビア多民族国という複数ネーション国家の下では、アフロという「ネーション」を土着化し、より先住民的なアイデンティティを主張しようとする動きが見られることを明らかにした。討論者およびフロアからは、アンデス地域においてアフロ系というマイノリティに研究の焦点をあてる意義について、また、アフロ系ボリビア人の言語文化についてなどの質問が出された。
岡田報告は、2008 〜 2009 年にペルー、2011 〜 2012 年にボリビアで、政府による資源開発政策に変更を迫るような大規模な先住民抗議が起きたことを受け、紛争当事者の不信感の強さと、収束に向けたプロセスの違いに着目した。天然資源開発が引き起こす社会紛争についてはより広範かつ詳細な研究が必要であるが、政府に対して一定程度の政策変更を余儀なくさせた抗議運動が存在していること、しかしそのような大規模抗議を通じて政策修正が行われる可能性にかんして、政府側が一度決定した政策について妥協や修正を行う条件が異なるという相違点が見られると指摘された。討論者とフロアからは、天然資源開発との関連性の明確化、紛争の原因や係争点についての峻別、紛争当事者の関係性、価値観、要求が実現される可能性、世論の影響、そして他の資源賦存国の現状について、研究をもっと掘り下げる必要があるとのコメントが出された。
宮地報告は、「先住民抵抗の500 年」にあたる1992 年に向け、ボリビアの先住民組織がエクアドルのように統一されなかった原因を考察したセミナーでの発表について、寄せられた質問に対する応答を試みた。適切と見なす政治行動の相違が統合を妨げたというセミナーでの結論には、組織統合が協力関係の前提にされていないか、この結論は1992 年以後の組織間関係にも通用するかという2 つの問いが出された。第1の問いには、当時両組織が統合を望んだ以上、そうした前提を置いてよいこと、第2の問いには、通用しないが、それは先住民運動の政治的位置が異なるためであることと答えた。最後に、2 つの応答からは、ボリビア先住民研究にあたっては、現在正しいとされる見方を安易に過去の説明にあてはめることに慎重であるべきという示唆を導出した。討論者とフロアからは、対抗仮説、エクアドルの状況、教会などによる運動のネットワーク化に関する質問が出された。

パネルE「Hacia un nuevo escenario de seguridad en América del Sur」責任者:浦部浩之(獨協大学)

本パネルは実行委員会の企画による国外ゲスト2 名の招待パネルとして設置された。いま大きな転機を迎えつつある南米地域の安全保障環境について理解を深めることを目的に、2 人のゲストには次の演題で現地での最新の研究成果をお届け頂いた。

○ José Luis PAINE 氏(チリ国防省) “El camino hacia el fin del conflicto armado en Colombia”
○ Fredy RIVERA 氏 (FLACSO エクアドル本部) “Tensiones estratégicas y tendencias en seguridad e inteligencia en la región andina”

民間研究所に在職していた時から長くコロンビア問題を含む地域国際関係の諸問題に関する調査を続けておられるパイネ氏は、コロンビア内戦の展開中に試みられた政府とゲリラ勢力との和平交渉やその挫折の歴史を詳解したうえで、昨年10 月にオスロで開始されたコロンビア和平交渉の現状と展望について論じた。パイネ氏によれば、現サントス大統領がウリベ前大統領を含む強硬派の反対を押し切って和平交渉に乗り出し、またFARC もかつてとは異なり実利的・現実主義的スタンスで交渉に臨んでいる今日、コロンビアは和平が構築される大きなチャンスを迎えているとした。ただしその道のりは決して平坦ではなく、パイネ氏はとくに、交渉の長期化が解決への出口をふさいでしまった過去を教訓として生かせるか、今後ELN やBACRIM(BandasCriminales:かつてのAUC から派生したナルコ・パラミリタリー組織の総称)をどのように交渉に取り込んでいくかが鍵となると論じた(なおパイネ氏の研究報告はもっぱら個人的な資格によるものであり、チリ政府の立場を何ら代表していないことを付記しておきたい)。
リベラ氏は麻薬や組織暴力といったアンデス諸国が抱える深刻な安全保障課題とそれへの対処枠組みの不在という問題点について論じた。リベラ氏が重大な弱点として指摘するのは、国境をまたいで広がる組織暴力や組織犯罪に対処するためには諜報活動(inteligencia)領域での国家間協力が不可欠となるが、アンデス諸国にはそれがまったく欠如しているということである。ベネズエラやエクアドルといった国々と対米協調を基軸とするコロンビアとの間では国内安全保障や公共的な秩序の維持をめぐる政治イデオロギーや政策スタンスの差があまりに大きく、相互の信頼関係が決定的に不足しているため、アンデス地域で多国間の協力枠組みが成立する見通しは立っていない。ひとつの新しい兆候はアンデス諸国を包摂するかたちでUNASUR やその下部組織としての南米防衛評議会が発足したことであるが、安全保障領域でのこれら機関が実際に果たせる役割は未知数というのが実情である。
2 人の報告は最新でかつ流動的な情勢について取り扱ったものであり、会場からは討論者のロメロ・ホシノ・イサミ会員(帯広畜産大学)を含む6 名の会員から次々と質問が出された。ウリベ前大統領のスタンスが和平交渉に及ぼす影響、交渉の焦点である農地配分(返還)問題の進捗状況、米国やベネズエラ、ブラジルなどの周辺国の関与など、最新の動静に関しての質問がとくに多かった。報告者からはそれらへの回答があるとともに、コロンビアの世論がかつてなく和平の可能性を高く見ていること、(ノルウェーとともに)和平交渉の保証国となっているキューバの役割が重要と思われることなどについての補足説明があった。
多くの会員が関心をもつ最新動向についての貴重な分析を現地からお伝え下さった2 人の報告者、そして議論を深めて下さった参加会員に感謝したい。なお、内容の詳細についてはパイネ氏から提出されたペーパー、リベラ氏編著(2011)Inteligencia estratégica y prospectiva, – 25 – Quito: FLACSO もご参照頂ければと思う。

シンポジウム「ラテンアメリカ研究の射程」企画と司会:佐藤勘治(獨協大学)

今回のシンポジウムでは、「ラテンアメリカ」概念をめぐる最近の研究動向に関する報告を冒頭においた上で、学会報告では従来あまり扱われてこなかった対象地域を研究範囲とする研究者に、会員ではない方も含めて3 名に報告をお願いした。
研究状況の整理をお願いした柳原孝敦会員(東京外国語大学)「ラテンアメリカ主義再考」では、「ラテンアメリカ」概念に関するミニョーロらの文学研究における「理論」だけでなく、「理論以後」の研究動向が言及された。草の根の動きに注目するミニョーロは、先住民的なものと近接する存在としてのわれわれはだれもが「メスティソ」であるとするアンサルドゥーアに依拠して、グローバル化以後の時代における地政学的変化を“ラテン”アメリカ以後、さらには“アメリカ”以後の時代として提示している。「理論以後」を示す研究としては、フリオ・オルテガが紹介された。こうした動向は、ラテンアメリカ文学のこれまでとは違った読み方を可能にするだろうと、柳原報告は指摘した。
フランス語圏カリブ文学・アフリカ研究の砂野幸稔氏(熊本県立大学)報告「対象としての地域、想像される地域-アフリカ研究とカリブ研究の接点から」は、まず、主意的地域像としてのフランス語圏カリブ海での経緯を、ネグリチュード、アンティル性、クレオール性という支配者側の価値への対抗概念の形成としてまとめた。さらに、現状ではこうした概念の政治性が後退しポストモダンとして消費される傾向があるとし、ラテンアメリカにおける異種混淆性の非政治化(古谷嘉章)と同様の問題があると指摘した。ここでは、ラテンアメリカ研究との接点が提示されることになった。
園田節子会員(兵庫県立大学)(論題「南北アメリカ近代華僑の地域間コミュニケーションから考える『地域』」)は、冒頭、南北アメリカという地域的まとまりの実体性(上谷博)を指摘した上で、華僑史研究から見える生活者の「移動圏」としての南北アメリカ(アメリカス)を論じた。19 世紀南北アメリカに関しては、華僑コミュニティの形成と清朝在外公館の役割が紹介された。さらに、現在園田氏が取り組んでいる20 世紀トリニダード華僑社会研究の概要が紹介された。トリニダードをハブ地として、独自の華僑ミクロ・リージョンが成立したと指摘された。討論では、「移動圏」という見方はアフリカ系などにも応用できるとの指摘があった。
米国ニューメキシコ史を専門とする中野由美子氏(成蹊大学)の報告「『植民』対『征服』-合衆国『西部史』研究と先住民」は、米国史とラテンアメリカ史を対照的に論じてきた従来の視角を「新しい西部史」の研究動向から批判した上で、「ボーダーランド」研究の可能性を指摘した。「ボーダーランド」研究の課題は、従来のフロンティア研究の視角とは違って、線ではない接触地域としての地理的空間としての把握を可能にした。討論で指摘があったように、ボーダーランドにおける先住民の状況はラテンアメリカ研究が長年扱ってきた課題と共通性があることが明らかになった。
周辺領域だとおもわれがちな対象を扱った後半の3 報告は、ラテンアメリカ研究の射程の広さを示すものである。柳原報告が示唆したように、グローバル化や複数文化主義の進展、いわゆる「草の根」の動きといった進行中の現象は、私たちの地域研究のあり方に変化を求めているのではないだろうか。報告者が4 名だったことに加え、司会の不手際によって時間配分がうまくいかず、フロアとの質疑応答は不十分であった。討論者とした工藤多香子会員(慶應義塾大学)と鈴木茂会員(東京外国語大学)のコメントは、各報告にわたって多くの論点を提示した。ここでは詳述できないが、スピヴックやギルロイの議論に対する批判的検討の必要性など有意義な指摘がおこなわれたことが印象に残った。
全体的にみて、シンポジウムの趣旨で示した目的は達成されたと感じている。また、今回のシンポジウムでは、意図した訳ではないが、結果的に、歴史研究者と文学研究者とのディシプリンを超えた対話が実現した。これも重要な成果であろう。