研究部会報告2012年第1回
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東日本研究部会
2012年3月24日早稲田大学早稲田キャンパス14号館401号室において開催。修 士論文の成果4が報告された。分野は、 文学・人類学・政治学、地域はUSA・メキシコ・コロンビア・西語圏広域、素材は壁画運動"就学青少年の妊娠・債務者運動・ モデルニスモ詩論、と当学会らしい多様性を見せた。専門分野を異にする聴衆ならびに発表者間で活発な質疑応答が展開された。 理事会においてなされた開催日程に関する 議論を反映させて年度内に日程を設定したが、4月2日に開催した昨年と比べて発表 者・聴衆ともに少なかった(参加者10名、 発表者を含む)。今回は紙媒体のニューズレターの発行日と時期がずれ、ネットによ る告知にとどまったことの影響もあるか もしれないが修士論文発表会の開催時期は さらなる検討を要する旨、記しておきたい。 なお、当報告をもって当期委員(石橋、柳原、 ロメロ)は事実上の任務満了となる。会員 諸氏のご協力にこの場を借りて感謝申しあ げる。以下は担当委員による評である。(報告文責:石橋純、ロメロ・イサミ)
1.出川永(東京大学大学院法学政治学研究科修士課程)
「メキシコ合衆国ハリスコ州エル・バル ソン運動再考」
当発表は、1993年8月にハリスコ州に起こり、メキシコ各地に波及した社会運動 エル・バルソン(El Barzon)をとりあげた。この運動は満期債務問題解決を求める農業生産者を担い手として勃興し、次第に他地域ならびに都市部にも波及、多様な課題・社会層を含む運動へと変化した。その後、目的・手段を変容させ、組織の分裂・再編を繰り返しながら、地方政治・社会に大きな影響を与えたといわれる。報告では運動が衰退に向かった1998年までを扱い、 ハリスコ州のみに焦点を絞った。新聞記事を2次資料として用い、PRIからPANの行政首長交替に結節するメキシコの政治 環境の変化を要因として設定し、その従属変数としてバルソン運動の性格の変容を解 釈する可能性を提唱した。これにより従来 PRI派で保守的な運動として分類されてい たこの運動に新たな光を照射した。
先行研究批判の上に明確な問いを設定し、統制した資料の範囲内において論証を試みた当研究は修士論文としてじゅうぶんな成果をあげた。同時に、今後とりくむべき課 題も明らかにした。多様な社会層を担い手 とし、闘争の内実を目まぐるしく変容させ てきたバルソン運動は、単一のイシューを追求した同時代のう米社会運動(ピケテロ、 MST、5月広場の母、水戦争等)と比べ て、その全容がわかりにくい。それゆえ指 導者ならびにフオロワーの主体′性.組織運 営・資金源・闘争目標と成果等を(現地調査、 口頭資料をも視野に入れ)より詳細に調査 する必要がある。文化的コンテンツならび にパフォーマンスについても興味深い周辺 資料となろう。また比較の視点の有効性(他 州のバルソン運動、あるいはコムネロやク リステロなどメキシコ史上の他の運動との 比較)も指摘された。より大きな問いとし ては、1993年にはじまったこの運動を、「反 新自由主義的」運動と現在の視点から解釈
してしまう事の陥奔も指摘された。こうし た議論が発表者の博士課程における研究の さらなる発展につながることを期待したい。(ロメロ・イサミ)
2.新津厚子 (東京大学大学院総合文化研究科修士課程)
「越境する「メキシコ派」と壁画運動一 カリフォルニアチカーノ・コミュニティ の事例から」
本報告は、新津会員が去年12月に提出した修士論文である。その問題関心は、チ カーノ壁画運動とメキシコの「壁画運動」の係わりを明確化することである。その際、 美術史的な観点のみならず、チカーノ・アー ティストの証言にも焦点を当て、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴの アーティストの「声」を探っている。
既存の先行研究では、二つの壁画運動の 関連性を次のように見ている。1「三大画家」中心主義による運動の理解。2二分 化されたメキシコ・チカーノ壁画運動の理解。3二つの壁画運動をつなぐ1930年代 のニューディル・アート政策の存在。しかし、新津会員によると、これらのアプロー チには限界があるという。特に1930年代 の「壁画運動」と1960年代後半のチカー ノ壁画制作の間に存在する「歴史の空白」 を説明できていない。このような点を理解 するために、本報告では第四の枠組み、す なわち「メキシコ派」を提案している。こ こでの「メキシコ派」はメキシコ国内のみ ならず、壁画を中心とする越境的な芸術潮 流として位置づけられている。そして、チ カーノ壁画運動と「壁画運動」の間には、 二つの運動を媒介する壁画家たちの人的交 流と美学の伝播があり、それらが現在のチ カーノ.アーティストのなかで根付いてい るという。
会場からは、一資料収集を行ったことは 評価されたものの、その分析に問題がある ことが指摘された。また1960年代に米国 で盛んになったチカーノ研究・チカーノ運 動の影響があるのか、さらに新津会員が提 案する「メキシコ派」という枠組みが分かりにくいという指摘を受け
た
。
まだ多くの問題を抱えているという印象である。説明全体の論理性が乏しく、結論 で書かれている要約と各章の説明は必ずし もつながらない。なによりも「メキシコ派」 という定義を明確にすることである。美術 史としての「メキシコ派」、当事者の「声」 としての「メキシコ派」の違いを明確にし た上で、修士論文で提案した枠組みを再構 築する必要があると思う。ただし、この報 告では当事者の「声」を明らかにし、既存 の先行研究の問題点を明確にした。その意 味では、研究は意義があり、今後の研究成果を期待したい。(ロメロ・イサミ)
3.寺田有里砂 (東京大学大学院総合文化研究科修士課程)
「非自覚的文化としての早期妊娠一ボゴ タの貧困地区ウスメを事例に」
東京大学大学院に提出した修士論文を基にした本発表は、タイトルに明示されているとおり、ボゴタの貧困層に属する高校生たちの妊娠を扱ったものである。寺田氏は、この研究を進めるにあたって、現地ウスメの早期妊娠生徒12人に聴き取り調査を行っている。そこで得られた証言の言説を分析し、当事者たちが、妊娠発覚直後のパ ニックから立ち直った後は、その事実を受け入れ、ある種、楽天的に将来の展望を持 ち続けていることに対して驚きを表明する。 カトリックの国なので、中絶の選択が困難なのはわかるが、それにしてもなぜ彼女 たちは子育てを楽天的に考え、子がいても なお自身の将来の夢も抱き続けられるのか。こうした疑問を抱いた寺田氏は、計量分析 などの手法から説明を導き出すことは不可 能と考え、ピエール・ブルデュー(『ディス タンクシオン』)やポール・ウィリス(「ハマー タウンの野郎ども』)に分析の手法と理論の 基礎を求める。そしてウスメの早期妊娠の 事例を貧困がもたらす文化として捉える視 座を得た。彼女たちが妊娠にいたる過程と、 その事実を前にしたときの態度は、本人た ちには自覚されない文化なのだという
。
以上の論文内容を説明しつつ、寺田氏は、自身の採集したインタビュー内容をふんだ んに盛り込んだハンドアウトを用意し、早期妊娠生徒たちの生の声を伝えようとした。 寺田氏の発表に対し、ブルデューやウイリスの理論をただ援用するだけでなく、こ れに対する批判も加えなければ、「寺田モデル」とでも言うべき貧困と早期妊娠の関係を文化的側面から説明する理論は鍛えら れないのではないか、との指摘が、聴衆か らは提示された。また、こうした理論を想定した上で、もう一度現地に行って聴き取 りをして確認すれば、論文の完成度は高 まったであろうとのコメントもあった。(柳原孝敦)
4.棚瀬あずさ (東京大学大学院人文社会系研究科修士課程
)
「ルベン・ダリオの詩と詩論一く序文〉 における詩論の展開」
スペイン語の詩的言語を変革したとされるモデルニスモの領袖ルベン・ダリオの詩の概 念を扱った棚瀬会員の発表は、東京大学大 学院に提出した修士論文の一部。発表で は「俗なる詠唱』(1896)、「生と希望の歌』 (1905)、「放浪の歌』(1907)という3つ の詩集に付した序文を分析し、それらがそれ ぞれポール・グルーサック(アルゼンチンで活 動したフランス人作家)、ホセ・エンリケ・ロドー (ダリオ論を書いたウルグアイの作家)、ホセ・ オルテガ・イ・ガセット(「新しい詩、古い詩」 を発表したばかりの当時新進気鋭の哲学者) への応答になっていることを示した。『俗なる詠唱』の序文はグルーサックとの独創性をめ ぐる論争から確立した「コスモポリタン」な 態度の表明であり、「生と希望の歌』では、「ダリオはイスパノアメリカの詩人ではない」と書いたロドーに対し、芸術それ自体の価値を追 求する詩人としての立場から独自のナショナ リズムで応えているし、それが同詩集所収の 「ローズヴェルトに」などにも読み取れる思想 となって結実している。「放浪の歌』序文で は、詩の音楽性と思想とが不可分であることを主張してオルテガに異を唱えている
。
聴衆からは、ニカラグアのようないわば 小国からこのコスモポリタンな詩人 が生まれてきたことの特異性や、自身外交官でもあったダリオの現実の政治的スタン スとの関係などについて質問が出された。 本発表の中でとりわけ主眼が置かれたのは 「生と希望の歌」序文と「ローズヴェルトに」の分析であり、ロドーのダリオ批評を従来 の解釈とは異なる理解で展開した点にオリジナリティがあるが、政治思想との関係については、「生と希望の歌』に結実するも のを「ナショナリズム」としていることによって、上記の質問、疑問が生まれるので はないだろうか。それをかつて「ラテンア メリカ主義」として理解し、論じた評者としては、そう思う次第である。(柳原孝敦)
中部日本研究部会
中部日本部会研究会は2012年4月14日、14時から17時まで、南山大学名古屋キャン パス(L棟9階910会議室)にて開催された。報告者は2名で、出席者は14名である。
中川智彦会員は、エルサルバドル系住民が 集住するロサンゼルス地域で2月から3月に かけて実施した本国政治に対する政治意識 の本調査の経緯と結果の一部の報告を行っ た。本国で実施される各種選挙への関心な ど、エルサルバドル系住民の政治意識をはかる質問項目が丁寧に紹介された。また、アン ケート実施場所ゆえのサンプルの偏りといった調査上の問題点についても述べられた。フ ロアーからはペルーやメキシコからの移民の事例との比較に関する質問が集中し
た
。
浅香幸枝会員は、長年の南北アメリカ移 民研究を通じて浮かび上がってきた多文化共生のキー概念である「漂泊」、「定住」、「ト ランスナショナル・エスニシティ」をもと に、今後、メキシコの榎本移民を異文化が 出会う開かれた場として着目し研究するこ とを報告した。フロアーからは「漂泊」と「定住」の概念の違いについての質問があった。 研究会後の懇親会にも参加者のほぼ全員
が参加し、会員間で親睦を深めた。
各報告者による発表要旨は以下の通りで ある。(渡会環:愛知県立大学)
1. 中川智彦(愛知県立大学非常勤講師)
「2012年2月-3月実施『アメリカ合衆 国ロサンゼルス地域における在米エルサ ルバドル系住民の本国政治に対する政治意識調査』の経緯と概要について」
表題の調査は、フェリス女学院大学の中 川正紀会員とともに立案・実施した共同調 査の一部一報告者の担当課題に直接関わ る「本国政治に対する政治意識調査」-を 指す。本報告ではその意義と経緯を調査時 のエピソードとともに紹介した。共同調査自体は、18歳以上の二重国籍者、永住権 保持者、TPS等限定的在留資格保持者及 び「非合法」移民を対象とし、米国政治へ の意識、本国の各種選挙への関心や本国と の繋がりの程度等を問う幅広い質問項目から成る。本国経済に大きな影響力を持つ 在外国民を選挙民として包摂しようとする 本国政府側の近年の動向と在外国民側から の公的権利保障要求を視野に入れている点 で、本調査研究は在米サルバドル系社会の 将来的方向性を予測する上でも有効であろう。ただし、今回は回答者がTPS保持者 に偏る結果となり、追加調査で全体のバラ ンスを図る必要がある。また、テーマの性格上、可能な限り早い成果の公表に努めた い。最後に、会場から頂いた鋭いご質問や示唆に富むご指摘に謝意を表する
。
2.浅香幸枝(南山大学)
「人の移動と多文化共生一循環移民の視 座から」
2月29日に名古屋大学から学位授与された博士論文「地球時代の日本の多文化共生政策:漂泊と定住とトランスナショナル・エ スニシテイ』を軸に今後の研究課題を報告した。パンアメリカン日系協会を研究するきっかけとなった1987年の榎本移民の調 査の再開を共同研究「人の移動と多文化共 生:循環移民の視座から」の中に位置付けた。日本帝国時代と1990年の入国管理法の改 正施行により、「漂泊と定住」が復活し、ア メリカ大陸に定住し現地のキーパーソンと なった2世の「トランスナショナル・エスニ シティ」の仮説事例説明をした。また、日 本が自然災害の多さから移民を送り出して いた史実から、地域の持続可能な発展のた めに循環移民の視座から再検討する必要性 を述べた。農学士草鹿砥寅二の生涯と農政 についての考え方の資料の保存と再考、100 年前からの知恵や異文化が出会う開かれた 場としての小学校建設について、報告した。
西日本研究部会
4月14日、神戸大学にて西日本部会研究会が開催された。ボリビア人留学生2名 を含む多くの大学院生が参加し、報告に対 して活発な議論が交わされた。
宮地報告は、ボリビア先住民運動研究を 題材に、記憶という概念の使い方を論じた。 1980年代前半に登場した同分野の古典と なる研究において、先住民運動の発展要因として、植民地期より維持されてきた闘争 の記憶の復活が指摘され、この古典を引用 した後代の研究も頻繁に記憶概念を用いる ようになった。米国の論文データベースに よれば、記憶概念の使用頻度は1990年代 を境に2000年代中盤に至るまで増加傾向 にあり、ボリビア先住民運動研究は今日の 記憶ブームを20年近く先取っている。そ の一方、記憶に安易に言及している論文も 少なくなく、それらには(1)記憶の特定 方法が不明確である、(2)記憶と出来事を 混同して用いている、(3)運動の盛衰は対 先住民政策の中身と対応しており、記憶は代 理変数に過ぎない、(4)運動の発展は記憶 の成果とされるが、停滞は記憶に原因がある とはされず、記憶の効果が恋意的に評価され ているという論証上の問題が見られる。この 4点は記憶概念を使う全ての研究を批判的検討する上でも、着眼すべき点である
。
発表に対しては、ペルー考古学でも記憶に関する同様の議論が見られることや、ラ テンアメリカ研究における記憶概念への言及の高まりはいわゆる移行期の正義の議論 が関連している可能性があること、ボリビ ア国民の属性は階級や民族、地域などの面 であまりに多様で、集合的記憶の保持はそもそも困難であることが指摘された。また、 記憶の特定方法や概念の操作可能性につい て複数の者から質問があり、発表者によっ て回答がなされた。
高橋報告は、貧困削減において注目を集 める条件付き現金給付政策(CCT)の比較研究に関するものである。報告者がこれま で研究してきたメキシコの事例と対比され るブラジルとチリについて、3月に実施した最新の現地調査を踏まえた知見が示された。 CCTは貧困層に向けた政策である一方、政 治家が支持調達を目的に給付先を操作する 恐れが高い。そこで重要になるのは、資金 利用に対するチェックを政府の内外で行う ことであるが、汚職が深刻とされるラテンア メリカ政治のイメージに反し、CCTを監視 する制度は続々と登場している。メキシコ では、選挙が競争的になると共に、市民社 会が活発化してきたことで、こうした制度 が確立されるに至った。今回の現地調査で は、ブラジルにおいて徐々に監視制度の整備が進む一方、チリの監視制度は他の2国 に比べて独立’性を欠いていることが明らか になった。メキシコと対比すれば、ブラジル とチリは共に選挙が競争的であるが、市民 社会の監視はチリにおいてのみ欠落してい る。よって、チリの制度的特徴は市民社会 の活発さの欠如に帰することが予想できる。
上記の発表内容に対しては、研究の フォーカスに税制を含めることはしないの か、Defensor del Puebloの登場との関連 はないのか、市民社会の活発さはいかに測定できるのか、チリの差異を知る上では ピノチェト政権期の社会保障政策や官僚機構の非政治性、貧困層が薄いことが影響し ていないかという質問が出され、発表者に よって回答がなされた。以下は、各発表者から提出された要旨である。 (文責:宮地隆廣)
1.宮地隆廣(同志社大学)
「記憶概念の利用と濫用一ボリビア先住 民運動研究を事例に」
ラテンアメリカの先住民運動において最 も成功を収めたとされるボリビアでは、先 住民運動に関する研究にて記憶という概念が頻繁に用いられる。本発表はこのことに 関する考察を示す。まず、昨今の人文社会学や比較政治学の潮流と照らし合わせて、記憶に早くから着目されたことが肯定的に 評価される。それと共に、実際の論述における記憶概念の使われ方を検討することで、 記憶に安易に依拠することに伴う問題点が 指摘される。
2.高橋百合子(神戸大学)
「社会扶助政策におけるアカウンタビリ ティーチリとブラジルの事例(現地調査 報告)」
ラテンアメリカでは貧困削減政策の手段 として、条件付き現金給付政策が多くの国 で導入されている。効率的な貧困政策を目指して、同政策は、ターゲテイングの精綴 化、受給者のデータベース化、モニタリン グの実施、政策効果についての外部評価、 財源の監視システムの整備など、政策の透 明性とアカウンタビリテイを高めるための 制度構築を伴う点が特徴的である。本報告 は、2012年3月に行われた現地調査での 成果に基づき、ブラジルとチリでは、民主 主義の発展が制度構築を促したことを示す。