第35回定期大会(2014) 於:関西外国語大学

6月7日(土)、8日(日)の2日間、関西外国語大学(大阪府枚方市、中宮キャンパス)を会場として第35回定期大会が開催された。6つの分科会、4つのパネル、記念講演会、シンポジウムが行われた。両日で152名の会員と18名の非会員が参加した。分科会とパネルには多くの聴衆が集まり、活発な議論が行われた。

昨年度の開催校である獨協大学の助言を受け、報告申込みと学会HPの欧文化のためにフォーマットの電子化を図った。それによって、報告希望者の便宜が図られ、大会実行委員会と理事会のやり取りも速やかに行われた。

本年度は昨年度に引き続き、分科会とパネルにディスカッサントの配置とペーパーの提出が求められた。大会実行委員会から報告希望と要旨の各々の受付の2度にわたり報告ペーパー提出の締切り厳守のお願いを行った。しかし、報告要旨の提出をもって準備完了と誤解されていた報告希望者が見られた。大会直前の提出リマインドの結果、当日には討論が順調に行われた。来年度の定期大会は制度導入3年目となるので、会員にペーパー提出の意識がさらに浸透すると思われる。大会運営を円滑にするために、報告者による速やかな提出が望まれる。

本年度のシンポジウムでは、「ラテンアメリカの経験から今、日本が学べることは何か」というテーマにもとづき、充実した報告と討論が展開された。非会員にもかかわらず、報告、あるいはコメンテーターを快諾していただいた杉村めぐる氏、西部忠氏、篠田武司氏に謝意を表したい。その他の会員関係者のご理解と協力なくしては、シンポジウムが実現できなかったことは言うまでもない。これも急逝された佐野誠氏が結ばれた縁に負っている。心よりご冥福をお祈りしたい。

イェール大学のロレーナ・アドルノ博士にも約1年がかりの入念な準備とその意義深い講演に対し感謝申し上げる。

最後に、本年度の定期大会の担当理事としてご協力いただいた松久玲子氏をはじめ、数多くの学内外の関係者に支えられて大会を開催することができた。この場をかりて御礼申し上げる。(林 美智代・関西外国語大学)

第35回定期大会プログラム 35

記念講演

“El México antiguo en el Barroco de Indias: don Carlos de Sigüenza y Góngora”
(「インディアスのバロック時代における古代メキシコ:ドン・カルロス・デ・シグエンサ・イ・ゴンゴラ」)
Rolena Adorno(Yale University)

 17世紀末、『先住民の結婚式とボラドール』と題する屏風絵がメキシコのプエブラ市で制作された。その二つ折りの屏風の右側には、カトリック教会で厳粛な結婚式を挙げたばかりの先住民カップルと二人の華燭の典を祝うために催された「モクテスマの踊り」、左側には、同じく結婚を祝して行われたボラドールとそれを見物する身分の高いスペイン人たちが描かれている。そのように、スペイン支配下のメキシコをキリスト教文化と先コロンブス期の先住民文化が対立することなく共存もしくは融合した郷土(パトリア)とみなす考えはすでに1680年11月にメキシコ市で挙行された重要な政治的行事の場、つまり、新任の副王ラグーナ侯(トマス・マンリケ・デ・ラ・セルダ)による統治の始まりを象徴する儀礼的行為(凱旋入場)の舞台となった凱旋門に具象化されていた。
 そのとき、凱旋門の設計と建築を任されたのがカルロス・デ・シグエンサ・イ・ゴンゴラ(1645-1700)である。シグエンサは『優れた君主を育む数々の政治的美徳の鑑』と題する小冊子を著し(同じ1680年にメキシコ市で出版)、ことの経緯を記すとともに、かつてメキシコを治めた歴代アステカ王が有徳の君主であったことを明らかにした。つまり、シグエンサは凱旋門に歴代アステカ王の彫像を飾ったのである。
 その小冊子が注目されるのは、それが古代アメリカ文化に関する学術的研究の濫觴となったからである。つまり、作品では、古代アメリカ文化がかつてのようにキリスト教の布教と偶像崇拝の根絶の実現に資するためではなく、まったく新しい方向から、すなわち、学術的見地から、研究に値する対象として取り上げられたのである。そうして、シグエンサはアステカ王朝を称賛し、歴代アステカ王を歴史上の実在人物として顕彰した。つまり、シグエンサは人身犠牲の信仰を取り仕切った「野蛮な君主」というアステカ王のイメージを払拭しただけでなく、さらに、歴代アステカ王を着任したばかりの副王が見習わなければならないキリスト教的倫理にもとづいて国を治めた象徴的な存在とみなしたのである。
 シグエンサはヌエバ・エスパーニャに生まれ、多分野にわたる数多くの作品を精力的に著した偉大な文筆家であり、天文学・数学から宇宙誌や古代メキシコの歴史に至るまで、幅広い分野の研究に取り組んだ人物でもある。シグエンサはメキシコの過去を神話的かつ幻想的なものではなく、歴史的実在として理解することに努め、古代メキシコの過去からヌエバ・エスパーニャの現在にいたるまで、メキシコの歴史には連続性があると主張した。オクタビオ・パスによれば、シグエンサのそのような解釈はいわゆる「イエズス会的普遍主義」によるものであったが、むしろそれは、シグエンサが王立メキシコ大学の数学教授として取り組んだ研究の結果導いたものであった。シグエンサは先住民の暦や絵文書の研究を通じてメキシコの歴史を再構築することにより、古代アメリカの過去を神話的とみなす解釈を斥け、歴史的なものと評価するに至ったのである。
 シグエンサは凱旋門に描いた「君主たちの鏡」に、アカマピチトリからクアウテモックにいたる歴代アステカ王を道徳的に非の打ちどころのない模範的な君主として示した。中でも重要なのは、その際、シグエンサが先住民の絵文書に描かれた伝統的な図像を用いて歴代アステカ王を表示したことである。換言すれば、シグエンサは歴代君主を示す個々の図像を利用し、そのメキシコの伝統的な図像にキリスト教的な意味を付加したのである。その際、シグエンサが利用したメキシコ先住民側の史料は少なくとも二つある。従来、シグエンサはイシュトリルショチトル絵文書を利用したと、論拠も示さずに繰りかえし主張されてきたが、それは誤りである(イシュトリルショチトル絵文書に描かれているのは、アステカ王国ではなく、テスココ王国を治めた君主とその図像である)。シグエンサが利用したのはメンドサ絵文書とトバール絵文書であり、前者は、シグエンサがイギリス人サミュエル・パーチャスの著した『巡礼』(1625)を通じて知った絵文書であり、後者は、イエズス会士ホセ・デ・アコスタの著した『新大陸自然文化史』(1590)を読んで知った絵文書である。
 それでは、シグエンサは、当時、スペイン語圏の内外を問わず、悪魔にとりつかれた偶像として描かれたウィチロポチトリという伝説上の存在をどのように描いたのであろうか。シグエンサの解釈によれば、ウィチロポチトリはアステカの民をその起源とされる土地からメキシコ中央高原地帯へ導いた「指導者、案内者」、すなわち、「生身の人間」であった。それと同じ解釈は先住民の手になる複数の絵文書にも認められ、さらに重要なことに、シグエンサが所蔵し、今日「シグエンサの地図」として知られる資料には、メシコ・テノチティトランへ至るまでのアステカ人の遍歴の様子が絵画風に描かれているのである。
 すなわち、シグエンサ・イ・ゴンゴラは紛れもなく先コロンブス期のアメリカの歴史を学術的に研究した最初の人物である。それは彼の「弟子たち」、例えば、イタリア生まれの冒険家・旅行家フランチェスコ・ジェメリ・カレリ(1651-1725)、メキシコのクリオーリョでイタリアへ追放されたフランシスコ・ハビエル・クラビヘーロ(1731-1787)、プロシアの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769-1859)や独立革命を支持したメキシコ生まれのドミニコ会士セルバンド・デ・テレサ・デ・ミエール(1763-1827)らの証言で裏付けられている。
(染田秀藤・関西外国語大学)

研究発表

分科会1〈植民地史〉
司会:立岩礼子(京都外国語大学)

 本分科会では3本の研究成果が報告された。いずれも複数年にわたって調査を続けてきたテーマであり、各々がいかに史料を分析し、どのような結果を導くのかが期待されたと思われる。会場には20名ほどが集まった。本学会における近年の植民地史の分科会としてはまずまずの動員であったと言えよう。八十田報告は16世紀ヌエバ・エスパーニャにてナワ人医師らによって書かれた医術書クルス・バディアーノ写本を特権階級によるスパイス栽培に関連づけて分析した。和田報告は18世紀オアハカのインディオ社会における土地係争の文書を読み解き、村と村がいかなる状況下において協力・対立するか等についての整理・分析を試みた。武田報告はイエズス会グアラニ布教区の住民帳簿Padrónからバリオの存在を指摘し、先スペイン期のカシカスゴがバリオに統合されたのではないかという仮説を提示した。八十田報告には八杉佳穂会員から、和田報告には井上幸孝会員から、武田報告には小原正会員から、研究の方向性や史料解釈などについて質問や示唆があり、フロアにとっても有益であったと思われる。時間の制限もあってフロアを交えた質疑応答は未消化に終わった感も否めないが、休憩時間や懇親会などで議論が続けられたことと推察する。この分科会での刺激を機に、日本における植民地史研究と研究者の交流が一層活発になることを願う次第である。以下は、討論者からコメントを受けた上での報告者自身による要旨である(発表順)。

◯「Libellus de medicinalibus indorum herbis(Libellus)をめぐる歴史的考察」
八十田糸音(大阪大学博士後期課程)
討論者:八杉佳穂(国立民族学博物館)

 本報告では、副王の息子フランシスコ・デ・メンドサが、スペイン国王に謁見する際に贈呈するため先住民医師等に作成を依頼し、1552年に完成した先住民医療の書Libellusの作成から贈呈に至るまでの状況や、本書と謁見との関係について、史料に基づき考察を行った。これまでフランシスコがスパイス栽培の許可を得る目的を持って謁見に臨んだと指摘されていたにも関わらず、先住民医療の書であるLibellusを携行した理由については明らかにされていなかった。本書に記述された医療の内容等の検証の結果、後にフランシスコが栽培や輸出の特権を授与された高価なスパイスの栽培が非常に難しかったため、彼は当時ヨーロッパであまり知られていなかった先住民の薬草の輸出も計画しており、それらを国王に説明する際のカタログとしてLibellusが作成された可能性が高いと結論付けた。質疑応答では、Libellusの内容分析の不足等、重要なご指摘をいただいた。

◯「植民地期メキシコにおけるインディオ村落共同体間の集合意識の揺らぎに関する考察 ―18世紀オアハカの土地訴訟問題を中心に」
和田杏子(青山学院大学)
討論者:井上幸孝(専修大学)

 本報告では、植民地期メキシコのインディオ社会における集合的なアイデンティティのあり方に接近するため、18世紀オアハカの土地係争の事例をとりあげた。ビジャアルタ行政区のインディオ村落共同体プスメタカンは、1730年代以降、支村であるカンダヨクと共同で土地を所有・管理していた。しかし、18世紀末頃から、隣接するネハパ行政区の諸村落共同体と土地所有権をめぐって訴訟が始まる。プスメタカンとカンダヨクは、訴訟を共闘したのちにその共闘関係を解消し、互いに土地をめぐり争うに至った。分析の結果、支村であるカンダヨクが主村からの自立を図りつつも、独立戦争やネハパ行政区の村落共同体などの脅威が去るまでは、プスメタカンの支村であることで得られる利点を戦略的に選び取っていたと結論した。討論者からは、集団を括る際の単位が時代により異なる点や、征服以前の関係がもたらす影響についても考慮するようご指摘をいただいた。

◯「カシカスゴのバリオへの統合―スペイン統治期ラプラタ地域のイエズス会グアラニ布教区の事例」
武田和久(早稲田大学高等研究所)
討論者:小原 正(慶應義塾大学)

 本報告では、在来の先住民社会組織がイエズス会布教区内でカシカスゴと同定され、さらにこれらがバリオと呼ばれる居住区に統合されていくプロセスを、1657年ロレート布教区に関する住民名簿と、カシケの氏名が記された二種類のリストの比較分析を通じて明らかにした。討論者からは、一つのカシカスゴの規模が様々であるにもかかわらず、これに属する先住民が全員同じ家で暮らせたのか否か、またカシカスゴの長であるカシケの権力は時代が下る過程で衰退したか否かという質問があった。これに対して報告者は、カシケと配下の人々の居住形態の問題は、考古学の研究成果も踏まねばならないと答えた。またカシケの権力は、カシカスゴにおいて1世紀半にわたり尊重されたが、軍事、政治組織では権力は衰退していったと、これまでの研究成果を踏まえて返答した。

分科会2〈現代経済社会〉
司会:谷 洋之(上智大学)

 分科会1「現代経済社会」では、光安アパレシダ光江会員(浜松学院大学)による“The Growth in Global Soybean Production: An Analysis of Changes in Soybean Trade in the Early 21st Century”と近田亮平会員(日本貿易振興機構アジア経済研究所)による「ブラジルの社会保障における普遍主義の整備と選別主義の試み:2013年の抗議デモとの関連から」の2本の報告が行われた。光安報告は、表題に明示はされていないものの、近年において大豆の輸出を急速にのばしている主要国の1つとしてブラジルが数えられ、同国の経済と政治社会について知見を深める機会として有用なセッションとなった。
 光安報告は、特に今世紀に入ってから伸長著しい世界の大豆輸出を、一方で近年における経済のグローバル化、その過程における新興国、なかんずく中国の存在に焦点を当て、他方では大豆という農産物の商品特性を視野に含めて、広い枠組みの中に位置づけた上で整理しようとしたものである。それに対し、討論者の浜口伸明会員(神戸大学)からは、本報告による世界経済および大豆貿易の動向整理は的確なものである反面、この枠組みの下で何を分析するのかという点が重要であり、今後の研究展開を期待するとする論評がなされた。
 近田報告は、報告者自身の編による近著『躍動するブラジル―新しい変容と挑戦』(日本貿易振興機構アジア経済研究所、2013年)の成果を基盤に据えながら、特に1988年憲法体制下での社会保障制度および主要社会指標の変化を紹介した後、昨年6月から活発に展開することになった、いわゆる「反ワールドカップ・デモ」の背景およびその歴史的な「新しさ」を論ずるというものであった。それに対し、討論者の山崎圭一会員(横浜国立大学)からは、特定の政策(例えばBolsa Família)が普遍主義なのか選別主義なのかといった確認のほか、デモを行っている人びとの不満は社会保障制度だけで説明することができるのかという疑問が投げかけられた。
 本分科会は、報告者2名だけという小規模なものであり、かつ初日午前中という時間帯ではあったが、それでも20名ほどの出席があり、またフロアからも適切な質問およびコメントが寄せられた。以下、報告者自身による要約である。

○“The Growth in Global Soybean Production: An Analysis of Changes in Soybean Trade in the Early 21st Century”
光安アパレシダ光江(浜松学院大学)
討論者:浜口伸明(神戸大学)

The presentation focused on the development of soybean production in major producing countries and the changes occurred in soybean trade in the early 21stcentury, with special attention given to trade with China. Although the U.S. has been the leading soybean producer and exporter, Latin American countries such as Argentina, Brazil, Paraguay and Uruguay also became important producers and exporters.
The rapid economic development of the Chinese economy in the 2000s, the country’s huge population and improved living standards boosted the demand for commodities and foodstuff, creating a large market for soybeans and soybean-related industries. The analysis of trade data showed that China became the main destination for the U.S., Argentina and Brazil’s soybeans exports in the 2000s. China also started to import larger amounts of soybeans from Uruguay.

○「ブラジルの社会保障における普遍主義の整備と選別主義の試み―2013年の抗議デモとの関連から」
近田亮平(日本貿易振興機構アジア経済研究所)
討論者:山崎圭一(横浜国立大学)

 本報告ではまず、全国民への社会保障の普遍化を謳った1988年憲法に注目し、教育、保健医療、年金、社会扶助、労働・雇用の各分野における制度整備などを概観した。後半では、2013年6月に勃発した抗議デモの概要や政府の対応についてまとめた。ブラジルでは、1990年代の普遍主義的な社会保障制度の整備により貧困層を中心とした国民生活の底上げが実現され、2000年頃からの選別的な社会政策の実施により国民の不平等の是正傾向が強まった。ただし、整備された社会保障は最低限であり問題を抱えている点、社会の不平等は依然として大きい点、これらが全国規模に拡大した抗議デモの要因の一つとなった点を、近年のブラジル社会の特徴として提示した。そして、以前にはなかった全国民を対象とするセーフティ・ネットが曲がりなりにも整備されたこと、しかし、国民の要求がそれらを上回るまでに高まったことを、近年のブラジル社会の「新しさ」として指摘した。

分科会3〈文学・大衆文化〉
司会:田中敬一(愛知県立大学)

 分科会3では、ジュノ・ディアスの小説The Brief Wondrous Life of Oscar Wao、麻薬マフィアが登場する「ナルコテレノベラ」、そしてラテンアメリカの新しい演劇形態「パフォーマンス」について研究発表がなされた。
 最初の発表では、塚本美穂氏(京都外国語大学)は、作品に描かれるオスカー一家の悲劇は単にトルヒーヨ独裁の圧政によるものではなく、ヨーロッパ人による征服後500年にわたりドミニカ共和国を支配してきた<fukú>の呪いによるものであることを明らかにした。また討論者からは登場人物の肌の色が持つ象徴的な意味について、コメントおよび質問がなされた。
 2番目の発表では、野内遊氏(名古屋大学)は2000年代に入ってコロンビア、アメリカ合衆国で量産されたナルコテレノベラの代表的作品とそのストーリーについて報告した。そして従来のテレノベラと比較考察を行ったあと、反社会的テーマを扱うナルコテレノベラが社会風刺的な役割を持っていることを明らかにした。討論者やフロアからは日本のやくざ映画、Vシネマとの違い、放映上の規制についてコメントや質問がなされた。
 3番目の発表では、吉川恵美子氏(上智大学)は1980年代に現れた「パフォーマンス」が、上演する人(パフォーマー)や上演形態(方法)において従来の演劇とは大きく異なることを指摘し、定義付けを行った。これに対し討論者やフロアからは「パフォーマンス」の持つ高い政治的メッセージ性や吉川氏の定義についてコメントや質問がなされた。
 以下、発表者による報告要旨を記す。

○「カリブにおけるFukúの呪いと歴史性―The Brief Wondrous Life of Oscar Waoより」
塚本美穂(京都外国語大学)
討論者:花方寿行(静岡大学)

 本報告では、ドミニカ系アメリカ人作家Junot Díaz (1968-)のThe Brief Wondrous Life of Oscar Wao(2007)を取りあげ、500年以上にわたりドミニカ共和国の歴史を支配してきた<fukú>の呪いを分析し、著者Díazの意図、物語に登場するOscar一家にもたらされた肌の色の継承について考察した。
 <fukú>の呪いは著者が創造したもので、Oscarの祖父や母がRafael Trujillo政権下で受けた生活の苦難として表されている。その呪いは過去の歴史の中で苦しめられて死んでいった人々の魂の叫びであり、著者はOscar、Oscarの母Beliの生き方、またその黒い肌の色に表しているといえる。
 そしてDíazは独裁者の心の闇、権力を握った者のエゴイズムを提示することによって、個人の運命が変えられる理不尽さ、命の尊厳が無視される無念さを作品を通して訴えた。

○「ナルコテレノベラの台頭」
野内 遊(名古屋大学)
討論者:Mauro NEVES(上智大学)

 Sin Tetas No Hay Paraíso(2006年)に始まるナルコテレノベラは、2000年代半ばから中南米諸国で多数制作されるようになった。ナルコテレノベラは主人公が反社会的存在であるなど「既存のテレノベラ」と差異が存在する。しかしナルコテレノベラはメロドラマ/テレノベラの枠組みの内で制作されたため、登場人物の描写(感情表現)、ストーリーの展開等でテレノベラ化、メロドラマ化が見られる。
 発表者は、ナルコテレノベラは、ナルコの歴史などを知る機会となり、比較的肯定的にとらえている。ただし、青少年への影響や物語の内容については細心の注意を払う必要があるということはいうまでもない。

○「社会行動としてのパフォーマンス―ラテンアメリカの新しい演劇のかたち」
吉川恵美子(上智大学)
討論者:佐々木直美(法政大学)

 ラテンアメリカの新しい演劇の形である「パフォーマンス」について、コロンビアの事例に触れながらその社会行動としての意味について検討した。「演劇」がフィクションの枠内に納められる完成された作品であるのに対し、「パフォーマンス」はパフォーマー自身のバイオグラフィーの身体に刻まれた記憶が、観客と共有する時間と空間の中で提示されるアートであることから、現実の世界に対する穿孔性にその特質があり、社会にむけての異議申し立てを行うアートであることを確認した。「パフォーマンス」が社会の抑圧的な構造をあぶりだし、有効的に可視化し、人はいかに行動すべきかを観客とともに考える社会変革の装置として機能し得るなら、トラウマに満ちた歴史を背負うラテンアメリカに相応しいアートの形ではないだろうか。

分科会4〈政治・政策〉
司会:村上勇介(京都大学)

 先住民関連の報告が含まれ、午前中のパネルAと関連して関心を呼んだためか、会場はほぼ満員であった。現地調査を踏まえた報告は、新自由主義全盛後に新たな国家社会関係を模索するポスト新自由主義期ラテンアメリカの位相を各々の観点から照射し、示唆に富んでいた。
 杉田報告は、エクアドルのコレア政権が、経済の拡大と大規模事業優先に転換し、報告者のNGOが支援する教育にも負の影響が出ている実態を示した。大規模校への統廃合などで、地域が育んできた学校が消える例が生じている。討論者からは、中央集権化の下でのNGOのあり方などに関し問題提起があり、会場からは市民の概念などについて質問があった。成果のため、市場経済的な現実主義に傾くボリビアのモラレス政権との共通性が浮かび上がった。
 近藤報告は、パナマの先住民エンベラ特別区について、土地への権利行使が保証されず、森林資源管理の国際的枠組みの実施も停滞する一方、資源利用のための住民の企業体は前進している現状を具体的に述べた。討論者からは、自治に関する内部凝集性や外部アクターの協力の有無、見通しなどについて問題提起があり、会場からは、先住民の意識や生業、ILO169号条約やトリホス政権との関連について質問があった。先住民特別区を早時に創設したトリホスの慧眼とILO169号条約の未批准など現パナマの新自由主義的性格との対比が印象に残った。
 浦部報告は、軍政が導入したチリ独特の選挙制度「二名制」が、二大勢力による安定化の一方、政治エリートの支配と社会からの乖離、選挙への無関心を惹起している現状を分析した。討論者は、近年導入された有権者自動登録制・任意投票と予備選挙制の評価、選挙制度改革の見通しについて問題提起し、会場からは、選挙制度の政党への影響、共産党の政党連合加入の影響などについて質問があった。先進諸国と共通する課題を抱えるチリの「発展度」を印象付け、完成品はない現実政治の本質に迫る報告であった。

○「急激に進むエクアドルの教育改革と国際協力市民組織の役割」
杉田優子(エクアドルの子どものための友人の会)
討論者:生月 亘(関西外国語大学)

 本報告では、コレア政権が行っている教育改革の内容を紹介し、2014年3月のエクアドルでの調査を元に、この改革のもたらしている影響について述べ、教育への市民参加の可能性について言及した。
 普遍的な方法によって質の良い教育をすべての人々に直接提供することを目標として、多方面にわたって行われている政府の教育改革は、一定の成果を上げ支持を得ている側面もある。しかし、下部組織の準備が十分ではなく、また強い中央集権的性格もあって、現場の自己判断が困難であり、その結果特に周辺地域に問題が噴出しており、子ども達が学校に行けなくなったり、地域が廃校の不安に揺れたりしている。さらにこれまで積み上げてきた教育的成果も無に帰するような現象も起きている。
 政府は一方で市民参加を重要な軸に据え制度的にも保障している。この制度を実効的なものとし、上記のような問題の解決をめざす市民の教育参加の動きに触れ、今後の可能性について考察した。

○「土地所有と資源管理のはざまの先住民共同体─パナマ東部先住民エンベラによる自治の現在」
近藤 宏(国立民族学博物館外来研究員)
討論者:受田宏之(東京大学)

 パナマは憲法や法制度上は先住民の自治について肯定的な評価を受けてきた。その根拠となるのが、特別区(Comarca コマルカ)制度の存在である。特別区は、先住民に対して境界確定された領土への権利を認めるとともに、先住民自身が選出した代表者を長とする評議会をその統治機関として承認することに特徴がある。
 承認された諸権利の行使や制度の運営を通じて現象するものとして自治を取り上げる観点から、1983年に制定されたエンベラ=ウォウナン特別区を事例にパナマにおける先住民自治を考察した。非先住民による不法利用に対する権利行使が法的に阻まれる一方で、国際的なアクターを巻き込む資源利用の問題領域では新しい動きが進められる。そのふたつをつなぐように、資源利用を通じて土地の権利に実質を与える起業設立が自主的に進められている。

○「チリにおける政党システムの硬直化と政治不信―「二名制」選挙制の構造的問題」
浦部浩之(獨協大学)
討論者:安井 伸(慶應義塾大学)

 議会における親軍政派の議席配分を高めることを狙いとして1989年の民政移管時に導入されたチリの「二名制」選挙制度は、当初の想定を超えた構造的問題を抱えて今日まで続いてきたといえる。「二名制」は与野党を硬直的に2つの連合に分ける政党システムを定着化させるとともに、両勢力から1名ずつが当選する構図を既定路線化した。そのため選挙戦術上の力点は、各候補者にとっては相手方陣営に勝利することよりも同じ政党連合内から立つもう一人の候補にいかに勝利するかに、また各政党にとっては政党連合内の交渉でいかに自党に有利なように出馬枠を獲得するかに置かれるようになっている。しかしこれらのことは、候補者間の健全な政策論争を埋没させ、また候補者指名をめぐる政党執行部間の談合や取引を助長する傾向を強め、市民の間での政党不信を高める結果を招いている。「二名制」の改革は、今日のチリにおける最重要の政治課題である。

分科会5〈先住民のアイデンティティ・移民〉
司会:山本匡史(天理大学)

 本分科会では以下に示す三本の報告がおこなわれた。いずれもメキシコを対象とした地域研究であるが、それぞれの研究テーマにはユニークな視点が盛り込まれ、討論者ならびにフロアをまじえた活発な議論が展開された。
 渡辺報告は、近年のメキシコ研究のなかではすでにメジャーな研究対象となりつつある米国移民の問題について、メキシコ、ユカタン州ペトからカリフォルニア州サンラファエルへの移民事例を取りあげ、とくに移民活動の契機となった神父の動向と移民活動初期の様相についてきわめて具体的かつビビッドに描き出そうとした試みである。
 また、ユカタン州ウスピビルにおける伝統衣装イピルに焦点をあてた大倉報告は、これまで伝統衣装あるいは染織の研究の中心であったといえる高地マヤではなく、あえて低地マヤの事例に目を向けることにより、たんなる伝統衣装の継承的着装者としてではなく、製作者としての視線から形成されるマヤ・アイデンティティの解明をおこなった。
 さらに岸下報告は、いわゆる真正な先住民性という問題についてメキシコにおける文化人類学研究史をたどりながら理論的検証を試み、メキシコ市ミルパ・アルタ行政区における自身のフィールドワークをまじえながら今日的なコンテクストにおける先住民性についての再定義を提示しようとした。
 討論者をふくむ議論では、方法論や研究方向性についての掘り下げた指摘もなされたが、とりわけ若手研究者の手による新鮮な研究テーマの発掘は、今後のラテンアメリカ研究のあらたな段階を予感させるものであるとの印象を抱かされた。以下は、報告者自身による要旨である。

○「メキシコ・ユカタン州ペト市からカリフォルニアに渡った5001人の移民たち」
渡辺 暁(山梨大学)
討論者:北條ゆかり(摂南大学)

 昨年の定期大会に引き続き、メキシコ・ユカタン州ペトからアメリカ・カリフォルニア州サンラファエルへの移民について報告を行った。今回はペトからの移民がいかに始まったかに焦点をあて、最盛期には5000人とも言われたこの町からの移民は、1970年代末にカリフォルニアから派遣された一人の司祭が、帰任に伴って5人の若者を呼び寄せたことではじまり、その後も彼が多くの若者たちの越境に協力したことから、拡大していった経緯を紹介した。使用した資料は、ペトの元中学教員が政府の助成を得て出版したインタビュー集や司祭の友人のブログなどである。質疑応答では、これらの資料の信頼性、そして今後のさらなる研究のために何をすべきか、といった点について、コメンテーターの北條会員ならびに、カリフォルニアやユカタンでフィールドワークのご経験がある桜井会員・鈴木紀会員から、貴重なご意見をいただいた。この場を借りてお礼申し上げます。

○「『マヤ』を刺繍する―メキシコ、ウスピビルを事例に」
大倉由布子(メキシコ国立自治大学博士後期課程)
討論者:本谷裕子(慶應義塾大学)

 本発表では、メキシコはユカタン州に位置するウスピビル村の伝統的な衣装および布に着目した。そして、それらにはどのような意味・機能が与えられているのかを探った。
 外に出て働くことができない、ユカタンに暮らすマヤ系先住民女性にとって、衣装や布の作成・販売は、生活を支える手段として重要である。女性たちは、布の仲介業者を頼りに、または自らの手で、村の外でそれらを観光客相手に売る。日常生活において、衣装や布は、生活手段としての意味を強く与えられているが、それが一歩村の外に出ると、そこでは、「マヤ」としての意味を含意する。その言葉こそ、観光客が求めるものだからである。したがって、本発表では、マヤ系先住民女性が意図していなくとも、彼女たちの手から作り出される衣装や布は、生活を支えるために、村の外では戦略的に「マヤ」という意味が与えられていると結論付けた。

○「現代メキシコの部分的帰属としての「先住民性」―真正の先住民からメスティーソ性を経由した先住民へ」
岸下卓史(立教大学博士後期課程)
討論者:黒田悦子(国立民族学博物館)

 メキシコの国民国家化の過程で、理想の国民、メスティーソが要請され、その国民カテゴリーから除外された人々は真正な先住民という認識でもって括られた。この認識は、メキシコの知識人によって具体的に定式化され、人々が社会を捉える際の枠組みになった。だが、Bonfil Batallaは、国民国家化の中で、「深遠のメキシコ」でもって先住民性の遍在を指摘した。先住民性は、今日、特定の人々や場所に縛られずに改変されうる、人間の無数の社会的帰属のうちの一つである。境界づけから生じる真正な先住民性は、オアハカ州ミへの市場網や移住現象を描写した黒田や、怨嗟として現れるナショナルな帰属意識を取り上げる落合の研究に見出せる。しかし、今日、貨幣経済、母語喪失、情報技術、慣習の衰退といった文脈で生きる先住民は、真正性ではなく、メキシコ市の原村落で観察される部分化やメスティーソ性との関わりでも解釈される必要がある。

分科会6〈近現代史・思想〉
司会:青木芳夫(奈良大学)

 分科会6<近現代史・思想>では、メキシコ・ボリビア・アルゼンチンについて計3本の報告があった。ここでは先住民族への関心を中心に紹介する。
 第1報告 山﨑眞次(早稲田大学)「ヤキ族の反乱―政府の調停機能の観点から」〔討論者〕小林貴徳(愛知県立大学客員研究員):山﨑報告では、ディアス政権期にユカタン地方のエネケン・プランテーションに奴隷として売却されたことで有名なヤキ族の歴史が取り上げられた。植民地時代におけるイエズス会の伝道村としての特異な歴史や、メキシコ独立以降の、特にディアス政権期における、土地の喪失と反乱の歴史、そして北部辺境地帯という地理的条件からくる労働力不足と、それによる伝統的な労働集約的農業のアセンダドとヤキ族との協調関係の成立が明らかになった。
 第2報告 藤田護(東京大学大学院)「20世紀初頭のボリビアのカシーケス・アポデラードスの運動に関するアイマラ語オーラルヒストリー資料―その回復作業と読みの試み」〔討論者〕眞鍋周三(兵庫県立大学):藤田報告では、20世紀前半のボリビアにおける先住民共有地を守るためのカシーケス・アポデラードスと呼ばれる先住民運動が取り上げられた。発表者自身が共同で参加している、この運動に関するアイマラ語によるオーラルヒストリー資料の回復作業の途中経過が報告されるとともに、文献資料に基づくこれまでのオフィシャル・ヒストリーからはうかがい知れないような、運動指導者や関係者の世界観や歴史観、生活観の一端がオーラルヒストリー資料に基づいて紹介された。
 第3報告 遠藤健太(名古屋大学院生・日本学術振興会特別研究員)「20世紀初頭のアルゼンチン・ナショナリズム思想にみられた『イスパニスモ』言説および『メスティシスモ』言説の特質についての考察」〔討論者〕睦月規子(日本大学非常勤講師):遠藤報告では、20世紀初頭における「百周年世代」を中心としたアルゼンチンのナショナリズム思想が取り上げられた。「百周年世代」がマヌエル・ガルベスやリカルド・ロハスに代表されること、「百周年世代」のナショナリズムではイスパニスモとメスティシスモが共存し、19世紀のような生粋主義から混淆主義的なものへと転換していること、特にロハスにおいてはインディオ性が再評価され、欧州的要素との混淆が主張されたことが明らかになった。
 以下は、発表者自身による要旨である。

○「ヤキ族の反乱―政府の調停機能の観点から」
山﨑眞次(早稲田大学)
討論者:小林貴徳(愛知県立大学)

 19世紀のヤキ族の反乱原因について先行研究が論じていない「政府の調停機能」の観点から分析した。植民地時代には政府がアセンダドと先住民間の土地係争には比較的中立的立場で調停機能を発揮したが、独立以降は、政府とアセンダドが結託したために追い詰められた先住民農民は反乱を余儀なくされた。植民地時代にソノラ地方で政府に代わり白人植民者からヤキを庇護したのはイエズス会であり、伝道村を介して両者の軋轢を緩和した。独立以降、カヘメらの先住民リーダーは部外者の侵入を食い止めた。だが資本主義的近代農業を推進するディアス政権では、州政府とアセンダドが結託したために調停者を失い、孤立したヤキは武装蜂起したが、鎮圧された。他地域と異なるのは、過疎地における労働力不足という特殊な事情によって伝統的な集約的農業を行うアセンダドとヤキの間に同盟が成立したことである。

○「20世紀初頭のボリビアのカシーケス・アポデラードスの運動に関するアイマラ語オーラルヒストリー資料―その回復作業と読みの試み」
藤田 護(東京大学大学院)
討論者:眞鍋周三(兵庫県立大学)

 藤田報告では、報告者がボリビアのラパス市のアンデス・オーラルヒストリー工房と共同で進めている、20世紀前半のカシーケス・アポデラードスの運動のオーラルヒストリー資料の回復作業の進展を報告しつつ、その読解を試みた。そこでは、アイマラとインカの関係やヨーロッパ植民地主義について、アイマラの人々による独自の解釈がなされていること、先住民と白人の関係が二項対立的に認識されており、いずれ到来する白人の退出が予告されていること、「生活」とそれと関連した人々の「活動」についてアイマラ語独自の捉え方がなされていること、そして口承文学やアンデスの宗教とオーラルヒストリーの語りが密接に結びついていること、などが明らかになった。これは、アイマラの人々による歴史の語りがどのように構成されているか、その一端を明らかにすることとなった。

○「20世紀初頭のアルゼンチン・ナショナリズム思想にみられた『イスパニスモ』言説および『メスティシスモ』言説の特質についての考察」
遠藤健太(名古屋大学院生・日本学術振興会特別研究員)
睦月規子(日本大学非常勤講師)

 本報告は、「百周年世代」(20世紀初頭)のナショナリズム思想にみられたイスパニスモ言説/メスティシスモ言説と、前世代(19世紀)の親スペイン言説/親メスティーソ言説との間に、いかなる質的相違があったかを示し、百周年世代の思想的特質を明らかにすることを試みるものであった(百周年世代の言説としては、Manuel GálvezおよびRicardo Rojasのテクストを取り上げた)。
 分析の結果として、次のように結論づけた。まず、19世紀の親スペイン言説/親メスティーソ言説は、アルゼンチンに移民や外来文化が流入することを拒絶し、旧来の「スペイン性」や「メスティーソ性」の保持を志向するという、生粋主義的な性質を有していた。これに対して、百周年世代は、「スペイン性」や「メスティーソ性」をアルゼンチン性の核心として据えながらも、移民や外来文化を積極的に吸収し、それらとの混淆を通じて新しい国民性を形成することを志向するものであった。

パネルA「サパティスタ村落における自治構築の歩み―蜂起20年の現状と課題」
責任者:柴田修子(同志社大学嘱託講師)

 サパティスタ民族解放軍がメキシコチアパス州で蜂起して20年が経過した。当初こそ注目を集めたものの、政府との交渉で有益な結果を出すことはできないまま断絶に至った現在、メキシコにおいてすら忘れられつつあるかのようである。しかしその一方、自治区宣言を行ったサパティスタの村においては運動は現在進行形であり、試行錯誤しながら政党政治に頼らない自治のあり方の模索が続けられている。また2013年村に外部の人を招いて自治のあり方を紹介する「エスクエリタ」という取り組みが始まり、一時弱まっていた市民社会との結びつきを強めようとしているようにも見える。このパネルでは、サパティスタ村落で行われている自治構築の歩みをたどり、蜂起20年後の現状と課題を分析した。
 1)まず小林致広(京都大学)が「サパティスタ蜂起から20年、自治構築の歩み」と題して、自治区の再編過程および自治区内での経済活動について報告を行った。蜂起後大規模農場を先住民の手に「取り戻す」として占拠する運動が活発化したが、それらの土地を得た人々がその後、サパティスタを脱退することを条件に政府から土地権利書を得たケースが少なからずあることが明らかにされた。小林の結論は、サパティスタの自治はそれぞれの地域に合わせた独自の考えに基づいて行われており、すべてに応用できるような共通モデルがあるわけではないというものである。
 2)ついで佐々木祐(神戸大学)が「先住民自治構築の課題と現状―Escuelitaの事例から――」と題し、報告を行った。彼は2013年12月から1月にかけて行われたエスクエリタへの参加をもとに、この試みのあり方や意義を紹介するとともに、村が抱える課題について分析した。彼によれば中心村ではインフラの整備が進みつつあるものの、無計画な増設のため無駄の多いものになっているとのことである。また自治区内における格差、女性の登用が言説ほど進んでいないことなどが指摘された。佐々木の結論として、上記のような課題を抱えながらも運動に見いだせる意義とは、「メキシコ革命が到着しなかった」と揶揄されるチアパスにおいて、サパティスタ運動が起こったことで初めて「先住民が近代的主体として政治に参加でき」、また「多様な近代化のための知識が新たな世代に形成されたこと」にある。
 3)柴田修子(同志社大学嘱託講師)は「ラカンドン密林地域における自治構築の現状」と題し、2003年に行われた自治区再編の意義と課題について報告した。2003年に行われた自治区の再編は、①政党政治の拒否、②「軍」による統治の廃止と各地域の自治区を統括する評議会の創設、③村の不均衡の是正という3つの目的を持っていた。一方サパティスタ村落の経済活動には、①運動を維持するための活動、②個人としての活動があり、①は利潤を生むシステムになっていない。農作物販売価格の低下により、②は苦しくなる一方であり、2000年前後から米国へ出稼ぎに行くケースが増加した。その結果、村落内において経済格差が起きつつあることが報告された。柴田の結論は、サパティスタとしての活動は経済的豊かさを保障するものではないため、今後の展開は自治区の運営がその構成員にとってどの程度説得的であるかにかかっているというものである。
 以上を踏まえ、山本純一(慶應義塾大学)がコメンテーターとして論点整理とパネリストへの質問を行った。運動としての「オープン性」への疑義や、言説と実態とのかい離、経済的自立の困難性など、批判的な立場からコメントがなされた。これに対しパネリストは、オープン性は外部と内部の二方向あり、前者は閉鎖的、後者は開放的との反論を行った。実態については、山本のコメントに一定の説得力があると筆者自身考えている。しかしながらサパティスタ運動は「あるべき理念」が先にあるというより、現実に対処しながらその都度試行錯誤を繰り返し、運動を存続させてきたことに特徴があるのであり、「理想」からの逸脱としての「現実」をどうとらえるかで見方が変わるのではないかと暫定的に回答した。なおコメンテーターは、報告ペーパーをもとにまとめた論点を事前にパネリストに送ってくださっており、議論の活性化につながった。ここに謝意を表する。
 フロアからは、エスクエリタへの関心や研究としての位置づけなどのほか、「先住民研究は傍流として扱われ、メインストリームにいる研究者から合理的選択として理解されないことにどう対抗するか」といった、研究の本質に関わる質問も出された。フロア参加者も交えて議論が大いに盛り上がるなか、時間の制約により閉会となった。

パネルB「キューバ音楽の政治力学―政治学、文学、文化人類学」
責任者:柳原孝敦(東京大学)

 音楽には二重性・多重性がつきまとう。作家、演奏者、聴衆、踊り手、プロデューサー、二次利用する者、等々、様々な音楽へのアプローチがあるからだ。したがって、音楽についての研究もこれらの多重のアプローチに対応しなければならない。以上の立場から、本パネルではキューバの音楽、およびキューバやキューバ人に深く関係する音楽を多角的に扱った3つの発表がなされた。
 (1)工藤多香子(慶應義塾大学)「キューバのダンス音楽における『アフリカ性』の再検討——timbaは『黒人』の音楽か」は1990年代に流行したtimbaと呼ばれるスタイルのダンス音楽を取り上げた。歌詞にサンテリーアなどを引用するtimbaに関して、先行研究では「アフロキューバ人の声」などと評価されている。一方で「新アフロキューバ文化運動」の研究においては、timbaのことは取り上げられていない。明らかにアフロ性を前面に押し出したラップとの違いを検討するなどして工藤会員は、先行研究におけるtimba評価に疑問を呈した。
 (2)柳原孝敦「劇場と祭のトポス——カルペンティエールの場合」は、音楽プロデューサーとして、あるいは音楽研究者、評論家として、そしてまた音楽を取り込んだ小説を書いた作家としてのカルペンティエールに焦点を当てた。ポピュラーな音楽に関してはそれが奏でられる祭礼(特に19世紀キューバの黒人たちの公現祭)、アカデミックな音楽に関しては劇場といった、小説にあっては伝統的なトピックに組み込み、それに独自の要素を加えようとする態度を分析した。
 (3)細田晴子(日本大学)「キューバ発音楽の可能性——移動の政治学」はさしたるハード・パワーのないキューバが、文化と政治の理論の常識に反してその音楽を世界に普及することができたのはなぜか、との問いから出発し、キューバ音楽の流行の歴史やその特徴を概観した後に、特にニューヨーク、マイアミ、ハバナの3地点でのキューバ人による音楽の生産/受容関係、その政治性を分析した。
 以上の3報告に対し、ディスカッサントの倉田量介会員(東京大学非常勤)からは、timbaの流行は1991年のソ連邦の崩壊に始まる社会変化の中で生まれた経済格差に伴うものであるとの指摘で工藤報告への補足的議論が提示され、社会学的な「大衆論」の立場から、カルペンティエールが示した「ポピュラー音楽」への態度について質問が発せられた。かつ、細田報告に対しては、サルサやソンはその発生において文脈が異なるのであり、「キューバ音楽」もしくは「キューバ発」の音楽というものの定義に疑問が呈せられるべきだとの指摘がなされた。
 本パネルでは、そもそも多重性を孕む音楽に対して多元的アプローチを試みたものであるので、多少の定義の揺らぎが生じたことはやむをえなかったのかもしれない。が、革命以前および革命体制内でのキューバ音楽(とベネズエラ音楽)に深くかかわったカルペンティエールについての研究を間に挟み、冷戦構造の崩壊時のキューバ国内と、そのキューバをもグローバル化の波に巻き込もうとする国外の音楽と社会および音楽産業の動向を捉え、包括的で新たな視点をもたらすものとなった。

パネルC「二つのアルゼンチン―移民と国民の相互浸透性」
責任者:井垣 昌(早稲田大学)

 「二つのアルゼンチン―移民と国民の相互浸透性」と題する本パネルでは、最初に全体の主旨として、白人至上主義に基づく国民国家の形成プロセスでは移民が過去および周縁に位置付けられてきた一方で、その他者性の創出を考察することが、近現代アルゼンチンの社会形成の理解に繋がることを提示した。この理解を目的として、時代、出自、地域などが異なる4つの「移民」研究から、以下の報告が行なわれた。

第1報告:「『移民国家アルゼンチン』の建設過程―国家と移民組織の補完関係」
大場樹精(上智大学イベロアメリカ研究所)
第2報告:「『邦人』の終わり―国民社会と日系コミュニティの変容」
石田智恵(日本学術振興会)
第3報告:「『閉じたユダヤ人コミュニティ』イメージをめぐって―ユダヤ人地区の変遷と現在」
宇田川 彩(東京大学)
第4報告:「祝祭をめぐる文化表象のエスニシティ―ボリビア移民コミュニティとアルゼンチン社会における越境」
井垣 昌(早稲田大学)
討論者:鈴木茂(東京外国語大学)

 大場報告では、アルゼンチンにおける初期の国家建設を、国家と移民コミュニティによる補完関係という視点で考察した。結論として、公的制度が未整備の分野では移民コミュニティの制度建設が先行し、アルゼンチン国家そのものが移民コミュニティに依存するかたちで建設されていったことを主張した。フロアからは、なぜアルゼンチンでは連帯や相互扶助という動きが移民コミュニティ単位で結実したのかという質問や、移民コミュニティの制度が存続した期間の差の背景に関する質問があった。
 石田報告では、外国人としてのコミュニティが少数派アルゼンチン人のコミュニティへと移行する過程において、出身国と居住国の2つのナショナリティはどのように現れるのか、という問いを立てた。そのアプローチとして、1980年代、日本人移民コミュニティの「アルゼンチン化」のターニング・ポイントといえる「百年祭紛争」を取り上げて考察した。フロアからは、沖縄系の人々を「邦人」「日系人」に一律に含めて論じることに注意を促すコメントや、コミュニティ・組織から離れた単独の活動によってアルゼンチン社会で名の知られた日本人についての考えを問う声が寄せられた。
 宇田川報告では、移民と「空間」という側面に焦点を当て、オンセ地区を事例に考察した。「ユダヤ人は閉じている」というイメージが、空間的な可視性とともに、コミュニティ内部の多様性や葛藤を反映した反ユダヤ主義にとどまらない要因に起因していることを指摘した。フロアからは、「正統派の影響力増大」という論点について、「世俗と宗教」という分け方への疑問や、「グローバルなレベルでの価値の一元化への反動という側面」について指摘があった。
 井垣報告では、移民コミュニティとアルゼンチン社会の形成における他者化と境界性に焦点を当て、祝祭を異文化の出会う場として捉え、コルドバにおけるボリビア文化表象を事例に考察した。祝祭をめぐる社会関係構築と文化表象にアルゼンチン人が、アルゼンチンの国家表象にボリビア移民コミュニティが、相互に参加する重層性を指摘した。フロアからは、分析の対象にブエノスアイレスの事例を含めずにアルゼンチン全般に普遍化できるかという質問があった。
 討論者の鈴木茂会員は、本パネルの主題である移民と国民をめぐって、アルゼンチンをブラジルの人種混淆イデオロギーと対比すると同時に、移民に対する同化圧力による移民研究の遅れという共通点を指摘し、80年代以降に顕在化したアルゼンチン社会の「多文化化」「ヨーロッパ化プロジェクト」の破綻という本パネルに共通する背景をふまえ次の2つの質問を提示した。①移民と国民の相互浸透を分析することは、マイノリティのエスニシティ構築過程そのものの解明につながるのではないか、その過程自体(他者が同化されずに独自の場所を見いだす過程)はそれぞれの研究対象においていかなるものか。②近代移民の研究を取り込んだ多文化化以降、それまで抹殺されていた先住民やアフリカ系住民に関する歴史叙述にはどのような変化があるか。
 ①については具体的な例を挙げて各報告者が回答した。②について、パネルからは、20世紀前半の学校教育において先住民は植民地期に絶滅したという言説が数十年間続いたものの1990年代には過去形による記述に異議申し立てをする社会的な動きがあったこと、afrodescendienteに関する国勢調査の項目および記念日が近年になって設けられたことなどが挙げられた。フロアから、回答が不十分ではないかという指摘とともに「先住民とアフリカ系住民の存在は民族学研究に回収されており歴史叙述において両カテゴリーは不在である」という示唆的な指摘があった。
 民政移管から30年が過ぎ、経済危機や建国二百年祭といった近年の歴史的な変換点を経て、パネルメンバーはそれぞれ異なる研究手法によりながらも、二項対立の軸を超えたアルゼンチン像を見出すことに努めてきた。「相互浸透」や歴史的な「沈殿・堆積」という語がキーワードに浮び上ってきたのも、パネル内で次第に共有されてきたイメージを包括的な概念として提示するためであった。アルゼンチンに対する社会科学的な認識において関心事や用語が変遷してきたのと同様に、我々もグローバル・ナショナルなレベルでの言説に影響を受けている。フロア・討論者からの補完、批判を受け、今後も研究を進めていきたい。

パネルD「貿易自由化の戦略と太平洋同盟諸国の展望」
代表者:清水達也(アジア経済研究所)

 本パネルでは、メキシコ、コロンビア、ペルー、チリの4カ国がメンバーとなり2012年6月に発足した太平洋同盟(Alianza del Pacífico)を取り上げた。地域経済統合としての太平洋同盟の特徴のほか、加盟国における貿易・投資の自由化への取り組みや、ラテンアメリカ地域における経済統合としての位置づけについての考察を報告した。約40名が参加し、活発な意見のやりとりが行われた。パネルの構成と内容を以下に紹介する。

①堀坂浩太郎(上智大学)「太平洋同盟の形成とラテンアメリカ地域主義の中での位置付け」
②安原 毅(南山大学)「メキシコ:貿易自由化の次に目指す(べき)もの―収穫逓増産業の可能性」
③北野浩一(アジア経済研究所)「チリの政治環境変化と太平洋同盟への対応」
④尾尻希和(東京女子大学)「コスタリカと太平洋同盟―新しい利害調整システムの形成に向けて」
⑤コメント 清水達也(アジア経済研究所)

 堀坂報告は、通商面での結びつきがそれほど強くない4カ国が地域経済統合を形成した狙いとして、アジア太平洋地域におけるダイナミックな経済成長の取り込みのほか、存在のアピールやビジネス・プラットフォームの提供を指摘した。ラテンアメリカでは1990年代以降も南米南部共同市場(メルコスール)や米州ボリバル人民同盟(ALBA)などの地域経済統合が進められた。2010年代に入ってこれらの試みが停滞する中で、経済政策の方向性に親和性を持つ国々が、既に相互に締結している自由貿易協定(FTA)を活用してスピード感のある地域経済統合を実現したと評価している。太平洋同盟の形成をきっかけに、「太平洋同盟vs.ボリバル人民同盟+メルコスール」「開放経済vs.閉鎖経済」などラテンアメリカ二分論が広がっているが、これらの二分論には与せず、より広域な経済統合の形成へと目を向けるべきと主張した。
 安原報告は、太平洋同盟を既存のFTAを上書きするものだと指摘したが、その上書きの意味として、財・サービスや資本だけでなくヒトの往来も含んだ自由化の推進、環太平洋経済パートナーシップ協定(TPP)を見据えた協議、域内の生産ネットワークの構築による中小企業の強化の可能性を挙げた。特に原産地規制の統一は域内外の分業を促すとしている。ただし中国をはじめとする域外からの中間財の輸入拡大や、域外企業による技術の独占などの問題が残るとしている。
 北野報告は、これまで市場経済化の推進に積極的だったチリ政府の経済政策が、大きく変わる可能性を示唆した。その理由として、医療や教育において政府がより積極的な役割を果たすことを期待する国民の声が大きくなっていること、それを背景に政権の支持基盤が左傾化していることを指摘した。右派のピニェラ政権はこれまで、南米諸国連合(UNASUR)への対抗軸として太平洋同盟に積極的に取り組んできたが、左派のバチェレ政権への交代によって、純粋に経済同盟としての取り組みに変わるとしている。
 尾尻報告は、1990年代以降のコスタリカはエコノミストやテクノクラートなどの新エリートの影響力拡大により、新自由主義に基づく経済政策が進められた点を説明した。しかし年金基金、医療サービス、医療保険、通信事業については国営も維持されているほか、米国とのFTAでは大規模な抗議活動が発生するなど、新自由主義路線を国民が積極的に支持しているわけではないことを示した。今年初めに行われた大統領選挙では、FTAに反対するソリス候補が当選した。しかし議会はFTA推進派が多数を占めたことから、経済統合に関する今後の取り組みは注視する必要があるとしている。
 清水は報告に対するコメントとして、自動車産業のメキシコへの集中に見られるように同盟内の格差が発展の妨げになりかねない点のほか、外部環境の変化によっては輸出主導型経済成長の有効性が失われる可能性について指摘した。
 質疑応答では、政治的な協力フォーラムであるUNASURと経済統合である太平洋同盟は対立しないとする意見が出された。太平洋同盟を対外政治に利用しようとした右派政権にとっては対立関係にあったが、左派のバチェレ政権はすでに共存の道を探ると表明しているという回答があった。太平洋同盟は加盟諸国による「米州からの卒業」ではないかという質問に対して、指摘の通りラテンアメリカの外を意識して形成した地域経済統合であるという回答があった。経済が成長しているにも関わらず治安の悪化など社会問題の改善が見られないという指摘に対しては、メキシコの場合にはここ1年は経済的にも好調でないこと、そして麻薬問題が治安悪化の重要な要因であるという回答があった。コスタリカではピストルが簡単に手に入るなど武器のグローバル化が治安悪化の要因になっているという指摘があった。

シンポジウム
「共生経済と多元的社会―ラテンアメリカから日本へ―」
La búsqueda de un modelo económico alternativo fundado en la solidaridad social: la Economía Solidaria en los ámbitos de la producción, las finanzas, la circulación y el consumo
Luigi Alberto Di Martino(関西外国語大学)

趣旨説明:Luigi Alberto Di Martino
司会:小池洋一(立命館大学)
報告1:杉村めぐる(一橋大学)「回復企業運動にみる共生経済の展望―共生のための闘争」
報告2:西部 忠(北海道大学)「地域通貨とマイクロクレジットによる連帯経済の試み―ブラジル・パルマス銀行から何を学ぶべきか」
報告3:山本純一(慶應義塾大学)「共生経済とフェアトレード―ローカルからグローカルな互酬へ」
報告4:Luigi Alberto Di Martino(関西外国語大学)“Consumo Crítico y Economía Solidaria: el caso de los Grupos de Compra Solidarios”
コメンテーター:篠田武司(立命館大学)、幡谷則子(上智大学)

  El tema central del simposio fue el análisis de las posibilidades concretas y los obstáculos existentes para la difusión de organizaciones, movimientos sociales e instituciones que colocan a la sociedad civil en el centro de la escena en diversos ámbitos de la economía: la producción, las finanzas, la circulación y el consumo.
  Estas organizaciones han surgido y se han desarrollado como respuesta al avance de las políticas económicas neoliberales, que han conducido al poder casi irrestricto (desregulado) de las relaciones económico-sociales centradas en el mercado en los diversos ámbitos de la actividad económica. Esto ha favorecido la concentración del capital, la distribución desigual de la riqueza y la atomización y despersonalización de las relaciones sociales, todo ello gestionado a un nivel cada vez más lejano del ámbito local. A lo largo de este proceso, la competencia se adueña de más espacios de la vida social en desmedro de la cooperación, los bienes comunes pasan a ser privados y la mercantilización invade espacios de la vida cotidiana que antes no eran objeto de intercambio.
  Los desarrollos institucionales que suelen ser agrupados bajo el nombre de Economía Solidaria surgen paralelamente en diversos ámbitos de la economía y en diversas regiones del planeta, tanto en países desarrollados como subdesarrollados, como reacción a estas tendencias a la globalización y a la atomización de los vínculos económico-sociales, intentando privilegiar las relaciones sociales directas entre individuos residentes en un mismo ámbito local y su solidaridad a todos los niveles hasta arribar al nivel global. Se trata de que los individuos tengan poder de decisión y a su vez responsabilidad sobre los aspectos más inmediatos de sus vidas cotidianas.
  El término Kyosei Keizai(共生経済)o Economía Simbiótica captura muy bien el sentido de estos intentos. Se trata de compartir las experiencias vitales, evitando la tendencia a la atomización y a la competencia, de decidir juntos y de corresponsabilizarse de las consecuencias de esas decisiones, de enriquecerse material y espiritualmente a través de estas relaciones.
  Katsuto Uchihashi(内橋克人)ha acuñado el término Kyosei Keizai para referirse a diversas experiencias del tipo mencionado más arriba y ha ubicado su punto de partida, su base, en los ámbitos de la producción y el consumo de alimentos y de energía y en la creación de monedas locales que facilitan la provisión de servicios de asistencia social entre los ciudadanos. La sigla FEC (Food, Energy, Care) es utilizada para resumir estas tres áreas de incidencia básicas de Kyosei Keizai.
  Es fundamental que estas actividades sean desarrolladas por los propios ciudadanos a nivel local y que contribuyan a la autosuficiencia de la localidad de que se trate(1). Se coloca así en el centro de este proceso a la sociedad civil y a una relación solidaria entre sus miembros, desplazando al “mercado”, cuyas relaciones impersonales alienan a los diversos agentes económicos.
  Makoto Sano(佐野誠)ha trasladado estas consideraciones del nivel local al nivel nacional y las ha propuesto como el medio más importante para expandir la demanda en las sociedades maduras(2). Lamentablemente, en momentos en que le Profesor Sano trabajaba para difundir y profundizar el uso del término Kyosei Keizai en el ámbito de la teoría economía, se ha enfermado y nos ha dejado a temprana edad y en medio de un fecundo trabajo. De hecho, él había sido encargado de organizar este simposio. Esperamos poder, dentro de nuestras posibilidades, hacer fecundar el trabajo iniciado por él y por Katsuto Uchihashi.
  Las cuatro exposiciones presentadas durante el simposio trataron de desarrollos institucionales de la Economía Solidaria en los ámbitos de la producción, las finanzas, la circulación y el consumo, cubriendo así diversas fases del circuito económico y sus interrelaciones, ya que cada estudio de caso incluye vínculos entre las diversas fases. Presentamos estudios de caso realizados en diversos países e intentamos evaluar sus éxitos, dificultades y las posibilidades de reproducción de estas experiencias en otras realidades sociales, políticas y culturales.
  En cuanto al proceso de producción, Meguru Sugimura presentó el caso del Movimiento de Fábricas Recuperadas en Argentina. El auge del neoliberalismo, particularmente durante la década de 1990, generó un gran número de quiebras, especialmente entre las pymes (pequeñas y medianas empresas).Este proceso de desindustrialización se agudizó durante la crisis que comenzó a finales de 2001. Los obreros que perdían su trabajo se encontraban con grandes dificultades para encontrar otro empleo y en muchos casos decidieron gestionar el proceso de producción por sí mismos bajo la forma de cooperativas de producción. Estas experiencias generaron el Movimiento de Fábricas Recuperadas, que condujo incluso a una reforma de la ley de quiebras.
  En cuanto al financiamiento de la producción y el consumo, las microfinanzas, orientadas a permitir que los sectores más empobrecidos de la población puedan encarar pequeños proyectos económicos en forma independiente y mejorar sus condiciones de vida, surgieron en países subdesarrollados durante la década de 1980. Makoto Nishibe presentó el caso del Banco Palmas, creado en 1998 en las afueras de la ciudad de Fortaleza, en el Estado de Ceará, en el noreste de Brasil. Este banco emitió su moneda local y ésta fue utilizada para financiar las actividades de empresas locales y para activar a la economía local, siendo uno de los casos pioneros en su tipo aún a nivel mundial en que el banco desempeñó un importante papel para crear lazos solidarios en el seno de la comunidad local.
  En el ámbito de la circulación, el Comercio Justo intenta que el consumidor tenga conciencia de los derechos básicos del productor y subsume el papel del mercado a los derechos sociales básicos de los productores, como el derecho a la educación de sus hijos. Junichi Yamamoto en su exposición vinculó teoría y práctica de la idea de Kyosei Keizai tomando como objeto de estudio la historia y el presente del movimiento del Comercio Justo como alternativa en la construcción de un modelo social sostenible. Se referió en particular al caso de Cooperative Coffees, una red de 23 organizaciones de pequeños y medianos torrefactores de café en granos que realizan sus negocios en estrecha relación con las comunidades de origen del producto.
  En el ámbito del consumo, Di Martino presentó el caso de los Grupos de Compra Solidarios, surgidos en Italia en 1994. Estos grupos nacieron entre amigos que compartían una crítica hacia el modelo de consumo imperante, a la concentración del capital en manos de grandes productores y comercializadores. Ellos buscaron basar sus prácticas cotidianas en la comunidad local. Su idea de solidaridad se refiere a la solidaridad entre sus miembros, solidaridad con la protección del medio ambiente y la comunidad local y con los productores y sus trabajadores. Con el tiempo parte de los productores han pasado a formar parte de estos grupos. Sin embargo, la crisis económica que comenzara en 2008 ha limitado su crecimiento y ha generado movimientos alternativos más radicales.
  Posteriormente, Takeshi Shinoda y Noriko Hataya aportaron valiosos comentarios. Los asistentes participaron con preguntas y comentarios que enriquecieron las perspectivas de análisis y el debate tuvo que ser interrumpido ya que a esa altura el simposio se había extendido media hora más allá del tiempo prefijado. Tratándose de una temática basada en un proceso histórico en desarrollo, nos llevamos muchas preguntas que esperamos enriquezcan el trabajo de investigación de todos.

Notas:
(1) 内橋克人『共生経済が始まる』朝日新聞出版、2009年
(2) 佐野誠『99%のための経済学[理論編]』新評論、2013年